鮮血のエンブリヲン   作:Mk.Z

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第五話 Morning Bell/逃れえぬ音色

 □■二重都市サンフォーリング・郊外

 

 風が冷たかった。

 はじめに立ち止まったのはシリルだった。次いで、ステラが身体を強張らせる。

 夕闇が揺らいだ。

 黒っぽい虹が蠢き、その内側から人間が歩み出てきた。辺りには何もない。ひらけた砂地の真ん中に、その二人の少女は突如、はじめからそこにいたように現れていた。

 異能の証を示すように、その二つの左手には紋章が刻まれていた。銀色の羅針盤と、絵筆を持つ貴婦人だ。

「……」

 ステラが怪しげな二人を睨み付ける。その視線が疑わしげに二人の少女をなめ回した。

 二人は全く同じ服装をしていた。白を基調に薄青と金色を散らしたフリル付きのドレス。小さく膨らんだスカートは、その小柄な肩から腰にかけてのラインを美しく、愛らしく引き立てていた。

 それだけではなかった。顔の造形も、全く同一だ。白金の髪と、琥珀色の瞳。その目鼻立ちも含めて、その相貌は少しだけシリルに似ていた。

「あなた達は、誰?」

 突然姿を現した人影に、ステラは威圧的に誰何した。

 隠れ、潜む。企みがあるもののやり方だ。ステラの経験からいって、敵意がないなら忍び寄ったりはしない。

 野良猫が野犬相手に身体を膨らませるように、ステラの気迫が大気を揺らがせた。それを疎んじてか、目の前の二人は厭わしげな表情を端正な顔に浮かべた。

「あなたこそ、誰かしら」

「誰なのかしら?」

「シリルのお友達かしら」

「お友達なら、お名前は?」

 輪唱のように同じ顔の二人が言う。ステラは反抗的な顔になって口を開いた。

「名乗る義理はないわ」

「あら、ステラ?いい名前だね」

 双子は空中を踏みしめながら、愉しげに笑った。ステラは無表情だった。

(《看破()》られた……)

「私はクラリス」

「私はクラリッサ」

 無遠慮に名前を覗いたこととは裏腹に、礼儀正しく双子は名乗った。そしてふと、思い出したように付け加えた。

「クラリス・ファイアローズと、クラリッサ・ファイアローズだよ」

「ファイアローズ……!」

 その名前。ステラは既に知っている。いや、知っているどころではない。

「シリルと同じ……」

「……姉だよ」

 今の今まで黙っていたシリルが、やにわに口を開いた。

「双子のね」

 シリルは言葉の使い方を忘れてしまったかのように、確かめるように言った。まるで、親に叱られる子供みたいだった。

「二人とも、オレを連れ戻しに来たの?」

 その言葉は一見、気丈な響きだったが、同時に不安げな色をその底に隠していた。シリルの瞳が揺れる。それを安心させるように、双子が答えた。

「心配しないで?エンブリヲンは来てないわ。来たのは私達だけ……」

「そう。私達だけ。だから一緒に帰ろう?」

 双子が手を差しのべ、シリルはそれを無視した。琥珀色の瞳が攻撃的な色を帯びた。

「オレは戻らないよ」

 腰が落ち、シリルがその左手を拳にした。虹色の紋章が身じろぎをするように鈍く輝く。

「せっかく苦労して出てきたんだ。無理やりにって言うなら……抵抗してやる」

「あら、そお?」

「そお?」

 双子が首をかしげる。その小さく可愛らしい唇が、微笑みに歪んだ。まるで、シリルのそれを愛おしむように。

「けれど、いずれは戻らなければならないわ。お父様が心配しているもの」

「そうだよ?それに、どうして逃げ出したの?」

「オレは……」

 シリルが口ごもる。その目に力が光った。

「オレは、嫌なんだ!

