でも野球を知っている人なら是非知って欲しいのです
かつて、近鉄とオリックスが合併、1リーグ構想、ストライキ、新球団の楽天より昔に日本球界が危機に陥ったことを
「…………」
その日、中央トレセン学園理事長秋川やよいは、理事長室で腕を組み、目を閉じ、考えていた。
「……理事長?」
「熟考ッ! ……たづなよ。私は今悩んでいる」
「何を、ですか?」
「シンザン殿の事だ」
「はあ、シンザンさんの事で何か?」
「もしかしたら、歴史が変わってしまうかもしれない。と同時に、禁忌に触れる行為かもしれない」
「そんな大げさな……」
「かつて日本中のトレセン学園で起きた事件、そしてシンザン殿からすれば、もう少し未来の出来事、それを話すべきか否かを」
「具体的に仰ってくださいよ」
「では、耳を貸せ」
「…………」
「…………」
「それは、確かに今を生きるウマ娘の皆さんには少々重い話かもしれませんね……」
「予見ッ! シンザン殿は原因不明の出来事で過去から未来へ飛ばされた。そしてやがては、また帰っていくと、私は思う」
「……」
「そして、これを救えるのは、シンザン殿しかいないのだ……!」
「では、その不退転の覚悟と理事長の小さな背中、私が受け止めましょう」
「たづな……。済まない……」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
【さて、今日の練習は全体練習でいいかな?】
「はーい!」
「分かりました!」
「じゃああたしは観客席からみんなを見守るとすっかなー」
「……ゴールドシップさん、貴方はたまにででいいですから走ってくださいませ」
皆の表情も明るい。気合も乗って、いい感じで練習を開始出来そうだ。
というのも、シンザンが「上半身と下半身を一体にし、全身を使って走れ」という指導を行ったところ、少しづつではあるがタイムが良くなってきたのだ。
チーム『シリウス』のメンバーだけではない。部室前で正拳突きをしていたウマ娘達もである。
「ふふ、こんな指導で効果が出るなんてねえ……私も捨てたもんじゃないって事か」
シンザンの表情も明るい。
【では……】
「拝聴ッ!」
大きな声がしてトレーナーは後ろを振り向く。そこには理事長のやよいと秘書のたづながいた。
【理事長、どうしたんですか?】
「む、シンザン殿に任せてあるウマ娘は少ないか。ならば都合が良いか」
確かに今日はいつも部室前に居た大勢のウマ娘の姿はない。いるのは併走の予定を入れていたメジロライアンとヤエノムテキだけだ。
「どうしたんですか理事長さん」
「何か話でもあるのですか?」
「……シンザン殿」
「なんだい?」
「今日は貴方に折り入って頼みたい事があって来た」
「改まってどうしたんだい? お世話になっている理事長さんの話だ。何でも聞こうじゃないか」
「……教悦」
「これから語られるのは、君たちにとって過去の話であり、シンザン殿にとっては数年後の話だ」
「……」
「……」
「質問ッ! 君達は、『黒い霧事件』というものを知っているか?」
「へ、くろい、きり……?」
「知らなーい!」
「ポケモンのわざ、だったりして……」
「私も聞いたことがありませんわ」
「あたしは知ってるぜ」
ゴールドシップが、普段見せないシリアス顔で答える。
「でもいいのかよ理事長。こいつは今を生きるウマ娘には重すぎるエピソードだぜ」
「承知ッ! それでもあえて話をしに来た!」
「な、なんなんですの!? ゴールドシップさん! そんなに危ない話ですの!?」
「ああ。マックイーン、おまえの好きな野球の世界の話だ」
「え……?」
「断腸ッ! 今から語られるべきは、とても黒く、重く、冷たい話だ……留意していただきたい」
「理事長、その話ならあたしの方が詳しい。話していいか?」
「合意ッ! では、ゴールドシップ、そなたに頼もう!」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……1969年10月、日本中をあるスキャンダルが駆け巡った。
西鉄ライオンズに所属していた某選手が、暴力団関係者から持ち掛けられた八百長行為に加担し、積極的に敗退行為に及んでいたんだ」
「え、えええええ!? ちょ、ちょ、ちょっと待ってください! いきなり話が飛びすぎですよ!」
「す、スペちゃん、落ち着いて!」
「八百長行為、というと……」
ブライアンが冷や汗を流しながら尋ねる。
「博打さ。野球賭博ってやつだよ」
「聞いたことがある。暴力団にとって大きな財源になる、いわゆる『シノギ』じゃないか?」
「あーそーだ」
「ああ、そうだ、って……」
「当然西鉄のファンは激怒した。金を出して応援していた選手が、金の為にわざと手を抜いていたんだからな」
「まあ、それは、そう……だよね」
