■キシャール村
雪ゴブリンの村は、それなりにこざっぱりしていた。
素朴だが、深い雪を避けるために工夫の凝らされた原始的な住居は、彼等がこの寒冷地で世代を重ねてきた証だった。そのことが、シリルにはひどく意外に思えた。
ゴブリンといえば、ただ人を襲う知性のない怪物だと思っていた。どだい、言葉を話すゴブリンだって奇妙なものだ。
けれど、七大国家の文化がひとつひとつ大きく異なるように、ゴブリンもみな同じではない。寒冷地型の彼らは、知性にも少しばかりリソースを割いている。吹雪く純白と、凍てつく大気のなかで生き延びるために。
ゴブリンの村にはやはり多くのゴブリンと、奇妙なことに多くの犬がいた。赤みがかった体躯は大柄で、柔らかな毛並みに覆われていた。手を触れずとも、かすかに焚き火のような熱を感じた。
「火属性の、犬?」
「何をしてる。こっちだ」
男はひときわ大きな、巌と一体化したような建物の入り口からシリルを呼んでいた。それは泥炭と石くれを積み上げて出来ていて、濃い土の香りが冷たく薫っていた。村の中心にそびえる、小さな山のようだった。
「……あまり軽率に触るな」
彼は言った。
「彼等にとって犬は分身なんだ。戦友として、生涯一匹だけの仔を選び、共に育ち、死ぬときは共に死ぬ。そういう文化がある」
男は言った。
「この前の戦でも、死んだゴブリンの犬は殺されたし、犬を喪ったゴブリンは自死した。だから……」男はシュカームをちらりと見た。「……犬を喪ってなお生き永らえることは彼等にとってこの上ない不名誉らしい。犬はこいつらの命そのものだ。下手に貶めれば報復を招くぞ」
確かに、ゴブリンたちと犬の数は殆ど同じだった。ゴブリンと犬は、冷たく虚ろな眼差しでシリルを見ていた。人間ではないというだけで、同じ種族ではないというだけでこれほど表情の読み取りにくいものか、とシリルは思った。
その家、あるいは洞の中は、吹きすさぶ雪よりは暖かかった。灯りは無かったが、入り口から差し込む幽かな光が、粘り付くような暗闇を弱めていた。
シリルは目を細めた。闇の中には、大きな人型の土人形が鎮座していた。
『カミサマ』
シュカームはそう言った。
腰より下を地に埋め、かいなを広げて顔を伏せるその荘厳な像を、シリルは見上げた。
「神様?これが?」
東洋の
概ね人を象ったそれの顔は、表情に乏しい。表面は滑らかで、所々がひび割れていた。四本の腕は互いに重ねられ、腹から下は孕み女のように膨らんでいる。
シュカームは囁いた。
『大昔、先祖ガ見ツケタ。マダ知恵ノ無イ、劣等ノゴブリンダッタトキ。神様、死ンデル。デモ、イツカ蘇ル。骸ガアル。チカラモ残ッテル』
シリルはなぜ彼らがティアンを妬むのか分かった気がした。彼らは墓を崇めているのだ。骸を拝むゴブリンたちにとって、完全な遺骸を得ることはなにより尊いのだろう。
それは、信仰に近づく行いだからだ。
神像の周りには、さらに濃い闇があった。密室で火は焚けまい。ゴブリンたちも、闇に惑わぬようゆっくりと歩いている。
その闇の中で、何かが身動ぎをした。
『……Toss zwet na lam?』
それは、とても大きかった。小柄なシリルなど言うに及ばず、彼の<エンブリオ>、シャングリラにすら比肩するかもしれないほど大きかった。隣のゴブリン、シュカームが言った。
『
『Wemeed! U zwin “Bell” ev tosso Kischaall……!』
その“王”、【ゴブリン・キング】が吠えた。
丸太のような手足に、筋骨隆々のからだ、それを覆うのは何かのざらついた毛皮で、頭には小さな角が付いた兜のようなものを被っていた。まさに野蛮人のようだ。
それはシュカームを認め、目配せのような仕草をした。シュカームは頭を下げた。
『訳ス』
