千束・たきな: PUFFY『これが私の生きる道』
ミカ: 沢田研二『勝手にしやがれ』
ミズキ: 安室奈美恵『CAN YOU CELEBRATE?』
リコリコ全員: フィンガー5『学園天国』
ミズキさんが乾杯の音頭を取って、暫くの時が経った。
飲み物ばかりでなくおつまみの類も、すっかりテーブルの上に並べられて久しい。つまりこの場はカラオケ大会というよりも、どちらかと言えば飲み会の様相を呈してきていた。
「おいおい、これだけか、つまみって」
「……多分、そうです。すみません、ミズキさんにお任せしていたので……」
「うむぅ……なんか他にないのか?」
既に缶ビールが三杯目に到達しようとしているミカさんが、いつもの落ち着き払った調子ではない、やや砕けたような態度でたきなさんとやり取りしている。
「他に……ですか」
「ああ、僕が探してくるよ」
「あ、ありがとうございます」
たきなさんはソファの真ん中あたりに座っていて、冷蔵庫の方へは出向きづらそうにしている。そういうわけで代わりにと名乗り出れば、会釈で以て返された。
「この歳にもなるとなぁ、乾きものではなかなか酒は呑めんのだ」
「まあ、分からないでもないような……」
冷蔵庫のあるあたり、上の棚に載っているレジ袋をガサゴソと探れば、ミズキさんが買ってきている他のつまみ類が出てくる。あたりめや干し貝柱、チーズがいくつかと、それにビーフジャーキー。清々しいほどに酒のあてばかりだ。
そういう意味では、ミズキさんが最初に並べたラインナップはある程度年少組のことも考えてはいたのだろう。今ローテーブルの上に乗っているのは、ポテトチップスや柿の種、それにチー鱈と、千束やたきなさんも喜びそうなものが多かった。
ただなんにせよ、今ここにある追加のつまみだって結局は乾きものだ。ミカさんの要望に適うわけではないが、一応とばかりに持って行く。
「あったのは、これぐらいですけど」
「……結局乾きものじゃないか。ミズキ、お前がいて何やってるんだ」
案の定ミカさんは不満のようで、その文句をつまみの購入担当だったミズキさんにぶつけていた。
「しょうがないじゃないそれはぁ! 乾きものじゃないおつまみなんて火が使えないところで用意できるわけないでしょぉ!?」
そしてミズキさんがミカさんにそう抗弁したあたりで、誰かの携帯から着信音が鳴る。有名な任侠映画のテーマだ。
こういう突飛な音楽をわざわざ着信音にしようなどという人間は、この店の中で一人しかいない。
「おろ? 私んだな。ちょっとしつれーい……」
千束が僕の隣から立ち上がって、ベッドサイドのそれを手に取った。
「誰だぁ? ……お? フキじゃ~ん。――もしもしもしもし?」
そういうことだったらしい。そのまま電話口の向こう、彼女と同じファーストリコリスのフキさんと話し込み始める。
ついでにミズキさんとミカさんの口論がひどくなりつつあるこの場所から、手刀を切りつつ離れていった。
「まあアタシは? おつまみとかあんまなしに呑めちゃうわけだからこだわりとかなくてねぇ。あ、このさけるチーズとかどうよ? これ千切りながらお酒呑むの」
「日本酒とは合わんのじゃないかぁ? それは。まあビールとならいいか……」
言いつつも、なんだかんだ二人はよろしく酒を呑んでいる。
僕もどこかのタイミングで一杯ぐらいは付き合おうかと思わないでもなかったが、なんとなく今はそんな気分でもなかった。
「たきなさん、どう? カラオケなんて初めてでしょう」
そういうわけで彼らからは視線を切って、正面に座るたきなさんへと話しかける。
「そうですね。……正直、ちょっと疲れてなくもないです」
苦笑交じりの返答だった。確かにこの一時間は、本当に一時間とは思えないほどいろいろことが起こりすぎていたきらいがある。ただその渦中にいたのはなんだかんだで半分ぐらい彼女自身だったような気もしなくはないが、まあ言うだけ野暮だろう。
