□■三日後・二重都市サンフォーリング
砂漠の遺跡は、まさに小島だった。
砂の海に点在するその一つに腰かけて、ステラは西を見ていた。その後ろでは、あの絨毯が日に当たっていた。
結局、シリルは戻ってこなかった。ミルハルに尋ねてみて返ってきた答えは、“死”の可能性だった。
「……そうか、死んだんだ」
なぜ、というより、おぞましい、と思った。ステラが倒したエドワードと同じように、光の塵になって消えたシリルのことを、ステラは恐ろしく思っていた。
ずっと、彼の危機感のなさが嫌いだった。それはどこか、<マスター>の……不死の人間の余裕のようだと感じていたからかもしれない。
けれど、彼は懸命だった。ステラと同じように、恐怖も不快も欲望も、本物のそれだった。
だから、目の前で“死んだ”シリルのことを思うと、ステラは怖くなった。血も悲鳴も残さず、どこもグロテスクではなく、骸さえ清潔な光に崩れてしまう、その非人間的な有り様が、ひどく冷たく思えた。
まるで、シリルが本物の人間ではないみたいだった。
ステラは空を見上げた。遺跡を撫でる風は、柔らかくその髪を揺らしていった。絨毯は満足げにステラの懐へ戻っていった。
そして、足音がした。砂混じりの靴の裏が、硬い遺跡の石と擦れる音だった。
「……誰?」
そこに立っていた若者に、ステラは尋ねた。
柔らかな白金の髪は、シリルのそれに似ていた。分厚すぎるレンズの奥に視線を隠して、その若者は口を開いた。
「参ったよ。なんせサンフォーリングの奴らとの会談なんてクソ面倒な仕事をメインでこなしてるんだからさぁ。俺ってそういうの柄じゃないんだよね。だいたい、エドワードの奴が落ちたのが悪いんだよな……お前に殺されて」
青年は答えにならない言葉を吐いた。
「で、シリルのこと、どう思った?」
「……」
ステラは黙って立ち上がった。細かな砂がきらきらと落ちた。
「なんだよ、知らない人とは口を利いちゃいけませんってか?いいだろ、それくらい。教えてよ」
眼鏡の若者はいたずらっぽく言った。
「好き?嫌い?嫉妬?同情?軽蔑?尊敬?それとも……」
「……さぁ」
ステラはにべもなく立ち去ろうとした。そして、立ち止まった。
「答えなよ」
その若者は、笑みを消して言った。剣呑な雰囲気が鋭く現れ、そして消えた。
ステラは口を開いた。
「……同じだと」
「同じ?」
「同じ場所に立ってる。そう思った」
ステラはその分厚すぎる眼鏡の奥を睨んだ。若者は、とたんに相好を崩して腰を折った。
「そう、か。そうかい、は、は!そりゃいいや、あいつったら!」
若者はふらつくようにステラへ視線を向け、呟いた。
「いやぁ、気になったんだよ。兄貴としてはさぁ、弟の交遊関係には興味津々なんだよね。俺は俺なりにシリルが好きなんだよ」
そのとき、風が止んだ。
「名乗っとこうか?俺はチャールズ・ファイアローズ。お前を殺そうとした一家の一人だ」
チャールズは左の掌で種子のようなものを弄びながら言った。
「……けど、それはもういい。どのみちそこに拘ってるのはヴァネッサのやつが主だし。何よりさぁ、エンブリヲンの再建完了まではシリルの確保すら困難なんだよ、余計なターゲットを追いかける余裕なんてないわけ。だからお前、
その勝手な言い分に、ステラは少しだけ眉をひそめた。
「あなたたち……」
「ん?」
「あなたたちは、なんなの?」
「家族だよ」
チャールズは即座に明言した。
「血の繋がった家族さ。だからお互いに協力し合う。たとえ気に食わなくても」
「シリルは、嫌がってたわよ」
語気を強めるステラを、チャールズは面白そうに見た。
「あぁ。けれど、あいつだって俺たちと同じ穴の狢なんだよ。まさに、文字通りね。心地のいい穴を保つためならどんなことでもする……満足の形は人それぞれで、俺はその敷居が低いってだけ。あいつはあいつなりに好い穴を探してるんだよ。それとも、高潔に思えたのかい?」
チャールズはケラケラ笑いながら、掌の種子を放った。
「あげる」
ステラは視線を動かさずにそれを受け止めた。
