世界の背表紙で、君と踊ろう   作:厳冬蜜柑

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泣いても、笑っても。
これで、終わり。



#0x0D Upon the spine-cover of the world (2/3)

 銃声が、散発的に響く。

 円を描くこの延空木の第二展望デッキは、行き止まりがない分逃走はいつまでも続けられるが、しかし安全を確保するには狭すぎる。

 撃っているのは、もっぱら真島だ。こちらは躱すのと逃げるのに精いっぱいで、反撃などできようはずもない。

 

「すばしっこいなぁ、オマエ! 逃げ足の速さだけならあのリコリスより上じゃねぇかぁ!?」

「生きるのに、必死な、だけだ!」

 

 また、銃口がこちらを覗く。鞄を構えて伏せる。銃声。慌てて立ち上がり、そしてまた距離を取ろうと全力で走る。狙いをつけられないように、ジグザグのコースで。

 真島が「ゲーム」を始めて、十分。僕は彼の思うがままに、追い立てられ続けている。

 当たれば、終わる。その恐怖が、僕に彼と正面から立ち向かう気をなくさせていた。

 

 しかしこのままではじり貧だ。向こうはほぼ走ることなく、悠々と歩み寄っては時折僕を撃つ。動かされているのは、僕ばかりだった。

 そしていずれ体力が尽きた時が、僕の終わりとなるのだろう。すでに若干息は上がり始めている。残り二十分もの間、これに堪え切れる気はしなかった。

 

 どこかで、切り返すしかない。しかし何か手段はないか。

 しかしそれを考える暇もなく、また銃が構えられる。慌てて鞄を構えて、腰を落とした。

 意識の間隙。閃光と、銃声。かかる衝撃に、たたらを踏んで、そして呻く。しかし転べない。転んだら死ぬ。

 思考が不意に差し込んだ。何度この千束の鞄に命を助けられたか、と。これを持たせてくれた彼女には、後で礼を言わないといけないな、などとすら思う。

 しかしその「後」は、ここを生き延びなければ訪れはしない。震えかけた膝に鞭うつように走りだそうとして、しかし僕は今自分が()()()()()()()()の存在を唐突に思い出した。

 

 そうだ、何のためのこの装備か。いつまでも逃げていては助からないのなら、抗うしかないだろう。そしてその手段は、手の内にあるのだ。

 僕は立ち止まった。身体ごと振り返って、真島を視界の正面に収める。

 

「なんだ。鬼ごっこは終わりか?」

 

 手で一度そのリボルバーを玩んで、そしてまた構える。どこまでも余裕の態度を崩さない真島に、僕は鞄を肩にかけてから()()()()()()()()()()()()()()

 一瞬だけ目を開いて、しかし引鉄に手をかける。指に力が籠った。

 放たれるより先に、斜め前に跳ぶ。跳んで、銃声。受け身を取るように前方に転がって、立ち上がればそこは真島の程近く。顔を上げ、目の前の真島がこちらへと銃口を向けるのを見た。

 だが先手は打たせない。今度はこちらの手番だ。ポケットの中、仕掛けのスイッチを、押す。

 

「――なッ!?」

 

 真島が、弾かれるように横を向く。チャンスだ。右手の銃を構え、足をめがけて、狙いを定めて――

 

「テメッ……!?」

 

 撃つ。銃声。しかしそれはすんでのところで躱された。銃弾は左足を掠り、そのズボンを切り裂いた。しかしそこに隙が生まれる。

 銃を投げ捨てて、真島へと突っ込む。裂帛の気合と共に、正面からぶつかり合った。

 鈍い音がする。頭に鈍痛を感じた。バランスを崩した真島が倒れ込む。彼の手からも、その得物が離れた。

 のしかかるように真島へと身体を倒す。膝を、鳩尾に当てた。

 

「テメェ、何した……!?」

「言うわけ、ないだろ……ッ!」

 

 その右手を掴んで捕縛しようとする僕に、しかし真島が全力で抗う。マウントを取られているのに、しかし凄まじい力だ。何とか右手を取ろうとしても、しかし若干の体格差が許してくれない。

 もみ合っている間に、とうとう僕の右ひざが強引に外された。左拳が握られる。まずい、そう思ったときには遅く――

 

 横面に感じる激痛。直後、腹部にも。

 気づけば、吹き飛ばされていた。自分が何か声を上げたような気もしたが、もはや分からない。飛ばされた場所、明滅する視界の先に飛び込んできた拳銃をどうにか掴んで顔を上げれば、真島が僕に銃口を向けていた。

 ――撃たれる!