「でも、楽しいですね。カラオケがそうなのか、皆さんと一緒だからなのかはわかりませんが」
「ま、楽しけりゃどっちでもいいんじゃないか? ――ボクは千束のせいで随分と振り回されたけどな」
「物理的にな」
――あ、言いやがったな。
僕が入れた茶々にクルミがそう軽く肩を小突いてきて、そのさまを見たたきなさんがくすりと笑った。
「ま、千束が一番エンジョイしてるのはいつものことか。……というか」
「はい。――みなさん、少し声を落として」
そのあたりで、特に僕たちではなく大人二人組がどういうわけかヒートアップし始めていたところを、たきなさんが止める。千束の電話口の相手にまで聞こえるほどどんちゃん騒ぎをするのもどうかという話だった。
一気に静まり返った部屋で、千束の声ばかりが遠くから響く。その向こう、フキさんとは色々楽しくやり取りしているらしく、ここからでも分かるほどの笑い声が聞こえてきた。
それからほどなくして、彼女は強引に電話を切り上げて席へと戻ってきた。
「お、ま、た、せぃ! あ、ありがとねたきな」
「いえ。……誰からの電話だったんです?」
「え? ああ、フキから。いやそれがさぁ!」
どうやらフキさんからは次の仕事のことで連絡がきたらしい。任務中に使う物資の支給にわざわざ彼女自身がリコリコに来ることになったとのことだった。
「まそれで、今私たちが何してるっていってきたからここのこと話したら、もうフキがすっごいのよ、『ウッキー!』って、なんか」
「あ、ああ……」
千束のテンション高めな説明に、たきなさんが思い当たる節のあるような声で返す。確か彼女はほんの一時期フキさんとはリコリス棟でルームメイトだったことがあるらしいから、その時のことでも思い出したのだろうか。
僕としたらフキさんのような
と、そこまで考えたあたりで、さっきからずっとクルミが大人しくしていることに気づく。普段の彼女なら、これまでのやり取りのどこかでニヒルな茶々を入れたり、ミズキさんをからかったりしていそうなものなのだが、どうしたのだろうか。
少しばかり気になって、右隣のクルミの方を見れば、彼女は何かにじっと耐えるような表情でプルプルしていた。
「……クルミ、どうした」
具合でも悪くなったか。少し心配になって問うも、彼女は首を左右に振るばかりだ。
そのあたりでほかのみんなの視線もクルミに集中する。そのことを理解したか、どこかバツの悪そうな顔で微かに声を上げた。
「……いや、その、……ト――」
「あ、そうかトイレか!」
と同時、ミカさんが察したような声を上げる。いや察したのならばそこまで大声で指摘するのは可哀想じゃないかと思うのだが。
「あぁ! なるほどねぇ! クルミ、さっさと行ってきなさいよぉ、漏らしても責任取れないわよぉ?」
そしてそこに追撃とばかりにミズキさんが畳みかける。すっかり酒で気が大きくなっている二人だ。デリカシーなどというものはそこには存在していない。
「いや、だから無理なんだってぇ! あんなどこからも丸見えな場所でトイレなんて行けるかぁ!」
「なに言ってんのよ! いつも店の廊下を素っ裸で徘徊してるくせにぃ!」
「それとこれとは違うだろぉ!? ――あっ」
そこからクルミとミズキさんのいつものような漫才が始まりそうになったが、そこでピタっとクルミが動作を止める。どうやら声を張り上げるためにお腹に力を入れたところ「決壊」しかけたらしい。
なんにせよ危ない。しかしクルミとて女性、秘すべきは守られなければならないが、どうしたものか。
「んじゃあこうしよう! 誰かがトイレに行くときは、ほかのみんなでそっちに背中を向けて見ないようにする! どうだ!」
