鮮血のエンブリヲン   作:Mk.Z

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第十八話 Loaded/礼儀正しく

 □■リェコ・【ペレスの旅籠】

 

 その町は、川べりにあった。その川がどういう名前で呼ばれていたのか、干上がって久しい今となっては誰も知らない。そんな涸れた川筋がこの近辺にはいくつかある。砂の領域は、年々深みを増していた。

 “岸”に住めるのは比較的裕福で、例えば家を持っている人間だ。孤児や不具者といった力のないものは“川底”に追いやられるように、ゴミと一緒に住み着いている。彼らの泥と砂でこね上げたものは、“巣”と呼ばれて蔑まれていた。

 それはサンフォーリングの民のほとんどがかつて受けた仕打ちと同じだ。“川底”の扱いはサンフォーリング全土の相似に過ぎないのだ。だが、そんなことを気にするものはいなかった。

 あるいは皆分かった上でそうしていたのかもしれない。すべての苦しみが哀れみに繋がるわけではない。蔑まれ虐げられ追いやられる気持ちをよく分かっているからこそ、彼らはここでも誰かをつまはじきにせずにはいられなかった。

「……」

 その川底を、窓からステラは見下ろしていた。

 小さな部屋だった。寝具と呼べるものは単なる板切れしかなく、両手を伸ばせば部屋の端から端まで届く。

 板切れの上では、シリルが眠っていた。赤くなったその肌に、ステラは黙って軟膏を刷り込もうとして……やめた。

「起きてるでしょ?」

「寝てたのは身体だけだよ」

 シリルはゆっくりと身体を起こした。痛みは酷くなっていた。

「変な傷。皮膚の内側だけを焼かれてる。でも、今の痛みが退いたら直ぐによくなるよ」ステラは言った。「薬を塗ったから」

「痛み止めとか、ないの?」

「必要な教訓でしょ」

 ステラはシリルの瞳を覗き込んだ。

「もう少し酷かったら視力は戻らなかった」

 シリルはそれを振り払うように、立ち上がった。顔は清潔に拭われていたが、まだ微かに血の臭いがした。

 外は騒がしかった。シリルは窓辺に近寄り、その騒ぎの源を見ようとした。

「……見ない方がいいわよ」 

 ステラは呟いた。

 窓の外では、長髪の女が引き立てられ、鎖に繋がれていた。女の喚く声と周りのものの怒号が一体になって、辺りに響いていた。やがて一人の男が歩み出て女を二、三発殴り付けると、女は静かになった。途端、野次馬たちがわっと群がった。みな大きな容器(タンク)を携えていた。

「あれは……」

「“井戸”ね」

 ステラは心底嫌そうに言った。

「砂漠化は年々進んでる。サンフォーリングの井戸も減ってるらしいわ。今年は既に七つの井戸が喪われた」

 階下で町の人間が話していた内容を、ステラは繰り返した。

 水は貴重だ。あればあるだけ運べるが、肝心のものがなくてはどうにもやりようがない。

 外部から輸入しようにも、危険な砂漠を往く隊商は当然のように法外な手間賃を要求する。だから、水を確保できるのは暴力に長けたものだけだ。

 それも、ここ数年で悪化していた。

「少し前に、カルディナ一帯で活動していた【降水姫(レインフォール・プリンセス)】が何者かに殺されたそうよ。高いところなんて何もない、だだっ広いはずの砂漠の真ん中で……転落死。彼女の<ゲシェム教団>が瓦解して慈善の水配給が消えたことで、ますます水の価値は上がった」

 外の光景は、その結果だった。

「あの人は、多分【蒼海術師(ハイドロマンサー)】か何かなんでしょうね。水を絞られてるのよ、奴隷として。なまじ才能があったばっかりに」

 窓の外では奴隷の女が崩れ落ち、水にありつけなかったものたちが腹いせにその鳩尾を蹴り飛ばしていた。順番待ちの列なんか作る筈もなかった。喧嘩の強さが順列なのだから。

 この町にはこんな奴隷が幾人もいるのだ。MPを水に変換し続けるために繋がれている、“井戸”が。

「そんなの……!」

 シリルは拳を握ったが、また緩めた。ステラは頷いた。

「そう、誰かを助けられるのは自分に余裕がある人だけよ。あたしたちは違う」

「違うよ、そうじゃない」

 シリルは言った。

「俺には……代わりの水を用意してあげられないから」

 

