実際のドラマCDはもうちょっとアッパーな感じの終わり方ですが、拙作のオチは変えています。
――喫茶リコリコ・大カラオケ大会。
そう銘打っただけのことはあって、その後思い思いの曲を歌いに歌った宴のひとときは三時間ほど続いた。
その末、すっかり夜も深くなり、それは日付が変わろうかという頃のことだ。
「いやぁ……歌った歌った」
「さすがにこれ以上は喉が枯れそうです……」
達成感にも似た疲労感が声から滲んでいるかのような、そんな二人の声がする。千束とたきなさんだ。
そしてもう一人、クルミはもう三十分も前には回転ベッドの上で寝入ってしまっていた。静まり返った部屋の中、規則的な寝息がかすかに聞こえている。
「クルミもおねむかぁ……ま、こんな時間だしねぇ」
そちらを向いて穏やかに笑った千束が、ひとつ伸びをした。
「そっち見てたら、私も眠くなってきたかも……寝よっかなぁ」
「確かに……そろそろいい時間ですか」
その言葉を受けて頷いたたきなさんに、千束は悪戯な笑みを浮かべた。
「お? んじゃ、一緒に寝ちゃうぅ?」
いつぞやのような、からかうような口調だ。ため息交じりに、たきなさんは首を振った。
「またですか。……まあ、ベッド回さないなら、いいですけど。十分広いですし」
やった。そう小さく拳を握って、千束はたきなさんと二人、ベッドへと歩いていく。
それを見つつ、ミカさんは口元を緩めた。
「なら、ここからは『大人の時間』というわけだ。……ミズキ、日本酒はまだあるか?」
「そんなに多くはないけどね。隼矢くんは?」
「あ、はい。……では、本当に一杯だけお付き合いさせてください。明日の運転があるので」
あいよ、と頷くミズキさんを背に、部屋の電気を落としに行く。
寝室の照明を常夜灯に切り替えて、水場のスイッチは完全に切る。斯くしてすっかり暗くなった部屋に戻れば、早速というか、千束もたきなさんも静かになっていた。
互いの手を握るように、寄り添うような姿勢で眠る二人を見て、自然と頬が緩む己を自覚する。
「静かになるときは一瞬ね、ほんと」
「……そうだな」
その声に振り返れば、ミズキさんとミカさんも同じようにベッドの方に目を向けていた。優しげな声と、そして表情だった。
「お待たせしました」
「ん、おかえりー。ありがとね、電気」
「いえ。……あ、注いでくださってたんですね、ありがとうございます。それでは」
手にグラスを持って、掲げる。三人のそれが触れ合う音が、カチリと部屋に響いた。
手許に引き戻したそれを、ゆっくりと傾ける。歌いに歌って酷使した喉に、アルコールの熱が沁みた。その後から米の香りが立ち上って、舌に感じるほんのわずかな甘みの他には、酒精独特の後味が残る。
なるほど、これは確かにいい酒だ。最低でも、ミズキさんの吞み方の如くに一気に呷り倒してしまうのは、もはやこの酒に対して礼を失しているとすら言うべきだろうと思ってしまうほどには。
「……いいお酒ですね」
「お、酒の味が分かるクチか」
ミカさんの声がする。顔を上げれば、こちらを見て口元だけで笑っていた。
「まあ、はい。……それにしても」
そこまで言って、今一度後ろを見る。相変わらずくっついて眠っている千束とたきなさんに、小さく丸まった姿勢で静かな寝息を立てているクルミと、その三人の横たわる回転ベッドの光景は、宴の後の余韻をそこに残しつつもどこか穏やかさすら感じさせるものがあった。
「ああ見ると、平和なものだな」
「確かにね。起きてたらうるさくてかなわないけど!」
背後で二人が言う。きっと同じようにベッドの方を見ているのだろう。頷いて、振り返った。
「まあ、こうして全員でバカやれるってのも、みんなのおかげ様あってのことですよ。……本当に」
それは我ながら途轍もない実感がこもった台詞だった。
この場所に来て、みんなの仲間になって、その末に今のこの場所が、日常がある。
それがどれほど僕にとって大きいことなのかは、何度言っても言い足りない。言葉を尽くしても、きっと言いつくすことはできないのだろう。
「まあ、そういう意味では私たちは家族のようなものだ。あの子たちが起きているところでは、言いづらいがな」
「そゆことよね、ホント。ま、アタシは早いとこ旦那様捕まえたいってのはマジだけど!」
「それ、まだ言いますか」
「はぁ? アンタがそれ言う? 千束とよろしくやってるくせに」
「……勘弁してくださいよ」
思わず苦笑が漏れた。まあ、それは本心でもあり、照れ隠しでもあるのだろう。ミズキさんの場合は、特にそういうところがあった。