そこで千束から提案が上がった。なんだかんだと、こういうところは千束の優しさだと思わされる。
「うーん……それなら、いい、のか……?」
クルミも半信半疑ながらも、どうにか己を納得させようとしている。実際問題として「出物腫れ物所嫌わず」というのだ。決壊するよりはよろずマシだとしか言いようがない。
「あーら、随分とお優しいこと!」
「いやそりゃ、自分だっていつかは行くわけだし? お互い様でしょこれは……ほら、だから気にしないで行ってきなってクルミ」
そういうわけで、千束に促される形でクルミは席を立った。そのまま再びトイレの方向へと歩き去っていくクルミを一瞥して、ミズキさんがパンパンと手を叩いた。
「はーいそれじゃ、みんなで背中を向けますよー」
その号令に、みんなでぞろぞろとトイレに背を向ける。
しかしそこで全員が気づいてしまった。この部屋が鏡張りだという事実に、である。
「……いや、これ意味なくないですか?」
「確かに……」
そういうことだ。僕たちは丁度トイレに背中を向けているわけだが、おかげで部屋の鏡からトイレが非常によく見えてしまっている。つまり今トイレの便座に座ろうとしているクルミの姿は丸見えだ。
「――ダメだ! 結局丸見えじゃないか!」
遠くからクルミが悲痛な叫びをあげた。いや全くその通りとしか言いようがない。
「だからさぁ! 回転ベッド付きの部屋でそんなこと気にしてたってもうしょうがないってことよ! アンタも覚悟決めてパッパと済ませなさいよクルミ!」
「出来るわけないだろぉ!?」
困ったものだ。これでは話が前に進まない。
どうしたものかと一瞬考えて、しかしそこで一つ妙案を思いついた。手を上げて、皆を見回しながら、問いを放つ。
「今日、風呂入ります? みなさん」
「え? どったの隼矢さん」
少しばかりセンシティブに感じたか、千束がびっくりしたような声と共に僕を見た。
確かに僕やミカさんはともかく、女性陣にはややデリカシーに欠けたか。ただ本題はそこではない。
「いや……風呂入らないんだったらバスタオル使わないし、ブラインド代わりにできないかなって」
「――いいこと考えるじゃん」
僕のその提案を受けて、千束が指を鳴らした。
そうだ。バスタオルは人一人覆うことができるほどには大きい。それを何個か使いつつ、手分けして持ってトイレの入り口を塞げば、部屋から覗かれる可能性もない。善は急げとばかりにトイレのすぐ隣、風呂場近くの棚にあるバスタオルを二つほど引き出して、バサッと広げる。果たしてその大きさは十分にトイレのガラス扉を覆うに足るものだった。
「じゃ、あとは誰がこれを持って立つかだけど……」
みんなのいる部屋の中央へと目線を向ければ、大人組二人がこちらへと近づいてきているのが分かった。
「それは私たちがやろう」
「ありがとうございます。……千束たちは?」
ミカさんは無言のままに、真後ろ――自らがやってきた方へと目線を送る。
促されるようにそちらを見遣れば、千束が歌本を振りつつも、僕の方へと声をかけてきた。
「私たちは歌おっかなぁって! そろそろやりたくなってきたし!」
「いいんですか千束?」
「いいも何も、たきな、一緒に歌うんだぞ」
「えぇ!? 私もですか!?」
面食らったようなたきなさんに、千束は「そう!」と一つウインクして、歌本をぽんぽんと叩く。
「デュエットだよ! 今日はだぁれもやってなかったし、たきなと一緒にやりたい!」
「いや……でも私あまり歌とか知りませんし」
「大丈夫大丈夫! それは分かってるって、多分知ってる曲だから! 知らなくても何とかなるやつだし!」
そう言いつつ歌本をパラパラめくり、リモコンを構える。
「おーい、もう行っていいのか?」
それとほぼ同時、背後からのクルミの声がした。