 ◇◆

 

「初めに言っときますけどね、君、気絶しすぎ」

 ステラは言った。町並みは乱雑だったが、メルダウンズよりも背丈が高いものが多かった。足元には相変わらず砂があった。

「もう無茶はしないで。次、気絶したら置いてくわ」

「うん……分かってるよ」

「分かってない」

 ステラは胸を張ってシリルを指差した。

「言い方を変える。あたしを一人にしないで。もし危ない目に遭った時、君を守りながら戦うのって難しいから」

 シリルは瞬きしながら猛烈に頷いた。

 ステラは口元どころか頭全体をすっぽり厚手の布で覆っていた。旅装のマントと合わさって、体つきすら分からないほどだった。シリルもそれを真似るような格好をしていたが、ステラから借りた花柄の頭巾はあまり趣味ではなかった。

「気にする人なんかいないよ」

 ステラはにべもなく言った。

「この格好は好都合よね。顔を隠してる人間が普通だから、変装だって浮かない。人相書も意味ないわ」

 確かに、革新戦線の回した人相書、みたいなものは見かけなかった。それどころか、兵士の姿すらない。

「ここはリェコ。<ファラクの鷹>の縄張りだもの、<サンフォーリング革新戦線>も軽々しく手を出せないんでしょ」

「なんでそんなこと知ってるの?」

「聞いたから。君が寝てる間に色んなことする時間があったもの」

 言いながら、ステラは首をかしげた。

「そういえばさ、<マスター>は……」

「何?」

「……定期的に()()なきゃいけない、って聞いたんだけど。君はずっとそんなことないのね。どうして?」

「……」

「頻繁に気絶するのがそのせいなんだったら……」

「……違うよ、そういうのじゃない。俺は……いいんだ、ずっとここにいても」

 シリルは首を振った。

 リェコの町並みは、明らかに栄えていた。人も多い。廃墟の上にはロープと布で作った吊り橋がいくつも架かっていて、使いっぱしりの子供たちが走っていく。石造りの建物も継ぎ足しを繰り返したように上に伸びていた。旧サンフォーリングの遺跡は土台に埋もれ、砂にまみれていた。

 上層には富豪が住むのだ。ここではまともな家を持っているだけでいっぱしの富豪だった。砂嵐に崩される度に建て直すのだろうそれらは、年月を経て独特のバランス感覚を獲得していた。

 一部には貴重な金属を使って架けられた貨物運搬用のモノレールがメルダウンズからも通じていたが、とうに古くなりすぎたそれを建て直すものはこの町にもいなかった。

 中央には、旧サンフォーリングの遺跡を再利用した宮殿があった。

 丸い屋根に囲まれた深紅の柱は、周囲の建物より頭ひとつ高く、頂点では砂塵も薄かった。多分、あれより建物を高く増築すると怒られるんだろうな、とシリルは思った。

 直立する深紅の柱の脇には、寄り添うように無数の建て増しがされていた。そのうちのひとつには、【隊商宿】と乱雑な文字で大きく書き付けてあった。

 扉は二重になっていた。砂を避けるためだろう。中には門番の老人が猿みたいに座っていて、砂を払えと苦情を言った。

『余所者め!』

 老人はキンキン声で怒鳴った。

「あんな態度は失礼だわ。本当に」

 ステラは誇り高く瞳を燃やしながら言った。

 実際、内部には砂埃のひとつもなかった。箒を持った老婆が二人、せかせかと動き回っていた。

 【発光晶】を埋め込まれた天井には大きく翼を広げる鷹の紋章が彫り込んであった。室内には円卓がいくつも置かれ、やはりそこにも鷹の意匠がある。本物の鷹がいたら嫌だな、とシリルは思った。嫌いなのだ。