ライスが消え入りそうな声で呟く。
「そいつは、まあー永久追放処分ってことになったんだが、プロ野球界は大混乱さ。
しかもそいつは翌年とっ捕まった時、同じチームメイトの名前は出すは他のチームにも山ほどいたと言うわで、もうしっちゃかめっちゃかってやつよ」
「そ、そんな恐ろしい事件が、私の愛する野球の世界で起こっていたなんて……」
「マックイーン、大丈夫? 顔が真っ青だよ」
「……ええ、ライアン。だ、大丈夫ですわ」
「結局、この事件のせいで西鉄は経営もズダボロになって撤退、親会社が変わりまくって今はライオンズは西武で埼玉県だからな。
まあホークスが九州に来たのは、野球ファンにとってはいいことだけどな」
「い、いいこと、なのかな……?」
「いいわけありませんわ!」
「……ですが、その事件と、我々に何の関係があるというのですか?」
ヤエノムテキが尋ねる。
そして理事長は重すぎる口を開いた。
「暴力団の賭博行為は、連中にとって貴重な生命線だ。勝敗の左右する世界なら何でも利用する。逆を言えば、勝敗が存在する世界ならあらゆる手段を講じてその手を伸ばしてくる」
【勝てば大儲け、負ければ破産ということですね】
「その通り。さて、ここでウマ娘のレースだ。君達の走る競技はギャンブルではない。ファンは『応援券』という名目で券を購入し、応援し、その数で人気順が決まる」
「…………」
「うら若きウマ娘とは言え、皆はプロフェッショナルだ。当然皆全力で勝ちに行く。しかし……」
「プロ野球界で『黒い霧事件』が起きた後、全国のトレセン学園は考えた。「もしかしたら、連中はウマ娘にも手を伸ばしているのでは?」と……」
「そして、当時の中央トレセン学園の理事長を主体にして、慎重に、隠密に聞き取り調査が行われたそうです」
横のたづなが言う。
【ま、まさか……!】
「……ああ、いたのだ。八百長に加担していたウマ娘が」
「――――!!!!」
その場にいた、全員の顔が蒼白になった。
「…………」
シンザンは、顔色は変えなかったが、内心は激しく動揺していた。
「その頃は中央が勢力を増し、徐々に地方の学園が力を失いつつある過渡期にあった。行くなら中央、そういう時代になりつつあった。
しかし皆も分かっているが、中央トレセン学園への進学は、それなりのお金が掛かる」
「高利貸から金を借り借金をしていた親、病弱でベッドから起きられない親、土地を売って進学させたかった親、家庭の内情は様々でした」
「奴らはそこに付け込んだ。ウマ娘達が金銭面で苦しんでいるという事情を何処からか手に入れ、敗退行為に及ぶよう誘惑したのだ」
【で、でもウマ娘のレースは大勢でやるものですよ! 八百長が毎回通じるとは思えませんが!】
「連中は人気順を計ってオッズ形式で行われる。一着になった者、1~2着になった者、3着までに入着した者、それによって配当も変わる」
「当然人気下位のウマ娘が1着になろうものなら、一回のレースでとてつもない倍率になったらしいです」
「どんなに実力があるウマ娘でも、意図的に前を塞がれたり、ペースを乱されたり、挙句プライベートの弱みを握られたりすれば、もはや走る捨て石だ」
【何という事だ……】
「結局、敗退行為に及んでいた者は秘密裏に退学処分にせざるを得なかった。我々も尽力したのだ。彼女たちを魔の手から切り離すために。
だが、悲劇は起こる。自分のした事に責任を感じ、寮の部屋で首を吊って自殺するウマ娘もいた」
【そんな……】
「これが、華やかなウマ娘のレースの中で、過去に起きた、とても冷たく、悲しい概要だ……」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
皆は、何も答えられなかった。あまりにショッキングな話だった。悪夢のような話だった。
「謝罪ッ! 皆を震撼させて誠に申し訳ない。だがこの悲劇を、願わくば心の中で昇華してもらいたい」
「…………」
「無論、我々とていつまでも手をこまねいているわけではない。事件後、日本ウマ娘協会と協力して、特殊な監査室を結成した。
彼らは秘密裏に学園を調査し、接触があったと判断した場合即座に動き、事態を収束させるためにあらゆる手段を用いて動く」
「ですが、暴力団関係者の八百長の持ち掛けは、今もなお続いているようです」
「何という事ですの……こんな悲しすぎる裏話があったなんて……」
「可哀想だよ。ライス、涙が出てきた……」
「う゛わ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ん゛!! あ゛ん゛ま゛り゛た゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
「……まさに、光と闇だな」
「スズカさんがいたら、きっと悲しむだろうな」
