鮮血のエンブリヲン   作:Mk.Z

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第二十九話 Jailbird/あなたはわたしのもの

 ■“二重都市”サンフォーリング

 

 ミルハルは咳き込みながら、再びマントを羽織り、地上に出た。

 砂埃は熱く、また硝煙の匂いを帯びていた。義手の関節に砂が入り込み、苛々と軋んでいた。

 ミルハルは舌打ちをこらえた。ある片眼鏡の医者に拾われたときに付けられたこの機械の身体は、その独自技術だ。お決まりの<エンブリオ>が一枚噛んでいるとみて、間違いはない。個人でのメンテナンスには限界がある。

 傍らには、通信機を運ぶ兵士が慌てたように小走りでついていた。さっきまでのように縛り上げたものか、友好的にしたものか、迷っていたその兵士は、ついに決心したように口を開いた。

「……ミルハル様」

「様はよせ。俺は、本当にお前らのリーダーになったつもりはない」

「しかし、敵機からの停戦要請ですんで」

 ミルハルは唸ると、受話器を上げた。少々真剣味には欠ける声だった。

『やぁ』

「停戦の申し入れか?」

 ミルハルは鋭く本題を切り出した。

「そっちの立場は?」

『立場。俺の立場?別に大層なものじゃないよ』

 その声はまるで謙遜でもするように言った。

『……次男、チャールズ・ファイアローズだ。この場では、発言力のあるほうだと見てもらって構わない』

(……シリルの兄か)

 ミルハルは少しだけ沈黙し、兵士に目配せをしてから、自らも名乗った。

「<サンフォーリング革新戦線>最高司令官、アルハール・ブラウラウの弟だ。ミルハル・ブラウラウという」

『弟?』

「代理だ。不服か?」

『いいや、こっちだって似たようなもんだしね。文句はないさ』

 チャールズはそう言うと、パラス・アテナのハッチを蹴り開けた。

「いいだろ!」

『好きにしたまえ。我々は傭兵にすぎない』

 エルディンは旋回する【エレクトラ】越しに言った。

 風が唸っていた。高度1000m前後の大気は冷たく、チャールズの飛行服を刺した。

「んじゃ、早速こっちの要求を言おうか」

 チャールズは高らかに宣言した。

「大きくは、轟沈したエンブリヲンのデブリの回収権。サンフォーリングの住民に手を出させるな。そっちで回収した物品も、全てこっちに引き渡してもらう」

『割に合わんな』

 ミルハルは無味乾燥に言った。

「大局的に見れば、勝利したのはこちらだ。戦利品の回収は当然の権利だろう」

『そうかい?御自慢の衛星兵器は果たしてまだご存命かな?』

(気づいていたか)

 ミルハルは顔をしかめた。それは、浅ましくもあの太陽の脅威を少しだけ恃みにもしていた、自分自身に対しての不快感でもあった。

『痛み分けだよ。戦闘勃発に関しては双方に責任があるし、お互いの損害も大きい。イーブンのフィフティフィフティに持っていけるなら、互いに利益だろ?』

「これ以上の戦闘継続はこちらも望まない。確かにな」

 ミルハルは本心から言った。

「……だが、なんらかの賠償は必要だ。そちらの轟沈した艦のパーツを確保されたくなければ、代わりのものを差し出してもらうのが筋だろう」

『分かってないぜ、ミスター・ブラウラウ』

 その呼び名にミルハルは眉をひそめたが、黙して耳を傾けた。チャールズは少しだけ脅しを含ませて言った。

『ファイアローズ家は、家族を傷つけたものにけっして容赦はしない。ましてや……“死”は、この上ない苦痛だから……お父様の意思は堅いだろう。間違いなく、君たちを滅ぼしに来る。今度は最初から、殲滅のためだけにね』

「……ほう?」

『今回は予想外のことも多かったが、次はこうはいかない。示威ではなく、真に君らを殺戮する。こちらにはまだその力があるし、被った損害の大きさはむしろ、動機の苛烈さに他ならない』

