文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars. 作:悠里@
――コンコン。
あり得ない話だが、二階にある私の部屋の窓を誰かがノックしていた。
その不可解に少し躊躇したけど、もうどうでもよかった。
思い切って窓を開けると、冬夜の冷たい風が私を襲う。
「こんばんは。清く正しい射命丸です。……んしょっと、お邪魔しますね」
そこには何者かを背負った射命丸さんがいた。
こちらが返事をするより先に、開いた窓から遠慮なく侵入する。
「に、兄さん!?」
彼女が背負っていた人物は、間桐慎二――私の兄さんだった。
射命丸さんは、気絶している兄さんを下ろすと、私のベッドの上に横たわらせた。
昨日先輩に殴られた顔の傷以外に、目立った外傷はない。少しだけ安心する。
……少しおしっこの臭いがしたのは、気になったけど。
「重さは苦じゃないですが、体格が違う相手をおんぶするのは少々骨ですね」
彼女は兄さんが眠るベッドの端に座ると、物珍しそうに私の部屋を見渡した。
「洋室というのはあまり縁がないんですけど、これもお洒落でいいかもしれません。士郎さんに言って、部屋を変えてもらおうかしら」
そんなどうでもいいことを言うために、彼女は私の部屋に来たわけじゃないだろう。
もちろん、兄さんを家まで送り届けに来たわけでもないはず。
そうなると、考えられるのは一つだけだった。
「射命丸さん、あなたは私を殺しに来たんですか?」
「――――ふ、ふふ」
私の発言に、少女が堪え切れないようにケラケラと笑った。
……何がそんなにおかしいのか。また私の、私という存在を笑っているのか。
「何がそんなにおかしいんですか? また私を馬鹿にしてるんですか……?」
頭で考えていた言葉を咀嚼せずに、そのまま口から出てしまった。
随分と私らしくなかったけど、この人が相手ならそれでいいと思う。
「ああ、ごめんなさい。兄妹で同じ台詞を言っているのが、少しおかしくて……」
「…………」
初めて聞く、彼女からの謝罪の言葉。
そんなどうでもいいことで、謝ってほしくなかったな……。
それにどうやら、兄さんは彼女を見て喚いていたようだ。
戸籍上ではどうか知らないけど、私は彼を兄とは思っていない。
だから今の発言には、ちょっとだけ傷ついた。
なんにしても、私たち兄妹にとって、彼女は死神と変わらない存在だった。
射命丸さんは、ようやく落ち着いてくれたのか、少しだけ真剣な顔を作った。
それでも、人を見下したような表情は相変わらずだったけど。
先輩は、よくこんな化物と一緒の空間にいられるなと思う。
私は近くにいるだけで、恐怖以前に虫唾が走った。
「違いますよ。そんなことは目的ではありません」
『そんなこと』――つまり私を殺しに来たわけではないと言う。
相変わらず、カチンとくる物言いだったけど、それも含めてどうでもよかった。
「だったら、何をしにこんなところまで来たんですか?」
「ええ。実はですね、桜さん。あなたに確認したいことが幾つかありまして――」
射命丸さんは、どこからか赤い手帳と万年筆を取り出した。
そういえば……この化物は新聞記者であると自称していたな。
「わかりました。なんでもお答えします」
少女に気圧されたわけではないけど、なんでも答えるという言葉に噓偽りはなかった。
今の私は、自暴自棄になりかけている。いや、もう既になっていた。
なぜなら、私は――。
「快諾していただいて、ありがとうございます」
ふざけたことに、化物が私に向かって頭を下げた。
この女は、私を苛立たせるためだけに存在しているのかと錯覚してしまう。
「ではまず初めに……。ライダーさんのマスターは桜さんだと思ってましたが、マスターとして出てきたのは、お兄さんである慎二さんでした。これはどういうカラクリですか?」
「私が召喚したライダーを兄さんに令呪ごと譲渡しました」
「ふむ……」
ぱらぱらと手帳をめくっていた。
どうやら、これまで得た情報と齟齬がないか確認しているらしい。
「譲渡……といいますと? 令呪は他人に譲れないと聞きましたが」
「それは聖杯戦争の御三家で、令呪を作ったマキリの裏技みたいなものです」
「ふむふむ。なるほど、わかりました。……それが慎二さんの持っていた魔導書の正体だったと」
『これ以上の詳細を聞く必要はなさそうね』
彼女は、そう独り言ちて手帳に筆を走らせていた。
その後も、インタビュー形式で射命丸さんの質問を幾つか答えた。
一匹の妖怪ではなく、一人の記者として接してくる彼女は思いの外、真摯でひたむきな態度だった。
だけど私は、彼女を視界に入れるのも嫌だったので、早く帰ってほしいと思った。
