千束: LINDBERG『今すぐkiss me』
たきな: 西城秀樹『走れ正直者』
クルミ: 狩人『あずさ二号』
そして主人公は、果たして。
ここは都内の寂れたラブホテルの一室、「502号室」。
夜通しのカラオケ大会のためと、買い込んだ食料品やそれぞれの私物を置くべき場所に置いている間、唯一手ぶらでこの場にやってきているクルミは、一人回転ベッドの上に乗っかって遊んでいた。実際のところ彼女の歳がいくつなのかは聞いていないし興味もないが、思ったよりスプリングが効いていたのだろうか、盛んにベッドの上で無邪気に跳ねている今の彼女の様子だけを見れば、本当にローティーンか或は一桁の歳なのではないかと疑いたくもなる。
「んで? カラオケマシンはどこなのかなぁ?」
そんな彼女をよそに、一早く準備を整えたのは千束だった。持ち前の身のこなしで部屋の中央、テレビの辺りに陣取って、AV機器が入っていそうなラックを片っ端から開けながら、今日の我々の本題、カラオケ用の機器の在処を探している。
やや身体を屈めた姿勢で手当たり次第に収納の扉をバタバタと開けては閉じを繰り返す。その音はやかましく部屋に響いて、ある種彼女の浮かれっぷりを如実に表していた。
「お、これだこれだぁ!」
そしてその果てで、ついに彼女はカラオケマシンを見つけ出した。
一見して普通のカラオケボックスにも設置してありそうで、しかし最新機種のような液晶パネルはない。三世代程度は前のものだろうか。
目当てのものを探し当て、上機嫌で千束はそのマシンへと手を伸ばす。
「――って、は?」
しかしその直後、ラックの下にでんと置かれている
「どうしたの?」
「いや、隼矢さん、その、これ」
訊ねた僕の方を振り向いて、千束が手に持った
「なに、この……電話帳? みたいなやつ」
受け取ったそれは、表紙がPP加工された分厚い冊子だった。
確かに電話帳機能のないリコリコの電話機の近くには、地域の業種別電話帳*1の分厚い紙の本が置かれてはいる。言われてみれば、色味はともかくとして質感は似ていなくもない。徐に開いて、パラパラとめくる。
書かれているのは、恐らく五十音順に並んだ曲名やアーティスト名と、それに対応するのだろう数字のリストだ。よく見れば、歌い出しの歌詞情報も載っていたりした。
「これは……」
記憶の片隅に、引っかかる何かを感じた。僕が本当に子供のころ、家族で行ったホテルの中にあるようなカラオケルームで、こういうのを見たような気がする。
しかしその正体について詳しく思い出すより前、横からにゅっと手が伸びた。
「うっわー! え、マジ?」
「あ、ちょっと……」
ミズキさんだ。僕たちの様子を見ていたのだろうか。素っ頓狂な声をあげながら、手の中からその冊子をひったくった。
「え?
言いつつも僕のようにパラパラとその冊子をめくりつつ、なつかしっ! と感嘆にか盛んに声を上げている。
確かミズキさんは今年で二十八のはずだ。僕の四つ上でしかないのに、何故これに正体をすぐに看破できるのか。
しかしそのあたりで、僕はようやく思い出した。
「ああ、そうか。
つまりそれは、旧時代の遺物だ。カラオケの電子目録がない時代、この本に記載されている選曲番号をリモコンから入力することで機器に目当ての曲を再生させていたわけである。かく言う僕もその正体を思い出せば、確かにそういう形で選曲をやった経験があったような気がしてきていた。
ただいずれにせよ、それは本当に幼い時、それこそ僕が幼稚園児か小学校低学年だったころの話だ。つまり現代の、一か月に一度以上のペースで曲が配信され、追加されていく通信カラオケの機器とは致命的に相性が悪い。
だから今日日、こんなものの出番はもはやないはずなのだが、なぜこんなものがここに置かれているのだろうか。
その答えもまた、歌本の中にあった。
「うーむ……」
ミズキさんから歌本を受け取ったミカさんが、それの最初の方を見る。恐らくは巻頭にある最新曲リストの目録でも確認していたのだろう。その末に、ふっと皮肉げに口元を歪めた。
「なるほどな。……最新の曲が、2000年か」
ひええぇぇっ、とオーバーな声と共に、ミズキさんがのけ反った。
「通信カラオケじゃないの!? 今日日そんなんある!?」
「まあ、そういうことですよねー……」
まあ、つまりはそういうことである。歌本が置かれているようなカラオケで、最新の曲を追えるなどという甘い考えは捨てねばならなかったわけだ。
つまりその内部設備もまた、このホテルに相応な年季が入っているということだろう。
まさにそれは、時代に取り残された異物としての姿であった。
「え? じゃなに? 新しい曲入ってないの? Clarisも? さユりも!?*2」
「まあ、そうなるかな」
「まじかよぉ……」
天を仰いで、頭を抱えて千束がぼやく。憤懣やるかたない。そんな声だった。
尤も、彼女には懐古趣味がないわけではない。例えば趣味の一つであるハリウッド映画鑑賞では、どちらかと言えば最新のものよりも八十年代の名作を嗜好していたりする。しかしそうとは言え、自分が生まれてもいない時代の歌からしか歌うものを選べないとあっては残念がるのも当然だろう。
