【本編完結】Ib ~ゲルテナ展 10周年記念展~ 作:梅山葵
「ここから先はね! 私が描いた場所なんだよ〜!」
『あこがれ』という絵画の前から下に伸びる階段のてっぺんで、メアリーは後ろを歩くイヴとギャリーを振り返ると、両手を真横に大きく伸ばして、パタパタと上下に振る。
そうして階段を降りた先は、確かにメアリーの言う通り、これまでとは雰囲気が違かった。
そこにあるもの全てが、クレヨンで描き殴られて出来ているような、2次元の空間。このエリアを、メアリーは『Sketchbook』と呼んでいるようだ。
2次元空間に3次元の自分達が入り込むことで生じる、まるで自分達こそが異物になったような変な感じ。それは決して混じり合わない並行世界の境界に立っているかのようで、似たような体験はこれまで味わったことがない。
メアリーがゲルテナ作品だと判明して、改めて仲間に加わってから。この世界を進むのが目に見えて早くなったと、ギャリーは感じていた。
と言うのも、この世界について詳しいだろうメアリーが、自分から前を歩いて、案内をしてくれるからだ。道がこの先どう続いているか、分からないのが最大の難点だったと思えば、今のこの状態は安心感が違う。
とくにこのクレヨンエリアに入ってからは、なおさら勝手がよく分かるようで、その傾向は特に顕著だ。これまでの美術館の探索とは違って、身の危険を感じる状況はほとんどない。
それはきっと、此処の主であるメアリーが、こうして味方に付いているからだ。そういう意味では、少なくともメアリーとの関係を絶たずに味方につけるというところまでは、イヴの提案はファインプレーだったのだろう。
"このまま何も起こらず、出口まで辿り着ければいいんだけど……"
「いろんなエリアがあるんだよ~! ちゃんと1つずつ、案内してあげるね!」
そんなことよりも、出口は何処だ。そうギャリーは思ったが、あまりメアリーの機嫌を損ねない方が良いかと思い、結局黙っていることにした。
「今、私達がいる場所が"ぼくじょうエリア"だよ~。外には動物が、いっぱいいるんだよね!」
ピンクや黄色の、現実ではありえない配色で塗られた馬が、そこには在った。動物なのに居たと表現しなかったのは、動かなかったからだ。クレヨンで描かれた絵でしかないのだから、動かないのは当然。いや、この世界では、むしろ異常なのか?
そして、ギャリーと手を繋ぐイヴには、もっと気になるものがあるようだった。
「……これ。ここに描かれてるの、私達……?」
「うん、そうだよ!」
それぞれの薔薇を持った、イヴとギャリー。そして道を隔てて少し離れた所に、メアリーと黄色い"バラ"を持った青い人形。そんな皆の姿が、クレヨンで描かれていた。
「……メアリー。この絵を描いたのって、私達と会う前だよね……?」
「そうだよ?」
「……どうして私達の姿を知ってたの?」
「鏡に映ってたから! あの時のギャリー、叫んだり、ひっくり返ったり、面白かった! ……あ。そー言えばその後、鏡、どこやったっけ?」
鏡。ギャリーとイヴが2人で鏡の前に立ったのは2回あるが、叫んだり転んだりという醜態を見せたのは、流石に1回だけ。クソマネキンヘッドに、後ろから忍び寄られた時だけである。
後ろで起こった事件に完全に気を取られて、鏡自体は普通のものだと思い込んでいたが、実はハーフミラーのように、向こう側から覗けるような状態だったのか。
あの時、一瞬だけカッとなって、マネキンを蹴り飛ばしそうになったことを思い出す。イヴに止められていなければ、そのまま足を振り抜いていたいたことだろう。……メアリーが見ている、その前で。
思考を、眼の前のクレヨンで描かれたイヴとギャリーの絵に戻す。背景はグレーで塗られていた。あの時、ギャリーとイヴがいたのも、灰の間だった。辻褄は、合う。
「次は"ちょうちょこうえん"! みんな、私とおんなじ黄色だし、ちゃんとパタパタしてくれるんだよ! スゴくない?」
「……でっか」
