鮮血のエンブリヲン   作:Mk.Z

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第一章 落日の町
第一話 Fall Down/空から来た少年


 □■対流圏界面・高度10234メテル

 

 黒ずんだ蒼穹のただ中で、少年はタラップに足をかけた。

 

 風は強く、また冷たく渇いていた。大地や海とは違い、あまりにも曖昧で、無防備に飛び込めばそのまま突き抜けてしまうそれは、けれど確かな力として少年の身体を煽っていた。

 金属のタラップはこの天空に冷やされ、霜のよすがとなっていたが、しっかりした感触で彼の足を支えてくれた。薄い風が防護服を撫でていた。

 自分の呼吸音を聞きながら少年は気圧計を眺め、また辺りを見回した。

 

 遥か遠くには、雲が見えた。連なりもつれる空の山脈だ。その谷間を小さな飛竜の群れが泳いでいる。広大な天空では、遠近感さえ狂ってしまいそうだった。 

 あの積乱雲の盛り上がりの一つだって、町一つをのみ込めるほど大きいのだ。

 空は途方もなく広い。紛れてしまえば、容易くは見つけられまい。

 少年のヘルメット越しの視線はやがて、諦観と向こう見ずを帯びた。その眼が下へと向く。

 鉄柵を乗り越える。少年は最後に意思を固めるように目をつぶると、虚空へ一歩を踏み出した。

 

 足が離れた。

 

 自分の理屈にだけ忠実な暴風は、むろん少年の身体を押し返すことなどなく、地上へと放逐した。海へ石を投げるように、少年が落ちていく。水蒸気の凝結が白い痕跡を引いた。

 陽光が雲の端に光り、少年は目を逸らした。雄大すぎる視界の端では、山脈のような積乱雲が進軍を開始していた。渦巻く雲が風を巻き取り、空を暗くする。

 気圧と気温は少年を蝕んでいた。防寒耐圧の装甲服に、虚空が染み込んでくる。

 きっとここは、宇宙に……死に近いのだ。身じろぎをすれば、空気が歪み、気流が薄い雲を吐いた。

 

 そして、少年は薄雲へと落ちた。凍結した雲の粒子が身体を叩き、体温を奪っていく。視界が曇り、霞み、白く濁る。だが、その高積雲はすぐに途切れ、再び視界は澄んだものになった。

 こうして見ると、雲というものがどういうものかよく理解できる、と、彼は思った。形や輪郭は気流の顕れに過ぎない。うねり弾ける空の波、その波濤の白い先端こそ雲なのだ。だから、雲を掴むことは風を捕まえることと同じだった。

 少年は手を広げ、冷えきった身体が風と遊ぶのを楽しんだ。

 手袋の指先で白がたなびき、薄れ、無色の風に戻っていく。思わず笑みが零れ、暴風もまた嗤った。そして、

「……!」

風を切り裂いて、一頭の飛竜が現れた。

 空は彼らの領域だ。翼を持たない生き物は、ここではひとつところに留まる資格すら与えてはもらえない。無防備に落下するだけの少年は、格好の肉だ。

 その竜は十分に年老いていた。天空から()()()()()()()生き餌を巡って牽制しあう竜の中で、その年季と強さは群を抜いていた。

 若い竜のように無駄に吠えることも、牙を誇ることもしない。その老獪な狩りは静かに、つつがなく行われるものだ。鱗が音もなくうねり、その長い体躯が気流をすり抜ける。

 少年は自分に言い聞かせるようにため息をついた。主観の海が干上がり、座標が定まっていく。

 静謐な虚空は終わりだった。あと十メートルで、竜は少年を噛み砕くだろう。飛竜の狩りは見たことがあった。糧に乏しい天空で、彼らは一滴の血肉も逃すまいと、大きい口の中に捉えた獲物を擂り潰すように咀嚼するのだ。

 

 そんなのは、彼の望みではない。

 

 左の手袋が外れた。

 風に舞う木の葉のごとく、ちっぽけなそれが相対速度の波に流されて消えていく。閃き、躍り、そして積乱雲が全てを飲み込んだ。荒れ狂う風の中、竜がいよいよ口を開ける。空に溺れる少年を喰らうために。そして、少年の左手から虹が湧き出した。

「……!!」

 閃光と鮮血が飛び散る。積乱雲の山脈は、その全てを無慈悲に眺めていた。

 

