Little Sister ―ふたりの末妹―
物見遊山、と女は言った。
果ての国を訪れたのは根も葉もない興味一偏、流れまかせの風まかせ、好奇心こそ動機のすべてであるのだと。
「信じられない?」
「……にわかには、な。お前の気配は、あまりに不吉でありすぎる」
「あら、真面目」
「なんのことだ」
「ここはさしずめ“趣味が悪い”とか“壊滅的なチョイス”とか、はたまたいっそ“観光客の来るところではないぞ”とか、皮肉まじりにあげつらってこそでしょう? それが、あなた、思いもかけず素直じゃないの。ずいぶんお堅い騎士様なのねえ、いまどき珍しいくらい」
「俺に腹芸の心得はない。言葉遊びに付き合う気もな。戦う以外は基本的に能無しだ。だからせめてそれだけは、何があろうと、誰を相手取ろうとも、全うすると決めている」
あからさまな疑惑の視線、下手な真似はするなとの、威喝を兼ねた警告を突き込まれておきながら、
「――ふぅん、なるほど、そうなのか。それがあなたのカタチかぁ」
しかし女は、まるで怯む風がない。瞑目し、二三度頷き、きゃらきゃらと、鈴を転がすように笑って、
「いいわ、いいわよ、いいでしょう、許してあげるわ、その愚直さに免じてね。思う存分、心ゆくまで疑いなさいな。
暗闇に鬼を見出して、剣をかざして、突き立てて。そうしてやっと本当の姿を理解する。
人間らしくて、割と好きよ、そういうの」
そんなことを言うのであった。
いちばん最初の遭遇は、王城を臨む橋の前。
崩れかけたる見張り塔の中だった。
寝台が残っていたのを幸い、しばしの間、身を休めることにしたのだ。
崖の村を右往左往して、疲れが溜まっていたのであろう。横になるなり、巫女は寝息をたてだした。小柄な体躯に相応しい、ごく柔らかな呼気だった。
もちろん雨が降っていた。穢れを運ぶ、死の雨が。
地をえぐるほど激しくはない。
さりながら、およそ霧雨と呼べるほど、弱勢にもまたあらじ。
ざあざあと、落ちては砕ける単調な音。あるいは瞑想的として、数奇者どもが珍重するに違いない、そういう一律ぶりだった。
いつまでも続く水の演奏。その只中へ、
きぃ…
微かな異音が、しかし確かに、前触れもなく混ざり込む。巫女の意識が、眠りの中から半分ほど浮上した。
村の方から、
いや、それにしては、騎士の反応がちょっとおかしい。
彼は勇士だ、歴戦の。
肉の体はとうの昔に失って、魂のみと化してなお、巫女と契約の
修羅の男といっていい。
敵の気配に、しぜん極めて敏感である。
その彼が、今の今まで迫る脅威に無頓着であったなど、いったい有り得る沙汰であろうか?
茫洋とした意識の端で、彼が像を成すのがわかる。明らかに倉皇とした出現である。そういうことまで、繋がりを通して伝わってくる。
これはいよいよ、ただごとではない。
寝台に横たわったまま、巫女はそっと薄目を開けて、
「…あら、花の香り」
次いで響いたまったく未知の声音に、一個の弾機に化したが如く跳ね起きた。
人がいた。
塔の入り口、腐食が進んで墨染みたく黒化しきった木戸を開いて、そこに女が立っていた。
「そう、先客があったのね」
紅い瞳の女であった。
ルビーに擬すには透明感のなさすぎる、ほおずきみたいに紅い眼が濡れた睫毛の下に在り、とりわけ印象的である。
「騎士に、少女に。――ふふ、これはまた、おあつらえ向きなペアじゃない」
鼻梁が、高い。
すっと一本、歪みなく通ったその下で、薄い唇が緩やかな円弧を描いている。
世の尋常な男なら、この微笑だけでもう、もはや、たちまち腰砕けになって、駻馬の如く暴走する情慾にすべての思慮を踏み砕かれるに違いない。妻子眷属知己朋友、法も規範も人倫も、浮世の繋索、一切合切忘れ果て、
「こんばんは、名前も知らないおふたかた。ご一緒してもいいかしら」
小首をかしげて問うてくる。
その有り様に、巫女は思わず泣きたくなった。
だって、だって、意思がある。
会話ができる。
この女性には、理性がちゃんと残ってる。
皮膚は綺麗だ。身体の輪郭も崩れていない。少なくとも見える範囲に、肉腫は兆候さえもない。
行けども行けども
「ありがとう、可愛らしいお嬢さん。歓迎してくれるのね。とってもとっても嬉しいわ」
気付けば巫女は、千切れんばかりに首を上下に振っていた。
「……貴様は、なんだ?」
が、黒騎士は、それほど暢気でいられない。
兜の奥から軋るような声で問う。
筋肉が強張っている証拠であった。無理もない、彼の常識からすれば、女のすべてが異様であった。
なぜ、頭から、死の雨をかぶっておきながら、平気な顔を維持できる?