 そう考えるより先に、もはや反射で横に転がった。瞬後、銃声が轟く。一瞬崩れかけた膝を叩き、何とか立ち上がって、そして鞄を前に構えた。

 

「……やるじゃねぇか」

 

 真島がこちらを見る目線は、もはや笑ってはいない。冷たい目で、僕を見ていた。

 

「まだ、死ねないん、だ、……僕は」

 

 未だ体に残る鈍痛を堪えて、真島に答える。しかし持久力は少し回復したか。或は痛みで目が覚めた生存本能が、僕の身体に活力を与えているのか。

 

「やっぱオマエ、惜しいわ。逃げ回ることしかしねぇと思ったら、面白ぇやり方でかかってきやがった」

 

 そして、もう一度問いかけてくる。

 

「さっきのありゃ、なんだ?『誰もいない場所』から、足音が聞こえやがった」

「割れてないタネを明かす手品師が、いるとでも?」

 

 落ち着いてきた息を整えて、笑って見せる。

 

「ま、それもそうか。ただまぁ、二度目はねぇ……よッ!」

 

 銃口が向く。来る。身構えようとして、しかし直後起こった銃声は僕を穿つには至らず、その射線は僅か左を疾った。

 その直後に気づく。僕は無意識のうちに()()()()()()()()()()()。恐らく、向けられた銃の引鉄が引かれるより、ワンテンポ早く。目の前で、真島が怪訝そうな顔をした。

 

「んあ? オマエそれ……」

 

 言葉が聞こえる。そのままもう一度、銃声。

 

 今度は自覚した。銃がこちらを向くのと()()()()に、身体が動いている。今度は左へ一歩動いて、屈んでいた。右上方を、弾丸が通って行った。

 得も言われぬ感覚だった。無理矢理に言語化を試みるなら、今の僕には()()()()()()()()()。千束の技能のような、「正確な洞察力による回避」ではない。しかし事実として、彼の放つ銃弾を、僕は今躱し続けている。

 その振る舞いに、真島は驚いたような声を上げた。

 

「あのリコリスみてぇなことしやがる。……オマエも『アラン』絡みか?」

「んな訳ないだろ。僕だって初めてだよ、こんなこと」

 

 言いながら、もしやと思い至る。

 

「……()、なのか、これ」

「は? ()だぁ?」

 

 零れ出た言葉に、真島が反応した。

 そうだ。これまでの己の判断を度々に亘って助けてきた、そして我ながら優れていると自負している、僕の()だ。命の危機が本能を呼び起こしたか、或は過集中になったことで変質したか。先読みに近い危機感に、身体が先に反応した。これはそういうことなのではないかと。

 それ以上を考えるより先に、思う。これができるのであれば、或は正面から真島と戦えないだろうか。勝つことは難しくとも、こちらから仕掛け、ペースを握ることで、体力を温存しつつ耐久する。そういうアプローチは取れないだろうか。

 ――やってみる価値は、ありそうだ。思い立って、僕は鞄を肩にかける。そして空いた両手で銃を握り込み、構えた。

 片眉を上げこちらを見る真島を、正面に捉える。そして鼓舞するように、独り言ちた。

 

「やるしかない……やるしか!」

 

 発砲する。しかし大きく後ろに跳ばれ、足元を狙った弾は外れた。しかし跳ぶと言うことは、隙があると言うこと。猛然と前へチャージする。

 後ろに下がり、着地するなりこちらに銃を向ける。しかしこれは()()()()()。そのまま突っ込めば、果たして放たれた弾丸は僕を大きく逸れた。

 

 三歩程近づいてから、ポケットに手を入れる。

 

「その手はもう喰わねぇなぁ!」

 

 叫びながら、しかし真島は今度こそ冷静に照準を合わせてくる。しかし僕がボタンを押した直後、彼の狙いが一瞬だけ()()()()()。右側にワンステップ。放たれた銃弾は、僕の遥か左を抜けた。

 両手で構え、銃を持つ真島の右手へ向けて引鉄を引く。

 

「うぉッ!」

 