 ◇◆◇

 

 □■砂漠地帯・カルディナ北方

 

覆い(マスク)をしたほうがいい」

 その言葉に、ステラはゆっくり振り返った。後ろでは、厚手の布を身体に巻き付けた男が、鋭い眼差しでステラを見ていた。

「ここの砂は毒だ。肺が腐るぞ」

 言葉は無骨だったが、親切なのだろう。ステラは大人しく口元を布で覆った。

 砂嵐は薄まっていたが、まだ続いていた。金色に近い砂は、砂漠の表面を走り、砂丘を歩かせていた。点在する遺跡が砂に埋もれ、削られていくのが見える。それは年単位のことなのだろうが、既に原形のない輪郭を見るとステラはどこか寂しい感覚を覚えた。

 地平線はぼやけて見えず、太陽も霞んでいた。涸れ果てた大地には一滴の水もなく、木々は大きく間を空けて、僅かなひねこびた枝葉を必死に伸ばしていたが、その努力が報われているようには見えなかった。

 後ろの男はどこか満足したように黙り込んだ。彼ら、南東からの旅人の集団は、いつしか列をなして目的地を目指していた。危険など幾らでも思い付くし、思い付かないことだって山ほど起こるものだ。道連れが多いのに越したことはない。

「……どこへ行くんだ?」

 突如、男は思い出したように言った。旅の道行きに話し相手が欲しかったのかもしれない。ステラもまた、快く答えた。

「王国へ行きたいの」

 ステラはそう言った。男がターバンの下で眉を上げたのが分かった。

「おかしい?」

「いや」男は無味乾燥に言った。「おかしくはない」

「間違った道だった?」

「珍しいルートだ。カルディナを通らずに……この道を向かうのはな。まぁ、決まった道があるわけでもない」

 男はそう言うと、唇を湿して続けた。錆びたボトルにはろくに水が残っていないようで、軽い音を立てていた。

「どの道もろくに整備されていないことに変わりはない。安全を確保できる自信がないなら、やめておいた方がいい、身体が持たないぞ」

「大丈夫よ」

 ステラは言った。その腰に帯びた剣を、無意識に右手が撫でていた。

 男は沈黙した。その沈黙は、しかし刺々しいものを孕むことはなく、ただ独特の礼儀正しさを帯びてそこに佇んでいた。周囲では風が、かろうじて耳障りではない程度の騒音を奏でていた。

 ステラは口を覆った布をずらし、水を一口飲むと、また布を引き上げた。

 ごわごわしたマントには砂がたまっていた。毒だ、と言われたことを思い出して、ステラはなるべく触らないようにその砂ぼこりを払った。金色の砂は美しい煌めきで、さらさらと風に溶けていった。

 吹きすさぶ薄汚れた風を割って、黒々とした巨柱が立っている横を、一行は通過した。柱の表面は砂に磨かれたのだろう、うすぼんやりとした文字に彩られていた。里程標だ、とだれかが言った。

 

 そう、それは確かに里程標だった。金属と石で組まれて砂漠に突き立てられたそれは、年月を経て傾き、先端がへし折れていたが、いまだその本来の役目を果たしていた。

「……至・サンフォーリング、二キロメテル」

ステラは掠れた文字を読み、後ろの男を振り返った。

「……この里程標は、カルディナと呼ばれている連合体が出来上がる、その前のものだ」

 男は静かに言った。彼は数秒足を止め、柱の表面を眺めたあと、その横を通り過ぎた。

「刻まれた文字は、見るものに合わせて変わる。そういう術が鋳込まれているのだろう……サンフォーリングは、ここにかつて栄えた国の名前だ。今では廃墟になっているが」

 そして、その言葉を切っ掛けにするように砂嵐が突如、止んだ。本来の静けさを連れてきた微風に、ステラは面食らって目を瞬いた。塞がれていた耳が唐突に、日の下に解放されたようだった。

「そう、あれがそれだ」

 男は表情を動かさず、ただ晴れやかな空の少し下を指した。ステラも視線で指を追い……そして、思わず息を呑んだ。

 最初に目に飛び込んできたのは、山のような巨塔だった。地上を埋め付くし、空へと流線型を描いて昇る巨大な塔だ。無数の金属の骨組みが象る三角錐は、まるで子供が作る砂山のような形をしていた。その古びた輪郭は、随所にわたって崩落している。その高さは想像もつかないほど雄大で、同時に朽ちた都市の悲哀に満ちていた。