 シリルは叫んだ。

「あそこは自由じゃない、自由がない!」

「不自由?不足があった?」

「そんなに嫌がるほど、何か……やりたいことがあるの?」

 今度こそ、シリルは言葉に詰まった。小柄な双子はそれを見て、冷たい表情で言った。

「家族は一緒にいるものよ、わたしたちはシリルと一緒にいたい」

「一緒にいたい。だから、一緒にいようよ」

 それに、と双子は続けた。

「怪我をしてる」

「怪我をしてるわ」

「危ない目にあったんでしょう?」

「わたしたちなら助けられたのに」

 それはたぶん、嘘ではなかった。言葉の端々には自信が滲んでいた。見え隠れするそれが少しだけ、膨らむ。

「じゃあ、連れて帰ろうかな」

「帰ろうかな」

 シリルが後退り、双子は一歩踏み込んだ。空気が危なげに張り詰め、風が鳴る。

 双子は明らかに実力行使の構えだった。それを可能にする力があると本人たちも思っているようだった。シリルが左手を押さえる。

「ねぇ、()()は斬って良いの?」

 そして、ステラは()()()()()()()()()()剣先を突きつけていた。

 双子は立ち止まった。その琥珀色の瞳は、今初めてステラをはっきりと見ていた。

「あなた……」

 クラリスが言い淀む。

 ステラは黙って、切っ先を揺らした。こつん、と、固いものの音が聞こえた。

 クラリッサはシリルを見据えた。

「……いいよ。少し時間をあげる。アタマを冷やす時間をね」

「そうだね。明日、また迎えに来るよ」

 双子がたおやかに手を振り、その姿が……空に喰われていく。輪郭が失せ、背景が侵食していく。その中で、クラリスが言った。

「そうだ、心配しないで?約束は守るよ、それに大ねえ様も来ていないもの」

 クラリッサも呼応して笑う。

 シリルは身体を震わせた。双子は笑顔を崩さなかった。

「ふふふ、教えたら飛んでくるから、黙っておいたんだ。……それじゃあ、明日ね」

 その姿が完全に消失する。後に残されたシリルは呆然と崩れ落ち、そしてステラは鋭い目を辺りに向けた。

(気配が消えてない)

 ステラはしかし、腰の剣に手を掛けることはしなかった。代わりに、彼女はへたりこむシリルへと声をかけた。

「……ねぇ」

「気になる?」

 シリルはため息をつく元気もない様子で立ち上がった。

「場所を変えよう。多分近くにいる」

 

 ◇◆◇

 

 □■二重都市サンフォーリング

 

「君、一体どういう状況なの?」

 ステラは尋ねた。

 ここは、サンフォーリングの町の中。商店もどきの立ち並ぶ列の端だ。疎らな人混みは、夜の薄闇にむしろ活気を取り戻したように蠢いていた。酒と、それより少しだけいかがわしい何かの芳香が漂ってくる。

