文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars.   作:悠里@

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01.交差する世界 《2月2日》

 

 

――人にて人ならず 鳥にて鳥ならず

――犬にて犬ならず 足手は人

――かしらは犬 左右に羽根はえ 飛び歩くもの

 

 

 

土蔵の滞留した空気が、一瞬で吹き抜ける突風へと変貌した。

 

「こんにちは、召喚主さん。……あら? 外の様子からして今はこんばんはですかね。まあ、どっちでもいいや。……ええと、私は射命丸文といいます。以後お見知りおきを」

 

そう明朗に言葉を紡ぐ少女は、仰臥し呆けていた俺に軽い調子で会釈をする。

 

「くッ――あ」

 

その時、左手の甲に焼き鏝を押し付けられたような痛みが走った。

未知の激痛に顔を歪ませたくなるも、そんな余裕もなく。

辛うじて俺にできるのは、酷く間の抜けた顔で少女を見上げるだけ。

 

視線の先には、一人の少女――。

そうとしか形容しようのない女の子が、前屈みになって俺の顔を覗き込んでいた。

魔術鍛錬の場として慣れ親しんだ土蔵に立つ――見知らぬ黒髪の少女。

それは俺の知る日常から大きく乖離した、異常と呼んで差し支えのない光景だった。

 

多少でも、この事態を伝えるとしたら『何の前触れもなく少女が現れた』と言うしかなくて。

そんなことは、俺の人生にあり得ていい話ではなく。

しかし、今日はそんな俺の知っている現実では、あり得ないことばかりが続いていた。

 

――ああ、今夜は本当に奇妙なことが続く日だ。

 

 

すべての発端は、学園の下校時刻まで遡る。

友人の間桐慎二に弓道場の清掃を頼まれて、それを快諾した時だろうか。

弓道部は、事情があって辞めてしまったが、元部員ということあって今も愛着のある道場だ。

そう思って俺は、気合を入れて部室の掃除をはじめた。

そんな甲斐あって、誰もが納得できる程度には綺麗に道場の掃除を終わらせたと思う。

 

掃除をはじめた放課後から、随分と時間が経ったのか。

道場の外は存外暗く、外灯の蛍光色だけが存在感を示している。冬木の町は、そんな深い闇のなかへ沈んでいた。

 

そして、さっさと帰宅しようと昇降口に向かったときだ。

……あれはおそらく、俺のような常人には触れてはいけない類のものだった。

 

学園の校庭という、あり触れた場所で。

数分前の日常を切り落としてしまったかのような。

神話の世界から顕れたとしか思えない戦いを繰り広げる、二人の存在がいた。

 

一人は剣を持ち、一人は槍を携えた男――。

身に纏った外装すらも、とても現代のものとは思えない。

奇妙な風体と言いたかったが、不思議とその姿には何も不自然さを感じさせなかった。

 

その二人の戦いを見た瞬間、ずるりと音を立て、俺の衛宮士郎の日常は大きく崩れていった。

 

彼らは人の眼に捉えられない速度で己の凶器を重ね合わせ、火花を散らす。

肌が粟立ち、俺は逃げ出すのも身を隠すのも忘れていた。ただ、その剣戟の極致に魅入ってしまう。

 

思えば、それがいけなかった。

ふとした拍子に物音を立ててしまい、槍を持つ青い外套の男に気づかれてしまう。

男はジロリと、こちらの俺のいる方角を睨んだ。

 

俺が出したのは、靴を地面に擦り合わせた程度の小さな音。

極限とも言える戦いの最中、男は周辺に対しても気を張り巡らせていたのだ。

 

「――――!!」

 

目は合わせられない。合わせてはいけない。

アイツと目を合わせた瞬間に、俺の足は恐怖によって固まってしまう。

俺という目撃者に気付いて、二人は戦いの手を中断させた。

熱波とも形容できる戦闘の空気は消え去り、空間は一転して夜の静謐なものへと戻る。

 

直後、槍の男の持つ圧倒的な殺意が俺の方へと向けられた。

戦いを中断した目的。

それは戦いの目撃者……俺という存在を消すためだと、否が応でも理解してしまった。

 

 

それからは、恥も外聞もなかった。

脇目も振らずに全速力で逃げだした。ひたすらに、ただ無心に走って、走った。

姿は見えずとも、背後から感じる男の獣めいた存在感からは逃げられない。

 

