文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars. 作:悠里@
へんてこな夢を見た。
あんな夢を見るなんて、異常事態の連続で頭がどうかしてしまったのか。
普段は夢をあまり見ないから、貴重な体験だとも言えるが。
それに夢を見るというのは、深く眠れておらず、眠りが浅い証拠でもある。
そのためか、もう朝なのに眠気が抜けきってないし、身体もだるい。
「まいったな……」
鍛錬の後、気絶するように土蔵で寝てしまったのも疲れの原因だろう。
こんな体調のままだと、一日をまともに過ごせそうもない。
多少の罪悪感もあるが、一度自室に戻って寝なおそう。
二度寝なんて滅多にしないが、色々とあって疲れていると自分に言い訳をする。
「…………うわっ」
……冬だというのに、身体は寝汗でべったりだった。
やっぱり、悪夢の類じゃないのかアレ。
次に目を覚ました時、太陽は真上近くまで昇っていた。
時間を確認すると、11時を過ぎようとしており、普段ならあり得ない起床時間だ。
それでも倦怠感は完全に抜けきってなかったが、今日一日を過ごすには十分だ。
こんな調子じゃ、平日だと確実に寝過ごしていたな。今日が日曜日でよかった。
結局、昨晩のあの夢はなんだったのか。
二度寝の時は深い睡眠が取れたらしく、あんな夢は見なかった。
細部については忘れかけているが、ただの夢と言い切るのも何か違う気がする。
あの夢は、文の主観によるものだった。
まるで彼女の視点を借りているような、リアリティのある夢。
彼女の感情も、自分のことのように伝わってきた。
夢には彼女以外にも、もう一人、奇妙なネグリジェを着た少女がいた。
あの人物にしても、何者なのか。
文に確認したかったが、私生活を覗いてしまったようでそれも気が引ける。
射命丸文は、居間の畳の上に朝刊を広げて読みふけっていた。
俺の存在にはすぐ気づいたようで、いつもの笑みを浮かべてみせる。
「おはようございます。士郎さん」
「……ああ、もう昼近いけどな。おはよう、文。よく眠れたか?」
「はい、とても。低反発な枕のおかげで快適に眠れました。ありがとうございます」
そんなとりとめもない挨拶を終えると、彼女は再び新聞に目を走らせる。
「ん? これって……」
よく見たら今朝の新聞だけではなく、かなり古いものも彼女の側に積まれている。
確か古紙回収に出そうと思って、土蔵の奥にしまい込んでいたものだ。
そんな昔の新聞まで、なんでまたと思ったが、同業者として他社の新聞は気になるのかもしれない。
「……この世界の新聞は、文の目からみるとどうなんだ?」
何気なく、そんなちょっとした質問を文に訊いてみる。
「そう、ですね。毎日これだけの情報を出せるのは凄いです。印刷技術と流通の発展、何より完全分業制の成せる技でしょうか」
新聞から目を離さないままの、淡々とした回答だ。
それでも口ぶりからして、一応は褒めているように聞こえる。
「ただ、私の『文々。新聞』は『事実だけを客観的に』をポリシーにしています。主観に傾倒した記事は好みから外れますね」
「なるほど。裏が取れない記事は書かないってことか?」
「その通り。自分の足で稼いでこそ新聞記事です。けっして、伝聞ではいけません」
文が今この世界にいるのも、ネタ探しだと言っていた。
「ですが、完全に客観というのも難しい。感情がある以上はどうしても主観が入ります。ですが、『客観的にあろうとする』のと『客観的に見せかける』のでは大きな違いがあります」
