世界の背表紙で、君と踊ろう   作:厳冬蜜柑

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裏と、表と、また裏と。



#0x04 Two sides of the same coin (2/2)

 その日は、言うなれば勝負の日だった。都合三か月強もの長きに亘って追い続けてきた武器取引に関わった連中の尻尾が、ようやく手の届くところまで来たかもしれない。それはまさに千載一遇のチャンスと言えた。

 朝九時にセットしたアラームで起きた僕は、朝食を摂りながらもクルミに連絡をする。発注していたガジェットの所在を問えば、リコリコの勝手口に、キャリーバッグにまとめた形で置いてあるとのことだった。

 

"気張れよ、隼矢"

 

 個人チャットに言葉少なに書かれたその激励の言葉に、僕はクルミの確かな気づかいを感じた。午後からの千束さん達との合流にも耐えるオフィスカジュアル調の麻地のサマージャケットに袖を通して、僕は戦地へと赴くような心持ちで、自宅を発った。

 

 

 

 現場に向かうその直前、一度リコリコに立ち寄って、指示された通りの位置に据えられていたキャリーバッグを手に取る。

 この中に入っているものこそが、今回僕が仕掛けることになる二種類のガジェットだ。それはつまり連中の企みを打ち砕いてその姿を光の下に引き摺り出すための、さながら銀の弾丸とも呼ぶべきものだった。

 

 軒先で軽くその中身を改めてから、足早にリコリコを発つ。駅に着いてからの作業時間は、朝十時半から昼の一時半までの三時間を予定している。比較的余裕を持ったタイムスケジュールではあるが、当然にして万が一にも失敗は許されなかった。

 

 

 

 そういうわけでまずは午前十時、「作業員」の人たちと北押上駅近くの旧電波塔下複合商業施設にあるカフェで落ち合って、作業の流れの最終確認を実施する。それぞれの人員の動線を整理し、人数分コピーした構内図の上に、各員の初期配置と作業順についてプロットをした。結線後の動作確認を込みにして、何のトラブルもなくうまく作業が進めば、作業時間は二時間半前後となる。つまり予定している終了期限には十二分に間に合う計算だ。

 作業の手順書を含めた最終確認を終え、午前十時二十分、カフェを出発する。五分後、北押上駅D3出入口*1から構内に入り、改札へと向かった。

 

 後ろに「作業員」をゾロゾロと従え、いかにも作業監督者ですといった面持ちで改札窓口に進み出る。怪訝そうな顔でこちらを見る駅係員に、交付された本物の作業員用入構証と、併せて「証票」を提示した。眼前の係員が、一瞬だけ目を瞠る。しかしその直後、お疲れ様です、の声とともに一礼、窓口からこちらへと出てきた。それから程なくして、彼の手によって作業者用出入口の鉄柵が開かれた。

 

「ありがとうございます」

 

 声をかけて、入構する。向こうも始業時に話を聞いていたのだろう。もう一度黙礼を返してきた。

 DAからの情報によれば、テロの標的となるのは北押上駅1・2番線ホームで、それはD3出入口から降りてすぐの場所にある。階段を降り、現場へと入った。「作業員」の人たちは持ち場に入りつつ、偽装された業務である「蛍光灯交換」の辻褄合わせのため、本物の交換用蛍光灯を各々取り出した。

 

 さあ、作業開始だ。手に持ったキャリーバッグを開く。

 中に納められているのは、バッテリー駆動、小型でありながらそこそこの出力を誇る、通信機能抑止装置だ。民生用周波数帯全てと、ごく一部の軍事用周波数帯に対する妨害電波を発出することができ、凡そ個人で入手可能なあらゆる通信体が発する電波による通信をシャットアウトする。これこそが、第一の仕掛けだった。

 筐体の小ささと、発する電波の多様性が災いし、それぞれの最大有効半径は十メートル程度とこの種の機械にしては短いものの、一機で直径にして二十メートル、およそ電車一両分の範囲をカバーできることを考えれば、今回の用途には十分すぎる。たとえ遠隔操作式の爆破装置などがあった場合でも、これによってその起動は確実に抑止できる計算だ。

 

 用意した数は十六個、それぞれを等間隔に、交換する蛍光灯の裏に貼り付けて設置する。曲面で構成される蛍光灯に貼付するための準備にやや手間取ったが、設置自体は二十分程度で完了した。

 

 とはいえ、この機器は電源投入と同時に作動するようには作られていない。

 理由は単純だ。電源を入れた状態で設置する以上、常時妨害電波を発出する構造では現時点の駅構内で誰も携帯電話が使えなくなってしまう。それは「誰にも気取られないこと」こそを旨とすべき我々の「仕掛け」の在りようにとっては致命的な問題であり、絶対に避けなければならないことだった。