あっという間に追い詰められた俺は、校舎のなかで男に襲われてしまう。

些細な抵抗もむなしく、男の持つ2メートルはあろうかという真紅の槍によって。

俺は、あっけなく胸を貫かれた――。

 

そうだ。俺はあの時、間違いなく男の手で殺されたはず。

 

……だけど、二度と開かれるはずのない瞼を開け、俺は意識を取り戻す。

 

朱槍の一突きによって、作られたはずの胸の孔が消えていた。

だが、口のなかには鉄の嫌な味が広がり、制服には大きな穴が開いて血に染められている。

それが、あの悪夢が現実のものであると教えてくれた。

 

俺は茫洋とした意識のなかで、血に濡れた廊下をモップで拭き取ると、何もかも曖昧なまま帰路につく。

 

 

――しかし、帰宅した直後、悪夢が再来する。

俺を殺した男が再び姿を現した。殺したはずの俺をもう一度、そして確実に殺すために。

 

男の辣腕から振るわれる槍を、出来損ないの強化の魔術で辛うじて凌ぐ。

強化の魔術が、俺の持つ唯一のカードだった。

だが、たった一枚のカードでは、かろうじて延命するのが精々。

絶望的な実力差に、戦いは大人と子供、いや、それ以下のレベルでしかなかった。

誰にでもわかる見え透いた手加減を、青い外套の男はしていた。

 

男は俺が晒す醜態に、どこか自嘲めいた笑みを浮かべていた。

あからさまな手加減を受けても尚、今まで耐えられたのは奇跡としか言いようがない。

魔術で強化されて鋼鉄のようになっているが、丸めたポスターなんかではどうしようもなかった。

 

かわりに武器になるものはないかと庭に転がって、必死で土蔵に踏み込んだ時――。

ぼんやりとした月明かりに照らされていた土蔵が、強い風と目映く光に包まれていった。

 

 

 

 

そして現在、俺の目の前には『射命丸文』と名乗る少女がいる。

 

年齢は俺と同年代……いや、二つか三つは幼く見えた。

肩まで伸びた烏黒のショートカット、好奇心に満ちた忙しなく動く赤い瞳。

顔立ちはまだ幼いと言えたが、息を呑むほどに端麗で理知的だった。

 

少女の服装は、清潔感のある袖の長い白のブラウスに、襟には黒いリボン、腰には細いベルトで飾られていた。

リボンと同色の黒いスカートは縁をフリルであしらわれており、高級感を演出する。

まあなんてことのない。そこまでは、一般的な服装と言えた。

 

だが異様だったのは、頭には修道者が付ける頭襟という多角形の被り物を頭に付けていて。

それにとてもバランスが取れそうもない、長い一本歯の赤い靴を履いていたことだろう。

 

そんなちぐはぐな出で立ちをした少女は、興味深げに薄暗い土蔵の周囲を見渡した。

俺と目が合うと、人好きのする笑みを作ってみせた。

 

「ふむ、ふむ……ここは室内ですね。えっと、あなたの家ですか?」

「……あ、いや。ああ、そうだけど」

 

少女の声は、何の緊張も感じさせないものだった。

一方で俺は、突然の少女との遭遇で呆気に取られてしまい、随分と間抜けな返事をしてしまう。

彼女の言うとおり、ここが俺の家の一部であることには間違いない。

だけど、ここはガラクタだらけの土蔵であり、少女には誤解を招く返事をしてしまったかもしれない。

 

「いろいろと見慣れないものがあります。外の人間はこんな暗くて、ゴチャゴチャしたところに住むんでしょうか。……いやはや、とても興味深いですね!!」

 

自分だけではなく、俺にも言い聞かせるように矢継ぎ早に言葉を紡いでいく。

そんな少女の様子に、張り詰めていた空気が僅かに弛緩したように感じた。

 

 

しかし俺の背後からは、今もまだ槍の男が放つ獣めいた重圧を感じている。

少女もそれを感じ取ったのか、俺の肩越しに土蔵の外を覗いていた。

 

「あや? 外にもどなたかいますね……」

 

不自然な一本歯の靴で、少女は自然に歩き出す。

まるで自らの足の一部であるかのように身のこなしだった。

 

……いや、ちょっと待て。

一体、彼女はどこに行こうとしているんだ?

 

この少女は、俺が外にいる男に襲われていたなんて知らないはず。

目撃者としての俺を始末しようとしているのなら、俺だけではなく彼女も当然危険に晒される。

 

だったら、彼女を今すぐに止めなければならない!

