鮮血のエンブリヲン   作:Mk.Z

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第三十話 Dirty Deeds Done Dirt Cheap/通行料

 ■流氷都市セルン

 

 街並みは煤けていた。

 煙突の麓では、白い壁を連ねた工場のような建物が、橋の袂へ一体化するように身を寄せあっていた。乱雑だが、けっこう都会的なその雰囲気に、シリルはどこか懐かしさのようなものを覚えた。

 貨物を運ぶトロッコが断崖の表を走り、それらの町並みを繋いでいた。それらは全て、谷の上に突き出した空中の構造物になっていた。

 こちら側の崖が、“流氷都市”と呼ばれるセルンの町らしい。

「橋のたもとに、旅客のための受付がある」

 チューリヒは路肩に車を止めさせた。カバもどきの竜は、まとわりつく羽虫を厭わしそうに鼻を鳴らした。

「隊商はここで物資を補充して、南へと向かう。お前たちは?」

「決めていた通り、ここで降りるわ。西へ行くには、この橋を渡らなきゃいけないから」

「旅の無事を祈るよ」

 鳥の面を付けた男は、また囁くように言った。その隣では、傭兵のひとりがにやけ面を作っていた。

「じゃあな坊主!射撃、練習しとけよ」

「言われなくても!」

「言うじゃねえか坊主!自分を撃つなよ!」

 手を振る用心棒たちは、いつのまにかシリルとすっかり打ち解けた様子だった。チューリヒのことなんか無視して、男たちは大袈裟に騒いだ。

「楽しかったよ。普段はむさい奴らの顔しか見られない稼業だからな。……ま、気楽に行けよ」

 斧を担いだ男はシリルの頭をくしゃくしゃに撫で回した。

「銃にはクセがあんだ。クセに合わせてやりゃ上手く撃てるもんさ」

 シリルは頷いた。男は満足そうに笑うと、荷台へ上がり、振り向いた。

「嬢ちゃんもな。いい剣さばきだったぜ?」

「ありがとう」

 ステラにも朗らかな男たちへ手を振り返すと、ふたりは橋へ向かう道をゆっくりと降りていった。背後で賑やかな荷車たちが市場へ続く角を曲がっても、まだふたりの名前を呼ぶ声が聴こえていた。

 シリルは少しだけまなじりを下げて、それを振り向いた。

「どうしたの?」

 ステラが言った。その髪が太陽を透かして輝いているのを見て、シリルは眼をそらした。

「なんでもないよ」

 ステラは黙って足を進めていたが、やがてニヤッと笑ってシリルの顔を掴んだ。

「なにを……」

「大丈夫だよ」

 そう言って、ステラは剣を叩いた。

「なにがあっても、切り抜けられるから。忘れた?あたし結構強いんだよ……それに、シリルだって強いじゃない」

 シリルは力なく頷いた。

 あれから、ヴァネッサたちの襲撃はなかった。ファイアローズの家族だけではなく、父が雇ったものたちの影すらも見えなかった。それがなによりシリルには不気味だった。

 家族をひとつに。それはウィリアムの、ファイアローズ家の唯一にして絶対の思想だ。追ってこないはずはない。

(それを言うなら、エンブリヲンの撃沈もだ)

 シリルは口の中で呟いた。あの艦が出来上がって以来、各<エンブリオ>の完全破壊は一度もなかった。

 前例のない特殊な事態だった。それをあの家がどう捉えたか、シリルには分からなかった。

 そして……

「どうしたの?」

 シリルを透かし見ようとするようなステラの視線に、シリルは躊躇いがちに唇を開けた。

「ステラ……俺は……」

 地球。姉。家族。過去。そして“現実”。

 シリルは首を振って口ごもった。何を言っていいのか、何を言いたかったのか、自分でも分からなかった。

 シリルの心で蓋をしていたものが、ひび割れてきていた。それはステラには絶対に分からないことだった。彼女は“ここ”の存在でしかないのだから。

 それでもいい。“ここ”でのことは、シリルにとってもうひとつの現実だ。第二の新世界だ。そのはずだ。だから、この中での“強さ”は、シリルの“強さ”なのだ。もしそうでないのなら……

「大丈夫……?」

 呆れたようにシリルを覗き込むステラに、シリルははっと物思いから覚めた。

「疲れたなら早めに言ってよ。置いていくけど」

 そのぞんざいな言葉と勝ち気そうな眼差しに、シリルは瞬きをし、そしてふらついた。

 吐き気がした。

 隣を歩いているステラは、シリルと違うことを考え、違うことを感じ、無関係に存続する他人なのだという感覚が、不意に甦ってきた。

(俺は……今、ステラ(ティアン)を……何だと思ってた?)

