世界の背表紙で、君と踊ろう   作:厳冬蜜柑

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「ハッカーどもの宴」。



直訳は「聾唖者達の宴」。
出典はライ麦畑で捕まえての一文。ただニュアンスは攻殻SACから取ってます。

人呼んで「リコリコのデウスエクスマキナ」の登場回。



#0x02 Party for deaf-mutes (原作第二話)
#0x02 Party for deaf-mutes (1/2)


 耐検閲性ネットワーク上に構築された通話プラットフォーム、"xFreenet*1RTC*2"の音声通話上で、僕はある人物と向かい合っていた。

 

「……それで、本拠地がバレたって? ヤキが回ったんじゃないか? 天下のウォールナット様が」

『言ってくれるな、「ラスカル」』

 

 その名はウォールナット。ウィザード級とも称される凄腕の情報技術者であり、時に敵対し、時に協力する、数年来の腐れ縁でもあった。

 

「で、どうするつもりだ。また『死ぬ』つもりかい?」

『……まあ、そうなるな。場合によっては、「名前も捨てる」ことにもなりそうだ』

 

 音声加工ソフト越しの声色からは、感情はほとんど読み取れない。それもまた予定のうちなのか、或は焦っているのだろうか。

 

『ただ、今回は少しばかり勝手が違うかもしれない。ボクもだいぶ厄介な連中に目をつけられたらしい。いや、自業自得なんだが』

「へぇ……」

 

 これまでたいていのことを独力で何とかしてきたあのウォールナットが、弱音を吐いている。珍しい光景だった。

 

「なら、一肌脱いでやろうか」

『どういうことだ』

「いやなに、知り合いの何でも屋にうってつけの依頼だなと、そう思っただけさ」

 

 そう言葉を返しながら、僕は二週間ほど前――「あの日」からの一連の出来事を思い浮かべていた。

 

 

 

#0x02 Party for deaf-mutes

 

 

 

 大規模武器取引の痕跡を辿るという機密任務の真っ只中、僕の眼前で大立ち回りを繰り広げたDAの実行部隊、リコリスの片割れは、喫茶リコリコの看板娘である錦木さんだった。

 

 その現実は僕にとって、すぐに受け止め切れるものでもなければ、咀嚼できるものでもなかった。

 ただそれでも、僕はその場においてひとまず何もかもを飲み込んだ。そうするしかなかったからだ。

 そして彼女に己の身分を明かしつつも、一つの取引を持ち掛けた。

 

 「錦木さんが無力化した男たちについて、その身柄をこちらに譲ってくれないか」。あまりに不躾な申し出だと我ながらに思ったが、しかし錦木さんはなんとそれを快諾した。

 

 ――掃除屋(クリーナー)、高くつくから願ったり叶ったりだよ。

 そう、彼女は笑った。どうやら身柄を直接DAに回すつもりはもとからなかったらしい。「それやったらあの人たち殺されちゃうから」とさらりと言ってのけた辺りに、「死」との距離があまりにも近いリコリスとしての錦木さんの在りようを感じて心にもやつくものを覚えたことは確かであったが、ともかくこちらが彼らの身柄を回収することに関しては、驚くほどすんなりと受け入れられた。

 

 ただそれは無論、元手なしというわけにはいかない。代償として、僕は公安側での取り調べの結果についてはDAへと逐次共有することを、錦木さんに対して約した。

 斯くの如き経緯(いきさつ)を経て話し合いは妥結に至り、その場は落着することになった。

 

 それだけならば、僕としても万々歳であったろう。

 しかしながら、さすがにそうは問屋が卸さなかった。

 

 まあ、宜なるかなのことではある。こちらの要求ばかりを言い立てて、交渉が終われば「はい解散」など許されるはずもない。

 果たして僕は錦木さんともう一人のリコリスに、半ば身柄を押さえられるような形で喫茶リコリコへと連行されることになった。無論その過程において手荒な真似をされるようなことは一切なかったが、代わりに僕は店へ辿り着くまでの間じゅうずっと、隣を歩く錦木さんからどこかじっとりとした目線を受け続けることになった。

 

