世界の背表紙で、君と踊ろう   作:厳冬蜜柑

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「同じコインの表裏」。

日常と、非日常。
地上と、地下。
平和と、動乱。



#0x04 Two sides of the same coin (原作第四話)
#0x04 Two sides of the same coin (1/2)


 梅雨を越え、いよいよ夏の暑さが猛威を振るい始めた東京も、ここのところ数週間は概ね平穏のうちに過ぎている。リコリコに舞い込んでくる「仕事」の殆どが荒事とは無縁のものなのはまさしくその証左であり、兎も角も僕たちはこの街の中において、暫しの平和とも言うべき日々を謳歌していた。

 

 そんなある日のことだ。マンションの自室の中、夕食を済ませて、そろそろ風呂にでも入ろうかと浴室乾燥にかけていた衣類の取り込みに出向いたタイミングで、手元のスマホが通知のバイブを鳴らした。

 またぞろリコリコから何かの連絡か。そう思って通知を確認すれば、珍しいアラートが入っていた。

 システム連携専用のチャットツール上で、主に検証用に使っている解析用サーバー二号機からのエスカレーションが一件上がっている。内容を改めれば、新しく試験中のアノマリーディテクション(異常検知)用機械学習エンジンが、監視中のデータから何らかの異常を見つけ出したというメッセージだった。

 

 二週間ほど前のことだ。武器取引の追跡に関する件で、クルミから相談があった。曰く、主にTorネットワークを中心としたダークウェブの巡回において、特徴的な武器相場の変動は発見できず、武器取引によって大量の武器を獲得した何らかの組織は、その大部分を抱えたままの可能性が高いらしい。しかしながら、DAという超越的な監視能力を持つ組織が辻々にまで目を光らせているこの日本という国において、大規模な武力攻撃を目論んだ一点集中型の火器運用ができる余地は、基本的にはない。

 よって代わりに彼女は、ローンウルフ型テロ、或はそれに偽装した群発的テロの可能性を危惧していた。

 この東京という街の至るところで、数挺ずつの火器を使った乱射テロの類が次々に実行される。数が少数でさえあれば、DAの監視網がそれを捉えて対処できるところを、カバーしきれないほどの数を確保して飽和的に実行することで、DAの組織的活動を麻痺させ、よって目標を達成させる。そういう計画が動いている可能性を、彼女は指摘したのである。

 

 思うに、クルミの懸念は尤もなことだった。

 ローンウルフ型テロは、事前の察知が非常に難しい。組織的な動きがないことで、計画の動線を外部から体系だって捕捉することを困難にしているからだ。

 ただし事前の下見などで、実行犯が犯行予定地をうろつくなどの小さな予兆を捉えることは、不可能ではない。

 今回僕が開発中の異常検知エンジンは、クルミの相談を受けて、そういった用途を想定して作り上げたものだった。よって機能としては、主にパブリックスペースにおいて、時間帯や季節などの周期要因と、普段からの通行者の動線のパターンを学習した上で、それと相反する動きをしている存在を「アノマリー」、つまり異常値として検出することが期待されている。

 恐らくはDAもその監視網の中で似たようなシステムを用いて犯罪の兆候を検知しているとは思われるが、僕が作った機械学習モデルはその中で特に「行動」に焦点を絞って学習を行っている。一般に機械学習モデルは、特定の目的に特化したモデルの方が汎用的なモデルよりも高い性能、そして精度を発揮する。ほんの一部であっても、DAに先んじて予兆レベルでの危険を検知するということが、今回の研究開発における一つの目標であった。

 

 因みにこのモデルの開発に際しては、その学習用データセットとして過去にクルミが興味本位で収集した日本各地の駅前広場の監視カメラ情報約十年分が提供された。それを用いての検証と改善を進めた結果、予測精度が十分な水準を達成したことで、一昨日からグラウンドトゥルースデータ――即ち実地データでの試験を始めたというのが、現時点でのステータスである。