そこで思い出すのは、今年の年明け辺りのことだ。未だ「裏」の仕事が貰えずにひたすらに暇を持て余していた千束に誘われて、旧電波塔周辺のカラオケ店に二人で一緒に行ったことがあった。
その頃はまだ今のように彼女とプライベートを共にする関係では全くなかったし、当然にして趣味嗜好の類もよく知らなかったのだが、そんな中で急に誘われて出向いたその場所、隣に座る千束からトレンドに乗るような曲がポンポン出てきたのには随分と驚かされた。どこでそういう流行にキャッチアップしているのか、些か不思議に思ったことも覚えている。
翻って見れば、今の状況はそれとは全く逆だ。つまり千束をしてどのぐらい歌えそうなものがあるかは分からない。
というかこのカラオケマシンをして確実に大丈夫だと思えるのは、ミカさんとクルミぐらいだろう。ミズキさんでもギリギリ、たきなさんに至ってはそもそもカラオケでまともに歌える曲があるのかどうかすら疑わしい。偏見かもしれないが。
「どうか、しましたか?」
問題のカラオケマシンを正面に今更ながらどうしたものかと二人頭を悩ませていたところ、当のたきなさんもどうやら準備を済ませたらしい。僕たちのやり取りを中途半端に耳に入れていたか、こちらに向かってそう問うてきた。
「マシンが古いんだとさ」
「はあ。それだと、何かまずいんでしょうか」
やり取りの一部始終を回転ベッドの上で聞いていたクルミが経緯を約めて、それにたきなさんは素朴な疑問を発する。
そもそもカラオケなど単語として知っているだけで行ったこともないだろう彼女には、その新旧が何を意味するのかすらも分からないに違いない。ただいずれにせよ、この場にこうして乗り込んだ今、カラオケの機器が思ったようなものではないからと帰るわけにもいかないだろう。
「まあ、歌える曲のレパートリーの問題なんだけど……」
「んー……ま、何とかなるか。昔の曲でも歌えるのはあるし」
千束もまた、「懐メロ」に的を絞って曲を選ぶ覚悟がついたらしい。よし、と一つ気合を入れて、ミカさんの持つ歌本を受け取る。
そしていざ選曲を始めんとそれを両手で開いて、しかし彼女はその姿勢のままビシリと固まってしまった。
どうしたのかと思って見れば、盛んに手許の歌本とカラオケマシンの間で視線を彷徨わせている。その末に、途方に暮れたような声でその疑問を発した。
「これ……曲ってどう入れんの」
なるほど、言われてみればそれは当然の問いだろう。いかな千束でも、知らないものは知らないとしか言いようがない。
ソファから立ち上がり、カラオケマシンの置いてあるラックを探れば、果たしてすぐに目当てのものは見つかった。黒い、テレビ用リモコンよりやや大きめの入力装置。カラオケ用のリモコンだ。
「それだけじゃ無理だよ、これを」
「ん? ありがとー……んで、これが?」
持ってきて、千束に渡す。それと同時、ミズキさんが得意げな顔で彼女に使い方を説いた。
「そそ、そのリモコン。まず本で曲を見つけるじゃん?」
「ふむふむ。それで?」
「したらその横に数字が書いてあるからぁ……それをこうね、それ使って、ピッピッピッ、っと」
「ピ?」
「ピ。で、入れ終わったらぁ、そこの決定ボタンをペッ、ってやってぇ……ぶち込むのよ、マシンに」
「……ほぉぉぉ、なるほどねぇ! 知ってんねぇミズキ!」
身振り手振りを交えてのその解説に、千束はどうやらやり方を理解したらしい。
うんうんと二度ほど頷いて、歌本とリモコンを両手にソファへと戻っていく。
「ま、これぐらいはねぇ」
「さすがはミズキ。亀の甲より年の劫ってやつか?」
「……んだとこのガキャ……!」
その後ろではクルミがミズキさんを年齢ネタで揶揄っていて、一瞬で沸点に達したミズキさんと二人取っ組み合いが始まっていたが、あれはいいだろう。棄ておくべきものだ。
兎も角、いまは千束である。
「千束の『懐メロ』かぁ……聴いたことないな」
「でしょー。ま、楽しみにしたまえよ。っと……これだ」
よぉし、と一つ気合を入れて、彼女は手元のリモコンを操作する。そして決定ボタンを押すと同時、立ち上がりながら声を張り上げた。
「では皆々様、不肖この私錦木千束が先陣を切らせていただきます!」
全員の耳目を集め、テレビの前に躍り出て。そしてそれから五秒と経たないうち、カラオケマシンが音楽を奏で始める。
ややなし崩しの趣はあったが、喫茶リコリコのカラオケ大会は斯くなる形で始まりを迎えることになった。
まずは初めの一曲とばかりに千束が選んだのは、アップテンポなロックナンバーだ。彼女はいつもながらの全力で、それを歌いきった。
曲が終わり、どこからともなく拍手が起こる。というより完全にテンションが振り切れたミズキさんが全力で千束を囃し立てていた。
なんとなくその雰囲気に呑まれながら、僕もまた拍手を送る。
サンキューサンキューと完全にアーティスト気取りの調子でそれに答える千束に、たきなさんが心底と言った様子で声をかけた。
「いや、驚きました。うまいんですね、歌」
