鮮血のエンブリヲン   作:Mk.Z

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第二十六話 Higher Than The Sun/no.1

 □■二重都市サンフォーリング

  

 ヴァネッサは顔をひきつらせて、シャングリラを見ていた。

 虹色に染まった機体は、空へと舞い上がっていた。光の翼を広げ、虹の線を引いて軽やかに翔んでいる。

 今までの、転移を繰り返してバーニアを吹かす無茶な空戦機動とは違う。本当の意味で空を飛んでいる動きだった。色とりどりの波が、機体の後ろに揺蕩っていた。

「エネルギー総量には変化なし……<エンブリオ>の形態進化じゃない……あれは、何?」

 揺らめく残像を引いて、光を纏うシャングリラは加速した。虹の粒子で出来た翼が、羽ばたくように動いていた。

「速いッ!」

 虹が走った。

 ゲヘナがミサイルを放ち、鞭を振り回す。だが、その動きは完全に振り切られていた。

 虹の線が折れ、伸び、天地を飛び回る。急旋回と急加速に彩られた軌道が空を引き裂き、ゲヘナを中心に回転した。自由な空を得た歓喜に溢れるそのシャングリラに、ゲヘナは困惑したように揺れた。

「今までとは……マシンスペックが違いすぎる!一体、どうしたらこんな……!」

 上。右。左下。ゲヘナが単眼を動かし、シャングリラに追いすがる。そのバーニアが深紅の光を吐き、機体を回した。だが、それでもシャングリラの光の尾を追うのがやっとだ。

「《神秘論(シャングリラ)》……いいえ、それだけじゃない。座標は変わっていない……ッ!」

 虹色が迸り、白熱した軌跡を残して、シャングリラが突進する。ゲヘナも黒い躯体を広げ、風を切り裂いて飛んだ。

 二機がすれ違い、そして機体を起こす。お互いの運動エネルギーに、一瞬の風が唸って消えた。

「まさか!」

 シャングリラがゆっくりと振り向く。その碧眼は、虹の奔流の内側で、透き通るように燃えていた。

「あの速度、それに光、まさか……!」

 虹色を映して、ゲヘナの黒い装甲にも光が躍っていた。

「……《神秘論》の、座標転移能力の超連続起動。自分をひかりに変換し続けて、空を飛んでいるの……!?」

 七色に燃え上がるシャングリラは、またも翼を広げると、天のゲヘナへと襲いかかった。一瞬の後、機体がぶつかり合う。

 空を手にした機体は、もはやゲヘナと平等だった。

 虹の粒子と漆黒の装甲がせめぎあい、火花を上げる。その推力に、衝突の瞬間からゲヘナの機体は押され始めていた。

 シャングリラの転移は、体積を消し、重量を消し、抵抗をすり抜けて移動する力だ。それを発動寸前で止めたまま、転移をせずに用いたなら……

「パワー・ウェイト・レシオは比較にならない……六割程度の推力でも……!」

『Ooooooooo!!!』

 シャングリラの咆哮が、シリルのものと混ざるように轟いた。虹の翼が膨らみ、ゲヘナを押し流していく。乱気流、そして上昇気流に光の粒子が溶けていった。

 

 シリルがやったのは、《神秘論》を曖昧にすることだった。

 転移する先を指定せず、能力を“完了”させず、一秒に何回かという割合でむりやり起動し続ける。未完了のプログラムが延々とループし、<エンブリオ>を揺らしていく。

 機体を虹光化し続けた状態では、重量はゼロに等しい。さっきまで落下を遅らせるだけだった光の推力はすべて、彼が空を翔ぶための力へ直結していた。

 【cl-1246】の影響で異常生成されるMPが、湧き起こると同時に消費されて消えていく。過剰で不自然な魔力の流れに、シリルの身体がひりひりと痛んでいた。

 それなのに、シリルは笑っていた。

 

 これは、与えられたものではない。

 誰かから得たわけでも、拾ったものでもない。新しく手に入れたものではない。

 進化ではない。手を取り合うのでもない。足りないなにかを補い、増やし、強めたのでは断じてない。

 これは、はじめから持っていたものだ。使い方を変えただけだ。シリルの中にあった可能性を見いだしたのだ。

 血に縛られ、過去に制約されていても、可能性を掴むことができる。そのことがシリルには、たまらなく嬉しかった。

「《神秘論(シャングリラ)》ーー」

 だから、名前をつけよう。シリル自身が見いだした力の名前を。

 

「ーー《アストラルドライヴ(星のように)》」

 

