文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars.   作:悠里@

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13.月曜日の憂鬱 《2月4日》

 

 

校庭が視界に入る。

どこのクラスかわからないが、この寒空の下でサッカーに興じていた。

いや、興じていたというのは語弊があるかもしれない。

サッカーは授業の一環であって、決して遊びではないはず。

 

「……まったく」

 

俺はぼんやりとした頭で、そんなどうでもいいことを考えていた。

 

現在は、四時間目。

穂群原学園2年C組の俺のクラスも数学の授業の真っ只中だった。

ふと、空いた席を見る。慎二は今日学園に来なかった。

担任の藤ねえも知らない様子だったし、どうやら無断で休んだようだ。

 

美綴の話だと昨日も部活を休んだらしく、流石に心配になる。

慎二は、授業を抜け出す癖もあるが、登校そのものをしないなんて滅多にない。

桜に事情を聴いて、場合によっては探しに行った方がいいかもしれない。

大げさかもしれないが、何らかの事件に巻き込まれた可能性もある。

まさに今は、聖杯戦争が起きているのだ。

状況次第では、万が一では済まされないかもしれない。

……まぁ慎二のことだから、素知らぬ顔で昼休みに現れてもおかしくないが。

 

そういえば、今朝は桜と藤ねえも家に来なかったな。

……ひょっとしたら、今は部活の忙しい時期なのだろうか。

桜は今年の一年だと期待の新人だし、藤ねえに至っては弓道部顧問だ。

それなら慎二がサボったのを、美綴があそこまで気にしていたのも納得できる。

 

 

今朝。

朝食をとってから、文に学園へ行くと告げて、いつも通り登校した。

聖杯戦争の渦中なので、学園に行くのを止めるかもと思ったが、それは杞憂で。

彼女は、玄関先まで俺を丁寧に見送ってくれた。

……その時、やけに含みのある顔をしていたのは、ちょっと気になったけど。

 

学園の敷地に入ると、昨日と同様に甘い匂いがした。

学園に張られた結界の力が増したのか、昨日よりも不快感が酷くなっている。

徐々にだが、結界は完成へと近づいていた。

 

ほかの生徒は普通の様子だったので、俺のなけなしの魔力と反応したのだろう。

この事態を誰かに伝えようとも考えたが、間違いなく頭がおかしなやつだと思われるだけだ。

 

その後は何もなく、いつも通りの授業が行われた。

しかしこの平穏も、次の瞬間には破壊されるかもしれない。

それだけは何があっても阻止しなければ――。

 

昨日、文はこの結界について調べてくれると言っていた。

今はそれに希望を託すしかない。

 

「…………くそ」

 

文に頼りっきりで、何もできない自分に歯噛みする。

やり場のなさに、焦燥感だけがいたずらに募っていく。

俺にもなにかできないだろうか?

 

俺にできること――それは強化の魔術だけ。

それも成功率も低い。

仮に成功しても、サーヴァント相手に通用するものじゃない。

そんなの、何もできないのと同じじゃないか。

……いいや、違う。

何もしないうちから諦めてどうする。

俺にも、やれることが絶対にあるはず――。

 

 

「衛宮殿、下級生が呼んでいるでござるよ」

 

没頭していた意識を現実に戻すと、俺の前に後藤くんがいた。

彼は、妙に時代がかった胡散臭い口調だった。

また例によって、テレビか何かで見た時代劇にでも影響されたのだろう。

四時間目の授業は、俺が思考に没頭している間に終わっていた。

だから、今はもう昼休みにある。

 

「む、すまん。それでなんだって?」

「廊下で下級生が衛宮殿を呼んでいるでごわす。……しかし下級生の女子とは衛宮殿も隅に置けないでござるな」

 

ごわす……?

まあ、その下級生は間違いなく桜だ。

俺に繋がりのある女子の下級生なんて他にいない。

しかし何の用だろう?