 

 故に今回、設置する装置に対しては一つのカラクリが仕込まれている。

 つまるところそれは、()()()()()()だ。指定デシベル数以上の音を指定秒数間感知することで、自動的に装置が起動、妨害電波を発出することになっている。

 こちらもまた、その目論むところは明確だ。即ち、銃の乱射による騒音を峻別することで、武装集団が犯行に踏み切ったタイミングを見計らった効果的な通信抑止を実現するためだった。

 

 ちなみに、今回の仕掛けにあたって設定した具体的な閾値は、「130デシベル」を「十秒間」となっている。これはジェットエンジンの駆動音と同程度の騒音であり、ライフルの掃射が出すとされる150デシベルからすれば四分の一程度の音量であるとはいえ、それは日常の地下鉄駅構内においては到底出るはずのない轟音であり、安全マージンを確保した十分な境界値設定であると言えた。

 

 斯くて一つ目の仕掛けを施したところで、その次に僕はもう一つのガジェットを取り出した。

 時限式のエアロゾル噴霧装置だ。取り付けた高圧缶に貯蔵されている液化ガスをエアロゾルの形で散布する、非常に単純な構造をした機械と言える。

 ただしこちらも作動条件に工夫をしている。

 条件として指定したのは、音感センサーと時限装置の組み合わせだ。通信機能抑制装置と同じく130デシベルの音を十秒間感知したのち、しかしこちらは二分三十秒後に噴霧を開始するようにプログラムしてある。

 

 これはDAからの要請によるところであった。もともとは通信抑止装置と同時に作動させる予定であったところ、リコリスによる制圧作戦のために時間の確保を要求されたのが、事の経緯だ。

 「防毒マスクの装備」を要請した分そこの問題はクリアされているものと思われたが、どうにもDA側は急な申し出だったこともあり、人数分の防毒マスクの用意ができなかったらしい。最低でも一頻りの敵を一掃し、ダメ押しの形での装置の起動を求められた妥協の産物でもあった。

 

 そしてエアロゾル噴霧装置に取り付ける薬品は、高比重な無害ガスであるアルゴンにより希釈された、フェンタニル系麻薬を主成分とした無力化ガスとなっている。これを噴霧することで敵武装集団の的確な無力化を実施しつつ、もし万が一手動による方法などで毒ガス攻撃が行われた場合でも、比重の差による対流で毒ガスを上方に追いやりつつ生存空間を確保することを可能にしている。

 こちらは、六基を用意した。これをそれぞれ空調の吹き出し口の中に潜ませれば、設置作業自体は完了となる。

 

 

 

 一通りの取り付けが完了したのは、午後一時を過ぎたころだった。カモフラージュのためにホームの全ての蛍光灯を交換し終えた作業員を含め、全員で集合する。

 即ちそれは段取りの最後、動作チェックの実施のためだ。無力化ガスの高圧缶は引き抜き式の中栓がまだ入っているためガスの噴出はないが、それ以外の動作について一連のリハーサルを行い、動作条件や結線に問題がないかの最終確認を行う。ある意味最も大事な工程でもあった。

 

 取り出したのは、20kHzの高周波音を発するスピーカーだ。人間の可聴域ギリギリのそれであれば、テストに使う130デシベルの大音量であっても、雑踏の中に埋もれ、意識されることはない。テストにはうってつけのものと言えた。

 手持ちのスマホを取り出し、脚立の上に乗る。エアロゾル噴霧装置が仕込まれた空調吹き出し口の近くに陣取り、作動音が聞ける状態にする。そこまでやって、周囲にいる作業員に目配せをした。

 即ち、動作試験開始の合図。目を向けた全員がそれぞれ確認のための姿勢を取ったことを確認して、スマホのストップウォッチアプリを起動してから、徐にスピーカーのスイッチを入れた。

 

 途端に耳に、どうにも形容のしがたい不快感が重く残る。20kHzの音波が、130デシベルの大音量で鳴り響いているのだ。音自体はほとんど聞こえずとも、すさまじい圧力なのは間違いない。こめかみに手を当てて耐えながら、待つこと十秒。手持ちのスマホの電波表示が、圏外へと変わる。通信抑制機能は問題なく働いていた。

 いかに音としては感じにくいとはいえ、いつまでも間近でこんなものが鳴っていては頭がおかしくなる。速やかにスピーカーの電源を切った。

 兎も角も、妨害電波はこの後十分間に亘って発し続けられることになる。スマホのストップウォッチ機能で、引き続き時間を測る。

 

