文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars. 作:悠里@
「……外の世界に行きたい?」
パチュリー・ノーレッジはつまらなさそうに言った。
彼女は分厚い魔法書から目を離さず、すぐ隣にいる射命丸文を一顧だにしない。
「――はい。是非お願いできないでしょうか」
紅い悪魔と恐れられているレミリア・スカーレットが住む紅魔館。
その悪魔の館の地下には、大きな図書館が存在していた。
幻想郷随一の蔵書を誇り、魔術書を始めとしてあらゆる稀少本が揃っている。
図書館に広がる古書の饐えた匂いは、乱読家には堪らないものだろう。
図書館の主である少女の名前は、パチュリー・ノーレッジと言う。
起きている時は本を読むか、紅茶を飲むぐらいで、外出もままならない日陰の少女。
本人曰く『日に浴びると本と髪が傷むから――』とのこと。
そのため、彼女の肌は病的なまでに白かった。
常にネグリジェのような服を着ているのは『寝間着と普段着の兼用なのでは』と文は邪推していた。
それら理由から『動かない大図書館』と揶揄か畏敬か判断の付かない二つ名がついている。
しかしその名は伊達ではなく、パチュリーの知識の深さは、幻想郷で五本の指に入るのは間違いないだろう。
七曜を操る稀代の魔女。
こと魔法についての造詣の深さは、幻想郷一だと文は踏んでいた。
「そんなこと。博麗の巫女か、スキマ妖怪にでも頼めばいいじゃない」
やはり、つまらなさそうに紫の少女は言った。
「霊夢さんが外の世界に出たいだなんて聞いてくれるわけありませんし、八雲紫に至っては住所不定でどこにいるのかもわかりません。というより、八雲紫も聞いてくれるわけないじゃないですか」
「あの大妖怪は今だと冬眠中でしょうけどね。……それに『幻想郷の全てを知る』と嘯くわりには天狗のネットワークも随分とお粗末なのね」
馬鹿にした物言いに文はカチンと来たが、ここは我慢だ。
薄暗い部屋で本を読むしかできない紫もやしに、何を言われても心には届かないと自制する。
「それにしても何でまた外の世界なんて行きたいの? あなたたち天狗はてっきり幻想郷の中だけで完結しているものだと思ったわ」
何かの気まぐれか、パチュリーが微かに声色を微かに変えて尋ねてくる。
……視線の先は、本から外さないままだったが。
「最近の幻想郷はすっかり安定してまして、ネタ不足が深刻です。そこで『文々。新聞』の大特集として、外の世界を扱おうかと考えたわけですね。……そして、あわよくば、次の新聞大会で優勝を狙おうかなー、なんて」
最後の一言は余計だったかもしれないと、彼女は言ってから後悔した。
この魔女は地位や名誉などには一切興味がない。あるのは、病的なまでの知識欲だけ。
パチュリーは『本を読む』。
それだけがこの少女の手段であって、目的なのだ。
自分の欲望を魔女に語ってしまったミスに、文は少し顔が熱くなるのを感じた。
「あなたの新聞はユニークで嫌いじゃないわよ。……ま、氷精が大ガマに飲み込まれるという記事が一面で三号続いた時に呆れたものだけど」
「うっ。とまあ、それだけネタ不足が深刻なんですよ……」
この本の虫に、自分の書いた新聞がユニークと言われると文もそう悪い気はしない。
……でも、新聞にユニークってほめ言葉なのだろうかと少し怪しんだ。
「それに、あなたの力なら博麗大結界を無理矢理こじ開けることも可能じゃない?」
「いえいえ、いくら何でもそれは無理だと思います。仮にそんなことができたとしても、霊夢さんに全殺しにされますよ」
「まぁそうでしょうね」
『なら言うな』とつっこみそうになったが、やはり堪える。
この紫モヤシの機嫌を損ねたら手伝ってくれないどころか、いつまでも根に持っていそうだ。
「………………」
……嫌な沈黙が、図書館に流れた。
パチュリーは本から目を離す様子もなく、すぐ傍らにいる文の存在など意に介していない。
文も本来なら他人にこんな頼み事をするタイプではないので、このなんとも言えない空気がつらかった。
(はあ、なんだか馬鹿らしくなってきたわ)
もう帰ろうかな、文が諦めかけた時、日陰の少女が初めて文に顔を向けた。
「――いいわ。手伝ってあげる」
パチュリーは、読み終えたばかりの本をパタンと閉じる。
「ほ、本当ですか?!!」
「……子供みたいなキンキンした声出さないで。不愉快。聴覚に障るわ」
嬉しさと驚きの反面、このネグリジェは本気で頭に来るなと文は思った。
「ですが、急にどういうつもりです? さっきまでは『聞く耳を持たないー』って感じでしたのに」
「そうね……。あなたがさっき言ってたとおり、私も最近は興味を引くこともなくて少し暇なのよ。だからたまには大規模な魔法の実験をするのも悪くない、そう思っただけよ」