「大丈夫、本当に……大丈夫だから」

 全ては現実だ。この世界は本当のものだ。そうでないのなら、全部が意味をなくしてしまう。例え“向こう”で何があっても、ここにまでは届かない。

 そしてそれは、逆もまた然りだった。

 

 ◇◆◇

 

 ■流氷都市セルン・大橋

 

 セルンの町は、雑然とした白亜と、黒々とした金属の混成だった。

 その白い壁は崖の縁に張り付くように立ち並び、大橋の袂へ集まっていた。急斜面に建てられた無数の土台鉄柱は網目のようで、力を合わせて崖の町を支えていた。

 近づいてみると、その橋はもはやひとつの町、あるいは巨大な戦艦みたいだった。座礁した船だ。舳先を谷へ突き出して、黒々とそびえている。

 その上の艦橋のような建物へと、街道は伸びていた。

「旅人ですか?」口髭を生やして、背筋をピンと伸ばした守衛の男は上品に尋ねた。「それとも迷子?」

「旅人よ」

 ステラの言葉に、守衛は丸帽子をくるりと回して礼をした。

「失礼。奥へお入りください。諸々の手続きを」

 受付は広かった。高い天井には小さなランプが吊ってあって、ちろちろと揺れていた。

 不思議そうに辺りを見回すシリルに、ステラは言った。

「言っときますけどね、普通、町に入るときは検査があるのよ」

 カルディナ、あるいは他の超大国でも、その本質は都市国家の領邦、その連合だ。それぞれの都市には緩やかな自治権があり、その独立性は尊重されている。

「サンフォーリングでは無かったじゃない」

「そりゃ、あそこは……」

「お二人さん!」

 大きな声を上げて、受付の親父は二人を呼んだ。

「次だ!」

 タワシみたいな髭を揺らして、ハゲ頭の男は帳面をぱらぱらと繰った。瞳が動き、片眼鏡がきらりと光った。

「【高位操縦士】シリル・ファイアローズ……ふん、ふん?<マスター>か?」

 そのすっ頓狂な声に、シリルは少しだけ狼狽した。

「何?」

「いや、失敬。珍しいんでな。普通、<マスター>は大都市を彷徨くもんだと聞いとる。まぁ旅人が通らん訳じゃないが、それこそうちの町にも……いや、なにぶん、昨日も来たばかりなんでな。偶然ってのは続くもんだ」