 その次は、二分三十秒後のことだ。空調の方に耳を傾けると、空気の抜けるような音と共に、空調のそれより強い風が中から吹き付けてきた。噴霧装置の方も、無事作動したようだ。他の確認中の作業員からも、手振りで確認OKのメッセージが返ってきていた。

 

 そして最後、その七分三十秒後に無事に通信が回復したことを確認できれば、通しとしては問題がない。噴霧装置のタイマーをリセットし、高圧缶の中栓を抜いて、そこで全工程は終了となった。

 終了時刻は一時二十五分。予定していた作業時間にほぼ沿った、完璧な仕事だったと言えた。

 

 

 

 D3出口から外に出て、作業員の皆さんとはそこで解散、同時に上長とDAのホットライン相手に終報を打つ。双方から確認した旨の連絡をもらい、これで当面の任務は完了だ。後はDAが、リコリスが仕損じないことを祈るのみとも言えた。

 

 深呼吸を一つ、意識を切り替える。これから先は、何もなければオフの時間だ。

 

 

 

 用事が終わったことを千束さんに連絡すると、返信はすぐに来た。その文中、彼女は待合場所として、旧電波塔近くのオープンテラスつきのカフェを指定してきた。曰く、地中海系のスイーツを多く提供するその店に、おやつを食べにいくと。ご丁寧に地図情報までつけてくれた彼女に礼を言いつつ、足早にそちらへと歩を進めた。

 

 僕が現地に到着したとほぼ時を同じくして、千束さんとたきなさんが道の向こうから現れた。

 まずは、千束さんの方だ。黒のタンクトップに白のホットパンツ、それを赤い長丈のサマーコートの上から、ストレッチベルトで留めている。普段からファッションに敏感な彼女らしい、自分の魅力を最大限に引き出す服装だった。

 そしてその次、たきなさんにも目を向ける。

 それはつい今しがた買い揃えたであろう服装だった。ライトグレーのブラウスに、脇に濃紺のワンポイントが入った、白いフレアスカートを合わせている。これは千束さんのコーディネートだろうか。まじまじと見つめていると、千束さんがこちらに歩み寄って、どこか満足げな表情で言った。

 

「どうよ、たきな。めっちゃ可愛いでしょ!」

「……これは、千束さんが?」

 

 うん、と満面の笑みで頷く彼女を横目に、もう一度たきなさんに目を遣る。

 色彩単体としてみればどちらかというと秋冬寄りの趣がなきにしもあらずではあるが、しかしたきなさんの抜けるような肌の白さと黒髪のコントラストのちょうど中間に挿し込まれたようなそのカラーアレンジメントは、まさに彼女のために誂えたものかのように、その楚々とした出で立ちにとてもよくマッチしていた。

 

「……うん、すごくいいと思う。千束さん、さすがだね」

「それほどでもある!」

 

 まさに鼻高々と言った様子の千束さんに、つられて僕も笑みを作る。

 

「よかったね、たきなさん」

「あ……はい、ありがとうございます」

 

 あまり服飾には明るくなさそうなたきなさんも、満更でもなさそうな顔をしていた。

 

 

 

 一頻りたきなさんの新たな装いについて語り合った僕たちは、そのまま待ち合わせ場所のカフェのオープンテラス席に腰を落ち着けた。

 無論、食事を注文することも忘れない。昼抜きで朝から作業をしていた僕にとっては遅めの昼食と言ったところで、トーストをはじめとした軽いランチセットをオーダーする。

 

 果たしてもう一方、目の前の彼女たちはどうかと千束さんの方を見れば――何と言うべきか、彼女は店員に向かってなにやら()()()()()()()()を唱えていた。

 

「名前からしてカロリー高そうですね……」

 

 それが何らかの注文だったことを辛うじて理解できたのは、直後のたきなさんのその感想が聞こえたからでしかない。

 というか、たきなさんは千束さんが何を注文したのか聞き取れたのか。そんなどこか的外れな感想すらも懐いた。

 

「そもそも僕には何を言ってるのかすら理解できなかったわ、今の」

 

 僕たちの言葉に、右手に座る千束さんは興が削がれたかのようにため息をついて、そして言い募る。

 

「まったく、分かってないね君たちは。女の子ってのはね、甘いものにはとことん貪欲であっていいのだよ」

 

 すかさず、たきなさんが反駁した。

 

「寮の食事もおいしいですけどね」

「そりゃね。あの料理長、もともと宮内庁の総料理長だったらしいし」

 

 そこまで黙って聞いていれば、なんともまあ面白い情報が落ちてきたものだ。公安捜査官としての情報の価値はほぼゼロに等しくとも、DAのそういう些細な裏事情は、ある種の野次馬根性に対してはとても響くものではあった。無論それは僕にとっても例外ではなく、対面してあれこれと言い合う彼女たちの会話に耳を傾けながらも、僕はDAの懐事情の想定外の豊かさにひとり思いを馳せていた。