 しかしそれは咄嗟に手を引いた真島の腕を掠るだけに終わった。いくら()()()で隙を作り出そうが、やはり付け焼刃の射撃経験しかない僕に、リコリスの、千束やたきなさんのような射撃精度は出せない。

 作戦はうまくいっても、しかし僕に彼をどうにかする力はなかった。

 それでも、この場の主導権を握っているのは、辛うじて僕だと言えた。

 

 真島は転がるように後ろに下がって、しかしすっくと立ちあがる。お互いに銃を突きつけ合った姿勢で、僕たちは見合った。

 

「……なるほど、指向性スピーカーか」

 

 そして、合点が行ったような口ぶりで、真島が呟く。それはつまり、彼の銃口を僕から外させた、手品のタネのことだった。

 

「二回もやれば、バレるか、さすがに」

 

 さすがの洞察力だと、忌々しくも舌を巻いた。

 

 対真島の秘策として僕が用意したのは、彼の言う通り、超指向性のスピーカーだ。屋内であれば、これを任意の場所にぶつけて反響させることで、自然発生する音の位置を誤魔化すことができる。足音と同じ波形の音波を左の壁面へと撃てば、対面する真島からすれば右の方角から足音が聞こえるように感じられるはずだ。

 そしてそれは、聴覚による空間認識を得意とする真島には覿面に効く。

 普通の人間が空間を把握するにあたっては、視覚こそが優先されて、その後に補助的な認識として聴覚を使う。しかし真島は逆だ。まず聴覚があり、そしてその後に視覚で情報を補っている。どちらかが完全に潰れればもう片方のみに知覚を頼ろうとするだろうが、しかしその両方が生きている時、とっさの判断を真島は()()()()()。それが僕の推測だった。

 それはもはや彼の本能に刻み込まれた行動だ。だから視覚と聴覚で相反する空間認識が起きた時、真島はほぼ無意識のうちに、聴覚による行動を取ろうとする。ついさっきの真島の、不自然に左にブレた照準とは、つまりその結果の産物だった。

 

「俺のことよく分かってるじゃねぇか。やっぱオマエ頭いいな」

 

 ただ、な。

 その言葉が彼の口から出た瞬間に、僕は左へと跳んだ。

 

「銃の腕がなきゃなぁッ!?」

 

 ギリギリ右を、弾丸が掠める。右耳に、死の音が聞こえた。

 着地の瞬間に、屈む。また銃声。そして飛び退る。今度は足元が煌めいた。これもまた、弾丸だった。

 

「よく避けんじゃねぇか!」

 

 最後の一発を、半身になって鞄で受ける。もはやその衝撃にも慣れてきていた。弾丸を補充しようとする真島に、させじと銃を構えて、応射する。しかしまた避けられた。

 

「ま、俺も当たんねぇがな!」

 

 よく喋る。こちらには全く余裕がないというのに。

 そのまま二歩三歩と下がっていく。両手で銃を構える僕のことを余裕の表情で見ながら、真島はまた口を開いた。

 

「……しかしまあ、思ったより楽しいじゃねぇか」

「楽しい……?」

 

 楽しい。何がだ。この、命のやり取りが、か。そう問うよりも先に、彼が続きを口にする。

 

「そりゃオマエ、この戦いがに決まってんだろ。最初は逃げ回るオマエを適当に追いかけるつまんねぇ鬼ごっこかと思ったが、結構面白ぇ戦い方しやがる」

 

 愉快そうな声だ。どこまで本気か分からない。構えた拳銃は、下ろせそうになかった。

 

「何回も言ってるだろう。僕は生きるのに必死だ。殺されちゃ、かなわない」

「いいんじゃねぇか? オマエはそれで」

 

 俺が楽しんでるだけさ、と。

 そう弄うように言葉を返してきた真島だが、しかしそこでやおら、居住まいを正した。片手で僕に突き付ける銃口は、そのままに。

 

「俺はな、どっちを最後にここに呼ぶか、迷ったんだよ」

「どっちを? どういうことだ」

 

 その言葉に、彼は肩を竦めた。

 

「わかんねぇのか? あのリコリスか、オマエか」

「千束を……? 何のために」

「そりゃオマエ、決着をつけるためさ」

 

 あっけらかんと、真島は言う。しかし千束との戦いは、もう済んだはずだ。あそこまで有利な場を作って、挑んで、そしてこいつは、負けたはずだ。

 