 酒のような液体を呷っていた、鳥の面を被った男が二人を見た。ステラは小さく頷くと、その男に近づいていった。

「……珍しい」

 近づくなり、男は言った。

「子供……は珍しくない。旅人……も、さほど変わらない。だが、子供の旅人となると、これは珍しい」

「あたしはもう子供じゃない」

「子供は皆そう言う。あるいは、人間はみな子供なのかもしれん。大人のふりをしているだけだ。少なくとも、この歳になっても俺はそんな気分だ」

 隊商の長らしき彼は、鳥の面を撫で擦りながら言った。鳥の眼の紋様と相まって、常に驚き顔のようだった。

「用は?」

「隊商に同行したいの。用心棒として」

「珍しさが更新されたな」

 鳥男は、本当の鳥がするように首をかしげた。

「だが、実力を云々するのは後だ。それ以外にも、出られぬ理由がある……俺はチューリヒだ」

 チューリヒ。吹き矢を吹くように、彼は舌先でそう発音した。

 チューリヒは続けた。

「隊商は身籠った魚と同じ。わりのいい獲物だ。だから、守るためには多くの牙がいる。それが今はない」

 チューリヒは辺りを見回した。

「現在、サンフォーリングの武装勢力は混乱状態にあるらしい。平時であれば大金と引き換えに護衛を頼むのだが、どこも傭兵稼業の受付が閉じている。これでは進めん」

「あたしは……」

「たとえお嬢ちゃん、そしてその後ろのお坊ちゃんがよほど強いとしても」チューリヒは言い聞かせるように言った。「二人だ。それでは心もとない。必要なのは連携のとれた複数、そして交代の人員。それとも、お二人は一人で四方を殲滅できるほどの能力者かな?」

 チューリヒはひとりで頷いた。

「違う。それにそうだったとしても、眠りは必要だ。一人きりで眠る相方を残して警護できるかね?それほどの信頼が俺たちの間にあるか?」

 ステラは黙った。チューリヒは続けた。

「遺恨を残さない、大事なことだ。そしてそれと同じくらい、遺恨の種を持たないことも大事なことだ。種はあるだけで人を苛む。余計な心配は作らない方がいい」

 チューリヒは遠くを見るような仕草をした。

「ミューリツという男がいた。小心者で愚かでね。この砂漠を、寄せ集めの幾人かの護衛で越えようとした。小さな隊商だから行けると踏んだのだろう。一キロメテル進んだところで壊滅した」

 チューリヒはその死を悼むような仕草をした。

「護衛の一人が盗賊のはらからだったようだ。内部から警戒の穴へ賊を引っ張り込んだ。そういうことがある。人数は大事だ」

 チューリヒはそう言うと、紙切れを差し出した。

「名前は?」

「ステラ」

「シリル」

「覚えておこう。隊商が出るのは……いつになるか分からんが、その時もし生きていたらまた来たまえ。名前を言えば分かる、俺は顔を覚えられんたちでな」

 チューリヒはその名前を書き付けた紙切れをしまい込むと、再び沈思黙考に戻った。二人は辺りを見回したが、他の隊商も似たり寄ったりのようだった。出ていく二人を見送るように、チューリヒの鳥の眼差しが二人を見つめていた。

 出口では相変わらずの老人が鼻を鳴らしていた。

『ろくでなし!乞食の子供!糞の臭いがするぞ!』

「うるさいわよクソジジイ!この■■■■!」

 幸いなことに、その口汚すぎる罵りにはとうとう翻訳機能も音を上げたらしい。ステラが叫んだ言葉はシリルの耳には唸るような雑音にしか聞こえなかった。

 薬缶のようにがなりたてる老人を後に、二人は走り出した。ステラはちょっぴり恥ずかしげに言った。

「忘れてね」

「ねぇ、■■□■!ってどういう意味?」

「忘れてったら!」

 