 二人は、路傍の石に腰かけていた。もとは何かの土台だったのだろう石の窪みには砂が溜まっていて、ズボンの下でざりざりと鳴った。

「姉……姉弟ってこと?」

「まぁ、そうだよ」

 シリルは泣きそうな顔で言った。

「他にもいるけど。オレは一番下なんだ」

 ステラはなんとなく納得した。シリルは確かに、末っ子って感じだ。

「あたし、兄弟っていないんだよね」

 ステラは雰囲気を和らげようと呟いた。

「お兄ちゃんがほしかったの」

「……良いものじゃないよ」

 シリルは苦しそうに絞り出した。

「家族は……父さんは、いつだって家族仲良しにさせたがる。辛いんだ。だから逃げ出した。オレは家族のパーツじゃない、オレはオレだ!そう思うだろ!」

 シリルはステラの眼を見返すと、急に我に返ったように俯いた。その手が左手の紋章を、虹色の薔薇を撫でる。

「……<エンブリオ>を使ったせいだ。ピクシスに捕捉されたんだ。まさかこんなに早いなんて……」

「それが、さっき言ってた話?使えない、って」

 シリルは頷いた。

「クラリスがオレを探せるのは分かってたし、そうするのも当たり前なんだ。“家族は皆でいるもの、助け合うもの”だって……」

 ステラは少しだけ侮るような目でシリルを見た。

「それで、まさに連れ戻されそうってわけ?」

「オレは絶対に戻らないよ」

 シリルは、自分でも信じていないのだろう口調でそう言った。それでも、その意思は本物だった。

「帰らない。あんな家族のもとへは……」

 ステラは首を振ったが、否定するつもりはなかった。まぁ、家出少年だって、本人の自由だ。

「……家族がいるだけ良いじゃないの」

 だが、ステラは呟くようにそれだけ言ってしまった。途端にシリルは首をぶんぶんと振った。

「君には分からないよ!あの家族は最悪なんだ!」

「あたし、父さんも母さんもいないの」

 ステラはぽつりと言った。なぜか、止められなかった。

「死んだ。叱られてばかりだったし、貧しかったけど、ひとりぼっちよりは遥かに幸せだった」

「……その」

「ごめん」

 ステラは呟いた。

「どっちが不幸かなんて比べるつもりはなかった」

 ステラは心の底から申し訳なさそうに言った。言ってしまったことはいつだって後悔に変わる。

 口をつぐんだステラの脳裏には、家族のことが否応なしに走っていた。父親の笑顔、母親の笑顔。人を思い出すとき、なぜか笑顔で思い出してしまうのは多分、自分が笑いたいからなんだ……と、ステラは思った。実際には笑えない。笑えるはずもない。ふと、両親に会いたくて堪らないような懐かしさが湧いてきて、ステラは慌てて唇を噛んだ。

「ごめん……」

 シリルが隣で静かに言った。なぜだか、シリルのそれに比べて自分の振る舞いが子供っぽく感じられた。

 虚しいだけの会話に二人が沈黙したその時、丁度良く気まずい会話を遮るものに、ステラは目を留めた。

 薄暗い通りの疎らな人影の中で、フードを被った男がステラに手招きをしていた。

 

 ◇◆

 

 □■サンフォーリング・バドルバイ酒場

 

 閑散とした辺境であっても、酒場はろくでなしとならず者で賑わうものだ。その例に漏れず、サンフォーリングの酒場も不健康な喧騒に満ちていた。ミルハルはそのフードの奥から鷹のような鋭い視線を二人に向け、ステラとシリルは訝しげに、目の前に置かれたジョッキの白濁した中身を覗き込んだ。

「……ミルク?」

「子供が酒を飲むものじゃない」

 ミルハルはリンゴ酒(シードル)のような泡立つ黄金色の液体を呷ると、黙って二人を見つめた。

 給仕を済ませたウェイトレスは、死んだ魚のような眼で定位置へと戻っていった。ステラは静かに口を開いた。

「久しぶり、ミルハル」

「昨日会っただろう」

 ミルハルは相変わらず感情の読みにくい声で低く言った。

「俺を探していたと聞いた、“探し屋”からな」

 その続いた言葉に、ステラは眉をひそめた。

「あたしは“探し屋”に会ってないけど」

「……そういうやつなんだ。勘が良い。ゾッとするほどに」

 ミルハルは肩を竦めると、気味悪げにあたりを見回した。カウンターの中ではやたら愛想の良い小男のマスターが酒のグラスを永遠に拭き清めていた。陰気なウェイトレスが少しだけ身動ぎをした。