 それが幾重にも積み重ねられた層で出来ていることに、しばらくしてステラは気づいた。積層構造の一つ一つが小さな街に相当しているのだ。なんという文明の現れだろうか。塔の上部、特に最上層はひときわ破壊の跡が大きかったが、かつては支配者たちの王座だったのに違いなかった。

 それらと対照的に、麓には集落のようなものが点在していた。明らかに意匠の異なる粗末な建築物が立ち並び、針金のような路線が町を巡っている。砂を防ぐためなのか、隆起した堤のようなものがところどころにそびえていた。

「“二重都市”サンフォーリング。かつての高度文明の上にこびりつく……北の果ての町だ」

 男はそう言って、足を進めた。

 

 ◇◆

 

 近づいてみると、塔都市の廃墟はますます巨大だった。文字通りに山のようだ。麓の町はその黒い影のなかに沈んでいた。あるいは、灼熱の砂漠においてはその影は癒しであるのかもしれない、とステラは思った。

 金属で組み上げられた遺構は所々が崩壊し、その破片を砂漠に突き立てていた。数えきれぬ年月が削り取った破片は、それでも堅固に輪郭を保っており、砂に逆らうそれを縫うように道らしきものが敷かれている。砂避けの堤のあいだを抜けて、彼らは歩いた。

 崩れた遺構を埋めるように並ぶ家並みでは、住民とおぼしき人々が出たり入ったりを繰り返していた。旅人は珍しくないのだろう、その動きに好奇心はない。ぽつぽつと開かれたバザールの女主人たちだけが、新規の商機に目を輝かせていた。

 

 その中のひとつ、緋色の布が下がったバザールでは、ぶかぶかの布を被った初老の女が、油断のない猫のような目付きで、通りすぎる人々を見ていた。

 

「……何があるの?」

 ステラは尋ねた。

 皺の寄った女はターバンをずりあげながら喜んで答えた。べらべらと、見せかけの愛想のよさで。

「発掘品だわさ。これはどうだい、肌に塗るとそれはそれは透き通るような白色になる薬だえ?若いお嬢ちゃんにゃ役立つよォ!それか、この布!日除けにぴったりだ、砂漠の太陽も通しゃしないね」

 ステラは首をかしげた。その後ろから、先程の男ーーミルハルと名乗っていたーーが、ずいと顔を出した。

「止めておくんだな……リルの無駄だ」

「誰だい、あんたァ」

 不機嫌になる女を無視して、ミルハルは続けた。

「その薬は軍用の機械オイルだ。確かに漂白作用はあるが、強すぎて肌を焼く。肉と骨を侵され、一生真っ白な身体を引きずるはめになる……そっちの布もだ。太陽を通さんのはいいが、重すぎて掲げられたもんじゃない。もともとは戦闘機械のシーリング素材だからな」

「あ、ありがとう」

 途端にそっぽを向いた女をチラッと見て、ステラは彼女に言った。

「ところで、おばさん」

「なんだえ?買うのかい?」

「宿はどこ?」

 既に日は落ちてきていた。無理に進むより身体を休めるほうがいい、というのは旅人の常識である。

「この近所でかい」

 女はミルハルを凝視して、ステラには眼を向けずに答えた。

 ステラはちらりと視線を泳がせた。遺構の上には、無遠慮にそれらを踏みつける金属製のモノレールが走っていた。錆び付き傷んだフレームは、身体を預ける気を失くさせるには十分だった。おそらく、後からこの町の住民が造ったのだろう。

「あそこの角、突っ立ってる子供がいるだろ?あいつに訊きな」

 そのぞんざいな親指の先には、確かに痩せっぽちの子供が立っていた。

「ありがとう、おばさん」

「おばさんじゃあねえ、パライラと呼びな」

 バザールのパライラはそう言うと、早く行けとばかりにリズムよく手を叩いた。

 

