□■二重都市サンフォーリング・郊外
風が冷たかった。
はじめに立ち止まったのはシリルだった。次いで、ステラが身体を強張らせる。
夕闇が揺らいだ。
黒っぽい虹が蠢き、その内側から人間が歩み出てきた。辺りには何もない。ひらけた砂地の真ん中に、その二人の少女は突如、はじめからそこにいたように現れていた。
異能の証を示すように、その二つの左手には紋章が刻まれていた。銀色の羅針盤と、絵筆を持つ貴婦人だ。
「……」
ステラが怪しげな二人を睨み付ける。その視線が疑わしげに二人の少女をなめ回した。
二人は全く同じ服装をしていた。白を基調に薄青と金色を散らしたフリル付きのドレス。小さく膨らんだスカートは、その小柄な肩から腰にかけてのラインを美しく、愛らしく引き立てていた。
それだけではなかった。顔の造形も、全く同一だ。白金の髪と、琥珀色の瞳。その目鼻立ちも含めて、その相貌は少しだけシリルに似ていた。
「あなた達は、誰?」
突然姿を現した人影に、ステラは威圧的に誰何した。
隠れ、潜む。企みがあるもののやり方だ。ステラの経験からいって、敵意がないなら忍び寄ったりはしない。
野良猫が野犬相手に身体を膨らませるように、ステラの気迫が大気を揺らがせた。それを疎んじてか、目の前の二人は厭わしげな表情を端正な顔に浮かべた。
「あなたこそ、誰かしら」
「誰なのかしら?」
「シリルのお友達かしら」
「お友達なら、お名前は?」
輪唱のように同じ顔の二人が言う。ステラは反抗的な顔になって口を開いた。
「名乗る義理はないわ」
「あら、ステラ?いい名前だね」
双子は空中を踏みしめながら、愉しげに笑った。ステラは無表情だった。
(《
「私はクラリス」
「私はクラリッサ」
無遠慮に名前を覗いたこととは裏腹に、礼儀正しく双子は名乗った。そしてふと、思い出したように付け加えた。
「クラリス・ファイアローズと、クラリッサ・ファイアローズだよ」
「ファイアローズ……!」
その名前。ステラは既に知っている。いや、知っているどころではない。
「シリルと同じ……」
「……姉だよ」
今の今まで黙っていたシリルが、やにわに口を開いた。
「双子のね」
シリルは言葉の使い方を忘れてしまったかのように、確かめるように言った。まるで、親に叱られる子供みたいだった。
「二人とも、オレを連れ戻しに来たの?」
その言葉は一見、気丈な響きだったが、同時に不安げな色をその底に隠していた。シリルの瞳が揺れる。それを安心させるように、双子が答えた。
「心配しないで?エンブリヲンは来てないわ。来たのは私達だけ……」
「そう。私達だけ。だから一緒に帰ろう?」
双子が手を差しのべ、シリルはそれを無視した。琥珀色の瞳が攻撃的な色を帯びた。
「オレは戻らないよ」
腰が落ち、シリルがその左手を拳にした。虹色の紋章が身じろぎをするように鈍く輝く。
「せっかく苦労して出てきたんだ。無理やりにって言うなら……抵抗してやる」
「あら、そお?」
「そお?」
双子が首をかしげる。その小さく可愛らしい唇が、微笑みに歪んだ。まるで、シリルのそれを愛おしむように。
「けれど、いずれは戻らなければならないわ。お父様が心配しているもの」
「そうだよ?それに、どうして逃げ出したの?」
「オレは……」
シリルが口ごもる。その目に力が光った。
「オレは、嫌なんだ!