「お、わかっちゃう?」
少しばかりのドヤ顔で、千束がたきなさんに人差し指を立てて見せる。
「いやでも、千束だなぁ、歌が。『ブレーキはNo thank you』、『まっすぐにI love you』、か」
そこに横から、クルミが声をかけた。言っているのは、千束が今歌っていた歌詞のことだ。
「千束らしさにあふれている」と、そう言いたいらしい。ただそれはつい今しがた、僕が懐いた印象でもあった。
「でしょー? だから好きなんだよねぇ私、この歌。歌詞も、メロディーも!」
「まあ、私からしたら少しはブレーキ効かせてほしいところもありますが……」
「そりゃたきな、君に任せた!」
ウインクと共に放たれたその台詞に、はあ、とたきなさんが曖昧な反応を示したところで、千束が一区切りとばかりにソファ近くまで戻ってきた。
「んじゃ、次だ次。我こそはという勇者は誰ぞおらんかぁ!? ここで尻込みしてたら時間が勿体ないぞぉ?」
そう言って歌本をポンポンと叩く。はよはよ、とせっかち気味に周りを促す彼女に、しかしミカさんは顔の前で手を振った。
「大人は後回しだ、まずはそっちで一頻りやってくれ」
「そーそー。だからアタシはぁ……」
ミズキさんはそれに同調しつつもソファから腰を浮かせて、そしてその前にあるローテーブルの上、置いてある日本酒からグラスに酒を注いで、早速といった様子でぐびぐびと呑み始めた。
「ガソリン注入しちゃいまぁす!」
そして既に酔いが回り始めたかと思うほどの陽気な声で、宣言する。
まあ、そうだろうな、と。二人の様子を横目に見つつ、しかしそこで千束の視線がこちらを向いた。
「大人ってことは、隼矢さんも?」
「僕? ああ、そうか……」
真っ直ぐこちらを向いたその問いに、答えあぐねる。
クルミではないが、僕はいつの間にか傍観者気分でこの場に佇んでいた。しかし言われてみれば、確かに僕もこの場においては当事者だったと今更自覚する。
ほぼほぼ流されるようにここまで来ているが、こうして座っている以上いずれは歌わなければならないわけだ。特に千束がそうしなければ納得すまい。
ただいずれにせよ、それは間違いなく今ではなかった。
「……いや、僕も暫くはいいかな。たきなさんかクルミが先だよ、なんにしても」
自分が自分がで歌いに行く性質でもないし、僕なんかより先にマイクを握るべき人はいくらでもいるだろう。そう思って返したこちらの言葉に、千束はうんうんと頷いた。
「そう? おっけー。じゃあ隼矢さんの言う通り、たきなか、クルミ。どっち歌う?」
そしてそのまま二人の方を交互に見遣って続けた彼女に、クルミが先んじて声を返した。
「そりゃたきなだろ。千束の次なんだから」
「確かに? じゃあたきな、ほら」
クルミの提案を容れて、千束は手に持つマイクをたきなさんに向けて差し出す。しかしそれを見て、彼女は思わずと言った風情で一歩その身を引いた。
「あ、いや、その……」
たきなさんの、戸惑いがちの声が響く。
「一応、
「『歌唱訓練』だぁ? 何でもありか、リコリスってのは」
その末に出てきたのは、そんな凄まじく大上段からの物言いだった。思わずといった調子で、クルミが面白がるような声を上げた。
僕としても、なんだそれはと内心でツッコんでしまうものがあった。言うに事欠いて「歌唱訓練」とは、大仰に過ぎると言うよりないだろうと。
もしDAが本気でそんな科目を訓練課程に取り入れているというなら、なんとも難儀な組織ではないかと思わされる。僕にとっては今更にもほどがあるが、それでもだ。
というより、そもそもリコリスに訓練させてまで歌を歌わせることに何の意味があるのだろう。
「
これ以上は危険だ。努めて強く、頭を振って追い出す。
「……クルミ、それ以上は」
もうやめておこう。そう窘めた僕に、クルミが分かっているとばかりに口を噤んだ。
そんな僕たちの様子を見ながら、たきなさんが首をふるふると横に振る。
「いや、まあ。ですが、歌に自信があるわけではなくて」
「いーじゃん別に! うまく歌えるかなんて関係ない、楽しく歌えればそれでいい。カラオケってのは、そういうところだよ」
文字通り自信なげな態度で付け加えた彼女に、しかし千束は真正面から目を合わせつつ、励ますように声をかけた。
「だからたきなの歌、私聴きたいっ! ね?」
「……わかりました」
半ば押されるような形でそのマイクを受け取ったたきなさんが、僕の横、ソファに置いてある歌本を手に取る。
「これ、ですよね」
「そう。曲名とアーティスト名でそれぞれ五十音順の見出しがあるから、見やすい方から選べばいいよ」
僕のアドバイスに無言で頭を下げて、千束の期待の目線を受けながらも歌えそうな曲を探し始める。
しかしまあ、「たきなさん」と「歌」の二つが、どうにも自分の頭の中でリンクしない。結局どこまでも実務一筋、千束に多少は影響されてきていると言え、趣味や暮らしの潤いを自ら求める性質ではない彼女とこういった娯楽が、未だ僕の中ではまるで結びついていなかった。