 ステラは街角の砂だまりを避けながら子供に近づいた。

 客引きの子供は所在なさげに立っていたが、ステラを見ると生き返ったように話しかけてきた。その鉄砲水のような言葉を躱しつつ、ステラはどうにか、宿について尋ねた。

「一晩10000リルだよ」子供は言った。「“びた一文まからない”んだ」

「高すぎるわ」

 ステラは言った。丸い帽子を被った子供は、待ってましたとばかりに叫んだ。

「“高すぎる”!“高すぎる”!」

「だってそうじゃない?」ステラは尚も言った。「10000リルだなんて」

「なら、他へ行きなよ」子供は楽しそうに言った。「言っとくけど、うちは安いほうだよ」

 ステラはため息をつき、少し考えてからとうとう、宿へ案内してくれ、と言った。子供が指笛を吹くと、遠くから大きな犬が走ってきて、彼の膝に頭をぶつけてから座った。

「アシーリ!お客さんだ」

 子供はそう言って、ステラを見た。どうやら、このイヌのアシーリに着いていけ、ということらしかった。

「あなたは行かないの?」

 ステラはミルハルを振り返って尋ねた。寡黙な男は、分厚い布の奥で目を細くして答えた。

「俺の目的地はここだ。泊まる当ては他にある」

「そう」

 ステラはいっときの旅の道連れに手を振ると、毛むくじゃらのアシーリに着いて歩き出した。後ろでは、ミルハルが踵を返していた。彼の当てとやらに向かうのだろう。

 日陰の町は薄暗かったが、それを補うように冷たい灯りが点っていた。青白い光が路面と廃墟をきらきら光らせている。道筋は大して遠くもなかった。アシーリがステラを案内したのは、路地の奥まった場所、黒いドーム状の建物の前だった。

 もともとはかつての文明に属していたのだろうそれは、今や木材と釘で継ぎはぎに覆われていた。漆喰が剥がれ、砂混じりの土を固めて補強してある。ステラは扉に近寄ると、そっと呼び鈴を鳴らした。

 

 ◇◆

 

 □■ジルルク宿屋

 

 と、表には書かれていた。犬のアシーリはその扉の前に座ると、何のものかわからない大きな骨をかじり始めた。あんなにくたびれてもまだ味がするのだろうか、とステラは思った。

「客か?」

 突然の声に、ステラは飛び上がった。扉の横には巧妙に隠された窓があり、その蓋を持ち上げて髭面の男が顔を出していた。

「客か?」

「客よ」ステラは答え、付け加えた。「10000は高いわよ」

「なら、9500でいい」

 髭面は引っ込み、そして扉が軋みながら開いた。言ってみるものだ、とステラは思った。

 壮年の髭面の男は(ジルルクは彼の名前らしかった)その大きな身体を揺らしながら、ステラを迎え入れた。

 一階は食堂のようになっていたが、木造の屋内にはところどころに金属のフレームが突き出していた。ジルルクは自慢げに、木を使っているのはここらじゃうちだけだ、と告げた。

「ペレスのやつの宿だってこうはいかない」

 ジルルクはそう言うと側を斜めに走る木柱を愛おしそうに撫で、そしてすぐさまそこに張り付いていた地虫を叩き潰した。

「お前さん、運が良かったな」

「そう?」

 ステラは顔をしかめながら言った。腰を下ろそうとした椅子をうろんげに眺め、隣の椅子を(拭って)座る。ジルルクは部屋の鍵をその前に置いた。

「もうすぐ夕食だ。部屋は三階の奥。鍵をかけるときは扉を持ち上げながら回してくれ」

 建て付けが悪いのね、とステラは思った。確かに、几帳面な建築物には見えない。所々でばらついた柱の角度を見ていると不安になってくる。

 夕食時だというのは周知の事実らしかった。宿屋の上階から何人かの客が降りてくる。ひとりの女はごく自然な動作で、突き出した金属フレームに上衣を掛けた。そうするのか、とステラは得心し、そしてジルルクがステラの前にスープ皿を置いた。

 鈍く光る皿に盛られていたのは、灰色に近い白のスープだった。べとべとの具材が息絶えたように中央で鎮座している。ステラは添えられていた匙でそれを口に運び、目をぱちぱちさせた。何の味もしない。この無味無臭のスープは、食べていい代物なのかすら判断がつかなかった。

