鮮血のエンブリヲン   作:Mk.Z

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第二十話 KID C/虜囚、屹立す

 ■【浮遊航行艦 エンブリヲン】

 

 窓から日差しが差し込んでいた。

 この艦の上層はジェスイットの力で二重に護られていると、シリルは知っていた。窓を開いても、戦火は届きもしないだろう。

 昏睡から身体が目覚めたとき、部屋の中はひどく殺風景だった。精緻な絨毯と、簡素な机に、座椅子。壁は薄い緑色で、触るとかさかさいった。

 シリルは座椅子に身体を預けた。机の上には白い陶器の水差しが置かれていて、それだけがシリルがここにいるためにあるものだった。時計すらない部屋では、時間の感覚すら曖昧だった。

 そして、扉がゆっくりと開いたとき、シリルは咄嗟に身体をこわばらせた。

 入ってきたのはヴァネッサだった。いつも通りの黒いスーツに身を包み、足元には分厚いブーツを履いている。それは絨毯を踏みしめてごとごとと重い音を立てた。

「あぁ、シリル!」

 ヴァネッサは座椅子に座るシリルへ抱きつくと、その首筋に顔を埋めた。きりりとした鼻筋がシリルの鎖骨にぶつかった。

「ようやく、帰ってきてくれたのね」

「……」

 シリルはヴァネッサを毅然と払い除けようとしたが、ただ無様にもがいただけだった。その手を逆に握りしめさえして、ヴァネッサは言った。

「二度と出ていかないで?寂しかったんだから」

「……さぁね」

 シリルはせめて、言葉だけでもと思ったのだろうか。にべもなくはねつけた。

「どうせだから言っておくよ。俺は、また隙を見て逃げてやる。絶対に……!」

「ダメよ、ダメよシリル。そんなこと言わないで」

 ヴァネッサの瞳は冷酷さの色を帯びていた。

「そんなの、悲しいわ。ねぇ、わたしを悲しませたいの?シリルはお姉ちゃんが嫌いなの?そんなことはないでしょう?」

 ヴァネッサは自分も椅子を引きずってきてシリルの前に座った。

「今ねぇ、あの女も捕まえてあるの」

 シリルはハッと顔を上げた。

「ステラを?」

「エドワードが言ってたわ。あの小娘をシリルの枷にするって。屋敷で飼うそうよ、もしシリルが逃げ出したならこの上ない屈辱と苦痛の中で殺すわ」

 ヴァネッサは獰猛に舌なめずりをした。そのときは絶対に自分の手でやる、とその眼は雄弁に語っていた。

「そんなこと……」

「どう?これでもまだ逃げ出すって言える?」

 ヴァネッサとシリルは見つめあった。二人の琥珀色の瞳が、視線を絡ませていた。

「……ステラには、手を出さないで」

 やがてシリルは渋々言った。細い指が座椅子の端を悔しげに掴んでいた。

「質問に答えてないわ……逃げ出さないの?どうなの?」

「あぁ、逃げ出さないよ!」

 シリルはやけっぱちに言った。

「二度と逃げたりなんかしない、家族皆でこの屋敷で暮らす、それで良いだろ!」

「……そう」

 ヴァネッサは頷いた。だが、その顔は決して笑顔ではなかった。絶望に近い、冷たい表情だった。

 

「シリルは、あの女の為なら我慢できるのね」

 

「……え?」

「逃げ出したいのに、出ていきたいのに。あの淫売の小娘を盾にすれば言うことを聞くんだ?ねぇ、そんなに大事なの?大事なんだ?」

 ヴァネッサの指が、わなわなと震えていた。

「そんなのを許せるわけないじゃない……!」

 ヴァネッサはゆっくりと立ち上がった。不気味なほど緩慢に、椅子を部屋の端へと投げた。

「姉さん、何を……」

「言ったでしょ、殺しにいくのよ」

 ヴァネッサは一歩を踏み出した。

「ティアンで良かったわ。消せるもの。ここまでシリルを誑かした罪を償わせて、泣き喚かせて許しを乞うのを聞きながら、少しずつ殺すの」

「そんな……話が違うよ!」

「だってしょうがないじゃない!」

 ヴァネッサはまた一歩、踏み出した。

「シリルがそうなんだもの!報いは必要で、邪魔なものは退かす、そうでなきゃいけないの。まずは耳を削ぐの、その次は指よ。口と眼は最後まで残しておく、絶望して後悔するのを聞かなきゃいけないんだから」