 

 

 

 リコリス二人の、ある種かしましいやり取りを横目に一頻りの食事を終えて、斯くて僕たちは千束さんの先導のもと、次なる目的地――彼女曰くの「いいところ」へと足を向けた。

 

 カフェを発ってから十分としないうちに辿り着いたのは、またしてもと言うか、旧電波塔の複合商業施設だった。僕が今朝業務の準備のために陣取って、そして彼女たちも服と肌着の購入のために立ち寄った場所だ。つまり結果的に全員出戻ってきた形になる。

 ただ、今回は行先の階が違う。エスカレーターをいくつか乗り継いで上へと昇ってゆき、その先にようやく、千束さんのお目当てが姿を見せた。

 

 

 

「いいところって、ここですか」

 

 中に入り、そこにある()()()を眺め、たきなさんは千束さんにそう問いかける。

 

「うん。綺麗でしょここ」

 

 私すきー。冗談めかして、千束さんはそう答えた。

 

 

 

 ――押上水族館。青色を基調とした、アクアリウム様の展示ブースが特徴的な、完全屋内式の水族館だ。聞けば千束さんはこの場所が大のお気に入りらしく、年間パスポートまで持って、結構な頻度でここに通い詰めているらしい。

 どこまでもアウトドア趣味で、活発なアクティビティが好きなようにも思っていたが、彼女にはこんな一面もあるのか、と。どちらかと言えば静けさを好む僕からしたら、なんだか共通点を見つけたような気がして、それが少しうれしかった。

 

 

 

 その後は、タツノオトシゴの展示水槽で、種の進化の合理性を追求しようとし始める相変わらずのたきなさんに千束さんが辟易としていたり。

 また或は押上水族館の名物、チンアナゴのアクアリウムで、何を考えたか全身でチンアナゴの真似をし始めた千束さんを、今度はたきなさんが窘めたり、と。

 そんな調子で少女二人が和気藹々としたやりとりを楽しむ姿を、僕は後ろから静かに眺めていた。

 

 

 

 そして今、僕たちは一つの水槽の前へとやってきている。

 「小笠原大水槽」と銘打たれたそれは、小笠原諸島の海洋をモチーフとしたこの水族館のメイン展示だ。

 

 広がる一面の青い色彩が、僕たちの視界を支配する。意図的に落とされた照明と相まって人の気配すらも塗りつぶされたこの場所は、ただずっと、どこまでも静かな世界を作り出していた。

 

 そんな、時間すらも忘れさせるが如くのこの空間に一人佇んでいると、不意に後ろから相変わらずのチンアナゴの舞を踊りながら、千束さんが僕の横に立ってきた。

 そのままこちらを覗きこんで、僕に問いかけてくる。

 

「どう? 隼矢さん。楽しんでる?」

 

 一瞬だけそちらに目を向けたあと、彼女の方に向き直ることなく、一言だけ答えた。

 

「うん。楽しいよ」

「……それにしては、静かだなって。私今日全然隼矢さんと話できてない」

 

 僕自身には何の屈託もなかったが、しかし彼女にとってはお気に召さない答えらしい。拗ねたような声が、横から浴びせられた。向き直ればそこでは、千束さんがどこか不満げな様子で僕の方を見ていた。思わず、笑みがこぼれた。

 

 

 

「……静かなのがね、好きなんだ」

 

 首を傾げる彼女に、僕は答えを続ける。

 

「このすごく綺麗な場所に、静かな場所に、すっと沈んでいく感じがして。心を落ち着けて、自分と向き合えるような。そんな感じが」

 

 しばしの沈黙の後、千束さんもまた、笑顔を形作った。

 

「そっか。……実はね、私もそう。今日はたきなと一緒に来たから別だけど、いつも一人で来るときは、ここにこうして、ずっと立ってる」

 

 なんだか時間を忘れちゃうんだよねー、ここ。そんな言葉が続く。

 僕と全く同じ感慨を持つ彼女に、親近感を懐いた。

 

「たきなさんだけどさ」

 

 ぽつりと、声が漏れた。どうしたの、と千束さんがこちらを向く。

 

「すごく、楽しそうな顔をしてた。任務とか仕事とか、そんなもの全部取り払って。美味しいものを食べて、綺麗なものを見て」

 

 真っ直ぐ、彼女を見つめた。

 

「本当にすごいよ、千束さんは。ほら」

 

