鮮血のエンブリヲン   作:Mk.Z

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第二十五話 In Rainbows/白と黒

 □■二重都市サンフォーリング上空・高度5000メテル

 

 白と黒の二機は、幾度となくぶつかり合っていた。

 その眼下では砲弾が飛び交い、戦争の光が灯されては消えていたが、そんなことは二人にとってもうどうでもよかった。

『シリル……あぁ、シリル!』

 一人は、狂った愛ゆえに。

『ヴァネッサァ!』

 一人は、滾る敵意ゆえに。

 シャングリラが転移を繰り返し、空を移動する。くすんだ蒼穹の中で、翼なしに這い上がるシャングリラは、確かに、少しだけ、自由だった。

 シャングリラ、それは幻想郷の名前だ。存在も、位置も、不定で不確のものだ。伝説の中にのみその姿を顕す、人々の夢で出来た街だ。

 そして、シリルの望みは、しがらみを振り切って飛び出す力、そのものだった。

 けれど、その動きを、ゲヘナの漆黒の機体は完全に捉えていた。

 虹の雲が湧き、広がり、消えていく。シャングリラは自由落下を続けながらも、幾度となくゲヘナとすれ違い、刃を交わしていた。

『それは無駄なことだわ。シリル……』

 ゲヘナが回転し、双剣を振り回した。それに弾かれて、シャングリラは飛んでいく。その機影が虹と共に失せて、ゲヘナの直上へと出現した。経過時間はゼロ秒にも等しい一瞬だった。

 それを、ゲヘナは受け止めた。シャングリラの握る剣と、ゲヘナのバトルブレードが火花を上げてぶつかり合った。その刃の刃毀れの数が、二機の闘争の変遷を雄弁に物語っていた。

『あなたの“転移”は、確かに強い』

 ゲヘナは紅の粒子を噴き上げ、シャングリラを蹴り飛ばした。頼るもののない空中で、シャングリラは永遠に落ち続けていた。

『でも、シャングリラは飛べない機体。飛べないギア。翼のない力。どこに転移しても動きは読めるし、戦略の自由度も低い。違うところから自由落下を繰り返すだけで、空を飛んでるわけじゃないわ!』

 ゲヘナはその飛行能力を誇るように宙返りをし、そして高度を上げた。

 上空に現れたシャングリラは、小銃の照準を合わせ、発砲した。鉄の礫を容易く躱し、ゲヘナは空へと昇りながら、肉薄してその銃を八つ裂きにした。炸薬が弾け、銃身が砕けて墜ちていった。

『ねぇ知ってた?光……虹の雲を。シャングリラが転移する前と、転移する先の場所には、その光が見える。予兆があって、猶予もあるなら、簡単に躱せるのよ!』

 ゲヘナの腕がシャングリラの胸を掴む。シャングリラも負けじと手を伸ばし、二機は互いの機体を鷲掴みにした。

『うるさい!』

 シリルは吠えた。衝突した装甲が破片を散らした。

『言っただろ、俺は姉さんのものじゃない!人間だ!一人の人間だ!分かった風に言うな!』

『いいえシリル、あなたは私のもの。なんだって知ってるのよ、一緒に暮らしていた。一緒に戦った。その白い<エンブリオ>だって、手の内は全て、知っているわ!』

 ゲヘナがシャングリラを投げ飛ばし、シャングリラはスラスターを吹かして落下を減速した。そして、その胸をゲヘナの蹴りが砕いた。

『《神秘論(シャングリラ)》ァ!』

 機体が失せて、光が迸る。

 ゲヘナは追わなかった。代わりに、その腕を無造作に突き出す。装甲の隙間から湧き出した黒い流線型のミサイルが、シャングリラの転移先に噛みついた。

『……ッ!』

 爆風に、シリルが揺れる。

『動きの癖も、思考の型も、あなたのやることは、全て!シリルのことは、なんだって知ってるし、知りたいの。だって、愛しているから!』

『そんなものが、愛なわけない!』

『じゃあ、なんだって言うの!』 

 シャングリラは再度、彩雲に溶けた。ヴァネッサは高らかに笑った。

『言ったはずよ、知っていると!』

 ゲヘナが四肢を広げ、その背部のスタビライザーが動く。深紅の粒子を引いて、ゲヘナは音速を越えて飛んだ。その機体が虚空を抱き締めたとき、その腕の中には、消えたはずのシャングリラが収まっていた。