だから彼女がどういうものを歌うつもりなのかは、千束ではないが大層関心がある。ともすればそれは、千束に向けていた興味以上のものがあった。
と、そんな風に千束と二人、たきなさんに視線を向けつつ彼女の選択を待っていた、その時のことだった。
――ガコン。
背後から、そんな大きな音がした。
「ぅわあっ! な、ななな、なんだこれ!」
それとほぼ同時、不意を打たれたかのような声が聞こえる。クルミからだ。
どうしたんだと振り向けば、軋む機械仕掛けの作動音と共に、彼女の乗っているベッドがゆっくりと回転し始めていた。どうやらベッドサイドの動作ボタンを押してしまったらしい。
「回りだしたのか、これ!?」
「これはまた……」
ようやく己の置かれた状況を理解したらしいクルミが驚きの声を上げ、ミカさんが何か懐かしむような面持ちになる。
つまりこの部屋の回転ベッドは、動態保存され、動かすことのできる代物だったわけだ。しかもそれが顧客向けの客室に未だ普通に置いてあるとは、驚きである。
「なるほど、どおりでこのホテ――
「ホント、いつのなのよ、この建物……」
まあ、最低でも1985年以前に建てられたものであることは確かだ。やはり半世紀に迫るか、或はそれ以上前のものだろう。
というか、クルミはこのベッドが回転ベッドであることは知らなかったのか。見た目通りの年齢ではなさそうで、いろいろとものを知っていそうな彼女をして、こちら方面の知識には疎いと言うことなのだろうか。まあ、なんでもいいが。
「おおぉぉっ、回ってるぅ! クルミ、独り占めはズルいぞっ! 私も乗せろ~~っ!」
「あ、待って千束、危な――っ!」
そして突如、クルミの方へと振り向いていた僕の後ろからソファを飛び越えつつ千束がベッドに突撃していく。
どうやら動き始めた回転ベッドに著しく興味を引かれたらしい。慌てて発した制止の声は間に合わず、どーん、と彼女は思いっきりベッドに飛び乗った。その余波で跳ねるスプリングに、クルミが泡を食ったような声を上げた。
「千束……」
その様子に思わず出たのは呆れ声だった。
興味を引かれるのはいいが、動いている状態の回転ベッドにそのまま飛び乗るのは危険にもほどがある。彼女をしてミズキさんが「ガキ」といい、楠木さんが「クソガキ」とまで言う所以というのは、こういうところにあるのだろうと、今更ながらに実感するものがあった。
「えへへ、ごめーん隼矢さん。あ、こっち来る?」
てへり、とばかりに頭に手を当てた千束が、しかしそのままそう言って僕を誘う。ポンポンとベッドを叩いて、もう片方の手で手招きをしていた。
思わず表情が苦笑いを作る。千束と同じベッドの上に行くことに心理的抵抗はないとは言え、その上にはクルミもいるわけで、その誘いには乗れるはずもない。
「いや、遠慮しとくよ」
うら若い女性二人がいるベッドの上に、野郎単身で乗り込むのは絵面的に相当に危険だ。そもそも動いている回転ベッドにそのまま乗り込む危険性を説いたのは僕なわけで、あらゆる意味でその提案に乗る気はなかった。
「――あ、これ行けます! よし、じゃあ入れますね」
斯くて僕が彼女の提案を断ったあたりで、たきなさんがふいに声を上げた。どうやら歌えそうな曲を見つけたらしい。
「お? たきな歌うか! いやぁ、楽しみだなぁ」
千束の期待の声をその背に受けながら、一桁ずつ指で確認しつつも几帳面に数字をリモコンに打ち込んでいく。
そして意を決した面持ちで、たきなさんが決定ボタンを押し込んだ。
そのまま立ち上がり、マイクを両手で構える。彼女の選んだ曲の演奏は、それから時をおかずに始まった。
「いやぁ、うまいじゃんたきな!」
たきなさんが歌い終え、音楽が鳴り止んだ。一頻り全員で囃し立てた後に、千束が心底驚いた声でそう言う。
それには僕も思わず頷いていた。
「ほんと。なんか、いつものたきなさんとのギャップもあったというか。……僕は割とたきなさんの歌声好きだわ」
「……それは、どうも」
そうだ。たきなさんの歌声には不思議な魅力があった。
鼻にかかったような、丸さを感じる声色とでも言うのだろうか。それは彼女の普段の話し声の延長線上のようでいて、しかし確実に別側面としての色を持っているようにも感じる。
クルミもうんうんと頷いていたが、しかしそこで開いた口から出てきたのは、たきなさんの選曲についてだった。
「確かにうまかったな。……けどそれより、まあ随分とすごい歌詞の曲を選んだなぁ、これ」
「これねぇ、昔のアニメの曲*3なのよ。でもよく知ってるわねこんな曲、アタシだって生まれてない頃のなのに。……ねぇたきな、何で知ってんのぉ?」
クルミの疑問に、訳知り顔でミズキさんが答え、そして問いかける。それは僕も同じことを思っていた。
曲調はコミカルで、歌詞もパッと聞いただけではよく意味がわからない。確かに昔の、子供向けに作られているようなアニメの曲だと言われれば、なるほどと思わせられるものがあった。
「いえ、リコリス棟の訓練所の食堂で、時々流れていまして。耳に残りやすくて、それで」
「はぁ? なんでよ」
思わずといった様子で訊ねたミズキさんに、リコリス棟をよく知るミカさんと千束が答える。
