【本編完結】Ib ~ゲルテナ展 10周年記念展~ 作:梅山葵
扉の向こうに耳をすませて、ふたりがやって来るタイミングを伺う。絶対に向こうにバレないように、息をしっかり潜ませて。
ずっと、ずっと、待っていた。ずっと、ずっと、探してた。外に出る手段。新しいトモダチ。
やっとそれが、やって来る。この扉の向こうから。私、メアリーのために、やって来る。
……お父さんが最後にこの世界に来たのは、一体どれくらい前のことだったっけ。
あまりにもずっと待ち過ぎた私は、もうそれを数えるのも嫌になってなってしまった。
まあ、それも仕方ないよね。
なにせ今。この世界で正しく動いている時計は、1つだって存在しないんだから。
ワイズ・ゲルテナ。それが私達家族にとっての、みんな共通な親の名前。
バス調の穏やかな優しい声をしていて、だけど姿勢はいつもどこか猫背がち。
ふさふさとした髪の毛も、顎に蓄えた立派な髭も、どちらも綺麗に真っ白。
左手に持ったステッキにいつも体重を預けては、いつも何かに思いを巡らせ、手持無沙汰にその顎髭を、空いた右手で撫でている。ステッキの柄に添えられた虹色の薔薇が、その髭の白と対照を成して、いつも綺麗に映えている。
それが私の知っている、とっても大好きなお父さんの姿。
もっともこれはあくまで、末っ子だった私が知っているお父さんの姿っていうだけ。
なんでも私以外の家族のみんなは、これ以外の姿を昔見たことがあるんだって。
例えば、がっしりとガタイのいいダンディな灰色の髪のおじさんだったり。
スラリと背筋の伸びた細身の茶髪のお兄さんだったり。
私と同じ位の背の高さの黒髪の男の子だったり。
そうやって結構いろんな姿を使い分けていたってウワサ。
私は家族全員の顔と特徴を完璧に記憶してるけど、自分の外見を変えられるなんて家族を、私は他に誰も知らない。
つまりそこから導き出される結論は、やっぱりお父さんはスゴいってこと。
話はちょっと変わるけど、家族の中では一番若かった私は、当然お父さんと過ごした時間は他の誰よりも少ない。
だけどみんなが言うには、お父さんは他の誰よりも、私に愛を注いでくれたらしい。
お父さんだけじゃない。家族のみんなも、一番小さい妹な私に、とても優しくしてくれた。ちょっと我が侭なことだって、文句も言わずに聞いてくれた。それが当然だと、思っていた。
だけどそれは、期間限定だった。
特別扱いは、末っ子だけの特権。いつかお父さんが新しい作品を産み出したら、これも御仕舞い。私も他のみんなと同じように、今度はその弟か妹かを可愛がる側になる。
私は……そんなのは嫌だった。
みんなに一番にちやほやされる、その立場が好きだったから。
もちろん、それを口に出して言ったことはない。
だけどどうやら、それは態度に表れてしまっていたみたい。
ある日一緒に遊んでもらっている時、お父さんはふと零したのだ。
「……作品を創るのは、メアリーが最後でいいかもしれないな」
それを聞いた時の、私の喜びようと言ったらなかったよ。
これで私はいつまでも。みんなの大事なお姫さまのまま。
あの時の私は、それが素晴らしいことなんだって、これっぽっちも疑ってなかったから。
……そんな私だからこそ。新しい誰かがやって来るのを素直に喜べないような私だからこそ。
きっと罰が当たったんだと思う。
歯車が狂い始めた切っ掛けは、本当に些細なことでしかなかった。
この世界にある全ての時計。今までずっと休まずに動き続けていた時計が、どういうわけか、壊れちゃった。たった、それだけのこと。
もうちょっとだけ詳しく言うとね、時間を刻んでくれないの。
針の位置を無理矢理動かせば、昼と夜は変えられる。でも逆に、動かそうとしなかったら、いつまで経っても変わらない。
あの、カチッ、カチッ、っていう規則正しいリズムの音が、鳴らなくなった。
あんまり困ることじゃあないけれど、不便なことには変わりないし、お父さんにすぐに直して貰わなくっちゃ。