先程の馬達とは違って、このエリアのクレヨン製の黄色の蝶達は、羽ばたいていた。動いている、という意味では、確かにメアリーの言うように「すごい」のかもしれないが、そんなことより。
大きい。すごく大きい。人間大の蝶が何匹もバッサバッサと羽ばたいている様は、迫力満点だ。というか、怖い。
「ちょーおっきいね」
イヴがボソリと呟く。その後、誰からも反応が無いことに気付くと、静かに顔を赤くしていた。
「"フルーツの木エリア"! あんまり使ってないけれど、食べる用のおうちもあるよ! ……ねぇ。外の果物って、みんな味が違うんでしょ?」
続いて紹介されたのは、果樹園のようなエリアだった。果物がなっているたくさんの木が、やはりクレヨンで描かれている。小道には小さな一軒家が建っていて、どうやらここで採れた果物を食べる時に使うためのようだ。
現実の果樹園は、ある程度果物の種類を決めて、それを集中的に生産するもの。こんなふうに、それぞれの木で一本一本異なる種類の果物が植えられた場所は、やはり何処か現実離れしているように感じられた。
「じゃ~ん! "びじゅつかんエリア"だよ! 私のお気に入りの場所! あのプリンを眺めながら、ここで日向ぼっこするの!」
山のように大きいプリンと、サンサンと道を照らす太陽。ここの太陽も、クレヨンで描かれた絵だったが、その光はちゃんと暖かい。
「……プリン、好きなの?」
光の中に差し掛かったところで、イヴが奥に見える巨大プリンを見ながら、メアリーに訊いた。
「んーとね、プリンだけじゃなくて、いろんなお菓子、食べてみたいなぁ……。ここに描くお菓子をプリンにしたのはね、ここには黄色いのがいいなって思ったからなんだ!」
「黄色い、お菓子……」
イヴはメアリーが言った単語を繰り返すと、黄色いお菓子に相当する、イヴがギャリーがあげたレモンキャンディを取り出し、それをじっと見つめ始めた。
そして当然、そんなことをしていれば、メアリーの目にも留まる。
「イヴ? どーしたの、それ?」
「……レモンキャンディ。ギャリーに、もらった」
「!? それ、欲しい!」
「絶対、ヤダ」
「えぇ~!?、ど~してぇ!?」
イヴはふふんと挑発するように流し目でメアリーを見やると、ギャリーからもらったレモンキャンディを、メアリーの前で見せびらかす。ゆらゆら……、ゆらゆら……、ゆらゆら……。
「ギャリー、イヴが意地悪するぅ! イヴだけズルいよ! 私にもなんかちょーだい!」
「えぇ~……?」
「い~でしょ! トモダチなんだから、区別しちゃヤダ!」
突然、流れ弾が飛んできたことに、ギャリーは戸惑いの声を漏らした。
偶然コートのポケットに一個だけ入れていたレモンキャンディは、もうイヴにあげてしまった。だから、今持っているものの中で、メアリーに渡せそうなものを思い浮かべてみる。
ライター。危ないから、絶対ダメ。メアリーを完全に信用できていない以上、メアリーに危険物を持たせる訳にはいかない。それに、元々が絵のメアリーからしても、もらって気分がいいものじゃないだろうし、使い道もろくに無い。
パレットナイフ。論外。玩具のようなものではあるが、金属で出来た兇器だ。何より、この世界に来て拾ったものを渡しても、正しい意味でギャリーからのプレゼントになるとは言えまい。
となると、残された選択肢は、おのずと限られる。
「しょうがないわねぇ……。ちょっと、腕を出しなさい」
「?」
この世界に来てから、壊れてしまった腕時計。ギャリーは自分の腕からそれを外すと、そのままメアリーの後ろに回り込み、ピンと伸ばされた彼女の左腕にそれを巻く。一番キツくしめられる穴に留め金を通してみるが、それでも大人の男物のそれは、メアリーの細い腕にはまだぶかぶかだった。
「時計……?」
「そ。あげられそうなの、もうコレしかないの。アタシのお気に入りだったんだから、サイズが合わなくても我慢しなさい?」
しげしげと、自分の腕に着いたそれを眺めるメアリー。そして一拍置いた後、彼女はギャリーの方を見返した。
「でもこれ、動いてないよ……?」
「しょーがないでしょ、この世界に来てから壊れちゃったんだから。外に出たら、直すなりしなさいな」