「これは?」
「危ないときに使えばいい。お前を守ってくれるはずだよ。嫌なら捨てれば?」
「詫びのつもり?」
「詫び?」
チャールズは醜く笑った。
「お前に俺がなにを詫びることがあるんだい?これは単なる親切だと、そう解釈しろよ。『善き仲間との旅路は長からじ』って言うだろ?」
そう言って、チャールズは踵を返した。
「やっと三日だ。下らない交渉は終わり。二度とごめんだね。これでパラス・アテナの世話に専念できるよ、やれやれ、本当に疲れた!」
それは、どこか芝居がかった言葉だった。
「エンブリヲンの再建造なんて大仕事もあるしさぁ、こっからも忙しい……」
そして、チャールズの姿は草花が枯れ落ちるように萎れ、崩れた。金属の粉塵と錆の欠片のようなものだけが、あとには残されていた。
ステラは掌の中の種子を睨み、少し躊躇ってからポケットに入れた。
遺跡の壊れかけたきざはしを飛び越え、ステラは砂地の上に着地した。黄金色の砂が舞い上がり、すぐに落ちた。
半ば砂漠に埋没しつつあるその建物の、かつては二階だったのだろう傾いた床から地表へ戻ると、ステラは町へ向かって歩き始めた。
その後ろを、チャールズではない人影がつけていた。
◇◆◇
エルディンとシュタイナーは、場末の
砂のことは皆知っている。砂塵の混入を避けるために、飲食は屋内で行うのが基本であり、軽食ならともかく本格的な食事を屋外に持ち出すのは敬遠されていた。
昼前、客は少なく、なにより店主のやる気はいつだって皆無だった。その空き具合が、かえって二人には気楽だったのだ。
「……で?」
「で?じゃないよぉエルディンくん、大事な話だから。ね?JXシリーズ三機の修理費用と作業スペースの確保。これ、至急頼むよ、サンフォーリングのドックからは追い出されちゃったんだから」
「ドックはともかく、費用ってのはなんだ。チームの共同資金から出せるだろう」
「いちどきに三機……【アルシオーネ】の一度目を入れて四機、【CZ-101】を入れて五機。資金が足りないんだよ、君のポケットマネーから出して?」
「そんなものはない。だいたい、あんたの試作機に関してはチームの契約外だろ」
「使ったのはゾンタークくんなんだしさぁ、ねぇ~いいじゃないかぁ。ね?エルディンくん、リーダー!男の中の男!」
「断る。あんたが予算をちょろまかして独自の研究開発に当ててるのは知ってるんだぞ。いい加減金を返せ」
「おやぁ?いいのかいそんなこと言って。【エレクトラ】修理しないぞ?」
「そのときは、あんたの犯罪歴を細かく纏めたファイルと一緒にドライフ軍へ突き出してやる」
エルディンは吐き捨て、そして通りに目をやった。
フードを被ったあの少女が、ゆっくりと歩いていた。ステラに見えるように手を上げながら、エルディンは言った。
「食事か?」
「……そこは嫌よ」
「勘違いするな、別に相席しろとは言っていない」
エルディンは首を振り、懐へ手を突っ込んだ。
「ほら」
その手には、まとまった額のリルが握られていた。ステラはおっかなびっくり、それを受け取った。
「詫びだ」
エルディンは言った。
「あのシリルというやつはともかく、俺たちの標的に君は含まれていなかった。にも関わらず迷惑をかけたからな。路銀の足しにしたまえ」
「あ、ありがとう」
ステラはおずおずと頷いた。その傍らで、シュタイナーは叫んだ。
「ちょっとちょっとぉ!なにカッコつけてるのさぁ、修理費!それ修理費にしてよ!」
「黙っていろシュタイナー、頼むから。あんた、脳みそに義理人情の回路はないのか?」
「あるさ。使ってないだけで」
「そうか、俺はよく使ってるんだ。そういうことだ、機械オタクめ」
むくれた顔で設計図を眺める作業に戻ったシュタイナーを尻目にに、エルディンは呟いた。
「隊商は?」
「今日、出るってミルハルが言ってたわ」
その顔は、少しだけ憂鬱だった。
「なら、隊商宿に居るべきだ。……それとも、
「……いいえ。別に、待っている訳じゃないけど」
エルディンは呆れたようにため息をつき、あたりを見回した。