桜が俺のクラスまでわざわざ来るなんて珍しい。

ひょっとしたら、行方不明の慎二についてかもしれない。

 

「ああ、ありがとう。後藤くん」

「なになに、礼には及ばないでござる」

 

俺は、席を立つと走らない程度の速度で教室を出る。

 

「あれ?」

 

リノリウムの廊下を見渡すが、桜の姿はどこにもなかった。

彼女は大人しい性格ではあるが、意外と目立つ外見をしている。

だから昼休みで、人通りの多い廊下であってもすぐにわかるはずだけど。

 

「士郎さん」

 

背後から声を掛けられた。

可愛らしい声ではあるが、張りもあって意志の強さを感じさせた。

聞き覚えはあるが、これは桜の物ではない。

というか、この声は今朝も聞いている。

 

後ろを振り向くのが非常に怖い。

というか、振り向かずに、このまま全力疾走をしたい気分だ。

万が一、別人である可能性も捨てきれない。むしろそうであってほしかった。

 

「…………」

 

僅かな可能性にかけて、ぎりぎりと音を立てながら振り向く。

そこには、見知らぬ女子生徒がいた。

よかったよかった。知らない女子だ。じゃあ、この子は誰だろう?

 

「――ふふ」

 

いや……知らないのは服装だけであって、その顔は俺のよく知るところじゃないか。

突然の事態に対して、俺の頭の回転が著しく鈍くなっている。

 

「来ちゃいました」

 

来ちゃったかー。

そこにいたのは、とっておきの悪戯に成功して喜ぶ射命丸文の姿だった。

どこで見つけたのか、彼女は穂群原の制服を着ている。

 

……こんな時、人はどんな反応をすればいいんだろうか。

人は過去の行動と照らし合わせて、最善の行動を取るように学習する。

つまりは、経験だ。

留守番をしているはずの文が、どうしてか俺の学園の制服を着こなして目の前にいる。

二十年にも満たない俺の人生において、これと似た経験はない。あるはずがない。

一語一句を違えずに、不測の事態と言えた。

 

俺のちっぽけな脳味噌は機能停止寸前であり、思考が正常に働いてくれない。

制服を着て、はにかむ文の顔が綺麗だと思っただけ。……俺はもう駄目だ。

 

「どうですか? 似合いますか?」

「あ、ああ……」

 

確かに似合っていた。

私立穂群原学園の女子制服。

赤いリボンタイで飾られた白のブラウス、薄茶色のベストに黒のスカート。

彼女が普段から着ている清楚なデザインの服とも似ており、違和感はない。

小柄なので袖が少し余っていたが、それもまた少女の可愛さを引き立てている。

 

「ふふ。ありがとうございます」

 

文は嬉しそうに、その場で一回転する。

少女のスカートが遠心力によって、ふわっと浮かんだが中身は見えなかった。

待て、俺は何を期待している。

 

「突然で申し訳ありませんが、一枚撮ってくださいますか?」

 

肩にかけていたカメラを俺……ではなく、廊下を歩いていた男子生徒に渡す。

 

「え?」

 

彼はわけのわからない顔のまま、古めかしいカメラを丁重に受け取った。

 

「私と士郎さんとのツーショットでお願いします」

「えええ!?」

 

突然のお願いに驚く男子生徒。

奇しくも俺も同時に声を上げていた。見事にハモっていた。

 

呆然と立ちつくす俺に、腕を絡めて抱きつく少女。

男子生徒は簡単な手ほどきを受けると、言われたままにシャッターを押した。

天狗の少女はカメラに向かって笑っていたが、衛宮士郎はさぞ滑稽な顔をしていただろう。

 

「ありがとうございます。おかげで素敵な写真になりそうです」

「……あ、うん」

 

少女は、状況を飲み込めていない男子生徒からカメラを受け取るとお礼をいった。

俺もだ。彼と同様、俺もまったく状況を飲み込めてない。

 

『……………………』

 

そして一連の騒ぎに何事かと、教室からずっとこちらを覗いていたクラスメイトたち。

 

「衛宮のやつ、また下級生をたらし込んでいるぜ」

「何だと! 間桐の妹だけじゃないのか!」

「普段は仏頂面なのに、やることはやっているんだな。ちくしょう」

「まあ! まあまあまあまあ! 『士郎さん』! 『士郎さん』ですって!」

「……あんな可愛い子、うちにいたか?」

「衛宮氏はロリコン野郎だと思っていた。だって同じ匂いがしたし」

 