「ふ~ん……? しょーがないなー。 許してあげる!」
「なんでもらっといて、上から目線なのよ……」
クレヨンで出来た日向の上で、メアリーは座った状態から仰向けに寝転ぶと、左腕を上に高く掲げて、腕時計を太陽に照らした。直射日光が反射して、止まった秒針がキラリと光る。そんな様子を、真下からメアリーがじっと見上げる。
クレヨンで出来た偽物かもしれないけれど、それでもポカポカと心地よい陽気の中。横になっているメアリーにつられてか、イヴは胡坐座りしているギャリーの元にすり寄ると、その組んだ足の上にそっと頭をのせ、眼を閉じる。
とても、静かだ。
実際は数分かもしれないが、かなり長く感じられた沈黙の後、イヴは薄目だけちょっと開け、寝た体勢のまま切り出す。
「……メアリーは、さ」
「……?」
寝たままの状態で器用に首を傾げるメアリーに、イヴは核心となる質問を投げかけた。
「外に出て、何がしたいの?」
イヴがメアリーに訊いた内容を聞いて、ギャリーは心の中でイヴにガッツポーズを送り、耳をそばだてた。
メアリーがリラックスして完全に警戒を解いている、今は絶好のチャンスだ。メアリーに裏の目的がないか探りを入れるのに、これ以上のタイミングはないだろう。
油断して口を滑らせれば、儲け物。そうでなくても、ここで口籠るようなら、後ろ暗い何かがあるっていうことがハッキリする。それが分かるだけでも、これからのメアリーへの対応を決める大きな判断材料になるはずだ。
だから、メアリーの口から。
「トモダチが、たくさんほしい」
純粋な願いが、切実な願いが、零れ出てきて。完全に虚をつかれたのだ。
メアリーの目が放つ青いオーラに、完全にギャリーは呑み込まれていた。そこには、子供のように純粋な光と、永遠を感じさせる雰囲気が、相反するのに両立していた。
「イヴともギャリーとも、シンユウになれたけど。動物さんだったり、もっといっぱい沢山の、一緒に遊ぶトモダチがほしい」
ギャリーを畳み掛けるように、矢継ぎ早に次々と、やりたいことがあげられていく。
「美味しいものを、いっぱい食べてみたい。お菓子も、フルーツも、いろんな種類。ケーキが食べたい、クッキーが食べたい、チョコレートが食べたい、かき氷が食べたい、プリンが食べたい、キャンディが食べたい。リンゴが食べたい、サクランボが食べたい、ブドウが食べたい、バナナが食べたい」
メアリーが言う食べ物は全て、ギャリーが一度は食べたことがあるもの。
「いろんな空を、見てみたい。明るいお昼のお日様と、暗い夜のお月様。それでたくさんのお星様を数えるの。雨が降ったり、雪が降ったり、きっと七色の虹だって。ころころ変わるお天気は、きっと見ていて飽きないの」
メアリーが言う天気は全て、ギャリーが一度は見たことがあるもの。
「いろんなものを見てみたい。花びら吹きあれるお花畑。お魚さん達と潜る海の中。不思議がいっぱいのサーカス。キラキラ輝く宝石や、ピカピカ光るアクセサリー」
メアリーが言う物は全て、外にいた時のギャリーが、望めば簡単に見れたもの。
願望を1つずつ言う度に、上へ伸ばした腕時計を着けた側の手の指を、数えるように伸ばしたり折ったりしていくメアリー。
この世界から脱出するためのただのルートとして、特に気にも留めずに通り過ぎてきた、Sketchbookの数々のエリア。ギャリーの中で、それが急に、強い意味を持ち始める。
イヴに形の上では説得されたとは言え、ギャリーはメアリーを疑いの目で見ていた。メアリーもゲルテナ作品。絵の女達と同様に、何か良からぬことを企んでいるんじゃないかと。
しかし、それはとんでもない筋違いだったのだと、今のギャリーなら認めることが出来る。
メアリーの熱意がこもった強い口調が、外へのあこがれに満ちた蒼い眼が、これ以上なく訴えるのだ。
"……この子は、本当に外に出たいだけなんだわ"
ふと、疑問に思う。外の世界に、素晴らしいものなど、綺麗なものなど、ろくにない。ギャリーはずっとそう思っていたが、それは本当に事実なのか?