 

しかしこの状況をどう説明していいのか、頭の中はぐちゃぐちゃで、うまく言葉が纏まらない。

そう躊躇しているうちに、彼女は足早に土蔵の外へと出て行ってしまった。

 

……くそ! 馬鹿か俺は! こんな時に何をやってるんだ!

 

「おい!! 今すぐ戻ってくるんだ!!」

 

必死に投げた言葉は、既に届いてはいなかった。

俺は慌てて立ち上がると、土蔵の外に行ってしまった少女の後を追う。

 

 

少女は既に青い外套の男と対峙していた。

長槍を肩に担いだ男は、上から下へと少女の姿を舐めるような目で観察する。

その男の様子は、待ち焦がれていた恋人と逢瀬が果たせて、酩酊しているように見えた。

 

「ハ、そうだ。そうこなきゃならねぇ。目撃者のガキを殺すなんて気の進まねぇことから一転して、まさかのまさかだ! こんなところでサーヴァントと戦えるとはな。ククク、様子がおかしいと待った甲斐があったぜ。……で、おい。てめえのクラスは何だ?」

 

男の不可解な問いかけに、少女は訝しげな表情を返す。

 

「サーヴァント? クラス? ……はてさて、何のことでしょうか? それよりも私は、あなたがやる気満々なのが気になるところですけど」

 

唇に指を当てて、どこかとぼけたような仕草を取ると、少女は男との間合いを無防備に詰めた。

 

「あ、私、射命丸文と言います。実は、ブン屋なんてものをやってまして……。『文々。新聞』という新聞を不定期発行してます。個人で弱小なんですけどね。……これ名刺になります。よろしければどーぞ」

 

そう言って、彼女は胸のポケットから名刺を取り出すと、目の前にいる男に差し出した。

男は、差し出された名刺に一瞥をするだけで、受け取ろうとしない。

今まで上機嫌だった表情から豹変して、担いだ槍を横一文字に切ると臨戦態勢を取った。

滾った眼光からは明確な怒気を孕んでおり、目にも見えそうなプレッシャーを押し出す。

 

「得物を出せ。構えろ」

「あややや。お気に召しませんでしたか」

 

少女は、男の挑発的な態度にさして気にした様子を見せない。

名刺を胸のポケットに仕舞うと軽々とした身のこなしで、男との間合いを広げる。

 

「いきなりで何が何やらですが……まぁそうですね。弾幕ごっこなら望むところです――!!」

 

少女が男の重圧に呼応し、それで俺は理解をした。この少女もまた男と同様にまともな存在じゃない。

直接対峙していない俺にも伝わる、肌を針で刺すような存在感。

 

それに彼女の放つソレは、男のものとは本質的、根源的に違うものだった。

男の放つ重圧は、ヒトの限界を遥か高く超えたものではあったが、それはヒトが持ちうるものだ。

だけど、この少女は男の放つプレッシャーとは根幹から違っていた。

 

人間味と呼べるような、そんな生易しさが存在していなかった。

 

……これは、ヒトとしての本能なのだろうか。

そんな俺の本能が、こんな小柄な少女に対して『逃げろ逃げろ。――われてしまうぞ』と警鐘を鳴らしていた。

青い外套の男以上の、いや、理屈や理解とは別の――種としての本能が警告していた。

少し前までは、場違いだと勝手に思い込んでいた少女。

彼女は、あの男と同種であり、ある意味で別種の存在だった。

ただの人間でしかない衛宮士郎こそが、この場で最も相応しくない存在だった。

 

 

突然、どこからか強い風が吹いた。

その風が彼女の周囲を取り巻いて、シャリシャリと大きな風切り音を鳴らす。

 

「はっ、随分と心地のいい風だ。さっきまでとんだハズレだと思っていたが、とんでもねぇ。心の底から訂正するぜ。こうして相対するだけで外見からは想像できねえプレッシャーが伝わってくる」

 

男の眼が一段と鋭くなり、朱槍を構え直した。

 

「いえいえ、あなたほどの重圧を出せる人間もそういませんよ。鋭い殺気であるにも関わらずドロドロしたものがなく、透き通るような心地の良さです」

「……ま、戦争ってものは国同士のいざこざから始まるものだ。だがな、国の駒に過ぎねぇ戦士はそんな確執とは無縁に戦いを純粋に楽しみたいものでね」

「おお、それはすばらしい信念です。……やはりあなたのお名前をお聞きしてもいいですか? 繰り返しになりますが、私は射命丸文と言います。私が尋ねているのは格式とか、しきたりとか、そんなややこしい作法からではありません。弾幕ごっこ――いいえ、喧嘩とはそういうものでしょう?……もっとも、あなたなら言わずともわかると思いますけど」

 

男は少女とそんな言葉を交わすと、何か考える素振りを見せた。

そして迷いを感じた表情は一瞬で消え去り、真紅に染まる長槍の矛先を少女の顔に向ける。

 

「我がクラスはランサー。そして、貴様を殺す男の名はクーフーリンだ! ――来やがれ、射命丸!」

 

クーフーリンだって……?