「千束には、もうすでに負けただろ、お前」

「ありゃあのリコリスに負けたんじゃねぇ。最後に誰か伏せてただろ? あれもオマエだ。違うか?」

「そうだとしても、あそこまで自分に有利な土俵に呼び込んでおいて、なお勝てないならそれは負けだろ……殺せない千束の弱みにも付け込んで」

 

 僕の反駁を、しかし真島は鼻で笑う。

 

「勝てる場を用意するのも、また戦いだ。相手の弱みに付け込むのだってそうだ。だろ?」

「だったらあの結末を受け入れろよ。お前は負けた。結果がすべてだ。往生際が悪いぞ、真島」

 

 更に言い返したこちらの台詞に一瞬だけポカンとした表情をして、しかしまた彼は笑った。

 笑い声が、辺りに響き渡る。

 

「いいねぇオマエ。やっぱ好きだわそういうとこ。そうだ、結果が全てだ。オマエいいこと言うなぁ」

 

 言葉と共に、殺気を感じる。反射的に鞄を構えた。

 

「なら……今からだってそうだよなぁッ!?」

 

 銃声と、衝撃。その勢いをそのままに後ろに跳んで、距離を取る。小休止は、そこで終わった。

 

 

 

 ――制限時間まで、残り十分。

 

 

 

 遠距離から正確な射撃をする力は、僕にはない。そういう意味では、真島と僕ではその有効射程において彼の方に軍配が上がる。つまり遠くからでは、僕は彼に対して何の圧力もかけられない上に、一方的に撃たれるだけということだ。

 そして遠くから向けられる射線は散布界が広く、故に勘に頼った今の僕の避け方では大きく動かされて体力を削られるばかりだ。さりとて逃げ回るという選択肢は、もはやこの期に及んで取れない。

 そうだというのであれば、真島を同じ土俵に立たせるために、僕は近づくより他にない。そうしてさえも今まで一度もまともに攻撃を当てられてはいないが、だとしてもだ。

 

 幸いなことに、時間が進むたびに己の感覚が更に鋭くなっているのが分かる。近くに寄れば、或は真島の呼吸ですらも聞き分けられるような錯覚すら懐く。

 これは戦闘に対する慣れなのか、或はもっと別の何かなのか。分からないが、考える暇は今はない。

 すでに何か所か砕けた吹き抜けの前のガラス柵の、その破片を踏み鳴らして前へと走る。銃口が向けられ、しかし進路を二歩分左に変えれば、それは当たらない。

 切り返すように右に跳んで、潜る。滑るように転がり、立ち上がって、()を仕込みながら正面へ突っ込んだ。向けられた銃口は、僅かに右方向にズレてから弾を吐き出す。それを横目に、拳銃のグリップ部分をひっくり返して、真島の右手めがけて殴りかかった。撃っても当たらないなら、打撃に頼ってみようという目論見だった。

 

 しかし突如真島の身体が、ブレた。強烈な警鐘が鳴り響く。慌てて体を屈めれば、僕の真上を彼の脚が通っていった。ならばと軸足を取りに行くも、一歩速く後ろに飛び退られる。またこちらを向く銃口の射線から、転がるように逃れ、立ち上がる。

 思った。やはりクロスレンジは無理がある。千束が勝てないほどの格闘能力を持った相手だ、僕が挑んでどうこうなる相手ではやはりなかった。

 

 鋭敏になっていく感覚と反比例して、身体が少しずつ重くなっているのもまた自覚する。見えるのに、遅れそうになる。分かるのに、チャンスを掴めない。ペースはこちらが握れているように思うが、しかし真島が本気で後手に回っている気は、まるでしない。何か挑みかかる僕をいなしているような、そんな手ごたえのなさが残るばかり。そして時間はあと五分になった。

 真正面から戦うようになって、しかしその残り時間が遠い。相手に攻め手を与えなければ、それで耐えれば僕の勝ちでも、苦しさは誤魔化せない。呼吸が乱れ、視界が白む。

 それでも、死ねない。決意を新たに、もう一度前へと走り出す。

 

 懐に潜るように撃ち、躱されてお返しに撃たれる。しかし互いに未だ一つの被弾もなく、交錯が続く。

 

 あと四分。

 

 そこで突如、真島が後ろに向かって走り始めた。一定距離を保ってこちらと対峙し続けた彼が、ここまで一気に距離を取ろうとすることなど今までなかったのに。その違和感が、警戒を生む。何か狙いはあるはずだ。追いかけながら、一挙一動を見逃さないように目を眇める。懐に手を入れて、何かを取り出す。

 

 丸い物体だ。()()()()()()、こちらに投げようとするそれはつまり――マズい!

