世界の背表紙で、君と踊ろう   作:厳冬蜜柑

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やや時事ネタ含みです。


Apdx.03-04

 そして、時はようやく戻る。

 この日はたきなさんの教導が始まってから七度目の定休日だった。元々今週まで続くはずだった座学講義は、その進みが想定よりかなり早かったからと、一週前倒しで切り上げられた。その代わりに今日から始まったのが、他でもない、たきなさんとの実戦形式の組手だった。

 キルハウスの最も広い部屋の中、正面からのシングルコンバットからそれは始まった。CQBにおける基礎的な身体の動かし方を教え込まれつつも、たきなさんは容赦なく僕のことをボコボコにしていく。彼女からは文字通り手も出たし、足も出た。当然訓練用のシムニッション弾は数えきれないほどに撃ちこまれた。

 そこからどうにか戦闘における最低限の体裁が整ったかどうかといったところで、移った内容こそが()()だった。

 つまりキルハウス全域をフィールドとして、全力で襲撃するたきなさんから既定の時間生存することを目的とした想定演習だ。とりあえず三週間後、十週目の定休日までに、二十分以上生存するか、或はそれより先、たきなさんに()()()()()()()()()()()()か、どちらかを達成できるように、との目標が与えられた。

 その四度目の結果が、つい先ほどまでの「状況」にあった。

 十二分四十八秒。一番最初、五分と経たずにあっさりと「射殺」されたことから考えれば、それは飛躍的成長と言えはするだろう。それでも目標の生存時間には到底足りるものではなかった。

 

「まあ、四回目で十三分近くまで生存時間を伸ばしたのは、さすがではあります。ですが」

 

 キルハウスから外に出て、反省会に入る。テーブル付きの机を挟み、たきなさんは僕の向かいに座って、総評を話し始めた。

 

「言わせていただきたいのは。私はこれでもセカンドなんです。千束が横にいるから隠れがちかもしれませんけど」

 

 目を瞑る。どこか呆れ口調だった。つまり彼女が言いたいのは、僕の無謀についてか。

 

「戦おうとするな、逃げろ。そう言いたいんでしょ?」

「分かってるじゃないですか。隼矢さん、あえて言葉を飾りませんが、今のあなたは言ってしまえば()()()()()なんです。セカンドの私に真っ向から張り合って、勝てるわけがないでしょう」

 

 それは、最後の局面についての小言だった。

 

「楽になりたいから、足を止めて、邀撃を試みる。そういう考えでは、生き残れませんよ。()()()()

 

 かなり痛いところを率直に刺してくる物言いだった。

 結局持久力訓練にしても、瞬発力の鍛錬にしても、それによって成就したいことの方向性は一つなのだ。

 動き続けよ。その中で、考えることをやめるな。本当に大事な場所を見極め、決断と一体化して身体を動かせるようにせよ。思考に隙があってはならない。考えるのをやめるのは、死ぬことと同じだ。それが、たきなさんの示しているドクトリンだった。

 

「厳しいこと言うなぁ……やっぱり、君たちの後ろで、ドローン越しに分かった気になってたものとは全然違う」

 

 しみじみと口にする。

 身体を動かしながら、頭を動かす。それがこれほどまでに困難なものだとは、思ってもいなかった。

 つくづく、延空木の真島との一件は僕にとって都合がよかったのだと思う。開けた場所、回廊状の空間は逃走に有利だったし、真島に対する「秘策」も十分以上に奏功した。そして何より、今から思えば真島はあの場所で相当に()()()()()()()のだろう。

 そうだ。手加減していたのだ、彼は。今この訓練の中、たきなさんが全力で僕を潰しにかかってくるからこそ分かる。多少の策を弄していたとはいえ、電波塔の中で千束に劣らぬ立ち回りを見せていた真島を相手にあれだけの時間戦うことができた理由など、あの男が交錯の間のほぼ全てを通して相当に手を抜いていたから以外には考えられない。腹立たしいことこの上ないが、僕があそこから生きて帰れたのには相応の理由があったのだ。それを、今更ながらに思い知った。

 

「まあ、そうでしょうね。ただまあ、実質的な戦闘訓練は今日が初めてみたいなものですし。そう考えれば、よくやっていますよ」

 