ちょっとした質問のつもりだったが、天狗少女の口はまだまだ回りそうだった。
「こちらの記事も一見すれば、客観的に書かれているようですが、記者の恣意的な解釈が見て取れます。記者というのは常に第三者であり、傍観者です。新聞は情報であって、自身を投影するものではありません。万人に与える影響を考えて記事を書くべきです」
「……ふうん。いろいろと考えているんだな」
俺には彼女と議論するだけの知識はないので、気の抜けた返事になってしまった。
やはり、職業新聞記者だけあって、彼女の言葉には含蓄の深さを感じた。
これまで新聞をそんな観点から読むことがなかったから、あまりピンと来なかったが。
文は、その考えを自らの戒めにして、日々の新聞作りをしているのかもしれない。
『新聞は、自身を投影するものではない』か。
改めて頭で反芻すると、なかなかどうして含みのある言葉に思えてくる。
……小難しく考えていたら、腹が盛大に鳴った。
昨夜は夕食を食べられる状態じゃなかったし、今朝も寝過ごしてしまった。
いや、そもそも文も朝食を食べていないじゃないか。
これは、客を預かる家主としてあり得ない大失態だった。
しかし、過ぎてしまった時間は戻せない。
ここは、せめてものお侘びとして、昼食は文のリクエストを聞いてみよう。
「これから昼食を作るけど、何か食べたいものあるか? あと、食べられないものがあったら遠慮無く言ってくれ」
「作っていただけるのなら何でも嬉しいんですが……鶏肉だけはちょっと」
へえ、鶏肉が嫌いなのか。
鶏皮のツブツブした感じが嫌という人もいるし、そう珍しくはない。
「鶏肉が嫌いなのか?」
「いえ、決してそういうわけではないのですが……」
文にしては、珍しく歯切れが悪かった。
「同族を食べるわけにはいかないんで……」
「ああ……そ、そうだよな。ごめん」
「いえ、まあ」
……あまりにも切実で、二人揃って歯切れが悪くなった。
そういえば、彼女は『烏』天狗だったな。
昼食を作るため、エプロンを着けて台所に立つ。
ちょっと不本意ではあるが、台所は衛宮士郎にとって土蔵と同じぐらい落ち着く場所だ。
「あー。そういえば、米を炊いてなかったな。完全に忘れてた」
昨夜は何の準備もせずに寝てしまったので、炊飯器の中身は当然カラだ。
仕方がない、今回は圧力鍋を使おう。
圧力鍋であれば、通常の何倍もの早さで米を炊けるからだ。
昼食で使い切るなら、少し多めに三合ほど炊いておけば十分だろう。
しかし、鶏類が駄目となると卵はおろか鶏ガラといった調味料も使えない。
俺からすれば、鶏肉と卵が使えないのはそこまでの問題じゃない。
それよりも、幻想郷という土地の食文化が全く想像できないのが問題だ。
文は何でも良いと言ってくれたので、何度もしつこく確認するのも気が引けてしまう。
かといって、あまり食べ慣れていないものを出すのもよくない。
「じゃあ、天狗の好物といえばなんだろう……」
射命丸文という個人ではなく、天狗としての射命丸文を考えればいい。
同じ妖怪とカテゴライズされる河童ならキュウリであり、猫又だと魚だろうか。
その観点から考えると、自ずと答えが見えてくるはず。
そう、天狗は大層な酒豪だと聞く。文の荷物のなかにも酒瓶らしきものがあった。
それに、酒なら貰い物含めて色々とある。
「……駄目だ。昼間から酒を出す馬鹿がどこにいる」
そもそも酒は、あくまで嗜好品であって空腹を満たすものでもない。
それと天狗といえば、山伏の姿を想像する。それじゃ、精進料理か……?