 たきなさんの方へ、目を向ける。壁面に飾られた無数の海洋生物と、幻想的な光の中、彼女は幼気さすらも帯びた屈託のない表情で、辺り一面を見回していた。

 

「ちょっと前までのあの子から比べたら、嘘みたいな顔だ」

 

 そうでしょ? そう問うと、一緒にたきなさんの方を見ていた千束さんが僕の方へと向き直る。んーん、と首を振って、彼女は答えた。

 

「私は、私のしたいようにしただけ。やりたいことをやっただけ。そんな褒められるようなことは、なーんにも、してないよ」

 

 彼女がそう答えると同時、たきなさんの視線が、水槽の前に立つ僕たちの姿を捉えた。足早に近寄って、彼女は近くのソファに座る。

 

「千束」

「んー?」

 

 そのまま呼びかけた彼女に、千束さんはこてん、と首を傾げた。続きを促される形になったたきなさんが、単刀直入に二の句を継ぐ。

 

「あの弾……いつから使ってるんです?」

 

 そして問われた言葉は、僕や千束さんの予想の斜め上のものだった。

 たま。玉、はないか。たきなさんの言うことだし、弾丸のことか、と。そこで思い至る。

 

 初めて千束さんが戦う姿を見た時の、宵闇に散る赤い煙のこと。彼女曰くの、「非殺傷弾」なる謎めいた物体について。

 

「……なぁに、急に」

 

 言いつつ、千束さんはたきなさんの隣に座った。

 

 話を聞くに、結局彼女が知りたいことは、なぜ千束さんが「殺し」を嫌うのか、というある種根源的な問いに対する答えだった。

 随分と回りくどい訊き方をするな、とは思ったが、しかし同時にそういうアプローチで攻めるのは、いかにもたきなさんらしいとも思えた。

 

 

 

 千束さんは、それに対して明白な答えを用意していた。きっと訊かれる機会も多いと言うことなのだろう。

 それに曰く――気分がよくない。

 

「誰かの時間を奪うのは気分がよくない。そんだけだよ」

 

 そう言って、微笑んだ。

 

 「気分?」 と訊き返すたきなさんに、千束さんもまた、「気分」とだけ繰り返す。

 誰かの時間を奪うこと。それは、可能性を奪うこと。自らの行いで、世界の可能性を狭めてしまうことを、彼女は恐れているのだろうか。嫌っているのだろうか。

 

「可能性……」

 

 漏らしたつぶやきに、千束さんが反応する。

 

「なに? 隼矢さん」

「いや、今の話を聞いて。千束さんは、『世界の可能性』を信じる人なんだなって、思っただけ」

 

 言った言葉に、千束さんは目を輝かせる。

 

「いーねぇそれ! そういう風に言われるとなんかめっちゃいいこと言ってる人みたいじゃん!」

 

 でもね。と彼女は笑った。

 

「そんな難しいこと、考えてるわけじゃないよ、私」

「『したいこと、最優先』?」

「お、覚えてるねぇ」

 

 たきなさんの言葉に、嬉し気に返す千束さん。以前にも似たようなことを話したのだろうか。

 しかしその顔にも、煮え切らない表情を浮かべたたきなさんは、さらに問いかけた。

 

「じゃあ、DAから出たのも……?」

 

 え? と怪訝な顔をした千束さんに、彼女は続けた。

 

「『殺さない』と言うだけなら、別にDAでも出来たでしょう……それも、『そうしたい』って、全部それだけ?」

 

 言うべきか、言わぬべきか。たきなさんのその問いに、少しの間逡巡する素振りを見せていた千束さんは、どこか観念したような表情で、話し始めた。

 

 ――会いたい人がいる。大事な、大事な人が。その人を、探したくて。

 言いながら、彼女は胸元に手を入れて、そこに隠されていた首飾りを取り出す。

 彼女の手の中に納められていたのは、ミミズクの意匠の、銅で出来たチャームだった。

 

 ――アラン機関、という組織がある。最近日本でもその活動を活発化させている国際的な結社だが、その謎めいた正体に比して、活動方針は単純にして明快だ。

 「困難を抱えた、世界に類稀なる才能を持った子供を、無償で支援する」。まさにあしながおじさんの寓話を世に具現化したような慈善組織というのが、世間一般が持つアラン機関への認識だった。

 彼らが選び、支援した子供――俗に「アランチルドレン」と呼ばれる人々は、皆一様にあるチャームを持っている。

 それこそが、アラン機関の標章を模した、銅のミミズクのチャームだ。まさに今千束さんが僕たちに掲げているものと、同じものだった。

 そしてそれを持つ彼らは、アランチルドレンは、何らかの才能を「アラン機関」に見出された者達だと言うことを、そのチャームは意味している。故に千束さんもまた、そうなのだろう。