 強引に急制動をかけ、そのまま後ろに逃げようとする。しかしその刹那、正面で銃口が光った。

 慌てて鞄を構える。銃声、そして衝撃。しかしそれで立ち止まってしまった僕の程近くに転がったもの(手榴弾)がいよいよ見えて、咄嗟に鞄の隠し紐を引っ張って――

 

 

 

 ――それが爆ぜて、飛んだ。

 

 

 

 白が視野を覆い、その奥に風を感じる。浮き上がった身体が、地面に叩きつけられ、二度三度と転がった。上下する視界、なくなった空間識。一瞬の意識の空白の後に、じくじくとした痛みが襲った。床のガラスで、どこかを切ったか。

 それでも、まだ動ける。立ち上がり、前を見て、そしてすぐに右へと跳ぶ。煌めく弾丸と、風を切る音。鞄から展開された白い布は、エアバッグは、すでに収納されていた。

 肩で息をする。もう、体力が残っていない。それでも、生きなくては。

 気を抜くとぼやけ始める視界の向こうで、しかし未だ余裕そうな面持ちで、真島はこちらに銃を向けていた。

 

 あと三分。

 

 今の交錯で、元から薄かった回避主体の選択肢が完全に消えた。こちらから仕掛けて、ペースをコントロールすることでどうにか体力を温存するしかない。ただかなり離れたこの距離ならば、拳銃の有効射程の外だ。僕を仕留めるつもりなら、真島は近寄らざるを得ない。仕掛けるのは、そこだ。

 待つ。ゆっくりと、真島が歩いてくる。彼からすればまだ時間はあるということだ。可能な限り息を整え、最後の折衝のための体力を回復させる。少しずつ近づいて来るその影が、ゆっくりと僕に銃口を向ける。まだ当たらない。一秒、二秒、三秒、そして、今。

 

 左斜め前に大きく跳ぶ。一瞬遅れて、元居た場所へと閃光が疾った。着地して、切り返す。真島が照準を向け直し、しかしここは僕の間合いだ。今まで使ってきたタイミングよりやや手前、早めに()を放って、それによってブレた銃口のことを視認するより前に踏み込む。

 この位置、僕のことを視認してからの反応では、もはや遅い。ずれた場所を穿つ弾丸に構うことなく、ただ死線の先を越える。そしてとうとう僕は、真島の懐まで潜り込んだ。

 そうだ。ここなら、当たる、絶対に。引き伸ばされた時間の中、両手で銃を握り込み、今度こそ真島の右手に照準をつける。たった五十センチ先。外すわけがない。引鉄に力を込めて、そして、

 

 

 

 

 

 ――バン、と。

 意識の空白の中、聞いてはいけないはずの、音がした。

 

 

 

 

 

 右肩が、熱い。感覚を失ったように、動かなくなる。理解ができなかった。だらりと垂れた右手に目をやる暇もなく、視界いっぱいに広がる、真島の脚。

 姿が遠のく。視界が明滅して、呼吸が止まる。それを痛みだと認識するころには、僕ははるか後方に吹き飛ばされていた。

 視界に星が散る。右肩には燃えるような熱が残ったままなのに、そこ以外の全てが寒い。熱を奪われたかのように。

 でも、立たなければ。立たなければ、死ぬ。腕を突く。震える身体を持ち上げて、立ち上がった。

 

 その目線の先、向けられた銃口。光。身体を捩るが、しかし追いつかない。銃声と、熱さ。次は、左脚の、太腿。バランスを失って、崩れるように倒れる。

 

 

 

 撃たれたのだ。右肩と、左腿。そこでようやく、それを理解した。

 

 

 

「どう、して」

 

 言葉が、零れる。あの時真島の銃は、その右手は僕の方に向いていなかった。撃てるはずがなかったのに。

 一歩、二歩。近づく音がする。動かなければ。立とうとして、今一度両手を突く。力は入らなかった。

 

「――楽しかったが、こんなところか」

 

