文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars. 作:悠里@
沈黙を破るのは、決まって第三者だ。
物語では、そう相場が決まっている。
しかし、第三者が必ずしも事態を好転させるとは限らない。
だけど、今はそれでもよかった。
屋上に二人。マスターとサーヴァント。
沈黙と静寂、そして冬の冷たい風が世界を支配する。
俺は、天狗の少女に自分の真意が覚られてしまった。
衛宮士郎という男は、自分の正義に反するものを背中から刺せる存在なのだと。
「――――」
天狗の少女は、俺という存在を見定め、見透かしている。
彼女は、俺をどう思っているかはわからない。
でも、これだけはわかる。
彼女は今、仲間に向けるような目をしていない。
敵意を向けているわけでもない。
それは、とてもつまらないものを見る、そんな目だった。
ああ……耐えられない。
とてもじゃないが、耐えられそうもない。
少女からは、威圧感などはなく。
だけど、温かさもなければ冷たさもない。
ただ、乾いていた。
僅かな侮蔑だけを残して、乾き切っていた。
社交的な笑みを浮かべていた少女が、こんな視線を向けてくる事実に耐えられない。
口の中が乾く。
唾液すら飲み込めないほど乾いていく。
……この世界を壊してくれるのなら、なんだっていい。
どうか俺を、ここから助け出してほしい。
だけど。
この時が初めてだったと思う。
俺は、射命丸文という妖怪をほんの少しだけ理解できた。
錆びた鉄の扉の音が高く鳴り、沈黙と静寂のなかにひとつの亀裂が入った。
凍てついた世界を氷解させる、第三者。
つまり、遠坂凛が姿を見せた。
「……驚いた。騒ぎを聞いてまさかとは思ったけど、本当に学園にサーヴァントを連れてくるなんて」
遠坂が目を丸くして、制服姿の文の姿を見る。
やはり、遠坂も文の着ている穂群原学園の制服が気になるようだ。
「こんな手を使って、サーヴァントを自分の側に置くなんてね。こんな普通の魔術師には想像の外よ」
「――ふふふ。なかなかの名案でしょう」
制服を見せびらかすように、スカートの両端をつまんで頭を下げる。
今までの態度が嘘だったように、妖怪少女はいつもの微笑を浮かべていた。
俺は、安堵と同時に戦慄を覚えた。
射命丸文が、あの素顔を今に至るまでずっと隠していたことに。
「はあ……。それで、結界の基点はどうやらここのようね。……で、ここにいるあんたたちが犯人?」
「ち、違う! 俺たちはやっていない!」
遠坂は俺の態度に驚きもしないで、苦笑を漏らした。
「わかっているわよ。あんたが結界を仕掛けたにしては矛盾が多すぎるし。何よりあの衛宮君がそんなことをするはずがない。……ずっと変な顔をしていたから、少しからかってみただけ。ごめん、謝るわ」
変な顔?
咄嗟に触ってみたが、それで自分の表情がわかるはずもない。
それでも、顔の筋肉が少し強張っているのはわかった。そしてその原因もわかる。
射命丸文。烏天狗の妖怪少女。
俺は、彼女を初めて恐ろしいと思ったからだ。
いや……違う。
よく考えてみろ、衛宮士郎。本当は初めてではないはず。
それをわかっていながら、都合よく目を逸らしているだけだと。
文を召喚した夜、ランサーと対峙した時。
その時に俺は彼女をどう思った? どう感じた?
ヒトとしての本能が、警鐘を鳴らしていなかったか?
それも単純で明快な理由。
原始から始まる自然の理――つまり、弱肉強食。
俺は、彼女に比喩でも何でもなく言葉通りに『彼女に――われる』と思わなかったか?