「シリル・ファイアローズならそこにいるぞ」
「え?」
ステラは心底驚いた顔で振り返った。後ろの物陰から、気まずそうにしたシリルがとぼとぼ出てくるところだった。
「シリル!」
「……久しぶり」
吐きそうな顔で、少年は言った。ステラは息を吸い込んだあと、シリルの手を取って笑った。
◇◆
□■貧民街リェコ
チューリヒの隊商は、用心棒たちを連れて支度をしていた。鳥の面を着けたあの男は、二人を見つけるや否や首をかしげた。
「来たのか」
「顔は覚えられない、って言わなかった?」
「あぁ。だが、子供の旅人は珍しい、とも言ったはずだが」
チューリヒは囁くように呟いた。
「同行には異存がない。傭兵代は出さず、食事は各々で。水は提供しよう。眠るときは寝台を使っても構わないが、順番は交渉してくれたまえ」
それから、とチューリヒは続けた。
「お見送りかな?」
その手の先には、いつものように布地を纏ったミルハルが突っ立っていた。
「そんなところだな」
ミルハルは頷くと、二人に歩み寄った。
「……戻ってきたのか」
「うん」
シリルは言葉を探すようにうつむいた。
「……コルタナからシャングリラの転移で一気に飛ばしてきたんだ。てっきり、連れ戻されると思ってたんだけど」
「シリルの……家族に?」
「エンブリヲンの再建までは、俺が逃げ出せる隙があったんだ。たぶん、一日や二日じゃ終わらないから」
シリルは少しだけ、寂しそうだった。
「目的地は?」
「……君たちは西方へ行きたいのだろう?我々は“流氷都市”セルンにて一旦南方へコースを取る。ドライフへ戻るのはその遥か後だ。セルンから西へは別の隊商を探したまえ」
チューリヒは首をぐるぐる回しながら言った。
シリルはステラを見た。
「俺も、西へ行きたいんだ。この先シャングリラはもう使えないけど、着いていってもいい?」
ステラは口元を綻ばせて答えた。
「足手まといにならなければね!」
「ならないよ!」
「ならば二人だな。話は通しておこう」
チューリヒはふらふらと歩いていった。ミルハルはその後ろ姿に呟いた。
「いい隊商を見つけたな」
「知ってるの?」
「いいや。だが、慣れてるやつは見ればわかる。砂漠越えは経験豊富な人間でも危険なんだ、経験があるのに越したことはない」
「ねぇ、前から聞きたかったんだけど」
ステラはシリルをちらっと見てから、ミルハルに尋ねた。
「なんで、そんなに親切なの?」
ミルハルが無言で眉を上げる。ステラは続けた。
「あたしにも、シリルにも、この町に来たときから良くしてくれた。なにか……理由があるの?」
ミルハルはしばし沈黙していたが、やがて照れ臭そうに頭をかいた。
「いや……まぁ、下らない理由さ」
足元のあの忌まわしい砂を払って、ミルハルは続けた。
「この町を、いい町にしたいと思った。それだけだ」
「いい町?」
シリルが首をかしげる。ミルハルは低く唸るように言った。
「あぁ。子供が訪ねてきて、死にかけたり、ものを盗まれたり、砂に当てられて倒れたり、そんなのがいい町だとは思えなかった。お前たちが無事に過ごせたなら、このサンフォーリングも少しはいい場所になったってことだろ」
「……それで、助けてくれたの?」
「生憎、力不足だったがな」
ミルハルは呟いた。
「結局、俺はどこまで行っても凡人だ。肝心なときに手を貸せもしなかった。偉業を成せるような大人物じゃあない。が、それはそうと、何もしないのは無理だった。平凡だな」
「でも、助かったよ」
「ありがとう」
「言うな。困ったときはお互い様さ」
ミルハルは最後に気取った口調で言うと、肩をすくめた。
「そろそろ隊商が出る。あいつらは早めの行動を大事にするからな。乗り込んでおけ」
「じゃあね、ミルハル!」
手を振り、車の天幕へ入っていく二人に、ミルハルは手を振り、そして空を見上げた。
(いい町にしたい、か。出来るものかな)
サンフォーリングのことを好きになったことなど、ミルハルには一度だってない。今もこの場所には汚染があり、政府と秩序はなく、ならず者が蔓延っている。