「酷い話だよ。レースは真剣勝負だからこそ美しいのに」
「忌まわしき連中の魔の手。私なら断固戦います!」
【自分にも先輩トレーナーは何人もいたけど、そんな話は一度もされた事はなかったよ】
「……それで、その話と私をどう紐づけるつもりだい?」
シンザンが問う。
「シンザン殿……。貴方は数奇な運命によって未来へ飛んできた。やがて帰る運命なのだろう。だが、もし無事に帰った暁には……、
どうか、彼女たちを一人でも多く救ってあげて欲しい。前途有望なウマ娘達を、悲劇の魔の手から」
理事長は深々と頭を下げた。
「シンザンさん、お願いします!」
「シンザンさん、私からもお願いしますわ!」
「これじゃ、過去のウマ娘のみんなが可哀想過ぎるよ!」
「……委細承知した。このシンザン、ウマ娘達を守るため、救われるために死力を尽くすと誓おう」
「多謝ッ! ……無理を押し付けて申し訳ない。現理事長の立場から、心より有難く思う」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
やがて、シンザンが過去に戻った時、彼女は積極的にあの時の誓いを果たすべく動いた。
なにせシンザンがいた関西は不良と暴力団のメッカである。当然そのような動きをする者も多かっただろう。
しかしシンザンの行動力は凄まじかった。
なんと彼女は時の総理大臣と会談を申し出て、ウマ娘達の為に税金を投入してほしいと嘆願したのだ。
総理は彼女の強い想いと心意気に打たれ、これを快諾。国会で審議を挟み、めでたく可決。
奨学金制度が導入され、徳政令を使い借金のあるウマ娘の家庭の借金を棒引きにした。
更にシンザンは背信行為とも取られることを覚悟で中央の学園の施設の充実を行う。
一方で推薦入学も取り入れられ、家計に苦しむウマ娘も入学のチャンスがあるように夢を持たせた。
レース場の改修、最新器材の導入に三冠の時に受け取った報奨金全てを突っ込んだ。
更に関係者に極秘に捜査してもらった所、既に八百長を持ちかけられているウマ娘がいる事を知ると、とんでもない行動に出る。
なんと白装束姿で暴力団幹部の集会に赴き、組長に八百長を止めてほしいと話をつけに行ったのである。
その時の剣幕は本気そのものだった。ウマ娘達を守る為なら指も斬り落とすし腹だってかっ捌いて見せる覚悟だ。シンザンはそう言った。
そして組長の目の前で額を床に擦り付けたのである。
ある幹部は言った。親父が二人いるみたいだった、と……。
「…………」
「…………」
「……顔を上げてくだせえ、シンザン殿」
「…………」
「実は、わしもあんたのファンの一人でしてねえ。あんたが菊花賞を勝った時は、久々に胸が震えたもんでさあ」
「…………」
「わしらは所詮日陰者よ。お天道様の下では生きられねえ。だがあんたは、日の光を浴びて育つ側にも関わらず、誇りも命も投げ打ってでも守りてえものを守ると言いやがる」
「…………」
「その心意気、五臓六腑に響きましたぜ。いいだろう。構成員全てに伝える。今後一切、ウマ娘の世界には手を出すな、と」
「……。有難うよ、組長」
「その代わり条件がある」
「……!?」
まさかシンザンにケジメを付けさせるのか、幹部たちは息を呑んだ。
「後悔をする生き方だけはしないでくれ。あんたはわしらの憧れであり、夢なんだ。だから、やるからにはわしらに夢の続きを見せてほしい……」
「……ふっ、分かったよ。ならば獲って見せようじゃないか。天皇賞と有馬を」
シンザンの大口に幹部たちはザワついた。三冠どころか五冠を目指すと宣言したのだ。
もし獲り損なったらどんな報復があるか分からないというのに、である。
「失敗したら、いつでも命取りに来な。なあに、私の心臓はでかいんだ。誰が撃っても当たるさ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「うっ……ぐすっ……ひっく……」
話を付けに行った後、シンザンは八百長に加担していたウマ娘の元へ向かった。
彼女とて、罪悪感はあった。自責の念もあった。
しかしシンザンは全てを飲み込んだうえで、不問にする、黙秘する、と答えた。
「シンザンさん……有難う……ございます……」
「ふっ、気にすることはない。自分の夢と目標に向かって精進するんだね」
(私には力はあるかもしれない。だが私はその力で、私以外のウマ娘も救わなければならない事を知った)
(これだけでも、未来に飛ばされた甲斐があったというものさ……)
その時、歴史の1ページは変わったのである……。
読んでいる側なら大体想像が付くと思いますが、私は本作でシンザンは徹底してヒーローとして書いています
弱き者に手を差し伸べ、強きを求める者を鼓舞する
これはアプリのウマ娘のトレーナーにはない視点です