「疲れた……」
「はーいお疲れ。ティー? コーヒー?」
「ブラックで」
「おっほほーおっとなー♪ それじゃ今後もコーヒーは多めに欲しいね。私は微糖」
部室に帰るや否やデスクに突っ伏し頭から煙を立たせる。「お疲れ様です、先生!」とアロナからも労い。
シャーレについて軽い説明を受けた後、先生とノゾミに与えられた自由時間はさほど多くなかった。
針のむしろに座る連邦生徒会の近況を顧みれば致し方ないのだが、教えられているのは本当に必要最低限だった上、シャーレもここ二日三日の間に本格稼働するのが望ましい。
ということで、ノゾミたっての希望もあり暫く職場探検を行うことになったのだが。
「はいどうぞ。――大丈夫なの先生? 明日早速業務らしいけど」
「ありがとう。――筋肉痛だろうね。今は未来のことは考えたくない」
「未来を語る役職が開業前日から言ってやんの」
手厳しいことを言わないで欲しい。わかるけども。
探検で歩いたのはオフィスだけではない。周辺の居住区にあるコンビニ――エンジェル24という名前だった。全く慣れていない初心な中学生がレジを担当していたが大丈夫なのだろうか?――や家庭菜園場、ゲームセンター等にも足を運んだ。ゲームセンターは今時珍しい、レトロゲームの設置店で、何故かノゾミも揃って二人で盛り上がっていた。
その時点で恐らく、自分の体力は半分も残っていなかったのだろう。しかし大変だったのはここからだった。
「トレーニングルームでも使ってみたら? 居住区にあったやつ」
「時間がある時に……」
「いやいやいや、今が一番あるでしょうよ。そうだ、一か月後にまた測定してあげよっか。どれくらい成長できたかを確かめるの」
リンから唯一、後出しされた指令があった。それは、ノゾミの身体測定を行うこと。一般生徒なら当然在籍する学校で受けるものだが、ティムナトではその性質上行われていないためかデータが存在しない。よってこちらの方で諸々の測定を済ませなければならず、手の空いている先生にこれが押し付けられたわけだ。
向かった先は体育館。そこでノゾミが提案した突拍子の無い思いつき。
『先生もやってみよう。知っておいた方がいいでしょ』
確かに。と思ってしまったのが運の尽きだった。
何せキヴォトスの生徒たちを基準とした測定カリキュラムだ。後半は諦めて通常の3分の1の量にしてもらったものの、結果はお察しの通り。今まで陽気な一面ばかり見せていたノゾミの苦笑いは、その時初めて聞いた。
「遠慮しておくよ。私は頭を使う方が性に合う」
「ふーんそりゃ残念。ちょっとばかし楽できるかなって思ったんだけどな」
「君は、よくその重そうな恰好で動けるね」
改めて、ノゾミの装備は五種の銃器。今向かいのソファで羽を伸ばしている姿と全く同じ見てくれのまま、彼女はさっきまで機敏に運動して見せたわけだ。
「ここの子供たちなんてみんなそんなもんじゃないの? ゲームみたいに撃ち合って、必死に避けて当てられたら痛がって、どっちかがギブしたら終わり」
「う、うん。それはそうなんだけど」
彼女は当たり前のことを言っている。少なくともこの街を生きる生徒としては語るまでもない常識だ。
しかし恐らく、この少女にはそれが当てはまらないのだと先生は確信していた。
「君は、
沈黙を以て肯定する彼女の頭上には、あって然るべき『浮遊物』がなかった。
ヘイローを持たない少女。恐らくノゾミは、
「そうだね。先生と同じ、
やたら探索に乗り気だったのも、キヴォトスに慣れていない趣旨の発言をしていたのも、至極単純な理由だ。
だからこそ、甚だ疑問だったのである。
「そんな君が、まさかあそこまで戦えるだなんて」
「実はヘイローが透明なんじゃないかって思った?」
他の生徒と比べて遜色ない身体能力。射撃のセンスに至っては比類ないと評しても過言ではない。
弱点となりそうなのは、根本的にして致命的と言える。馬力の差、それから耐久力。特に後者は、とてつもなく大きな意味をもたらすものだ。
「恐く、ないのかい?」
「……」