今ある冷蔵庫にある材料だけでは、精進料理としては本当に質素なものしか作れない。
それに、動物性タンパク質も肉体を作る上で重要な栄養素だ。
寺暮らしの一成も、食事に肉っ気が足りないとよく嘆いていた。
「……あまりごちゃごちゃ考えるのも良くないな」
頭の中だけで解決するのではなく、台所の相棒である冷蔵庫と相談した結果。
無難に鮭を焼くことにした。鮭の旬は秋から冬かけてだ。
冬の鮭もよく脂が乗っていて、グリルで焼くだけでも十分に美味しく作れる。
それと作り置きのほうれん草のお浸しが、冷蔵庫に入っていた。
後は、ジャガイモとタマネギの味噌汁でも作ろうか。
昼食にしては朝食みたいな献立だったが、これなら和食中心で間違いもないはず。
よし! じゃあさっさと作ろうか――。
「手伝いましょうか?」
「うわぁ!?」
居間で新聞を読んでいたはずの少女が、ひょっこりと台所に顔を出した。
不意を突かれた状態で話しかけられたので、少し大げさに驚いてしまう。
「あ、いや、文は居間でお茶でも飲んでいてくれ」
「いえいえ、手伝わせてくださいな」
「昨夜も言ったけど、文は大事なお客様だ。客に働かせるわけはいかない」
昨日今日の知り合いに台所に立ってもらうなんて、衛宮士郎にはできない。
「なので、居間にいてくれると助かる」
「いいえ、少し働かせてください。家主が働いているのに何もしないで平気なほど、居候の私も厚かましくはないです。幻想郷の住人は自分のことしか考えてない人間や妖怪ばかりですけど、私は彼女たちとは違いますから!」
そう声高に力説する烏天狗の少女。幻想郷って一体。
結局、文の舌鋒に押し切られる形で、手伝ってもらうことになった。
手始めにタマネギとジャガイモでも切ってもらおうか。
包丁を握る手つきは想像以上に慣れており、食材を綺麗にカットしていく。
この感じからして、普段から自炊をしているように思える。
漫画やアニメにあるような『まな板ごと食材を切断』なんて失敗も当然ない。
……一瞬、セイバーの顔が浮かんだような?
「文は一人暮らしなのか?」
「ええ、まあ。だから家事は一通りできますよ。ちょっと水道をお借りしますね」
扱い方も知っているのか、慣れた手つきで蛇口をひねる。
『幻想郷にも水道はあるのか』と危うく口に出そうになった。
極めて失礼な想像だが、幻想郷は各種ライフラインとは無縁な場所だと思っていた。
「ふふ。一部だけですけど、幻想郷にも水道は通っていますよ」
……俺って、そんなに顔に出やすいのかな。
水道を使う文を見ていた時点で、バレバレだったかもしれないが。
「幻想郷にも水道はあるんだ」
確かに人間はもとより、文のような妖怪も生きる上で水は必要だ。
幻想郷も俺が思った以上に普通の場所なのかもしれない。
「はい。魔法使いなんかが水道工事の請負をしていますね」
「魔法使いの水道工事……?」
それは、俺の知る普通から些か逸脱していた。
魔法使いなら地下に水道管を引くというより、魔術で源泉から水を転移させる姿を想像する。
そっちの方がしっくりきた。
空間転移は、この世界だと魔法の域に達する大魔術だけど。
「~~♪」
こうして並んで台所に立っていると、昨晩の死闘を収めた立役者とは思えなかった。
包丁を使う彼女の姿は、あくまでどこにでもいる普通の少女だ。
同じ少女のサーヴァントであるセイバーは、抜き身の刃のような鋭さがあった。
……敵対している俺たちの前なのもあるだろうが、彼女の在り方は西洋の騎士そのものだ。
文は必要のない時は翼も隠しているし、大体はニコニコと笑っている。
自分の実力を見せるのが好きではないのか、意識的に力をセーブしているかもしれない。
食卓を挟んで、天狗の少女と少し遅めの昼食を取る。
文は、焼き鮭の骨を奇麗に取り除いてから、鮭とご飯、味噌汁を啜っていた。
主食、主菜、汁物の順の三角食べという食事方法だ。
それに、なんというか……見ていて気持ちがよくなる食べっぷりだった。
とても美味しそうに食べているし、姿勢も綺麗で上品さも感じる。
「そういえばだけど……サーヴァントにも飯は必要なのか?」
「つまり、私めに食わせるような飯はないと。およよよ……そんなご無体な」
顔を手のひらで覆って、さめざめと泣いた。
「いやいやいや、そうじゃなくて、食べる意味はあるのかってことだ」
「ああ、そういうことですか。それはですね――」
彼女の話によると、文はほかのサーヴァントとは違って、霊体ではなく肉体を持っている。
自分の肉体であるため、本来必要なはずのマスターからの魔力供給も不要という。
魔力保有量が大したレベルではない俺としては、実にありがたい話だ。
「あれ? 待てよ?」
考えてみたら、彼女にとって俺の存在は必要ないんじゃないか?