シュカームはシリルたちに向き直り、王に対してなにか言った。すると、王は鷹揚に話しだした。
『U parki um tij lindung na. Jelliv mesinald, krestaf-ae……』
『此処二、マミエタ事ヲ喜バシク思ウ、二番目ノ客人ニシテ……不死人ヨ』
シュカームの通訳は辿々しかったが、概ね、シリルを歓迎しているようだ。浚ってきておいて歓迎というのはおかしいが、その辺が彼等独自の理屈らしい。と、シリルは思った。
「王はおまえを
『汝ヲ見極メタク、此処へ拐カシタ。汝ハ人カ?或ハ獣カ?ソレトモ更ナル別種カ?我等ハ知ルコトヲ望ム』
「俺は人間だけど」
シリルは言った。
「人間だよ。だから、帰してほしいんだけど」
『シカシ汝ハ不死人ダ』
王は唸った。腐った肉の匂いがした。
『
王は邪悪に笑った。
『ホシイ!不死ホシイ!』
それに呼応して、あたりを囲んでいた親衛隊らしいゴブリンたちが喚き出した。口々に、不死への憧憬を叫んでいる。
『Sssssch!』
王は一喝した。そして、手招きした。
来やれ、ということらしかった。奥からは、待ちわびていたように一匹のゴブリンがしずしずと歩いてきた。骨や石を磨いた装飾をつけ、顔料で爪に色をつけている。
『我ガ娘ダ』
王はそういってシリルを見た。
『不死者ヨ。我ガ王国ノ客人トシテ、貴殿ヲ歓待スル。貴殿ノ健勝ト我等ノ絆ヲ祝シテ、我ガ娘“アカンベラ”ヲ……』
シリルはごくりと唾を飲み込んだ。
『……貴殿ノ妻に贈ロウ。祝言ヲ挙ゲタマエ』
「はぁ!?」
シリルは思わず頓狂な声を上げた。
「いや、そんな、そんなのって!俺はゴブリンと結婚する趣味は……」
『人間ハ骸ヲ遺ス。不死者ハ塵ヨリ復活ス。ドチラモ我等ノ求メテヤマヌモノ、チカラダ。汝等ノ血ガ欲シイ』
シリルは断れるなら勿論断りたかった。けれど、彼等がシリルの脳みそを狙わないのは不死者の血がほしいからなのだ。
ただのティアンと同じだとみなされれば、即座に贄にされる。それに、婚姻を結んでしまえばシリルを喰らいたいものたちへの牽制にもなるのだろう。王の娘の縁になるのだから。
だけれどやはり、ゴブリンの夫は嫌だ。
そんな恐怖の混じった沈黙を、王は消極的肯定とみなしたらしい。満足気に(そう見えたのだ)笑うと、王はどんと地を突いた。
『此処ニ縁アリキ!貴イ血ニ不死者ノ縁ガ結バレタ!』
最悪だ。シリルは吐きそうな顔で、その雌を眺めた。
◇◆
■【
逃げ出せない。
シリルは傍らに控える無数のゴブリンたちを疎ましげにちらりと見た。
ここにも犬はいた。
発熱の力を持つ犬たちは、戦の相棒としてだけではなく、この極寒の地で暖をとるための大事な命綱だった。丸っこい土造りの家は温かく、湿った藁みたいな匂いがした。
シュカームは黙って控えていた。王の娘の前では、平のゴブリンなど一兵卒にすぎない。そして肝心の、アカンベラと名乗ったその雌は、いっそ健気なほどの振る舞いでシリルにしなだれかかっていた。
『U……U aaki tum』
『彼女、“愛している”ト言ッタ』
勘弁してくれ!シリルは心のなかだけで叫んだ。アカンベラは顔をぱっと赤らめて、シリルの手に触り、なにを思ってかシリルの頬に息を吹き掛けた。
シリル・ファイアローズは大変憂鬱な気分になった。
(まずい……このままじゃゴブリンの一族にされる)
幸いだったのは、すぐさま祝言をあげようというわけではなかったことだった。流石にゴブリンもそこまで性急ではないらしい。
“客人”の男はいなくなっていた。立ち去る前に彼が向けた面白がるような視線が、今になって苛立たしく思える。
逃げ出さなくてはならない。セルンへと。
シリルは左手を見た。
(シャングリラを使えば……)
シャングリラなら逃げることは容易い。たとえゴブリンたちが束になってかかってきても、天を舞う幻想機を捕まえることは叶うまい。