 シリルは曖昧に笑った。受付の男は次いで、ステラに目を向けた。

「【剣士】ステラ。入国目的は?」

 いきなりの《看破》にステラは顔をしかめたが、なにも言わなかった。代わりにシリルが答えた。

「西へ」

「橋を渡りたいんだな?結構!」

 ハゲ頭は(首に“ユージフ”と名札が下がっていた)髭を振り回して大きく頷いた。

「一人5000リル頂こう!」

「え?」

 ステラは目を大きくして、受付机に手を突いた。

「なによそれ!」

「何よもなにも、通行料だ」

 親父は目を細めた。

「セルンの大橋を渡りたくば。ここは関所だ、それにあの大橋の保持修繕には少なくない金が要る。金額は良心的だと思うがね」

 確かに、法外というわけではなかった。安くはないが、相場をわきまえた金額だった。関所というのはそういうものだ。

「そんなの……」

「これはカルディナ議会からも承認されたビジネスなンだ。お嬢ちゃん!」

 ステラは渋々自分の財布を確かめ、氷のような表情でシリルを見た。シリルは目をぱちぱちさせながら首を振った。

「ごめん」

「期待はしてないわ」

 ステラはため息を我慢した。

 旅費は元々多くなかったのだ。そのいつかが今日だった、それだけのことだった。それはシリルにとっても同じだった。

「金がないのか?」

 ユージフは不躾な大声で言った。ステラはだんだん分かってきた。彼には小声を出す能力の持ち合わせがないのだ。

「……工面、するわ。どうにか手持ちのものを売れば……」

「なぜそんなことをする!」

 ユージフは叫んだ。

「ここで稼げばいいだろう!」

 ステラとシリルは戸惑って黙り込んだ。ユージフは親指で左のほうを指した。

「通行料を払えない甲斐性なしのために、この町にはいつでも労働者の募集がある!三日も働けば金はたまる!望むなら話を付けてやるぞ」

「三日……」

 悩ましげに呻くステラに、ユージフは駄目押しした。

「どのみち橋はいま通行止めだ!数日待たねば。安全確認と修繕のためにな!」

「なによそれ!」

 ステラは思わず言った。

「なんであたしはいっつもこうなの?」

「別に珍しいことじゃない。<セルン大橋>は繊細なんだよ」

 たわし髭のユージフは頷いた。

「まぁ、今回はあのクソ忌々しい奴ら……オホン!いや、失敬。で、どうする?受けるかね?」

「それが最善なんでしょ?」

 ステラとシリルは渋々頷いた。ユージフは破顔した。

「よし!であれば手続きしよう。明日の朝八時、またここへ来るといい。審査はこれで終わりだ。好きに町を散策したまえ。そこの……」

 ユージフは左のほうを向いた。板張りの壁は緩やかに曲がり、その向こうには日差しが見えていた。

「……待合所なら軽食もある。二階より上は宿になっとる。もし泊まりたきゃ、あっちで聞いてくれ」

 カウンターを離れようとした二人に、ユージフは小さく言った。

「それと、もうサンフォーリングの話はせんことだ」

「え?」

 ユージフはもうなにも言わず、黙って行けと手のひらで示した。

 

 ◆

 

「新顔かい?」

 ラウンジには、二人の人間がいた。

 <マスター>だった。二人とも、左手の紋章を誇るように露にしている。小柄なほうの人影は、人懐っこい口調で話しかけてきた。

「ちょうど良かった。ボクが話しかけているのに、この人はどうも無愛想でね。旅の醍醐味は出会いだよ、そう思わないかい?」

 その少女は、艶やかな黒髪を肩までに切り揃え、純白に漆黒を配したモノクロの衣を纏っていた。

 切れ長の眼で、紅の瞳が輝いた。それが陽気そうにキラキラと動く。厚底のブーツがごとりと音を立てた。

「ボクは(ファン)

 少女は玉を転がすように言った。

「フルネームは煙煌(ヤンファン)だよ、よろしくね!」

「よ、よろしく……」

「いいね。君たちも金欠かい?」

 (ファン)は側の長椅子を二人に勧めながら、自分も座椅子に腰かけた。

「実はボクもなんだ。どのみち橋を渡るためには少し待たなければならないし、金策の手段を用意してあるのは有情だけれどね。お役所にしては親切さ」

「金策って?」

 尋ねたステラに、(ファン)はにこやかに言った。

「作業だよ。ここは採掘と汲み上げの町だからね、雑務の人手はいくらあってもいいと言う訳さ」

「……旅人に任せられる仕事なんざ、そんなものだろう」

 その時、真向かいに座っていた男も口を開いた。

「親切、有情……まったくおめでたいな。関税を払えないやつを通さないのではなく、労働力として安くこき使う。この町の経営戦略は実に賢明らしいぞ。それに感謝まで上乗せするのか?」

 その鋭い目付きは、どうもただ者ではない雰囲気を醸していた。頬には周りを威圧するように、大きなアゲハ蝶の刺青(タトゥー)が入っていた。

 男はシリルとステラを一瞥し、鼻をならした。

「ふむ……片方は<マスター>か」

「珍しいね!こんな辺境、ボク以外にいるなんて思ってもみなかったのに。これで二人目……いや、三人目だよ。雨でも降るんじゃない?」

 シリルは少しだけ面食らいながら頷いた。(ファン)は男を手で指して言った。

「彼はねぇ、リッター・メートルグラム。今のでわかった通り、無愛想で悲観的なんだ!まるでマフィアみたいだろ?」

 確かに、革コートの懐から葉巻を取り出す男……メートルグラムの格好は、まさに暗黒街の殺し屋、という風だった。その手の中のライターの炎に、(ファン)は眉を上げた。

「ここ禁煙じゃないかい?」

「知らんな」

 メートルグラムは構わず、火をつけようとした。

 その炎が揺らいだ。

 丸い火の玉は葉巻をゆらゆらと離れて飛び上がり、(ファン)の伸ばした人差し指へと蝶のように止まった。得意げに、少女は指を回す。

「駄目だよ」

「チッ……!」

 苛立つメートルグラムから目を離して、(ファン)は炎を握り潰した。小さく音がして、灰色の煙がぽっと上がった。

「俺は、シリル。シリル……ファイアローズ」

 ファイアローズ。その名を聞いたとき、メートルグラムは微かに眉を動かしたが、何も言わなかった。ステラも続けて、努めて礼儀正しく名乗った。

「あたしの名前はステラ……あなたも通行料を?」

 ステラは毅然として尋ねた。メートルグラムは冷たい目で答えた。

「違う。お前たちと一緒にせんでもらおうか、俺は遊山だ。金は存分にあるさ。橋さえ繋がればすぐに渡れるんだ」

「遊山?」

 首をかしげる二人に、メートルグラムは黙って窓の外を指差した。

 ラウンジの壁、谷に面したほうは大きな硝子張りになっていて、うっすら霧の掛かった谷底まで見渡せた。シリルは思わず息をのんだ。

 雄大な断崖は幾重にもそびえ、北方へと裂け目が続いていく。対岸まではあまりにも遠く、空を舞う渡り鳥でさえ躊躇うほど。

 そしてその谷底は不自然なほど暗く、まるで陽光を遮るなにかがあるようだったが、それでも暗がりの奥に広がる広大な地形を見て取ることができた。

「不思議に思わなかったかい?大峡谷に架かる橋の町がなぜ、“流氷都市”とあだ名されるのか」

 (ファン)の言葉に、ステラも頷いた。

「これが……」

「そう、これがセルン。カルディナ砂漠の“流氷都市”さ」

 