 その対象となる映像データは、オープンデータとしての旧電波塔前ライブカメラと錦糸公園ライブカメラの二つに加えて、クルミがなぜか持っているアクセス権を利用した、北押上駅周辺の監視カメラからも取得する形となっていた。

 

 斯くて始まった試験フェーズの中、今回異常検出のアラートが上がったのは、北押上駅周辺からだった。映像データを確認すると、駅の出入り口を何度も同じ人物が出入りしていて、またほかの出入り口から出た後、再度入りなおしてまた別の出入り口から出てくるなど、確かに挙動不審と言ってよい動きをする人物が視認できた。それも複数人だ。

 

 特別にクルミから拝借してきたアプコンエンジンを使って、不審な人影が駅前ロータリーに出てきたタイミングの監視カメラ映像をアップコンバート、デノイジングする。時間帯が時間帯であるためかなり強い高感度ノイズが乗ってしまっているものの、流石はクルミ謹製エンジンと言うべきか、問題なくデノイズすることができていた。

 

 もう一度、出力された映像を確認する。

 そこには、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の姿が鮮明に映し出されていた。

 もはや何度目の邂逅だろうか。つまりそれは例の武器取引に映り込んでいた連中のそれと、同じ意匠の服装だった。

 

「……いきなり当たりを引く辺り、ツイてるんだか、ツイてないんだか」

 

 思わず、独り言ちる。

 このアラートと、それの示すところを直截に汲むのであれば、即ち近日中に北押上駅周辺、或は駅構内においてテロが起きる可能性が、決して少なくないことを示していた。

 

 

 

#0x04 Two sides of the same coin

 

 

 

 明くる日、僕は偶然見つけてしまったテロの予兆ともいうべきものへの対処をクルミと相談すべく、午前中から喫茶リコリコへと出向いていた。

 「準備中」の札がかかった店の表口から、中へ入る。ホールを見渡せば、カウンターにはいつも通りの出で立ちのミカさんがいた。視線の向かう先こそこの場所からは窺えないが、どうやら作業台に手をついて何かを覗きこんでいるらしい。

 いずれにせよ、彼はまだこちらに気づいていない。ならば僕の方から声をかけようかと息を吸ったその瞬間、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 脳裏を、幽かな危機感が刺激した。時たまの任務で音声通信越しに聞く、これは即ち――()()であると。

 意識した瞬間、弾かれたように走り出す。従業員出入口を通り、バックヤードに駆け込んで、音の主へと相対した刹那、幼い子供の声がした。

 

「ミカ……店の地下に射撃場って、お前アホなのか?」

 

 聞き慣れた声だった。そして見慣れた姿だった。

 思わず立ち止まる。視線の向こう、カウンター裏には、ミカさんと同じ何かを覗きこむクルミの姿があった。

 

「え、クルミ……?」

「ああ、おはよう、隼矢」

 

 大慌てで走ってきた僕のことを、聞き分けていたのか。まるでなんでもないことのように、彼女は僕に振り返ってそう言葉をかけてくる。

 

「クルミ、それより今の……って」

 

 問い返す僕に、彼女は手に持っているタブレット端末を突きつけた。

 

「店の地下のカメラ。この店、地下にこんなもん拵えてるとか、ボク知らなかったぞ」

 

 また連続して響く銃声は、たしかに彼女の持つそれから聞こえてきている。

 すわ一大事かと思ったが、そういうことだったか。思わず安堵のため息をついた僕を尻目に、クルミはミカさんを詰っていた。

 

「ミカ。これが普通のやつの反応なんだ。ボクだって、地下にこんな設備があるところで生活していたなんて、ぞっとしないぞ」

 

 じっとりとした目線でねめつけるクルミに、ミカさんは決まり悪げな表情を浮かべて、しかしきっぱりと反論した。

 