「そっちからはどうだ? 部屋の方は見えないか? そっちから見えないなら大丈夫のはずだけど」
「大丈夫だ! ただそんなに近くにいられると音が……!」
思わず嘆息する。
――「見られるのが嫌」の次は、「聞かれるのが嫌」か。
まあ分からないでもないが、そういう意味では千束たちの行動は渡りに船だったと言えるだろう。
いや、或は分かっていてそうしたのかもしれない。その辺り、千束は見ていないようでよく見ているのだ。
「千束たちが歌い始めたら気にならなくなるだろ。どうしてもってならそこからでいいんじゃないのか?」
「わ、かった……あぁあ、早くしてくれよ? そろそろ限界だ……!」
「わーかってるわかってる!」
最後、クルミの言葉に千束が声を張り上げて返す。
そしてそれから十秒としない内に、目当ての曲は見つかったようだ。
「よぉし歌うぞたきなぁ!」
「あ、はい、わかりました……!」
入力を終わらせた千束が強引にたきなさんと肩を組んで、そして立ち上がる。
ほどなくして久方ぶりに、この部屋に音楽が響き渡った。
この曲には、聞き覚えがあった。有名な女性二人組のボーカルユニットのもので、デビュー直後に立て続けに放った三発のヒットソングのうち、これは二曲目のはずだ*1。
「今後とも私たちを、よろしくぅ~っ!」
歌い終わった後、恒例とばかりに囃し立てる僕たちの声を背に受けて、歌詞に絡めて千束が言う。たきなさんも千束と肩を組んだ姿勢のまま、はにかむように笑っていた。
「しっかり歌えていたじゃないか、たきな」
「あ、……ありがとう、ございます」
ミカさんの言う通りだ。ご丁寧にハモりまでつけて完璧に歌いこなしていた。彼女は自分で思うよりは歌の才能がありそうだと、二曲ほど聴いていて思わされる。トイレから出て、僕の隣に立っていたクルミも感じ入ったように頷いていた。
「千束もだが、たきな、やっぱりうまいじゃないか」
そしてかけられた言葉に、千束が改めてこちらを見てくる。クルミのことは意識して気にしないようにしていたらしい。
「……おお、クルミ。トイレ済ませたんだ」
「そりゃな。――そうだ、助かった、隼矢」
「いや、大したことじゃない。お互い様だろ」
言いつつも、姿隠しに使ったバスタオルを洗面所に積んでソファに戻る。
対面には千束とたきなさんが戻って、隣り合って座っていた。マイクをローテーブルに置いて、たきなさんが喉元に手を当てる。
「それにしても、しっかり歌うと喉が疲れますね……」
「ま、たしかにね。そだ、ドリンクでも飲む?」
「あ、はい、それじゃあ……」
千束の提案に頷いて、彼女は改めて席を立つ。すでに残り少なくなっていた自分のコップに、お代わりの緑茶を注ごうとした。
「あ、ちょっ……」
「――あっ!」
「うわっと!」
しかしそこで、その袖口にグラスが引っかかってしまった。気づいた千束と僕で慌ててカバーしようとしたが、間に合わない。虚しくもコップは横倒しになり、少ないとは言え残っていた中身がテーブルに撒き散らされた。
取り敢えず歌本を退避させる。他のおつまみ類はまだしも、本が濡れるのはまずい。
「す、すみません……!」
「いや、それは大丈夫だけど……」
「ま、大した量じゃない。拭けば十分だ」
ミカさんがフォローついでにミズキさんへと目配せする。心得たとばかりに彼女は立ち上がった。
「ま、拭くものならいくらでもあるから! 持ってくるわぁ」
そのまま僕がバスタオルを置いた洗面所のさらに手前、手近な位置にあるアメニティのところへ足早に歩を進めて、それからものの十秒で戻ってくる。
その手には三枚ほどのフェイスタオルと、何か包みが握られていた。濡れたタオルを入れるための袋だろうか。
「はい、たきな。これ、タオルね?」
猫撫で声で言いつつ、まずは右手に持つタオルを渡す。どうにも気持ちが悪い声だ。何か良からぬことを企んでいるような気がする。
