□■二重都市サンフォーリング
砂漠の風は凪いでいた。
金色の砂を押し流す大気の流れは、砂防の堤に阻まれてすげなく消えていく。その内側には、廃墟の上に積もった
ステラは宿を出て、道端の小綺麗な石に座っていた。ジルルクの朝食に金を払う気にはなれなかったからだ。
香辛料の匂いを辿って、ステラは視線を動かした。思った通り、香ばしい肉を焼く出店が並んでいた。
「ひとつ」
「五〇〇」
「五十」
「なら、二〇〇だ」
ここでは全てが高い。ステラは顔をしかめながら肉にかぶりついた。甘い脂と辛味のあるタレが口のなかで溶けていく。まぁ、これなら二〇〇リルの価値はある、とステラは思った。
この砂漠の果てまで物資を運んでくるのは至難だ。行商はめったにこない……旨味のない取引に骨を折るほど商人たちは愚かではない。僻地はいつだって貧しいものだ。
ステラは名残惜しげに最後の欠片を呑み込むと、財布の中身のことを考えてため息をついた。
故郷の家から持ち出せた全財産は半分を切っていた。旅というものには、普通の暮しとは桁違いの金がかかる。昨晩の諍いを乗り切れたのは幸運だった。
ジルルクのバルコニーを粉砕したことで宿の主は大変ご立腹だったが、ステラだって雑な日曜大工の責任を取らされてやるつもりはさらさら無かった。第一、ステラが壊したわけでもないのだ。弁償金は払わないことを念入りに合意したやりとりを思い出して、ステラはまたため息をついた。
そして、一瞬の瞠目より早く、ステラは立ち上がった。腰の剣が鞘ごと引き抜かれ、うなりを上げて身体が回る。その腕がピタリと止まり、ステラは言った。
「あたしの後ろに忍び寄らないで」
「……ごめん」
シリルと名乗った少年は困惑して言った。こめかみの寸前で静止していた鞘を再び腰に差してから、ステラは呆れた顔で白金の少年を睨み付けた。
「なんでまだいるの?」
白金の髪。琥珀色の瞳。<マスター>の少年は、既にこの町を出たものだと思っていた。ドライフ皇国へ行きたいと、確かそう言っていた。
「……どうせ死なないんだから」
最後のそれだけは、口の中で呟いた。
砂漠を這いずるワームたちだって躱せるだろう。自分と同じような年に見えても、きっと左手には巨大な力を持ち合わせている筈なのだから。
だが、そんなことはおくびにも出さず、シリルは顔を綻ばせて言った。
「ありがとうって言いたかったんだ。昨日君がいなかったら、きっと弁償させられてたから……お金、持ってなくて」
「いっそ支払えばよかったのよ」
落ちてきたのは本当なんだから。ステラはそう言うと、踵を返して歩き出そうとし……その足を止めた。シリルはおかまいなしに続けた。
「ねぇ、なにかお礼をさせてよ!君はどこに行くの?」
「生憎、どこへも行けないの」
ステラは忌々しげに言った。
「この町まで来たのは良いけど、先に進めないの。隊商はなぜか出ないって言うし、一人じゃ……」
そこでステラは言葉を切って、瞬きとともにシリルを見た。正確には、その左手を。
「……お礼をするって言ってたよね」
「うん。オレに出来ることなら、手伝うよ!」
シリルは景気よく言う。ステラはニヤリと笑って、その手を取った。
「ねぇ、砂漠を越えられる?」
隊商が出ないのはこの際、別に構わなかった。あくまでステラの目的は王国へと向かうことだ。それが出来るなら、ひとり旅に抵抗などない。
「それって……?」
「出来るでしょ、<マスター>なら!」
ステラは目を細めた。
「……<エンブリオ>があるなら」
シリルの瞳が揺れた。その左手が自信なさげに震えた。
「ごめん、オレのは……ダメなんだ」
「使えないってこと?でも<マスター>は皆……」
「いや、持ってる、持ってるよ!ただ、ちょっと都合が悪いって言うか……」
シリルは言葉を濁した。その左手で、虹色の紋章が光った。
「とにかく、ダメなんだ」
「……あぁ、そう。じゃあいい」