「それはすまなかった。……だがいい仕事には、日頃の研鑽が必要だ」

 

 防音には、金がかかったが。続けたミカさんの言葉に、クルミは処置なしだとかぶりを振った。

 

 

 

 射撃訓練を終えて地下から上がってくるリコリス二人組と入れ違いに、僕とクルミは奥間に移動する。

 

「それで、テロの予兆ってどういうことだ?」

 

 部屋に入るなり、早速と言った風情で、クルミは単刀直入にそう尋ねてきた。

 

「取り敢えず、データを確認してほしい。いつものストレージに上げてある」

「わかった。ちょっと待て」

 

 彼女はその小柄な体躯で以て急いで押し入れの定位置によじ登り、スリープにしていたマシンを起動させる。そこから程なく、彼女が向かっているモニタ上には、昨日僕が送信した画像と監視カメラ映像の二つが映し出された。

 

「監視カメラ映像、20秒から3分ぐらいまでに映ってるやつだ。あと画像はその拡大版」

 

 無言のまま、クルミはファイルを操作する。昨日僕が確認した不審な人影が、改めて彼女のPC上で再生された。

 

「……たしかに、あの写真のやつと同じだな」

「まあこの色のツナギ自体はそこまで珍しくもないとは思うんだが、動きの不自然さがな……」

 

 拭いきれない疑念が、言葉となって口から出た。クルミも真剣な表情で頷く。

 「地下鉄駅構内でのテロ」。それは我々警察の人間にとって、過去にこの国で実際に起きたとある衝撃的な事件とほぼ同義語となっている。

 即ち、()()()()()()()()のことだ。僕はまだ生まれていない頃の話ではあるが、公安も含めた警察内部では研修などのテーマに最もよく採用されている、ありがたくない意味でなじみの深い出来事だった。

 

 ――というか、その時DAはどうしていたんだろうか。ふと、そんな疑問が浮かび上がった。

 あの事件は、現代におけるDAの能力から考えれば到底起こり得ない性質のものだ。ならば人員が足りなかったか、実力に不足があったか、或は今とは活動方針が異なっていたのか。

 ただまあ、それを今如何することに意味はあまりない。集中するべきは、目の前のことだ。

 

「僕らの先入観的には、どうしても毒物の可能性を捨てきれないんだけど……」

「いやしかしこいつら大量の武器を抱えているんだぞ? わざわざ毒ガス使うか?」

 

 クルミの反論はもっともだ。となれば、やはり彼らの狙いは一つのところに帰着するのだろう。

 

「駅構内で銃を乱射、がまず一つか。それ以外なら、駅構内とか、車両にしかけた爆弾テロとか、そんな具合になるのかな」

「ま、そんなところだな」

 

 クルミが首肯する。しかし後者はともかく、僕は前者について少しばかりの疑念を抱いていた。

 

「爆弾テロはともかく、集団での銃乱射テロなんて、そんなのDAが見落とすか? 銃が千挺どっか行ったばっかなんだぞ今」

「なるほど? 言われてみればそうだな。ってことは、こいつら日本の事情をよく知らないんじゃないのか? もし真面目にテロを計画してるとすれば」

 

 クルミの指摘に、暫し考え込む。

 日本語圏のダークネットには、常々ある一つの噂が流れている。つまり、日本で何か組織的犯罪を計画した連中は、それを未然に察知され、何者かに「消されている」という風聞だ。

 国外においては政情不安と言うことも手伝ってか、一定程度のテロや銃の乱射など痛ましい事件が日々起きているのに、日本ではそれはおろかちょっとした刃傷沙汰ですら滅多に聞かない。確かに日本人の性質や、銃規制の強い国の法律の影響は少なからずあるだろうが、まるで漂白されたかのように不気味なほどの平穏さを誇る日本の治安は、言われてみれば不自然というよりない。

