遅筆で申し訳ないです。
「じゃあ後藤さん、お大事にね。また何かあったらいらっしゃい」
「あっはい。ありがとうございました……」
保健室の前で、ジャージ姿の少女が頭を下げていた。扉が閉まる音を合図に、顔を上げる。
人気のない廊下に安心感を感じながら、ひとりはゆっくりと歩き始めた。
(保健室で休むことも勧められたけど、先生と2人きりだと緊張する…。教室に戻って、またちやほやしてもらおう……)
そんな考えを抱きながら歩いていると、教室から先生の声が聞こえてきた。
授業中にこうして歩いていると、なんかサボっているような気分になる……誰かに見つかった時のことを想像して、急いで戻ろうと早足になった。
早足で歩いたからか、あっという間に教室についた。まだ授業は続いているみたいで、先生の声が聞こえる。
よし、中に入ろうと教室の扉に手を伸ばしたところでーーふと、疑問がわいてしまった。
(……どうやって入ればいいんだろう?)
想像してみよう。
まず普通に入ってみる。入った途端、先生やクラスメイトの視線が集中して……うっ吐き気が。これはやめておこうかな。
こっそり入るのはどうだろう? 後ろの扉をそっと開けて潜り込み、自分の席まで……でも誰かに見つかっちゃったら、逃げ場のない教室の中で注目を浴びて…。
四方八方から視線が集中するのを想像してしまい、意識が遠のく。この作戦もダメだ。
い、いっそのことハイテンションで突入して、一気に自分の席まで行ってみるとか……そんなの先生に怒られて灰になっちゃう…!
様々なプランを検討したものの、うまくいきそうなアイデアは出てこない。
完熟マンゴーさえあれば…。扉は目の前なのに入れない。
(普段は何気なく通る教室の扉が、授業中というだけで強固な城門になるなんて……)
目の前の扉が重苦しく、巨大な壁に見えてくる。
立ち尽くす私。こんなところ、通れるわけが……
心が折れてしまい、膝をついてうなだれる。あたりが暗闇に包まれていく…。
――急に鐘の音が鳴った。
はっ、と意識が浮上する。目の前にあるのは見慣れた教室の扉。さっきの音は授業終わりのチャイム……い、今なら中に入れる!
バッと顔をあげて扉に手を伸ばし――たけれど、勝手に扉が開いたのでまた固まってしまった。い、いきなり人が…!
「あ、後藤さん! 具合はどう?」
「急に倒れたから心配したよ~」
「あうっ、えっ、あっ……」
いきなり出てきた2人組(お昼に話した相手だ)と目があってしまい、パニック状態になってしまった…。いや、私はもう陽キャなんだし、このくらいで怯んだりしない!
2人は色々と、優しい言葉をかけてくれる……やっぱり労ってもらえるのって嬉しいな。病弱っ子路線でちやほやされるってのもいいかも…。
えへへ、と顔が緩むのを感じた。教室に戻ってきて良かったなぁ…。
ちやほやされる喜びにひたっていたら、「後藤さん!」という声とともに、いきなり腕を掴まれた……え?
「ごめん、ちょっと来て!」
「えっ、あっ」
そのまま声の主――畔くんに連れ去られる。
なんでこうなってるのか分からない。こんなことなら保健室で寝てれば……というか畔くん私のギターケース持ってない? そ、それより、
(わ、私のちやほやタイムがぁ――!!)
畔くんに連れ去られた先は、5組の教室の前だった。
私にギターケース(やっぱり私のだった)を押し付け、畔くんは教室の中を確認して「よし!」と言っている。意味が分からない。お願いだから説明してほしい…。
困惑したまま俯いていると、畔くんが教室の中を指さして、話し始めた。
「あそこに喜多さん……赤い髪の女の子なんだけど、分かる?」
「あっ、はい」
畔くんが指さした方を見てみると、すごくかわいい女の子がいた。友達らしき人たちと談笑しているみたい…。
遠目に見てるだけなのに、人気者オーラが漂っているのが分かる。なんかあの子のいる一角だけ明るく見えるような…?
「彼女ギター弾けるんだって。だから結束バンドのギタボにどうかなって」
「あっいいですね」
「だよね。というわけで後藤さん、声かけてきて」
……今なんか信じたくない言葉が聞こえた気がする。呆然として畔くんを見ると……あ、これ本気のやつだ。私があの子を勧誘するの?