ステラの瞳が曇る。落胆と共に彼女は手を離し、顔を背けた。シリルは慌てて言った。
「でもさ、他のことなら役に立てるかもよ!何か……」
「無一文の子供に何が出来るって言うのよ!」
ステラはシリルを鋭く睨み付けながら叫んだ。
「あたしは王国へ行きたいの。それ以外はいらない……<エンブリオ>以外のあなたには期待してない」
ステラが
「どこへ行くのさ!」
シリルが追う。白金の髪が揺れた。
「隊商に付いていくのだって、出ないんでしょ?」
「……そうよ。だから、訪ねに行くの」
なぜ隊商が出ないのか。どうにか手立てはないのか。それを聞けるのは、この冷淡な町に詳しそうな人物だろう。
「ミルハルを、探しに行く」
◇◆
「……またあんたかい」
パライラは暇そうに言った。バザールは旅人来訪のかすかな熱からすら冷め、代わりに倦んだような空気が流れていた。
砂混じりの風は緋色の布を揺らしていた。軽食をとったのか、香辛料の匂いが残っていた。
「買うのかい?」
「おばさん、ミ……昨日、あたしといたあの人の居場所を知らない?」
ステラは朗らかに努めて言った。笑顔は得意だ。口角を上げ、少しだけ顔を傾ける。
「この街にいるはずなの」
「……知らないね」
パライラは吐き捨てた。その鋭い視線が不躾にステラを嘗め回す。
「買わないならおどき。仕事の邪魔だよ!」
「何よ、客なんていないくせに!」
ステラは捨て台詞を残して逃げ出した。パライラは尻尾を踏まれた野良猫のような嗄れ声で激怒を表明していた。
「あれは失礼だよ」シリルが言った。「答えてくれる筈がないじゃないか」
「余計なお世話よ!」
ステラは苛立ちをぶつけるようにシリルに叫んだ。シリルは首を傾げて言った。
「そのミルハルって人を探してくれば、助けになる?」
「……出来るならね」
ステラはつっけんどんに言った。顔も知らない人間をどうやって探せるというのか。
それはステラにとっても同じだった。考えてみれば、彼の素性や顔も正確には知らない。もっとも、それで諦めるような気にはなれなかったが。
シリルのほうは、仕事の難しさを分かっていない顔であっけらかんと笑っていた。
「じゃあ、そのミルハルって人を探してくるよ!」
言うなり、シリルは走り出した。足取りを金色の砂埃が彩って踊る。角を曲がって見えなくなる少年をよそに、ステラは鼻を鳴らした。
「うるさいのがいなくなった」
日差しは薄暗かった。巨塔の残骸が雲のように太陽を遮っていたからだ。その隙間から光る陽光を惜しむように、ステラは目を細めた。
「で、ミルハルって人を知らない?」
ステラはすぐそばに突っ立っていた男に尋ねた。退廃的な臭いのする男は、頭に巻いた緑色のターバンを結び直しながら、ぶっきらぼうに答えた。
「朝飯をまだ買えてなくてね」
「……これでいい?」
ステラの投げた硬貨を素早く掴みとって、男は舌打ちをした。
「少ないな」
「相応よ」
自分を納得させたのだろう、男はボロ布を引き締めて呟いた。
「……先に言っとくが、オレ以外のやつに訊いても同じ答えだろうってことを断っとくよ」
「それで?」
「ミルハルって男の居場所は知らない」
踵を返しかけたステラの肩を男が掴んだ。
「最後まで聞けガキ!いいか、ミルハルって名前の男はオレの知り合いだけでも三人はいるんだ、それだけの名前じゃ確かなことは言えねぇよ」
「……昨日、この町に来たミルハルよ」
ステラは言った。
「よそ者って感じじゃなかった。土地勘はあるみたいだし」
「出戻りか?そんなもん手がかりにならねぇ、この町を出てくやつの名前なんかいちいち覚えてないからな」
男は吐き捨てた。
「誰の息子か、職業は何か、いつの生まれか、それくらいの付し名はねーと」
「ここらじゃそういう名付けをするの?」
「あぁ。オレならシュルール・
シュルールは首を振ってそう言った。ステラはため息をついた。