だが、それをしたとたんにシリルの位置はエンブリヲンに露呈する。
(ピクシスの能力なら、この距離でもたぶん座標を割り出せる。サンフォーリングからセルンの方へ、西へ移動していることがばれる。選択肢は国が三つ。西方も広いらしいけど、その中で追い付かれる確率はぐんと上がる)
「……地図はある?」
シュカームはシリルの言葉に振り向くと、大皿のような瞼を閉じたり開いたりした。
『チズ?』
シリルは説明しようとして、言葉に詰まった。地図の概念を、一から組み上げるのはすごく難しい。
「つまり、ほら……紙に、山とか、川とか、国の広さとかを書くんだよ。道に迷わないように」
シュカームはあまり分かっていない様子で頷いた。ゴブリンたちにとって地理は口伝と自らの脚で知るべきもので、平たい図に起こしてみようなどと思うものではなかった。
「やっぱり……あの人にもう一度会わなきゃいけない」
シリルは呟いて、立ち上がった。
「シュカーム。“客人”のところへ連れて行ってくれ」
『構ワナイ、ケド……』
シュカームはアカンベラをちらりと見た。その途端、アカンベラは世にも恐ろしい形相でシュカームを睨みつけた。身分違いだからだろうか。
「シュカーム、頼む」
シリルがそう言うと、シュカームはためらいがちに歩き出した。アカンベラもついてきた。
客人の男はそう遠くない場所で思索にふけっていた。ゴブリンが作った彫り物を興味深そうに眺めては、ぶつぶつなにか呟いている。
「逃げ出したいんだ」
シリルはそのそばまで歩いていって、率直に言った。
シュカームは聞こえないふりをしてくれていた。そこがまず賭けだったのだ。幸い、彼はシリルを捕まえておこうと密告するほど王権に忠実ではなかったらしい。
「この
「その例えは通じると思って言ってるのか?」
客人はため息をついた。
「逃げ出すのは無理だぞ。君の格好はどうしたって目立つ。ゴブリンたちは人間を見るやいなや齧りつこうとする奴ばかりだし……一番いいのは正面から蹴散らして出ていくことだな。君にはその力があるんじゃないのか?」
客人はシリルの左手に向かって言った。
「<エンブリオ>は使えない」
シリルは手を振った。
「事情があるんだ。俺にも……貴方だってここにずっといるわけにはいかないんじゃないの?一緒にセルンに行こうよ」
「行ってどうするというのかね。私は記憶喪失の身だ。自分の名前すら分からん。セルンに行ったところでなにがあるものか。君には同情するが……無理だ」
客人はそう言って黙った。自嘲的な沈黙だった。
「……友達がいるんだ」
シリルはつぶやいた。
「大事な友達なんだ。二度と会えないなんて嫌なんだよ。だから、こんなところで捕まっているわけには行かないんだ!ましてやゴブリンと結婚なんて……」
流石に怪しんだらしい、当のゴブリン姫がなにやら口走りながら近づいてくる。客人はそれをなにごとか答えて宥め、薄く笑った。
「それほど大事な友人か」
シリルは頷いた。客人はニヤッと笑った。
「女の子だろ?」
シリルはパッと赤くなって肩をすくめた。客人はとうとう肩を揺すりながら笑い始めた。
「そりゃあそうだ、私が君くらいの頃には女の子ばかり追いかけていたものさ。人間というやつは、どこでも同じだよ。セルンでも、<マスター>でも……」
「思い出したの?」
シリルの言葉に、客人は我に返った。
「いや……だが、思わず口から出たんだ。何だろうな」
男は考え込むと、静かに続けた。
「いいだろう。一緒に行ってあげよう。ひとつ手がある。どうしたって賭けだが……君のLUCが微笑むなら、やれるかもしれない。タイミングはちょっとしたものだ」
男は言った。
「ゴブリンたちは今、戦争の準備をしている。流氷都市セルンに攻め込む気だ。今度のは小競り合いじゃない。きちんと陣を張り、人間から仕入れた武器まで持ち込んでいる。それに紛れ込めばどうにかなるかもしれん。少なくともセルンの近くまでは行けるはずだ」