その名前は、クランの猛犬と呼ばれたケルト神話における最大の英雄の名前だ。

まさか……あり得ない話だが、あいつがクーフーリン本人ならば、あの槍の名前はゲイボルグになる。

……あの朱槍を構成する理念と神秘は本物であり、決して贋作などではない。

海獣の骨で作られたという、ゲイボルグそのものとしか思えなかった。

 

だったら、あいつは、あの男は本当に――。

クーフーリンという、にわかには信じ難い名乗りに少女も驚きを隠せないでいた。

 

「……クーフーリンさんですか。いつかどこかで聞いた名前です。外界とは隔絶された幻想郷にも届くほどのビッグネームの方でしたか。ふむふむ」

 

そう呟くと、少女は後ろを振り向いて、すぐ後ろにいる俺と視線が合った。

夜にも関わらず赤く妖しい光を灯す瞳に、びくりと身構えそうになる。

 

それでいて、どこか悪戯っ子のように細められた瞳が『さあ、いきますよ』と言っていた。

そんな口許には、屈託のない笑み。童女のようなあどけなさに、俺の胸が微かな高鳴りを感じた。

 

 

 

 

それは……ほんの一瞬の、ほんの僅かな動揺だったはず。

 

次に気づいた時、俺は――深山町の夜景を眺めていた。

二月の寒気が露出した肌に突き刺さり、濁流の風音が内耳に響く。

 

俺はいま明らかに空を飛んでいる。

ここは上空何メートルだろうか? 少なくとも、百メートル以上あるのは間違いなかった。

 

ついさっきまで俺は、土蔵の入り口の付近に立っていたはず。

それが何故か瞬きにも満たない、コマ落ちの一瞬で、その遥か上空にいる。

 

これは……何かの悪い夢ではないのか?

そう思いたかったが、頬をつねるまでもなく、肌を刺す冷たい外気が紛れもない現実だと告げていた。

 

この理不尽な状況に、答えをくれる者はいないか。

そう思って、首をあちこちに傾けると……密着とも呼べる距離に黒髪の少女。

……どうやら俺は、射命丸文と名乗る少女に抱きかかえられているようだった。

 

「……!」

 

彼女の背中には、さっきまで存在しなかった黒染めの翼が生えていた。

まさに烏のような黒い両翼が、夜の帳の落ちた冬木の空に溶けだしている。

 

「召喚主さん。どういう理由か定かではありませんが、あの人に襲われていたみたいですね。でしたら、ここは私が一肌脱いで――なんとか撒いてみせましょう!」

「へ?」

「……おー、怒ってます、怒ってますよ。何をそんなにムキになっているのでしょうかね」

 

少女は俺の家の辺りを見下ろして、ケラケラと笑う。

やはり童女のような笑みだったが、それは悪戯に成功して浮かる悪質なものだった。

 

俺も視力を魔術で水増しして、目眩のする高さから衛宮家の庭を覗き見る。

そこには、土くれの地面をえぐり取る勢いで地団駄を踏み、俺たちを指さして何かを叫ぶ男の姿があった。

……その激高した貌は、今にも手に持った朱槍をこちらに向かって投げかねないほどだ。

 

「では、これからよろしくお願いしますね、召喚主さん。あ、名刺いりますか? 記念すべきこの日のために作ったんですけど……」

「名刺って……」

 

異常事態の連続に『今はそんな場合じゃないだろう』と言う気にもなれず、逡巡してしまう。

 

「あやや。両手塞がって名刺が出せませんね」

 

そうして残念そうに項垂れる。彼女の両腕は、俺を抱えるために使えなかった。

 

と、ここでいま、俺がどんな体勢で少女に抱えられているか、簡潔に説明したい。

確か、この格好は俗にいう『お姫様だっこ』と呼ばれるものだったと記憶している。

 

「ふむ……ちょっとだけ、手を離してもいいですか?」

 

少し申し訳なさそうに嘯く。

 

「なんでさ」

 

 




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