「……あたしは、この町からアルター王国への行き方を探してるの」

 ミルクに口を付けて、ステラが言った。

「どうしても行きたいの。けど、隊商は出ない、と」

「だろうな」

 ミルハルはどこか悲しげに言った。その目がふと緩む。

「……隣のそいつもか?」

「違うわ。……っていうか、なんでいるのよ?」

 ステラは形の良い眉を跳ね上げてシリルを見つめた。赤みがかった茶色の瞳は、蝋燭の明かりを受けて光っていた。

「君の家出は邪魔しないわ。好きにすれば良いじゃない」

「この町から西に行きたいのはオレもだよ。それに、まだ恩を返してない」

「そうね」

 ステラは少しだけ面白そうに笑った。

「むしろあたしが助けたんだから。それで、用心棒でもしてくれるの?あたしより弱いくせに」

 シリルはプライドを傷つけられたという表情で、悲しげに口を尖らせた。ミルハルは気にしない様子で続けた。

「この町のことをどれくらい知っている?」

 ステラは首をかしげた。隣のシリルもまた、瞬きを繰り返した。

「昨日までは名前も知らなかった」

「そうだろうな。まぁ、それが答えだ」

 ミルハルは少しだけ声をひそめた。

「この町はカルディナに属していない。国境の北にある町だ。道は整備されていない……そして、ウィンターオーブだ。地図はあるか?」

「古いものだけど」

 ステラは古びた地図を広げた。その地図にサンフォーリングの文字はない。ミルハルはその一点、<厳冬山脈>の文字に程近い北方を指した。

「おおよそ、ここがサンフォーリング。現在地だ。分かるだろう」

「……緯度はウィンターオーブとあんまり変わらないんだね」

 シリルが呟いた。ミルハルが頷く。

「難しい言葉を知ってるな。緯度、そうだ。この町がカルディナに属していないのは距離が原因じゃない」

「……貧乏だから?」

 シリルが無遠慮に呟き、そして小さく叫んだ。ステラが何食わぬ顔で、机の下のシリルの足を踏んづけていたからだ。ミルハルは苦笑した。

「別に、事実だからな。だがそれは結果のひとつだ。原因は、ここが“町”の体をなしていないからさ」

 あたりの客に聞こえないように、ミルハルは言った。

「ここは“二重都市”なんて言っちゃいるが、実際のところ貧民街(スラム)の塊にすぎない。一日過ごしたなら見当もつくだろう?カルディナで食い詰めた奴らなんかが主の吹きだまりだ。市長や議会、そういう、統治の機構がない。市役所の類いを見かけたか?」

 シリルは首を振った。ステラもまた、首を横に振った。

「とはいえ、そんな場所にもパワーバランスはある。軍人崩れやら野盗やら、力のあるやつにも上下はあるからな。政府が存在しないのも相まって、自然とそういう……武装勢力がこの町にのさばるようになった。その中で抜きん出ていたのが、<ブラウラウ軍>だ」

「軍?」シリルは身を乗り出した。「軍があるなら、それが政権じゃあないの?」

「確かに、リーダーであるアルハール・ブラウラウは将軍として軍事政権を名乗っているが……本質的には愚連隊だ。指揮系統も緩い。ならず者の集まりに過ぎない。だが、ここいらの若者の受け皿だった」