いやあんな人の輪の中に入るなんて無理……と一歩下がったら、逃げようとしたのを察知したのかまた腕を掴まれてしまった。こ、こわい…。
「ほ、畔くんがいけば……」
「後藤さんが行かないと意味ないんだって! ほら僕メンバーじゃないし……」
「せ、せめて心の準備を……明日また」
「今日じゃないと駄目なんだよ!」
「ほら頑張れ!」なんて言って、畔くんはぐいぐい背中を押してくる。それに抵抗しながら色々と言い訳を並べてみるけど……全然納得してくれそうにない!
今日の畔くんはいつも以上に押しが強い…。なんて思っていると、「ねぇ」と声をかけられた。だ、誰…?
「2組の人よね、ここで何してるの?」
喜多さんが目の前にいた。
近くで見るとまた一段とかわいい。圧倒的な陽キャオーラ。クラスでちょっとちやほやされただけで調子に乗ってた私とは格が違う、本物の陽キャ…!
圧倒的な格の差を感じ、太陽に近づいたイカロスの翼のごとく、私のプライドが溶けていく…。
このまま勧誘なんて無理――となった私は、全速力で逃げ出したのだった……
~~~~~
(しまった、焦りすぎたか……)
後藤さんを喜多さんに会わせるところまではうまくいったけれど、喜多さんに気を取られた隙に逃げられてしまった…。
どうする? 今日ダメだと色々まずいし、放課後に出直すしかないか? ただ、どうせ放課後は友達と遊ぶ予定入れてるんだろうし、うまくいくかな…。
あ、でも後藤さんの逃げた方向って……と考えながらプランを組み立てていると、気まずそうな顔をした喜多さんに声をかけられた。
「えっと…。畔くん? 追いかけなくていいの?」
「あー。そうだね……」
周りを見ると、結構な人がこっちに注目している。あれだけ騒いでいれば当然かな。
この状況なら……出直すより、決めにいった方がよさそうだ。
にっこり笑って、喜多さんに向き直る。嫌な予感を感じ取ったのか、喜多さんが教室に戻ろうとするけれど……もう遅いって。
「後藤さん、喜多さんに用があってきたんです。ちょっと気が動転して逃げちゃったんだけど」
「そうなのね。それで…?」
「今ちょっとだけ時間もらえませんか? 後藤さんとお話してほしくて……」
お願いします、と90度近く頭を下げる。オーバーアクション気味だがこれでいい。誠心誠意頼み込んでいるように見せかけて、周りにそれっぽい空気ができればこっちのもんだ。
……頭を下げ続けてしばらくすると、喜多さんが口を開いた。
「後藤さんの居場所は分かるの?」
「はい。心当たりがあります」
「そう…。分かったわ、案内してくれる?」
クラスの友達に「ちょっと行ってくるね~」と言って手を振ると、喜多さんは歩き出した。よし、うまくいったな。
喜多さんを先導するように、階段の方に向かう。たぶん、ギターの音色が行き先を教えてくれるだろう。
それにしても、
(周りの空気に流されやすいところ、変わってないなぁ……)
喜多さんと僕の出会いは、小学校時代まで遡る。
当時の僕は会話の仕方がよくわからなくて、友達も全然できなかった。あのまま育っていたら、あるいは後藤さんのようにぼっち街道を歩んでいたかもしれない。
そんな時に喜多さんと同じクラスになって、クラスの輪の中に引きずりこまれて…。彼女が「クラスメイト全員と友達になるの!」なんて言っていたのを今でも覚えている。
喜多さんに引っ張られて過ごすのは大変だったけれど、彼女の話し方を参考にしたらおしゃべりもできるようになったし、少ないながら友達も作れるようになった。
つまり、僕にとって喜多さんは恩人ともいえる相手だ。逆に喜多さんにとっては、数ある昔の友達の中の1人といったところだろうか。
クラスが別になり、学年が上がるにつれて自然と疎遠になり、中学で同じクラスになった時もクラスメイトとしての交流しかなかった。喜多さんもさすがに、中学では男の子と積極的に交流をしたりはしなかったし。
切れてないのが不思議なくらい、細い繋がりだけど……今回は昔の経験が役に立ったな。
昔を思い出してちょっと懐かしい気持ちに浸っていると、喜多さんが「久しぶりね。なんか懐かしくなっちゃった」と呟いた…。
ちらり、と喜多さんの様子をうかがう。
さっきのセリフ、にこにことした笑顔……それに隠された冷たさ。うん、ちょっと怒ってるな。周りを扇動して連れ出したのはやり過ぎだったらしい。
幸いそこまで怒ってはなさそうだけれど、ここでスルーしたり開き直ったりすると本気で怒られそうなので、ゴメン――と軽く謝罪しておく。
やっぱりそこまで本気ではなかったようで、謝るとすぐにいつもの笑顔に戻ってくれた。
ちょうどいいタイミングで、ギターの音も聞こえてくる。これぞ新曲:ダブル黒歴史――じゃないな。別の曲名だろうけど、なんだろう…?