「あ、はい。ありがとうございます」
「それと……これも」
戸惑いつつも受け取るたきなさんに、ミズキさんがその左手に持っていた包みを渡す。
それがたきなさんの手に渡る直前に、見えてしまった。
その正体は、
言葉を発するより前、慌てて両手で口を押さえる。
言った瞬間、この店における僕の人権はなくなる。それはほぼ確信に近い直感だった。しかしなんというものを、というより何と言うことをしてくれたのか。
「はあ……なんです? これ。中に入っているのは……ガム、でしょうか」
しげしげと眺め、天井の灯りにそれをすかしながらもたきなさんが言葉を発する。
それにミズキさんが相変わらずの調子でその「答え」を口にしようとして――。
「おしいっ! それはねぇ、ゴ――」
「アホかミズキィィィ!!!」
それとほぼ同時、たきなさんの手許にある
凄まじい早業だった。おかげでたきなさんが余計な知識を仕入れることはなかったと言えなくもないが、逆に彼女たちの方がえらいことになっている。
「いやあぁぁぁっ! 今日は上下違う*2から、脱がすのだめええぇぇっ!」
「黙りやがれこの酔っ払いがああぁぁぁっ!」
「きゃああぁぁっ!! お~か~さ~れ~る~ぅぅっっ!」
「何が『犯される』じゃいい加減にしろやアホたれええぇぇぇっ!!」
本気ともつかないミズキさんの黄色い悲鳴と半ギレ状態の千束の怒号が部屋の中に響き渡り、どったんばったんとベッドが軋む。
当のたきなさんは完全に置いてきぼりにされて首を傾げ、そしてミカさんは頭に手を当てて天を仰いでいた。
「先生、ちょっと私の銃とってくんない!? これ一発ぶち込まないとミズキの酔い覚めない!」
「いやちょっと千束……!」
ミズキさんに当てられてか、千束までおかしなことを言い出している。非殺傷弾だろうが何だろうが、防弾装備でもない相手に対して本当にゼロ距離から撃ち込めば、さすがに命に関わりかねない。落ち着いた方がいいのは千束も同じだった。
立ち上がって、もみ合う二人の傍へと近寄る。しかし彼女たちのすぐ後ろに立ったその瞬間、置くのを忘れて握ったままだったリモコンが一瞬で奪い去られた。千束の目の良さが無駄に発揮されていた。
「おおありがとう隼矢さん! ――ってこれ銃ちゃう、リモコン!」
「いや、だからそういうことじゃなくて……!」
盗られてしまったリモコンはいいとしても、完全にバーサク状態の千束は落ち着けないとまずいだろう。そう思って、改めてミズキさんと格闘戦を続け始めたその肩に手を置くべく手を伸ばす。
しかしその時、全くの別方面から声が割って入った。
「あ、分かりました! これウォータージャグ*3じゃないですか! 見たことあると思ったんですよ!」
ピンときた! とでも言いたげなそれは、たきなさんのものだ。ベッド周辺にいた全員で、思わず振り返る。
「――は?」
そして揃って、そう口に出していた。取っ組み合いの末に着衣が乱れに乱れているミズキさんと千束もだ。
「いや、やっと思い出しました。サバイバルの基礎教練の中で紹介されたんです。イギリス軍のサバイバルキットの中に、このゴム製のウォータージャグが入ってまして*4」
得意げな様子で、たきなさんは滔々と語る。
なんでも野外活動の実地研修の中で、サバイバルキットのそれぞれの用具の活用法について一通り習ったらしい。どうやらその中にこのコンドーム――たきなさん曰くの「ウォータージャグ」があったのだと、彼女は言った。
その名の通り、生きるための水を貯蓄することもできるし、限界まで伸ばして止血帯としても使える。そして銃口に装着すれば粉塵避けにもなる万能ツールとして、彼女はそれを認知していた。
「ですがなんでそんなものがここにあるんでしょう?