その旨を伝えると文は「とんでもない」と一蹴した。
「私は士郎さんとサーヴァント契約によって結ばれていることが重要なのです。その左手の甲にある令呪が私とあなたを繋ぐための『かすがい』です。本当に重要なので、絶対に忘れないでくださいよ」
令呪について強調する。
これは俺がマスターである証であり、サーヴァントへの絶対命令権だと説明を受けていた。
確かに、聖杯戦争において重要なファクターだと思うが、そこまで強調するまでなのか。
「まあ、何が言いたいかというと、私がご飯を食べるのは生きる上で必要不可欠です」
少しはぐらかされた気もしたけど、気にするほどでもないだろう。
つまり、射命丸文は肉体を持って存在しており、腹も減るし眠くもなるのだ。
というか、彼女の食事のペースを見ていると、炊いた米で足りるのか心配になってきた。
美味しい美味しいと、上品ながらもバクバク食べる。
居候は三杯目のおかわりはそっと出す、なんて格言は迷信だったようだ。
今回の聖杯戦争で、ここまで食に執着するサーヴァントは文以外にいないだろう。
……なぜかまたセイバーの顔が浮んだが、ストイックな剣の少女だ。
普段は遠坂の魔力で賄うだけで、稀に遠坂とアフタヌーンティーでも嗜んでいるかもしれない。
「おかわりください!」
そうして、天狗の少女は四杯目も茶碗も笑顔で出してきた。
これでもう鍋の中は空だ。
さっき『自分は厚かましくはない』と言ってなかったか?
そんな自称謙虚な烏天狗が言う、厚かましい住人だらけの幻想郷は想像するのも恐ろしかった。
勿論こうやって、食事を楽しんでくれるのは料理人冥利に尽きる。
決して、手の込んだ料理ではないが、作った甲斐があった。
こうやって遠慮せずに食べてくれるのは、迷惑と思わないし、逆に嬉しいぐらいだ。
気を遣わないでいてくれた方が、彼女との距離が近く感じるのもある。
まだ知り合って一日も経っていないが、彼女とはうまくやっていけそうに思えた。
それに、昨日は文に散々迷惑を掛けたし、俺に至っては何もできなかった。
その時の借りを、食事でもなんでもいいから返したい。
大げさかもしれないが、本当にそう思う。
結局、彼女は四杯目で箸を置いた。今は満足そうな顔で熱いお茶を啜っている。
「……そういえば、士郎さんが寝ている間に廊下の黒い物体が大きな音を出してましたよ」
ふと、思い出したかの様に文が言う。
黒い物体……ああ、電話か。
「ちょっとビックリしましたが、あれは何の道具ですか?」
「ああ、あれは電話といって、遠くにいる相手とやりとりをするためのものだ。多分、俺に用のある人が電話を掛けてきたんだと思う」
「ほー、これが電話ですか。名前だけは知っていましたが、現物は初めて見ました。……しかし、かなり長い間鳴っていましたが、放っておいて大丈夫でしたでしょうか?」
「文は別に気にしないでいいぞ。火急の用事だったらまた掛けてくると思うから」
恐らく弓道部に顧問として出ている藤ねえが、弁当を作って持ってきてくれとかそんな用件だろう。
姉に厳しい弟としては、無視して然るべき案件だった。
『士郎ー、お腹減ったよぅー。お姉ちゃん、士郎の作った鶏の唐揚げが食べたいなー』
俺の脳裏にはそう宣う藤ねえが容易に想像できた。
しかし、よりにもよってなぜ鶏の唐揚げ。
暫くの間、衛宮家では鶏料理が出ないと決まったばかりなのだ。
でも、禁止されると途端に鶏の唐揚げが食べたくなるのはなぜなのか。
「……はて? 私の顔を見てどうかしましたか?」
「いや…………なんでもない」
午後になって、俺は文と二人で町を探索する。
冬木はこれから、魔術師とサーヴァントによる戦争の舞台になる。
これは、素人なりの考えだが、地形の把握は聖杯戦争において重要だと思ったからだ。
文は俺のそんな考えを知ってか知らずか、好奇心を隠せない様子で商店街を歩いている。
少し悪いと思ったが、昨夜と同様に文には天狗ルックをやめてもらった。
「珍しいものばかりです! うー、私が撮りたいのはこういうのなんですよ!」