なんでも、「女子生徒として市井に違和感なく紛れ込めるよう、アニメや漫画など、時々の流行に触れさせることが大事だ」などという理念の下、担当者が折につけ流している「現代社会の流行理解」のためのラインナップの一つなのだろう、と。
「いや、それで『これ』が出てくるって、どんだけDAの連中ズレてんのよ」
「ただ『偉い人の趣味』だった方が、いくらか救いがあったなそれは……」
彼女たちの説明に、ミズキさんとクルミがツッコむ。その表情も声色も、呆れ十割だ。
確かにそうだろう。非情で冷酷、無感情な処刑部隊と恐れられるDAの中でそんなバカみたいな事態が進行中だなんて、笑えばいいのか呆れればいいのか、分からなくなる。
なんというか、時流へのキャッチアップがいまいち遅い日本の役所文化がDAにまで浸透していることに、暗澹たる気持ちにさせられた。自慢のラジアータでいくらでもSNSのトレンド分析などできるだろうに、DAはそれでいいと思っているのだろうか。
「まあ、私にとっては今役立ったので、それで十分です」
しかしそんなこちらの様子などには我関せずとすました顔で言ってのけるたきなさんに、三人そろって溜息をつく。まあ僕からすれば未だに回転ベッドでぐるぐるぐるぐると回り続けている千束とクルミの二人もいい加減にしてほしいのだが、そっちに関してはもはや言及するだけ無駄だろう。
カラオケ会開始後二曲目にして、この部屋の空気早くもしっちゃかめっちゃかになり始めている。誰もが好き勝手やりすぎていて、このままだと収拾がつかなくなってしまいそうだ。
密かに僕がそんな恐れを抱きはじめたそのあたりで、たきなさんはそそくさと手持ちのマイクをローテーブルの上に置いた。
「あ、私お手洗い行ってきますね」
「お、いってらー」
そしてそのまま足早に、入口側の部屋の仕切りあたりに歩き去って行ってしまった。自分で言っていた通り、その行先はトイレなのだろう。そういうわけで僕は、クルミの声を背に受けてすたすた歩いていく彼女のことを、
「というかクルミ、順番なら次君なんだけど、いつまでそのベッド回し続けるつもり?」
「確かに。歌うのには邪魔か。眠る分にはこの振動は悪くないんだが……」
胡乱なことを言いながら、先ほど自らが押してしまったボタンの在処を探す。トグルスイッチにせよそうでないにせよ、そのあたりにあるボタンを押せば止まるだろうと、それはややスボラな態度だった。
そしてそう時をおかずにクルミはその場所を突き止め、彼女の短い腕からは微妙に遠い位置にある
「お、これかな、停止ボタンーっと」
しかし横着のあまり、身体だけ伸ばしてベッドサイドのスイッチを押そうとしたその姿勢が、災いする。回転するベッドの揺れが、狙いをブレさせる。そして彼女の指は、本来押そうとしたところとは一つズレた場所にかかり――。
「ちょ、クルミ違うそれターボ――」
それに気づいた千束の制止の声も空しく、クルミはあっさりとそのボタンを押し込んだ。押し込んでしまった。
途端に彼女たちの乗るベッドは、その勢いを落とすどころかその回転を速め始めた*4。
最初は一周回るのにたっぷり一分はかかっていたはずが、ちょっと目を離した隙に一周十秒を切っている。こうなるとこれはベッドというよりはコーヒーカップか何かだ。いや、それより酷い。安全バーもなければ、自分で回転数をコントロール出来るわけでもないからだ。
「わわわ、何だこれ、止まるんじゃないのか!?」
「ちょちょちょ、いやだからこれターボ、速くなってるってぇ!」
「何してんだテメェら!」
「ボクが知るか! なんか止めようとボタン押したら勝手に速くなって止まらないんだ!」
「だぁからクルミが押したのターボボタンなんだってぇ! おああぁぁぁやばいやばいやばい、遠心力があぁぁ!」
もはや完全に収拾がついていない。上に乗って振り回されるばかりの千束やクルミに、予想外過ぎる展開に慌て気味の叫びをあげるミズキさんと、もう誰も正気ではなかった。
「早くスイッチ切れ!」
「いや無理無理無理、端行ったら弾き飛ばされる!」
ミカさんも少しばかり焦り気味に言うが、しかしこれはダメだ。特にクルミは弾き飛ばされないようにシーツを掴んでいるので精一杯で、しかしそれも今にも限界のように見える。
「
思わずそんな言葉が零れていた。何でこんな危険極まりない代物を運用している施設に営業許可を与えているんだと。
しかし今それを言っても仕方がない。
「千束、クルミはこっちで!」
こんなくだらないところで無駄に頭を動かす羽目になっていることに一瞬凄まじいバカバカしさを覚えたが、千束はともかくとしてクルミは明らかにこのままだとまずい。
更に回転数を増し、いよいよ以ってコーヒーカップの様相を呈してきたベッドの上にいる二人に声をかけ、ベッドサイドに中腰になって待つ。
「よっしゃぁ! 行けぇクルミぃ!」
「いやいやいやいや、こんなところで狙いなんて付けられるわけが――うわぁっ!」