 無論公安の人員である僕は、それがDAという治安維持機構の徹底的で、ある種抑圧的な保安活動によるものだと理解しているが、しかしそういった事情を知らない人間でも、このある種の不自然さになにがしかの違和感を覚えることは、ないこともないだろう。

 そして武器取引から始まる一連の騒動は、その日本の体制に真正面から喧嘩を売る行いだ。武器取引自体は何らかの幸運が手伝ったかうまく行ったようだが、しかし同じ幸運がそう続くわけがない。……何か、より強い力を持った組織の介入でもあれば、話は別かもしれないが。

 

「一応、僕の『職場』にエスカレだけはしようと思う。ただ多分、DAも動き自体は捉えるはずだ」

「そうだろうな」

 

 クルミが同調する。ただしどうしても一つだけ、引っかかるものがあった。

 

「地下鉄の駅構内は閉鎖空間だ。……銃乱射だけじゃない、やっぱり爆発物とか毒ガスの効果は大きい」

 

 ん? とこちらに目を向けた彼女に、僕は続けた。

 

「何らかの理由で『しくじった』時の逃走用に、小規模の爆発物とか、毒ガスの発生装置が仕掛けられる可能性は、やっぱり否定できない気がするんだ」

「……とすると、時限作動式じゃなくて、遠隔作動式、ってことか」

「恐らくは」

 

 頷いて、更に言葉を重ねる。

 

「……DAは、気づくと思うか?」

 

 訊ねた僕に、クルミはあっけらかんと答えた。

 

「分からん」

 

 言いつつ、彼女はどこか皮肉げな笑みを浮かべる。

 

「極論テロ事件を被害のない形で収束できれば、ヤツらとしては満足なんだ。多少の爆発物程度、隠蔽するのは訳ないと、見逃す可能性はありそうだな」

 

 見透かすような、斬って捨てるような物言いだった。

 その言を聞いて、僕は考える。当日にDAが実際に何を察知して、どのような手段で不埒なる輩の企みを潰そうとするかは分からないまでも、彼らが隙を見せるのであれば、埋めることを考えるべきだろう、と。

 DAに手を貸す形になるところに思うものがないわけではない。しかしここまではっきりと見えている脅威に対して何もしないのは、僕の本来の任務からしてもあり得ないことだった。

 ならば、ここは一つ手を打とう。思い立って、クルミに向かって呼びかけた。

 

「クルミ」

「なんだ」

「一つ……いや二つ、ガジェットを用意してほしい」

 

 黙って続きを促すクルミに、求めるガジェットの技術仕様を説明する。頷きながら聞いていた彼女は、僕が話し終えるなり、ニッ、といたずらっぽく笑った。

 

「面白いな、それ。……わかった、明日には用意しよう」

 

 

 

 一度自宅に戻り、上長に「報告」を行う。武器の行方についての中間報告と、近日中に起こる可能性がある北押上駅構内でのG事案が疑われる動きについて、手短にまとめたメールを送信した。

 その返答はすぐに来た。曰く、件の「パートナー人員」、つまりDAの情報部に常駐している公安の連絡員からも同様の報告が上がっており、DA側が推測しているテロの実行予定時刻周辺において北押上駅のロックアウトを行い、多数のサードリコリスを使った強襲作戦によって、今回のテロを企てた武装勢力の実力による排除を行うという決定が下されたそうだ。

 そして作戦決行の時刻は、明日の午後六時。それはつまり、僕が想定していた時間的猶予など、そこにはないということを示していた。

 

 とりあえずの手当として、上長経由でDA側に対して、こちらが持っている懸念点についての連絡と、当日の昼前後に北押上駅構内で「作業」を予定していること、そしてその「仕込み」への対策として、突入部隊のサードリコリスたちには()()()()()()()()()()()()()()ことを推奨する旨の提案を行うようにと願い出る。

 果たしてその提案はすぐに承諾され、至急連絡員を通してDA側に通達されることになった。そして僕には結果については追って報せること、更には「作業」についてはDA側の返答がない場合にも実行してよい、との指示が下された。