「では、これが最後の質問です。桜さん、あなたが昨日、遠坂凛さんを足止めしたのですか?」
「…………」
ああ――なんてことだろう。
彼女はもう、醜悪な私の正体に気づいていたのか。
今日の本当の目的は、その裏を取りに来たのだ。
そしてこれは同時に、彼女と私しか知り得ない事実になる。
「――はい。私がやりました」
もう、開き直るしかなかった。でなければ、罪悪感で今すぐに潰されそうだったからだ。
彼女も仮説の域からは出てないのだろう。今はまだ手帳に何も書き込まない。
「私が遠坂先輩の家に行って、学園を休ませました。間桐と遠坂は、不干渉が鉄則です。あの時の私はどうかしていたかもしれません」
そして私は、昨日の顛末を語る。
◇
遠坂先輩と私は、リビングのテーブルを挟んで座っていた。
間桐の人間である私が、遠坂の家を訪問する。
そんな本来であれば、あり得ない事態に彼女は心底驚いただろう。
向かい合うだけでお互いに無言のまま、かなりの時間が経過している。
遠坂先輩は紅茶に口を付けつつも、複雑な表情で私を見ていた。
私は俯いて、手つかずの紅茶を眺めているだけ。
淹れてもらった時には香っていた上品な匂いは、もうとっくに飛んでいた。
「…………」
遠坂先輩のサーヴァントは、私服姿ではあったが、あからさまに私を警戒していた。
私たちの本当の関係を知らされてなければ、それも当然の反応だ。
彼女は、まさに主を守る騎士という装いで、マスターである遠坂先輩の傍に控えている。
「で、桜は遠坂と間桐の盟約まで無視してなんでうちまで来たの? ま、どうせ聖杯戦争絡みなんでしょうけど」
長く続く無言の空気を焦れったく感じたのか、遠坂先輩が先手を打った。
部屋にあったアンティーク時計を見ると……もう昼を過ぎている。
……そろそろ頃合いですかね。
「……兄さんに口止めされています」
これまで以上に沈んだ表情を作って、私は膝の上の手を固く握った。
そんな煮え切らない態度の私に苛立ちを隠せなくなったのか、遠坂先輩が立ち上がる。
「――じれったいわね。じゃああなたはなんでここに来たの?」
「それは……」
「そうやって、俯いているためじゃないでしょ?」
そう、俯いている場合じゃない。だけどまだ――演技は必要でしょう?
「何か言いたいことがあったから、私のところに来たんでしょ、桜」
私は冷めた紅茶を見ながら、ぼそぼそと話す。
「学園の――しています」
「そんな声じゃ聞こえない。前を……いえ、私を見てはっきりと言いなさい!」
そんな『姉』らしい言葉に、私は今日初めて姉さんの目を見た。
「兄さんが学園に張った結界を近いうちに発動しようとしています! 兄さんを止めてください!」
ああ、ついに言っちゃった。
想定外の発言に姉さんが目を大きく開いて驚いてたけど、すぐに落ち着きを取り戻した。
「なんてこと……。慎二が、あのサーヴァントのマスターだったのね」
誰だって、兄さんがマスターだと思わないだろう。
だって、彼は魔術師でも何でもない、ただの人でしかないのだから。
「セイバー! すぐに学園に行くわよ!」
「はい――!」
姉さんは、制服の上から赤いコートを着ると駆けだした。
彼女には、セイバーがいる。ものの数分で学園に着けるだろう。
だけど、大丈夫。
ライダーは、あのサーヴァントを殺してくれると約束してくれていた。
約束した時間は、もう過ぎている。
「桜、言いにくいことをよく言ってくれたわ。また機会を作って、二人で紅茶を飲みましょう」
最後に姉さんは、振り返らずに私にそう言ってくれた。
これで、最良のサーヴァントであるセイバーが、兄さんを止めてくれるだろう。
この時間であれば、不完全な『鮮血神殿』では誰も死にはしない。
学園の人たちに苦しい思いをさせてしまうのは心が痛むが、あの時の私の心はもっと痛かった。
だから、心の中で深く反省すれば、みんなも許してくれるはずだ。
先輩のサーヴァントである、射命丸文という化物だけが死んでくれればいい。
「あはは――」
意識しなくても、笑みがこぼれてしまう。
その歪んだ口元を慌てて手で押さえて、なんとか元の形に戻した。
先輩はもとより、姉さんも私のことを疑わないはずだ。
姉さんは、誰よりも頭がいい。
だから一度そうだと思い込んでしまったら、その考えを変えたりはしない。
私の身の潔白は、姉さんの思いこみが証明してくれる。
でも、兄さんもあそこまで扱いやすいとは思わなかったなあ。
私が先輩のサーヴァントの情報を流すと嬉々として踊ってくれた。馬鹿な人だ。
兄さんなんかに先輩が倒せるはずないし、死ぬのはあの化物だけ。
ああ……これで、先輩との日常が戻る……はずだった。