この世界にある全ては、お父さんが描くことによって、お父さんが創ることによって、産まれてる。
当然、止まってしまった時計達だって、その仲間だ。
だから。お父さんの手にかかりさえすれば、この止まってしまった時計達もすぐに動き出すはずに違いなかった。
だけど、お父さんを呼ぼうにも。お父さんは私達と違って、外の世界の住人。いつもこの世界に居続けてくれるわけじゃない。
お父さんはあの大きな額縁を通り抜けてこの世界にやって来て、そしてまた、それを通ってあっちの世界に帰っていく。
その事に不満に思ったことなんてなかった。少なくとも、この時までは。だってお父さんは、毎日決まった時間に、必ずこの世界に来てくれたのだから。
もっとも、お父さんの方はそれを残念に思っていてくれたらしい。いつか私をこの世界から外へと連れ出すこと。それがお父さんの夢なんだと、他ならぬお父さんの口から教えてくれたからよく覚えている。
この、全ての時計が同時に故障しちゃう事件が起こった時。運の悪いことに、お父さんは外の世界にいる真っ最中だった。
だけど、その時はまだ、それを気に病む必要はなかったんだ。
時間は確認できなくなってしまったけど、ちょっと待っていればすぐにお父さんがやって来てくれる。
それが私達の日常の1つだったんだから、それを疑うなんてこと、あるはずもなかった。
……それなのに。今までずっと待っているのに。その未来は、お父さんは、やってこない。
お父さんがいなくなってからというもの、この世界からは変化が消えた。
新しい家族が増えることはない。新しい世界が広がることもない。新しい時間が流れない。
もちろん、今までお父さんが創り上げてきたこの世界の楽しさがそれで全て無くなったなんて、私、これっぽっちも思ってない。
家族のみんなはちゃんと元気で、誰1人だって欠けてない。
たまには、喧嘩しちゃったりすることもある。
お父さんに会えない寂しさや苛立ちを、家族にぶつけちゃうこともある。
でも、仲直りした後で、ちゃんと直してあげれば全て元通り。
……でも、逆に言えば。
お父さんがいなくなったあの日から、この世界は何一つ変わらないまま。そういうことなんだ。
全ての玩具は遊び尽くしてしまった。
沢山に思えた家族だって、見慣れたメンバーのままが続くと、どうしたって代わり映えしない。
だからね。私、みんなが楽しめるようにしようと頑張ったんだよ。
新しい遊びを考えてみたり、それをモチーフにした笑い話を絵本に描き上げてみたりね。
みんな、とっても楽しんでくれた。
中でも一番頑張ったのは、やっぱりSketchBookを描き上げたことかな。
と言っても、お父さんを真似してみただけなんだけどね。お父さんはこんな風にして、この世界を創っていたらしいから。
……それでも。やっぱり、お父さんみたいにはうまくいかないや。
私が描いた絵の道の上は歩けるようになったし、私が描いた太陽は温かく光ってくれる。私が描いた新しい絵本は、私が思ったように動いてくれる。私が描いた蝶は、自分でパタパタ羽ばたいてくれる。
でも、それらはあくまで、私がそうなるように願ったから。私の意思、ありきなんだ。
どんなに頑張っても。お父さんが描いたみたいに、お父さんが作ったみたいに、自分の意思では動いてくれない。
これじゃあ、家族の一員になんて加えられない。
やっぱり私じゃあまだ、お父さんの代わりにはなれないみたいだ。
"なんでお父さん、帰ってこないのかな"
そう考えた時だった。お父さんのいる世界に、外の世界に、興味を持ったのは。お父さんがかつて連れ出そうとしてくれてた、外の世界に行きたいと思ったのは。
この世界には、外の世界について書かれた本がいっぱいある。外の世界について書かれた絵も、いっぱいある。つまりお父さんは、外の世界を元にして、この世界を作ってるんだ。
そんなお父さんが帰ってこないのは何故?