 義務感で咀嚼し、嚥下する。斜向かいでは痩せた禿頭の老人が焼いただけの肉に塩を掛けてかぶりついていた。

 ステラは近くにいたジルルクを睨み付け、小さな顎を持ち上げて文句を言った。

「メニューが違うじゃないの」

「あと500払えば、【焼きデミドラグチキン】が付くぜ」

 ステラは顔をしかめながら、500リルを乱暴に机に置いた。ジルルクは閃くような速度で金をかっさらうと、厨房らしき場所へと引っ込んだ。ステラの目が確かなら、その厨房にはドス黒い煙が充満していた。

 味のしないスープを啜りながら、ステラは食堂を見渡した。煌々と白い灯りが灯っていたので、薄暗い外よりは明るかった。

「【発光晶(ライトライト)】さ」

 ジルルクはそう言うと、ステラの目の前に黒こげの肉塊を置いた。その眉が人懐っこく跳ね上がる。

「興味ある、って面をしてたんでな。ここは<遺跡>の上の町だからよ、色々採れるのさ……この石もそうだ。陽光を充填してやれば、半日は持つ」

「ついでに言うと、あれは俺が掘ったやつだ」

 禿頭がボソリと言った。

「石というより、機械だがな。よほど普及してたんだろう、探せば今でも見つかる」

「これが、機械……?」

 ステラは思わず呟いた。歯車やつまみすらない。継ぎ目も見当たらない。何処から見たって鉱石の結晶にしか見えない。

「それがかつての文明の凄いところだ」

 禿頭はそう言うと、最後の欠片を飲み込んで立ち上がった。その手が200リルを机に置き、店を出ていく。

「ちょっと!」

「地元民割引だ」

 ジルルクはそう嘯いた。

「宿屋兼食堂もやってる。サラダは要るか?」

「結構!」

 ステラは肉を勢いよく噛み千切りながら、この肉をスープと混ぜて塩を沢山かければ幾分ましになることに気づいた。塩の味しかしない料理を食べながら、ステラは尋ねた。

「にしても、<遺跡>があるのに、この町は貧しいのね」

「あぁ……それが目下の悩みだぜ、お客さん」

 ジルルクは酷く汚れた布でグラスを拭きながら答えた。周りでは、ステラとともに数人の客がゾッとした目で自分の食器を見下ろした。

「<遺跡>って言ってもな……ここのは半ば崩壊してるし、ろくなものが眠ってるって話もない。<遺跡>ってのは未知だから価値があるんだ。あいにくここは昔々から有名なんで……」

 ジルルクは顔だけで『もうダメ』と示して見せた。

「盗掘?」

「まぁ、俺らが違うのかって言われればそれもそうなんだが……多少なり価値のある遺物は根こそぎ持ってかれてて、あとは出涸らしだ。事実はともかく、そういう評判が立った時点で商売上がったりよ」

 ステラは瞬きをした。別に信心深いほうでもない彼女は、機械技術を発掘して売るような後ろ暗い人間たちなのね、とまでは流石に言わなかったが、代わりに出た言葉も、大して礼儀正しいものではなかった。

「だから、辺境の町なのね」

 ジルルクは幸い、大して気にもとめなかった。

「汚染もある。寄り付くのは奇特な旅人だけさ」

 お前さんみたいな、と言われてステラは目を細めた。

「悪かったわね」

「別に悪かねえ。だが、不思議だな。お前さんみたいな女の子が一人旅か?何処へ行くんだ?」

「アルター王国」

 ステラは灰白色のスープを飲み干すと、キッパリと言い切った。その首が一瞬の後、疑問に曲がった。

「そうだ、王国へはどの道?」

 ジルルクは首をひねった。しばらくそうしていた彼は、二、三度瞬きをして口を開いた。

「砂漠を渡るんだな」

 ここサンフォーリングは厳冬山脈にも近い、カルディナ国境のさらに北方に位置する町だ。アルター王国はちょうど西南西の遥か彼方にある。

「カルディナの国境を超えて、南西の<ヴァレイラ大砂漠>に向かえ。そこから街道を探して、王国領まで入れれば……」

 危険な道のりだった。一人旅ではまず持たない。砂漠でワーム類に囲まれれば、逃げ出すことすらままならない。

「でかい隊商についてくのがいい。ここからだと“北端都市”ウィンターオーブか……小さいが“生命都市”レゥークか、“流氷都市”セルンだな」

 どれも遠いが。ジルルクはそう締めくくった。

「すぐに出るやつはある?」

 ステラの問いに、ジルルクは固い顔を見せた。

「ないの?」

()()()。あと一ヶ月もすりゃどうにかなるとは思うが」

 ジルルクは仏頂面のステラを眺め、平坦な声で言った。

「やめとけよ?」

「何をよ」

 ジルルクは口角を上げた。

「一人でも行くって面だぜ」

 ステラは答えなかった。代わりに口から出たのは質問だった。

「隊商が出ないのは……?」

「それについては聞くな」

 ジルルクは言った。諦めが滲んだ笑みだった。

「無駄だからな。どうにもなることじゃない」

 