今しがたメアリーが語ったものは全て。ギャリーにとってはその気になれば、簡単に経験できるものばかり。大したものには、思えない。
でもそれは、実は逆で。何も感じなくなっていたのは、ギャリーだけで。本当は外の世界は、キラキラしたもので溢れていたんじゃなかったのか。
なんの根拠も無いのに自信だらけで、やりたいことが幾つもあった、かつての自分を思い出す。
イヴやメアリーくらい幼かった時。絵本に出てきた巨大ケーキの上に乗ってその地面ごと食べてみたいとか、ジュースの海に飛び込んで泳いでみたいとか。そんな常識外れの奇天烈な夢を、ギャリー自身も持っていた。そして当時の若いギャリーには、確かに世界は色づいて見えていたはずだったのだ。
「あとはね〜。お姫様にもなりたいな!」
ギャリーがとっくの昔に喪った"蒼さ"。それをこの子は、ちゃんと持っている。
大人のギャリーにとって、灰色一色にしか見えない外の世界で。幼いこの子は、いったいどれだけの輝きを、その蒼い眼で見つけ出すことだろう。
見てみたい。この子が行く先を、成長する先を、見てみたい。どうしようもなく、純粋に、心の底から、そう思う。
メアリーが語る夢の数々を、黙って横で聞いていたイヴが、そこで堪らず切り出した。
「できるよ」
「え?」
「メアリーが、やりたいって言ったこと。お姫様だけはちょっと分からないけど、他は全部。できるところに、連れてってあげる。一緒に行こ?」
「……ホント!?」
メアリーはそれを聞くや否や、上半身だけ飛び起きて、イヴにパァッ……と笑顔を向ける。
このタイミングで、ギャリーは外の世界のあることを、1つだけ思い出していた。外の世界に魅力を感じなくなっていたギャリーでも、素晴らしいと思えた限られた1つ。
「ねぇ、メアリー……。マカロンって、知ってる?」
「マカロン? ううん、聞いたことない」
「ハンバーガーみたいな形のお菓子なんだけど」
「知らないお菓子だ!?」
ただ偶然、足を運んだ喫茶店で食べたマカロンが、美味しかった。それは日々を取り巻くストレスに比べれば、本当に小さなものでしかない。でも、それを食べているだけで、ささやかな幸せを感じれたこと。それだけで十分だったのだと、メアリーのお陰でギャリーは思い出せていた。
「この間、そのマカロンがすっごく美味しい喫茶店を見つけちゃって! これがホントに美味しいのよー、クリームも甘すぎないし」
「食べたい!」
「……うん。だからね。ここから出たら、3人で一緒に、行きましょ! 約束よ!」
3人一緒に、この世界を出た時の約束。それを自分の口から提案したことに、ギャリー自身でも驚いた。
メアリーは外に出たいだけ。ギャリー達に悪さをしようとしている訳ではない。これはほぼ間違いない。だからメアリー自身が敵である可能性は、もう警戒する必要はないと思う。
でも、「それならメアリーも一緒に出ればいいよね」とはいかないのが、大人である。
「作品がこの世界を出て問題がないのか」という単純な懸念。それがまだ、ギャリーには引っかかっている。
例えば、メアリーが外の世界に出たとして。作品である彼女は、外の世界で、人間として認められるのか。あるいは認められたとして、その身元はどういう扱いになるのか。そういった疑問が残るから、まだギャリーは、メアリーが外に出ることを完全に肯定しきれない。
「……あ! あとね~」
ただ、そんなギャリーの心の中の葛藤は。
「お父さんに会うの! 外の世界に行っちゃったままの、お父さんに!」
メアリーが思い出したように告げた言葉が、どうしても無視できないものだったことで、完全に中断を余儀なくされた。
「えっ……?」
ギャリーは、咄嗟に出てしまった疑問の声を隠せない。
「ずっと、来なくなっちゃったの。前はしょっちゅう、この世界に来てくれてたのに。だからね。今度は私の方がお父さんに会いに行くんだ」
……ちょっと、待って。……元が絵である、メアリーが言う、お父さん。……それは、つまり。
ギャリーはただ、思い至った結論を口にしていた。
「ワイズ・ゲルテナ……?」
「うん!」
……どういう、こと?