 つまりそれは僕にとって久しぶりの、リコリコの一員としてではない、個人としての指令がやってきたことを意味していた。

 

 明日は、特に明日の昼は勝負になる。改めて、僕の中に実感が芽生えた。

 ならば必要となるのは、入念な事前準備に他ならない。そしてその「準備」の中で、全てに先んじてなすべきは何よりリソースの確保だった。

 馴染みの、と言うには些か間が空いたが、前回――四月のときと同じく、「市ヶ谷」の担当人員に連絡を取る。リソース(資源)と言うが、それは当然に人とモノ、双方の意味を含んでいた。つまり彼らに依頼するのは、「蛍光灯交換」の作業員に扮した施設科の隊員の派遣と、エアロゾル噴霧可能な「とある薬品」の融通の、大きく二つである。これが仕込みのうちの一つだった。

 無論、北押上駅構内での「作業」の承諾を取るための、事前の根回しも忘れてはならない。地下鉄の運営会社に公安を名乗って連絡を取り、明日の昼に作業員に扮したこちら側の人員の構内入場と、「蛍光灯交換」の業務の実施についての認可を取り付けた。

 そして最後に、クルミに対する発注内容の修正を依頼する。DAからの情報によって、テロが実行されると予測されるホームの位置については限定され、配備する必要のあるガジェットの量は減らせるようになった。しかし一方で、明日終日中ではなく明日の午前には物資の調達が必要となる故に、特急での作業依頼とせざるを得なくなっていたからだ。

 二つを天秤にかけても、トータルではやや厳しめの要求ではある。しかし対する彼女は力強く「任せろ」と返答を寄越してきた。相変わらずの剛腕だ、と僕は一人笑った。

 

 一連の連絡と、それに対する返答への確認を済ませたあたりで、辺りはすっかり暗くなっていた。

 そしてそこにきて僕は、夕飯の用意をすること全く忘れてしまっていることにようやく気づく。

 外食なり宅配なりで済ませるのがいいかとも思ったところで、どうせならリコリコのまかないでもたかりにいくか、などと貧乏性なことを思いついてしまった。たしか今日は閉店後のボドゲ会はない日だったはずだが、クルミの夕飯に相乗りする形で、ミカさんに何かを作ってもらうことはできるだろう、とも。

 

 そういうことで、善は急げとばかりに小走りにリコリコに向かう。

 自宅からリコリコまで、徒歩にしても大体二十分前後で着く距離ではあるが、出発時間が出発時間だったこともあって、現地につく頃には夜九時を回っていた。千束さんやたきなさんはとっくの昔に帰ってしまっているだろうし、或はミカさんすらも店にはもういないかもしれない。

 少しばかり焦って入口の扉を開けると、僕のそんな危惧とは裏腹に、煌々と明かりが照らす店内で、しかし制服姿の千束さんが途轍もない剣幕でカウンターに向かって何かを詰問している姿が目に入った。

 

 これは一体どうしたことか。

 そう思うより一歩早く、からん、と鳴ったドアの鈴を耳聡く聞き分けた千束さんが、勢いをそのままにぐるり、とこちらを向いた。視線の圧に当てられて、半歩後ずさってしまう。

 

「ど、どうも……」

 

 ぎこちなく挨拶する僕に、彼女は眦を釣り上げたまま、鋭い声で問いかけた。

 

「ねえ隼矢さん! たきなが()()()()()穿()()()()んだけど! どう思いますこれ!?」

 

 

 

 反射的に、脳が理解を拒絶した。

 

 一秒、二秒。彼女が何を言ったのか、無理やりにでも咀嚼する。

 「()()()()()()」、「()()()()()()」、「穿()()()()()」。もう一度脳内でその言葉を諳んじた後、僕は千束さんに問い返した。

 