アルハールはまだ目覚めていない。彼個人の持っていた都市外部とのパイプは失われ、あの【cl-1246】の密輸者たちも消えた。
カルディナへの加盟は難しいだろう。それどころか、ここに年単位で留まればミルハルの身体も再び砂に侵されていく。
(……あの蛹も、討伐者はいなかった。神話級の怪物は、まだ空の向こう側にいる)
最低の場所だ。リスクは山積みで、展望は何もない。でも、それでも、ここはミルハルの故郷だった。
人は故郷を……血を捨てられない。結局、彼はカルディナ人にはなれなかった。サンフォーリングの民として、ここには彼の過去が埋まっている。
「……実に、凡人だな」
そう呟いたミルハルの後ろで、足音がした。
「あれ、あの男の子もう行っちゃった?しまったなぁ、光の転移の研究がしたかったのに……」
白衣の男、シュタイナーはがっくり肩を落として、ミルハルを見た。
「ねぇ、脅迫されて貴重な文化遺産を破壊させられた件についての賠償金ってある?」
「ねェよ」
ミルハルはにべもなく言った。目の前では、チューリヒやその他の隊商たちが列を作ってサンフォーリングを発つところだった。
「子供には未来が多い。いいよねぇ」
シュタイナーはしみじみとその隊商を見送り、首を振った。
「さて、この町もどきには未来があるかな?」
ミルハルは地平線を眺めながら、呟いた。
「さぁな。どうにか誤魔化すさ」
◇◆◇
□ステラとシリル
シリルは物憂げな顔で、外を眺めていた。
鱗のあるカバみたいな地竜に引かれた車は、砂漠にあってもそれなりに揺れていた。車の中では、用心棒の黒ずくめが死んだように眠っていた。
ステラはシリルの隣で呟いた。
「……シリルは、これからどうするの?」
「俺は、自由になりたい」
シリルは弱々しく言った。
「シャングリラを使わない限り、俺の座標は分からない。西の国へ辿り着ければ、父さんたちから隠れられるし、見つかっても……セーブポイントさえ隠しておけばやり直せる」
その虚ろな目には、けれど光があった。
「エンブリヲンの再建が終わったら、父さんたちは俺を追いかけてくると思う。それでなくても、父さんの部下だってたくさんいるんだ。でも、何度だって逃げ出してやる」
シリルの言葉に、希望はなかった。絶望もなかった。少年は、そこに意志だけを込めて宣言していた。
「あのとき、なんとなく分かった。理想とか夢って、おおかたは叶わないんだよ。俺も、姉さんより強くはなれない」
「でも、勝ったんでしょ?」
「そう。都合のいい夢の中から、変わらない現実のぶんを差し引いて残ったものは、自分で叶えられる……かもしれないって、そう思ったんだ」
「そうだね、あたしもそう思う」
ステラは、遠くなるあの巨大な塔を見た。
黒々とした大塔は、依然としてそびえていた。
「さようなら、サンフォーリング」
思わず、ステラは呟いた。
あの町であったことは、決して幸福な思い出にはならないだろう。それでも、それを経てステラが分かったこと……あの過去は、消えない。消せもしない。
「人は、血に縛られている……」
生まれは選べない。才能も、家柄も、故郷からも、人は逃げられない。過去は常に人間を制約し、縛り続ける。
どれだけ望んでも、血を捨てることはできない。
現実は変わらない。それは決まった過去から寄せる波打ち際だからだ。どれだけ望み、努力をしても、現実は覆せない。
努力や研鑽は、万能の言い訳じゃない。無駄な努力なんて、腐るほどありふれている。闇雲な苦労を積んだって、何一つ変えられない。
けれど、変わらない現実を受け入れたなら、その上で、たとえ少ない可能性だとしても、手の中のそれをどう使うかは自由だ。
人は、血に縛られている。
でも、その血の使い方だけは、自由な未来へ繋がっているのだ。
鮮血に区切られた有限の内にも、無限の可能性はある。
「ねぇ、シリル」
「何?」
「未来は、きっと変わるよ。良い方に」
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