余りにも純粋過ぎる。「リコリス」として堂に入りすぎていると言うべきだろうか。おかげさまで千束もミズキさんも完全に毒気を抜かれてしまったらしい。僕としても取り越し苦労が過ぎて、やや脱力してしまった。
とぼとぼと元の席に戻る僕たち三人を見て、ミカさんが口を歪める。
「宛てが外れたな、ミズキ。サバイバルキットは、リコリスの基本装備の一つだぞ?」
というより、その言は特にこの騒動を起こしたミズキさんに向けてのものだった。しかしその言葉には、むしろ千束が反応する。
「え、そうなんだ」
「いや千束、お前が何でそういう反応をする……」
小首を傾げた千束に、クルミが思わずといった様子でツッコんだ。
「いやぁだって、私リコリス棟にいたの七歳までだし。その歳で受けるようなサバイバル訓練なんておままごとよおままごと。というか多分寝てたかも……」
「……まあ、千束らしいはらしいですね」
呆れたような吐息に交じって、たきなさんが千束に言う。
そしてそこで仕切り直しとばかりに、こちらを見回してきた。
「それで。次、誰が歌います?」
「ああそうだそうだ。んー……そうだ、隼矢さん、たきなの次だし、私とデュエットしようよ」
それは魅力的な誘いではあった。が、ものには順序というものがある。
「いや、その前にまだ歌ってない人いるし」
「そうだぞ千束。そろそろ私たちにもマイクを回してくれないと」
言ったのはミカさんだ。どうやら酒が入ったことで、乗り気になったらしい。
「お、先生? いいねぇ、そうでなくっちゃ!」
「でしたら、何を入れましょう?」
千束の言葉を引き継いだたきなさんの問いに、ミカさんがにやりと笑った。
「『勝手にしやがれ』」
「え、と……それは、私が好きに入れろ、と……?」
面食らったような顔と声で返したたきなさんに、してやったりの表情で続ける。
「そういう名前の歌なんだよ」
言いつつ、へへっと笑った。いよいよ酔いが回ってきたらしく、イイ性格になってきていた。
「はいはい、僕が入れるから、たきなさんこっちに本とリモコン回して」
「あ、すみません……」
酔って気が大きくなった人間をいなすのは、まだたきなさんには荷が重いだろう。とりあえずはこちらで巻き取って、手早く番号を打ち込む。
「はい、じゃこれ持ってください」
「ああ、ありがとう隼矢くん」
マイクをミカさんに渡すと同時、決定ボタンを押し込んだ。
すぐさま流れ始めたイントロに、ミカさんはすっくと立ちあがる。そして彼は、随分と気取った様子で歌い始めた。
曲が終わる。
――正直、ナメていた。ミカさんのことだ。どうせ酔っぱらってまともな音階なんて出せやしないだろうと思っていたが、とんでもない。
「え? めっちゃうまいじゃないですかミカさん」
「ですね……」
たきなさんと二人、思わず口に出ていた。
それは本心だった。正直普通にそこらの歌手よりうまいんじゃないかとすら思ってしまうほどに、である。
「そーなのよー。先生実は歌ウマなの! ね?」
それになぜか得意げに、千束が言う。ミカさんもまた満足そうな面持ちで僕たちの方を見ていた。
「ありがとう。まあ、こんなことでもないと歌わないからな」
言いながら、僕の方にマイクを返してくる。取り敢えず受け取るが、次は順番ならミズキさんだ。
どうするのかと思っていれば、彼女も何か感慨深げに頷いていた。
「でもまぁ、なんだかんだみんな楽しく歌えてるし、案外マシンが古くてもなんとかなるものね! ねぇ!」
「それはそのマシンと同じぐらいボクたち全員流行から乗り遅れてるってだけなんじゃないか?」
「やめなさいよそういうこと言うの!」
そこから間髪入れずに漫才に発展するあたり、やはりそこはいつものクルミとミズキさんだ。というか勝手に一緒にしないでもらいたいのだが――まあいい。
しかしそこはミズキさん、ただでは転ばない。強引に話題を捻じ曲げるように、声を張って僕たちに主張してきた。
「っていうか! さっきから聞いてればあれじゃない、もうちょっとこう、華やかでハッピーな曲も入れましょうよぉ?」
「……例えば、どういうのですか?」
「んー……そうねぇ、やっぱりぃ、ここはぁ……」