 錦木さんが僕に対して自らの身分を明かしてこなかったのと同じように、僕もまた彼女に対してそれを隠し続けてきたのだ。

 そのことを思えば、今彼女が僕に向けている視線ぐらいは、甘んじて受けるよりほかにはないだろう。そう考えていた。

 

 

 

「しかしまっさか、真弓さんが公安の人間だったとは、ねぇ~?」

 

 斯くして連れてこられたいつもの店内は、僕が知るそれとはどこまでも異なる表情をしていた。

 白熱灯の山吹色が空間を煌々と照らし、僕を除いて他には、この店の部外者などどこにもいない。そんなこの場所の中心で、僕の目の前に立つ一人の女性が、大仰なリアクションと共に声をあげた。

 茅色の髪を緩く伸ばして、この店の制服である所の萌黄のお仕着せを纏ったその女性は、自らを「中原ミズキ」と名乗った。彼女はこの店の給仕さんの一人であり――そして当然、裏の顔持ちの人間でもある。

 

「The Secret Agent…! ってやつぅ?」

 

 ひゃー、かっくいーねー! などと横から囃し立てるのは錦木さんだ。気づけば、もうすっかり元の調子に戻っていた。

 そちらへ振り向く。視線がぶつかった。

 途端にあの時の情景が、街灯に浮かんだ臙脂色が思い起こされる。宵闇に泥む赤褐色の煙もまた、いっそ鮮やかなまでに脳裏に浮かび上がってきた。

 そして彼女は今もその制服を、リコリスの、「ファースト」の証を身に纏っている。

 

 軽く、目を瞑る。視覚を遮って、内なる思惟へと潜った。

 

 

 

 ――錦木千束は、リコリスである。

 単純明快な事実だった。しかし同時に、あまりに信じがたかった。「無慈悲なる、無貌の処刑人」たるその表象が、彼女の在りようと何一つ重ならない。今でもである。

 ただ同時に、事ここに至って僕の胸中に広がったのは、ある種の諦念だった。

 

 この生々しいまでの現実は、永久に目をそらし続けていられるものでもない。

 受け入れるよりほかにはなく、ならば彼女の正体について知れただけ、僕は恵まれているのだろう。

 いつしかそう、事実を捉え直している自分がいることを自覚していた。

 

 

 

 再び、目を開く。錦木さんは未だおどけたような態度を崩さず、しかし少しだけ首を傾げるようにして、こちらのことを覗きこんでいた。

 対する僕はただ無言で、彼女の方を見る。互いにそのまま向かい合っていれば、今度は僕たちの横、カウンターの方から声がかかった。

 

「……隠していて悪かった、真弓さん」

 

 見ればこの店の、喫茶リコリコのマスターが、こちらへと手を伸ばしている。

 

「喫茶リコリコの店長兼、このDA支部の管理者にしてそこの千束の監督者、ミカだ。改めて、よろしく頼む」

 

 その彼は、ミカさんは、相変わらずの渋い声色を伴ってこちらに笑みかけてきた。こちらこそ、と僕も手を伸ばす。

 

「警視庁公安部外事第五課第二係、汎テロ第一担当の真弓隼矢です。よろしくお願いします。……こちらこそ、すみませんでした」

 

 カウンター越しに握手をする。彼の手は大きく、そして暖かかった。

 

 

 

 そして、次こそがある意味では本題だろうか。この場における最後の一人に、その見知らぬ姿に、僕は目を向ける。

 腰のあたりにまで伸ばした長い黒髪に白皙の肌が映える、紺の制服の少女だ。彼女もまた、その紫がかった黒の瞳でこちらを見ていた。

 互いに声を発することなく、視線が合う。そのまま数秒の時を置いて、最終的に均衡を破ったのは僕のほうであった。

 

「井ノ上、たきなさん……だったかな」

「っ……はい、井ノ上たきなです。……どこかでお会いしたことが?」

 

 ついさっき、鉄火場で聞いた切り裂くような声音とはまた違う、透明さを宿した声だった。錦木さんとはまた別の魅力を持ったかの少女は、しかし瞳に疑いの光を湛えて、僕を真っ直ぐに射抜いている。

 