 ◇◆◇

 

 外から帰ってきたあの丸帽子の子供は、マハリと名乗った。あの味のしないスープを旨そうに平らげる様は圧巻だった。

 持ち前の陽気さで下働きの子供はステラと話したがったが、ジルルクに一喝されて一階の奥へと消えた。どうやらそこに寝床があるらしい。ステラも眠気を感じたので、今日は休むと決めた。

 宿の階段は急勾配な上に歪んでいた。壊れかけの梯子と呼んだ方が正しそうだ。ステラはへし折れた段を飛ばし飛ばし上り、三階の床に足をかけた。

 突き当たりの部屋、というのはつまり、この独創的な建築のしわ寄せを食らった部分なのだった。扉は建て付けが悪いどころか、長方形すら保っていなかった。三角形に近い扉を持ち上げながらステラは部屋に入り、そして梁に頭をぶつけた。

 その部屋には柱や梁が突き出しており、天井は右斜めに傾いていたが、少なくとも暖かく乾いていた。

 ぼろぼろに崩れかかった毛布を蹴り飛ばして、ステラはベッドを空けた。

「掃除が必要ね」

 窓側の眺めは悪くなかった。ドームは遺跡の中でも背が高かったので、近辺の家や遺跡を少し下に見下ろせたのだ。ステラは窓を開け、バルコニーへと出た。手作りの温かみに溢れるバルコニーの床はギシギシと鳴き、どうにか彼女の体重を支えた。ステラは不安げに床を見下ろし、一歩下がった。

 太陽は既に落ちてしまっていた。ステラは路銀のことを思いつつ、冷たい月を眺めた。かつてのサンフォーリングの巨塔の影が月の端に迫っていた。

 その巨大さに感嘆するようにステラはそれを見た。煌めく星空を切り取るような黒い影。

「こんなに大きなものを人間が造ったなんて、信じられない」

 ステラのいた黄河付近の寒村では、比べられるようなものさえ存在しなかった。アルター王国に行けば、比肩するほど大きなものも見られるのだろうか。

 ふいに、ステラは世界がとんでもなく広くなったような気がした。今、自分がいるのは少し前まで名前すら知らなかった場所だ。

 

 それでも、空は同じように見えた。

 

 砂漠の夜の冷気は、感傷的な気分を強めていた。ステラは黙って、腰に提げた剣の鞘を撫でた。そこにある、そう確かめるように。

 その数秒後、ステラを現実に引き戻したのは、眼に映る違和感だった。

「……何?」

 視線は空、星々の海。その中に小さな何かがある。

 鳥ではない。天竜でもない。夜空を無遠慮に汚すそれは、オレンジ色の小さな塊だった。

「ゴミ……?」

 ふらふらと漂うような動きが見える。空を飛ぶ生き物にしては、風に乗るための確固たる意志が感じられない。不自由で不格好な動きだ。

 わからない、ということほど不気味なことはない。それが何なのか、ステラは自信のある視力を最大限使って確かめようとした。

 そして、次第にそれは大きさを増していった。近づいているのだと理解したときには、もう遅かった。突如として大きな破裂音が響き、風が喚く。

 ステラの身体に衝撃が走った。木屑を立ててバルコニーがひび割れ、彼女の視界をオレンジ色が埋め尽くす。()()()()()()()()それが、ステラの上でもがき……呻いた。

 

『あぁ、もう、タイミングを間違えたな』

 