たきなさんが水を向ければ、ミズキさんはいつの間にかその手に持っていた歌本をパラパラとめくる。それから程なく、僕の方に目線を寄越した。
「隼矢くん、そのマイク頂戴」
「あ、はいどうぞ」
女優のような気取り方で手を伸ばしてくる。否やはない。素直に渡した。
「千束、これ入れて」
「はい、姐さん!」
同じく芝居がかった言葉と共に歌本のページを示して、それに千束がノリを合わせてリモコンを操作する。
「で、結局何を歌うんです?」
「そりゃもう、結婚式のド定番、『CAN YOU CELE――」
そして最後、たきなさんの問いに、目をぱちぱちさせてポーズすらキメながら、スイッチが入っているマイクに向かって高らかに宣言して――。
「あ、すまんすまん、トイレ行かせてくれ」
「――っておいオッサン!」
見事にその腰をミカさんに折られていた。何とも締まらない。まあミズキさんらしいのだが、さすがに可哀想になってくる。
「すまーん。そっちは歌っててくれー!」
しかしそんなことは我関せずと、ミカさんは手をひらひらさせながらトイレに向かって消えていった。
――まあ、野郎の用足しなどもともと誰も見たがらないだろうし、出向いて隠すまでもないか。
そう思いながらそっちから目線を切ってミズキさんへと戻せば、やはりというかなんというか出鼻をくじかれた様子ではあった。
それでもそこはミズキさん、やはり不屈の女だ。咳払い一つで、あっという間に気持ちを切り替えた。
「ったく……こんな状況で歌う曲じゃないってのに……! ま、いいわ!」
そして千束に目で合図を送る。頷いた彼女が決定ボタンを押せば、ほどなくしてミズキさんリクエストの曲、静かなストリングスのイントロが流れ始めた。
それは正直、主観的にも客観的にも今日一長かった。平成の歌姫たる超有名な女性シンガーの送る結婚式の定番ソングではあるが、とにかくこの曲は長いのだ。何せ六分以上ある。それを執念すら込めたレベルの情感を持って歌われるものだから、どう反応していいのか困ってしまった。というか最後あたり半分泣きそうになっていた。ミズキさんが、である。
全員拍手で迎えたが、やはりそこには少し気圧されたような空気感が漂っていたのは確かだった。なんというか、必死さすらも見え隠れしていた。
「アタシ、自分の結婚式にはこの歌流すって決めてんのよぉ……!」
とは、歌が終わった後の彼女の弁だ。
「いや、そういうの似合わんだろミズキには」
「確かに。なんか乾杯の音頭から和気藹々って感じになってそう」
そしてそんな遠慮のない言葉を浴びせるのは、やはりというかクルミと千束だった。
まあ正直、自分もそういうことは考えないでもなかったが、それにしても容赦ない。
「はぁ!? 嫌よそんなん」
「ならどんなのがいいんです?」
訊ねたたきなさんに、よくぞ聞いてくれたとばかりにミズキさんが反応した。再び定位置に戻って、酒入りのグラス片手に宣言する。
「アタシの結婚式はねぇ! 独り身が……いや、誰もが羨むいい男と結ばれて、盛大な、感動いっぱいの超大作じゃなきゃやぁなのぉ!」
――駄々っ子か。そもそもそういうことを言うならせめて手に持つグラスは机の上に置いた方がいいんじゃないだろうか。
いろいろツッコミどころは多くあった。しかしそれは腐っても他人の夢、笑う気にはならず、ただ閉口する。
「おぉー……」
「そいつはすげぇや」
「なるほどぉ、そうですか」
しかしそんな僕の
思わずちょっとだけミズキさんに同情してしまったが、こんなところでそんな盛大に宣言をされても反応のしようがないのも事実ではある。ある意味、お互い様ではあるのだろう。
「キサマら……!」
恨みがましい目線で彼女たちの方を見据えて、ミズキさんは己の手に持ったグラスを呷った。
まあ、それでこの話はオチはついたのだろうか。そんな彼女の姿を褪めた目で見ながら、たきなさんが話題を変えてくる。
「それで? 次は誰が行きます?」
「それねぇ、思いついたんだけどさ」
その問いには、千束が答えた。
「せっかくみんなでここに来たんだしぃ、一曲ぐらい一緒に歌わない?」
そして手元の歌本を引き寄せながら、どうだとばかりにこちらを見回してくる。
