「はっ!」
「はっ!」
「はっ!」
「はっ!」
「ライス、脚を踏み出す時5cm内側を意識してみな!」
「は、はいぃっ!」
「チケゾー、踏み出す長さを指一本分前に!」
「おっけー!」
本日、チーム『シリウス』の面々は部室の前で、額に汗しながら正拳突きを行っていた。
呼吸を整え、構え、脚を踏み出し、突く。そんな動作を何回も何回も繰り返す。
「ねー、あれシリウスのメンバーでしょ、何やってんの?」
「わたし知ってる! 感謝の正拳突きってやつだよ!」
「何に感謝するのよ。わっけわかんない」
その光景は、傍から見れば奇異に思えた。
「流石に、周囲の視線を感じますわね……」
「いーじゃねーか。私こういうの結構好きだぜ」
「ゴールドシップさんはまともな練習以外は熱心ですわね」
頬を染めるメジロマックイーンと楽しそうなゴールドシップ。
そして、
「はっ!」
もう一人の来客者がいた。
彼女の名は、メジロライアン。
マックイーンと同じく名門メジロ家のウマ娘である。
ライアンとマックイーンはほぼ同期。
淑女として礼節を叩きこまれ物腰穏やかなマックイーンに比べ、ライアンは気さくで明るく、後輩から慕われる爽やかなウマ娘だ。
そしてライアンと言えば『筋肉』の拘りが強く、学園のジム室の常連でもある。
「ライアン、突き出す腕が外側に寄れているよ。内側に締めるようにしな」
「はいっ!」
そんな彼女が何故チームではない『シリウス』に交じってシンザンの指導の元、正拳突きをしているかというと……、
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
事は数日前に遡る。
メジロライアンは今日も汗をびっしょりかいて寮の風呂で一息付いていた。
「ふうっ……」
「ライアン、お疲れ様。肩揉んであげるの」
「ははっ、いいよアイネス、くすぐったいよー」
寮の相部屋であるアイネスフウジンとじゃれつく。
しかし言葉とは裏腹に、ライアンの心境は複雑だった。
名門メジロ家をたってトレセン学園に来たが、中々勝ちきれず、殻を破れないもどかしい日々が続く。
何より菊花賞での、マックイーンとの直接対決で、実況が何気なく口にした一言……、
「メジロはメジロでもマックイーンの方だ!」
あれがマックイーンとの優劣を決定的なものにしてしまった。
私生活でも、レースでも、マックイーンとのコンプレックスに悩み、明るい仮面を被って苦しんでいたのだ。
(何が足りないんだろう……?)
「ライアン、どうしたの?」
「え、ううん、何でもないよ」
「そうかなー? 何か悩んでそうな顔してたの」
「本当に何でもないって」
そこに、
ガラッ。
「へえ、ここが美浦寮の風呂かい。中々いいところじゃないか」
栗東寮にお世話になっている筈のシンザンが前も隠さず堂々と現れたのだ。
「…………」
メジロライアンは、息を呑んだ。
「? どうしたの、ライアン?」
「……美しい」
「へ?」
「仁王像のように猛々しく、観音像のように煌びやかだ……」
シンザンの鍛え込まれた肉体に、ライアンは一目で惚れこんだ。
「あ、あの! あなたの名前は!?」
「ん、私の名前はシンザンと言う」
シンザンは、マックイーンのいるチーム『シリウス』にお世話になっていることや、普段栗東寮に住ませてもらっている事を語った。
「あ、あの、その体はどんな練習をして身に着けたんですか!?」
「それは……」
二人は意気投合して、風呂の中でのぼせるまで語り合った。
ライアンにとって、シンザンの修練の果てに極めた精神論は大いに参考になった。
そして此度の正拳突きに付き合う事になったのだ。
「いいかい、腕だけで振るな。肩、肘、手、指、全てに一つの流線を伸ばすように腕を使うんだ」
「はいっ!」
その後、メジロライアンは完全復活を遂げ、宝塚記念でマックイーンとの三度目の勝負で遂に栄光を掴んでみせるのだが、それはまた別のお話……。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【よし、そろそろ休憩にしよう】
全員が『型』を解き、全身の力を抜く。
「これ意外ときっついねー! 腕だけじゃなく、脚も痛いよ」