横目で文を窺うも、これまでと違った様子はない。
怪訝に彼女を見る俺を不審に思ったのか『どうかしましたか?』と視線がそう訊いてきた。
文は俺の強張りの原因を、本気でわかっていないようにも思える。
じゃあ、さっき彼女が見せたあれはなんだったのか。
嘘だったかのように、今の彼女はあまりにも普通で、肩の力が急激に抜けてしまう。
……それならば、あれは気のせいだと思いたい。
俺の疑心暗鬼から来る思い込みで、彼女の口から直接なにかを言われたわけでもない。
出会ってからまだ一週間も経ってないのに、あまりにも失礼な態度だ。
それを直接伝えるわけにもいかないので、心の中で反省をする。
得体のしれないところはあるが、文は良いやつだ。今はまだ――そう信じよう。
遠坂は俺たちを無視して、結界の基点を調べていた。
時折「やば」「こんなのどうしようもならない」と驚きと落胆を漏らす。
つまりは、俺たちと同様の反応をしている。
この結界は、優秀な魔術師である遠坂にも手に負えないものなのだ。
「ふうん」
その間、文は俺が購買から買ってきたテトラパックの牛乳を飲んでいた。
飲み終えると、空になったパックを手のひらに隠れるほどの握力で握り潰す。
「……それで、凛さん」
「なに? ちょっと忙しいんだけど」
俺たちを無視して結界を調べている遠坂に、文が話し掛ける。
「あなたは敵対する私たちの前に現れてどういうつもりですか? もしかして、サーヴァントを従えずとも私に勝ち目があるとでも?」
彼女の口から出たのは、俺の想像からはかけ離れた台詞だった。
それは、今まで第三者であろうとした文には信じがたいものであり、間違いなく遠坂を挑発している。
「お、おい、文! どうしたんだ!?」
遠坂は俺たちを無視していたが、ある一定のレベルで警戒していたのだろう。
大して驚いた態度も見せずに、俺たちのほうを向く。
「へぇ、そっちがその気なら私はいいわよ。確かに今はセイバーを連れてきてないけど、サーヴァントは令呪を使えば呼べるの。……もしやり合う気があるのなら、人払いの結界を張ってあげてもいいわよ?」
遠坂凛の性格を考えれば、相手が誰であろうと売られた喧嘩は間違いなく買う。
喧嘩を吹っ掛けられたら、トイチを超える利子付きで返してくるだろう。
遠坂は右手を掲げ、制服のボタンを外すと袖をまくった。
手の甲に赤い光を放つ、三画の令呪。
……俺の左手にある令呪とは形状が違ったが、あれが遠坂の令呪なのだ。
聞いた話だと使うごとに一画ずつ失っていくらしいが、彼女の令呪はすべて健在だった。
「随分と迂闊ですね。敵である私に令呪を晒していいのですか? あなたが魔力を込める前に私の風がその腕を切り刻みますよ?」
文を良いやつと思おうとしたのも束の間、遠坂に対して取り返しのつかない言葉を投げかけた。
「ふん。やれるものならやってみなさい。それよりも早くセイバーをここに呼んでみせる。そして、私には指一本触れることなく、セイバーがあんたの首を切り落とすわ」
売り言葉に、買い言葉。言葉と言葉の応酬だった。
ひょっとしなくても、これはマズい状況ではないか?
聖杯戦争に消極的だった文が、急に妙なやる気を見せている。これはどういう心境の変化なのか。
そんな、一触即発の張り詰めた空気のなか。
次に文が何か動きを見せたら、遠坂は間違いなくセイバーをこの場に呼ぶ。
そうなったらもう止まらない。止まりようがない。
聖杯戦争のルールに則って、サーヴァントによる命の奪い合いが始まってしまう。
しかも、ここは学園の屋上。
昼休みという活気のある時間に、サーヴァント同士の戦い。
それは俺が、一番回避したい事態。絶対に壊されてはいけない日常の一コマ。
それを知り合いの二人が、今まさに壊そうとしている。
「はぁ……隠れてないでそろそろ姿を見せたらどうですか? これだと私が馬鹿みたいです」
文の嘆息混じりの一言によって、遠坂が令呪を発動させようと構えた時だった。
こちらに向かって、放たれた何かの物体に気付く。
鈍い光を放つ金属が――遠坂の頭を後ろから撃ち抜こうとしていた。
「……ッ!」
俺が気づいたのは、ただの偶然だ。
飛来する金属が日光を反射させなければ気付くことなく、遠坂が死ぬのを待つだけだった。
しかし、気づいたところでどうなる……!