喜多さんは後藤さんをロックオンしたらしく、目を輝かせている。これでもう大丈夫かな。
演奏が終わったタイミングで、喜多さんが後藤さんに声をかけた。後藤さんは褒められてふにゃふにゃになったり、陽キャオーラに焼かれかけたりと忙しそうだ。
時計をみたところ、休み時間はもうそんなに残っていない。早いところ勧誘の話をしないと…。
「あ、何か用事があるのよね。どんな用事?」
「えっあっ…。じ、実は――」
後藤さんがバンドのギタボ探しをしていることを(超早口で)説明するも、喜多さんは当然OKしない。
断られてうなだれる後藤さんを見かねてか、喜多さんはギターが弾けないことを説明し、ギターの先生になってくれとお願いし始めた。
褒められるたびに柔らかくなり、先生になってくれと迫られては固まる謎の生命体こと後藤さんが、助けを求めてちらちらこっちを見てくるけれど……ごめん、追い打ちかけるね。
「いいんじゃない? 前に僕にも教えてくれるって約束したし」
「え、本当!?」
「えっ…………あっ」
「うん。初ライブの日に約束したんだ。今日の放課後とかなら空いてると思うよ」
「良かった! バイトの場所って――」
どさくさ紛れにしたものだけど、約束は約束。
絶望して顔面が崩れてきた後藤さんを置いて、喜多さんと話を進めていく。放課後の予定が決まったところで、チャイムが鳴った。休み時間は終わりか。なんとか時間内に話ができたな…。
チャイムの音で喜多さんが慌てて立ち上がり、教室に戻ろうとした――と思ったら、からかい交じりな表情で爆弾を落としてきた。
「噂には聞いていたけど、仲がいいのね! 畔くん頑張ってね」
そう言い捨てると、喜多さんは今度こそ立ち去っていった。
……噂ってアレしかないよね。あの表情と話し方からすると、からかい半分、恋バナでのウキウキ半分ってところかな。目がきらきらしてたし…。
噂のことを思い出してげんなりする。噂の内容は、僕が後藤さんに言い寄ってるとかいう根も葉もない……いや客観的に見ればそう見えるところがあるのかもしれないけど、実情とは全然異なるものだ。最近まで知らなかったけれど、いつの間にかそんな噂が流れていたらしい。他のクラスにまで届いていたのか…。
喜多さん勧誘はうまくいったのに、最後にケチをつけられてしまったような気分になる…。
「あっあの…。教室に戻らないと……」
「うん…。そうだね、戻ろうか」
「あっはい…。ところで噂って…?」
ちょっと落ち込んでいたら、いつの間にか復活した後藤さんが声をかけてきた。噂について聞かれたけれど、教える気にならないので無視する。知らないままでいてくれ…。
無言のまま教室の前まで戻ると、後藤さんが僕の背中にくっついてきた。何があった?
「扉を開けたとき、その……視線が……」
「え…? ああ、視線が集中するからか」
授業中の教室に入るのは目立つし、後藤さんには荷が重いよね。
まあ盾にされるくらいいいかと思って扉を開けようとしたけれど……待てよ? さっき僕は、後藤さんを半ば強引に教室から連れ出したんだよね。それで授業に遅れて、2人で教室に戻るの?
(噂が加速…。いやそれ以前に、盛大に怒られるやつでは?)
普段は何気なく通過する教室の扉が、何か恐ろしいモノに見えてくる…。
これから起こる苦難を想像して震えながら、僕は扉に触れたのだった。
一応喜多さんの幼馴染だったオリ主。ただしもう疎遠になっている模様。
喜多さんは授業にちょっと遅刻しましたが、優等生なので軽い注意だけで済みました。