とチケット。
「殆どのウマ娘がいかに脚の力だけで走っているかが分かるな。やはり全身の筋肉を使わなければ駄目だ」
とブライアン。
「まあ、こんな事するのは私ぐらいなものだけどね。事実、あの時代私の真似をするウマ娘はいなかった」
「オンリーワンの練習法ということでしょうか」
「きっかけは些細な事だったんだけどね……」
【シンザンさんのルーツ、ですか】
「昔話をしよう。私がいた時代。まだトレーナー達がどんな指導法をすればいいか、試行錯誤していた時代だ」
当時、人間もウマ娘も指導と言えば精神論・根性論が大半だった。
シンザンは、それも必要だが、それだけでは強くなれないということも理解していた。
クラシック期に差し掛かった時、彼女は新たなる練習法はないかと模索していた。
武田文吾トレーナーもまた、ウマ娘を預かる身として勤勉で努力家な男だった。
海外の指導論を取り寄せてもらうと、辞書片手に必死に書き写し続けた。
そして『選手の適性に合った指導を行い、戦略的な走法を実践すべし』という文を試してみた。
レースのスタートを1、ゴールを10とすれば、何処で力を出せば一番強いレースが出来るかを模索し続けた。
当時短距離路線は軽視されていたが、そのウマ娘が適性があるとみなせば躊躇うことなく短距離の指導を行った。
「おまえが日本の短距離路線の解釈を変えろ。その先駆けになるんだ」と。
そんなある日、シンザンは南海ホークスの野村克也が、「投手の癖を読むことでそれを打撃に生かす」という話を聞き、深い感銘を受けた。
人もウマ娘も個性はそれぞれ、それを予め頭に入れておけばレースに生かすことが出来る筈だ。
しかし、結論を言えばシンザンのその考案は不発に終わる。
なにせPCもなければ、動画と言えばテレビという時代だ。各ウマ娘のデータを調べ上げるのはあまりに労力が大きすぎた。
栗田も「無理」と言った。諦めるしかなかった。
では、別の視点で何かないか……そう考えていたある日、郵便受けに一通のチラシが入っていた。
「何々……本部流空手道場、ただ今入門者募集、ねえ……」
最初こそ逡巡したシンザンだったが、興味本位で行って見る事にする。
そして、
「こ、これだ……!」
シンザンを変えたもの、それこそが『武道』であった。
「……葡萄?」
「違う違う。武道」
そしてシンザンは、市内のあらゆる道場を回るようになる。
傍から見てれば、シンザンは練習をサボって何処かに行っているようにしか見えなかった。
「色々な道場を回ったよ。空手に始まり、柔道、剣道、合気道、少林寺拳法とかね」
武道によって『心・技・体』を鍛え上げる。
それこそがシンザンの悩みに悩みぬいた果ての結論だったのだ。
「おい、シンザンは何処行ったんだ!? またサボリか!?」
武田トレーナーが激怒するのも気にしなかった。
シンザンが練習のサボリ魔扱いされる様になったのもこの頃からである。
仕方なく武田はレースの予定を入れることでシンザンを強引にレース場に引っ張り出していたのだが。
シンザンの道場通いはレースのある日曜以外の全てを費やした。
練習場で走る時以外、日曜も祭日も関係なかった。
師範代も手を抜かなかった。
おまえがこの道を究めるつもりなら、大晦日だろうが正月だろうが付き合ってやると言ってくれた。
そしてシンザンはその荒修行の果てに、一つの境地に辿り着く。
「臍下丹田に気持ちを鎮め、五体を結ぶ……か」
「は? せい、か、たんでん?」
スペシャルウィークが頭に???を浮かべながら尋ねる。
「臍とはへそ、下とはした、そこに丹田と呼ばれる体の気を練る事で病を治すと言われる箇所がある。
そこに気を集中し、鼓動、心持、呼吸を鎮め、膨らませた気を五体、すなわち全身に張り巡らせる。
その状態を意識すると、体の余計な力がフッと抜けて、極めて自然体のままレースに挑めるようになるんだ」
「……あの~、それは関西弁か何かですか?」
スペは頭の???に圧し潰されそうな顔で尋ねる。
「うん! 全然分かんない!」
とチケゾー。
「私は分かったぜ。ウマ娘というより、武術の達人って感じだな」
「ゴールドシップさん。知ったかぶりはやめてくださいまし」