果たしてそこから数秒もしない内に遠心力によって文字通り「射出」されたクルミを、全力で受け止める。頭突きが思い切り鳩尾の辺りに刺さって、苦悶の声が漏れた。
が、それで何とか彼女は止まる。アホらしさの極みとしか言いようがなかったが、しかし三か月のトレーニングはここで無駄に実を結んでいた。
「よしっ! 千束!」
「おっ……けー! ……よいしょお!」
残る千束がベッドの中央、遠心力が働かない場所で器用に立ち上がり、掛け声とともにベッドから飛び降りる。こちらはクルミの切羽詰まったものとは違って、何とも楽しげな調子だった。
実際ぐるぐる回っていた時すらもあわあわしているようでいて心中ははしゃいでいるばかりだったのだろう。しゅたっと完璧な着地を決めて、心なしかどや顔でこちらを見てくる。
斯くして無人になったベッドは、何らかの安全装置でも働いたのかゆっくりとその動きを緩めていき、やがて止まった。
それを視認して、ようやく息を吐く。千束はともかく、クルミに関しては災難だったろう。
「なんだったんだ、これ……」
「わからん……でも上から人がいなくなれば止まるっぽいな」
「んなところで止まっても遅いだろ……」
振り落とすことが目的なら、悪趣味の極みだ。クルミと二人、ベッドのほうを恨みが籠った目線で見据えていたところ、後ろから足音が聞こえた。
「戻りました」
澄ました声が響く。たきなさんだ。どうやらトイレは済んだらしい。
それとほぼ時を同じくして、やはりというかなんというか、千束がそわそわし始めた。
その右手も無意識にだろうがぴくぴくと動いている。何を思っているのかは手に取るように分かった。よほどさっきの「ターボ」が楽しかったらしい。
「……で、なんなんです? 今のこれ」
「ああ、たきな」
だからだろうか。そう僕たち全員に向かって疑問をぶつけてきたたきなさんを視認するや一つ咳払いをして、千束は
「――千束おねぇちゃんとぉ、ベッドに行かなぁい?」
そして半ばおふざけの混じった、それでも歴とした
しかしまあ、懲りないものだ。或はクルミではなくたきなさんとなら、また曰くの「ターボ」で回っても丁度良いアトラクションになりそうだとでも思ったか。
こういう時にリスクばかりに目が行くのは、職業柄と言えども損していなくはないのかもしれない。そう思いつつも、止めにはかからねばなるまいと千束に向かって口を開かんとしたそのタイミングで、冷ややかな目線が彼女に突き刺さった。他でもない、目の前のたきなさんからだ。
「お断りです。――見てないとでも思ってたんですか。隼矢さんにまで迷惑をかけて」
まさしく絶対零度の視線だった。さすがはたきなさん、その考えはお見通しと言うことらしい。それを正面から受けて、千束が肩を竦めた。
「あ、バレてら」
「逆に何でバレないと思ったんですか。……妙な誘い方してきますし」
渋るようにへばりつく千束を引きはがしながら、たきなさんはちらと僕の方へ目線を向ける。
そしてそのままこっちを指さしながら、言い放った。
「というか、『そういう』のは
何の気もなさそうに、苛立ちすら混じった調子でその台詞が繰り出される。
中空に抛られたそれは、この場の空気を完全に凍らせるには十分すぎる破壊力を持っていた。
「――へ?」
思わぬ流れ弾にとぼけた声を上げてしまった僕のことは、きっと誰も責められないだろう。
「たきな、アンタ……」
ミズキさんが、信じられないと言った表情でたきなさんを見ている。ミカさんは無言で首を横に振っていた。
無知とは斯くも恐ろしい。つまりたきなさんはここがどんな場所か理解しないで千束にそれを言ってのけたのだ。そこへきて間の悪いことに、それは僕と千束の間では直近において大変にセンシティブな話題になっていた。具体的には三週間ぐらい前の「事件」のせいでである。
だから案の定というか、千束の方に視線を向ければ彼女の顔が俄に紅潮し始めているのが見て取れた。
「……千束? どうしたんですか?」
そして自らが放った言葉の意味を全く理解していないたきなさんが、本気で不思議そうな表情でそんな様子の千束のことを覗きこむ。
無垢な瞳で見つめられて、千束が分かりやすく狼狽え始めた。
「い、いや、いやいやいやいや、何でもないよぉ? 何でも、うん」
「……怪しいですね。何か不都合でも?」
訝るように細められたたきなさんの眼差しを受けて、圧力から逃げるように僕の方を向く。その目が強く訴えていた。どうにかしてくれと。思わずため息が出た。
さっきからこの部屋の空気は無茶苦茶だ。誰もかれもが好き勝手やって、まるで収拾がつかない。良きにつけ悪しきにつけ、それが
「いや、まあ。……それよりさ、クルミ。歌まだ入らないの?」
「あ、ああ。いや今探してるけど。――お、あったあった。よし、歌うぞ!」
こういう時は、歌でうやむやにしよう。そう思いながらクルミを見れば、彼女もまた同じことを思っていたらしい。
「そ、そうそうそうクルミだ! あー何歌うのかなぁ、楽しみだなぁ!」
「まあ、みんなも知ってるんじゃないかと思うぞ。どこにでも入っている曲だからな」
乗っかるように全力で以て誤魔化しにかかる千束に答えつつ、手際よくリモコンから選曲番号を入れる。