「いや、今日の昼に押上署の阿部さんとたまたま会う機会があって……新人の店員が入ってきましたよ、ってね」

「どーせそれも捜査の一環だったんでしょー」

 

 急に差し込まれた横槍に、うぐ、と声を詰まらせる。

 視線を横にやると、錦木さんがまたじとっとした目線で僕のことを見つめていた。

 

「この際隠し事はなしにしましょうよー、ねぇ? もうネタは上がってんだぞ、って」

 

 そして、にしし、と一転して笑顔を浮かべる。

 思わず、頭に手をやっていた。

 やっぱり、この子には敵わないか。そんなことを考えながら咳ばらいを一つして、改めて井ノ上さんへと向き直る。

 

「まあ、そういうこと、ですね……とにかく、よろしくお願いします」

 

 言葉をかけて、手を差し出した。

 彼女は黙したまま、伸ばされたその手をしばし眺める。しかしその末に、僕ではなくマスター――ミカさんの方を向いた。

 

「公安所属とはいえ、この人は部外者でしょう。なんでここにいるんです? 迎え入れるリスクは高いと思いますが」

 

 飛び出た言葉は、まさかの正論である。

 そうだ。こんなナリをしていようとも、ここは国内最大級の機密組織の、言ってしまえば「出先機関」のようなものなのだ。

 つまり今の僕は、本来存在を知られること自体がリスクの塊であるはずの場所の真っただ中に、ひとり立っている。改めて、自分の置かれた境遇の危ういバランスを自覚した。

 

 一方のミカさんは、しかし井ノ上さんの当然とも言うべき問いに、自ら答えることはなかった。

 代わりに彼は、つ、と錦木さんに目線を送る。

 その意を汲んだか、はあ、と彼女は一つ息をついた。

 

「だってしょーがないじゃんかさぁ、知られちゃったもんはどうにもならないってぇ~」

 

 一歩進み出て、井ノ上さんをそう諫める。そしてこちらを見るや、いたずらっぽく笑いながら、指で銃の形を作った。

 

「それともなぁに? たきなはここで真弓さんを『消しちゃう』のがいいって?」

「……それは」

「でしょお?」

 

 さらっと恐ろしいことを言いながらも、彼女はぱっと指鉄砲を解く。一歩、二歩と近づいて、錦木さんは僕にその手を差し出した。

 

「改めまして、錦木千束でっす! よろしくね、『公安の真弓』さん?」

「……これは、手厳しい」

 

 差し出された彼女の手を握りつつ、僕はただ頭を掻くことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 そんな、喫茶リコリコとの「今一度の初めまして」から、数日の時が経過した。

 

 その日の昼下がり、僕の姿は喫茶リコリコのバックヤードの中にあった。

 

 自分用にと用意されたワードローブを、徐に開く。

 そこには果たして、真っ新な一揃えの和服が吊るされていた。白藍の長着に紅碧の羽織と、全体的に白さを基調とした色合いのものである。

 つまりそれは、僕のために誂えられた()()()()()()()()()()だった。

 

 その現物をみて、僕は思わず小さく息を呑んでいた。

 給仕服とは言え、錦木さんをはじめとする女性スタッフのための二部式着物とは随分と勝手が違う。

 というより、これは本物の和装と言うほうが正確だ。ミカさんの日常着と対になることを意識されて仕立てられているように、僕には思えた。

 ならば、扱いには細心の注意を払わなければならないだろう。一枚ずつ丁重に取り出して、身に纏っていく。幸い着付けの経験はあったから、着替えに際して難しさを覚えることはなかった。

 

 

 

「シフト入りまーす」

 

 たっぷり十分ほどの時間をかけてお仕着せを身に着け終えた僕は、そう声をかけつつ、バックヤードから外へと一歩を踏み出す。

 しかしそれは奇しくも、配膳を終えた錦木さんと鉢合わせになるタイミングだった。互いにぶつかりかけて、慌てて跳び退る。

 そのまま二人図らずも見つめ合って、奇妙な静寂がやってきたと思ったのも束の間、そこでふいに目の前の彼女が瞳を大きく輝かせた、ように僕には見えた。

 