「さっき君は戦闘をゲームに例えていたけど、本質がそうでないことを私たちは一番重く理解しているはずだ」
要は、絶対的に力不足なのだ。
筋力が低いということは、それだけ火力の高い銃を扱えないということだ。百発百中の狙撃手でも、相手にダメージを与えられないのでは無益に等しい。
その一方、自分は一発でも喰らえば致命傷になってしまう。当たり所が悪ければ即死だ。
先生とノゾミだけが共有できる死と隣り合わせの恐怖を、ノゾミ自身はどう思っているのだろう。
そういう仲間意識から出た問いだったが、果たして答えは返ってこなかった。
「私は先生のアシストをすることに異論はないけど、全幅の信頼を置くには一緒にいる時間が短すぎるよ。今は、『勿論恐くないわけじゃないよ』って答えるのが精一杯かな」
「…………そうか。それが本当なら、一先ず安心かな」
自分の命がどうでもいいとか、死んでも構わないとか。心の壊れた先に待っている狂乱には蝕まれていないようだ。
先生として、到底認めるには危険すぎることだけれど、それこそノゾミとの関係は浅すぎる。彼女はきっとわかった上で、それでも重要な何かのために戦う力を望んだのだろう。だとすれば寧ろ応援すべきことで、彼女を危険から守ることこそ自分の使命に他ならない。
まだ濁ってはいない空色の瞳に、そう信じることにした。
「でもでもでもさ、ヘイローってすごいよね。どういう仕組みで浮いているのかな。か細い糸で繋げているとか?」
「どうなんだろう。それぞれ天使みたいで恰好いいとは思うけど」
「神秘的ってやつか! あれ触れるのかな。触ったらどんな反応するんだろう……もしかしたら可愛い反応が拝めるかも。えへ、えへへ、声が出ちゃって恥じらう顔とか最高かもぉ。試したいなぁでっへへぇ」
「ノゾミ? 何か邪な目をしていない?」
「失敬な! 可愛い女の子たちの可愛い表情、先生だって見たいでしょ!」
「それは勿論ッ!」
決して下心とかではなく。それはもう真剣な顔で断言した。
奇しくも、二人が初めて強固な志を共有できた瞬間だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「先生とのファーストコンタクトはどうでしたか?」
「普通の人だったよ。ホント、普通の人」
曖昧な言い方じゃ伝わりません。エンラさんの何とも言えない顔がそう物語っていた。
「合流後はどのように?」
「先生のこと聞いてみたり、シャーレとその周りを調べてみたり」
「先生について、何か情報は?」
「だから普通だったって言ったじゃない。戦闘力はゼロ。コミュ力低い人ってすぐに質問に逃げがちらしいよ」
憤慨を抑えているのが丸わかりな閉目。カルシウム不足か。
これ以上不遜な態度をとって怒られるのも面倒だし、何か有益な情報かそれっぽいことを話しておいた方が良さそうだ。
「そういえば一つだけ気になる物があったよ」
「気になる物?」
「うん。先生が暴力的な逆境に対抗するための、最後の切り札みたいな代物」
「そ、それは……」
ゴクリ、と唾をのむ音が、画面越しだから伝わってこない。
「カード」
「は?」
「先生は『大人のカード』って呼んでた。私たちが気にかけるものではないと思うけど」
「そうですか? ノゾミが評価するくらいですから余程の決定力を有しているように思えますが」
「簡単なことだよ」私は何食わぬ顔で、「脅威にはならないから」
「どういうことですか?」
また質問攻めか。この人もしかして本当に会話苦手なのかな。業務上のやり取りばかりで気が付けなかっただけで。
「先生はこれを文字通り最後の手段だと言っていた。彼の信条は『先生』という形式に囚われている。つまり、あのカードが使われるのは多分先生が『先生』を止める時。もしくは『先生』の全う自体に障害が発生した時」
「……なるほど。先生が所謂禁じ手を使う時、その時はもはやノゾミや私たちでは処理できない規模の異常事態に発展している可能性が高いと?」
「ご理解いただけて助かります」
で、この後の返しは予想できる。