シリルは叫んだ。
「あそこは自由じゃない、自由がない!」
「不自由?不足があった?」
「そんなに嫌がるほど、何か……やりたいことがあるの?」
今度こそ、シリルは言葉に詰まった。小柄な双子はそれを見て、冷たい表情で言った。
「家族は一緒にいるものよ、わたしたちはシリルと一緒にいたい」
「一緒にいたい。だから、一緒にいようよ」
それに、と双子は続けた。
「怪我をしてる」
「怪我をしてるわ」
「危ない目にあったんでしょう?」
「わたしたちなら助けられたのに」
それはたぶん、嘘ではなかった。言葉の端々には自信が滲んでいた。見え隠れするそれが少しだけ、膨らむ。
「じゃあ、連れて帰ろうかな」
「帰ろうかな」
シリルが後退り、双子は一歩踏み込んだ。空気が危なげに張り詰め、風が鳴る。
双子は明らかに実力行使の構えだった。それを可能にする力があると本人たちも思っているようだった。シリルが左手を押さえる。
「ねぇ、
そして、ステラは
双子は立ち止まった。その琥珀色の瞳は、今初めてステラをはっきりと見ていた。
「あなた……」
クラリスが言い淀む。
ステラは黙って、切っ先を揺らした。こつん、と、固いものの音が聞こえた。
クラリッサはシリルを見据えた。
「……いいよ。少し時間をあげる。アタマを冷やす時間をね」
「そうだね。明日、また迎えに来るよ」
双子がたおやかに手を振り、その姿が……空に喰われていく。輪郭が失せ、背景が侵食していく。その中で、クラリスが言った。
「そうだ、心配しないで?約束は守るよ、それに大ねえ様も来ていないもの」
クラリッサも呼応して笑う。
シリルは身体を震わせた。双子は笑顔を崩さなかった。
「ふふふ、教えたら飛んでくるから、黙っておいたんだ。……それじゃあ、明日ね」
その姿が完全に消失する。後に残されたシリルは呆然と崩れ落ち、そしてステラは鋭い目を辺りに向けた。
(気配が消えてない)
ステラはしかし、腰の剣に手を掛けることはしなかった。代わりに、彼女はへたりこむシリルへと声をかけた。
「……ねぇ」
「気になる?」
シリルはため息をつく元気もない様子で立ち上がった。
「場所を変えよう。多分近くにいる」
◇◆◇
□■二重都市サンフォーリング
「君、一体どういう状況なの?」
ステラは尋ねた。
ここは、サンフォーリングの町の中。商店もどきの立ち並ぶ列の端だ。疎らな人混みは、夜の薄闇にむしろ活気を取り戻したように蠢いていた。酒と、それより少しだけいかがわしい何かの芳香が漂ってくる。
二人は、路傍の石に腰かけていた。もとは何かの土台だったのだろう石の窪みには砂が溜まっていて、ズボンの下でざりざりと鳴った。
「姉……姉弟ってこと?」
「まぁ、そうだよ」
シリルは泣きそうな顔で言った。
「他にもいるけど。オレは一番下なんだ」
ステラはなんとなく納得した。シリルは確かに、末っ子って感じだ。
「あたし、兄弟っていないんだよね」
ステラは雰囲気を和らげようと呟いた。
「お兄ちゃんがほしかったの」
「……良いものじゃないよ」
シリルは苦しそうに絞り出した。
「家族は……父さんは、いつだって家族仲良しにさせたがる。辛いんだ。だから逃げ出した。オレは家族のパーツじゃない、オレはオレだ!そう思うだろ!」
シリルはステラの眼を見返すと、急に我に返ったように俯いた。その手が左手の紋章を、虹色の薔薇を撫でる。
「……<エンブリオ>を使ったせいだ。ピクシスに捕捉されたんだ。まさかこんなに早いなんて……」
「それが、さっき言ってた話?使えない、って」
シリルは頷いた。