 おぉぉぉっ、と掠れた声をかすかに聞きわける。

 そしてその次の瞬間には、彼女は僕の目の前にいた。

 

「かーっこいいぃ……めっっっっちゃ似合ってんじゃん、隼矢さん!」

 

 僕の両手を握って、ぶんぶんと振り回す。次いで僕の周りをくるりと一周した。

 あまりの事態に呆気に取られているうちに錦木さんはいつの間にか背後に回っていて、それに気づくとほぼ同時に、ずい、と背中を押されていた。

 

「ほらほら、皆にも見せないと」

「あ、ちょっと錦木さんっ……」

 

 いつの間にか呼び方変わってるじゃん、とか。押さなくたって行くつもりだったよ、とか。言葉を返す暇もなく、少女とは思えない膂力をもって、僕はホールへと押し出された。

 その日は週末と言うこともあって、常連の連中を中心にそこそこの客の入りがあった。押し出されながらもカウンターにある注文票を掴んで、座敷席へと向かう。

 そこに座っていたのは、やはりというか、いつもの顔見知りの姿だった。

 おひとり様の女性客で、名前は「伊藤さん」という。職業は漫画家で、いつも原稿を持ち込んではひいこらとラフを書き上げている。今日もまた、ご多分には漏れなかったようだ。

 

「ご注文、お伺いします」

「あ、はーい……って、え?」

 

 顔を上げた彼女が、僕の姿を捉えて目を丸くする。まあ、当然だろう。いつも客側だと思っていた男が、急に働く側になって注文を取りに来たわけだから。しかしその顔には、単純な驚愕を超えた色があるように、僕には見えた。

 小さく、息を吸う音を聞き分ける。伊藤さんだ。嫌な予感がした。

 だから待って、と呼びかけようとして――しかしもう遅かった。その寸前に、彼女は驚きの叫び声をあげた。凄まじい音量だった。

 当然に、店内中の注目が僕たち二人に降り注ぐ。思わず額に手を当てて、天を仰いだ。今日も天窓から差し込む陽の光は、相変わらずの穏やかさだった。

 

 そこからは、常連客を中心に質問の嵐を一身に浴びることになった。

 やれ、どうしてスタッフになったのか。

 やれ、そのお仕着せは店長の趣味か。

 年齢は。誕生日は。普段の仕事は。休日の過ごし方は。

 確かいくつかは常連客には話したはずだよな、などと思いながらも注文もそこそこに質問攻めに答える僕を、どこか満足げな表情で後ろから錦木さんが見ていたのが、やけに記憶に残った。

 

 

 

 喫茶リコリコのスタッフとして働くことになったのは、交換条件の一つだった。

 ただ、それは先日の事案に関するものではない。この店における()()()()()()()()に関する話である。

 

 本来、守秘義務のある公安の人間であったとしても、DAの支部として存在しているこの喫茶店の裏の顔を知っている、謂わば「部外者」がいることは、この店にとって大変によろしくない。これはあの日、井ノ上さんも含めたリコリコの面々の間で共有された前提だった。

 しかしながら実際問題として、内情を知る僕という人間が確かにここに存在しているのは純然たる事実だ。そしてこの店のモットー――あとで錦木さんから聞かされた――が「いのちだいじに」である以上、僕を闇に葬る選択肢は初めから存在していない。いや、そうでなくても建前上、特になにかをやったわけでもない僕のことを消しにかかるのはDAとしても体面が悪すぎた。

 

 その一方で、「ここで見聞きしたことについて他言を禁ずる」念書を書かせて解放できるほど、僕の身分が彼らにとって安心できるものでないこともまた事実である。

 そうなると、取れる選択はあまり多くない。彼らはいろいろと思案を巡らせ、結果として最終的に、僕の存在を「現地協力者」という体の「公安からの出向人員」という位置づけで処理する方向で落着した。

 

 それは僕にとっても、実のところプラスになる話ではあった。殺されていないだけ有難い身で何を言っているのかという向きは間違いなくあるのだが、それでも現に僕が拝領している任務、即ち散逸した武器の追跡を進めるにあたって喫茶リコリコの人たちと協力関係を築くことのできるポジションを得られたのは、まさに天祐ともいうべき幸運に相違なかった。