 

「自分の才能が何かとか、分かるぅ?」

 

 展示ブース横の休憩エリアの中、不貞腐れた様子で机に突っ伏す千束さんが、そう僕たちに問いかけた。律儀に考えるたきなさんを尻目に、僕は彼女に問い返す。

 

「それを知って、どうしたいの? 千束さん」

「んー……分かんない」

 

 突っ伏したまま、彼女が首を振る。

 いや、違うのか。自分に眠る才能を何かに活かしたいからじゃない。彼女がその答えを知りたいのは、チャームを彼女に与えた人との唯一のつながりが、手がかりが、彼女の中にあるはずの「才能」だから、なのだろう。

 

 しかし。

 

「『やりたいこと、最優先』」

 

 つぶやいた言葉に、千束さんは顔を上げる。

 

「あるかもわからない、与えられた『答え』で、千束さんは自分の生き方を曲げられる?」

 

 見方を変えれば、アラン機関の行いとは、「答えの押し付け」だ。彼らが見出した「才能」を活かすことが、アランチルドレンにとっての存在意義になるのであれば。それは生き方の強制以外の、なんだというのだろうか。

 僕の問いかけに、千束さんはもう一度首を振った。

 

「なら、考えてもしょうがないんじゃないかな。千束さんは今まで通りに、千束さんの生き方をすればいい。その中で君の『才能』が発揮されることもあるだろうし、そうやって生きていくことこそが、そのチャームをくれた人の望みかもしれない」

 

 そうじゃないかな? と水を向けた僕に、彼女は曖昧な表情で頷いた。

 

「そう、かもね。……でも、やっぱり私はもう一度だけでも、会いたいんだ。これをくれた人に。会って、ありがとうって、言いたいんだ」

 

 そう言って向こうに見える水槽に顔を向けた彼女の目には、しかし目の前の何かを映しては、きっといなかった。

 いつの日かの追憶。郷愁。そして、思慕の念。或はそのチャームを与えた人物は、彼女にとっての初恋の人なのかもしれない。

 

 そのまま全員、黙り込む。なんとなく話しづらい空気が、僕たち三人の間を支配していた。

 

 しかしそこに唐突に、何かを決心したような表情で、たきなさんが立ち上がった。千束さんと水槽の間に立ち塞がって、そして。

 胸の前で合わせた手を伸ばし、片足を反対へと伸ばして――

 

 

 

「さかなー!」

 

 どこからどう見てもヤケクソじみた声で、彼女はそう叫んだ。

 

 

 

 今のは、なんだ。彼女は何をした。まさか魚の真似をいきなり披露したのか。理解が追いつかずただ面食らう僕を尻目に、しかし千束さんは顔を輝かせて立ち上がった。

 さかなかぁ、と感嘆の声を上げて、彼女の隣に並び立つ。

 

「チンアナゴー!」

 

 そしてそこで、またさっきのチンアナゴの真似を。そして二人、笑いあっている。

 

 さっきまでの空気は、すっかり霧散していた。たきなさんの捨て身としか思えない行動は、結果的に実を結んだ。

 そこには、眩いばかりの若さと勢いがある。たきなさんの中の何かが、今日この一日で、明確に変わろうとしていた。

 

 そんな風に、じゃれあいつつも屈託のない笑顔を互いに浮かべる二人のことをどこか微笑ましくそれを眺めていたところに、しかし千束さんがふいに僕の方を向く。

 

「ほら、隼矢さんも。ペンギン島、行くよ!」

 

 それと同時、促すように、こちらへと手が伸ばされた。そしてそれに惹かれるように、僕もまた席を立つ。そこから一歩踏み出したところで、彼女たちが飲んでいたドリンクのコップがテーブルに置き去りにされているのが目についた。

 なんだかんだと立つ鳥跡を濁さない彼女たちの珍しいミスに、少しばかり驚く。そしてそれこそが、今の彼女たちの浮ついた心を示しているようだとも思えた。

 しょうがないな、と独り言ちて、一人僕はそれを片付ける。そして小走りに、彼女たちの後を追いかけた。

 

 

 

 ペンギン島もめぐって、水族館の展示を満喫した僕たちは、夕食の場所を探すために外へと出た。

 北押上駅のロータリーを、視界の正面に据える。夕暮れの茜に染まる街の光景で、しかし横を歩く少女二人は何かいつもと違うところに気づいたらしい。頻りに辺りを見渡し、そして険しい表情を浮かべた。

 彼女たちが目線をやったところを、目で追う。次々と移っていく視線の中、しかしその全てに、()()()()()()()を身に纏い、()()()()()()通学鞄(サッチェルバッグ)を背負った少女の姿を見た。