「まあ、なんですか。さっき千束が言ってましたけど。こういう機会を定期的にってのも、いいかもしれませんね。千束が『引退』した後も、もっと先、たきなさんがそうなっても」
「……鬼が笑うぞ?」
「なんの。笑わせておけばいいじゃないですか」
全員で歌った「学園天国」の後に、千束が言ったその言葉を反芻する。返したミカさんはやや苦笑いしていたが、それぐらいは許されるだろう。
グラスをもう一度傾けて、酒で口を湿らせる。
「とにかく、今日は楽しかったです。ありがとうございました」
「それは、よかった。ミズキは? どうだった」
水を向けられた形のミズキさんが、少しばかり頬を膨らませて言う。
「アタシゃ随分ガキどもに煽られたけど! でもまあ、いい時間だったんじゃない? ってか、まだ
返されたその言いざまに、ミカさんと二人笑い合った。
「まあ、その通りですか。では、もう少しだけアディショナルタイムと行きますかね」
そう言って、ミズキさんのグラスに酌をしていく。
大人たちの「延長戦」は、そこからもう少しだけ続いた。
そして更に時は過ぎ、真夜中がやってきた。
ミズキさんは対面のソファですっかり夢の中にいる。ミカさんもまたその横、椅子に腰掛けながらもテーブルに足を投げ出すようにして眠っていた。
回転ベッドの傍にある時計を見れば、時刻は夜も二時になろうとしている。夜の七時半ぐらいにここに入ったことを考えれば、六時間は経たないうちにここを出ることになるだろう。
しかし僕はどうにも寝付けなかった。一杯でも酒を呑んでしまったのがよくなかったか、それともカラオケ会の興奮が未だ醒めないのか、なんだかいやに目が冴えていた。
どのみち眠れないなら仕方があるまい。横たわるソファから立ち上がり、足音を殺しながら一歩一歩ゆっくりと、窓際へ歩く。
辿り着いた窓際、かかっているカーテンを少し開いて、覗いた窓の外を見遣った。
「ああ……」
図らずも、声が漏れる。
中天にかかるのは満月だった。心なしかいつもよりも大きく見えるそれは夜の闇に眩く輝き、届く光はこの部屋すらも染め上げるように鮮やかだ。
その色はどこまでも白いはずなのに、照らされたこの部屋はこんなにも青白い。その景色に、なぜか心が揺さぶられた。随分と歌ったことで、情緒がそちらに寄っているのか。あるいは、ただ酒の酔いが抜けていないだけなのか。
そんな窓の外の風景と相対しているうちに、ひとりでに口が動いていた。
それはきっと、歌に触れすぎたせいなのだろう。
――Fly me to the moon,
――Let me play among the stars.
メロディーを、ゆっくりと口ずさむ。
スタンダードジャズのナンバーの一つだ。確かミカさんが店でかけていたレコードの中にも、あったような気がする。
――Let me see what's spring is like on Jupiter and Mars.
噛みしめるようなテンポ感で、それは紡がれてゆく。僕を除いて動く者のいないこの空間に、一人掠れた歌声が響いた。
――In other words, hold my hand,
「――『In other words,
その時突然に、僕以外の声がそこに重なる。
少女の声だった。聞き覚えのある、声だった。
はっとして、振り返る。
「やあ」
「千束……」
片手を上げて、果たしてそこには千束が立っていた。
「ごめんね。起こしちゃったかな」
「いや? 何となく目が覚めちゃっただけだから。気にしないでいいよ」
穏やかな微笑みを浮かべて、彼女がこちらに歩み寄ってくる。そして僕の横で、同じように空を見上げた。
「おぉ、満月! だからなのねぇ……」
僕が見たのとまったく同じ空と、月と。それを視界に収めた千束が、そう言いつつもこちらを見て、その笑みを深くする。
「いやぁ、ロマンチストだなぁ隼矢さんってば」
そのまま悪戯っぽく、そう続けて。僕が口ずさんでいた歌の話だろう。
どういうわけか、僕はそれに吹き出していた。
「そうかもね。でも、多分酒のせいだ」
「ん? あぁ、呑んでたんだ。あれ、運転大丈夫なの?」
「いやまあ、一杯だけだし」
そっか、と。そう言ったきり、千束もまた黙り込む。
言葉が途切れた彼女の方から視線を切って、また窓の外に目をやった。
しかしそこで突然に、隣から右手が伸びてくる。意識の外からやってきたそれは僕の腕を掴んで、そのまま少しだけ強引な手つきで引き寄せてきた。
たたらを踏んだ足、傾いた身体。中空を彷徨うばかりの右腕、その先の手の指に千束のそれが絡んで、結ばれる。