ほどなくして、三たびカラオケマシンから曲が流れ始めた。
まあ、クルミの音楽の好みについては知悉している。僕と一緒にいるときは慮ってかかけてはいないが、彼女の作業用BGMは直球ど真ん中の演歌だ。確か「浮世道中」とかいう名前だったような、と記憶している。
そういうわけでどうせその路線だろうと思いはしたが、果たして彼女がどこまでも情感たっぷりに歌い切ったそれは、ドストレートな歌謡曲だった。
想い破れて東京から離れる哀しい女の歌である。これが北に行くと超有名な冬の演歌になるのだが、こちらは西に行く話だ。
糸を引くようなアウトロが切れたタイミングで、やはりみんなの拍手が響いた。
「クルミぃ、いい趣味してんねぇ! しかも何気にうまい!」
「いや、確かに渋い選曲だったな」
千束が口火を切れば、それに呼応するようにミカさんがうんうんと頷く。
僕からすれば割とありそうな選曲だったが、意外とみんなクルミの曲の趣味については知らなかったらしい。
そしてその中に一人、感じ入ったように目を瞑る少女がいた。つまりたきなさんだ。
「……いや、なんかすごくいい曲でした。本当に」
「お、たきなにはこの曲の良さが分かるのか」
わかってるなぁ、などと面白がるようにクルミが言って、そこで居住まいを正した。
「いやぁ、それにしても。人前で歌うなんて初めてだが……意外と悪くないな、これ」
「でしょお? カラオケは一人でも二人でも楽しいけどぉ、こうやってみんなでやればもっとずぅっと楽しいのさ! また一個新しいことを知れたんじゃないかい? ウォールナットさんや」
得意げにウインクを飛ばす千束に、クルミは苦笑交じりに頷いた。
と、これで年少組三人が歌い終えて、順序としては大人に移る。
そして流れからすれば、歌うことになりそうなのは僕だ。千束も同じことを考えたか、僕が座っているソファまですたすたと歩み寄ってきて、そして隣に座った。
「よぉし、んじゃ次は隼矢さんだ。そろそろ覚悟は決まったかい?」
そのまま水を向けてくる彼女に、いよいよだと腹を決めて頷き返そうとしたそのタイミングで、しかしミズキさんから待ったがかかった。
「その前に! もう大分なし崩しなカンジだけど、一回みんなで飲み物持って乾杯しなぁい? せっかくスーパーで買いまくってきた飲み物が冷蔵庫で冷えてるってのに、飲まなきゃ勿体ないわよぉ?」
「お! 確かに」
「でしょお! じゃ、アンタら何飲むよ? ま、私は
そうやって手に既に三割ほど中身の減った一升瓶を持って振って見せるミズキさんに、各々が希望のものを伝えていく。
ミカさんは缶ビール。
たきなさんと僕は緑茶。
千束がメロンソーダで、クルミがリンゴジュース。
そしてその準備をしている間にと、クルミはトイレのために席を立った。
そういうわけで今度はクルミを意識の外へと追いやって、それぞれの飲み物を取り出すべく冷蔵庫へと足を向ける。
ミカさんのビールはともかく、他は二リットルや一リットル半のペットボトルばかりだ。たきなさんの手も借りながら冷蔵庫から運び出し、机の中央に寄せて並べる。
ホテル備え付けのガラスコップも用意して、そこに思い思いの飲み物を注げば、後はクルミが用を足し終えるのを待つだけだ。
そう思った矢先、パタパタとした軽い足音が聞こえた。クルミだ。案外早く戻ってきたらしい。
「ありゃクルミ? なんだ随分と早いなぁ」
ちゃんと座ったか? などと若干下品な茶化しを入れるミズキさんだが、そこで僕はそういうことではないと悟る。
クルミの目は見開かれていて、ぷるぷる震えながら自らが向かってきた方角を指し示していたからだ。その様子から、彼女は
「な、ななな……何だここのトイレ! どうなってんだ、丸見えだぞ!」
つまりは、そういうことだ。トイレとこの部屋を隔てる壁は壁と言いつつガラス張りで、目を向ければ普通にこちらから中の人間が用を足す姿は見えてしまうのである。
僕がたきなさんやクルミをトイレに見送る度、努めて何も見ないようにしていたのはそういうわけだった。
「え、まじ?」
千束がそう言いつつ席を立つ。そしてトイレの方へと二歩三歩歩いて、ひょえーっ、と素っ頓狂な声を上げた。
「うわ、うわぁ! なにこれスッケスケ! すっげぇ!」
それがツボにでも入ったか、ゲラゲラ笑いながら戻ってくる。バシバシ手を叩きながら僕の隣に戻る彼女に、クルミはむくれた。
「笑い事じゃないぞ、こんなとこでトイレなんて行けるか! というかこの部屋設計した人間、頭おかしいんじゃないのか!?」
「いやおかしくはないだろ、なんたってここはラブ――」
「『カラオケボックス』だ! いいかミズキ、ここは誰が何と言おうと『カラオケボックス』なんだ!」
ミズキさんの当然の指摘にミカさんが再三の掣肘を入れようとするが、もう正直隠す意味があるかはよくわからない。
回転ベッドも全面がガラス張りのトイレも、そして当然同じく風呂もガラス張りで、もうそういう場所なら何がどうあってもいかがわしいのは隠しようがないだろうに。