「じゃあ、人探しは難しいのね?」
「そうでもねえんだな、それが」
シュルールはニヤリと笑った。
「町の外れ、北のほうだ。真っ赤な斜め柱の麓を目指せ。そこに“探し屋”がいる」
「“探し屋”?」
ステラは首をかしげた。
「探偵ってこと?」
「それは知らねえ。人探しの力を持ってるって話だ。そこへ行きゃミルハル某も見つかるだろ」
「ありがとう」
ステラは心から礼を言った。シュルールは荒っぽく唇を持ち上げて笑った。
「いいってことよ」
その掌が開く。中には、ステラの財布が握られていた。
「お代は貰ったからな」
「ちょっと!」
ステラが踏み込むより早く、財布は落ちた。彼女が地面の手前でそれを受け止めたとき、シュルールの姿は既になかった。
「盗賊系統だったのね……」
中身の少しだけ減った財布を確かめて、ステラは呟いた。情報料ということだろう。追いかけても無駄なのは分かっていた。
北の方角には、確かに赤い柱が見えていた。遺跡塔の麓にかじりつくように、傾いたまま突き立っている。
ステラはそこへ向かって歩き出した。シュルールが嘘つきであったとしても、試すくらいのことは必要だった。
◇◆
町の外れなどと言っても、そもそものサンフォーリング自体が栄えた都市なんかではないのだから、自然、その外れに至っても大して変わりはなかった。家並みが疎らになり、遺跡の割合が増えた程度のことだ。
並び立つ金属製の廃墟の間には、所々深い縦穴が開けられていた。発掘のための入り口なのだろう、周りには粗末な小屋もある。
それらは全て、廃墟の質感と同化していた。使われない道具が死ぬのは早い。あっという間に朽ちてしまう。道端に捨て置かれた【発光晶】の屑が僅かに光っていた。
里程標の数は増えていた。あるいは、それは墓標だったのかもしれない。物悲しげな廃墟の都市は、錆とセラミックの砂に埋もれて悲哀を光らせていた。
「街も死ぬんだ」
ステラは呟いた。ここはまさしく死骸だった。ステラが住んでいた村とは違う。野の獣が塵に帰り、人が骸を残すように。その上に同じ名前で蔓延るサンフォーリングの
ステラは思い出したように口元を覆った。なぜこの砂が毒なのか、分かったような気がした。荼毘の灰を吸い込みたがるものはいない。
風は穏やかで、気温も心地よかった。この不毛の大地で、数千年前に文明が生きていたのだ。今の光景とは及びもつかぬであろうそれを、ステラは空想した。
そして、ステラは目を開けた。足音がする。自分の物とは違う、無遠慮な足音が。
気づけばそれは辺りに散らばり、ステラを囲んでいた。砂が飛び散り、それらが姿を現す。
出てきたのは黒服の男たちだった。眼だけを出して顔を覆い、衣服も黒ずくめで出来ている。色だけを合わせたのだろう、意匠はちぐはぐだったが、たったひとつの共通点として、全員が鈍色の牛を象ったバッジを胸元につけていた。
「何の用?」
ステラは鋭く尋ね、同時になんてバカな質問なんだろうと思った。賊に決まっている。やることはひとつ、
『身ぐるみ頂く』
賊の一人が掠れた声で言った。ステラは微笑んだ。
「それだけ?お優しいのね」
若い女に使い道が多いことなどステラも知っている。奴隷にされ、服を剥かれ、獣のように売られる哀れな人間たちを道中見てきた。大体はカルディナへ卸されるのだ。
「まぁ、やられてあげるつもりはないけど」
ステラは挑発し、それを皮切りに賊が突進した。
ステラの判断は素早かった。賊の一人に向かって踏み込み、身体を傾ける。その勢いをしならせて、ステラは上へ飛んだ。
『!?』
その賊が困惑に足を止める。視界の外から、ステラはその賊の頭に鞘ごと剣を振り下ろした。
脳天を殴られた賊がふらつき、そして周りから別の三人が迫る。その内の一人に目を付けると、ステラは頭を殴った賊の腰を蹴飛ばし、玉突きのように転ばせた。
(そして、二人!)