 ミルハルは幾ばくかの記憶を感じさせる言い方で、その名前を口にした。アルハール・ブラウラウ。

「そのブラウラウが逃亡した。軍を引き連れてな。つい最近のことだ。その理由は……」

「理由は?」

「不明だ」

 ミルハルは薄い酒を飲み干し、再び布地の奥へ沈んだ。

「何者かに敗北したことは確かだ。だが、相手の情報はない。ここの武装勢力が奴らを撃退したなら、その功績を喧伝するはずだが、それもない」

「それで分かったわ……」

 ステラが微笑みながら言った。

「重石が取れた。それで、隊商が来ないのね?」

「どういうことさ?」

 シリルが首をかしげた。ミルハルはその顔を面白がるように眺めながら教えた。

「君臨していたやつらがいなくなった。そうなると、次の上下関係を決めるために荒くれどもが争う。活発になる。今のサンフォーリングの治安は普段と比べても最悪のはずだ」

 シリルは頷いた。<鉄の遊牧民(アイアンキング)>のことは記憶にも新しかった。

「そんな状況だ。後ろ暗い旅人ならともかく、ここに出入りするような商人はもともと少ない。勢力図が安定して暫くしないと隊商は動かないな」 

「事情は分かったよ」

 シリルは言った。

「なら、ここから西方へ向かうのは難しいの?」

「一人で砂漠を突っ切るのは……お前、<マスター>か?なら、()()をこなせば可能かもしれんな」

 そう言って、ミルハルはステラを見た。

「だが、お前は無理だ。街道から逸れれば間違いなく死ぬ」

 貶しているわけではなかった。まっとうな心配だ。だが、ミルハルは突然声の調子を変えた。

「……おい、どうした?」

「どうもしない」

 ステラは言い切った。その頭はふらふらと揺れていた。

「安全じゃなくたって!一人でも行くわ。あたしは強いもの」

「クソ、このジョッキか」

 ミルハルは毒づきつつ、ステラの前のジョッキを持ち上げた。白く揺れるミルクには、明らかに酒が混じっていた。

「これ、酔ってるの?」

「酔ってない!」

「いや。酔ってるな。おい、店主!俺は酒精(アルコール)を入れるなと言った筈だが!」

 愛想の良い店主バドルバイは、困ったように髭を捻りながら答えた。

「ここは酒場だぜ、お客さん!酒が混ざっちまったってしょうがねえよ」

「杜撰な仕事を……!」

 ミルハルはため息混じりに言った。その向かい側で、ステラは困ったようにシリルを見ていた。

「シリルが三人に見えるわ」

「いくらなんでも弱すぎない?」

 シリルは呆れたように言い、自分の前のジョッキを恐る恐る見下ろした。

「呑むなよ」

 ミルハルがピシャリと言った。

 

 ◇

 

 ■夜半

 

 ステラが寝息を立て始めた後、ミルハルは自分の懐をまさぐっていたが、やがて諦めたようにシリルを見た。

「【快癒万能霊薬(エリクシル)】は?」

「ない」

 首を振るシリルにミルハルは呆れた眼差しを向けていたが、やがて言った。

「寝かせておいたほうが幸せかもしれんな……」

 テーブルにもたれかかる少女は、昼間の気丈さをすっかり喪失してしまったように熟睡していた。

 ここまでステラがどれ程の距離を旅してきたか、ミルハルには想像もつかなかった。ステラの旅装はどちらかと言えば東方の服装で、もし仮に黄河帝国から来たのなら、相当の距離を自衛しつつ歩かねばならないのだ。さほど旅慣れてもいない様子だった。

「起きたらこれを飲ませてやれ。低級だが、【酩酊】くらいは解除できるだろ」

 ミルハルから黒ずんだ液体が揺れる小瓶を受け取って、シリルは頷いた。その口が、躊躇いながら、動く。

「さっきの……」

 蝋燭は消えかかっていた。陰気なウェイトレスはその表情に似つかわしくない素早い動きで、消える寸前の蝋燭を一切の無駄なく取り換え、壁際へと戻っていった。

「……さっきの、<ブラウラウ軍>だっけ?」

「あぁ」

 ミルハルは頷いた。新品の蝋燭がその瞳に映っていた。

「どうした?」

「敗北して逃げたって言ってたよね?」

 シリルは尋ねた。

「……それ、いつ頃?」

「先月だ。……いや、もう少し後か。二週間前ってところだな」

 手帳を繰りながら、ミルハルが呟く。その瞳は、しかしずっとシリルに向けられていた。

「何故、そんなことを?」

「相手は正体不明、そうでしょ?」

 質問を無視して、シリルが尋ねる。

「この世界は航空技術が弱い。それを自分で分かっていたから、彼らは即撤退を決めたんだ。損害は軽微に抑えて、東へ逃亡した」

「何を言っている?」

 ミルハルが目を細める。

「視認は不可能。逆にステルス系の装備は利かず、火器も威力を発揮しない……それが“敵”でしょ?」

 シリルは悲しげに言った。いや、悲しみと言うより、落胆と後悔の混ぜ物と言うべきか。いずれにしろ、表情は暗い。

「……お前、何者だ?」

 ミルハルは暫く黙っていたが、やがて穏やかにそう言った。

「……お前の言うように、<ブラウラウ軍>が交戦した相手は全く正体不明だ。光学では捉えられなかった。砂漠に突如、大質量物の反応が出現して、不可視のまま暴れまわったらしい……空を飛んで、な」