 ヴァネッサはふらふらとドアノブに手を掛けた。蝶番が軋んでいた。

「ええ、もう少ししたらきっと分かるわ。今のあなたは悪い女に騙されているだけ、お姉ちゃんが助けてあげるから……」

「やめ……」

「ほら、ね」

 琥珀色の瞳は、最後に粘りつくような視線を残して消えた。

 扉が閉まった。

 シリルは呆然と立ち尽くしていた。

「なんなんだ……?」

 どうしていいか分からなかった。シリルはいつしか拳を握っていた。左手を見下ろすと、そこには見慣れた虹色の紋章が刻まれていた。

「……姉さん」

 扉の外で、立ち止まる音がした。シリルは叫んだ。

「姉さん……!」

 なあに?シリル?

「俺は、姉さんのことが……」

 どうしたの?

 

「……大ッ嫌いだ!」

 

 そして、彩雲と虹が爆発した。

 

 ◇◆◇

 

 屋敷の別館は木屑と石を吐き出して崩れていた。煉瓦と窓枠が落ちていき、屋根瓦が裂ける。そのただ中で、純白の巨人は拳を振り上げていた。

『シャングリラァァ!』

 シリルの叫びに応えるように、シャングリラは拳に光を集めた。虹色の拳は風を吹き飛ばして、頭上からヴァネッサへと迫った。

 そして、それを横合いから()()の腕が弾き飛ばした。

『……ッ!ゲヘナか!』

 庭園を引き裂いて突然現れた黒い機体は、シャングリラから庇うようにヴァネッサへ覆い被さると、自分のコクピットを開いてヴァネッサを迎え入れた。その深紅の瞳は、シャングリラの碧眼を睨み付けていた。

『シリル……どうしても分かってくれないのね』

『当たり前だろ!何べんだって言うさ、俺は、姉さんが嫌いだ!』

『そう。なら、あなたも(アイ)してあげるね。そうしたら、全部うまく行くんだから』

 ゲヘナは別館だったものを掴むと、シャングリラへ投げつけた。砕け散った瓦礫に紛れて、ゲヘナの腕がシャングリラの顔を掴んだ。

『このッ!』

 シャングリラがその腕を握りしめた。発熱する掌に、黒い腕部から煙が上がった。煙は直ぐに、炎へと変わっていった。

 ゲヘナが手を離す。それに合わせて、シャングリラは足を振り上げた。瓦礫が庭の池を埋め、倒れた柱が花壇をぐちゃぐちゃにした。

 ゲヘナはシャングリラの蹴りを躱し、空中へと舞い上がった。

『……エドワード!』

 ヴァネッサは叫んだ。

『上のジェスイットを解除して!邪魔!』

 共用チャンネルで艦内に響き渡ったそれをエドワードが聞いたのかは分からないが、とにもかくにも、誰かが障壁を解除したらしい。途端に外の砲火の音が響き始め、ゲヘナはさらに高く舞い上がった。