転ぶ賊の影に身体を隠して、ステラが踏み込む。倒れゆく賊の袖を掴み、体重を揺らして身体を回した。正面から飛びかかった残りの二人が空振りにたたらを踏む。隙だらけだ。
ステラは剣身を手の中で滑らせると、鍔を握り、体勢を崩した賊の背中を柄で突いた。そのまま傾く背中を踏み台に、残りの一人へと回し蹴りを放つ。顎の先を掠めた蹴りは、賊の脳を揺らして昏倒させた。
最初の賊が砂埃に沈み、しかし起き上がらんと地に掌を突く。そのうなじを爪先で蹴飛ばし、ステラは辺りを睥睨した。
「まだやるの?」
賊たちは怯えたように後ずさり、しかして目配せをかわした。その内の一人が槍を取り出した。
間合いを長く取れば、有利を手に出来ると踏んだものか。だが、
「遅い!」
ステラはすでに走り出している。その身体が反射的に突き出された槍を躱し、その柄を逆に掴んだ。槍使いが前に引かれてつんのめる。
ステラが踏み込む。間合いの内側に入ってしまえば、あとはこっちのものだ。鞘の先端が鳩尾を抉り、槍使いは沈黙した。
その身体とすれ違うようにステラが前に走る。次の瞬間、槍使いの身体を躱すために、ステラの後ろから襲いかかっていた短剣持ち二人が身を捩り……
「命中」
槍使いの身体の陰から出てきたステラの両拳が、二人の鼻を殴り付けた。自分達の勢いも相まって、二人が悶絶する。そして、その隙をくぐったステラの峰打ち一閃が二人のこめかみを痛打しーー
「そこまでだ」
ーー若い男の声が響いた。
「ガキ、そのへんにしとけ!お前らもだ、武器を下げて覆面取れ!」
その男の声を、ステラは知っていた。
「シュルール、貴方の助言はこのため?」
そう、シュルールの声だ。
いつの間にかそこに立っていた緑の額当てをした男は、その言葉に肩をすくめた。戦意の無さを、両の手を挙げて示す。
「信じがたかろうがよ、これは偶然だ。金貰ったからにゃ、嘘はつかねえ。《真偽判定》は?」
「持ってない」
「そりゃ残念。話が早かったのに」
シュルールが瓦礫に腰かける。顎をしゃくったその動きに、賊たちは素早く反応した。
「怪我人の手当てくらいはいいだろ?もうお前をどうこうする気はねェよ」
賊は倒れたはらからを抱えあげ、ぞろぞろと去った。それを横目に、ステラは立ったままの視線だけでシュルールを威圧した。説明しろ、という意味を込めて。
「……俺たちは<
シュルールは話し出した。
「対人戦もやらんではないが、主戦力は機械兵器でね。普段はパーツやら建材を持ってそうな……【
「そうね、機械部品は持ち合わせてないわ」
ステラが冷たく言う。彼女の領分は剣術だ。シュルールは頷いた。
「悪かったよ。幸い誰も死んじゃいねェみたいだしな……そこには感謝するよ。お前、強いな」
その顔が綻んだ。ひとかどの強者への敬意は、厳しい土地であればあるほど持ち合わせがある。
「
「AGIが高くても、動き出しの判断が遅ければ同じよ。それに、正面から突っ込むだけじゃね」
「覚えとこう」
シュルールは苦笑した。その手がさっと振られ、賊……<遊牧民>たちが姿を消していく。
「じゃあな」
「待って」
立ち上がるシュルールを前に、ステラは言った。その目は猜疑するように細められていた。
「わたしが操縦士系統じゃないことなんて、一目見れば分かるでしょ?なぜ間違えたの?」
「あぁ、まぁ、あいつらもそれには気づいてたみたいだけどよォ……お前の連れだよ」
「連れ……?」
ステラは考え込み、そしてはっと顔を上げた。
「シリルのこと?」
「そういうのか?とにかく、そいつを襲うつもりが、一緒にいたお前にまで波及したって寸法らしいな」
シュルールが笑う。ステラは顔をしかめると、砂を蹴飛ばして歩み寄った。
「それじゃ、今、シリルを襲ってるってこと?!」
「別働隊がな。確かにそうだ」
あっけらかんと言うシュルールの胸ぐらを、ステラは掴んだ。その顔は怒りに震えていた。
「シリルの居場所はどこ!教えて!」
To be continued