 真島が、僕のすぐ傍に立つ。そして、軽く蹴られた。抵抗する力を失った身体が、仰向けに転がる。

 そしてそのまま胸を、踏みつけられた。肺が押され、押し出された空気が、掠れたような声と共に口から漏れた。

 

「……どうして、だったか? これだよ」

 

 言いながら掲げた彼の()()には、もう一つのリボルバーがあった。それは予備の銃だった。あの後、旧電波塔の中で、回収したのか。

 それを懐にしまいつつ、真島は右手の銃を、静かに僕へと向けた。僕の、眉間に。

 

「あと、三分だったか。……ま、頑張った方だな」

 

 ちょっとヒヤッとしたぜ、最後は。この場に不釣り合いなほどの穏やかな笑みで、真島は言う。

 向けられた銃口、その足の裏に踏みつけられ、磔になった僕の身体に、それを避けることは、もう出来ない。

 ここで、終わるのか。熱さと寒さ、痛みに白む視界の中で、どこか他人事のように、そう思う。

 

「……なあ、『参謀』」

 

 その姿勢のまま、僕の目を覗きこんで、真島が言う。

 

「もう一度だけ、訊いてやるよ。……俺の仲間になれ。そうすれば、命は取らない」

 

 その言葉は甘露のような誘惑だった。生殺与奪の権をすべて握って、彼は僕に、慈悲を与えようとしている。

 死にたくなければ、俺につけと。

 息が切れる。痛みで口が回らない。それでも、答えなければ。

 

「……かっこ、悪いぞ、真島。……この、期に、及んで……まだ、そんなことを、言う、のか」

「それだけ惜しいんだよ、オマエ。死にたくないだろ?」

 

 真剣な目だった。今まさに僕のことを殺そうとしている人間の目では、なかった。

 ゆるゆると、首を振る。

 

「死にたくは、ないけど。……お前に、生かされて。何人も、他の、人を泣かせて。殺すなんて。僕、には、……できない」

 

 それを受け入れることは、できなかった。そうやって生きて、己の志全てを裏切って、罪ばかり重ねるなんて、絶対に。それならば、まだここで死んだ方がマシだった。

 だから僕は、ここで終わる。許さないと誓ったはずの男の手によって、引導を渡される形で。

 それに対するどうしようもない悔しさは、胸の奥から湧き出てくるけれど。でも何故だろうか、心は不思議と凪いでいた。

 

「……そうかい。なら、お別れだ。……俺は、オマエのこと好きだったぜ。だから、覚えておいてやるよ。これからも」

 

 ただ最後に、約束を守れなかった申し訳なさだけが残った。あの店での最後の光景を、あそこにいたみんなの、千束の言葉を、ただ想起した。

 

 ごめん。そう口の中で、呟いた。誰に向けての言葉だったのかは、もはや分かることもない。きっと、永遠に。

 そして、引鉄に力が籠められる。せめてそれは見届けようと。目を瞑ることなく、それを見ていた。

 

 

 

「――隼矢さんッ!!」

 

 

 

 そこに、声が聞こえた。

 少女の声。聞き親しんだ声。そして同時に閃光が舞った。

 真島の手から、銃が弾ける。彼の目が見開かれた。

 

 

 

 いつかどこかの夜で、見たはずの風景がそこにあった。僕はそれをただ、カメラ越しに見ていたけれど。

 しかしその声と、その音と、その全てを頭が理解した瞬間、()()()()()()()()()

 

 俄に、身体に力が戻る。そうだ。生きられるならば、生き残れるならば、()()()()()()

 

「……真島ああああぁぁぁぁッ!!」

「――なぁッ!?」

 

 僕の胸を踏みつけたままの、足を掴む。そのまま身体を横に捻れば、軸足の安定を失った真島の身体もまた、道連れに横倒しになった。

 立て直しの隙は与えない。余勢を駆って強引に覆いかぶさった。真島の右手、懐に差し込まれようとするそれを直前で掴んで、力づくで捻り上げる。目当てはもう一つのリボルバーだろうが、そんなもの、抜かせるものか。そのまま、持ち上げた自分の左腕ごと地面に叩きつけた。

 それは僕の中になかったはずの力だった。出ないはずの力だった。でも今この瞬間だけは、何でもできるような気がした。

 ならば次は僕の番、こちらの方から真島の懐を探る。スマホだ。爆弾を、止めなければ。

 