 チャールズはそこで、声の調子を緩めた。

『……ってのが、まぁ、うちの家の建前でさぁ。けど、俺個人は、そこまで本気じゃないんだよね。エンブリヲンは居心地がいいんだ。戦争も楽しいけど、君らと終わらない戦争を延々とやることにまでは、俺の願望もない。だから……』

 薄紙を捲る音がした。

『【契約書】の提案だ。今回の件に関しては、きれいに水に流そうじゃない?報復攻撃はない。代わりに、そちらもこっちに便宜を図ってもらう』

「……いいだろう。だが、サンフォーリングは無政府地帯だ。統制には限界があるぞ」

「ミルハルさん、本当に……」

「いい。これ以上の戦争は不毛の極みだ。なにより強硬派の頭目があの有り様なんだからな、文句はないだろ」

 囁くミルハルに、その兵士は(隊長級のひとりだったが)不承不承頷いた。

「停戦契約には連名での署名が必要ですよ」

「……人員を集める。そこで本格的な締結を行おう。それまで、少なくともサンフォーリングの軍の敵対行動は抑制しておける。場所は?」

『砂漠のど真ん中だって構わない。こちらからは……ポイントJ-303(サンマルサン)を提案させてもらおう』

「それでいい。双方、武装は必要最低限だ」

 通信は終了した。ミルハルは、突如噴き出した汗を拭いながら呟いた。

「強硬派の目を盗んでの綱渡りは、向こうも同じか」

「あの、ミルハルさん」

「分かっている。横から口を出したんだ、最後まで付き合うさ。義理も情もある」

 ミルハルの言葉に、その男は明らかに安堵していた。

「遅ればせながらですが……帰ってきてくれて、本当に嬉しいですよ」

「言うな。兄さんの言う通り、一度は町を捨てたのと同じだ」

 ミルハルは首を振った。そして、空を見上げた。

「……確かに、土壇場では効き目のある薬だったんだろうな」

「……?」

「いや、なんでもない」

 ミルハルは歩き出した。

「理想論を捨てるつもりはないと、そう思っただけさ」

 

 ◇◆◇

 

 □■二重都市・上空

 

 パラス・アテナは、ゆっくりと飛行していた。その周囲には、撃墜寸前にまで痛め付けられた<ベルドレス>三機が、巡航状態で並走していた。

「でさぁ、その翼の技術も解析させてくれない?」

『断る』

「なんでさ?」

 チャールズはへらへらと笑った。

「いいだろ別に。企業秘密とかってわけじゃないんだろ?」

『お前のその態度が気に食わないのさ』

 エルディンはにべもなく言った。

『一応、敵だろうが。言っとくが、俺たちにとってサンフォーリングの軍はクライアントにすぎん。まだ戦えるぞ』

「嘘つき!そんな大破寸前の機体でどう戦う気だい?」

 チャールズは、自らのパラス・アテナも損壊していることを忘れたように嘲った。

「決着はついた。水入りに近いけどね。久々の機動兵器戦、それも空戦だ。いい体験だったよ。またやろうじゃない?日を改めてね」

『吝かではない』

 エルディンの声には疲れがにじんでいた。その通信の向こうで、ゾルが言った。

『リーダー!』

「なんだ」

『悪いんだけどさぁ、僕、そろそろ抜けるよ。今日はトルコから叔父さんが来るんだ。夕食のときには下に行かないと……』

「いい、いい。分かった。じゃあな」

 ゾルが沈黙し、消える。操縦士を失った【アルシオーネ】を牽引しながら、【タイゲート】は低空に舵を切った。

『シュタイナーに預けてくるぞ。どのみち、オーバーホールは必須だ』

「あぁ、頼む」

 二機が離脱していく。チャールズは呟いた。

「TYPE:ギアを改造……いや、武装してるのか。面白いアイデアだね」

『苦労はした。シュタイナーの協力がなければ実現はしなかったな』

 エルディンは、かつての開発の試行錯誤を思い返しながら言った。

『<エンブリオ>のように紋章への格納も出来ず、さりとて通常の<マジンギア>のように【ガレージ】にも入らない。だからログアウトしても……』

 そこまで言って、エルディンは言葉を切った。

『ファイアローズ。お前は……』

「黙れよ」

 チャールズは突然、冷たく言った。

「詮索はなしだ」

『……あぁ、そうだな』

 エルディンは頷いた。

『俺たちは、敵同士だ』

「そう。俺たちは敵同士だ。次あったときは、()()()()で決着をつけよう。欲しいものは奪う。望みを賭けて、戦おうじゃない?」

 再び軽薄な調子を取り戻して、チャールズは言った。その厚い眼鏡の奥では、ウィリアムと同種の狂気が、薄く、しかし確かに揺蕩っていた。

 