 ◇◆

 

 □■リェコ・サカーム通り

 

 食事にしたい、というシリルの望みはもっともなものだったが、生憎ステラの基準は厳しかった。

「絶対に、美味しいところがいい」

 ステラはそう言うと、血眼で店を検分し始めた。

 不幸なことに、どの店の外観も似たり寄ったりのものだった。砂まみれの日干し煉瓦に、堅固な扉。メニューらしい看板はどれも擦り切れて読めなかった。何より、ここの字にはみんな妙なクセがある。ステラはため息をついた。

 シリルは眼を凝らしながら、その看板を読んだ。

「焼いた肉……600リル」

「君、よく読めるね」

「まぁね」

 シリルは得意気に言った。ステラは高飛車に下知した。

「なら、一番安くてそれでいてマシな店を見繕ってよ」

 シリルはしばらく辺りをキョロキョロしていたが、やがてひとつの店に狙いを定めた。朱色の扉の上には、犬だか猫だか分からない動物のオブジェが砂に晒されていた。

「ここにしようよ」

 シリルの言葉に、ステラは頷いた。財布を確かめて、ステラは顔をしかめた。

「……自分のぶんは、自分で払ってよ」

 扉はギシギシと音を立ててゆっくり開いた。砂避けなのだろう、扉の向こうには汚れた布が釣ってある。それを払い除けながら、ステラとシリルは店に入った。

 薄暗かった。窓には鉄格子が嵌まっていて、ただでさえ暗い店を陰気なものにしていた。焼けた肉の臭いが漂っていた。

「……」

 シリルに選択を任せて良かったのだろうか、と思いながらステラは空いていたテーブルについた。シリルも向かいに座り、興味深げに辺りを眺めた。

 満面の笑みのウェイトレスは、多分本気では笑っていないのだろう、張り付けたような笑顔で滑るように移動してくると、ぞんざいにメニューを放り出して言った。

「金は?」

 笑顔は崩れなかった。鉄壁のお城みたい、と、思いながらシリルは硬貨を掴み出し、テーブルに置いた。

「結構」

 ウェイトレスは風のように早くそれをかっさらうと、メニュー表をつついて促した。シリルは素早く言った。

「肉のやつ」

「あたしもそれで」

 ウェイトレスは笑顔を深くして言った。声は全く笑っていなかった。

「コーヒー……は?」

「いらないわ」

「俺も」

 ウェイトレスは最後に心なしか頭を下げると、厨房へと戻っていった。ステラは気づいた。彼女には足音がなかった。

「……大丈夫かな」

「さぁ。でも、お肉ならきっと美味しいよ」

 シリルは無邪気に言った。ステラは鼻を鳴らし、そして隣のテーブルに腰かけていた三人組の一人がシリルに話しかけてきた。

「そりゃ甘い見通しだ、少年。甘い甘い」

 シリルはその男を見た。三人組は揃って軍服か、飛行服のようなものを身に付けていた。テーブルには肉料理が並んでいる。

「……どうなの?」

「俺の祖国じゃ、こんな料理を出した料理人は斬首刑(ギロチン)だ」

 男はナイフで肉をつついた。

「鶏肉は余計な脂や筋を取ってやらないとそこから臭みが出る。ドリップを処理するためにも、塩を振って暫く置いておくのが望ましい。包丁の入れ方も足りない、肉の厚みを均等にして焼かなければ焼きムラのもとだ。それに肉を休ませてないな?皮が焦げてしまっている。総じて、ただ焼いただけって感じだ。この点は好みの問題だが、味付けも微妙だしな」