『《神秘論(シャングリラ)》』

 そして、その背後へとシャングリラが転移した。 

 両腕を交差させたシャングリラが、その腕を振り抜いた。虹色の波紋が躍り、ゲヘナの黒い破片が飛び散った。

『……』

 だが、ゲヘナはそれを分かっていたように、シャングリラの手刀を受け止めていた。白煙が上がり、ゲヘナはまた手を離した。

 シャングリラが落ち、艦の上部装甲へ着地する。周りにはエドワードの十字架(ジェスイット)が突き立っていた。

『【LRW01アサルトライフル】、来い』

 黒くて大きなライフルを担いで、シャングリラは引き金を引いた。銃弾は緩い曲線を描いて、次々と上空のゲヘナへと飛んでいった。

 それを軽やかに左右へ躱して、ゲヘナの中でヴァネッサは笑った。

『シリル?そんなものかしら?』

『いいや!』

 シャングリラはライフルを投げ棄てると、ミサイルコンテナーを取り出した。空を汚して、ミサイルたちがゲヘナへ飛んでいく。

 ゲヘナはその黒く滑らかな肢体を拡げると、深紅の粒子を残して飛翔した。その掌の中へ深紅の鞭が現れる。

『【飛紅鞭 スカイリード】……《熔撃(アルジェンテ)》!』

 深紅の鞭は、空へ直線を刻んで翔んだ。三度の屈折を経て、シャングリラへと赤熱する線が迫った。

 シャングリラは、正面切ってそれを五指で掴み取った。虹の熱と、赤い熱がせめぎ合って火花を散らしていた。

『……ッ!』

 シャングリラは足を装甲へ踏ん張って、鞭を力一杯引っ張った。ゲヘナが引かれて姿勢を崩す。

『《神秘論(シャングリラ)》!』

 その隙を突こうと、シャングリラがまた跳んだ。今度の位置は、ゲヘナの目の前だった。

 予兆もなにもない攻撃だ。虹色のレーザーが膨らみ、シャングリラの掌から溢れ出た。

『……!』

 それを、ゲヘナは受け止めた。黒く染まった盾を素早く取り出して、水の流れを反らすように、光の奔流をいなしてみせたのだ。

 呆けたシャングリラを返り討ちにせんと、ゲヘナは機体を回転させた。銀色のブレードが弧を描き、シャングリラの装甲を抉った。

『……ッ!《神秘論(シャングリラ)》!』 

 胴を真っ二つに出来るはずだったその一太刀を、シャングリラは転移で回避した。それでも、決して浅くない傷が透き通るような白の装甲を砕いていた。

『……すこし、強くなったね。シリル』

『上からものを……!』

『いいえ、これは純粋な賛辞よ。手こずりそうだわ』

 ヴァネッサはそう言うと、盾を投げ棄て、ゲヘナを降下させた。

 黒く細い脚が上部装甲へ降り立つ。シャングリラも装甲を足裏のアンカーで踏みしめていた。

 甲板の上で、二機は、二人は、真っ直ぐに向かい合った。足元の装甲が軋む。躊躇いがちに遠くでうねるワイヤーに、ヴァネッサはピシャリと言った。

『余計な茶々を入れないで、チャールズ!』

 その途端にワイヤーは退き、装甲たちもまた静かになった。チャールズが直通回線で言った。

『……どうするの?』

『言ったでしょ、二人の時間よ。せっかくの機会なんだから邪魔しないで!わたしのすることを黙って見てればいいのよ!』

『はいはい、了解』

 通信が切れる。ヴァネッサは叫んだ。

『シリル!あぁ、ごめんなさい、続きをしましょう?』

 シリルは顔をしかめた。シャングリラが彩雲を吐き出した。

『……なんで、そんな態度でいられるんだよ!』

『嬉しいからよ』

 ヴァネッサは臆面もなく言った。

『嬉しいの。どんな形でも、どんな手段でも、シリルがわたしを見てくれてる!あぁ、あぁ、もう……』

 ゲヘナは鞭を消すと、両腕のブレードを拡げた。

『……最高の気分!』

 そして、深紅の軌跡を引いて、ゲヘナは踏み出した。艦を踏む音が鈍く響いた。

 それを真っ向から受け止めるために、シャングリラも一本の剣を装備し、切っ先に煌めく虹を走らせた。背後では、彩雲の粒子が膨らんでいた。

 一歩。二歩。三歩。そして、二機の刃は衝突し、甲高い音を立てた。

『シリル!』

『……ヴァネッサァァ!』 

 森のような十字架の合間で、剣戟が加速する。その背景では、戦火の様相が変わり始めていた。

 