 少しばかり気落ちした僕を慰めるかのように、たきなさんが柔らかな声で諭してくる。しかしそこで、そういえば、と話題を転換した。

 

「あまり思い出したくはないですが。延空木の上のことですけど、あの真島と交戦して、隼矢さんは一応一時間近く生き延びてますよね? ……あれ、どうやったんです?」

 

 丁度それは、僕が思い返していたことと根を同じくする疑問だ。たきなさんもまた、当然のこととしてそこに疑念を抱いていた。

 

「ああ……あれはね」

 

 そういうわけで、経緯を話す。

 そもそも、僕と真島は確かに一時間ほど相見えてはいたものの、その前半、二十五分は話していただけだったこと。あれはあれで一つの「戦い」ではあったが、たきなさんの求める話とは、違う。

 そしてその後、残り三十五分のうちの三十分、戦わされたわけだけれども。

 

「手加減? 真島がですか」

 

 思いっきり怪訝そうな表情でこちらを見るたきなさんに、頷く。

 

「そうとしか考えられない。千束に借りたリコリスの鞄は盾として相当に使えたし、真島にメタを張るための装備もあって、役には立ってくれたけど。でも、多分そもそも、今の君ほど真剣に、僕を『殺し』には来なかった。真島は見る限りクロスレンジでの格闘戦が得意なのに、まったくそういうことをする素振りもなくて」

 

 しかしそこで、言いながら一つ思い出した。

 

「あ、でも。あの時の僕はたしかだけど、真島が撃ってくる弾を、()()()()()()

 

 たきなさんが、目を見開いた。

 

「避けられ……って、それ、千束みたいな、ということですか?」

「いや、そこまでは。ただ何となくあの時は、あの時だけは、()()()()んだ。いつ、どのタイミングで、どこに撃ってくるか。真島が」

 

 けれどもあの時の感覚は、もう思い出せなくなっている。たきなさんが撃ってくる弾を避けるなどということは、今の僕にはできなかった。

 銃口が向けられたら、その射線から逃れるように、飛び込むように避ける。有効射程距離の外のレンジを保って行動する。逆に、エイミングが間に合わないほどの近距離で横に大きく動く。そういう普通の、セオリー通りの回避動作以上のことは何も出来ていないし、やってもいない。

 だから、どうしても思ってしまうのだ。あの時の僕は僕自身ではなかったのではないか、と。ともすればあれは夢だったのではないか、とすらも。

 

 僕のその答えに、たきなさんが腕を組む。うむむ、と唸るような声すらも聞こえた。

 

「まあ、その時のことは分かりましたが……しかし、『弾を避ける』、ですか。もしそれがいつでも使えるようになれば、千束ほどではないにせよ、逃げるときには相当に有利に働くと思いますが……」

 

 そこまで言って、しかし彼女は首を振った。

 

「ただまあ、そういう()()()()に飛びつくよりも前に、やることは多いですね。大事なのは基本、どこまで行ってもそういうものですし」

 

 そして今度は二度三度と頷いて、立ち上がった。

 

「とりあえず、今日はあと三セットやりましょう。その後はいつも通りのトレーニングメニューとクールダウンで終わりです」

 

 いよいよ以て指導教官役が板についてきたたきなさんは、そういって僕をまたキルハウスへと誘う。こちらを見つつ、手を差し伸べてきた。

 呼応するように、膝を叩いて立ち上がる。彼女の言う通りだ。どうあっても、僕のやるべきことは何も変わらない。

 一秒でも長く生存すること。たきなさんからという意味でもあるが、何よりも実戦に巻き込まれた時、それは僕に求められる最大にして唯一の役割でもあるのだから。

 

 

 

 さて。

 斯くの如くにこの二ヶ月と少しの日常は、斯くの如くにひたすら訓練と共にあったのは事実だった。しかし僕には本分が、本業がある。即ちそれは、公安捜査官として、そしてDAとの利害調整役としての仕事だ。

 今回の仕事、つまりここ一月に亘ったいくつかの仕込みは、僕にしては非常に珍しく、()()()()()()()タイプの任務だった。

 どこからか。つまりそれは、()の方からだ。

 名を、「警察庁警備局警備企画課」という。所謂「密偵」として活動している公安捜査官たちを統括する部署だが、そんな組織から降ってくる業務というのなら、その内情としては推して知るべきものであると言えた。