俺と遠坂は離れた位置にいる。何をどうしようが間に合わない……!
「遠坂!!」
駆け出しながら、せめて遠坂に気づいてもらおうと、声を上げた瞬間。
「――――掛かった!」
文が、刹那のなかを動いた。
それは、人間には認識できないスピード――天狗少女だけの世界。
射命丸文は、一瞬で遠坂に息のかかる距離まで詰め寄り、頭部を砕こうとする金属を片手で掴み取った。
「へえ。これは――杭? いえ、短剣ですかね?」
文の手に握られたのは、杭状の短剣だった。
その短剣は長い鎖に繋がれており、勢いを殺されたことで細かく振動している。
命中すれば、人間の頭なんて簡単に貫いていただろう。
「私たちの共倒れを狙ったみたいですが、そうは問屋が卸しません」
文は長い鎖を手繰り寄せようとするも、鎖は固定されたようにぴくりとも動かない。
短剣に繋がれた鎖は、屋上に設置された給水塔の後ろから伸びている。
それはつまり、遠坂を襲った犯人は給水塔の裏手、鎖の先にいるという証拠だった。
「え……? なに? どういうこと?」
あと一歩のところで死にかけた遠坂は、崩れるように座り込む。
突然の事態にセイバーを呼ぶ気もなくなったのか、目の前に突然と現れた文を見上げている。
鎖がギリギリと鈍い音を鳴らす。
鎖の反対側を握っている相手が、力を込めて引っ張ったようだった。
同じように鎖を握ったままでいる文の身体が、ずるずると引きずられてしまう。
「……綱引きですか。ですが! 我ら天狗との力比べなんて百年早い!」
負けじと文も鎖へと引く力を込めた。
しかし文の体型は、どこにでもいる少女と変わらないもの。
綱引きに重要な体重なんて、たかがしれているだろう。
だったら、純粋な腕力だけを使って鎖を引くしなかない。
……今、自分の正体を『天狗』だと敵の前でばらしていたな。
サーヴァントの正体が判明するのが、聖杯戦争における一番のタブーだと聞いていたはずだが。
しかし、この鎖にはどれだけの力が込められているのか。
文の履いている上履きが、コンクリートの床を陥没させた。
膠着状態が続くと思った矢先、次第に文の身体がずるずると給水塔のほうへと引きずられていく。
「う、凄い怪力。大見得切ったのに、このままだと普通に負けそうです。やりますね。ですが……!」
それでも、文の顔には余裕があった。
それもそのはず、綱引きはそもそも片手でやるものではない。
俺の思考が伝わったように、文は鎖を両手に持ち直した。
再び鎖が動かなくなり、また膠着状態が続くのかと思いきや。
「今回は無効試合にしてあげます……よっ!」
文が鎖を引くのではなく、左右に大きく振り回した。
そして給水塔の影に隠れていた存在が、白日の下に晒された――。
鎖を振り回すと、まるでハンマー投げのような状態になり、大柄な人影が弧を描く。
「でもこれじゃ私の反則負けかしらね!」
文は凄まじい遠心力を利用して、相手をコンクリートの地面に叩き付けようとしたが――。
「いい判断です」
途端、じゃらりと文の持つ鎖が力を失って垂れてしまった。
相手が鎖を寸前のところで手放したのだ。
それで空に投げ出されて落下するも、豹のような身のこなしで屋上に着地する。
「…………」
そこにいたのは。
女性らしい肉体を黒いボディスーツに包み、足下まで伸びる紫色の髪を持つ女だった。
異様だったのは、バイザーのような眼帯で両目を隠していたことか。
唯一見えている口は真一文字に結んでおり、そこには何の感情も見えてこない。
ただ立って、構えもせずに俺たちを見ていた。
視界は眼帯で隠されているはずだが、こちらを見ているのは間違いない。
……ただ者じゃない。
何もその異様な姿や、文と拮抗する身体能力から言っているのではない。
空気を介して伝わる気配は、俺たち人間とは別次元のもの。
この大柄な女もまたヒトとは一線を画した存在で、間違いなくサーヴァントだった。
「…………」