 ◇◆◇

 

 □■貧民街リェコ

 

 絨毯は、リェコの町のすぐ外に着陸した。シリルはふらふらと立ち上がり、乗り物酔いを振り払うように頭を振った。

「酔ったの?」

「すぐに治る……」

 シリルの背をさすりながら、ステラは呟いた。

「自分はあんなに揺れるものに乗ってるくせに」

「シャングリラは……俺が運転してるから……」

 にしたって馬車なんかの比ではない。と、ステラは思った。

 リェコの町は荒れに荒れていた。爆風に煽られて倒壊した建築や、吹き付けた砂山が元から乱雑だった貧民街を汚していた。

 向こうには、猿のように、脚部を腕部パーツにすげ替えられた【マーシャルⅡ】が這っていた。戦争の痕は、そこかしこに残っていた。

 けれど、人々は大して慌ててもいないようだった。黙々と片付けをするか、おっかなびっくり家へと戻るか、一番多いのは道端で酒よりひどいものをやって泥酔して寝転んでいる人間だ。

 そんな静かな町で、こずるそうな顔をした男だけがひとり、取り巻きたちに向かってキイキイと吠えていた。

「ブラウラウの畜生め!わしの縄張り!わしの縄張り!」

「アリブさん、落ち着いてください!」

「黙れ!わしの縄張りだぞ!」

 あれには近づかないでおこう、と、ステラはあたりを見回した。シリルは小さな肩を揺らしていた。その後ろでは、あのメーラード絨毯がふわふわと浮き上がり、ステラを突っついた。

「どうしたの?」

 絨毯は黙ってーーというより、喋る機能がないだけだったのだがーー房飾りを揺らした。まるで餌をねだる子犬みたいだった。

「ご飯が欲しいの?」

 絨毯は震えて否定した。【裁縫屋(ニードルワーカー)】系統の技術による産物でしかない彼に、食事は不要だった。絨毯は苛々と、その毛並みに付いた砂粒を巻き上げて見せた。

「あぁ、ブラシね」

 ステラは頷き、懐から古びたブラシを取り出して、その毛並みを強く撫でた。絨毯は嬉しそうにじっとしていた。砂を取り除きながら、ステラはふと、口元を歪めた。

(エドワード……)

 不意にあのときの感触が掌に甦ってきた。それを拭うように、ブラッシングの勢いを強めながら、ステラは心の中で呟いた。

(あたしは、勝ったんだ)

 強弱の話ではなく、勝敗の話だ。ステラは、自分が弱いことをすでに受け入れていた。それは妥協だったのかもしれないし、諦めだったのかもしれない。

 けれど、現実を受け入れないことには、きっと何もできない。少なくとも、勝利したのはステラだった。

(現実は変わらない。だから、その上で抗う)

 シリルだって、きっとそうしたんだろう、とステラは思い、振り向いた。絨毯は満足そうに丸くなると、ステラの懐へ吸い込まれていった。

「……シリル」

 ステラは呟いた。誰かに、この気持ちを聞いてほしかった。シリルのことを聞きたかった。

 あの虹の巨人と、黒い<エンブリオ>のこと。それはきっと、シリル自身の“血”に対しての抵抗だったに違いないのだ。

 ステラは知りたかった。自分と同じように、あるいは真逆にも、血を呪っていた少年のことを。

 

「……え?」

 

 けれど、振り向いたステラが見たのは、シリルの姿ではなく……そこにはただ、あの人間味のない光の塵の残滓だけが、風に吹かれて消えていくところだった。

 

 ◆◆◆

 

 □■地球・北緯51.5/西経0.13/グリニッジ標準時17:56:08 旧トリノヴァントゥム

 