 

 そして何より、自らの内なる声が告げる言葉を、僕は信じた。

 「武器取引から始まっている一連の騒動は、きっとこの店の一員となることで解決へと大いに近づくだろう」。そう、僕の()が告げていたのだ。

 無論、そこに根拠はない。しかしこういう時の僕の勘は、よく当たるのもまた事実だ。

 あの日の夜、錦木さんの前に勇気をもって踏み出したその判断が、間違っていなかったように。

 

 

 

 兎も角そういった経緯で、僕は外形的にはリコリコに()()()()()()ことになった。

 内々に報告を続けている自らの上長――係長からはあまりの展開の速さを笑われたが、逆に言えばそれだけである。許可そのものは事後ではあるが無事に下り、晴れて僕は名実共にこのリコリコという店の一員と数えられるに至っていた。

 

 そのスタッフとしてのシフトは、平日に二日、土曜日に一日と既に決まっている。

 一方の「裏」の仕事に関しては、オシントを中心とした情報収集と解析が、僕の主担当と割り当てられた。

 適材適所の配置だろう。特に異論もなかった。

 

 

 

 斯くしてそれからの二週間、ホールスタッフのシフト以外でも、僕はほぼこの店に入り浸ることになった。

 そしてその中において参画した喫茶リコリコの「裏」の仕事は、しかし「裏」というほど硝煙と血に塗れたものでは、決してなかったのである。

 

 どういうことか。

 

 この店に持ち込まれる「仕事」の内容は、実のところその八割が小さな悩み事に終始している。迷い犬の捜索、失せ物探しに、ただの人生相談まで、バリエーションは幅広い。

 つまり何と言うことはない、日常の人助けなのだ。はっきり言って、支部とは言えどもDAが担当すべき類の仕事ではない。

 しかしそういう依頼を好んで受ける喫茶リコリコの方針は、錦木さんたっての希望でもあるのだという。

 

 ――人助けがしたい。誰かを殺すことじゃない、誰かを生かす仕事を。

 

 それを卑小だと謗る者は、確かにいるだろう。しかし僕からすれば、それはDAの行いよりよほど高尚な夢であり、そして行動指針だった。

 というより、あのDAという歪んだ価値観に支配された組織の構成員であるところの、即ちリコリスであるところの少女が、そんな「真っ当」な思想を持ったままにこの歳まで生きてきた、生きてこれたという事実が、僕にとってはあまりに驚きだった。奇跡的だとすら思った。

 

 しかし同時に、そのことには納得している自分もいた。

 何故なら、それこそが錦木千束であるからだ。

 

 何ものにも縛られない、誰の言う通りにも動かない、自分で決めたことを、最後までやり通す。錦木千束とは、そういう少女だ。

 齢十七にして、彼女の人格は既に完成の域にある。ある種の達観すらも、そこにはあった。

 或はそんな育ち方をしたこと自体が一つの歪みではあるのかもしれないけれども、それでもなお、彼女の持つ抗い難い魅力の源泉が、明白で強固な自我を下敷きとした天衣無縫な振る舞いにこそあるのは確かだろう。故にそれはやはりどうしても僕の心を捉えて、また離さなかった。

 

 

 

 因みに、ときたまやってくる「切った貼った」の依頼には、錦木さんと井ノ上さんがバディを組んで出撃することになる。そういった任務にあたっては、僕は対象の事前プロファイリングと作戦立案、当日のセンシングによる任務遂行のバックアップあたりが担当分野とされていた。

 

 ただ、その割合は本当に少ない。事実、この二週間のあいだに遂行したその類の依頼は、たった一件だけだった。

 錦木さんの古巣、つまりDAからの依頼で、最近この周辺を荒らしている半グレ集団の無血排除を担当したのだが――言葉を飾らずに言えば、「拍子抜けするほどに楽な任務」であった。

 相変わらずのバカげた戦闘力を誇る錦木さんと、尋常ではない射撃精度で的確に対象の行動を制限できる井ノ上さんのコンビにかかれば、素人同然の暴力集団など鎧袖一触未満の相手でしかなく、故に僕の出番などほとんどない。そういうことだった。