 

「リコリス……」

 

 方々に目を配りながら、千束さんが、そう独り言ちる。

 

「なんだか多いですね……」

 

 たきなさんも、それに同調した。

 つまりこの北押上駅前という空間には今、夥しい数のリコリス制服を纏った少女たちが待機している。しかしそれは遠景で見れば日常の風景の一部に何気なく混じり合って、違和感ひとつ覚えなかった。

 なるほど、見事なものだ。女子高校生風のその制服は都会の迷彩服とは、確かによく言ったものなのだろう。そう思わされる。

 そしてそこで、ようやく気づいた。そうか、もうそんな時刻だったか、と。手元のスマホで時刻を確認する。午後五時四十五分。DAが計画している突入予定時刻の、十五分前だった。

 

「……隼矢さん」

 

 千束さんから声がかけられる。ん、とそちらを見る僕に、真剣な表情で、彼女は問うてきた。

 

「昼間の仕事って、もしかして『これ』?」

 

 「裏」の仕事の時に匹敵するほどの、鋭い眼光がこちらを射抜く。

 嘘をいう理由は、僕にはない。素直に頷いた。

 

「北押上駅構内で、テロ決行の高確度情報。DAは突入作戦を計画してる。実行予定時刻は、午後六時。十五分後だ」

 

 千束さんの隣で、たきなさんが小さく息を呑んだ。

 そして彼女は、更に問いかけてくる。

 

「何か、仕掛けてる?」

「……一応は。公安側ではあるけど、DAとしっかり連携してやってる」

 

 そっか。そう、彼女は頷いて、しかしそれでもその表情は晴れない。

 

「無理は、してないよね」

 

 念を押すような確認の声で、また問いが投げられる。

 

「前も言ったけど、隼矢さん、あなたはもう私たちの仲間なんだよ。危ない目には、遭わせたくない」

 

 大丈夫なんだよね、と。そうしつこく尋ねる彼女に、僕は笑った。

 

「流石にここから突入部隊に飛び入り参加するなんて自殺行為、するわけないでしょ」

 

 そして続けた、混ぜっ返すような僕の答えに、珍しく彼女は声を荒らげた。

 

「そうじゃなくて!」

 

 言い募ろうとした彼女を、制止する。

 

「大丈夫。ほんとに大丈夫だから。……ああでも、今日はここでお別れかな、これは」

 

 手元のスマホが、鳴動していた。メッセージを受信している。送信元は、DAのホットラインだった。心配そうな表情でこちらを窺う千束さんに、メッセージの中身を見せる。

 

「ほら。遠隔カメラからの作戦内容の確認と、予定外事象が起きた時の指示出し役。本当に、それだけだから」

 

 その画面に食い入るように、千束さんは送られてきたメッセージを確認する。たきなさんも横からその画面を覗きこんで、そして漸く二人は納得した。

 

「だからほら、二人でご飯食べておいで。僕はこれが終わったら、リコリコでまかない作ってもらうことにするよ」

 

 僕の答えに、しばらく目を瞑っていた千束さんは、何を思ったか、突如僕の両肩を掴んだ。

 

「いい? 何かあったときは、真っ先に逃げて。そして私たちを呼んで」

 

 視界の隅で、たきなさんも頷く。

 

「生き延びて。絶対に、助けに行くから」

 

 二人のどこまでも真剣な眼差しに射竦められては、それ以上茶化した返答をしようとは、さすがに思わない。すべきだとも。

 

「……ありがとう。何かあったら、すぐ連絡する」

 

 故に返した言葉はどこまでもシンプルで、そして二人はその返答に、顔を見合わせて頷いた。

 

 

 

 彼女たちと別れて、五分ほどが経った。時刻は午後五時五十五分を回って、予定の時刻まではもう幾許もない。

 規制線の張られた北押上駅D3出口の正面、バスロータリーのガードレールに腰掛けて、僕はその時を待つ。イヤホンを耳につけ、DAから提供された映像ストリームのエンドポイントをスマホで開いた。

 程なく映し出されたのは、走行中の地下鉄の車内映像だ。画面の中では、緊張した面持ちのリコリスたちが車内で臨戦態勢を取っている。

 張り詰めた空気がその場にいないはずの僕にまで伝わって、果たしてそこに突如、無機質な電子音声による停車案内が降ってきた。

 

 ――まもなく、北押上、北押上。お出口は、右側です。

 

 発されたのは、普段であれば聞き流してしまうような、何でもない定型文だ。しかしそのお決まりのセリフに、緊張が一気に高まる。

 時は近い。約半数のリコリスが、防毒マスクを装着した。

 

