□【高位操縦士】シリル・ファイアローズ
「とりあえず、話し合いませんか?」
シリルはダメ元で話しかけた。辺りを囲む黒ずくめの男たちは、殺気だった様子で刃を構えていた。
「せめてほら、用件だけでも」
『身ぐるみだ』
賊がガスマスクのようなパイプ越しに喋った。くぐもった声はどこか、場違いな滑稽さすら帯びていた。
それはただ、表面的な話だ。剣呑さは十分に伝わっている。
『お前が【
「……」
シリルはどう言っていいか分からずに、言葉に詰まった。
不可能だ。たとえ
だが、シリルの事情などには無頓着な様子で、賊は吐き捨てた。
『俺たちは<
「いや……」
今度こそ、否定の呟きが唇から飛び出した。ぎらつく刃を前に、シリルにそんな気があるはずもない。彼の
「……逃げる!」
シリルは脱兎のごとく駆け出した。
『……アホが!逃がすな』
黒ずくめが散開する。シリルより遥かに素早い動きで、彼らはシリルの進行方向を塞いだ。
シリルは躊躇わなかった。小柄な身体を伏せて、賊の間をすり抜ける。だが、
『そういうことは、同
賊の掌が風を切ってシリルを押さえつけた。その足が揺れる。次の瞬間、重りの入った黒靴の爪先がシリルの頬を蹴り飛ばした。
「うァ……!」
小さく叫び、シリルが吹き飛ぶ。その寸前で胸ぐらを掴むと、男は無言でシリルの腹を殴り付けた。
内臓を焼かれるようだった。胴体が失くなってしまったような気がして、シリルは思わず喘いだ。呼吸すらままならない。肺腑が空気を欲しがって喚いている。
『俺は優しいだろう』
男は嘲笑った。
『本気で当てれば、俺のSTRなら、お前の貧弱なENDくらい容易く貫通する。さぁ、身ぐるみ差し出せ』
「出来ない……ッ!」
『差し出せ』
男がシリルの腹を突く。肝の臓を殴られて、シリルは身悶えした。
無言のまま、シリルの懐から直方体の小箱が落ちた。硬い金属で出来たそれは、柔らかな砂に半ば埋もれて止まった。賊の一人がかがみこむ。
『“鍵”は開いてます』
『確かめろ』
男がシリルを捕まえたまま、平坦に言う。やがて、賊が首を振った。
『足りませんね』
『おォ』
男か短く応じ、同時にシリルの腕を掴んだ。
『舐めてるな、お前?』
掌が閉じる。万力のような握力に、左腕の骨が軋んだ。
『観光客狙いのスリじゃあないんだ。“全て”差し出すんだよ、危機感ってものが無いのか?あ?……ああ、なるほどな』
賊の男がシリルの左腕を捻り上げる。その視線が無慈悲さを増した。
『“左手の紋章”、<マスター>ってやつか。珍獣だな』
嫌な音を立て始めた関節に、シリルが呻く。男は構わず、シリルの腕を引っ張った。諦めるような感触と共に、左肘がへし折れ、シリルは小さく叫んだ。男はそれを無視した。
『そういやァ死なないらしいな、それで……羨ましいことだ、これは仕方ない』
男の眼に嫌な光が点る。
『……殺して奪うか』
その手がシリルの首を掴むため、ゆっくりと近づく。邪悪な蛇のようなその動きに、痛みに気を取られながらもシリルは恐怖した。
“死”は不味い。それは彼にとって多大なリスクだ。この世界での“死”の仕様は知っている。
潮時だった。全て台無しになるよりは、リスクを取ってでも可能性を追う。あるいは、初めからこうするべきだったのかもしれない。
そう、リスクはある。とはいえ、確実ではない。ほんの一瞬なら、潜り抜けられる公算のほうが高い。どちらにせよ、この土壇場で選ぶ余地はない。
男の手が迫る。シリルは嗄れた声で叫んだ。
「シャングリ……ラ!」
そして、虹色の紋章が輝いた。
◇◆◇
ステラは全速力で走っていた。砂を蹴り、廃墟を飛び越える。全身の力は最大限に漲っていた。
あの少年のことは別に友達でもなんでもない、とステラは思っていた。むしろ迷惑だ。トラブルを持ち込むくせにヘラヘラと……
「でも、見過ごせは、しない……!」
あの弱々しく、お人好しな少年が傷つけられるのはあまりに後味が悪い。
彼は善人だ。ましてや、一方的に叩きのめされて良い筈がない。
これは正義感ではなかった。強いて言うなら、縁だ。その縁を辿って事態をどうにかするだけの自負はあった。
シュルールの教えた情報は確かだった。砂には僅かに、大人数が移動した痕跡があった。忍び寄るための足跡だ。隠匿の意思が感じられる痕跡だ。
それに混じって、無警戒な足跡が一列。他のものより小さく、少しだけ輪郭が弱い。シリルのものだ。
「能天気!」
ステラは毒づき、加速した。
もはや顔をうつむけて足跡を追うまでもなかった。人の気配、微かな声や衣擦れの音が風に乗ってやってくる。その方角へ、ステラは踏み込んだ。背後で遺跡が倒れる音がした。
『な、なんだお前……ウワッ!』
気の抜けた様子で立っていた歩哨を殴り飛ばす。全力疾走の勢いが乗った一撃はその耳を捉え、昏倒した歩哨は錐揉み回転で崩れ落ちた。
そして、廃墟の壁を飛び越えたステラは見た。
腕を押さえてうずくまるシリル。殺意と共に彼を襲う賊。そして、
「シャングリ……ラ!」
その0.5秒を。
シリルの左手の紋章が光り、虹色が沸き立つ。そして何かが、現れた何かが、一瞬のうちに全周の賊を薙ぎ倒した。
距離を取り、AGIを全開にしていたステラにははっきりと見えた。その純白。そして、虹色に彩られた輪郭が。