どうして穢れに蝕まれない? 憎悪や攻撃本能の虜にならずにおけるのだ?
断じて半端な代物ではない、男も女も、老いも若きも幼きも、騎士も、司教も、守り人も、英雄さえも破綻させ、この王国をどうしようもなく駄目にした、一個の終末現象だ。
巫女でもない身で、どうしてそれに耐えられる?
道中はびこる穢者はどうした。見たところ、寸鉄一本帯びていないではないか。何を頼りに、襲い来る脅威を退けた?
魔術師か? 触媒もなしに天地の理法を捻じ曲げられる、超越の技量であるのだと?
(いや、違う)
そういう細々したことも、むろん気にはなっている。
だが、それ以上に。――女の姿を見ていると、なにやら海馬が疼くのだ。
きっとそれは原初の記憶。あまりに時を重ねすぎ、とうに摩滅した端緒。
死の雨が降るずっと前、王国が産声を上げるより、更に、更に遡り。
この地が未だ、古の民の手にあったころ。彼らが死力をふりしぼって戦った、魔の――。
「私はルーミア」
「ッ……!」
思考迷路に囚われつつある騎士の煩悶を断つように、女はからりと明快に、己が素性を告げていた。
「寄る辺なき、指標を持たぬ放浪者。火と闇の神話、最後の語り部。灰の熱さを今も伝えるただひとり。――よければいっぺん、聞いていく?」
――ざっとこんな塩梅で。
彼女たちの因縁は、結ばれてしまったわけである。
出逢って二秒で気付いたわ。
ああ、この少女は、白巫女は、蜘蛛姫と同じようになる。
神代の住人、魔女イザリスと娘たち。
炎の魔術を以ってして古竜の駆逐に貢献し、火の時代を開闢せしめた、覇者の一角。
そして、あまりに火に寄りすぎて、混沌に堕ち、異形と化した女ども。
その中に、居たのよひとり、とりわけ優しい、慈愛に満ちた、
思えば見かけも似てたなあ。
蜘蛛姫さまも白かった。
…単に色素の濃淡を言ってるんじゃあないよ、もちろん。
肝心なのは、無垢ということ。
この塵界に置いておくには、痛ましすぎるくらいにね。
そういうのは、いつも決まって、ひどく儚い。
蜘蛛姫さまが誰の制止も振り切って、病み村なんぞの住民のため、
あの白巫女も、身に余る「なにか」を引き受けて、いずれ必ず破裂する。
きっと、たぶん、生まれつき、そんな風にできている。
…わかるさね、これだけ永く生きてれば。
ええ、そりゃあもう、惹かれたわ。
古きヒトの怪物の系譜に連なる者として、目を
だって仕方がないじゃない。
私はあれよ、闇の娘の一員よ? お父さまの『羨望』もしくは『愛』を象る
その私があれほど激しく反応するってえことは。――お父さまが久遠のむかし、愛を捧げた対象も、つまりはああいう、精神の稀少種だったのでしょう。
逆説的な推論だけど、たぶん、おおむね、間違ってない。
だからそう、お父さまの所為なのよ。
あのあとずいぶん、柄でもなければ埒もない、柔弱ぶりを発揮しちゃった、その
…うわ、なんだこれ、やばいなあ。頬が熱いよ。口の中がむずがゆい。
やめやめ、このお話はやめ。これ以上は言いません。打ち切り、解散、待ったなし。詮索すると、怒るよ、わたし。
思い出すな思い出すな、追憶よ去れ、どっかいけ。
ああ、やっぱり、喰べておけばよかったかなあ、リリィちゃん。旬を逃さず、きっちりと……