 

 

 

 そんな昨日までの色々を思い返しつつも、ウォールナットとの任務内容の頭出しを終え、RTCの接続を切った。結果として正式な「依頼」を受け取る形になった僕は、渉外担当の中原さん宛に一つのメールを認める。

 表向きの内容は、護衛任務だ。追手である武装集団を撒きつつ、羽田空港から国際線での国外脱出を目論む。

 ただしそれはあくまでも「表」の計画であって、その内実としては、護衛対象としたウォールナットの偽装死を演出し、しばらくの間喫茶リコリコ内でその身を匿いつつ、主に「裏」の仕事の手伝いを頼むという、裏の計画を潜ませている。当然に先方とは調整済だ。

 報酬は一括前払い、PMCやSSに対する護衛任務の相場価格に比べて、三倍超の金額を提示されている。そんな要点をまとめて送信すれば、五分も経たないうちに、彼女から返信があった。

 是非ともやらせてほしい、と。文面からもわかる食い気味の回答に、思わず苦笑が漏れていた。

 

 

 

 その二日後のこと。

 偽装された護衛任務を担当するリコリスの二人組、錦木さんと井ノ上さんのバディがリコリコを出発する予定時刻の更に一時間ほど前、東京ステーションホテルの一室で、僕と中原さんは依頼主と対面をしていた。

 ――ウォールナット。民生用インターネット黎明期はおろか、パソコン通信時代からその名が知られていた伝説級の「ハッカー」だ。自分も物理的に対面するのは初めてのことだった。だったが、まさか。

 

「RTC越し、音声加工処理越しじゃ人相など分かりようはないとは思ってたけどさ……いやいや、そんなナリだったのかい、ウォールナット」

 

 僕の見間違いでさえなければ、今目の前、ベッドに腰掛けて足をプラプラと所在なげに揺らしているのは、()()だ。いやもはやこれは()()と評した方がよいかもしれない。明るい金髪を後ろに流し額を広く見せた髪型は、その背格好と相俟って、この場にいることが信じられないほどのあどけなさを僕に印象付けていた。

 そう。今僕の目の前にいるこの女性こそが、稀代の凄腕ウィザード、ウォールナットその人だ、というのだ。到底信じられるものではなかったが、本人がそう申告したのだから、恐らくはそうなのだろう。

 

「君とて、普段の含蓄ある発言の癖には随分と若見えじゃないか? ラスカル」

 

 そのナリで二十三とは、到底思えんが。ニヒルに笑って、目の前の彼女――ウォールナットはやり返してきた。年相応の可愛らしい声だが、発されたセリフはなるほど、ウォールナットのいつもの憎まれ口だった。

 

「ああそれと、これからはボクのことは『クルミ』と呼べ。ウォールナットはしばらく店仕舞いだからな」

「……了解した。なら僕のことも隼矢でいい」

 

 そうかい、と。流し目でこちらを見つつ、彼女は口角を上げた。

 ふと目線を横に向ければ、中原さんが不思議そうな目で僕たちのことを見ていた。

 

「随分と親し気に話してるけど、なに? お二人は知り合いだったりするわけ?」

 

 僕たちのことを指さしつつ、首をかしげる彼女に、僕とウォールナット――クルミは顔を見合わせた。

 

「まあ、そうっちゃそうですが……」

「――ま、良くも悪くも腐れ縁、だな」

「今日まで顔も知らなかったがな」

「そりゃお互い様だろ」

 

 ぬかせ、と。軽口を叩き合う僕たちを見て、中原さんは何とも言えない表情を浮かべていた。

 

 

 

「というか、『ラスカル』って何さ、真弓君」

「……ろくでなし、ってことですよ。僕の、ハンドルネームみたいなものです」

 

 

 

 兎にも角にも、計画は予定通り進められることになった。

 東京駅の地下駐車場の中、まずは防弾素材で固められたキャリーバッグにその小柄な体を収めたクルミと、中原さん扮するとぼけた面のリスの着ぐるみ姿の「ウォールナット」の二人が、白い軽自動車のバンにその身を潜り込ませる。それからすぐに僕のほうも、もう一台用意された車に乗り込んだ。