流線型と直線で構成された、硬質な構造物。滑らかな白の装甲は辺りを映し、その端々には彩雲のようなものが踊っている。俯瞰すれば、それはまるで“腕”のように見えた。
一瞬の出来事だった。それはすぐさまシリルの左手へと吸い込まれ、視界から消失した。後に残ったのは倒れ伏す賊と、吐きそうな顔で立ち上がる、覆面の外れた頭目だけだ。
『お前……お前の……!』
「……!」
鋭い呼気と共に、ステラの剣が男の耳の後ろを素早く殴り付ける。脳震盪を起こした男は今度こそ【気絶】した。
「やぁ、ステラ……!」
シリルが脂汗を流しながら立ち上がり、よろめく。ステラは黙って薬瓶を取り出し、何事か喚くシリルを無視してその口に瓶を突っ込み、薬液を流し込んだ。
シリルが噎せる。空になった薬瓶を仕舞うと、ステラは話しかけた。
「気分はどう?」
シリルが首をかしげ、そして唇を上げる。
「全然痛くない!凄いね、その薬……あれ?」
楽しげに腕を振り回したシリルが、力の入らない身体に驚きながら崩れ落ちる。ステラは呆れてため息をついた。
「それは痛み止め。傷は治ってないわ」
ステラがかがみこみ、シリルの腕を調べる。ねばついた薬を塗り白い包帯を巻いて、ステラは言った。
「結構綺麗に折れてる。直ぐに治るよ」
「医者なの?」
「真似事よ。剣士なら怪我の手当てくらい出来なきゃいけないもの……さ、上を脱いで」
ステラが促す。シリルは顔をしかめた。
「いや、でも……」
「いいから!」
シリルが渋々服を脱ぐ。ステラはその変色した腹を調べ、ほっと息をついた。
「こっちも大丈夫。内臓は破裂してない」
シリルは恥ずかしげに上着を着込んだ。ステラは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「とりあえず、こいつらはここに置いていくわ。シュルールにキツく言っておいたから多分もう襲われないけど、気はつけておいて」
ステラがシリルの右手を引く。シリルはおっかなびっくり立ち上がると、誤魔化すように笑った。
太陽は傾き始めていた。
廃墟の影が地上を這いずり、風の音が変わる。ステラは規則正しく歩みながら、乾いた唇を開いた。
「さっきの……」
シリルが首を傾げる。ステラは何かを突き破るような口調で続けた。
「さっきの、白いあれが、あなたの……<エンブリオ>?」
シリルは頷いた。
「そうだよ」
二人の足取りが影へと入る。ひやりとしたものが身体を走る。
「持ってないなんて嘘だったのね」
「そうは言ってない。使いたくなかったんだ」
シリルが表情を暗くした。
「だけど、あの状況じゃ仕方なかった」
ステラが胡乱げな眼を向けたが、シリルは気づかない様子だった。歩行が傷に響く感覚があるのだろう、微かに眉をひそめている。
「それに、もういいんだ。ほんの一瞬だったし、きっと問題はないさ」
自分を納得させようとしているのが見え見えの言葉は、砂混じりの風に乗って消えていった。
ステラは興味を失くしたように、顔を背けた。きっと事情があるのだろう、そこを好奇心に任せて無理矢理に聞くつもりはない。はしたない人間に成り下がるつもりはない。
隣では、シリルが考え事に溺れていた。その瞳が遠くを見つめ始める。
「そう、きっと……見つからないよ」
◆◆◆
■上空・一〇〇メテル
「見つけた」
そう呟いた。
高空の風に、フリルが揺れていた。
桜色の唇が寒さに震え、頬は薔薇色に染まっていた。吹きすさぶ風の音はひどく虚しい。砂漠の大気は湿り気に欠け、熱と冷気の両方を刺々しく孕んでいた。
「見つけた」
「見つけたね」
そこにいたのは、二人の少女だった。
年齢はシリルたちよりも少し上だろうか。だが、その外見と少しだけアンバランスに幼げな所作は、どこか浮世離れした雰囲気を醸していた。
白金の髪は柔らかなウェーヴを描き、琥珀色の瞳を守る睫毛がぱちぱちと動く。有毒の砂を気にかけることもなく、その二人は無造作に砂漠を見下ろした。
「けれど、隣にいるのは誰かな?」
「きっとお友達?すぐにお友達が出来たんだね」
小柄な人影が揺れる。二つの影は、砂漠へとその足を踏み出し……空中を踏みしめて、シリルとステラを遠くから眺めていた。
「《
その言葉と共に、穏やかな光が展開する。曲線が回り、枝分かれし、やがてその図陣を固める。
少女の身体を中心に描かれた光の線は、小刻みな目盛りと記号を持つ円環を幾重にも作っていた。その一部に触れ、少しだけ動かし、少女の片方は首をかしげた。
「怪我をしてるみたい……姉さんに教えなくて良かったね」
その目がふと、空を見上げる。もう一人の少女もまた、こくりと深く頷いた。そして何がおかしいのか、少しだけ笑った。
「うん、そうだね。行きましょ?クラリス」
「そうだね、クラリッサ」
その二人の少女が動き出す。
そう、その二人は、全く同じ顔をしていた。
双子が不意に笑う。ころころと、鈴を鳴らすように。そして、その輪郭が消え始めた。砂漠の遠景に、二人が喰われて消えていく。
「さぁ、一緒におうちに帰ろう、シリル」
太陽が廃塔の輪郭に隠れる。砂漠の風が冷たく、ひときわ強く強く吹き始めた。
To be continued