■流氷都市セルン
ひゅうっ、と鏑矢が鳴った。
ゴブリンたちは町を見下ろすように陣を敷き、セルンを睨んでいた。大砲はすべて射程外で、後には踏み荒らされた町の外縁が残されていた。
その有り様は、はっきり言って不気味だった。勢い任せに攻め込むのではなく、じりじりと、待つことを知っている。
ステラは苛々と、ガラス越しのそれに目をやりながら言った。
「シリルを助けに行けないってどういうこと?」
人々は忙しなく動いていた。怪我人はいくらでもいて、重砲の弾や何かを運ぶ必要もあった。
その喧騒からわずかに離れて、
「気持ちは分かるよ。ボクも救出に行かせてくれと頼んだんだけどね」
「奴等の本陣は分からんのだよ」
水瓶を運んできたユージフが言った。
「ゴブリンどもはいつも北から来るが、セルンの北方は開拓も測量も済んどらん。地理がよく分からんのだ。雪ゴブリンだからな、ひょっとすると厳冬山脈まで行っとるやも……」
「だったら!足跡を辿っていけば……」
「あの軍勢を抜けてか?自殺願望があるなら止めないが」
壁際で、洒落たカウンターに腰かけたメートルグラムが冷たく言った。手元には相変わらず書籍が積まれている。
「やつら、見事に地形を利用してきたな。ここの傾斜では大軍は同時に動かせん。上方を取ったゴブリンどもの
戦況はそのままで膠着していた。ゴブリンたちは先制攻撃に酔って街を制圧しようとはせず、一時退却したのち、セルンの東と南への主要街道をただ押さえていた。
「ここは耕作地帯じゃあない」
ユージフは言った。
「街道を押さえられればいずれ干上がる。正面からぶつかればうちの民兵なら順当に勝てるんだが……奴等も知恵を付けとるらしい。数だけは多いからな、延々とこの都市を包囲する気だろう」
「橋は?」
ステラは言った。
「橋の向こう側から応援とかは呼べないの?」
「無理だな」
ユージフは首を振った。髭がわさわさ揺れた。
「大橋はおおかた修理済みだがな、問題はその向こうだ。砂漠を越えて来るのは命知らずの
それに、ゴブリンたちは最優先で橋を壊しに来る。と、ユージフは締め括った。
先日からの大橋の破損も雪ゴブリンによるものだ。この巨大な構造物は見かけに反して酷く繊細で、少しでも小突かれれば簡単に崩れてしまう。少なくとも、そのリスクを孕んだまま通行は出来ない。
「“西町”側との連絡にも時間が掛かりすぎるんだ!あの作業用の足場を伝っていかねばならん!」
ユージフの言う通り、この都市はひどく不安定だ。大橋を介して繋がった谷の東岸、都市の中央から、その隅々までへの繋がりが脆い。
ましてや、ここも辺境……世界の中では、省みられないほうの場所なのだから。ユージフも、ステラもそれきり静かになってしまった。
そのとき、扉が突然開いた。
その人影を、ステラは知っていた。マクバラー市長だ。
「やぁだわぁ、辛気臭い顔!誰も彼も暗いのねぇ」
『その通りですね、ご主人様』
そう挑発しながら、怪物を侍らせた“市長”は部屋を見渡した。ユージフが慌てて椅子を勧め、静かに無視された。
「まさか直々にいらっしゃるとは……」
ユージフには眼もくれず、女市長は重たげな土面を叩き、ふと、左手に嵌められた指環のひとつを、くるりと回転させた。その印章は僅かに発光した。
「グシオン!」
背後から滑り出るように身を起こしたのは、石のような塊だった。土属性のエレメンタルだろうか。
「椅子におなり!」
『承りました、閣下』
その傲岸不遜な振る舞いにも文句ひとつ言わず、エレメンタルは椅子代わりにじっと膝を突いた。頭らしき部位に腰を乗せると、市長……マキシマム・マーチ・マクバラー“ちゃん”はじっとステラを見つめた。
ステラは瞬きをした。
「あたし?」
「えぇ、あなた……誘拐された<マスター>のお友達だそうね」
マクバラー市長ははっと立ち上がると、つかつかと歩み寄り、ステラの手を取って強引に握り締めた。
「ご心配なさらず、必ず彼は救出するよう取り計らうわ。それに、あなたもお強いのねえ。ゴブリンたち相手に立ち向かう勇姿、とても美しくってよ」