「やればできるじゃないですか。カードという器を模しているのが少々不可解ですが、ティムナトが入手していなかった有意義な情報です。しかしながらノゾミ、お言葉ですが、」
「『まさか』はいくらでも起こりうる。でしょ?」
「……わかっているなら結構です。例えばシャーレがキヴォトスの癌だと判断され、排除の命令が下ったとします。あなたに銃口を突き付けられた先生は、果たして信念を裏切らずに死を受け入れるでしょうか? そういう話ですよ」
耳にタコができるほど聞いた。この人は事ある毎に人を機械のように見立てるきらいがある。そうやって何でもかんでも疑いながら関わっていたら窮屈で仕方ないだろうに。
「昨日は受け入れていた」
「それは抵抗不能を悟り諦めていただけでしょう。あなたも殺意をぶつけていなかった。――そもそも、あのような勝手な真似は今後やめていただきたい」
「先生が信用に値するかの予備審査みたいなものだよ」
「言い訳ご無用。所詮あなたの私怨でしょう」
「それでも」いけない、感情的になっている。声に力が入った。「あの人は自分より生徒を選んだ」
「はぁ……いいですかノゾミ。私がここまで言うのは、あなたのために他なりません」
「またその説教……」
「偉そうでも先輩風でもありませんよ。現にあなた、そんなことを言って真に『
「ッ……」
「あなたも卑怯なことをします。あれだけ言葉を引き出しておいて、それに対して否定的なのを隠しているのですから」
クソ。本当はわかっている。私が理性を蔑ろにしたがる分、エンラは努めてリアリストに徹しているだけなのだ。度々素で憤っていることもあるけれど。
「言いふらしている方が楽だからそうしているだけ――言い聞かせているわけです。先生を認めていないからこそあのような初対面を選んだ。まぁそれはあなたが自分を曲がりなりにも見つめられていることの裏返し。取るべきポジションを正確に見極められているわけですから、軌道から逸れない限りは甘く見ましょう」
「……そりゃどーも」
こうも私の考えが筒抜けだと、さすがにおぞましく感じてしまう。私があの問答で得たのは答えなどではない。とりあえず対外的に示すための言い訳だ。
私は先生を信じたから相棒になった。自他共にそう思い込ませるだけの。
「……空気に重量を錯覚することがあるというのは本当だったのですね。いつものような振る舞いでないとこちらもやりにくいですよ」
「空気読みが苦手なあなたでも重さは感じるんですね」
「発言はこれからも弁えるように」
舌を出して肩を竦める。これくらいの仕返しこそ甘く見て欲しいものだ。
「初日の報告は以上のようですね。今後は任意連絡と定期連絡の形を取りましょう。有事の際、あるいはその兆候が見えた際には連絡を。特にない場合は、こちらから機を窺って通信します」
「了解しました」
どうせエンラさんの方から接続を切るだろう。そう括って棒立ちしていたが、なかなかウィンドウが閉じられない。何も無しにこちらから終わらせるのも気が引けるんだけど。
「何か?」
「……あなたから本来の生徒らしさを奪ってしまっていること、申し訳なく思っています」
唐突な謝罪に、言葉を失ってしまった。他人に頭を下げることだけはしたくない、プライドの高い人だと思っていたから。
「言えた道理でないことはわかっています。しかしあなたと向き合う私個人として、何の歯がゆさも覚えていないということは決してないと、それだけは伝えておきたかった。あわよくば許してくれたら……いえ、せめて自分自身の気を楽にできたらという、我儘に過ぎませんが」
「気にしないでよ。エンラさん」
こっちの胸まで締め付けられてしまうような愁眉が、僅かに開かれる。
「私は
私は等倍返しをしなきゃ気が済まない子だ。意外な純情を向けられたら、できるだけ相応のものを返したい。
他の誰も認識できない、この場所でなら。
「言うなれば私は、己に課せられた宿命さえ意のままにしようとする、不幸な星の下に生まれた電波少女。私の持っている力はその証で、確かな道標なんだ」