ひそひそとこちらを窺う同級生の視線が、俺の精神に強烈なダメージを与える。

しかも謂れのない噂まで立てられている。もう泣きそうだった。

……これはマズい事態になりかねない。

現状で十分にマズい事態だったが、それについてもう泣き寝入るしかない。

 

一番の問題は、文を知っている人物に見つかる可能性だ。

特に遠坂や美綴に見られてはいけない。

大体の事情を知っている遠坂は問題ないかもしれないが、美綴は駄目だ。

昨日の時点で、うちの生徒ではないと知られている。

見られてしまったら、その時点で言い訳のしようがない。

二人とも何かと鼻が効くので、早急にこの場を離れるのが得策だろう。

 

「あっ……士郎さん」

 

そう結論に達すると、俺は文の手を握り無言で歩き出した。心持ち早歩きで。

 

「お、おい! て、てて、手を握っているぞ!!」

「やっぱり、衛宮と……」

「逢い引き……不潔だわ」

 

そんな声が聞こえたが、聞こえなかった。

それなのにどうしてか、耳が痛い。心が痛い。

 

 

 

 

今日ほど、屋上に誰もいなくてよかったと思った日はなかった。

本来は立ち入り禁止なのだが、昼休みともなれば生徒がいる時もある。

もっとも、こんな寒い時期に屋上に行く物好きもいないかもしれないが。

 

「…………」

 

文は、黙って付いてきてくれた。

俯いたまま俺に手を引かれていたので、すれ違った生徒に変な顔をされた。

絶対に狙ってやっていたが、それを立証するための証拠はなかった。

 

とりあえず、開口一番に何を訊くのかは決まっている。

 

「……それで。どうして文がここにいるんだ?」

「潜入調査です」

 

一秒の間もなく、あっけらかんと答えた。

腰に手を置いて、胸まで張っている。

あ、なんかもう目眩がしてきた。

……でも詳しく聞いておく必要はある。

 

「潜入調査?」

「ええ、そうです。結界を調べるのに学園内では私の姿は目立ちます。木を隠すには森の中。ここの生徒の一人に成りすませば、目立たないという考えに至りました」

 

昨夜、文が持っていた紙袋には制服が入っていたのか。

そして『目立たないため』と言いながら写真を撮らせていたのは何の冗談か。

それに制服の出所も気になった。

まさかとは思うが、他の女生徒から盗んだんじゃ。

というか、それしか思いつかない。

 

「その制服はどうしたんだ?」

「これですか? 借りただけです」

「借りた?」

「ええと。職員室……ですか? そこに保管してあったものを」

 

ああ、なるほど。

おそらく彼女の着ている制服はこの学校のサンプル品だろう。

学園の説明会などでマネキンに着せているものだ。

だとしても、それを部外者に貸す教職員なんているはずもない。

 

「……もしかして、無断で持ち出したのか?」

 

途端にばつが悪そうな顔をした。

昨日帰りが遅かったのはまさか学園に忍び込んで、この制服を探してたんじゃ。

 

「……ま、まあ。そうともいいますかね。いえ、私は借りたという認識ですし、それにどこかの魔法使いみたいに『一生借りるだけだぜ』なんて馬鹿はいいません。必要がなくなったら、ちゃんとお返ししますとも!」

 

貸し借りは双方の同意があって、初めて成立する。

彼女の言っているのは、ただの言い訳だ。

しかし、女性徒から盗んだのなら大問題だが、文が着ているのは今は使われていない制服だ。

本来ならすぐに返すべきだが、今は学園の一大事でもある。

文がここの生徒に扮装することで最善を尽くせるのなら、しばらくは目を瞑ってもらおう。

 

……昨日は日曜日だとしても、部活の顧問や宿直なんかで職員室に先生がいたはずだ。

その状況で、どこにあるかもわからない制服を手に入れたのか。

 

「なあ、文。職員室には誰もいなかったのか?」

「……ああ、いましたよ。でも私なら愚鈍な人間が何人いても気づかれずに行動できますが」

 

少しだけ、彼女の本性を垣間見た気がした。

というよりも、何人いても見つからない自信があるのなら制服なんて必要なくないか?