今の幻想郷は平和そのものだ。
本来、幻想郷の不文律であるはずの、人間が妖怪に喰われるという話も聞かなくなった。
そんなことをすれば、最近になってますます力を付けた博麗の巫女に退治されてしまう。
「それに、壊れにくそうな実験台もやる気のようだし」
悪びれる様子もなく、実験台と言われた文は奥歯を少し噛み締めた。
「まずは、さっきの案。どうにかして博麗大結界に穴を開ける。……まぁこれは考えるまでもなく却下。結界の綻びを狙えば、私とあなたの力でなんとかできるかもしれないけど、霊夢にボコられるのは目に見えているし、ほかにも問題があるわ」
「といいますと?」
「スキマ妖怪のような境界を操れる例外中の例外はともかく、あなたのような千年単位の強大な妖怪が、幻想を失った世界に出たらどうなるかわからないのよ」
『どうなるかわからない』……妙に引っ掛かる言い方だ。
「……具体的にどうなるんですか?」
「もしかしたら、七色の泡になって消えてしまうかも」
「ええっ!?」
「……もしかしたら、よ。今のは冗談だけど、本当にどうなるかは私にも見当がつかない」
生粋の魔女の冗談は、最低最悪につまらなかった。
「外に出た瞬間に幻想の存在と扱われて、幻想郷に引き戻されるかもしれない。……それならいいけど、最悪の場合、妖怪としての力を失って脆弱な存在になり替わるかしら」
「うーん、それはとても困ります」
「もし何もなかったとしても、行ったきりで帰る手段がないのも問題だわ。実験結果がわからないままなのは少し歯痒いわね」
パチュリーは、文の存在を本気でただの実験台としか思っていなかった。
文は笑顔を崩さなかったが、こめかみには血管が浮き出ていた。
突然、パチュリーがピースサインを作った。
「ついに狂ったのか」と文は本気で思ったが、それは思うだけに留めておいた。
それとも……急に写真を撮ってもらいたくなったのかもしれない。
それにしては、あまりにも顔が笑っていない。
ピースサインをしながらなんだその顔は。馬鹿にしてるのか。
「プラン2、私の魔法で外の世界へ転移させる」
ピースサインの正体は『二つ目の案』という意味だった。
じゃあプラン1はあの強行突破だとでも言うのか。いくらなんでもお粗末過ぎる。
だが、ようやくまともな案が出てきた。
結界に穴を開けるだけの力業なら、そもそも文はパチュリーを頼ったりはしない。
実用的な計画を求めて、こんな薄暗く埃臭いところまで来たのだから。
そう安堵しようとしたのも束の間。
パチュリーの表情から察するに、どうやらこれもあまり良い計画ではないようだ。
「といいたいところだけど、これはあまり自信ないわ。――博麗大結界はあまりにも強力よ。外界とは陸繋ぎなのに、大結界によって幻想郷という一つの世界を作っていると言ってもいい」
それは文も知るところだ。知っているから、パチュリーに頭を下げて頼んでいた。
「そんな一つの世界を飛び越えて、あなたを無事に転移させるなんて無茶もいいところ。……まぁ一週間は寝込む覚悟で魔法を使えば、あなたの肉塊ぐらいは外に転移させることはできるかもしれないけど」
それでは、何の意味もなかった。
空間転移後、気づいたら烏天狗の挽肉なんてシャレにもなっていない。
それとも、これも魔女なりの冗談だろうか。
魔女の発言は、本気と冗談の境目がわかりづらすぎる。
なぜなら、人々の冗談を可能とする存在が魔女だからだ。
「万が一に成功しても、プラン1と同様にあなたが外界に適応できずに、七色の泡になるだけかもね」
「ふふふ」と珍しく魔女が声に出して笑った。すこぶる不気味だった。
生粋の魔女が、天丼ネタで笑いを取ろうとした珍事に鼻白むも、文は自分の嫌な未来を想像して笑うに笑えなかった。
「はぁ、やっぱり無理ですか」
こんな根暗馬鹿に頼むのが間違いだったかと考えた矢先――。
パチュリーが三本目の指を立てた。
「プラン3――外の世界の魔法使いに召喚してもらう」
「え?」
先の二つ、プラン1とプラン2は文もパチュリーから話を聞く前に思いついていたものだった。
『外の住人に召喚してもらう』――それはこれまでにないアプローチだ。
「そしてこれが本命。言葉通り、あなたを外の世界の魔法使いに召喚してもらうわ。幻想のない世界だけど、それでもまだ魔法使いが絶滅したとは思えない」
端的に言ってしまえば、他力本願だった。
「あなたを外界に押し出す力が足りないのなら、外からも引っ張ってもらえばいい。あなたを喚べるほどの高レベルな召喚儀式をサーチして、無理矢理にでもそこと繋げてあげる」
「何だか凄そうですけど、それ大丈夫なんですか?」
「愚問ね」
パチュリーは眉一つ動かさずにそう言い切った。
七曜の魔女の言葉だ。