マウント深山商店街。家から一番の近所にある商店街だ。
天狗の少女は、ふわふわと浮き足立って、商店街の店をカメラ片手で覗いている。
商店街を縦横無尽に写真に納める文の姿は、ステレオタイプな外国人観光客みたいだった。
顔立ちは日本人なので、何でもない日常をカメラで切り取る彼女は少々浮いていたが。
「お、士郎君! そちらの可愛いお嬢さんは士郎君の彼女かい?」
いつも贔屓にしている魚屋の店主からそんな声が掛かる。
「な! 違いますよ!」
いつも溌剌とした感じの良いおじさんだ。
だが、この年代の人たちは男女でいると、こういう冷やかしを入れてくるから困る。
「まぁまぁそう隠さなくてもいいじゃない。桜ちゃんもいるのに隅に置けないね! この色男!」
「さ、桜も違いますよ!」
桜も学園の後輩であって、別にそんな特別な仲ではない。
本気で勘違いしているのか、それとも単に俺をからかっているのか。
明らかに後者の反応だったが、俺はこの手の話は得意じゃない。
日曜の昼下がり、年頃の男子と女子が肩を並べて歩いていれば、無理はないかもしれない。
それに……こうして言われるまで意識していなかったと言えば、少しだけ嘘になる。
「では、おじさん。一枚どうですか?」
「おっ! じゃあ、おっちゃんを男前に撮ってくれよ!」
文は魚屋店主の話に否定も肯定もせずに、いつも通り社交的に接していた。
そして当然のように写真を撮る。
店主もサービス旺盛で、大きい魚を片手で掲げてポーズを取った。魚はアイゴか。
それにしても、ノリノリであった。
商店街を歩いていると、馴染みの店から似たような冷やかしを受けてしまった。
顔見知りの多い場所を、男女二人で歩くのはあまりにも危険だった。
というより、文が否定しないから、変に勘違いされたままだし。
埒が明かないので、江戸前屋で大判焼きを買って、逃げるように公園に移動する。
そのままベンチに二人で腰を下ろした。
ここは偶然にも昨夜、文と二人で話をした場所だった。
「……しまった」
「どうかしましたか?」
座ってから気づいたが、公園のベンチで若い男女が肩を並べて甘い物を食べる――。
そんなの、ますます言い訳の立たない状況じゃないか。
冬であっても、今日は日曜日、公園にもそれなりに人がいる。
気づけば、立ち話をしていた奥様方や、遊んでいた子供までもこちらを見ていた。
子供も含めて微笑ましそうな顔をしている。
『あらあら、若いっていいわねぇ』そんなテンプレ的な会話が聞こえてきそうだった。
「あー、もー……」
「あもう? アモーレ? イタリア語でしたか? はて、意味はなんでしたっけ?」
少し恥ずかしかったが、逃げ出すことできない。
ここで逃げたら負けだ。何かに。
俺と同じ当事者の文は視線など気にせずに、大判焼きを食べ始めた。
「あ、なにこれ、すごく美味しい。これは……カボチャの餡ですかね? なんとも新しい発想。外の世界の食文化は進んでいるようで、羨ましい限りです」
「……ああ、ここの甘味はオススメだ」
何でもないフリをしながら、俺も文に続いて大判焼きを食べる。
江戸前屋の大判焼きは、人気があるのが頷ける上品な甘さがあった。
文の言う通り、大変美味だ。
種類は決して多くないが、それだけ味へのこだわりがあるのだろう。
糖分を摂取してから冷静に考えてみると、俺も変に意識し過ぎなのだ。
少なくとも隣の少女は、はむはむと大判焼きを食べているだけで、何とも思ってないだろう。
「そういえば、皆さんに恋人と間違えられてしまいましたね。……少しだけ、照れくさかったです」
少女が、ぽっと頬を染めた。
「なっ!?」
飲み込もうとした大判焼きを喉に詰まらせて、思いっ切りむせ込んでしまう。
無理やりに納得しようとした矢先に、俺の虚を突く言葉。
どう考えても、わかって言っているとしか思えないタイミングだった。
むせながら咳をする俺の背中を、文は「大丈夫ですかー」と優しくさすってくれる。
一息入れてから空を仰ぐと、そこには口角を少し上げた悪戯混じりの笑み。
ああ、彼女とは本当にうまくやっていけそうだ。