 

 

 

 それは六月に入った辺り、未だ梅雨入りの発表もなく穏やかに、しかし次第に初夏の如き暑さを感じるようになった時節のことだ。

 その前、五月も半ばを過ぎたあたりから定期的に、僕は奥間で()()のことについて話すようになっていた。相手は無論クルミだ。そしてそれは今日とて変わらない。

 

「連中の指示系統の追跡についてだけど、まあ大分詰められそうだ。やっぱセキュリティ意識の低い末端から追うのがよかったな、これは」

 

 言いながら、いつものストレージにアクセスするように促す。押し入れの中、モニタに向き合った姿勢のクルミが頷いて、いくつかの資料を己のマシン上に展開した。

 写真、PDF資料、そしてメッセージのテキストファイルと、次々にモニタに描画されていく。

 

「ボクの作った『アレ』は、役に立ったと言うことだな」

「そりゃ無論。リコリスの子たちに何個か背負ってもらって、『ラジアータ』が出してきたアイツらの行動半径の中でうろついてもらえばもう、入れ食いだよ入れ食い」

 

 「クルミの作ったアレ」。つまりそれは、MITM(中間者攻撃)のための種々の細工が施された、偽装公衆Wi-Fiのアクセスポイント装置だった。

 フリーWi-Fiになりすまし、アクセスしてきたユーザーの通信について傍受して、データを掠め取る。今回のターゲットは、一見無関係の人間たちがインターネットを通してつながり、そして分散化された指揮系統によって上への到達を困難にしている類のものだ。したがって情報の収集についても、本丸からではなく末端から一つずつ手繰っていく戦略をとるよりなかった。

 

「電子署名用のRSA暗号の()()()が平気で回ってるの見た時は流石に笑ったよ。何で()()()がそこにあるんだって……やっぱ有象無象を統制するのは無理なんだなってさ」

「まあ、だからボクたちの付け入る隙があるわけだ。あちらさんには感謝だな」

「ちょっと歯ごたえのない相手だけどな」

「いいことじゃないか、怠けられて」

 

 言って、二人で笑い合った。

 

 

 

 事の発端は、去年の十一月に遡る。つまり件の、真島が延空木占拠事件を起こしたのと同時に、市井にばら撒いた銃器についての話だ。それ以前の真島一味の行動と、そして延空木での一連の騒動も併せて、日本の治安維持機構の中に存在する歪さの一端が、それによって露見することになった。

 これはあの事件の引き起こした余波の一つで、そしてともすればそれよりも根が深い、この国の宿痾の一つとも絡み合っている。

 きっかけは、未だ回収できていない二百挺余りの銃の行方についての情報が、密かに公調のタレコミに上がってきたところからだった。

 

 ――闇バイト、というものがある。主に特殊詐欺を広範に行うための半組織化された集団が、何も知らない一般人をその末端の作業者として雇う、組織犯罪の一形態だ。その頂点には反社組織がいるとされるが、そこまで辿っての摘発が行われることは多くない。大抵の場合、末端の摘発によって上が雲隠れしてしまうからだ。

 その犯罪の形態としては、殆どが知能犯となっている。つまりもともとの定義通りの詐欺による資金集めがその活動のほぼ全てで、故にこれまで強行犯ばかりを相手としてきたDAは、そちらの方面にはあまり注力をしてこなかったことは事実だった。そういう意味で、彼らの活動はある種()()()()()()()。だからこそ、極端に犯罪の発生件数の低いこの国において、ここまで大規模な組織犯罪が横行していたわけでもあるのだが。

 

 しかし今回もたらされたのは、そうした闇バイトネットワークの一つが、市井に存在する銃器の回収と、それを用いた群発的な()()()()による資金稼ぎを目論んでいるという匿名での情報だった。

 そしてそれとほぼ時を同じくして、「作業(諜報活動)」中の警備企画課の人間が、いくつかの「団体」を跨いで、最終的には海外にまで至る疑わしい()()()()()を掴んだ。

 更には市ヶ谷の情本が、国内における()()()()()()での通信を観測する。それは十一月下旬から始まり、そして年明けの一月から急速に増え始めていた。

 