「クラリスがオレを探せるのは分かってたし、そうするのも当たり前なんだ。“家族は皆でいるもの、助け合うもの”だって……」
ステラは少しだけ侮るような目でシリルを見た。
「それで、まさに連れ戻されそうってわけ?」
「オレは絶対に戻らないよ」
シリルは、自分でも信じていないのだろう口調でそう言った。それでも、その意思は本物だった。
「帰らない。あんな家族のもとへは……」
ステラは首を振ったが、否定するつもりはなかった。まぁ、家出少年だって、本人の自由だ。
「……家族がいるだけ良いじゃないの」
だが、ステラは呟くようにそれだけ言ってしまった。途端にシリルは首をぶんぶんと振った。
「君には分からないよ!あの家族は最悪なんだ!」
「あたし、父さんも母さんもいないの」
ステラはぽつりと言った。なぜか、止められなかった。
「死んだ。叱られてばかりだったし、貧しかったけど、ひとりぼっちよりは遥かに幸せだった」
「……その」
「ごめん」
ステラは呟いた。
「どっちが不幸かなんて比べるつもりはなかった」
ステラは心の底から申し訳なさそうに言った。言ってしまったことはいつだって後悔に変わる。
口をつぐんだステラの脳裏には、家族のことが否応なしに走っていた。父親の笑顔、母親の笑顔。人を思い出すとき、なぜか笑顔で思い出してしまうのは多分、自分が笑いたいからなんだ……と、ステラは思った。実際には笑えない。笑えるはずもない。ふと、両親に会いたくて堪らないような懐かしさが湧いてきて、ステラは慌てて唇を噛んだ。
「ごめん……」
シリルが隣で静かに言った。なぜだか、シリルのそれに比べて自分の振る舞いが子供っぽく感じられた。
虚しいだけの会話に二人が沈黙したその時、丁度良く気まずい会話を遮るものに、ステラは目を留めた。
薄暗い通りの疎らな人影の中で、フードを被った男がステラに手招きをしていた。
◇◆
□■サンフォーリング・バドルバイ酒場
閑散とした辺境であっても、酒場はろくでなしとならず者で賑わうものだ。その例に漏れず、サンフォーリングの酒場も不健康な喧騒に満ちていた。ミルハルはそのフードの奥から鷹のような鋭い視線を二人に向け、ステラとシリルは訝しげに、目の前に置かれたジョッキの白濁した中身を覗き込んだ。
「……ミルク?」
「子供が酒を飲むものじゃない」
ミルハルは
給仕を済ませたウェイトレスは、死んだ魚のような眼で定位置へと戻っていった。ステラは静かに口を開いた。
「久しぶり、ミルハル」
「昨日会っただろう」
ミルハルは相変わらず感情の読みにくい声で低く言った。
「俺を探していたと聞いた、“探し屋”からな」
その続いた言葉に、ステラは眉をひそめた。
「あたしは“探し屋”に会ってないけど」
「……そういうやつなんだ。勘が良い。ゾッとするほどに」
ミルハルは肩を竦めると、気味悪げにあたりを見回した。カウンターの中ではやたら愛想の良い小男のマスターが酒のグラスを永遠に拭き清めていた。陰気なウェイトレスが少しだけ身動ぎをした。
「……あたしは、この町からアルター王国への行き方を探してるの」
ミルクに口を付けて、ステラが言った。
「どうしても行きたいの。けど、隊商は出ない、と」
「だろうな」
ミルハルはどこか悲しげに言った。その目がふと緩む。
「……隣のそいつもか?」
「違うわ。……っていうか、なんでいるのよ?」
ステラは形の良い眉を跳ね上げてシリルを見つめた。赤みがかった茶色の瞳は、蝋燭の明かりを受けて光っていた。
「君の家出は邪魔しないわ。好きにすれば良いじゃない」
「この町から西に行きたいのはオレもだよ。それに、まだ恩を返してない」
「そうね」