「トランクス……って、下着の?」

「そう、下着! 男物の!」

「あ、そう……そもそもどうやって確認したの? それ」

「そりゃスカートめくって……あ」

 

 言った直後、彼女は自らの失策を悟ったらしい。口に両手を当てた後、気まずそうに、僕から目を逸らす。

 

「……何というかだけど、まずはたきなさんに謝るべきじゃない? 同じ女性だろうと、やっていいことと悪いことがあるでしょう」

「そう、だね……」

 

 頬を搔きながらそう呟いた千束さんが、たきなさんに向き直って、勢いよく頭を下げた。

 

「ごめん、たきな! つい勢いでやっちゃった」

「……いえ、まあ。そんなに気にはしていませんが」

 

 なんとも言えない声色で、たきなさんが千束さんを許す。てへ、とばかりに頭に手を当てながら顔を上げた千束さんは、そうじゃないんだった、と言いつつももう一度僕の方を向いた。

 

「まあ……それで、実際どう思う? 男物のトランクスって」

 

 また、矛先が僕に向かう。何ともデリケートな質問が来たものだ、と内心冷や汗をかく。言葉を選びつつ、僕は口を開いた。

 

「まあ、トランクス自体は悪い下着じゃない、とは思う。通気性はいいし、代謝量の多くて体温の高い若者なら、そう悪い選択じゃないんじゃないかな」

 

 たきなさんの自発的な選択の可能性もあるから、あまり強い言葉は使えない。ただ、どうしても懸念点はある。

 

「ただ、男物のトランクスって……その、前が、ね」

 

 はてな、と首を傾げていた千束さんだが、数秒後に僕の言わんとするところを理解したらしい。次第に顔が紅潮してきたのが見て取れた。

 これは、まずったか。内心に焦りが広がる。

 

「あの、ごめん、別にやましいことを言ったつもりじゃ」

「わかってるわかってるわかってるぅ! ちょっと黙って!」

「あっはい」

 

 強引に遮られ、押し黙る。あまりにも気まずい沈黙が、場を支配した。

 そのまま十秒ほどの時が過ぎて、しかしなお誰も何も言おうとしない。

 否、言えないのかもしれない。ともかくこの、まさに死んでいるとしか言いようがないこの場の空気を何とか浮揚させようと、千束さんの顔色を窺いながら、僕は声を上げた。

 

「その、そもそもたきなさん、どうしてトランクスを……?」

 

 たきなさんに問いかけると、彼女はつ、とミカさんの方に目線を向けた。

 

 話を総合すると、つまりはこういうことらしい。

 たきなさんがこの店のホールスタッフになるにあたって、ミカさんに対してドレスコードを訊いた。対してミカさんは制服の支給は行うから、下着だけは自前で持ってくるようにと彼女に答えたのだとか。

 根っからのリコリスである彼女は、基本的に私物の服を持っていない。リコリス制服のほかには、申し訳程度の部屋着、それに寝巻と、その程度しか手持ちの服がなかったそうだ。

 そういうわけで、彼女はミカさんに一つの問いを投げかけた。即ち――。

 

「何かお好みの下着はありますか、か……」

 

 親密な仲でもない男性に訊くような質問ではないな、というあまりにも当たり前の感慨を懐くと同時に、それを訊かれて男物の下着を答えるミカさんもミカさんで大概だ、と思わざるを得なかった。

 

「そもそもたきなさん、リコリス棟にいた時の肌着の類は、持ってきてないの?」

 

 そう訊いた僕に、彼女はふるふると首を振った。

 

「ないですね。リコリス棟の時は、下着に至るまですべての衣服を支給されていましたから」

 

 無断拝借は、出来ませんよ、と付け加える。

 相変わらず、良識的で模範的、正論を旨とする彼女らしい言い草だった。世情に致命的に疎いのが玉に瑕ではあるが。

 