『confirmed - 《ASTRAL-DRIVE》』

 シャングリラのメインコンソールが光り、文字列が踊り出す。

『Active Time Remaining - 00:53:04』

 《神秘論》が連続発動に向いた能力であるとはいえ、その回数は有限だ。超持続発動に費やされるMPは、シリルの身体から否応なしに吸いとられていく。【cl-1246】による増大を加味しても、永遠には続かない。確実に、およそ一分足らずで、エネルギーは再び枯渇する。

 機体のエネルギーのすべてを燃やして、今、シャングリラは蒼穹に立っていた。それが終われば、シャングリラは再び空の上で無力なギアに戻る。光のエネルギーを使い果たし、機体はダウンする。シリルとヴァネッサの二人が、直感で理解していることだ。

 

『だから、この53秒以内に片を付けよう、姉さん』

 

 シリルが宣言する。呼応して、シャングリラのバーニアが光を放った。

 空は過酷だ。資格なくしては留まることすら赦されない。

 同時に、空は自由だ。謂れなき謗りによって翼を捥ぐことはしない。いま、自分の力で、シリルは自由だった。

 

 ◇◆

 

 ■残時間00:53:02

 

 ヴァネッサはその形の良い唇を歪め、激怒の形相だった。髪が逆立ち、琥珀色の瞳は鋭く揺れた。

『そんな真似、そんな思いつき……そんなの、シリルじゃないわ。私のシリルじゃない、シリルには、そんなものいらない!』

 ゲヘナがスタビライザーを唸らせ、突風のように迫る。深紅の粒子が、枝分かれをしながら広がった。

『切り刻んであげる!』

 二本の剣が円を描く。だが、その鋭い白銀の刃は、シャングリラが伸ばした両の掌で受け止められた。金属と虹が触れ、甲高い音を立てた。

『……ッ!けれど、実体はあるのね!』

 ヴァネッサが言う。

『《神秘論》と同じ、なにも変わらない。シャングリラはそこにいる!』

 ヴァネッサは荒く息をつき、操縦桿を押し込んだ。剣が赤熱するなか、ゲヘナの機体から“黒”が暴れだす。

 漆黒のオーラは、依り代たる人型機械を出でて、シャングリラへと移ろうとしていた。

 虹の奔流に黒が混じり、染み込んでいく。それは、縋る手、あるいは蔓延るツタにも似て、シャングリラに侵入していた。

『シリル!こんな真似をやめて、お姉ちゃんと一緒にいましょう?』

 甘ったるい声で、ヴァネッサは言った。

『まさか嫌じゃないでしょう?愛し合う家族、素晴らしい姉弟!ずーっと一緒にいられるの、私は決してあなたを裏切らない。あなたを捨てない。永遠に、愛し続けると誓うわ』

 その声音には、狂気がにじんでいた。それでも、確かにそれは愛だった。

『さぁ、お言い!』

 黒が歪む。

『私のものになると!シリル!』

『姉さん……』

 シリルは口を開いた。操縦席の視界は、次第に黒く染まっていた。

『俺は……』

 虹が強くなる。うねる光の波が、天空の大気に溶け合って、羽ばたくように展開した。

『姉さんのものには、ならない』

 その瞬間、流し込まれていたゲヘナたちが弾かれるように飛び上がった。虹の粒子が黒色を押し流し、シャングリラが歌うように吼える。

『OoooOooooo!』

 バーニアが光を、推力を放ち、シャングリラがとうとう白銀の刃を握りつぶす。ヴァネッサは蒼白な顔で叫んだ。

『シリル!』

『くどい!俺は、嫌なんだ』

 黒が退いていく。シャングリラに吹き飛ばされるように。

『姉さんが本当に俺を愛していても、俺はそんな生き方は嫌だ。これが、俺の意思なんだ!俺は……』

 シャングリラの虹の拳が、ゲヘナの腕部装甲を融解させながら殴り飛ばす。

 

『俺は、俺自身のものだ!』

 

 ヴァネッサは声にならない叫びを上げ、ゲヘナは吹き飛びながらも高度を上げた。その背後からは、黒いミサイル群が溢れ出した。

『だめよ、だめ、そんなのだめ!』

 ミサイルたちが命令を待つように、静かに浮遊する。ヴァネッサは顔を上げた。その瞳は、今度は確かに殺意を湛えていた。

『だめったらだめなの!そんなことを言うなら……殺さなきゃ。殺してリセットしなきゃ……』

 魚群のようなミサイルたちが、ピクリと反応した。ヴァネッサが下知を飛ばし、ゲヘナがさっと右腕を振った。

『あれを、落としなさい、私のしもべたち!』

 黒く染められ、ナイフのように変えられたミサイルは、即座に従った。ゲヘナに憑依され、造り変えられた飛翔体の群れが、推進力すら無しに吶喊する。

『……ッ!』

 シャングリラが加速した。光の機体がフルパワーでスラスターを起動し、空へと上っていく。サンフォーリングの塔の側面で、虹色の軌道を追い、無数のミサイルが飛びかかっていく。