ステラは少しだけ面白そうに笑った。
「むしろあたしが助けたんだから。それで、用心棒でもしてくれるの?あたしより弱いくせに」
シリルはプライドを傷つけられたという表情で、悲しげに口を尖らせた。ミルハルは気にしない様子で続けた。
「この町のことをどれくらい知っている?」
ステラは首をかしげた。隣のシリルもまた、瞬きを繰り返した。
「昨日までは名前も知らなかった」
「そうだろうな。まぁ、それが答えだ」
ミルハルは少しだけ声をひそめた。
「この町はカルディナに属していない。国境の北にある町だ。道は整備されていない……そして、ウィンターオーブだ。地図はあるか?」
「古いものだけど」
ステラは古びた地図を広げた。その地図にサンフォーリングの文字はない。ミルハルはその一点、<厳冬山脈>の文字に程近い北方を指した。
「おおよそ、ここがサンフォーリング。現在地だ。分かるだろう」
「……緯度はウィンターオーブとあんまり変わらないんだね」
シリルが呟いた。ミルハルが頷く。
「難しい言葉を知ってるな。緯度、そうだ。この町がカルディナに属していないのは距離が原因じゃない」
「……貧乏だから?」
シリルが無遠慮に呟き、そして小さく叫んだ。ステラが何食わぬ顔で、机の下のシリルの足を踏んづけていたからだ。ミルハルは苦笑した。
「別に、事実だからな。だがそれは結果のひとつだ。原因は、ここが“町”の体をなしていないからさ」
あたりの客に聞こえないように、ミルハルは言った。
「ここは“二重都市”なんて言っちゃいるが、実際のところ
シリルは首を振った。ステラもまた、首を横に振った。
「とはいえ、そんな場所にもパワーバランスはある。軍人崩れやら野盗やら、力のあるやつにも上下はあるからな。政府が存在しないのも相まって、自然とそういう……武装勢力がこの町にのさばるようになった。その中で抜きん出ていたのが、<ブラウラウ軍>だ」
「軍?」シリルは身を乗り出した。「軍があるなら、それが政権じゃあないの?」
「確かに、リーダーであるアルハール・ブラウラウは将軍として軍事政権を名乗っているが……本質的には愚連隊だ。指揮系統も緩い。ならず者の集まりに過ぎない。だが、ここいらの若者の受け皿だった」
ミルハルは幾ばくかの記憶を感じさせる言い方で、その名前を口にした。アルハール・ブラウラウ。
「そのブラウラウが逃亡した。軍を引き連れてな。つい最近のことだ。その理由は……」
「理由は?」
「不明だ」
ミルハルは薄い酒を飲み干し、再び布地の奥へ沈んだ。
「何者かに敗北したことは確かだ。だが、相手の情報はない。ここの武装勢力が奴らを撃退したなら、その功績を喧伝するはずだが、それもない」
「それで分かったわ……」
ステラが微笑みながら言った。
「重石が取れた。それで、隊商が来ないのね?」
「どういうことさ?」
シリルが首をかしげた。ミルハルはその顔を面白がるように眺めながら教えた。
「君臨していたやつらがいなくなった。そうなると、次の上下関係を決めるために荒くれどもが争う。活発になる。今のサンフォーリングの治安は普段と比べても最悪のはずだ」
シリルは頷いた。<
「そんな状況だ。後ろ暗い旅人ならともかく、ここに出入りするような商人はもともと少ない。勢力図が安定して暫くしないと隊商は動かないな」
「事情は分かったよ」
シリルは言った。
「なら、ここから西方へ向かうのは難しいの?」
「一人で砂漠を突っ切るのは……お前、<マスター>か?なら、
そう言って、ミルハルはステラを見た。
「だが、お前は無理だ。街道から逸れれば間違いなく死ぬ」