こうして己を邁進する事だけを考えてきたシンザンは未完成の状態ながら皐月賞、日本ダービーを勝ち見事二冠を達成。
「みんなは驚くかもしれないけどね。当時のダービーは出走するウマ娘が多かったんだ。私の時で27頭だったかな?」
「に、27頭!? 今の1.5倍じゃん!」
同じくダービーウマ娘であるチケットが驚く。もし自分が27頭立てで勝負していたら……考えただけで恐ろしい。
「私も、一応ダービー獲ってるけど、うーん……27頭立てか……厳しいかなあ」
スペが唸る。27頭ということは大外だったら内に26頭いるという事になるわけで。
二冠を達成し、次はいよいよ菊花賞を勝利しての三冠達成。
しかしその年、夏越しようとしたシンザンは京都の猛暑にやられすっかり夏負けを起こしてしまう。
おかげで菊花賞前の二戦に連続2着と惜敗。
世間の評価を落としてしまった。
「負けたんですの?」
「ああ。負けた。体に力が入らなくてね。でも収穫もあった。体に余計な力を入れられない分、臍下丹田に意識を集中する時間を取れた」
「トレセン学園も、夏は合宿でレースに出ない娘も多い、よね」
とライス。
「サマーシーズンと言えば地方のレース場が盛り上がる時期だがな。有力なウマ娘が出場するのは、精々札幌記念ぐらいか」
とブライアン。
そして迎えた菊花賞。シンザンは2番人気だった。
1番人気は前哨戦をしっかり勝っているウメノチカラ。3番人気は同じく三冠が掛かったカネケヤキである。
「へっ、三冠が二人……? どういう事?」
「勉強不足ですわよチケットさん。秋華賞が設立されたのは1996年。
つまり当時の三冠ルートは、皐月賞→ダービー→菊花賞と、桜花賞→オークス→菊花賞の二つであり、俗に言うトリプルティアラはありませんわ」
「私は2番人気だった。三冠が掛かっていたとはいえ、コダマ、メイズイでも獲れなかったんだからいかにシンザンといえども駄目だろう、というのが大方の考えだった」
そしてシンザンはターフである行動に出る。
ざわ……ざわ……。
「なんだ……? シンザンは何をやってるんだ?」
「知らねーよ。俺に聞くな」
「仏にでも祈ってるのか?」
「…………」
シンザンはターフの上で座禅を組み、瞑想を始めた。
この頃からだ。シンザンのルーティンが完成したのは。
そしてファンファーレが鳴り響き、観客の拍手と共に、各々がゲートに入っていく。
しかしこの時、極限まで心体と集中力が増していたシンザンは、
「全く、緊張してなかったね」
「ええ!? 緊張していないって、本当ですか!?」
「ありえませんわ! 三冠が掛かった大一番、緊張しないウマ娘などいるはずもありません!」
「いやそう言うけどね、本当に緊張してなかったんだ。心臓の高鳴りも、筋肉の強張りも、呼吸の乱れも、何一つなかった。本当に自然体だったよ」
レースはシンザンの抜群のスタートダッシュで始まる。そのシンザンを追い抜いて逃げの一手に出たのがカネケヤキ。リードはどんどん広がっていく。
3000mの長丁場とはいえ二冠ウマ娘、このまま楽に逃がしていいものか……追いつけないのではないか……そう思ったのか、1番人気のウメノチカラが追走を始める。
しかしシンザンは動かない。後ろのウマ娘が怪我でもしたのかと勘繰るくらいに。
そして最後の直線、ウメノチカラがカネケヤキを捉え先頭に躍り出たのを見てから、シンザンは動いた。
そこからはまさに圧巻だった。シンザンは凄まじいキレで背後から襲い掛かり、ウメノチカラを計ったかのように追い抜くと、そのまま先頭を守り、ゴールしたのである。
「これが菊花賞の一連の出来事だった。世間は、まるであらすじを読んでいる様だった、とか言ってたね」
「うわ~……何ていうか、うわ~……」
「セントライト以来の、戦後初の三冠ウマ娘の誕生というわけか」
とブライアン。
「GⅠで全く緊張しない……そんなウマ娘がいたら無敵ですわ」
とマックイーン。
「精神論も極めれば大きな武器になる。……あの時の私は、ひょっとしたら時代の先を行っていたかもしれないね」
「ねえシンザンさん、空手もやってたって事は、蹴りも出来るの!?」
「ああ出来るよ。試しにやってみせようか」