女が腰を下ろす。慌てて転がったエレメンタルは素早くその尻を受け止めた。
「……それはそうと、あの小鬼めらを蹴散らす算段は着いたのかしら?」
「難しいかと」
辛抱強くユージフは言った。
「あれらは軍勢の真似事をしております。一匹であれば容易く殺せても、あの中へ突っ込んでいけば、絶対に少なくない犠牲が出る。集中砲火を食らうからです」
ユージフはゆらゆら首を振った。
「あまつさえ……近頃では違法な武器商人が雪ゴブリンと取引をするという噂も出ておりました。彼奴らの武具を見れば、真実味もありますな。【ジェム】を使いすらしたとか!」
「小難しい話はなしよぉ」
市長はゆらゆらと人差し指を揺らし、ロビーの隅にいた
「<マスター>に頼れば?どう?あなたがたの<エンブリオ>なら勝てるかしら?」
「俺は断るぞ」
メートルグラムは呟いた。
「メリットがない。なぜ奴等を蹴散らす手伝いをしなければならない?」
「つまり、出来はするのね?」
メートルグラムは渋い顔になった。マクバラー市長は首を振った。
「お金は出すわよぉ、ねぇ?たんまりと。50万リルくらいは財源にも余裕があったかしらぁ?」
メートルグラムは心底侮蔑するような目付きで市長を見、鼻を鳴らし、舌打ちまでしてのけた。
「あんたが自分でやったらどうだ?」
「……ひどぉい。あたくし、荒事にはなるべく関わりたくないのに」
「よく言う」
話は終わりだ、とばかりに、メートルグラムは眼を逸らした。
「珈琲だ」
「ブラックで?」
「あぁ」
いつもなら人の少ないロビーでぼんやりしていたのだろうウェイターは、疲れ顔になりながらも、慣れた手付きで珈琲を注ぐと、カウンターに置いた。
「お代は……」
「……十万リルよねぇ?」
振り向くと、マクバラー市長がにやにや笑いを浮かべていた。
「はぁ?」
「十万リルよ。小鬼どもを殲滅してくれないんなら、あなたの消費税は今から全部二〇〇〇〇%に増税してあげるわ」
「そんな無法が?」
「通るわよ?市長だもの」
市長は口角をいっそう吊り上げた。
「それだけじゃないわ?この都市にいる間、ありとあらゆることであなたの不利益を図ってあげる。今まで通り、ゆっくりと宿に泊まれると思わないことね……ねぇ、ほらァ、頼むわよ」
メートルグラムはため息をついた。
「……時間、手間、何より手の内を晒すことになる。手痛い損失と言っていいだろう。見返りは?」
「金銭は?」
「悪くないが、もっと替えの利かないものでなくてはな」
メートルグラムはそう言うと、ずいと顔を近づけた。
「情報だ!<マスター>の市長……あのエレメンタルを寄越したのは貴様だろう。貴様の秘密を洗いざらい、俺に教えろ!」
市長は動かなかった。たじろぎも、うろたえもしなかった。
「つまらないものを欲しがるのね」
市長は呟いた。
「いいわ。あなたの欲しいものをあげる。その代わり、蹴散らしてきてねぇ」
◇◆◇
「クソ市長め」
一人になって、メートルグラムは呟いた。それくらいの罵りは許されるだろう。
ガレージの扉をこじ開け、邪魔な工具を蹴り飛ばす。道は空いていた。それなりの非常事態に、都市の活動は一時停止していたのだから。
「じいさん!」
「なんじゃい、お前か」
呼ばれたその老人は薄暗いガレージの中で顔をしかめた。
「触ってないだろうな」
「言われた通り、指一本触れとらんぞ!ガレージを貸すだけの契約だったろうが。お前こそ、リルはきちんと払ってくれるんだろうな」
「ほらよ」
メートルグラムは老人に向かって袋を投げた。
「前金だ。事が終わった後も少し置かせてもらうからな」
「……まぁ、不足あるまい」
メートルグラムはつかつかとガレージの中央、巨大な影に近づき、そして帆布のようなシートを掴んで引き剥がした。ざらつく厚布は、嫌な音を立てて外れた。
その内側にあったものに素早く乗り込みながら、メートルグラムは叫んだ。
「前のシャッターを上げろ!」
「ええい、人使いの荒い……!」
老人が喚き、ハンドルを回す。
持ち上がる正面シャッターの隙間から、光が差し込んだ。