「ぇ――」
声を上げるより先、彼女の右手が背中に回る。そのまま音もなく抱き寄せられて、気づけば唇が重ねられていた。
しかしそれはほんの数秒のこと、あっさりと僕を離して、彼女は嫣然と笑う。
「だって、ほら。『手を繋いで、キスしてよ』って……でしょ?」
歌の続きを綴るように、僕に言って聞かせるように。語りながら、小首を傾げてこちらを覗きこんだ。
つまりそれは、僕が今歌っていたところの、最後のフレーズのことだろう。
気取った態度に悪戯な表情で、彼女はこちらを覗き込んでいる。
その瞳の煌きを正面に見て、思わず口に出していた。
「ロマンチストはどっちだよ……」
「……たしかに」
そう言って、お互いにはにかむ。それはともすれば、月の光がもたらす魔力だったかもしれない。いや、身も蓋もないことを言えばこの部屋の、非日常の魔力かもしれないけれど。
そして二人、また窓の外を見る。どちらも、何も言わない。それはこの空間ごと宙に浮かぶような静けさにも思えた。
ちらと千束を見遣れば、彼女もまた柔らかな表情で僕の方を見返してきた。
「なぁに? どした?」
「いや……」
何かを言いたいわけではなく、ただ彼女の横顔を見ようとしていたばかりの僕は、その言葉に返すべきなにかを持たない。
逃げるように外に視線を戻して、くすりと笑う千束の声を聞いた。
「……じゅーんーやーさんっ」
無邪気な声と、衣擦れの音を聞く。僕の背後から、二本の腕が伸びてきた。そのまま動かずにいれば、ほどなくして背中に熱を感じる。
千束が、後ろから抱きついていた。
「どうしたよ、そっちこそ」
「えへへ。……なんだか、いいなぁって」
しみじみとした声で、語り掛けてくる。
「こんな、みんなで一つの部屋にお泊りなんてするの、初めてだったし」
「まあ、確かに?」
言われてみれば、そうか。みんなで行ったハワイでも寝泊まりする部屋は別れていて、こうやって全員で一つ所で思い思いに寝ることなどなかったことを思い出す。
そして気づいた。回転ベッドの上、彼女たち三人が揃って眠っている構図を見ながら僕が懐いた感慨は、それにどこか近いものがあったのかもしれないと。
「みんなと一緒って、やっぱ楽しいよ。終わってほしくないぐらい。……だからずぅっと、大事にしたいなぁって」
抱きしめる腕の力が強くなる。深い実感すらも覚える語り口だった。
だからだろうか。思わずその手に、僕は己の手を重ねていた。ゆっくりと愛でるように、それを撫でる。
びくりとした震えを感じた。ふいに触れた手のひらの感覚に驚いたのか。しかし程なくそれに応えるように、千束はもう一段と、その腕の締め付けを強くしてきた。
それは少し苦しくて、でもそれゆえにか、どこか心が満たされるものを覚えた。
「……何言ってんだろーね、私。もっとこう、今日はわいわいやってる日だったはずなんだけど」
しかししばしののち、思い出したかのような声と共にその感触が離れていく。振り返ってみれば、ややバツの悪そうな顔で、千束は頬を掻いていた。
それを見て、思わず吹き出す。
「……なんだよ」
「なんでも? ……けどまあ、雰囲気に呑まれてるのは、同じなんだな、ってさ」
ジト目で見てくる千束に向き直って、右手を差し出した。おずおずと伸ばされた手を握って、窓際から離れていく。
向かう先はソファだ。さっきまで僕が横になっていた場所でもある。そこに二人腰掛けて、互いに見合った。
「まあ、ね。……僕もそう思うんだ」
「ん?」
「いや。みんなで一緒にいるのは、やっぱり楽しいよ。ずっとこうやってたい、これからだって」
でも、それは僕だけのことじゃない。
「けどそれは、みんなそうでしょ。この店の、誰だって」
「……そっか」
千束が頷いた。二度三度と、僕の言葉を噛みしめるように。
その末に、相好を崩す。浮かべたのは慈しむような微笑みだった。そのままゆっくりと僕の方に身を寄せて、そして委ねてくる。
肩に感じる微かな重みは、僕にとってはどこまでも慣れ親しんだ、愛すべきものだった。
しかしそこではたと気づく。千束をここに呼んだはいいけれど、もともと彼女はベッドから抜け出してきていたはずだと。
「……寝ないでいいの?」
「いやいやいやいや。ここに私を呼んだのはいったい誰よ」
問いかけるも、苦笑交じりの声で反論されて、言葉がない。
「というか、私よりもそっちでしょ、寝なきゃいけないのは。明日帰りの運転するんだからさ」
「確かに。でもね、ちょっと。まだ眠れなくて」
ほぉ、と面白がるような声がした。誘われるようにそっちを向けば、彼女は戯れるような笑みを浮かべていて、そしてその腕がすっと伸ばされた。