シンザンは立ち上がり、呼吸を整え、ヒュッ! っと空気を切り裂くように蹴りをして見せた。
「ライス、蹴り脚が、見えなかったんだけど……」
「視力はいいはずなんだけどなー……」
「こうかな、とりゃー!」
「それじゃ駄目だ。軸足が回り過ぎている。正拳突きと一緒で、呼吸を鎮めてから正中線を意識してやらなきゃ」
「それじゃあ、踏み込む時の感じはどうなのシンザンさん!」
「そうだね……」
「……ねえ、マックイーン」
「なんですの、ライアン?」
「……いつか、またレースで勝負してね。今度は負けないから」
「ふふっ、望むところですわ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
こうして、チーム『シリウス』の部室前は、一時的にシンザンの道場となった。
これは思いのほか反響があった。
「面白そう。わたしもやりたいー」
「私も混ぜてもらえませんか?」
「いいよ。来るもの拒まずだ」
「えーと、『型』はこんな感じかな……はっ!」
「それ違わない? こうだよこう!」
「うーん、難しい。シンザンさんに聞こう」
そしてシンザンの噂を聞きつけ、もう一人有力なウマ娘が現れる。
ヤエノムテキである。
自身も徒手武道『金剛八重垣流』を教えられ、武道に心得がある彼女は、噂を耳にすると早速現地に行ってみる。
「はっ!」
(おお……なんと美しい『型』だ……!)
シンザンに弟子入りを志願した彼女もまた、虚空に正拳突きを行う事で己の肉体と精神の鍛練を始める。
彼女は特別だった。師事した相手が偉大なウマ娘であることもさることながら、走りにおいても文字通り迷走が続いていたからだ。
皐月賞ウマ娘も今や過去の話。かつて死闘を繰り広げていたウマ娘達も徐々に皆の関心から遠ざかっていく……。
そこに憤りを感じていた。
(私を見ろ……! あの時、死力を尽くして戦ったライバルから預かっている物を、返す為に走っている私を見ろ……!)
何より彼女を動かしていたのは、かつての『粗暴で屑』という愚かな自身へのコンプレックスによるところが大きかった。
それは学園入学後も蝕むように彼女を縛り続けていた。
「はっ!」
「ヤエノ、力が入り過ぎている。拳に空気を乗せる感覚で振りぬくんだ」
「はい! 申し訳ありません!」
練習後、ヤエノムテキは思い切ってシンザンに相談する。
「私は、かつて本当に愚かなウマ娘でした。何事も力でねじ伏せる。そんな事を当たり前のようにやっていた娘でした」
「……でも、今はそうではないんだろ?」
「そう、ですが……この内の激情が消えたわけでは……」
「ならいいじゃないか。誰もが格好良く生きられるわけじゃないんだ。ごまかしの人生だって何も悪くないさ。
大事なのは心持を前に置く事。過去に置いていたら人は成長しないよ。愚かな自身があったから、成長した今の自分があると思えばいいのさ」
「…………」
その言葉に、ヤエノムテキはほんの少しだけ救われた。
皆が練習を終え、解散した後も、河川敷に移動し、一心不乱に門限まで黙々と正拳突きを続ける。
その姿はウマ娘というより武術を極めんとする武道家に等しかった。
(足りない……! まだ足りない……! この程度では、とてもこの先の強敵相手にGⅠは獲れない……!)
メンタルの弱さを露呈し、レースに負けることの多かった彼女は、シンザンの精神論に深く心酔した。
荒ぶる激情を抑えきれずただ暴虐に振舞っていたかつての自分を制してくれた祖父の心得と共に。
(臍下丹田に気持ちを鎮め、五体を結ぶ……この境地、何としても会得してみせる!)
夜空を見上げる。そこにはかつて共に走っていたウマ娘の姿が映っていた。
(……見ていてください、チヨノオーさん、アルダンさん、私は必ず勝ってみせます……!)
その後彼女は、並居る強豪を蹴散らし、天皇賞秋でレコード勝ちを収め歓喜の祝福に包まれるのだが、それもまた別のお話……。
武道の心得を別の分野に生かした人といえば
王貞治の師である荒川博氏がいます
真剣で吊るされた紙を斬る練習なんて普通はしませんからね
でもただ練習するだけでは駄目という壁がアスリートの世界にはあるのも確かです