 ◇◆◇

 

 ■<プレアデス>

 

 【アルシオーネ】は敵艦の上空を旋回していた。その周囲では、遠距離火力に秀でる二機が随伴するように銃口を振り回していた。砲口は依然としてしつこく三機を狙っていたし、何もかもを遮断する空間の壁も健在だった。

 一〇〇メートルは下にあるはずの敵艦は大きすぎて、その感覚を掴むのは難しかった。山のような戦艦の上層では、白黒の二機が脇目も振らず火花を散らしているのが見えた。

 その奥はぼやけてよく見えないが、無数の十字架を越えた先には屋敷のようなものがあるらしい。

『……やっぱり、内輪揉めかな』

 ゾルはモニターを眺めながら呟いた。

『あの黒いのとあいつの白いのは明確に敵対関係だ。今のところ、黒い方にも負けてないよ』

「その辺は放置しとこう。下手に触って敵を増やすのは頂けない」

 エルディンが言った。

『あの戦艦だけど。やっぱりさっき近づいてみて良く分かったよ、<エンブリオ>の複合体だ』

 ゾルは無数の解析結果を弄くりながら、モニタのウィンドウをいくつも開いてはずらしていた。

『船底部分と艦の外部構造は別だね。推進器と、それから表面の塗装も。空間干渉力場はたぶん、あの十字架たちから発してる。出力からみて、恐らくはエネルギー支援能力もいるっていうのがラジエルの結論。93%』

「なら、正面から戦うのは分が悪いな。やはりあの空間障壁をどうにか突破したいが」

『けど、接近してもあの装甲に阻まれる』

 ゾルは忌々しげに言った。横からコロリョフが付け足した。

『ゼロエルの火力でもすかされたんだ。相当貫通力のある火砲を使って、なおかつ大規模に破壊せにゃあ沈まんぞ』

『そんなの、どうするのさ?』

『さあな。とりあえず次は貫通型のミサイルを使うさ。それで少しはましになるはずだ』

 コロリョフは、自分でもさほど信じていなさそうな雰囲気で言った。

『ここからは遠巻きに……』

 コロリョフが言いかけたとき、りりりんと全体通信が鳴った。

『全隊に通達。フォーメーション99に移行。繰り返す、全隊フォーメーション99に移行』

 サンフォーリングの総隊長がノイズ混じりにそう言うのを聞きながら、エルディンは周りを見渡した。

 戦車部隊が下がっていた。散開のしすぎだ。あれでは【ガイスト】の砲が届かない。

「なんだ?作戦中止か?」

『それにしちゃ、動きが大人しいが』

 射程距離を出ていく彼らを見て、ゾルが言った。

『僕らも下がるかい?なんか妙だよ』

『そうだな。その方がいいんじゃないか』

「……なら、一旦距離を取ろう」

 三機は旋回を止め、敵艦を背に飛翔を始めた。背後では、敵艦の砲が三機を追っていたが、超音速の飛行速度なら、それを躱しながらでも戦線に追い付くのは容易いことだった。

 戦車たちは、一定の距離まで下がって静止していた。敗走の動きではなかった。意図のある行動だ。

(フォーメーション99。俺たちには伝達されなかったなにかがあるのか?この動き、まるでなにかを避けているような……)

『<プレアデス>!』

「聞こえている。まさに現在撤退中だ。それで、何を始めるんだ?」

 やっとの通信に、エルディンは皮肉っぽく言った。

『俺たちにも秘密か?』

『サンフォーリングはこれより計画の第二段階、“晴天作戦(オペレーション・ハロー)”を決行する!巻き込まれたくなければ離れていろ!』

 本部からの通信は、それだけ叫んで途絶した。

「巻き込む……?何に巻き込むと……」

『リーダー!』

 ゾルが叫んだ。

『上見て、上!』

 そこで、エルディンは上を見上げた。突き抜けるような午後の青空には、()()()()()()が燦然と輝いていた。

 

 To be continued

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