 谷底には、どす黒い水面が広がっていた。

 

 その粘る漆黒の上には、純白の氷塊がごつごつとした角を立てて無数に浮かんでいた。鮮やかな白と黒のコントラストは、死んだように静止していて、なおかつほんの少しずつ動いているのだった。

「瀝青の河だよ。その上の氷は普通の氷と違って、気温が上がっても解けないんだそうだよ。噂では、遥か厳冬山脈へと通じている谷の上流から、あの山並みの呪われた寒気が流れ込んでいるんだとか……」

 壮観だった。確かに物見遊山の価値はある、とシリルは思った。粘る黒い河は、その黒さで見るものの視線を吸い込んでいた。

「瀝青……?」

瀝青(ビチューメン)。天然アスファルトのことだ」

 メートルグラムがボソリと言った。

「じゃあ、採掘って、あれを?」

「正確には石油だね!瀝青は副産物さ。それでもあれだけ量があればかなりのものになりそうだけれど……ここは古来、カルディナ各所に原油を供給する油田のひとつなのさ!」

 面白そうに語る(ファン)に、メートルグラムと紹介された男は立ち上がり、渋面で木造の階段を上がっていった。

「あれ、どこに?」

「寝る。貴様のお喋り相手は閉店だ」

「残念……ボクは普通にしてるだけなのに」

 まだ話し足りなさげに二人を見るその少女(ファン)に、ステラもまた後ずさった。

「……行こう」

 シリルの肩を引きずって、ステラは奥の出口に足を進めた。背後では、(ファン)が朗らかに手を振っていた。 

 

 扉を開けると、すぐ外は橋の下だった。

 巨大な橋梁の裏側に、都市があるのだった。それらは空中通路で繋がり、複雑な経路を形作っていた。

 逆さ向きに伸びる建築物が、それらと交錯していた。錆び付いた真っ赤な看板には、『落下物注意』と大きな文字で書き付けられていた。

 金属の網目越しに暗い谷底を見やりながら、シリルは身震いした。

「落ちない?」

 それをバカにした顔で、ステラは笑った。

「臆病!」

「常識があるって言ってほしいな。バカと煙は高いところが好きなんだっけ?」

「橋を渡る度にそう言うつもり?」

 シリルはなにか言い返そうとして、口をつぐんだ。

 通路の向こうから、喧騒が聞こえてきたからだった。怒りや憎しみではなく、驚きと悲しみの騒ぎが微かに鳴っていた。

 金属製の通路はそのまま、橋の裏へ分けいるように続いていた。そこにいた人々は、口々に言葉を交わしていた。

「また奴らだ……」

「この前の襲撃も……」

「間違いない。頭だけを……」

 鈍い明かりの下、薄暗いそこに、一人の遺体が横たえられていた。急いで運んできたのだろう、その遺体は、乱雑に敷かれた厚布の上で硬直していた。

 チラリと見えたそれに、ステラは顔を歪めた。その遺体は、後頭部を大きくえぐり取られて絶命していたのだった。剣や槍の傷ではなく、まるで獣に噛み裂かれたように、荒々しく。

 一秒足らずではっと我に返ると、ステラとシリルはそそくさとそこを後にした。人々の囁きが耳にこびりついていた。

「人食い。雪ゴブリンの仕業だ……」

 そのとき、鈴の音がした。

 セルンの体制側とおぼしき一行が近づいてくる。皆が張り詰めた顔をしている中で、中央に佇む女だけは穏やかに歩を進めていた。

 その眼差しは土偶のような土面で隠され、口許は微笑んでいた。紫の帯を締め、ごてごてした指環を嵌めたその女が過ぎ去るのを、シリルは思わず振り返っていた。

 その女の左手には、悪魔の顔を象った紋章があったからだ。<マスター>の女を、人々は安堵と依頼心の表情で迎えていた。

「おお、市長どの!」

「市長!」

「マクバラー市長閣下!」

 答えるように、市長と呼ばれた女はなにか言っていたが、もはやシリルとステラはその時には角を曲がり、血なまぐさい群衆の声も聞こえなかった。

 

 To be continued

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