貶しているわけではなかった。まっとうな心配だ。だが、ミルハルは突然声の調子を変えた。
「……おい、どうした?」
「どうもしない」
ステラは言い切った。その頭はふらふらと揺れていた。
「安全じゃなくたって!一人でも行くわ。あたしは強いもの」
「クソ、このジョッキか」
ミルハルは毒づきつつ、ステラの前のジョッキを持ち上げた。白く揺れるミルクには、明らかに酒が混じっていた。
「これ、酔ってるの?」
「酔ってない!」
「いや。酔ってるな。おい、店主!俺は
愛想の良い店主バドルバイは、困ったように髭を捻りながら答えた。
「ここは酒場だぜ、お客さん!酒が混ざっちまったってしょうがねえよ」
「杜撰な仕事を……!」
ミルハルはため息混じりに言った。その向かい側で、ステラは困ったようにシリルを見ていた。
「シリルが三人に見えるわ」
「いくらなんでも弱すぎない?」
シリルは呆れたように言い、自分の前のジョッキを恐る恐る見下ろした。
「呑むなよ」
ミルハルがピシャリと言った。
◇
■夜半
ステラが寝息を立て始めた後、ミルハルは自分の懐をまさぐっていたが、やがて諦めたようにシリルを見た。
「【
「ない」
首を振るシリルにミルハルは呆れた眼差しを向けていたが、やがて言った。
「寝かせておいたほうが幸せかもしれんな……」
テーブルにもたれかかる少女は、昼間の気丈さをすっかり喪失してしまったように熟睡していた。
ここまでステラがどれ程の距離を旅してきたか、ミルハルには想像もつかなかった。ステラの旅装はどちらかと言えば東方の服装で、もし仮に黄河帝国から来たのなら、相当の距離を自衛しつつ歩かねばならないのだ。さほど旅慣れてもいない様子だった。
「起きたらこれを飲ませてやれ。低級だが、【酩酊】くらいは解除できるだろ」
ミルハルから黒ずんだ液体が揺れる小瓶を受け取って、シリルは頷いた。その口が、躊躇いながら、動く。
「さっきの……」
蝋燭は消えかかっていた。陰気なウェイトレスはその表情に似つかわしくない素早い動きで、消える寸前の蝋燭を一切の無駄なく取り換え、壁際へと戻っていった。
「……さっきの、<ブラウラウ軍>だっけ?」
「あぁ」
ミルハルは頷いた。新品の蝋燭がその瞳に映っていた。
「どうした?」
「敗北して逃げたって言ってたよね?」
シリルは尋ねた。
「……それ、いつ頃?」
「先月だ。……いや、もう少し後か。二週間前ってところだな」
手帳を繰りながら、ミルハルが呟く。その瞳は、しかしずっとシリルに向けられていた。
「何故、そんなことを?」
「相手は正体不明、そうでしょ?」
質問を無視して、シリルが尋ねる。
「この世界は航空技術が弱い。それを自分で分かっていたから、彼らは即撤退を決めたんだ。損害は軽微に抑えて、東へ逃亡した」
「何を言っている?」
ミルハルが目を細める。
「視認は不可能。逆にステルス系の装備は利かず、火器も威力を発揮しない……それが“敵”でしょ?」
シリルは悲しげに言った。いや、悲しみと言うより、落胆と後悔の混ぜ物と言うべきか。いずれにしろ、表情は暗い。
「……お前、何者だ?」
ミルハルは暫く黙っていたが、やがて穏やかにそう言った。
「……お前の言うように、<ブラウラウ軍>が交戦した相手は全く正体不明だ。光学では捉えられなかった。砂漠に突如、大質量物の反応が出現して、不可視のまま暴れまわったらしい……空を飛んで、な」
「……」
今度はシリルが沈黙する番だった。ミルハルは言った。
「予想は出来る。ひとつは、大陸南西部に多いと聞く魔力災害。自然発生のハザードだ。視認できず、空をゆく災害……例えば、竜巻のようなものか?」
