ぼくのかんがえたあふたーすとーりー(>ω<) 作:DX鶏がらスープ
芥川龍之介『羅生門』のアフターです
今回に限らず、基本的に本編の最後の文直後からそのまま始まるので、青空文庫などを片手にお読みください
であるからこそ、だ。
さらにしばらく時間が経ち、余計に腐り果て、朽ち果てた、今や誰から見向きもされないこの門の桜の壁に今寄りかかる男のことなど、誰も知らない。
なぜなら、作者はつい先ほど「下人の行方は、誰も知らない」と書いたばかりなのである。
であれば、その行方は誰にも知りようがない。そこにそう書いてあるのだから、それは当たり前のことであり、故にこそこの頬に大きな面皰のある男がーーー腹に刺さった刀から流れる血を黙って見ていることしかできないこの男が誰なのかなど、誰も知りようがないのである。
すっかり日の落ちた楼に、明かりなどない。強いていうならば、夜空に浮かぶ月の光が明かりと言えるのだろうが、楼の奥の方にいる男の元にまでそれは届かない。それはまるで対岸の火事の明かりのように、男にとってはなんの縁もないものであり、だからこそ男はそんな遠くの床を照らす朧気な光など端から見ていない。
男が向ける注意は結局のところ自らの腹部に刺さった刀にしかなく、ーーーもっと正確に言うならば、そこから溢れだす鉄臭い液体にしかない。とは言え男の注意が長く続くことは恐らくあるまい。と言うのも、男が部下に裏切られ、この楼の壁に早贄のように縫い付けられて、もうそれなりに時間が経つ。それで未だに死んでいないのは驚嘆に値するが、その顔の色を見れば限界が近いことなど一目瞭然であるし、現に男自身もまたそれを悟っている。あぁ、己も此処までかと、ぼやけ始めた視界で自らを貫く刀身を眺めるその目には、自分がこれ以上生きられるなどという希望など一切なく、事実その通りである。
だからこそ、床が軋む音におもむろに顔を上げた男は愕然とした。いつの間にか目の前に佇んでいた老婆の姿を、男は最初夢か幻の類いだと思った。それは普通に考えて、わざわざこんな時間にこんな場所に訪れる物好きなどそうはいないであろう、という常識的な判断からしてもそうであるし、ーーー何より時間が経ちすぎている。
確かにあの時、男は老婆を殺してはいない。全てが始まったあの日、この薄暗い羅生門に転がる死骸の山の影に蹴り飛ばした老婆の生死を、男は知らない。とは言えである、あれから優に10年は経っている。奇しくもかつてと同じ場所で会った老婆が生きているはずなどない、そんな至極全うな思考が男の頭を掠めるが、現実は変わらない。暗がりで表情が見えないが、確かにそこにはかつて男が会った老婆が立っている。
しかし、そうはいったものの、すでに体から多くの血が流れ、朦朧とする意識の中で見るそれが間違いなく本物だと、果たして断言できようか。あるいはそれは本当に男の見間違いであるとも言い切れまい。であるからこそ、男にはそれが本物であるのか、今際の際に見る幻なのか、はっきりと区別が付かないのである
楼の遠くの床の上、月に照らされたその一角で蟋蟀が一匹鳴いている。腐り落ちた木材の床に開いた穴の縁で、どこから迷い混んだのか分からないそれは、あたりを押し潰すような静寂の中で、一人静かに旋律を奏でる。それが、誰からも忘れられたこの門に響く唯一の音源であるとは、果たして今より遥か遠い昔にこの門を作った某は想像だにしなかったに違いない
それと同じくして、相変わらず自身の前に無言で立ちすくむ老婆が言うであろう言葉にとんと見当がつかないというのは、男にとっては至極自然なことであった。夢なのか幻なのか、それすらも今だ分からないそれが、果たして何のために今さら男の元へと現れたのか。
じりじりと焼き付くような沈黙の中で、いい加減痺れを切らしかけた男に、しかし老婆は先んじて言葉を投げた
「許そう」
その唐突な言葉に男が呆気にとられたのは、果たしてどのくらいのことであったか。
ぱき、とどこかで楼の木材が音を立てると共に、老婆は続けた
「許そう。お前がわしにしたこと、それを許そう。何、元よりわしも生きるために似たようなことをしていたのだ。であれば、おかしなことでもあるまい」
男は理解した。成る程、これは恐らく御仏の慈悲というやつであろう。今目の前にいる老婆が本物なのか偽物なのか、それは分からない。だがしかし、死に際の者に語る内容としては上出来である。そう思い男は笑う。そう、確かにこの時男は痛快で仕方がなかった。何故なら今日まで悪鬼羅刹のごとく屍山血河を積み上げ、この世に存在するであろうおよそ全ての悪事に手を染めた男に、よりにもよってその全ての始まりとなった老婆が赦しを与えたのだ。こんなにも皮肉に満ちた話はない。まさに絵に描いたようなありがたい説話の再現である。
男は笑う。おかしくておかしくて仕方がないとでも言うように、身を震わせ、声の限りに笑い続ける。
それが例え、自身を貫く刀を動かしその傷を抉ってしまっても、それによって流れる血の勢いが増してしまっても、男は笑い続ける。まるで文字通り命をかけるかの如く、男は笑い続ける。そう、この時確かに男は痛快な気分であった。だからこそ、そんな心地よい気分のままに、男は老婆の目を見てニヤリと吐き捨てた
「お断りだ。糞婆」
今度は目の前の老婆が目を見開く
疑問と戸惑いに満ちたその顔に、男は笑いながら続けた
「良いか、婆。己がお前の衣を剥ぎ取ったのは、己の意思だ。すなわち、己自身が決めたことだ。そこに後悔などなく、故にお前がそれを赦すなどということもまたできない。最初から見当違いなのだ。それに婆よ、己はお前から衣を剥ぎ取ってから、さらに多くの悪行を犯した。今さらお前程度が赦したところで、己の地獄行きは避けられないだろうよ」
男の顔面は蒼白だった。もう余命幾ばくもないことなど、例え稚児でも分かるだろう。だが男は続ける。呵呵大笑しながら、文字通り血を吐きながら続ける。
「あぁ、それでも己は満足だ。例え地獄に落ちようと、己は最後まで己の意思で生きた。これ以上の至高の人生など他にあるまいて」
男は笑う。自身の吐いた血で血まみれのその姿は、いかにその顔面が蒼白なものであっても、まさにこの世に顕現した悪鬼羅刹そのものと言っても過言ではあるまい。いや、事実男が今日までにそう形容されるだけのことをしてきていることを考えれば、それは事実をありのままに表しているとも言える。男は悪鬼である。この世のおよそ全ての悪を成したそれは、その来歴に相応しい壮絶な有り様で、差し伸べられた慈悲の手を凶悪に歪められた相貌のままに迷いなく振り払った。
故にこそ、その末路は言うまでもない。しばらく門に響き渡っていた快哉が消えた時に、その場に残されたのは一つの死体だけ。腹を刀で貫かれ、門の桜の壁に縫い止められた、とある男の死体のみ。しかし、その死体は笑っていた。まるでこの世の全てに満足したかの如く、凄絶な最後を向かえたにも関わらず、その死体の大きな面皰を称えた顔には一片の苦悶の表情も浮かんでいなかったという。
男の名前は、誰も知らない。
実はこれ4ヶ月位前に書いたものなんですよね
なんで出さなかったのかというと、その時メインで書いていた『鮮血の女王』のネタバレに近いから
個人的には結構気に入ってるので、出せて良かったです