『なっ……!』

『捕まえた!』

 シャングリラがもがく。それを苦にもせずに、ゲヘナはゆっくりと浮遊していた。

『《神秘論(シャングリラ)》は、無敵じゃないわ。連続使用に特化した転移は、代わりに大きなものを失っている。わたしが知らないとでも?』

 シリルは顔をひきつらせた。

『あなたは、重さと抵抗を消しているだけ。自分の機体を光に変えて、移動する時間を限りなくゼロに近づけているだけ。存在する座標を書き換えているだけ!だから、実体も、移動経路も、変わらずそこにある!』

 ゲヘナはシャングリラの顔を掴んだ。シリルの頬にそうするように、ヴァネッサはそれを撫で上げた。

『空間跳躍じゃない。だから大質量のものでルートを塞いでやれば、あなたの転移は止められる。簡単に捕まえられるわ?ほらね?全部知っていたでしょう?』

『だから、どうした!』 

 シリルは喚き、シャングリラは頭突きをしようとした。それを躱して、ゲヘナは再び深紅の翼を広げた。

 シャングリラは虹色を引いて、地表へと墜ちていった。それを見下ろして、ヴァネッサは叫んだ。

『翼のない小鳥!翅のない蝶々!だから、わたしが護ってあげるの!』

『馬鹿に、して!』

 虹色が膨らみ、転移を繰り返す。七色の折れ線が天に昇るのを、深紅の滑らかな曲線が追いかけ、突撃をくり出した。

 二つの光は幾度となくぶつかり、破片を落とし、噴煙と飛行機雲を引きながら絡み合った。虚空が回転し、視点は揺れ、周りにはなにも、白雲ひとつさえもなかった。ただ敵対する二機の存在だけが、座標の手がかりだった。

 鎬を削るのは、弾丸と刃と、何より機体そのものだった。

 優勢なのはゲヘナだ。傷つくシャングリラに、ゲヘナは余裕そのもので掴みかかっていた。

『覚えてるわ、シリルが小さかったときのこと。初めて歩いたとき、初めて笑ったとき、初めて泣いたとき、どんな些細なことも!あなたはたった一人だけの、私のシリルなんだから!だから、私と一緒にいなくちゃいけないんだ!』

『違う!おれは、自由になるんだ!姉さんに縛られ続けることを望んだ覚えはない!』

『拒絶するのね!だったらァ……』

 ゲヘナがバイザーを下ろす。深紅の単眼が、ひときわ輝きを増した。

『……(アイ)してあげる!』

 ゲヘナは速度を増し、ついにシャングリラの転移も止まった。シリルは必死に叫んだ。

『《神秘論》!《神秘論》!あぁ!』

『エネルギー、切れ?』

 いくら連続使用に特化した能力でも、無限ではない。空の真ん中で、翼をもがれた白い機体は、無力そのものだった。

『《溶撃(アルジェンテ)》!』

 赤い鞭が走る。それに絡め取られ、虹を纏う機体は不様に逃れようとした。

『このッ……!』

『ふふ……純粋な“ギア”ね』

 虹の粒子が溢れ出す。けれど、鞭に焼けるシャングリラの装甲からは、黒煙が上がり始めていた。

『そうでしょう?シャングリラ?』

 朝の海のような碧眼と、血のように紅い単眼が見つめあう。

『空間に干渉できないから、縛られてしまえばそれで、終わり。空を舞うこともできず、そうやって、せめてものスラスターで抗うのが限界。あなたには自分(ルール)世界(ワールド)も変えられない。……なんて、不様で、醜くて、愛おしいのかしら』

『なめる、なァ!』

 シャングリラの掌が発光した。彩雲を集めた虹の槍が生まれ、シリルはそれを投げようとした。

『でも、良いのよ。だって、お姉ちゃんだもの。そんなシリルを、わたしは誰よりも愛している』

 鞭が引かれ、槍が砕け散る。次の瞬間、鞭をほどいたゲヘナの突進は、シャングリラを弾丸のように吹き飛ばした。

 