 ウェイトレスが視線だけで人を殺せそうなほどこっちを睨んでいるのを首筋に感じながら、シリルは言った。

「詳しいんですね」

「常識だ」

「やめてよね、リーダー。また追い出されるよ?」

 向かいに座っていたティーンエイジャーが、不満そうに言った。

「ここのウェイトレスは間違いなく暗殺者系統だ」

「単なる感想だ。金は払ったんだから文句ないだろう」

 その男は静かに反駁すると、シリルの方を向いた。

「そう思わないか?シリル・ファイアローズくん」

 シリルは頷いた。そして、首をかしげた。

「名前……」

「あぁ、《看破》はしていない。無作法だろ?」

 そう、男は言った。

「はじめから知っていたよ、顔も名前も。俺は【高位操縦士】エルディン……つい先程、君らを爆撃したチームのリーダーだ」 

 その瞬間、シリルははたから見てもよく分かるほど緊張を強めた。ステラも身体を強ばらせ、即座に足に力を込める。だが、強面の巨漢がその前に立ちはだかった。

 座ったまま、エルディンは言った。

「おいおい、少しは冷静になってくれ。……ま、難しいか。だが、俺達は君らに害を加える気はない」

 エルディンは蒼白なシリルの顔を見た。

「本当だ。機体がなければ俺達は非力な操縦士に過ぎん、どうやって君らを捕まえるというんだ?」

「<エンブリオ>だろ?なら、即座に出せるじゃないか!」

「諸事情により、その心配はない。俺たちの<エンブリオ>は三基ともここから離れた場所にある。市販品の機体を使うにしても、一手間がある。君なら十分に対応できる猶予だろ?」

「へへ、ビビんなよ」

 緑色の飛行服を着たティーンはいたずらっぽく言った。シリルは顔を歪めた。

「その声……」

「あららァ、今頃気づいた?」

「ゾル、やめろ……繰り返す、俺達に交戦の意思はない。出来れば食事でもしながら聞いてもらいたい。勿論、周囲を伏兵が囲んでる、なんてこともない」

 エルディンは言い切った。その行いの重みを分かって、ステラは頷いた。

「何?」

「お連れのお嬢さんは賢明だな。では、手短に言おう、シリル・ファイアローズ。我々に協力して貰いたいんだ」

 エルディンは笑顔で言った。

「我々<プレアデス>は現在、<サンフォーリング革新戦線>と協力関係にある。彼らが敵に襲われ、逆襲を狙っていることは想像に易いだろう。そして、その“敵”と君は、関係がある……問題はそこだ。友好的な関係かね?」

 シリルは思わず顔をしかめた。エルディンは頷いた。

「違う。なら、我々は協力できる筈だ。敵が同じなのだからな。せめて、互いにいがみ合うことをやめて情報の共有くらいは可能だろ、ん?」

「何が聞きたいの?」

「主に敵の正体だな。それと、能力の詳細。俺はあの敵艦をアドバンスの複合体だと予想してるが、どうかね?あぁそれと、これは個人的な頼みに近いんだが、うちの技術顧問が君の能力に興味を持っていてね。可能ならその研究協力も頼みたい」

 エルディンはしばし考えて、続けた。

「そうだな。ややこしいからまとめて言おうか。率直に言って、君の機体を我々は高く評価している。魅せられていると言ってもいい」

 ゾルでさえ渋々頷いた。

「ここからは別件だ。どうだ?俺達の仲間に入らないか?」

「え?」

 シリルは呆然として言った。

「それって……」

「俺達<プレアデス>の機体は、アルベルト・シュタイナーによって改造された<エンブリオ>……<調装機(ベルドレス)>だ」

 エルディンは説明した。

「TYPE:ギアを素体にして、装甲や武装を強化し、人型機体の体裁を調えた兵器だ。通常の<エンブリオ>、あるいは<マジンギア>と比べても力は増す。リソースを文字通り増設するのに等しいからだ。特に、君の機体は条件を満たしている。機体性能より能力特性にリソースを振ったギアだろう?ならば調装の余地は十分にある……空が飛べるぞ」