「戦争」
あの襲撃よりももっと酷いことをするのだ。
そう思ったら、シリルは居ても立っても居られなくなった。ステラはティアンだ。死んだら生き返れない。生き返らない。だから、シリルは居ても立ってもいられなくなるべきなのだ。
「あとはどうやってついていくかだが、ちょうどぴったりの口実があったな」
客人はゴブリンの王女、アカンベラを見やった。
「さて、婿殿。王女殿下を言いくるめる自信はあるかね?」
◇◆
■王
ゴブリンの王は、ひとり神像の前に佇んでいた。
かつて、地を這い泥を啜る愚かな小鬼の一体が、ふと知恵を望んだ。人間性を望んだ。文化を望んだ。
そこからすべてが始まった。彼の子供たちは、ほかのゴブリンより少しだけ賢かった。
単なる偶然だ。彼らはツヴァイアーと呼ばれた国で、人を襲いながら人の真似をした。諸国が滅びた後は、その得意の人真似で辛うじて生き延びた。
この極寒の谷の源で、その子孫は増え続けた。リソースを蓄え、位階を昇ったものがときたま
だが、まだ足りない。
人になりたい。ティアンになりたい。特別な動物になりたい。
欲は消えない。欲はやまない。
なぜ、ゴブリンであらねばならない?誰がゴブリンをそうあらしめたのか?
なぜ、彼らは骸を遺せないのか。職能の“器”を持てないのか。知恵がないのか。世界に覇を唱えられないのか。
眼前には、巨大な石像があった。彼らが崇拝する像だ。土に埋もれ、泥にまみれた、憐れで醜い彼等の神だ。
【ゴブリン・キング】はその神像に向かって礼拝した。
そして咆哮した。
『Pfaar!』
目覚めよ!
『Pfaar sogang!』
ここに、目覚めよ!
石像がふるえだした。
ゴブリンの王は満足げに頭を下げ、雪の上にゆっくりとぬかずいた。遠くでは、有象無象のゴブリンたちが戦士団を集め始めていた。
その角笛に呼応するように、石像の罅が大きく広がり始めた。
石が砕けていく。音が轟き、屋根が落ちた。それらは巨大な瓦礫になって王を打ったが、強靭な肌には掠り傷が残るだけだ。
土人形の表面もまた、剥がれ落ちた。凍りついた微笑みが割け、変わって滑らかな金属が現れる。眼窩には電光が灯り、鈍い駆動音が響きだした。
『……』
ゴブリンの王は、背後から走り寄ってくる【メイジ】たちの驚き顔を振り返ると、鷹揚に笑った。
『Na! Na zwew da!』
石像だったものは、雪原に手を突き、下半身を持ち上げた。地が割れ、氷がひしぎ、両の脚が掘り起こされる。もはや古びた石の像ではなかった。その内側にあった機体が、完全に露になっていた。
これはなんだ?と、老いたゴブリンたちは首を振った。恐ろしげな石の像、大いなるゴブリンの神の骸、そう思っていたものがいまや、姿を変えて歩きだしている。
目指すは、流氷都市セルンの方角だ。
『Ath! Ath ush!』
我らが
セルンを我らが手に、人間と同等の都市を我らが手に!そのために、我らが神は蘇ったのだ!
その言葉に、雪ゴブリンたちは喜色を露にすると、先触れのように走り出した。傍らの犬たちも、歓喜の遠吠えを始めた。
◆
当の“神様”はゆっくりと、王の言葉に従って歩いていた。
“それ”は自分が神ではなく人の被造物であるとよく知っていたし、彼等が向ける崇敬は誤った知識によるものだと理解していたが、しかし特段、異を唱えることはしなかった。
感情やプライドなど無用の長物だ。それにあるのはただ、氷のように冷たい論理だけ。
ゴブリンたちは自分を守ってくれた。ゴブリンの望みを叶えることは、自身の利益に繋がる。少なくとも、“それ”はそう判断し、それに合わせて生きていた。
『Oooooooo……!』
かつて【
To be continued