 その全てが符合して、警備企画課はある一つの推測に至った。

 つまりそれは、闇バイトネットワークを統括する反社組織のうち最低でも一つが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という可能性だった。

 

 より直接的な方法によって、この国から資金を吸い上げる。その狙いも一つはあるのだろうが、しかしそこにある目的は、むしろもう一方が本命だと考えられていた。

 

 電波塔事件から十年あまり、この国はDAという秘匿された保安組織によって見せかけの平穏が保たれ、犯罪の芽は徹底的に潰されてきた。最低でもそう見えてはいた。

 それが今回、延空木にまつわる顛末の中で、電波塔事件以来の綻びを見せわけた。彼らはそこに目をつけた。

 つまりその事件を梃子に、この国の治安の不安定化を志向し、国民の不安を煽る。或はそれを以て政情不安を演出し、日本の政治情勢それ自体を不安定化させることを目論んでいる可能性すらあると、彼らは結論づけた。

 

 そのアプローチについても、見当自体はついていた。

 闇バイトネットワークを使って群発させた強盗事件を、その成否に関わらずに大々的に喧伝する。それによって、そうした強盗にすらも走る「末端」の存在する原因を、政治が生み出す経済格差の問題に帰着させて、その責任を政治に押し付ける。或は先の延空木事件それ自体にも紐づけることができれば、なおよい。

 そこから、大規模デモをはじめとした反政府運動を煽動して、()()()によって日本の政治機能を麻痺させることを狙う。そういった世論誘導のための工作が、同時並列的に進められている可能性があるというのが、見立てだった。

 

 傍証はある。最近のニュースのヘッドラインは、「経済的問題による自殺件数の増加」や、「非正規雇用者の婚姻率の低下」、そしてそれによる「出生数の低下」と、ネガティブでセンセーショナルな話題が占めている。インターネット上、SNSにおいても、反政府的言論をスクラムによってタイムラインの上位に押し上げる活動が俄に活発になり始めていた。

 そこにきて、去年十一月の真島の演説だ。虚構と虚飾、抑圧に塗れたこの国の在り様に反抗して、「真なる自由」を掲げた彼の言葉は、ある種のカルト的人気を以て、そういった層の人間に受け入れられている。ともすれば、彼を政治の世界に迎え入れようと真面目に語る「自称評論家」すらも、インターネット上の言論空間には存在していた。

 

 この国は、確かに変化しようとしていた。しかしそれは決して良い意味ばかりでではない。

 政治に対する不満にせよ、現状を変えたいという意思にせよ、そういったものの発露は、むしろあって然るべきものだ。それが抑圧されている方が、よほど国としては不健全だろう。

 しかしそうであっても、それを背後で煽り立て、彼らの意思すらも利用し、捻じ曲げようとしている存在がいるのであれば、話は別だ。

 それは純粋なる悪意だ。この国に害しか齎さない。故に、許してはおけない。そういうものと対峙するのが、僕たち公安の本懐であるが故に。

 

 そういうことで、僕に対して一つの指令が下りた。この件をDAと連携し、その闇バイトの末端の人員、実行犯たちの「処理」よりも優先して、彼らには上位の反社組織を叩かせろと。そして可能であれば、「海外」とのつながりを暴け、とも。

 

 DAは、そういった一連の情報の共有にいち早く飛びついた。銃器の散逸に端を発した、延空木にまつわる数々の騒動は、もともと彼らの失態から始まっているのだ。そこへのケリをつけることに躍起になっているのは当然で、ならば僕たちとの連携を模索するのは至極当然のことではあった。

 ただ、彼らにも言い分はある。最終的に末端にまで流れてしまっている銃器の回収は、市井の治安の維持のためにどうしても必要で、そのためには手段など選んではいられないのだと、そう主張してきていた。

 それは確かに正論だった。故に僕たちは、協力に当たって一つの条件を打診した。

 ラジアータが末端の人間に対して、強盗行為やそれ以外の暴力犯罪の「実行の着手」を感知した場合、その処理についてはDAに一任し、こちらは干渉を行わない。

 そんな案を当ててみれば、DA側はあっさりと僕たちからの協力要請を呑んだ。つまり、反社組織や、それとのつながりが疑われる海外の工作機関、そしてそれとつながっているであろう、国内のいくつかの()()()()()()に対する人員の派遣についても、尽力を約した。そういうことだった。