「……そうですね。あなたは強い女の子です」エンラさんは朗らかに微笑んで見せた。「
ズルい女だよ、私はギャップに弱いのさ。生真面目ちゃんがセンチメンタルになっているのを見て、素知らぬふりなんてできるわけがない。
――ありがとね、エンラさん。
「任務を怠るのは言語道断。しかし器用なあなたなら、一秒でも長くその肩書を下ろし、思い描いた生活を送れることを祈りましょう」
「全く調子いいんだから。心配しなくとも、今まさにそんな感じだよ」
「今も? ――ああ、なるほど。あなたらしいと言えば、あなたらしいですね」
君が私の何を知ってるんだか。自分らしさを他人に語られるなんて、誰だって嫌でしょうに。
やっぱりこの人とは性格が合わないや。よく似ているはずではあるのだけれど。
「では、ご武運を。まずはあなたにとって初めての『仕事』を完遂してください」
ほのかに優しい響きの混ざった言葉を最後に、通信が終了した。
大きく伸びをする。アスファルトに落とされていた自分の影が、公園の砂場に揺れた。
「見て見て、お姉ちゃんっ!」
あどけない溌剌な声が、前方から投げられる。
私より一回りも二回りも年下であろう少女がトコトコとこちらに小走り、両手を差し出してきた。
「おおすごいねぇ、ランちゃん人気者だ」
「この子たちすっごく仲良しなの! シンユウなんだよ」
それは小さなシェアハウスのようだった。二頭の蝶がゆったりと羽を瞬かせ、時折親し気に彼女の掌の上を踊っている。
「いいなあ。わたしもこんな風に遊んでみたいなあ……」
「ふーん。じゃあじゃあじゃあさ、私たちも混ぜてもらおっか」
「えっ、どうやってやるの?」
キラキラ眩しい双眸がこちらに注がれる。慌てなさんな。
私はそっと右手を出し、人差し指を立てる。
「こうやって待っているとね、チョウチョさんも気づいてくれるんだ――」
小首を傾げる少女と二人、静かに待っていると、間もなくその時が訪れた。
「わあ! チョウチョさん止まった、すごいすごい!」
「ふっふーんどうよ。ランちゃんもやってみよ。私もお友達になりたいなって」
「うん!」私と全く同じ動きを真似てすぐに、「わはぁっ、私もできたー! これでみんなお友達?」
「そうそうそう、グッドフレンズ」
「ぐっ、ぅれんず!」
余程嬉しかったようで、暫く恍惚な表情のまま少女は戯れを堪能していた。
満足した後も、相変わらず蝶は私達の指先を気に入ってくれている。
「ありがとお姉ちゃん、楽しかった!」
「こちらこそありがとう。お姉ちゃんも楽しかったよ。ランちゃん遊び上手だぁ」
わしわしと頭を撫でてやると気持ちよ良さそうに目を細めてくる。小動物みたい。
「ふへへー。風船は飛んでっちゃったけど、お姉ちゃんと遊べたから良かった!」
「うんうん、やっぱりランちゃんは笑顔の方が似合ってる!」
設置されている時計は夕飯の予兆を示している。頃合いか。
「ランちゃん、暗くなっちゃうと危ないから、そろそろ帰ろっか」
「あれ? あ、もうこんな時間……もっとお姉ちゃんと遊びたかったなあ」
名残惜しそうにしてくれるのは嬉しいけど、それで過剰に甘やかすわけにもいかない。
「いーいランちゃん? 子供はね、お日様が沈む前に帰ると一つ、幸せが増えたり嫌なことが減ったりするの」
「そうなの?」
「うん。もしかしたらまた一緒に遊べるかもよ?」
「本当!? じゃあちゃんと帰る!」
「おお、ランちゃんいい子だね。家までの道はわかるかな」
「わかる! ……でも、お姉ちゃんとお話しながら帰りたい」
予想外の依頼に口籠る。
正直断りたいけど、我慢するか。
「いいよ。はぐれないようにお手ても繋ぐ?」
「いいの? やったー」
柔らかい感触が平を伝う。孤独だった影が延びる。
「『仕事』、か」
「どうしたの? お姉ちゃん」
眺めがほんの少し悪くなった左を見やる。無垢な少女の愛嬌が、漫然と羨ましくて。
「私も蝶になりたいなって、思っただけだよ」
もう一話くらいやるかも、そしてメインストーリーに入るかも。入ったら連載に変えときます。