 雨の音で、シリルは目を覚ました。

 窓の外では、穏やかに硝子を打つ水滴が流れては消えていた。いつも通りの陰鬱な空と立ち込める湿った霧は、部屋の中までは届かずに、ただシリルの気持ちを憂鬱にするだけだった。

 午後の曇天は、灰色の光になって部屋に差し込んでいた。それすらも眩しくて、シリルは琥珀色の瞳を逸らした。

 ベッドは柔らかかった。それも、いつも通りだ。純白のベッド・カヴァーには、汚れひとつなかった。サイドテーブルには精緻な造花と、木目調の置時計が置かれていた。

 シリルはゆっくりと、頭を上げた。悲しげな顔の目尻には、なぜか涙が滲んでいた。

 

 そして、ベッドサイドにはヴァネッサがいた。

 

 その身体がふらりと揺れる。たった今、シリルの頭から奪い取ったらしいヘッドギアを硬い床に投げ捨て、ヴァネッサは這いずるように、ベッドの上のシリルの身体を抱いた。

 ベッドから上体を起こして、シリルはされるがままだった。落ちたヘッドギアの音の残響が消えても、ヴァネッサは抱擁を続けていた。

 その容貌は、さっきまでシリルと死闘を繰り広げていたあの女と同じで……けれど、違っていた。

 右腕は二の腕から先がなく、左足も膝の上から欠損している。病室の入り口には、細い松葉杖(ウォーキングスティック)が打ち捨てられて転がっていた。

 荒れた白金色の髪は頬に張り付き、その頬には醜い傷跡があった。それは次第に太くなって上へと伸び、かつては美しかったはずの右目をも呑み込んでいた。

 シリルの両足も、膝下から無くなっていた。ステラと話していたあの愛らしい少年より少し大人びた、そしてやつれた顔には、首筋から左頬にかけてひきつれた肉がくすんだ色で横たわっていた。両手の腕や掌にも、細かな傷が無数に張り付いている。

 ヴァネッサは無言のまま、片腕だけでシリルをきつく抱いた。その掌がシリルの背中に爪を立てた。唇が鎖骨を噛み、耳朶をかじり、鋭い鼻がシリルの匂いを吸い込んだ。

 それでも、シリルはされるがままだった。無気力な琥珀色の瞳は、絶望を通り越したようにただ、病室の壁を見つめていた。

 ヴァネッサが掠れた声で言った。

「……こうしてしまえば、いいのよ」

 ヴァネッサはシリルの上へと覆い被さった。真っ白な掛け布団(デューヴェ)は柔らかな音を立て、二人の重みを受け止めた。

「あっちでなにがあったって、どんなことがあったって、あなたはここにいる。私はここにいる。そうでしょう?」

「そうだね、姉さん」

「ほら、シリルだってそう言うわよね」

 ヴァネッサは死んだように動かなかった。けれど、唇だけは、震えるように言葉を紡ぎ続けていた。

「あの世界は、所詮、ぜんぶ嘘なのよ。本当の世界はここにある。ここにいる。嘘の世界で何があっても、真実には敵わないわ。大丈夫よ(オールライト)、最後に勝つのは、私」

「そうだね、姉さん」

「絶対に、放さない」

 ヴァネッサは左手を伸ばし、シリルの頬を撫でた。傷ついていないほうの、すべらかな頬を。

「あなたはわたしのもの。あの女だって、造り物。嘘の世界のモノなんて何てことないわ、本当のシリルは私のもの……ずっと、ずっと、私のもの……!」

 シリルは窓の外を見た。

 陰鬱な空は、濃厚な雲を湛え、緩慢に動いていた。日差しはなく、薄暗い灰色の霧がとろとろと流れていた。

 それでも、あのときのシリルは自由だった。楽しく、美しく、そしてこの上なく広大な、あの……鳥籠のなかで。

 

 それでも、現実は変わらない。

 

 逃げられはしない。虚構から覚めれば、現実はいつもここにある。

 遠くで鐘が鳴った。その重々しい微かな音色を聞きながら、シリル・ファイアローズはいつまでもヴァネッサに弄ばれていた。

 

 To be continued

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