『教えてあげるわ……私からは逃れられない、って』

 

 虹を引き、風を裂いてシャングリラが墜ちる。その機体はサンフォーリングの大塔の上層へと墜ち、黒い瓦礫を撒き散らして墜落(クラッシュ)した。

 

 ◇◆◇

 

 サンフォーリングの大塔は、大きく揺れていた。高度は1800メテル程にまで下がり、気圧と気温は幾らか和らいでいた。

「くそ……この!」

 シリルは泣きそうになりながら叫んだ。

 手の内は、知られている。そのことが、心と身体に刻まれていた。シャングリラも、シリルも、あの女(ヴァネッサ)の掌の上で踊っているだけだ。

 甘い言葉で囲い込まれ、愛玩されるだけの存在なのだ、と。

 嫌と言うほど分かっていた。

 瓦礫を散らしながら、シャングリラは立ち上がった。

 既にMPは尽きていた。旧都市塔の壁は崩落に蝕まれ、内部のメイン・シャフトを風に晒していた。黒っぽい積層構造を掴んで、シャングリラは空を見上げた。

 空で、ゲヘナはゆっくりと降下を始めていた。深紅の光が尾を引き、漆黒の機体を照らしている。その滑らかな表面は、ゲヘナの強さの証明だった。

 シリルは、自機に目をやった。

 装甲がひび割れ、焼け焦げ、抉れたシャングリラは、まさにシリルの弱さを教えていた。あがいても、勝てない。世界は、他人は、決してすべて自分の望むとおりにはならない。

 冷たい風が吹いていた。

 塔の上からでも、世界はあまりに広く見えた。砂漠と、遺跡と、戦火と、その向こうにもまだ見えないものがある。地平線の上には、透き通る蒼穹と、微かに雲が見えた。

 

 そのどれも、シリルには遠い。見えているのに、縛られていることも分かっているのに、抗っても抜け出せない。

「同じだ」

 ふと、シリルは呟いた。

 ステラは、自分の才能の無さを嘆いていた。憎んでさえいた。不平等にしかなれない、こんな世界を。

「同じだ……!」  

 自分には、力がない。手の中にあるものは、ゲヘナ……ヴァネッサに打ち勝つには、到底足りない。ヴァネッサが言い、ゲヘナが示し、シリルもそれを認めていた。

 

 でも、使い方は変えられるわ。

 

 ステラの言葉が、不意に脳裏に浮かんだ。シリルは泣きそうな顔で首を振った。

「そんなの……無理だ」

 

 技術があれば、力は越えられる。

 

「無理なんだよ!」

 シリルは叫んでいた。

「俺にはなんにもできない!なんにもない!技術や努力だって才能みたいなもんじゃないか!<エンブリオ>の能力は変わらないんだ、俺がなにをしたって自由にはなれないんだ……!」

 シリルは吐きそうな顔でコクピットにうずくまった。その絶望を反映するように、全周囲モニタの映像には、黒いノイズが走っていた。

「いつもそうだ……君だって、姉さんに敗けたじゃないか。俺は……」

 シリルは、ふと顔を上げた。

 

「《神秘論》……」

 

 シャングリラは一瞬光を増し、そしてすぐに止まった。まだ、転移にはエネルギーが足りなかった。

 それは重さを脱ぎ捨て、大きさを廃し、速さすら越える力だった。けれど、いくら繰り返してもゲヘナには及ばない。

 シャングリラは、手を伸ばした。掌の先では、青空が冷酷に吹き荒れていた。

 自分は、手を伸ばすことなく辿り着ける力を持っている。

 一瞬すら飛び越えて、辿り着ける力を持っている。

 光のように速く、座標を動かす力を持っている。

 けれど、それではヴァネッサに勝てない。さっきまでの焼き直しだ。

 そして、<エンブリオ>の能力特性は変わらない。生まれたものは永遠に、その生まれ方に制約され続ける。

 

「《神秘論(シャングリラ)》……!」

 

 でも、可能性が少なくても、それをどう使うかは変えられる。自分の手で。

 あの少女はそう言っていた。苦しそうな顔で、けれどはっきりと。

 人は過去に縛られている。現在に囚われている。それでも、未来は……

 未来だけは……

 未来の使い方だけは……!