メートルグラムはそれを待たず、アクセルを踏み、シャッターをすり抜けてそれを飛び出させた。
それは、暗赤色の車だった。
装甲を連ね、四輪駆動であらゆるものを踏破するビークルだ。中央街道の路面は固く踏みしめられていて、車輪の走行にも十分耐えていた。
しかして、門扉は閉ざされていた。メートルグラムは舌打ちした。
「そんなもの前もって開けておけ!あァ、まったく……こっちで好きにしていいんだな?段取りの悪い!」
車両は勢いよく突き進み、突撃し、そして門扉を突き破った。
分厚い鋼鉄でゴブリンの攻撃をも弾いていた門扉が、いとも容易く破られたのだ。その断面はひどくざらついていて、また、赤黒く変色していた。
「知ったことか!」
メートルグラムは振り向きもせずに叫んだ。
「俺の知ったことか!」
さて、ゴブリンたちは意気揚々とこの敵に向かって矢を射かけ始めた。崖に沿って砂漠へ上がって行く道は曲がりくねっていて、大きな車両が通るのには時間がかかると、彼等は知っていた。
もたもたする獲物を袋叩きにするのは、彼等の役目だった。
メートルグラムはそれを見上げた。
そして呟いた。
「憂さ晴らしだ、ゴブリンども」
そのとき、車両が跳ね上がった。
その軌道は円弧を描いて、崖の一番上まで届いていた。ゴブリンたちは慌てふためいた。何せ、上を押さえて一方的に擂り潰せる気構えだったのだから。
さらに、車両は変形していた。もはや車のかたちではなかった。四肢が生まれ、頭が伸びてゆく。装甲が割れ、がちゃがちゃと組み上がる。
その猿のような輪郭は、明らかに近接機動兵器の様相だった。
暗赤色の装甲が大きく展開し、内側から細長い腕を広げた。それは勢いよく着地し、砂を蹴立てて周囲を睥睨した。
<マジンギア>だ。
なおも驚くべきことに、それは木製だった。骨のような色のフレームから、赤黒い装甲まで、全ては硬い木目で出来ていた。ほんの細かな捻子や留め具まで、全てがだ。
木製の機体の中で、メートルグラムは吠えた。
「さぁ来い!俺と、我がマイヤーが相手をしてやるぞ!」
青いセンサーが光った。その機体は、久しい戦の熱に打ち震えていた。
ゴブリンたちもまた沸き立った。
目論見は崩れたが、依然として相手は単騎、先だってと同じ様に、数で包囲すればじりじりと殺せる。そう下知が飛んだ。
鎧を着けたゴブリンが、槍を構えてマイヤーを取り囲んだ。鋭い刃と厚い鎧は、ゴブリンではなく人が造った代物だ。
「どこから手に入れたのか……死人のものを漁ったって量じゃあないな?交易でもしたのか?ゴブリンが」
メートルグラムは興味深げに言った。
「なんにせよ、破壊させてもらうが」
そして槍は砕け散った。
マイヤーの装甲に触れたとたん、刃がボロボロになって崩れていく。よく見れば、それは赤錆だった。錆が金属を腐食し、侵して砕いている。
メートルグラムの<エンブリオ>、その司る能力は、錆びさせること。あらゆる金属が、彼の前では塵になる。
「風向きは東。谷から吹き上げる風。風速14.58m/s。なら、良いだろう。一網打尽にするか……」
メートルグラムは呟き、操縦席のオレンジ色のボタンを押した。
「……《
そして、赤錆の粉が、マイヤーの背から吹き出した。
錆色の煙は立ち上ぼり、膨らみ、まるで巨大な双翼のように広がった。脈打つ錆の粒子は、風に乗ってゴブリンの軍勢を飲み込んでいった。
もはやそれは局所的な砂嵐だった。ただし錆で出来ていて、触れる金属を全て錆びさせていた。
ゴブリンたちの鎧や武具は即座に使い物にならなくなった。錆の塊に成り果てたからだ。
「さぁ、どうする……」
ゴブリンたちは武具を投げ捨てると、【ジェム】を投げ始めた。
「馬鹿が」
その敵の他ならぬ木で出来ているのを見てか、ゴブリンたちが選んだのは火属性の【ジェム】だった。背後ではメイジ種が杖を掲げ、斉唱した。
『Gran-seller!』
『Gran-seller!』
その杖に灯る光の粒は、次々とマイヤーをめがけて飛び出したが、メートルグラムは少しも慌てなかった。
焔が着弾する。