 

 今回の任務のために僕に用意されたのは、くすんだシルバーの塗装のセダン型EVだった。レベル5自動運転システムを搭載したこの車は、先行する「ウォールナット」たちの車から指定の距離を保って後方を追尾しつつ、予定ポイントまで自動運転で向かうようプログラムされている。

 その間手放しの形になる僕はと言えば、不測のトラブルに備えて車内で即応体制を構築して、必要となった場合には主に技術的アプローチで介入を行う役回りとなっていた。

 

 僕たちが立てたプランの性質上、その進行中においてクルミがやれることには強烈な制限がかかっていた。言ってしまえば現在の彼女は「箱詰め状態」なのだから、それも当然のことだろう。

 と言うより、まずそれ以前の問題として、護衛の対象であるところの彼女を電子戦要員としてアテにするのは、依頼を受けたものの態度として間違いなく相応しくないのだ。

 いずれにせよ、僕が今回の仕事の中で技術的トラブルを解決するのに主導的役割を演じるのは、役割分担としては当然のことだと言えた。

 

 その辺りの流れを思い返しつつ暫く車内で待機していれば、そう時を置かずに隣の駐車スペースの白いバンが動き始める。

 手筈通りだ。バンの車体が完全に通路へと出たことを確認して、こちらも音声入力で発進の指示を伝達する。始動音と共に車内システムが速やかに起動し、そしてこの車もまたゆっくりと走り出した。

 

 

 

 これは僕にとって、喫茶リコリコの一員として初めて参画する本格的な大立ち回りだ。

 「敵とみられる武装集団は、PMC崩れのフリーの殺し屋集団、数は五人から十人程度。技術的バックアップをどこからか受けていると思われ、逃走に使う車に電子的手段での妨害が加えられる可能性あり」。

 ブリーフィングで提示された内容を、今一度反芻する。

 

 この任務は、僕が「持ち込んだ」初めての大仕事だ。同時にそこには、喫茶リコリコのメンバーに僕の「価値」を証明する狙いも込められていた。

 これまであまり見せる機会のなかった、サイバー戦も含めた電子戦の能力を披露するにはいい機会だと考えたのだ。それをみんなに知ってもらうことは、今後の僕の「仕事」のためにも、この店の全員のためにも、間違いなく意味を持つと、僕は確信していた。

 

 それだけではない。この依頼の成功には、僕たちにとっては絶大ともいえる効用が、余禄が存在している。

 つまり今回の仕事を無事に完遂できれば、あの「ウォールナット」をしばしの間でも味方に引き入れることができるのだ。

 

 こんなに心強いことはないだろう。無論僕個人として、この店におけるある種の「ポジション被り」を気にしなければならない面はあるが、しかしそんな懸念点など些細なことだ。そう言い切れるほどの大きなメリットが、この店にも、そして僕にも、存在していた。

 或は僕の本業、散逸した武器の追跡に協力してもらえることも、十分に期待できるのだから。

 

 

 

 軽く目を瞑って、息を吸って、吐く。

 気息を整え、心を落ち着けて、持ち込んだラップトップを開いた。

 

 自動で進み続ける車の中、作戦遂行のためのシステムチェックを一つずつ進めていく。

 

 衛星測位システム、起動よし。

 護衛対象車とのVPNデータリンク、確立を確認。

 自動運転システムへのアクセスに係る特権アカウント、取得完了。

 

 そのすべてが整ったタイミングで、僕たちの車列はいよいよ駐車場から外へと躍り出た。

 

 今ひとたび、前を向く。光降り注ぐ街の中、先を走る白い車の姿を、己が視界へとおさめた。

 自らを焚き付けるが如くに、僕は口の端で小さく笑む。そして、心の中で呟いた。

 

 

 

 ――さあ、ウォールナット()()を、始めよう。

*1
eXtended Freenet。実在する耐検閲性ネットワークFreenetの強化版。その通信速度はTorネットワークすらも凌ぐ。

*2
Real-Time Communication over xFreenet。WebRTCという実在する個人間コミュニケーションプロトコルを、xFreenet上に展開したもの。




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