 必死に掴みかかって、押し合う中で唸る声が聞こえる。僕からも、真島からも。獣のような、本能的な格闘戦だった。それでも今のこの瞬間、その場は僕が支配していた。

 最初にもみ合いになったときの真島の力はあれほどまでに強く思えたのに、でも今の僕にはそれは赤子程度のものにすら感じられる。

 真島の左手が動く。目敏くそれを見つけた。目当てはきっと、懐の中の、予備の銃だ。それを左手で探ろうとしている。

 させはしない。鳩尾に肘打ち、怯んだ隙に膝で左腕を抑えつけた。

 

 ここまで力関係が逆転するとなれば、理由は一つだ。つまりこれは火事場の馬鹿力なのだろう。ならばその反動は必ずやってくる。

 しかしそれに構ってなどいられない。これは今を生きるための力だ。恐れてはならないのだと。

 そのままの姿勢、真島の身体を右半身全体で抑えつけて、痛むはずの右手で、抉るように懐を探った。

 硬い感触。平たい板。これだ。抜き取って、横に投げる。さっき、僕を呼ぶ声が聞こえた方向へ。

 

「爆弾の時限装置! 押せば止まる!」

 

 そしてその声の主に、()()()()()に、伝える。しかし見ている余裕はない。そうだ。僕にはまだやることがある。こいつをどうにかしなければ。

 懐の銃を抜かせるより前に、カタを付ける。もう猶予はない。ならば、もはやこれしかない。

 

「お前は、お前はここでぇッ!!」

 

 自由になった右手で真島のシャツの襟を掴んで、そこから身体を大きく横倒しに捻った。直前まで抑え込んでいた真島の左腕が巻き込まれて、くぐもったような、鈍い音が聞こえた。肩が外れたか、痛みに呻く声が聞こえる。しかし知ったことではない。そのまま捻り切ったうつ伏せの身体を屈め、しゃがんだ姿勢で真島の身体を背負う。これなら、奴も自らの懐に手を差し入れられはしないだろう。

 そのままに僕は立ち上がった。立ち上がれた。

 

「テ、メェ……ッ!?」

「僕の、代わりに――」

 

 そしてその姿勢から、襟を掴んだ右手を、全力で振り抜く。

 

「落ちて、くれよぉッ!!」

 

 勢いのままに、真島の身体を吹き抜けの柵に叩きつけた。呻き声と共に彼は柵を乗り越えて、吹き抜けのガラスに頭から落ちる。

 人の荷重に耐えられる設計になっていないだろうそこには、真島の落ちた場所から少しずつ罅が入って、広がってゆく。

 

 息が続かない、視界は明滅したまま。それでも、ここで終わらせる。

 足元に落ちていた銃を拾って、真島が伏しているガラスの近くに狙いをつけた。

 

 そこで俄に、先刻の情景が頭を過った。僕を誘った時に見せた、彼の目つきが。その言葉に載せられた彼の意思と正義と、そして僕がそれに対して突き付けた、己の答えも。

 銃を持つ手が震えた。この引鉄を引けば、僕はその全てを無に帰すことになる。言葉ではなく一方的に、暴力によってそれを成す。

 それは僕がついさっき、「悪」と断じた選択だった。そのはずだった。千束との約束、「いのちだいじに」。それにも、悖るのだ。

 

 頭を振る。だとしても、こいつは僕が決着をつけなければいけない相手だ。今ここで僕がやらなければ、助けに来てくれた彼女が、つまり()()()()()、代わりに戦うことになる。それだけは、あってはならない。この最後の局面にあって、今までの努力を無駄にはできないだろうと。……いや、それはただの言い訳か。

 

 分かっている、本当は怖いだけだ。僕が生きるために、こいつを、真島を、始末しなければと、そう思っているだけなんだ。どこまでも我儘で、これでは眼下にいる彼を笑えない。

 

 今一度、息を整えた。

 ただそれでも、そうであっても、僕は撃つ。撃たなければならない。奴が立ち上がる、その前に。

 生き汚いと笑わば笑え。だって僕は、生きられるなら、生きたいから。死にたくは、ないから。

 両手で構え、震える身体を抑えつける。そこに至ってようやくにして、僕の心から迷いが消えた。

 

「……ごめん、千束」

 