その女のサーヴァントは、射命丸文を最後に一瞥すると、終始無言のまま屋上から飛び降りた。
文も深追いする気はないようで、その場から一歩も動かない。
屋上のフェンスからサーヴァントが降りた地点を見たが、そこにはもう誰もいなかった。
「私たちに単純な力で勝てるのは、それこそ鬼ぐらいなものです」
文は、鎖鎌のような短剣を興味なさげに放り出す。
床に短剣の先端が接触すると、コンクリートを砕いて鈍い音を鳴らした。
「……あんた、いつからあのサーヴァントの存在に気づいていたの?」
これまで、傍観に徹していた遠坂が文に尋ねた。
あと少しで殺されていたとは思えない横柄な態度だった。実に遠坂らしいと言えた。
彼女もまた同じようにあの長身の女を、サーヴァントと判断したようだ。
どのクラスのサーヴァントかはわからないが、出で立ちと武器から考えてアサシンだろうか。
「ずっとですよ、ずっと」
遠坂の疑問に文がすんなりと答えた。
「私たちが昼食を食べている時も気配がありました。あのサーヴァントは私達が屋上に来る前からここにいたようですね」
「……少しも気づかなかった」
「それはまあ、仕方がないです」
文もそんな素振りを一度も見せなかったが、それは演技だったのか。
「こちらをずっと観察していたので、何度も隙を見せたのですが、なかなか動いてくれませんでしたね。随分と疑り深い性格なのでしょうか?」
「ふーん。それであんたは私を生餌にして、あのサーヴァントを見事釣りあげたと。……やってくれるじゃない」
「あややや、気づいていましたか。申し訳ないです。……あと凛さん、なかなか上手いこといいますね!」
形ばかりにぺこりと頭を下げたが、本心から申し訳ないとは思ってなさそうだった。
それどころか、遠坂を餌にしたことも、最初から隠すつもりはなかったようだ。
その文の態度に遠坂は顔を引きつらせるが、結果的には助けられたからか強く出られないでいる。
「……ふん。で、あのサーヴァントがこの結界を張ったのかしらね?」
「一連の状況証拠としては十分です。屋上にいたのも結界の様子を確認するためでしょうし。そう考えるのが妥当でしょう」
「はぁ。今日はそれがわかっただけ収穫かしらね。餌に使われたのは癪だけど、この間の借りもあるし、今日のところは見逃してあげる」
遠坂は踵を返して、屋上の出口に歩き出した。
「遠坂。俺たちは本当に戦うしかないのか。他に何か――」
左右に束ねた黒髪の揺れる後ろ姿に、そんな願望混じりの言葉を掛ける。
「……衛宮君もくどいわね。私に、何度も何度も同じコトを言わせないで欲しいわ」
彼女は、少し時間を置いてから振り返ると、はっきりとした口調で言う。
「私とあんたは聖杯戦争が終わるまでは敵同士。そこは絶対に違わない。今回は学園内でも不用意に近づいた私が迂闊だったわ。それじゃあね。……それと、もうすぐ昼休み終わるわよ」
それを最後に、屋上の錆びた扉が閉められた。
再び二人きりになるも、あの時とは違って、耐え難い空気には戻らなかった。
あの時に見せた文の様子もまた、サーヴァントを誘うための手段だったのか。それとも。
「もうすぐ、休み時間も終わりだそうです」
「そう、みたいだな……」
今は時計を持ってないが、じきに予鈴が鳴る時間だろう。
しかし一連の出来事に気分が高揚して、とても授業を受ける気分じゃない。
今回の件から、サーヴァントは昼夜関係なしに襲ってくるとわかった。
学園で文を見つけた時は驚いたが、結果として命を助けられた。
もし俺一人が屋上にいたら、遠坂ともどもこの床に落ちた短剣で殺されていただろう。
聖杯戦争の期間中、サーヴァントが側にいないのは自殺行為に等しい。
遠坂は、なぜかセイバーを連れずにいたが、それもすぐに令呪で呼べると言っていた。
それだけでは心許ないだろうが、遠坂も遠坂なりの対策があるだろう。
聖杯戦争は始まっている。
日常を守るためには、日常は過ごせないのだと、俺はようやく理解した。