 

 

 

「情報を整理するか」

 

 クルミが、改めてといった風情でこちらへと身体を向ける。

 

「『タタキ(強盗)』の実行者、末端の連中のスマホから、MITMで上位者のSNSアカウントと電話番号、更にもっと『上』の連中が使っている電子署名用の鍵データを取ったわけだ、お前は」

「そう。それで、上位の指示出し役の連中には無差別で標的型のSMS攻撃をやった。対象は百人とちょっとだ」

「で、結果がこれというわけか」

 

 そして、クルミがまた一つのファイルを開く。書かれているのは、五人分のSNSアカウント情報だ。IDやパスワードも含めたそれは、標的型攻撃によって得られた上位の指示役のアカウントに関するデータだった。

 

「まあ、千の三が精々、一人引っかかってくれば御の字だと思ってたところを、五パーセントも引っかかってくれたのは万々歳だけどな。……この国のITリテラシーのどうしようもなさに関しては、相変わらず頭が痛くなるけど」

 

 僕の愚痴にも似た言葉に、またクルミがニヒルに笑った。

 

「で? ボクは()()()()()()()

 

 そして、流し目に僕を見る。

 彼女も分かっているということだ。今この場に話を持ってきたのは、これよりも上層との戦いのための準備に、その力を借りるためだった。

 

「そのアカウント情報、SNS内部の個人データとか、メールアドレスとか。そこら辺から、そいつらの活動半径についてはある程度絞り込んでる。ジオロケーションは別添してあるけど」

 

 一呼吸入れて、続ける。

 

「ここから先は、恐らく相当に追いづらいんだ。更に上とのコミュニケーションに使っているのは、Telegramか、もっと徹底していたらxFreenet。最悪は物理的手段だけでの指示のやり取りをしてる可能性すらもある。つまり論理的手段で追うのは相当難しい」

 

 なるほど、とクルミが頷いた。

 

「取れるアプローチはあんま多くないけど。ドローンで遠景から行動追跡、頃合いを見てリコリスをぶち当てて確保、尋問する。これがまず一つ」

 

 ただし、これには問題が多い。

 

「正直、筋はよくない。察知されたら、上には逃げられかねない。率直に言って、物理的なアプローチは最終手段にしたい。それこそ指示のほうも物理的に行われている場合でもない限りは、あまりやりたくない方法だ」

「まあ、そうだろうな」

 

 僕の推論に、クルミが賛同する。

 

「となると、残る手段はもう一つ。つまり、『エッジ』に潜り込む」

「バックドアを作れってことかい? ソイツらのPCなりスマホなりに」

「そうだ」

 

 やはり察しがいい。というより、同じセキュリティ技術者としてそれは当然の帰結というべきか。

 

「通信路上がいくら暗号化されていようが、エッジでは必ず復号化される。そうじゃなきゃ読めないからね」

「道理だな」

 

 ならば、やることは一つだ。クルミは声を潜め、僕に問うてきた。

 

「方法は?」

「物理的なものは無理だ。だけど今回収集できた五つのアカウントの持ち主は、こんなレベルのセキュリティリテラシーだし、付け入る隙はある。……最近スマホブラウザの動画再生エンジンのゼロデイが見つかった。というより見つけたんだ、僕が。まだCVE*1には上げてない」

「ほお? つまりそいつにはACE(任意コード実行)の脆弱性があるってことか」

「そう。だからそれを突く。前使った標的型攻撃と同じエンドポイントを使って、動画を再生させる。その中で、バックドアのダウンロードと常駐化を試みる。だから……」

「バックドアの生成部分と、潜った後の情報抽出の辺りを、ボクがやればいいわけだな?」

 

 その問いに、首肯した。

 

「やれるか?」

 

 問い返した僕のことを、クルミは鼻で笑う。

 

「お前、今更。……『ウォールナット』だぞ、ボクは」

 

 ――余りナメてくれるなよ。

 そんな言外のニュアンスを感じて、思わず僕も苦笑していた。

 

「そうだったな、その通りだ。……なら、頼んだ」

 

 クルミはこちらから目を逸らしながら、無言のままに右手を挙げ、そしてひらりと振った。任せろ、とでも言いたげに。

 