 オレンジ色が手を伸ばす。 

 厚手の潜水服のようなもので身体を覆った彼は、自分の身体を確かめるように見回した。金魚鉢のようなガラスが丸く、艶やかに嵌められていた。

『うわっ、穴が空いてる……こっちもか』

 それは大きな頭を軋ませ、揺らし、苦労しながらヘルメットを取り外す。中から現れたのは、白に近い金髪(アッシュブロンド)と、琥珀色の瞳だった。

 白金の少年は頭を振り、ため息をついた。

「ここ、どこだろ」

「ごちゃごちゃと……」

 驚くべきだったのだろうが、突拍子もない状況が過ぎた。悲鳴を上げたり驚愕したりするより先に、ステラはむしろ怒ってしまっていた。

「……まず、下りなさいよ!」

 爪先が少年の防護服を吹き飛ばす。少年は叫び声を上げた。

「何するんだよ!」

「そんなの、こっちの台詞よ!いきなり人の上に落ちてくるなんて、どういうつもりよ!」

 ステラの妙に全うな抗議に、少年は自分でも納得したのだろう、後ろめたさを琥珀色の瞳に滲ませた。

「……ごめんなさい」

 ステラはうろんげにその少年を眺め、目を細めた。

 年はステラと同じくらいか、少し下に見える。白金の髪、琥珀色の瞳。ステラが見たことのない色だ。その美しい色は夜明けの太陽のようで、少しだけ眩しかった。

 全身を覆っているオレンジの防護服は汚れ、傷つき、一部が凍結していた。まるで極寒の暴風を通り抜けてきたかのように。左手など、手袋が外れて素肌が剥き出しになっている。

 そして、ステラは目を見張った。

 白く柔らかな左手の甲、そこには煌めく虹色の、薔薇の花を象った紋章があった。刺青や絵の具ではあり得ない実在感と質感だ。

 左手の紋章。それが何を意味するか、田舎者のステラだって知っていた。

 不死の人間。

 無二の異能者。

 それは、<マスター>の証だ。

「……怪我してる」

 ステラはそう言うと、懐から取り出した軟膏の瓶を傾けた。実際、少年の左手は凍傷寸前に傷ついていた。

 包帯の真似事のように厚布を巻き付けて虹色の紋章が見えなくなってから、ステラは少年を見た。少年は面食らったように目をパチパチさせた。

「あ、ありがとう」

「それで」

 ステラは口を開いた。やっとのことで、驚きと疑問が追い付いてきた。

「なんで空から落ちてきたの?」

「……道に迷ったんだ」

 少年は言った。その言葉には明らかに欺瞞が……嘘ではないにせよ、隠蔽が混じっていた。

「へぇ、随分と変わった道を通るのね」

「べつにいいだろ!」

「人を下敷きにしないなら、ご自由だけれど」

 ステラは皮肉っぽく言った。少年は後ろめたさを誤魔化すように視線を返し、そしてステラの瞳に跳ね返されてその眼を逸らした。

「ドライフってとこへ行きたかったんだ……そうだ、ここは何処?」

「サンフォーリングよ」

 さも事情通なのだ、と言わんばかりにステラは教えた。

「北の果て。厳冬山脈の近く」

 その言葉を聞いたとたん、少年は血相を変えた。首が取れそうな勢いで辺りを見回し、次に頭を抱える。

「……そんな!」

 そんなにドライフへ行きたかったのだろうか?とステラは訝しみ、そして考え直した。確かに旅人にとって、旅の目的地は何にも替えがたいものだ……その価値は、その人だけのものだろうが。

 とはいえ、目の前の少年が普通の旅人だとは到底思えなかった。普通の人間は、空から落ちてきたりしない。

 翼が生えているようにも見えなかった。南のほうには翼の生えた人間がいる、とステラは聞いたことがあった。だが、もしそうなら墜落はしないだろう。

(夜空の星から落ちてきたのかしら)

 そんなふざけたアイデアを恥じるように、ステラは思わず首を振った。夢見がちな女の子なんて、自分らしくない。ステラはもっと実際的なことを気にする人間であった筈だ、そう、例えばーー

「ねぇ」

 ステラは慌てふためく少年を見下ろしながら、ため息混じりに言った。目の前の少年が人間だと確かめたかった。

「ところで、君の名前は?」

 白金の少年は頭を上げ、水をかけられた猫のように、キョトンとした顔でステラを見つめた。その唇が動く。

 

「俺は……シリル。シリル・ファイアローズだ」

 

 そして、バルコニーは崩落した。

 

 To be continued

 

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