 その言葉に、シリルははっと顔を上げた。エルディンは頷いた。

「シュタイナーの技術には飛行に特化したものもある。【FLA08X】をベースに君の機体を空へ上げることは可能だ。どうだね?」

 エルディンは熱っぽく言った。

「力が欲しくないか?機体性能の上昇は保証する。足りないものを継ぎ足して、望みを得るんだ。悪くはないだろう?きっと俺達はいい友人になれるさ、ギア仲間だからな」

 シリルは口ごもり、エルディンは付け足すように言った。

「……俺達の、五番機(セラエノ)になってくれないか?」

 シリルは決めかねているようだった。即座に撥ね付けることはしない、というのが彼の気持ちを何より証明していた。

 力。魅力的で、陳腐な言葉だ。誰だって、願いを叶える力が欲しい。嫌なことから逃れるための力が欲しい。

「……あの」

 ややあって、シリルは何か言いかけたが、その内容を知ることは誰一人出来なかった。邪魔が入ったからだ。

『お客さァん、困りますよォ』

 店主らしい親父はつかつかと歩み寄ると、彼らに言った。

『店んなかで』

「あぁ、すまない、気にしないでくれ」

 エルディンはすげなく言った。が、親父は引き下がらなかった。

『いぃえェ、本当に困るんですよォ、こんな振る舞い。実に不都合なんですよねェ、商売あがったりですよォ』

 親父は虚ろな眼で言った。

『……シリルを拐かされちゃあ、ね』

「……?」

 シリルは絶句した。ウェイトレスの女が厨房の前で言った。

『困るんだよォーーッ、余計なことを吹き込まれるとォ。邪魔になるじゃあないですか、あんたら関係者でもなんでもないんだから』

『そうそう、ダメだよ、シリルを連れてっちゃあ。そんなことをしちゃあいけないなあ』

 テーブルに座っていた黒服の客も、振り返ってぶつぶつ言った。宿屋を兼ねているらしい二階からも、客が次々に降りてきた。階段がばたばたと鳴り、その音は止まなかった。泊まっていた全員が、下へと降りてきたらしかった。

 彼らは口々に言った。

『ダメだ』

『ダメだよ』

『シリルに触るな……』 

 その全員が虚ろな眼で、亡者のように歩いていた。それらはやがて、群衆になって五人を包囲した。肩がぶつかり合い、足音がどうどうと唸る。

『シィィ……リィ……ルゥゥゥゥゥゥゥ……!』

 その瞳の全てが漆黒に染まっていくのを見て、シリルは叫んだ。

「あぁ、これ!」

「操作されている……」

 コロリョフが呟いた。だが、人間の自我の操作はかなりのハイコストだ。それを成すためには、もっと手っ取り早い方法がある。

「全員、既に死体になってるのか!」

 エルディンは彼らの肉体を見つめながら言った。

 微かに血の臭いがした。ティアンたちは既に生命ではなく、単なる死体(モノ)に成り果てていた。どんな魂も、彼らの肉体を()()していないのだ。《看破》は、もう意味をなさなかった。

「これは、あの黒い女の能力……!」

「姉さん、なんで!」

 そして、群衆が突進した。不気味な動きで、自傷も気にしない勢いで迫る。手足がぶつかり、椅子やテーブルを蹴飛ばしてもなんらはばからない。シリルはステラの手を掴むと、必死に叫んだ。

「……外へ!」 

 ステラは素早かった。躊躇いなく剣を引き抜くと、操られた黒い死体に蹴りと殴打をかまし、退路を切り開いた。客や店主が弾け飛び、店が揺れた。当然、ステラはドアも蹴り破った。

 木屑と砂を潜り抜け、追いすがる死体を蹴散らしながら二人は通りへまろび出た。外では、相変わらずの日差しが眩く視界を刺していた。砂埃が舞い落ちるより速く、二人は地面を蹴った。

「早く、早く!」

 シリルは喘ぎ、ステラも頷きながら走った。だが、その足取りはふと遮られた。どん、と何かにぶつかる音がした。

 足を取られて転んだステラに、影が落ちた。

 後ろでは、シリルが震えていた。そこに立っていた人影に、見覚えがあったからだ。

「……兄さん」

「やぁ、シリル」

 エドワード・ファイアローズは朗らかに言った。その後ろには、壊れかけた馬車に墓標のような十字架が突き立っていた。青銅の分厚い塊は、炎天下でも涼し気に屹立し、自分の能力を展開していた。