人格面ではまるで信用におけないが、こと魔法においては信用していいかもしれない。
「それに、この方法ならさっきの懸念も大丈夫よ。幻想郷の住人であるあなたが外界に身を晒すことになっても召喚主が存在の維持をしてくれる。相当な高負荷になるでしょうけど、維持よりも召喚のほうが難しいものだし、それについては問題ないはず」
どこまでも他力本願だった。
「じゃ、私は専用の魔法陣を描くから、あなたは一度帰って旅支度でもしなさい。そうね、一日もあればできるわ」
「あ、はい。わかりました」
文は使役している烏を肩に乗せて、紅魔館を出た。
かなり長い間、薄暗い場所にいたためか、冬の太陽が心地よかった。
やはり人間だろうが妖怪だろうが、外に出なければ、心身ともに駄目になるのだと文は悟った。
今しがた会ったばかりのサンプルケースも、それを実証していた。
紅魔館の門番が職務を放棄してシエスタに耽っていたが、そんなのはどうでもいい。
今更、何のネタにもならないが、あまりに間の抜けた顔だったので少しだけ面白かった。
「…………あれ?」
妖怪の山までの道中、文は胸の鼓動が速まっているのに気づいた。
彼女は幻想郷の誰よりも速く飛ぼうが、心臓は一定のリズムを乱したりはしない。
ならこれは、彼女自身の感情が高ぶっている証拠だった。
千年を生きた、幻想世界の天狗少女。
そんな見た目通りの、女の子らしい感覚が残っている事実に、少女は戸惑いと喜びを覚えた。
何が起きるかわからないので、文は使役している烏を妖怪の山で留守番をさせた。
使いっぱしりの白狼天狗に預けようとも思ったが、今回はいいだろう。
たくましい子だった。たとえ文がいなくなっても自由気ままに生きるはず。
一日掛けて、旅支度を終えた文が旅行鞄を抱えて図書館に戻る。
「これは……」
巨大な魔法陣を発見した。
細部まで緻密にして難解な、大魔術式が組み込まれていた。
一体この魔法陣に、どれだけ莫大な情報と魔力が詰め込まれているのか。
魔法にはさして明るくない文だったが、魔力はぴりぴりと肌に伝わってくる。
視覚から流れ込む情報量に目が眩みそうになるが、なぜか同時に引き込まれる魅力もある。
「……あまり長い間見ない方がいいわよ。人間なら直視するだけで精神が侵される代物だから」
「パチュリーさん」
いつも以上にやつれた顔をしたパチュリーが文の前に現れた。
これだけの物をパチュリーはたった一日で作り上げたのだ。気力体力ともに使ったのだろう。
「じゃ、早速だけど、陣の中心に立ってちょうだい」
「は、はい!」
文は少し嫌な予感がしたが、言われるがまま魔法陣の中心へと立つ。
少女然とした胸の高鳴りも、少し強くなった気がした。
床に刻まれた魔術式から光が放たれて、薄暗い図書館を赤く照らし出す。
文という対象に魔方陣が共鳴しているように思えた。
「――――。――――」
パチュリーは神経を集中させるためか、目を深く閉じて呪文を詠唱する。
巨大な魔法陣が文の腰の辺りまで浮かび上がり、光が一層強くなっていく。
「えーと。ここは魔力が貧弱。ここは維持が無理そう。ここは……やっぱダメ。アルゴリズムがへたっぴ、センスゼロ。は、出直してきなさい」
この魔女は、季節もののカタログでも眺めているのだろうか。
「――あ、待って待って。いいところ見つけた。すごい規模。これは、うん。なかなか良いわね、私も参考にしたいぐらいだわ」
どうやら、本命である強力な召喚儀式を見つけられたようだ。
そして、パチュリーがゆっくりと瞼を開けた。
いつも通りの、眠たそうで不機嫌な顔。それはつまり、成功したと思っていいのだろう。
「幻想郷に帰りたくなったら、召喚主に契約を切ってもらうこと。もし、面倒そうだったら――殺してしまいなさい。そうすれば、主という楔を失って、あなたはこの魔法陣へと自動的に戻されるわ」
帰る方法は意外と簡単のようだ。
気に入らなければ、いつでも帰れるぐらいに。
「ええ、そうします」
魔法陣の光が文の体を包む。
既に転送が始まっているのか、地面を踏む感触がなかった。
「……ああ、言い忘れてたけど、召喚先は未来かもしれないし過去かもしれないわ。もしかしたら、幻想郷の外とは違う、どこか別の平行世界に繋がっているかもしないわね」
……この魔女は、知ってか知らずか、最後にとんでもないことを言ってくれる。
「この! 紫もや……ッ!」
溜めに溜め込んだ鬱憤を吐き出そうとするが、周囲は光に包まれて文の声は届きそうもなかった。
そうして――世界は、くるりと暗転する。
「――うわっ!?」
俺は、その暗転した世界で跳ね起きた。
空は白んでおり、いつの間に寝込んでいたのか土蔵には朝日が差していた。
慌てて周囲を見渡すが、いつもと変わった様子はない。
「……なんか、とても嫌な夢を見たような」