流れるような身体の動きに、主導権が入れ替わる。僕の肩に回された腕に、力が籠った。
「だったらぁ……」
「え、ちょ……っ」
気づけばあっという間に、上半身が彼女の方に引き込まれていた。横倒しになった視界と一緒に、柔らかさと体温を、側頭部に感じる。
「千束……?」
「えへへぇ、これならどうだ」
それはつまり、膝枕だった。千束はするするとその身をソファの端へと寄せながら、僕のことをも引っ張り上げる。
「ほら、足上げて。そのまま寝たら身体バキバキになっちゃうよ」
「あ、ああ……」
言われるがままに下半身もソファの上に載せれば、頭に添えられた手に力が籠って、僕の頭が身体ごと仰向いた。
視界が、天井へと向く。それを遮るように、千束がこちらを覗きこんできた。
「――よろしい」
そうして一つ頷いて、僕の額に手を置かれる。そのままそれが、ゆったりと動き始めた。まるで子供でもあやすかのような手つきだった。
どこまでも上機嫌で、微かに鼻歌すらも聞こえる。空いている右手もいつの間にか肩に宛がわれていて、とんとんと規則的なリズムを刻んでいた。
完全に寝かしつけるつもりだ。きっと僕が寝入るまで、彼女はそのままなのだろう。そう思って大人しく目を瞑ろうとしたときに、あ、と小さな声がした。
「そうだ、何か歌って進ぜよう!」
「……なに、こんどは子守歌?」
「まあ、そうとも言う」
思わず小さな笑い声が漏れて、しかしそれは千束の手のひらで塞がれた。むぐぐ、と籠った僕の声を知らんぷりして、彼女は天を見上げる。何を歌ってやろうかと、そう思案を巡らせているように。
そこから暫しの空白の後、そだ、と声がする。
またこちらを見下ろして、そして彼女はにんまりと微笑んだ。
「さっきから聞いてりゃ隼矢さん
そう言って、小さな咳払いをする。そのまま彼女は顔を上げて、息を吸う音が微かに聞こえた。
そして、彼女は歌い始める。それは僕だけに聞こえるような、小さな声だった。
――Moon river, wider than a mile,
――I'm crossing you in style, some day.
ゆったりと穏やかな歌声が、空間を満たす。僕の頭を撫でる手も、ただただ愛おしむように動き続けていた。
どこかざわついて、浮足立っていた心の部分が、平らかになっていく。醒めきっていた思考も確かに緩んで、沈んでいくようだった。
気づけば僕も、そこに声を載せていた。無意識の中、千束の歌に己のそれを編んでいく。
それに気づいたか、驚いたように僕を見下ろして、しかし千束も歌を止めることはない。
――Two drifters, off to see the world,
――There's such a lot of world to see.
僕たちは、歌い続ける。二人だけの声で世界を埋めて、そのほかの音はもはや聞こえなかった。
――502号室の夜は、ただゆっくりと更けていく。
そして次第に輪郭を失っていく意識の只中、僕を見る千束の。
そのどこまでも優しい琥珀色の虹彩が、ひどく心の中に残った。
【祝】リコリコ新作アニメーション制作決定!
いやー、凄い嬉しいです。マジで。
しかし二期とは言ってないんですよね。映画かな? 二期ならそりゃもう跳び上がるほど嬉しいですが。
あと2/11のイベント、ハワイから帰った後に千束がたきなを例の「Bar Forbidden」に呼び出して……という流れの朗読劇がありまして。
ああ、たきな救われたなぁ、というか、報われたなぁ、と思いましたね、あれ聴いて、というか見て。
閑話休題。
このエピローグは、完全に自分の趣味ばっかでした。
使った曲は以下の二つ。
1. Fly me to the moon
こっちはエヴァのエンディングだったりしたので知ってる人は多いかも。
2. Moon river
「ティファニーで朝食を」の劇中歌。オードリー・ヘップバーンが歌っています。
ただどちらも今ではジャズのスタンダードナンバーなので、そっちの印象が強いですけどね。
共通点は、「月」。満月の夜、青白い光。それとマッチする感じのイメージです。
……そういうことで、ここでひとまずのところは更新を切り上げさせていただきます。ここまでお付き合いくださいありがとうございました。
あるいは、リコリコ続編が出た時にお会いしましょう。
それか、別の作品で。
(2/13 2:51) 歌詞使用のガイドラインに抵触する可能性があった部分を修正(英語歌詞の対訳を消去)