ミルハルが指を一本立てる。
「もう一つは、怪物の可能性。高位の<UBM>ならやれるだろう。事実、大概のやつらはこのセンで考えてる。俺がいたカルディナでも<UBM>として情報が扱われていた」
そして、三つ目。
「……最後は、ヒトの可能性」
ミルハルが指を折る。僅かな金属の軋む音と共に、ミルハルは手をマントの下にしまった。
「知ってるか?<マスター>の中には、個人で神話級を一蹴できる猛者がいる。<
蝋燭が揺れる。
「間違いないのは、砂漠には何かが潜んでるってことだ。デカい何かが。空を動く不可視の何かが。さて、そこでお前だ」
ミルハルは、別に尋問しているつもりはなかったらしい。声色は無造作で、まるで雑談でもしているようだった。
「こんな辺境に<マスター>はまず来ない。普段はな。それがタイミングよく……空から降ってきたらしいときた。偶然か?お前、何か知ってるんじゃあないのか?」
蝋燭はいつの間にか、かなり短くなっていた。
「そう、さっき聞いたよ。お前の能力は、<マジンギア>……でいいんだっけか?お前の機体は、空を飛べるのか?」ミルハルは付け足した。「……答えないなら、それでもいいが」
シリルは答えなかったが、少しだけ後ろめたそうなその目は、何かを“知っている”と雄弁に語っていた。
少しして、シリルは口を開いたが、口から出たのは全く別の質問だった。
「彼ら……<ブラウラウ軍>が戻ってくる可能性は?」
「……無くはないだろうな。中枢は活きている」
ミルハルもまた、単なる噂よりも“知っている”ふうで言った。ゆっくりと立ち上がる。金属音が微かに鳴った。
その眼差しは依然シリルを刺していた。蝋燭が揺れ、あたりの穏やかな喧騒が突然戻ってきたように感じられた。誰かが飲み物をひっくり返して騒いでいるのが聞こえた。
ミルハルは三人分の代金を置いて、シリルから目を逸らした。
「一応、忠告しておく。ブラウラウの奴らに関わらないほうが、厄介事に巻き込まれなくて済むぞ」
シリルは頷いた。浅く、黙りこくったままで。
◇◆◇
□■翌日・二重都市サンフォーリング
頭痛が張り付いた頭を揺らさないように、ステラは起き上がった。肩に掛けられたマントを払いのけ、無言でシリルが差し出す小瓶を呷る。
「廃墟?」
途端に冴え渡る頭を回して、ステラはあたりを見回した。
かつての文明の果て、金属とセラミックの構造体の中に二人はいた。町の外、都市塔のふもとに広がる遺跡地帯だ。堅牢に作られた建築は、二千年の長きを経てもまだ形を残していた。砂漠の寒さを遮るように焚かれた炎の傍らで、シリルが笑っていた。
「気分は?」
「最悪」
まだ気だるさが残る額を撫でて、ステラは宣言した。
「二度とお酒は飲まない」
「あれは事故だよ」
「だとしてもよ」
骨のような色の床を渡り、かつては窓枠だったのだろう正方形の穴から、ステラは爽やかな風を吸い込んだ。眼下には白金色の砂が広がり、廃墟を飲み込もうとしていた。遠くには、大きすぎて遠近感を狂わせるあの巨塔が相変わらずそびえていた。
「……地面より高い方が安全かと思ったんだ」
シリルは誇らしさを微かに滲ませて言った。
「そこに階段の残骸があるよ」
「よく登れるわ……崩れはしないみたいだけど」
そこでステラは思い出したように、瞳を伏せた。
「その……」
「?」
「昨日のことよ!あたし、酔っ払ってたみたいで……」
「面白かったよ」シリルは楽しげに笑った。「君、テーブルの脚を見て大笑いしてたんだ」
「もう!」
ステラは顔を真っ赤にして、廃墟から飛び降りた。