「……」

 今度はシリルが沈黙する番だった。ミルハルは言った。

「予想は出来る。ひとつは、大陸南西部に多いと聞く魔力災害。自然発生のハザードだ。視認できず、空をゆく災害……例えば、竜巻のようなものか?」

 ミルハルが指を一本立てる。

「もう一つは、怪物の可能性。高位の<UBM>ならやれるだろう。事実、大概のやつらはこのセンで考えてる。俺がいたカルディナでも<UBM>として情報が扱われていた」

 そして、三つ目。

「……最後は、ヒトの可能性」

 ミルハルが指を折る。僅かな金属の軋む音と共に、ミルハルは手をマントの下にしまった。

「知ってるか?<マスター>の中には、個人で神話級を一蹴できる猛者がいる。<超級(スペリオル)>と呼ばれる奴ららしい。そうでなくても、<マスター>の能力は千差万別かつ強力無比だが」

 蝋燭が揺れる。

「間違いないのは、砂漠には何かが潜んでるってことだ。デカい何かが。空を動く不可視の何かが。さて、そこでお前だ」

 ミルハルは、別に尋問しているつもりはなかったらしい。声色は無造作で、まるで雑談でもしているようだった。

「こんな辺境に<マスター>はまず来ない。普段はな。それがタイミングよく……空から降ってきたらしいときた。偶然か?お前、何か知ってるんじゃあないのか?」

 蝋燭はいつの間にか、かなり短くなっていた。 

「そう、さっき聞いたよ。お前の能力は、<マジンギア>……でいいんだっけか?お前の機体は、空を飛べるのか?」ミルハルは付け足した。「……答えないなら、それでもいいが」

 シリルは答えなかったが、少しだけ後ろめたそうなその目は、何かを“知っている”と雄弁に語っていた。

 少しして、シリルは口を開いたが、口から出たのは全く別の質問だった。

「彼ら……<ブラウラウ軍>が戻ってくる可能性は?」

「……無くはないだろうな。中枢は活きている」

 ミルハルもまた、単なる噂よりも“知っている”ふうで言った。ゆっくりと立ち上がる。金属音が微かに鳴った。

 その眼差しは依然シリルを刺していた。蝋燭が揺れ、あたりの穏やかな喧騒が突然戻ってきたように感じられた。誰かが飲み物をひっくり返して騒いでいるのが聞こえた。

 ミルハルは三人分の代金を置いて、シリルから目を逸らした。

「一応、忠告しておく。ブラウラウの奴らに関わらないほうが、厄介事に巻き込まれなくて済むぞ」

 シリルは頷いた。浅く、黙りこくったままで。

 

 ◇◆◇

 

 □■翌日・二重都市サンフォーリング

 

 頭痛が張り付いた頭を揺らさないように、ステラは起き上がった。肩に掛けられたマントを払いのけ、無言でシリルが差し出す小瓶を呷る。

「廃墟?」

 途端に冴え渡る頭を回して、ステラはあたりを見回した。

 かつての文明の果て、金属とセラミックの構造体の中に二人はいた。町の外、都市塔のふもとに広がる遺跡地帯だ。堅牢に作られた建築は、二千年の長きを経てもまだ形を残していた。砂漠の寒さを遮るように焚かれた炎の傍らで、シリルが笑っていた。

「気分は?」

「最悪」

 まだ気だるさが残る額を撫でて、ステラは宣言した。

「二度とお酒は飲まない」

「あれは事故だよ」

「だとしてもよ」

 骨のような色の床を渡り、かつては窓枠だったのだろう正方形の穴から、ステラは爽やかな風を吸い込んだ。眼下には白金色の砂が広がり、廃墟を飲み込もうとしていた。遠くには、大きすぎて遠近感を狂わせるあの巨塔が相変わらずそびえていた。

「……地面より高い方が安全かと思ったんだ」

 シリルは誇らしさを微かに滲ませて言った。

「そこに階段の残骸があるよ」

「よく登れるわ……崩れはしないみたいだけど」

 そこでステラは思い出したように、瞳を伏せた。

「その……」

「?」

「昨日のことよ!あたし、酔っ払ってたみたいで……」

「面白かったよ」シリルは楽しげに笑った。「君、テーブルの脚を見て大笑いしてたんだ」

「もう!」

 ステラは顔を真っ赤にして、廃墟から飛び降りた。

 砂は柔らかかった。有毒の粉塵を吸い込まないように顔に布を巻くと、ステラは空を見た。

 既に日は高かった。どうやら時間を無駄にしたらしい、と考えた所で、どちらにしろ出発は出来ないとステラは思い出した。目の端には、焚き火を消して階段を駆け下りるシリルが映っていた。