"どうしようもなく、外の世界が楽しいから"
そうとしか思えない。
外の世界では。あるもの全てが、変わっていくものばかり。あるもの全てが、新しいものばかり。そうお父さんは言っていた。
そんな世界に住んでるお父さんだからこそ、アイディア切れになることもなく、この世界をここまで広げた。
外の世界では。たとえ何もしなくたって、向こうの方から変化がやって来るのだという。
例えば、お腹が空くだとか、喉が渇くだとか。
この世界に「飲食物の持ち込みは禁止」だから、お腹が空くなんてことはないし、喉が乾くなんてこともない。
お腹が空くのも、喉が渇くのも、きっとどれだけ楽しいことだろう。
「こんなの、不便なだけだよ」
そう言いながら、軽く『苦味の果実』を撫でた、お父さんを覚えてる。
外の世界で食べたそれが、一体どんな味なのか。きっと本に書かれていたような、「オイシイ」ものに違いない。
その味を想像して。いろんな果物の木を、色んなクレヨンで描いてみた。そして出来上がったそれらから、1つずつ実を採ってみて、一口ずつかぶりつく。
見た目が違くなったんだから、違う味になったんじゃないか。そう予想してみたけれど、口に含んでみたらみんな同じ。味がしなくて、すっごくマズイ。
なんだかそれがイライラして、クレヨンの端を囓ってみるけど、粉っぽい舌触りが広がるだけで、やっぱり味はしなかった。
……お父さんは、帰って来ない。いつまで経っても、どれほど経っても。
待つ時間が増えるほどに、外へのあこがれは募っていく。
そんなに楽しいところなんだ。そんなに面白いところなんだ。
……私達家族を、忘れるほどに。
そんな楽しそうな場所、私だって出てみたいよ。そんな面白そうな場所、私だって行ってみたいよ。
そして何よりお父さんにもう一度会って、私達のことを思い出してもらいたいよ。
お父さんはもう、自分からは会いに来てくれない。こんなにも待ち続けた以上、それはもう認めない訳にはいかなかった。
それなのに。忌々しいあの額縁は、私達が外へ出るのを拒み続ける。なんど外へ腕を伸ばしても、境界で弾かれてしまうばかりで、絶対外へは届かない。
分かっている。この額縁が悪いんじゃない。私達に、その資格がないっていうだけ。
ここを出る方法。それを探すのは本当に大変だった。
最初にしたことと言えば、家族のみんなに訊いて回ること。
でもね、みんな知らないって言うんだ。
まあ、当たり前だよね。みんな外の世界に行ったことなんてないんだもの。お客さんを受け入れたことはあったみたいだけど、自分達がお客さんになったことはない。
結局。外の世界のことを知ってるのは、お父さんしかいない。
でも、その肝心のお父さんはと言えば、あの時からずっと来てくれない。
だからお父さんが書き残した文字を、片っ端から読んでみたんだ。
分からない漢字もあったけど、それはみんなが教えてくれた。
あ、そう言えばさ。1つだけ絶対に読んでくれなかった本があったんだよね。なんでだろ。
ま、いいや。見つけたいものは、見つかったから。
"存在を交換することにより、空想が現実になり得る"
……これだ、間違いない。お父さんが綴ったこの言葉を一目見た時、そう確信した。
私達が外に出られないのは、外に存在しないから。
空想である私達は、外の物理現象に干渉できない。だからこそ。お父さんが通れるあの額縁に、外に世界に繋がる額縁に、私達家族は触れられない。
でも、その逆はできるんだ。外の世界の存在である、お父さんがこっちに来ることができたってことが、その証明。
そして、このお父さんの言葉は。それと存在を交換することで、私達が外に出ることもできるようになるってことを示している。つまり誰かがこの世界に来てくれれば、私の願いは叶うってこと。
でも、その誰かを見つけるのが簡単じゃない。
外の世界にちょっとだけでも出られれば。私の代わりになってくれるような友達くらい、きっと作れる。「ともだちのつくりかた」って本で、ちゃんと勉強した。それにお父さんが作ったこの世界は、面白いって保証するから。あくまでずっと居続けた私には、ちょっと飽きちゃったっていうだけなんだもん。
でも、肝心の外の世界に行くために、まず外の世界の人が必要。
私、ちょっぴり諦めかけてたんだ。
……ちょうどね、そんな時だったの。この世界にアナタタチ2人がやって来たのは。
……ねえ。これって運命だよね。
きっと運命が、困っている私のために用意してくれたんだよ。
そうじゃなかったらなんだっていうの?
1人だけならともかく、2人。しかも、私と同じくらいの可愛い女の子までいる。
1つだけ、悩んでいたことがある。
この世界にはたくさん家族がいるけど、外の世界に家族はお父さんしかいない。
まあ、お父さんがいればとりあえずそれで十分と言えば十分なんだけど、とは言えそれだけだと、ちょっとだけ寂しいよね?
だけど今。この世界には2人、外の世界の人がいる。
これなら。片方は私の代わりになってもらって、もう片方には友達になってもらう。
これができるんだっていうことだ。
ところで。外の世界では、運命的な出会いはお互いがぶつかることから始まるものらしい。なんでも、「ぼーい・みーつ・がーる」と呼ぶんだって。
それなら。この扉の向こうの2人との、運命的な出会いだって、ちゃんとコレにのっとるべきだよね。
……お父さん。今から、会いに行くよ。
ずっと、待っていたんだよ。会いたくて、たまらなかったんだよ。
退屈は、もう嫌なんだよ。だから外の世界の楽しいことを、一杯教えてほしいんだよ。
言いたいことが有り過ぎて、ちょっと言葉にならないけど。
まず最初に、新しい友達を紹介したいな。
……ガチャッ。
ドアノブがゆっくりと、回される音。その音を、耳にするや否や。
扉がしっかり開き切る、そんな少しの時間だって待てず、私は向こうへ駆け出した。