 音速などとうに越えていた。虹色の光を追って、ゲヘナとそのしもべたちが塔の周りを舞った。軌跡が交差し、絡み合い、天へと伸びていった。

『シャングリラァ!』

 シリルが叫ぶと、その光が大きくなった。虹の翼が幾重にもなる円環へと変わり、空に波紋を残す。それに触れたミサイルたちが、一斉に切断され、誘爆した。

『……これは、シャングリラの能力!』

 ヴァネッサが呟いた。高速飛行中のゲヘナは、指揮をするように、指を動かした。

『虹のビーム兵器……あの光は、その性質も併せ持てるのね?だったらァ!』

 ミサイルたちが散開した。回り込むように、シャングリラを取り囲んでいく。その切っ先が、一斉にシャングリラを向いた。

『全方位!』

『でも!』

 シャングリラが掌を広げた。彩雲が膨らみ、深紅の粒子とぶつかり合った。

 シャングリラの掌から、無数の光線が炸裂した。ミサイルたちを吹き飛ばしたその光は、そばのサンフォーリングの塔にすら切り傷を残していた。

 黒っぽい崩落の瓦礫を躱して、二機が上昇していく。ゲヘナの赤熱する鞭と、シャングリラの光の掌が衝突し、幾度となく火花を散らした。撃墜されたミサイルの残骸が墜ちていき、黒っぽい光がゲヘナの機体へと戻っていくのが見えた。

 シャングリラとゲヘナは、崩落の大穴から塔の内部へと飛び込んだ。

 暗い、円柱形のメインシャフトの内部で、二機は何度も鎬を削った。下方は暗黒の闇、そして上方からは空の色が差し込んでいた。冷たく静謐なはずの空間を、二機の戦争が汚していた。

 シャフトは渦を描いていた。その重厚な金属に刻まれた切れ込みのひとつひとつが、シャングリラの機体よりも大きいほどだった。

 ゲヘナがジェットを噴射し、橙色の光が暗闇を照らし出した。シャングリラも虹の翼を広げ、負けじと空へ上がっていった。上を取られれば不利になると、二人は本能でよく理解していた。

 次第に狭くなるシャフトは、遂に二機の居場所を許せる半径を失くしていった。掴みあう二機の間で、煙と炎が上がった。

 次の瞬間、二機は最上層を突き破った。

 黒い破片と装甲が飛び散り、極寒の風があらゆるものを凍らせていく。その中心で、二機はしばし見つめあった。

『……姉さん』

『……シリル』

 そして、二機はさらに上昇を開始した。

 もはや行く手には大気しかなかった。薄らいだ気圧の中で、こごる乱気流を越えて、二機がお互いに喰い合う。

『俺だって、知ってるんだ。姉さんの能力を』

 損傷を黒で埋めるゲヘナに、シャングリラは掴みかかった。右腕のフレームに虹の五指が食い込み、橙の火花が悲鳴を上げた。

『ゲヘナはモノに憑依する能力。でも、媒体の変異には限界がある、傷を全部無視できるわけじゃないだろ』

『……ッ!』

 装甲がひしゃげ、剥がれていく。シャングリラの掌は、ゲヘナの腕を今度こそ完全に握り潰した。

『壊して、砕いて!“破片”は、憑依しても“破片”にしかならないはずだ!』

 ケーブルが弾け、フレームが断裂する。火薬に引火してか、ゲヘナの右腕は燃え上がりながら砕け散った。赤熱する欠片が、流星群のように落ちていく。

『俺は!姉さんに勝つんだ!』

『……うるさい、のよ!』

 ヴァネッサは苛立ちを隠さずに叫んだ。

『ねぇ、なんなの?これ?なんなのよ!』

 ゲヘナが首を振り乱し、赤い瞳でシャングリラを睨み付ける。

『おかしいのよ、こんなことになるはずがなかったのに!どうして?こんなのほんとじゃないわ、そうよ、本当じゃないのよ!』

 ヴァネッサの声は、次第に危ない熱を帯びていた。

『本当じゃないことは……正さなきゃ』

 そのとき、ゲヘナの表面で“黒”がさざめいた。ヴァネッサの昂奮を反映するように、攻撃的に逆立つ。

 コクピットでは、コンソールに紅の煌めきが走っていた。動作音が鈍く響き始め、ゲヘナが面を上げた。

 ヴァネッサは【cl-1246】のシリンジを首筋に突き立て、荒く息を吐き出した。血中に薬物が巡り、顔は赤らんでいた。

 深紅の粒子は、風に乗って燃えていた。

 

『やりなさい、《(ゲヘナ)》!』

 

 To be continued

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