 そしてただ無心で、引鉄を引ききった。

 瞬後、寸分違わず着弾したガラスには穴が空く。そこから入った罅が、真島の横たわっていた吹き抜けのガラスの板全てを覆ってゆく。透明だったそれが少しずつ、しかし確実に、白んでいって――その果てで、粉々になって、砕けて散った。

 自らを支えるものの全てが消え去って、その人影はただ墜ちてゆく。少しずつ遠くなり、小さくなり、そして見えなくなって。まるでスローモーションのようで、そのどこにも現実感を覚えない。

 しかし、その生々しさだけは、感じる。僕は、人を殺したのだ。いまこの瞬間、間違いなく、この手で。

 

 

 

 それを自覚して、身体から全ての力が抜け落ちた。

 

 

 

「隼矢さんッ!?」

 

 いつの間にか、視界が横倒しになっている。漂う濃密な血の匂いにも、今更になって気がついた。辺り一面に見える赤色の景色の中、誰かが駆け寄ってくる音を聞く。一人、いや二人だ。

 

「隼矢さん、しっかりして!」

 

 肩に手をかけられた。仰向けにされる。覗きこんだ顔は果たして、僕の知っている二人の少女だった。

 

「きて、くれたんだ、ね」

「喋らないでッ!」

 

 背中に手がかかる。そして起こされた。また白んでゆく視界の先に、白金の髪が浮かび上がる。千束だ。その反対側には、やはりたきなさんもいた。

 視点が、後ずさってゆく。引きずられていることを、理解した。

 

「たきな、止血帯は!? あとガーゼ! 早くッ!!」

「準備してます!」

 

 僕の視界の外で、二人が忙しなく動く。僕を、助けようとしている。生きて帰るために。

 これは、僕のせいだ。僕の見通しが甘かった。二人が言うように、或は初めから一緒にここに来ていれば。

 僕には僕の理由があって、この二人に戦わせるわけにはいかなかったとしても、それでも結局彼女たちは、一発だけでも、撃ったのだ。撃たせて、しまったのだ。

 

「ち、さと。……ごめん、こんな、ことなら」

「喋らないでって言ったでしょ!!」

「こんな、ことなら……最初から、一緒に」

「黙ってよッ!」

 

 言わなければ、謝らなければいけないのに、言葉が遮られた。

 ああ、寒い。視界も、もはや暗くなりそうだ。

 

「謝らないでよ。死なないで、生きて。あなたがそう言ったんだ、あなたが私に……ッ!」

 

 肩に、強い圧力を覚える。止血帯だ。そのすぐ後に、左腿にも同じものを感じる。

 視界が狭くなって、寒さも増してくる。何かを決定的に喪っていく予感すら懐いた。それでも、確かめないといけないことが。

 

「スマ、ホ。ばくだんの、じげん、そうち、は」

「止めてます! もう爆発は起きませんッ! だから喋らないでくださいッ!」

「そっか……よ、かった」

 

 たきなさんの声だ。喋ろうが黙ろうが、生きるか死ぬかに関わることなど、ないだろうに。

 ああ、少し眠くなってきたかもしれない。血が足りないんだ。でも、こんなところじゃ終われない。終わるつもりなんて、ない。

 呼吸をする。腹から、静かに。幸い傷がついているのは四肢だ。血気胸の心配はない。大丈夫。吐血には至らない。

 

「しな、ない。しね、ないよ」

「隼矢さんッ! お願いだから……!」

「いきて、かえる。やくそく、したんだ」

 

 死なない。死ねない。生きて帰るんだ。助けに来てくれた、二人がいるから。

 でも、寒い。指先の感覚が、なくなっていく。

 

 視界は、もう暗くて、見えるものはほとんどない。

 夜の光。街の灯りが滲む。茫洋とした明るさの中に浮かんで、二人の少女が、こちらを覗きこんでいるのが、ほんのかすかに見えた。

 

「――ッ! ――ッ!?」

 

 何か言っている。声も、でももう遠くに。冷え切って、暗くなって。

 だけど死ねない。大丈夫。まだ、生きたいと思っているのなら。

 

「――ッ!! ――ッ!!!」

 

 言っても、聞こえないよ。

 寒い。暗くて。それでも、最後に。

 

 花の匂い。いつか、僕を抱きしめた時の、千束の匂い。

 ああ、だから。僕は。

 

 

 

 いきて。いきて。いきて、かえらないと。

 

 

 

 

 

 いきて。

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