砂は柔らかかった。有毒の粉塵を吸い込まないように顔に布を巻くと、ステラは空を見た。
既に日は高かった。どうやら時間を無駄にしたらしい、と考えた所で、どちらにしろ出発は出来ないとステラは思い出した。目の端には、焚き火を消して階段を駆け下りるシリルが映っていた。
ここにいつまでもいることは出来ない。旅費は無限ではないし、こんな辺境では稼ぎ方も無い。割高の出費が嵩むばかりだ。
シリルを用心棒にすることも考えた。だが、彼は彼でトラブルを抱えているようだったし、いまいち頼りない。
(介抱してもらっておいて)
ステラは寒気に身震いした。旅先で酒を飲まされるなんて、どれ程の危機だったか。前後不覚に陥ることは、自分自身を守れるすべを失うことと同じだ。悪意がある人間なら、酔いつぶれた小娘一人簡単に弄べる。内蔵の一欠片まで売り物にされかねない。
ありがとう、って、言っただろうか?ステラは顔を上げ、シリルの方に目をやった。
「考え事?」
そして、戦慄がステラの全身を走った。
昨日の双子が、再び二人のそばに立っていた。足元の砂にはくっきりと、その足跡が続いていた。さっきまでは何もなかった筈なのに。ステラの眼には、まっさらな砂漠が映っていた筈なのに。
ステラは反射的に腰の剣へ手を掛けた。
「《
だが、その動きとほぼ同じ速度で双子……クラリスの手がステラを止めた。まるで、ステラの動きを分かっていたようだった。
「危ない条件反射だよ。私たちは貴女を襲うつもりはないのに」
「そうよ。襲うつもりはないのよ」
クラリッサが愉しげに言った。彼女らの見た目より幼い口調には、確かに敵意はなかった。
そして、その琥珀色の双眸が同じ色のそれを見た。
「さて、シリル。時間はあったよ、答えは?」
「一緒に帰ろ?」
シリルが眉を鋭くし、唇を引き結ぶ。その左手が掲げられ、紋章が脈打った。双子が息をのむ。
「……シャングリラを使う」
「シリル!」
クラリスかクラリッサか、そのどちらかが咎めるように呼んだ。
「どうしてよ!私たちが嫌いなの?」
「嫌なんだよ!」
シリルがやけになったように叫ぶ。
「うんざりだ!何があっても家族、家族、家族!オレは家族のパーツじゃない、自由になりたい!この世界はそれを許してくれる場所のはずだ!」
シリルは荒い息を吐いた。
「なんなんだ?オレは父さんの所有物じゃない!姉さんも、兄さんたちも、そうだろ!一人で好きなとこに行って、二度と帰らなくたっていいじゃないか!」
「私たちが……お父様がそれを許すと思うの?」
「エンブリヲンには知らせてないんだろ?だったら、このまま嘘をついてよ、二人とも……連れ戻せなかったことにすればいいんだ。オレは帰らない!」
シリルが宣言する。双子はそんなこと出来っこないとばかりに何か叫ぼうとして……ふと、その動きを止めた。琥珀色の瞳が上を見上げる。
シリルもつられて、空を見た。その瞳が驚愕に揺れる。
困惑ではない。むしろ、理解したからだ。その眼に映るものの正体を、ステラ以外の三人はよく知っていた。
双子は肩を落として言った。立ち竦むシリルを真っ直ぐに見つめながら。
「シリル、ごめんね。先に謝るよ」
と、クラリス・ファイアローズが言う。
「約束は守るつもりだった。ほんとうだよ」
と、クラリッサ・ファイアローズが言う。
空は暗くなり始めていた。太陽が陰るのではなく、日が沈むのでもなく、ただ“黒”が下りてきたから。
ステラは思わず息を飲んだ。頭上を漆黒が埋め尽くす。その色は、全てを塗りつぶす支配の色だ。
『シリル……!』
そして、轟音と共に“黒”が墜ち、砂漠が悲鳴を上げるように弾けた。
To be continued