 ここにいつまでもいることは出来ない。旅費は無限ではないし、こんな辺境では稼ぎ方も無い。割高の出費が嵩むばかりだ。

 シリルを用心棒にすることも考えた。だが、彼は彼でトラブルを抱えているようだったし、いまいち頼りない。

(介抱してもらっておいて)

 ステラは寒気に身震いした。旅先で酒を飲まされるなんて、どれ程の危機だったか。前後不覚に陥ることは、自分自身を守れるすべを失うことと同じだ。悪意がある人間なら、酔いつぶれた小娘一人簡単に弄べる。内蔵の一欠片まで売り物にされかねない。

 ありがとう、って、言っただろうか?ステラは顔を上げ、シリルの方に目をやった。

 

「考え事?」

 

 そして、戦慄がステラの全身を走った。

 昨日の双子が、再び二人のそばに立っていた。足元の砂にはくっきりと、その足跡が続いていた。さっきまでは何もなかった筈なのに。ステラの眼には、まっさらな砂漠が映っていた筈なのに。

 ステラは反射的に腰の剣へ手を掛けた。

「《追跡(トレース)》」

 だが、その動きとほぼ同じ速度で双子……クラリスの手がステラを止めた。まるで、ステラの動きを分かっていたようだった。

「危ない条件反射だよ。私たちは貴女を襲うつもりはないのに」

「そうよ。襲うつもりはないのよ」

 クラリッサが愉しげに言った。彼女らの見た目より幼い口調には、確かに敵意はなかった。

 そして、その琥珀色の双眸が同じ色のそれを見た。

「さて、シリル。時間はあったよ、答えは?」

「一緒に帰ろ?」

 シリルが眉を鋭くし、唇を引き結ぶ。その左手が掲げられ、紋章が脈打った。双子が息をのむ。

「……シャングリラを使う」

「シリル!」

 クラリスかクラリッサか、そのどちらかが咎めるように呼んだ。

「どうしてよ!私たちが嫌いなの?」

「嫌なんだよ!」

 シリルがやけになったように叫ぶ。

「うんざりだ!何があっても家族、家族、家族!オレは家族のパーツじゃない、自由になりたい!この世界はそれを許してくれる場所のはずだ!」

 シリルは荒い息を吐いた。

「なんなんだ?オレは父さんの所有物じゃない!姉さんも、兄さんたちも、そうだろ!一人で好きなとこに行って、二度と帰らなくたっていいじゃないか!」

「私たちが……お父様がそれを許すと思うの?」

「エンブリヲンには知らせてないんだろ?だったら、このまま嘘をついてよ、二人とも……連れ戻せなかったことにすればいいんだ。オレは帰らない!」

 シリルが宣言する。双子はそんなこと出来っこないとばかりに何か叫ぼうとして……ふと、その動きを止めた。琥珀色の瞳が上を見上げる。

 シリルもつられて、空を見た。その瞳が驚愕に揺れる。

 困惑ではない。むしろ、理解したからだ。その眼に映るものの正体を、ステラ以外の三人はよく知っていた。

 双子は肩を落として言った。立ち竦むシリルを真っ直ぐに見つめながら。

「シリル、ごめんね。先に謝るよ」

 と、クラリス・ファイアローズが言う。

「約束は守るつもりだった。ほんとうだよ」

 と、クラリッサ・ファイアローズが言う。

 空は暗くなり始めていた。太陽が陰るのではなく、日が沈むのでもなく、ただ“黒”が下りてきたから。

 ステラは思わず息を飲んだ。頭上を漆黒が埋め尽くす。その色は、全てを塗りつぶす支配の色だ。

 

『シリル……!』

 

 そして、轟音と共に“黒”が墜ち、砂漠が悲鳴を上げるように弾けた。

 

 To be continued

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