 歪められた空間の壁が二人を囲んでいることにシリルは気が付いた。押しても引いてもびくともしない壁だ。向こう側は見えるのに、掌が通っていかない。

「ジェスイット……!」

「旅行は楽しかったかい?」 

 何の含みもなく、エドワードは言い、そしてステラを見た。

「それに、こちらは予想外だ」

「……久しぶりね」

 ステラは立ち上がり、埃をはたきながら目の前の青年を悔し気に睨みつけた。

「……エドワード」

「ああ、本当に、さ。背が伸びたんじゃない?」

 エドワードは微笑んでいた。

「剣を見て、すぐに君だと思ったよ。見覚えがあったからね。あの呪いはエストレーラさんの掛けたものだろう?」

「気安く呼ばないで……!あの剣は、あたしのものよ」

 言葉を交わす二人に、シリルは呆然と言った。

「え?なんで……」

「そりゃもちろん、シリル、僕らは知り合いなんだよ」

 エドワードはあっけらかんと言った。

「しかし、驚いたよ。昔からお前は僕のお古ばかりだったけれど、まさか女の子までそうなのかい?」

「そんな言い方!」

 ステラは激昂して空間の壁に掴みかかった。鼻先の距離まで近づいて、そこで阻まれる。ステラは腹立たし気にその壁を殴りつけた。

 が、ふとその手足がガクンと揺らいだ。エドワードは嗤った。

「流石に効きが速い。シリルはもう少しかな」

「何を……!」

「昏睡ガスだよ。メイドの一人に腕の良い【薬剤師】がいてね。調合させたのさ」

 ステラは地面に崩れ落ちると、苦し気に息を吐いて地面を引っかき、動かなくなった。

 シリルも身体がふらつくのが分かったが、わかっていても止められなかった。次第に暗くなる視界の底で、シリルはこの上なくエドワードを睨み続けていた。

「兄……さん……」

 頬に砂の感触がして、世界は真っ暗になった。遠くで、エドワードの言葉が聞こえた。

「心配せずとも……丁重に扱うさ」

 

 ◆

 

 二人が昏倒したのを確かめてから、エドワードは能力を解除した。既に使いすぎだ。エンブリヲンの守りは堅いが、穴は少ない方がいい。

「さて、始めましょうか」

 耳を澄ませば、遠く軍勢の音が聞こえた。唸るような、鈍く響く音だ。どうやら、敵もやる気らしい。

「そうでなくては。牙を剥いたくせにすごすごと退却することほど、醜い行いはない」

 エドワードはさっと手を振った。

「クラリッサ?」

『ええ、お兄様。《光学迷彩》……解除』

 そして、空が暗くなった。

「いつ見ても壮観だよ、イーリス」

 炎天を透かしていた力は消え失せ、景色が揺らいでいく。抜けるような青空は消失していき、黒い虹が縦横無尽に走った。

 空を引き裂いて現れたのは、巨大な艦だった。無数に重ねられた装甲は優美なかたちを造り、艦の腹には燃えるような赤薔薇の紋章が掲げられていた。風を集め、虚空に漂う船だ。輪郭の縁に陽光が光っていた。

 クラリッサ・ファイアローズの能力は、TYPE:アームズ・アドバンス、【奇怪光学 イーリス】。光学迷彩の力を持った塗料だ。それを塗布されているエンブリヲンは、光を歪めて姿を隠せる。けれど、一度それを解除したなら、本来の威容は堂々と現れるのだ。

 エドワードはまた、ほっと息をついた。空を往く戦艦の巨大さは、それほどに素晴らしかった。

 太陽を覆い隠すそれがゆっくりと砲門を開くのを見上げながら、エドワードは指揮者のごとく両腕を広げた。

「思い知らせてあげるよ……エンブリヲンの真価をね」

 

 To be continued

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