 

 

 そこから更に二週間ほどの準備期間を経て、時節は六月半ばに至った。

 事前計画におけるD-デイ(作戦開始予定日)に至り、態勢は万事整いつつある。

 時刻は午後七時前、現場にいるリコリスたちは既に配置についていた。

 

 今回の作戦は、都内の一部地域に集中して行われるのではない。その作戦領域は、非常に広範囲にわたる。ほぼ東京二十三区全域がフィールドと言ってよかった。

 故に編制もまた大がかりだ。ファースト一人、セカンド二人、サード五人、計八人で構成される戦術ユニットが、都内各地に十一隊配備されている。

 それぞれA(アルファ)からK(キロ)までのコールサインが割り振られていて、ここまでで既に八十八人もの人的資源が投入されていた。

 そこに最後に、()()()()()()()()()()()()()()のバディからなる特殊ユニットとして、Z(ズールー)が加わる。その全て、総勢九十人は、作戦の開始を今か今かと待ち構えていた。

 そして僕は今回の作戦の管制官として、楠木さんからの一部委任のもと、リコリコの奥間の中、クルミの隣で開いたラップトップ越しにその全ての様子を見守っていた。

 

時刻規正(タイムハック)、1850に実施します。現在時、1849」

 

 オープンチャネルにて、時刻合わせの周知を飛ばす。

 現在時刻は午後六時四十九分。作戦開始時刻である午後七時の、十分と少し前だ。

 

「三十秒前」

 

 これから始まる一連の作戦において、その火ぶたを切るのは、「ズールー」の二人と決まっていた。

 

「十秒前」

 

 すなわち、()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

「五、四、三、二、一、(ハック)! 一、二、三、四、五……タイムハック終了、現在時は1850です。繰り返します、現在時は1850」

 

 その宣言への返答として、バラバラと、時刻合わせ完了の連絡が届く。当然、それは喫茶リコリコの二人からもだった。

 

 そこから残りの十分を使って、直前ブリーフィングを行う。

 僕とクルミによる事前の調査によって突き止めた闇バイトの統括オフィスへと突入し、内部人員の無力化と資料の回収を実施する。これは一対多の状況下における無血制圧の経験豊富なリコリコの二人にしかできない仕事だ。よってその一番槍を、二人に任せることになった。

 それが完了し次第、各地のリコリスが銃器引き渡しの現場を取締まり、その場の銃器を回収する。真に必要な場合は「処分」まで行うという通告もあった。DAの活動としてはこちらが本命だというのは前々から認識していて、事実今回の作戦における過半のリコリスはこの任務のために動員されていた。

 しかし我々にとっての本命は、全く別のところにある。それに併行する形で実施される、闇バイト組織との指揮命令系統を持っている暴力団の組事務所への潜入と証拠品収集こそがそれだ。これはこちら(警視庁)側の「任意捜査」という名の陽動と平仄を合わせる形で行われ、対外的には組同士の抗争による建造物の損壊という形で処理されることになっていた。

 

 そして最後の「ダメ押し」として、一見して今回の事案とは何の関係もない場所、()()()()()()()()()()()に潜入中のリコリスが、ズールー(リコリコ二人組)の支援のもと、既に掌握済みの証拠品を携えて現場から離脱する。そこまでが今回の作戦計画だった。

 

「以上で直前ブリーフィングを終わります。現在時1858、作戦開始時刻(ゼロ・アワー)まで残り百七秒」

 

 可能な限り流血が抑えられたそれは、しかしDAとしても、更に言えば我々(公安)としても前例のない大規模な動員による、一大決戦でもあった。同時に、我々法治の力だけでは成就することができなかった、ある種の()()すらも内包した任務だとも言えた。

 もともと僕たちが立っている場所は、法治と不法を分かつ境界線の上にある。故に多少の無茶は、大義の名の下にならば通る。通ってしまう。しかしそれでも、そういう組織ではあっても、その影響力は行政の外にまでは及ばないのは事実だった。

 故に今回の作戦で収集する証拠品は、正面から裁判所に上げれば、違法収集証拠の烙印を押されることによってその証拠能力が棄却されてしまうことは間違いがない。

 だから今僕たちは、こんな()()()を通ろうとしている。いや、力づくで抜け道を掘っている。それは適正なる手続き(デュー・プロセス)を至上とすべき行政のあり方として、多分に間違っているのだろう。