 時計を見る。作戦開始の時刻まで、残り三十秒を切った。

 二十秒。

 十秒。

 そして――

 

『――伏せろっ!』

 

 誰かの鋭い警告の声を合図に、耳を聾する銃声が、つけたイヤホンの中で爆ぜた。

 

 

 

 

 

 ――十分後。

 駅前広場は、相も変わらず通勤客でごった返していた。ロックアウトされた駅の様子に、人々は口々に文句を言いつつも通り過ぎてゆく。地上からはあくまでちょっとしたトラブルの一環としか見られないそれは、どこまでも日常の延長線上の風景としてそこにあった。

 

 画面に目を落とす。

 

 プラットホームには、十挺以上のアサルトライフルでまさに徹底的に穴だらけにされた車体が鎮座していた。否、もはやこれは「擱座」もかくやといったありさまだ。そしてその前に立つホームドアもまた、等しくボコボコに風穴を空けられている。

 

 少しそこから視線を離せば、防毒マスクを装備したリコリスたちが、油断なく周囲を警戒しているのが目に留まった。

 頭部から血を流して倒れる、ピジョンブルーのツナギを着た男たちの遺体が、その下、床のあちこちに散乱している。何人かは特に目立った外傷はないが、それでも見渡す限りにおいて、男たちの側で無事に立っているものは誰一人としていなかった。

 更によく観察すれば、リコリスたちの方も何人かが床にうずくまっているのも見て取れる。防毒マスクを装備したリコリスがそうではないリコリスに肩を貸して、階段を登っていく姿も見えた。

 

 そしてそのあたりで、テキストメッセージ着信の通知が入った。すぐさまアプリに遷移して、その内容を改める。

 

 曰く。

 作戦は終了。DA側被害ゼロ。テロ犯側十五人中、殺害が確認できたのが十人。無血確保に成功したのが四人。

 そして残り一人は取り逃がしたが、武装解除には成功した、と。

 それはそんな、端的で簡潔な報告だった。

 

 戦果の是非はおいておくとしても、それは作戦としては概ね成功の範疇にあると言えた。爆発物などの作動はなし。毒ガスの噴出もなし。

 現場からの報告によれば、逃亡した男は何らかの遠隔操作端末を保持していたようだが、()()()()()とみるやすぐさま放棄し、線路内への逃亡へと舵を切ったようだ。もしこれが期待通りに作動していたら、最悪今いるリコリスたちは無事では済まなかったかもしれない。僕の用意は、確かに彼女たちの役に立ったのだろう。

 

 現場のリコリスたちには地下鉄ホームからの速やかな退避を推奨し、そしてDA側の作戦担当官には、当該ホームに対する爆発物検出のためのエコー検査と、同じく爆発物処理班に加えて対化学兵器部隊の出動を提案する。そのどれもが受け入れられたところで、ひとまず僕の任務は終了となった。

 

 大きく、深呼吸する。この国の日常は、斯くの如く守られた。街を行く人々は、ついさっき自分たちの立つ地面の下で一体何があったのか、いや何かが起こっていたことすらも知らないまま生きてゆく。これからも、ずっと。

 それは確かに、徹底的な漂白によって歪められた偽りの平穏だ。僕がずっと直面してきた、傲慢さすらも帯びた虚像の押し付けだとも、言えるのかもしれない。

 しかしそうであっても、今を生きる人々にとってはきっとかけがえのないものなのだろう。それを彼らが意識しているかは、ともかくとしても。

 地上と地下の間で繰り広げられる壮絶なまでの対比のなかで、そんな素朴な直感すらも懐く。

 

 町中から静かに去ってゆくリコリス達を眺めながら、僕は一人、空を見上げた。

 

 ――もうすぐ、夜がやって来る。

*1
現実世界の押上(スカイツリー前)駅B3出入口




――歴史は、変わり始めている。



電波ジャミングでDA側の作戦モニタが途絶しなかった理由は、DA専用に確保された周波数帯を通した通信が行われていて、主人公の用意した装置はそこをカバーしていないという設定です。

というかDAが自分たちの通信の疎通を脅かす装置の存在、許すわけないよね、という。



それと、アラン機関の首飾りの意匠。みなさん「フクロウ」だと言われます(某百科事典でもそう)が、この小説では以降も「ミミズクのチャーム」と表現します。羽角あるデザインだし。
公式設定が見つからないんですよね。12/26発売(2023/2/26に延期になりました!)のファンブックには何か書かれていたりするのだろうか。

……まあでも、アラン機関の母国であるであろう英語圏(というかユダヤっぽい?)ではミミズクだろうとフクロウだろうとどっちにせよ「owl」なんですけどね。
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