 

 シリルは、シャングリラの操縦席の傍らを引いた。カバーが開き、中身を押し出した。 

 出てきたのは【cl-1246】のシリンジ。毒薬にすら等しいそれを、シリルはためらいなく自らの首筋に差し込んだ。血中を違法薬物が巡り、身体中を侵し、シリルのMP自己生成機能を異常活性していく。

「シャングリラ……」

 シリルは呟いた。

 

 《神秘論(シャングリラ)》。それは、自由を求める力。

 

「……応えてくれ、シャングリラ!」

 

 ◆◆◆

 

 ゲヘナの中で、ヴァネッサは微笑みながらシャングリラを見下ろしていた。

 無力で、けれど利かん気が強くて、かわいらしい末の弟。

 自分がシリルを愛していると、これこそが愛だと、ヴァネッサは決して疑わなかった。愛しているからには、共に暮らさねばならない。一緒にいたい。全てを共有したい。

 血を分けた弟。その楔は、決して消せないものだ。誰だって、自分の血を変えることはできない。

 二人は、“血”に縛られている。その縛りこそ、ヴァネッサとシリルのきずななのだ。けれどそれは……

 

「……?」

 

 そんな思いの途中、ヴァネッサはふと首をかしげた。

 眼下では、崩落する塔の壁面で、シャングリラが身を起こしていた。その透き通る乳白色の装甲に、光が踊っていた。

 虹がざわめく。

 光は強まり、明滅していた。それは、ヴァネッサも知る《神秘論》の前兆だった。

(【cl-1246】の補給ね。また鬼ごっこのつもり?)

 それもよしとするつもりがヴァネッサにはあった。徹底的に“愛”を教え込み、シリルにそれを受け入れさせるためなら、ヴァネッサは一切の努力を惜しまないし、周りで起こる全てよりそれを優先する。父の言う“家族”になど、正直、興味はない。

 しかし、シャングリラは動かなかった。転移の光を発しながら、座標は変わっていない。虹が煌めき、彩雲が巻き起こり、それでも動かなかった。

(なにを……)

 ヴァネッサにとって、シャングリラの“力”など、取るに足らない存在だった。簡単にねじ伏せ、屈服させられると思っていた。

 けれど、眼前の光景はどこか、不穏なものをヴァネッサに感じさせた。これから始まることが、なにか予想も出来ないことのような気がして、ヴァネッサは目を細めた。

 シャングリラが一歩を踏み出した。

 今や、虹色のオーラははっきりと強まっていた。透き通る装甲が何十万という色彩に染まり、光が膨らんでいく。

 シャングリラが点滅していた。鉄灰色のフレームでさえ、虹に染まっていく。虹に変わっていく。光が脈打ち、シャングリラを通り抜けていく。

 その背後で、彩雲が弾けた。光の粒子が虹色の翼のごとく立ち上り、シャングリラの輪郭が霞んだ。

 

 それは、まるで羽化のようだった。

 

 七色の翅は高空の大気を揺らし、光の筋になって羽ばたいた。光環が生まれ、地平線を目指してさざめいて、そして崩れて消えるのを繰り返す。

 鯨の歌のような、狼の遠吠えのような、胸と鼓膜を震わせる叫びが響いていた。空に鳴りひびく虹の唸りは、まさにシャングリラの歓喜の詩だった。

 

「何よ、それ……なによそれ!」

 ヴァネッサは取り乱した。

「知らない……そんなの知らない!知らない!」

 その琥珀色の瞳は鋭く、その光を睨み付けていた。

「知らない……知らない女の臭い……」

 

 シャングリラは虹の巨人になっていた。その機体の全ては、転移する直前のように発光し、光の粒子に変わっていた。

 光の翼を背負い、シャングリラは虚空へと機体を動かした。

 その足は、否、その翼は、空を踏みしめていた。

 天空を掴んでいた。

 蒼穹を手に入れていた。

 

「《神秘論(シャングリラ)》ーー」

 

 虹は爆発した。

 

「ーー《アストラルドライヴ》」

 

 To be continued

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