そして、何事もなかったかのように弾かれた。
「レジェンダリアから取り寄せた霊木が、ただの火で焼けるものか!」
メートルグラムはそう言って、マイヤーの腰から大刀を取り上げた。それもまた堅い樹から削り出されていて、刃の部分には白っぽい石を嵌めこんであった。
彼はそれを振るった。小さなゴブリンたちと、そのしもべの猟犬には、もう、なすすべなどなかった。
とうとう彼らは尻尾を撒いて逃げ出した。ひどく口惜しそうに、北を目指して退却していく。
あの大きな壁の裂け目から、荒野へ消えていく彼らの背に、ふと、赤い星が落ちた。
「……
メートルグラムはマイヤーを振り向かせた。そのモニターが、錆の霧の内部に、ひどく霞んだ影を捕捉した。
大きな深紅の影が、錆の向こうに動いていた。
“それ”から目を逸らして、メートルグラムは再びゴブリンたちに目をやった。錆の霧の向こうに消えていく彼らを追うかどうか、しばしメートルグラムは考えたが、結局やめにした。
「誘拐か。<マスター>の脳味噌まで食べる気か、あるいは……どちらにせよ、本拠地はやはり北……厳冬山脈の方角だな」
地平を隠す古代の城壁は、延々と東西へ走っている。その向こう側、北の荒野へと、ゴブリンたちは犬に乗って走って行った。
◆◆◆
■???
シリルは目を開けた。
頭が痛んだ。眼は霞み、身体は重かった。意識だけがはっきりしているのが逆に不気味だった。
寒い。
意識が身体に舞い戻るや否や、四肢の先から寒さが染み込んできた。命さえ脅かしそうな寒さだった。
そして、あたりは純白だった。
吹雪と積雪が視界を閉ざしていた。睫毛にはあっというまに雪が積もり、瞼を重くした。
それを払って、シリルは起き上がった。
そこは雪原だった。純白の空気の向こうに、黒っぽい木々の枯れたシルエットが覗いていた。
雪原は僅かに傾斜していた。仄かな窪みには、黒く粘るものが溜まっていて、浅い小川のように向こうへ続いていた。
『Orsch lahket'e?』
シリルは飛び上がった。傍らで、ゴブリンの一匹が血走った目をシリルに向け、座っていた。
『Orsch lahket'e?』
シリルは雪を蹴立てて後退りし、身体を強ばらせた。【高位操縦士】の戦闘力はゴブリンにすら劣る。
『……U zwin we kein. Orsch lahket'e? We da grich zwet'e eit tij, Jask.』
ゴブリンの様子に、シリルは恐る恐る立ち上がった。その動きにも、ゴブリンは何らいきり立つことなく、静かにシリルを見つめていた。
『Jask……jaball?』
ゴブリンがふと、首を回す。釣られてシリルもその方角を向いた。
「O? O keimel ta norg?」
ざくざくとした足音の主は、ゴブリンではなかった。人間だ。毛皮を着込み、蒼白な顔はひどくやつれている。髭は延び放題で、眼は虚ろだった。
「Orvor……な、なぜ、ここに人間がいる?」
男はいくぶん狼狽えた様子でシリルを見た。
「まさか、浚ってきたのか?」
『Toss zwet na, krestaf!』
その途端、男はシリルの左手に目をやった。虹色の紋章を認めると、男はため息をついた。
「……なるほどな。君、取りあえず上着をやろう。このままでは凍死するぞ」
シリルは不審そうに、男の顔を見つめた。
「どうした?」
そして、シリルは弾かれたように目を見開いた。
【】。《看破》した。男には、名前が無かった。彼に関する情報は、何も読めなかった。妨害されたのではなく、そこに何も“無い”ことがはっきりと分かった。
「あなたは、誰……?」
思わず、シリルは尋ねていた。それを穏当な挨拶だと解釈したのか、男は微笑んで言った。
「私は……誰だろう?誰だろうな、分からないんだ。だが、まぁ、ここでは……
男は、悲しげに言った。
「ようこそ……お客人。ここは、雪ゴブリンの国だ」
シリルは絶句し、あたりを見回した。傍らでは、あのゴブリンが不思議そうにシリルの顔を覗き込んでいた。
To be continued