 

「三十秒前」

 

 治安維持という正義のもと、法に依らない殺しを延々と積み重ねてきたDAという組織のことを、ともすれば僕たちは笑えなくなってしまったのかもしれない。

 しかしそうであっても、僕たちの信ずるところを、枉げる気はなかった。

 

「十秒前」

 

 無為な流血を可能な限り少なくする。そして今まさに毀損されようとしている国益を守る。

 そしてそれを両立させ、DAという組織と、より建設的な関係によって共存の道を歩む。

 

「五、四、三、二、一、作戦開始(マーク)! ――突入!」

 

 その第一歩にこの任務がなれるのであれば、僕はこの道を選ぶことを、後悔はしたくない。

 彼らの在りようの是非と将来については間違いなくこの先の課題であっても、今の僕たちのこの判断ばかりは間違いではないと、強く信じていた。

 

 だからこそ、僕は願うのだ。

 

「みんな、生きて帰って。『()()()()()()()()』。それが、何よりも優先だから」

 

 せめて目の前の少女たちは、リコリスたちは、無事に帰ってこれますように、と。

 オープンチャネル、あえて聞こえる形で、祈るように僕はそう口にした。

 

『――任せたまえよ、HQ(隼矢さん)!』

 

 インカムの向こう、ズールー1(千束)の返した、底抜けに明るい声が聞こえた。

 

 

 

 斯くて、作戦は実行に移された。

 そしてその()()は、早速次の日から現れる。

 そこからしばらくの間、ある三つのニュースがお茶の間を騒がせることになった。

 

 一つは、()()()()()()()()()()()()()()()()()というショッキングなニュースだ。更にその後の捜査の中で()()()()()()()()()()()()()が押収され、捜査関係者はそれについて、()()()()()()()()()()()()()と推測している。概ねそのような内容で報道はなされた。

 

 二つ目は、昨今世間を騒がせていた巨大な闇バイトネットワークが、一斉に摘発されたこと。奇しくもそれら一切は先日取り締まられた暴力団の片割れによって統括されていたもので、その抗争の最中()()()内部から漏れた文書から芋蔓式に割り出された指揮命令系統に従って、今回の検挙に至ったという。

 

 そして最後が、とある福祉系非営利団体の、()()()()()()()()に関する疑惑についてだった。その団体は活動実績以上の資金運用が常態化していて、なにがしかの外部組織の資金洗浄に当該の組織が使われているのではないかと疑われていたことに加え、今回それを裏付ける証拠が発見され、摘発に至ったことまでもが、大きく報じられていた。

 

 更に続報までもがやってくる。件の暴力団組事務所から発見された資料にその非営利団体についての記述があったというスクープだった。恐らくかの団体が、当該の暴力団のフロント組織の一つとして資金洗浄に用いられていた可能性が高いというその内容に、俄に世間は色めき立つ。洗浄された資金の一部が()()()()()()()()()()()事実までが発覚したことで、とうとう民意という大きな山が動き始めた。

 

 非営利団体に向けての公金拠出の是非を問う機運の高まりは、政治にも対応を迫る。かねてよりこの件について国際組織(FATF)から指摘を受け続けていたという事実までもが広く知れ渡ったことで、民間団体への監査体制の拡充は世論の後押しを受けた既定事項となり、次の通常国会における目玉法案として、審議の中心に据えられることになった。

 そして真島の事件、あの日の延空木からしばらく続いていた銃器流出をめぐるDA内部の緊張状態も、この一件を境に漸くにして落ち着きを見せていくことになる。

 

 

 

 それは、電波塔事件以来のレジームからの、脱却の始まりに他ならない。

 日本の政治史、その表側には決して記されることはないだろう。しかしその日の夜の出来事は、延空木事件とそれに関連するいくつかの事案の一つの着地点として、また或は日本の治安維持機構の、否、この国の内実そのものへの転機の最初の嚆矢として、()()()()()に関わる人間の認識の中、将来に亘って記憶されることになった。

*1
Common Vulnerabilities and Exposures. セキュリティ脆弱性の一覧データベース。

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