 一頻り彼女の言い分を聞いて、千束さんが特大のため息をつく。手に負えぬとばかりに首を振って、カウンターに凭れ掛かっていた身を起こした。

 そのまま二歩三歩と出口の方へと歩いた彼女は、そこでくるりと振り返り、たきなさんに言い放った。

 

「明日の十二時、駅に集合」

「仕事ですか」

「んなわけないでしょ今の話の流れでぇ!」

 

 そう吼えた彼女が、もう一度呆れ交じりのため息をつく。二、三度と首を振って、その表情のままに言葉を続けた。

 

「たきな、服買いに行こう。パンツも」

「私の、ですか」

「あったりまえでしょ、それ以外に誰がいるってのよ」

 

 はあ、と今度はたきなさんが気のない返事をする。着飾るという行為に対して全くなんの興味も持っていないあたりは、つくづく彼女らしい。

 そんな手応えのないたきなさんの反応にくらりと来たようなリアクションを取った千束さんは、一瞬だけ目を瞑って、そしてもう一度繰り返した。

 

「とにかく、明日の十二時、駅に来て」

「わかりました」

「あ、制服はダメだかんね。私服ね私服」

 

 念を押すようにそう言って帰ろうとする彼女だが、忘れていないだろうか。

 

「あの、千束さん」

「ん? 何? まさか隼矢さんも一緒に来たいとか?」

 

 振り返りつつ、茶化すような口ぶりで言ってくる彼女に、僕は首を振って答えた。

 

「たきなさん、そもそもまともなよそ行きの服持ってないよ。どうするの?」

 

 びしり、と音すら聞こえるような見事さで、千束さんが固まった。

 数秒ほどそのままの姿勢でフリーズした末に、あーそうだったー、などと口の中で呟く。ぎぎぎ、とこれまた音がしそうなほどぎこちなく、たきなさんに向き直った。

 

「とりあえず、制服以外なら服さえ着て来てくれればいいから。超特急で服を見繕おう、うん。それがいい」

 

 そう言って、そうだ、ともう一度僕の方を向く。

 

「さっきはあれだったけど、隼矢さん、ほんとに一緒に来ない? たきなの初めての服選び、男の人の目線があってもいいかなぁ、って思うんだけど」

 

 割と真剣な表情で、彼女は僕を誘う。

 

 見目麗しい少女二人の買い物の付き添いだ。客観的に見れば、何とも魅力的な誘いではあるだろう。

 ただ僕にとって明日は、明日の昼は、絶対に外せない「仕事」の日だった。

 ぱん、と手を合わせて、頭を下げる。

 

「あー……すっごく魅力的なお誘いなんだけど、ごめん。明日、僕仕事で。昼の二時ぐらいからなら、時間あるんだけど……」

 

 そっかー、と残念そうな顔で断りの文句を聞いていた千束さんだったが、しかし僕の「昼の二時」という言葉に、ぱっと目を輝かせた。

 

「昼の二時? そっか、それじゃ、そのあたりで合流しない? 買い物だけじゃつまんないし、たきなとそこら辺ぶらぶらしようと思ってたんだ」

 

 それは思いがけない提案だった。彼女の言が確かなら、それは目的もない、単なるお出かけだ。言ってしまえば千束さんは、彼女自身のプライベートの時間を、僕とも一緒に過ごそうとしている。たきなさんと、一緒に。

 それはなんとなくむず痒くて、でも悪い気はしなかった。

 どう? と目で尋ねる彼女に、一つ頷く。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 

 その言葉を聞くが早いか、出入口から今にも外へ出んとしていた姿勢の彼女が身体ごと向き直り、少しだけ僕の方へと身を乗り出した。

 

「っ……! うんうん! そいじゃ、明日午後二時ね!」

 

 僕の目にはあまりに眩しい笑顔を浮かべ、ひらりひらりと手を振って、そして彼女はそこでようやく、この店から去って行った。

 合流場所は後で送るからー! と、そんな言葉と共に。




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