「いやまあここがなんだって別にもういいわ。……あーいや、でもさすがに私もちょっとヤだな、トイレ丸見えは。……あ」
そして同じようなことを思っただろう千束が、そこで漸くにして気づく。
「いや、あれ? たきなさっき行ってたよねトイレ」
「はい、行きましたが。それが何か」
「いや、あの……」
それを確かめようとたきなさんに問いかけるも、何がおかしいとでも言いたげな問い返しに遭って、たじろぐ。
気づけば全員がたきなさんの方へと目を向けていた。まあ、僕は初めから知っていたから改めて見るまでもないのだが、空気を読んでそちらを見た。
「えっと……どうかしました? みなさん」
「いや……」
こてんと首を傾げたたきなさんに、今度はクルミが何か言いかけるも、やはり言葉が出ない。
いつぞやのホットチョコパフェ騒動もそうだが、たきなさんはちょくちょくこういう
そして全員の耳目を集め、口を開く。
「まあ、いいでしょそれは。――で? 先に乾杯します? それとも自分歌いましょうか? それより前に」
この妙な空気を引きずったままでは乾杯も何もないだろう。それを切り替えるべくの提案に、千束が飛びついた。
「はい! はいはいはい! 隼矢さんの歌先に聞きたい!」
「ボクもだ。ちょっと乾杯って気分じゃないからな」
その後からそれにクルミも同調して、その場はそういうことになった。
一応ではあるが、入れる予定の曲は決まっている。
片手間に調べた限り、これまでの歌われた曲はどれもこれも90年代前半から半ばにリリースされたものだ*5。
どうせならそこに合わせたいとは思うものの、それは僕が生まれるよりも前で、だからこの辺りの歌に覚えはほとんどない。あるとすれば懐かしのアニソンがいくつかと、そして両親の影響で知っている洋楽ぐらいのものである。
そういうわけで、その数少ないバリエーションの中から僕は一つを選んだ。リモコンを手に取り、手早く番号を打ち込む。
「おし。んじゃ、やりますかね」
千束から手渡されたマイクを手に立ち上がるとほぼ同時に、
ギター一本にドラムセット、それだけのシンプルな伴奏の上に、声を載せた。
歌い終わり、名残惜し気なギターの音が消えると同時、千束がガバリと立ち上がって間近で拍手を送ってきた。みんなも手を叩いてくれる。
今まで歌った三人も例外なく受けている「洗礼」とはいえ、それにはどうにも気後れしてしまう自分がいた。
「……いや、お恥ずかしいものを」
「いや全然! 前も思ったけど上手いよ! あ、でも初めて聞いたなぁ隼矢さんの
思わず頭に手をやっていた僕のことを、しかし割かし真剣な目線で千束が見てくる。それもまた気恥ずかしい。何せ歌った曲の歌詞が歌詞なのだ。
「ま、確かにな。けどまた随分と『イイ』歌詞じゃないか? 隼矢。――『
「やめてくれよクルミ……」
意地悪気な声で、クルミが目配せしてくる。それ以降のところに触れない分の情けはあるとでも言いたげな素振りだった。
ただまあ、彼女が言いたげなことは事実ではある。何を歌おうかと頭の中でつらつら考えていた時にふいに千束の顔が思い浮かんで、そこに今までの一年間のことも頭に過って、ならばこれしようと思ったことは確かだったわけなのだから。
つまり英語の歌詞で誤魔化されてはいるものの、僕の選んだこの曲は、かなりしっかりしたラブソングだった。
「しかし隼矢くん、よく知ってるなこの曲。私も好きなんだよ、『ギターの神様』と言えば私たちぐらいの年代の人間にはよく刺さる」
「まあ、僕の父がよく歌ったり、ギターで弾いていたりしたもので、それで。――いや、もういいでしょう僕のことは」
このままでは僕のことでまた無為に時間が過ぎてしまう。もともとクルミのトイレ騒動でおかしくなった空気を変えるためのものだったのだから、役割は十分果たしただろう。
そういうわけでミズキさんを促せば、待っていましたとばかりに彼女が立ち上がる。
「よぉし、そんじゃま、もう大分いろいろあったけど!」
そこまで言って、ミズキさんが腰だめに己のグラスを構えつつ、息を大きく吸った。
「喫茶リコリコ・大カラオケ大会の開催を祝してぇ……いざ!」
そしてその声と共に、グラスを天高く突き上げる。
そこに自然と、全員の声が唱和した。
――かんぱーい!
斯くして、喫茶リコリコの十二時間耐久カラオケ大会は漸く正式にその幕が開かれることになる。
千束が一曲目を唄い出してから、既に一時間近くが経とうとしていた。
というわけで、答えはエリック・クラプトンの『Change the World』でした。
洋楽に逃げたともいう。
特典ドラマCDは聴きましたか?(先の描写に影響する前提知識のレベルを知りたいので)
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聴いた
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聴いてない
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今その存在を知った