ギャリーは、ずっと思っていた。今のこの状況は、ギャリー達がこの世界を彷徨っているのは、この世界の創造主ワイズ・ゲルテナの思い通りなのだろうと。自らの創った世界の中で、寿命すら超越して生き永らえたゲルテナが、この世界のどこかに潜んでいて、遥かな高みからギャリー達を眺めて、足掻く様を嗤っているのだと。
ところが。今のメアリーの言葉を、素直に受け止めるのであれば。ワイズ・ゲルテナはもう、この世界には居ない。つまり、この世界は既に、ワイズ・ゲルテナの手を離れているのだ。で、あれば。今のこの状況は、ゲルテナ本人が意図したものですらない可能性がある……?
いや、それよりも。この世界には居ない……? ……本当に、それだけ? ワイズ・ゲルテナが居ないのは、本当に、この世界だけだっただろうか……?
……ギャリーの脳裏に、ある映像がフラッシュ・バックする。こんな不思議な世界に、迷い込む前。まだ普通に他の観客がいた時に、ある人物が漏らしていた台詞。
「あぁ! あなたが生きていれば、絶対に弟子入りしたのに……!」
……そうだ。ワイズ・ゲルテナは、故人。もう、生きてはいない。
ならば、眼の前にいるこの少女は……? 言わば親に先立たれた、子供にならないか? そして。自分がそんな立場であるということを、既に自分の親が死んでいるということを、メアリー自身は理解できているのだろうか?
嗚呼、嗚呼……。間違いなく、理解ってなどいない。だからこそ、「外の世界に出て、お父さんに会いたい」などと、無邪気に笑って言うのである。
メアリーが外の世界に出てやりたいと言ったことは、そのほとんどが外に出れば容易に叶うことばかりだった。しかし、最後に言った1つだけは。親にこがれる気持ちだけは、絶対に叶うことがない。
傍らで聞いていたイヴも、ギャリーに遅れてメアリーの言葉が意味する残酷な事実を悟ったようで、それを確かめるかのように潤ませた視線を送ってくる。
……それは、悲劇だ。親に死なれること。それだけでも、子供にとっては最上級の悲劇である。だが、それ以上に。それを知ることすら許されず、悲しむこともできないという状況こそが、何にも増して悲劇なのだ。
普通ならば、こうはならない。片方の親が死んだら、もう片方が。あるいは片親が死んだら、親戚なりが。誰かが子供に、親の死を伝えてあげるものだ。
いったいどれだけの間、こんなことが続いていた? いったいどんなに長い間、メアリーは来ない父の帰りを待ちこがれ続けた?
大切な人と別れた時、自分の中でその死を受け止めるということは、とても辛く哀しいことである。だがそれは同時に、喪った誰かが居なくても次の一歩を踏み出せるようになるための、最も重要なプロセスに違いない。
だから。それすら奪われたメアリーは、ゲルテナが他界してからずっと、時が止まったままなのだ。そしてそれは、メアリーがこの世界から出ない限り、彼女が父の死を実際に肌で感じない限り、絶対に終わることはない。それはそれこそ、永遠に。
駄目だ、駄目だ。そんなことは、許されない。そんなことが、あっていいはずがない。
誰か、いなかったのか? メアリーに、彼女の父がもう戻ってこないことを告げる人が。そうして行き場を失った彼女を引き取り、新しい居場所をもたらしてやれる人が。
……そんなもの、この世界に、いるわけが無い。いや、もしもいるとしたら、それは誰か?
だから、この時ようやく。イヴに説得されたわけではなく、メアリーの願望に絆されたわけでもない。ただギャリー自身の考えとして、1つの決意が固まったのだ。
"メアリーを外の世界に出してあげなきゃいけない"