「まぁ、いいですけど……」
「ボクらが知ってるような曲じゃないと無理だぞ?」
そう返すのは、やや不安げというか、訝しげなクルミとたきなさんだ。
しかし千束は分かっていると言わんばかりに、ふんすと鼻息荒く答えた。
「とーぜん。楽しく歌えなきゃ意味ないからね!」
「となると、何にするか……」
ミカさんと千束が歌本を前に唸り始めたところで、またミズキさんが右手を高らかに掲げた。そして声高に提案してくる。
「はぁい! 『てんとう虫のサンバ』!」
「……ミズキさんいい加減にしてください。結婚式からは離れましょう。――というか若干センス古いですよ」
――またか。少しだけイラっとして、そんな言葉が思わず吐き出されてしまった。
「ぐっ……なにをぉ!」
言われた彼女はこちらに食って掛かろうとして、しかし僕の目線がそこそこマジだと気づいたか、すごすごと引き下がる。
ちょうどそのあたりでミカさんが何か思いついたらしい。たきなさんに向けて声をかけた。
「たきな、あれはどうだ。ちょうど去年の夏あたりに流してた有線でかなり聞いたやつだ。あの、『ヘーイヘイヘイ』って」
「ああ……知ってる気がします。子供の声の。……名前なんでしたっけ」
「確か……『何とか地獄』とかじゃなかったか?」
そのすっとぼけたやり取りに、思わず声が出ていた。
「『学園天国』のこと言ってます?」
「そうそう、それだ!」
「掠ってもねぇじゃねぇか……」
我が意を得たりと頷くミカさんに、ミズキさんがぼやく。しかし彼は聞こえなかったのかスルーしたのか、そのまま千束に目で問いかけた。
それを受けて、彼女はにんまりと笑う。ぐっと親指を立てて見せた。
「大賛成! いいセンスじゃん!」
「はは、そうだろ?」
「確かに。それならボクも覚えてるし、歌えそうだ」
「いや、地獄って言ったろオッサン……」
クルミが賛意を示したところで、話の流れは決まったらしい。
そして哀れにもミズキさんのツッコミはまたしてもスルーされた。
そうと決まればと、たきなさんは千束から渡された歌本から選曲番号を探していく。
しかしそのさなか、思い出したかのように口を開いた。
「パート分け、どうしましょう?」
「お? 随分と乗り気じゃないか、たきな」
ミカさんはそれを茶化しにかかるも、彼女は違うのだとばかりにふるふると首を振る。
「いえ、そういうことではなく。あの曲って確か五人で歌ってましたけど、私たち六人ですし。どうするのかなと」
そして言いながら手許から顔を上げる。
それはなんとも几帳面なたきなさんらしい発想だった。全員で歌うカラオケでガチガチにパート分けの話をし始めるあたり、筋金入りだろう。
しかしそれには千束が答える。チッチッチ、とその指を顔の前で振った。
「だーいじょぶだよたきな。そんなんノリで行けるってぇ!」
「ノリで? 行けますかね?」
「行ける行けるぅ! だいたいそんな深く考えるもんでもないっしょカラオケって!」
ねぇ、と今度は千束がぐるりと全員を見渡した。
「確かにな」
「ま、別に発表会ってんでもないだし、いいんじゃない?」
そしてクルミとミズキさんの後押しを受けて、千束がたきなさんに振り返る。ね、と念押すように、首を傾げた。
「……わかりました。では、
その視線を受けて、たきなさんが頷いた。どこまでも真面目くさって言いつつも、全員分のマイクを配り始める。
程なくそれが各々の手に渡ったことを見届けて、彼女は自らの手の中のリモコンをカラオケマシンへと向けた。
一つ一つ、数字が打ち込まれていく。その様子を見ながら、千束が立ち上がった。そして僕たち全員を手で促す。自分と同じようにそこから立てと、無言で示した。
それを受けて立ち上がったみんなのことを視界におさめて、彼女は一つ頷く。
そして片手を突き上げながら、意気揚々と声を上げた。
「よぉし、ならば皆の衆、張り切っていくぞぉ! ――『学園天国』ぅ!」
斯くしてその数秒後、流れ始めたイントロを背中に、千束がパチリとウインクした。
「――『Are you ready?』」
――カラオケ大会は、まだまだ終わりそうにない。