 

 

 

弁当は持ってきていたが、教室に置いたままだった。

教室に戻ると愉快な審問会が始まりそうだったので、購買まで走ってパンと飲み物を買ってきた。

当然、文の分も買ってきたが「もう家で食べました」との返答。そうですか。

 

二人して屋上のフェンスに寄りかかり、少し遅めのランチを取る。

無言ではあったが、雰囲気はそう悪いものではない。

吹き抜ける冬の冷たい風が、購買を往復して火照った身体にも心地よい。

 

「こら! まだあるから取り合わない!」

 

文はいつの間にか、集まっていた数匹の烏にパンを与えていた。

烏は俺たちを恐れる様子もないどころか、異様なまでに礼儀正しかった。

餌を貰って、神妙に頭を下げる烏なんて初めてだ。

文が烏の頭を掻いてやったら、彼らは一鳴きしてどこかに飛んでいった。

 

「士郎さん」

 

烏が飛び去るのを眺めながら、落ち着いた声で俺の名前を呼ぶ。

彼女の声色に真剣味を感じて、口のなかの根菜パンを牛乳で流し込んだ。

 

「んぐ。……で、どうしたんだ?」

「学園に張られた結界の基点はここです」

 

屋上の一角を指差した。

 

「呪刻はここ以外の場所でもいくつか発見しましたが、これが血の結界の源流でしょう」

 

目に魔力を通わせて、初めて気づく。

文の指差した先、そこには血の色で描かれた呪刻が刻まれていた。

呪刻から異様な魔力とともに腐り落ちた果実の臭いがした。

 

「――これ、は」

 

これはヤバい。

俺なんかがどうにかできるものなんかじゃない。

見ているだけで、頭がどうにかなってしまいそうだ。

俺は、何も気づかないで、こんなものの側で飯を食べていたのか。

昼食をすべて吐き出しそうになるが、何とか抑え込む。

 

「……文、これをどうにかできるか」

「無理ですね。私の持ちうる手段をすべて使ってもこの結界は破壊できません」

 

あらかじめ答えを用意していたように、文はきっぱりと答えた。

 

「どんな呪術的作用があるかわかりませんが、ただ強力なのは理解できます。人間に作れるような代物ではありません。サーヴァントの仕業と見て間違いないでしょう」

「……じゃあ、この結界を消すにはどうすればいいんだ?」

 

そう質問しながら――それだけは、わかっていた。

半人前の魔術使いでしかない俺でも、その答えは知っていた。

それを文の口から言わせようとする俺は、あまりにも卑怯者だった。

 

「この結界を張ったサーヴァントを見つけて止めてもらう。可能ならそれが一番。でもそれはまず無理」

 

次に文の口から出る言葉は、一語一句違わずに予想ができた。

 

「だったら結界を張ったサーヴァントか、そのマスターを殺すしかないわ」

 

俺の心中を察しているのか、酷くつまらなそうに答えを言う。

 

「…………そう、だよな」

 

冬の冷たい風が、屋上に吹いた。

魔術師であるマスターは別として、サーヴァントは人間ではない。

だが、ヒトの形はしている。それを俺は殺せるのか。

それはつまり、文やセイバーのような存在を俺は殺すことができるのか。

それと同じ意味だった。

 

サーヴァントを殺す。……ああ、できるさ。

その覚悟は、正義の味方になると誓った日からできていた。

切嗣に託された理想は、俺のすべてであり、何があろうと絶対に揺るがない。

 

 

「――――」

 

そう決意を改めた俺に、文は初めて見せる顔をしていた。

彼女は無表情だった。

まるで俺に対しての興味を失ったかのような、つまらないものを見る顔。

 

風が途端に強くなった。

聞こえるのは、悲鳴のように鳴る風の音だけ。

さっきまで心地よく思えた風が、肌を冷たく刺す。

 

そして沈黙を破ったのは、錆付いた屋上の扉が開く音だった。

 

 

 

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