文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars. 作:悠里@
私の顛末を聞いた射命丸さんが、筆を一旦止めた。
「はあ、つまり……私を殺すために一芝居打ったと?」
「はい」
「では、昨日の被害者の方々はあなたが殺したようなものですね?」
「……はい」
ライダーは、学園の人たちを巻き込んで殺してしまった。
私はサーヴァントに対して、あまりに理解が浅かった。
特にライダーは反英霊という存在であり、無関係な人々を巻き込むのにさして抵抗がない。
私が彼女に頼んだのは、特定の時間までに先輩のサーヴァントを殺してもらうこと。
結局それも果たされず、無辜の人々だけ殺してしまった。
私のお粗末な企みは、あっけなく瓦解。
熱に浮かされていた私の頭は、すっかり冷え切ってしまっていた。
「あんなことになるなんて思わなかった!」と叫び出したい。
だけど、サーヴァント同士の戦闘に死者がでないなんて、どれだけ幸せな頭をしていたのか。
私の頭は、射命丸さんに対する憎悪と焦りでどうにかなっていた。
ああ――あの時、ライダーにたった一言だけ。
「他の誰も巻き込まないで」と伝えておけば、悲劇は防げたかもしれない。
彼女だったら、兄さんの命令を無視してでも、私の言葉を守ってくれただろう。
でもそうしなかったのは、まぎれもなく私だった。
事件の詳細を聞いてから、そんな後悔ばかりが私の胸中を占めている。
それから一夜明けて、私の心は完全に折れてしまった。
だからもう、何もかもどうでもよかった。
「兄さんに結界を発動するように仕向けたのも私です。責任は私にあります」
そう考えたら、兄さんも私の被害者なのかもしれない。
結局のところ、引き金を引くように促したのは、私なのだから。
己の罪を、目の前の化物にすべて告白した。
そう懺悔を終えたところで、私の胸が軽くなるわけもなく、自らの償えない罪を改めただけ。
私はもう、恐怖と殺意の対象だった彼女にすら、大きな感情が湧かずにいる。
「わかりました。質問に答えていただきありがとうございます」
彼女は手帳を静かに閉じた。もう質問は終わったのだろうか。
それなら、私のやるべきことはもう何もない。後はもう。
「それで、つかぬことを伺いますが。……桜さん、あなた死ぬ気ですか?」
確信とも言える言葉に、冷え切った私の心臓がドクンと跳ねた。
「……どうしてそう思いますか?」
「私から色々と訊いておいてなんですけど、こうしてぺらぺら話してくれるのが怪しい」
私は、自らの罪を自白してるようなものだった。
罪から逃げる気であるのなら、沈黙を貫くか、嘘の証言をするだろう。
「そして、あなたのその目。絶望と後悔に満ちています。私に対する憎悪だけではなく、恐怖も麻痺していますね」
言われてみれば、今の彼女は少しも怖くなかった。
ただ、憎しみだけはまだあったので、思いっきり顔を引っ叩きたい気持ちは残っている。
「恐怖の根源は、死を恐れる生物の本能。それを感じずにいるのは死んでも構わない証拠でしょう」
この化物は本当に、ずかずかと他人の心に土足で上がり込む。
「ふふ……人間ではないあなたは私の心が手に取るようにわかるんですね。先輩は最後まで、私の気持ちに気づいてくれませんでしたけど」
もう、この化物と先輩が付き合っていないのはわかる。
衛宮士郎と射命丸文の二名は、マスターとサーヴァントとしての関係でしかない。
だったら、私の企みは本当になんだったのか。鬱憤を晴らそうとするだけで、何の意味もなかった。
もっとも、私の初恋は、もうとっくに終わってしまったわけだけど。
取り返しのつかない罪人である私を、正義の味方を目指す先輩が許してくれるはずがない。
「あ、はは……」
不謹慎ではあったけど、つい笑ってしまう。
これから死のうというのに、自虐的な性格だけはついに変わらなかったから。
もしかしたら、その自虐心が高じて、最期は自分だって殺してしまうのかもしれない。
「うーん。でも死のうとするまでの気持ちは、まったくわかりませんね」
腕を組んで、ヒトよりも聡明な頭を悩ませた。
彼女には、私が死に至ろうとする理屈は考察できても、気持ちだけは心底理解できないようだった。
そのあんまり過ぎる態度に、私はかつてない苛立ちを覚える。
「それは! あなたが強いからでしょう!」
それは何も、肉体だけの話ではない。
この少女の精神は、人間のソレからは完全に逸脱している。
私を絶望のどん底まで突き落としても、こうして取材に来れる精神は、まるで理解できない。
罪悪感を一欠片も持たずに、ここにいられる時点で、この化物の頭はどうかしているとしか思えなかった。
一度堰を切ってしまった感情は、もう止まらない。
「それに今更生きたって何がありますか!? 兄さんを誑かし、姉さんを騙して、先輩もずっとずっと騙し続けてきた! ライダーもあなたに殺されてしまった! この手は血に染まってしまった! 先輩も姉さんも私のことを絶対に許さないでしょう! だったらもう――死ぬしか……死ぬしかないじゃないですか」
私の豹変に射命丸さんは、引いているようにも見えた。
「あ、はい。勝手に死んでください」
そして矢のように放たれたのは、容赦の欠片もない言葉。
同情心もなければ、悪意すらも感じさせない。まるで壁に向かって話しているようだった。
高揚していた感情が、途端に萎えてしまう。
「私はあなたが死ぬのを決して止めません。ですが、私はあなたが招いた悲劇も決して咎めません。今回は出しゃばりましたが、本来の私は第三者であり、傍観者です。干渉せずに観察する――それが千年にも及ぶ私の生き方です」
彼女は、私を咎めないという。
ここまで散々引っかき回しておいて、よくもそんなことが言えたものだった。
マッチポンプという言葉が、ここまで相応しい存在はいないと思う。
「では、私は帰りますけど、何かありますか?」
「何もありません」
もうどうでもいい。さっさと帰ってほしかった。
「あやや、即答。そう言われると悲しいです」
柳眉を少し悲しそうに歪ませた。
ああ、初めて彼女に一矢報いた気がする。ほんの少しだけ、つまらない達成感を覚えた。
……ちょっとだけ気が晴れた。最後に何か訊いてやってもいいかもしれない。
「……聖杯戦争は、これから苛烈を極めます。勝ち残る自信がありますか?」
答えは聞くまでもなく想像できるが、自信を持って言うだろう――。
「これっぽっちも勝てる気がしませんね」
彼女は指先で、これっぽっちをアピールした。そこには1センチの隙間もなかった。
それは、私の予想していたのと違うもの。
傲岸不遜で自信家の少女の口から、そんな言葉が飛び出すとは思わなかった。
「驚いていますが、そんなに意外ですか?」
「……意外です」
本当に意外だった。
「残るサーヴァントとの戦いは、ある『制約』または『不文律』がどうしても生じます。絶対に負けるとまでは言いませんが、今まで以上に厳しくなるのは確実でしょうね。私、好相性のライダーさんにも殺される直前でしたし」
『制約』や『不文律』が何なのかわからなかったけど、勝てるとは一言も言わなかった。少しいい気味だった。
それでも彼女は、飄々とした態度を崩さずにいつもの笑みを浮かべている。
「あ。そうそう、忘れてました。ライダーさんのから遺言です。『申し訳ありませんでした』。それを伝えて欲しいと」
「それだけですか?」
「はい、それだけです。私にも意味はさっぱりです」
……ライダーは、私に何を謝りたかったのだろう。
射命丸さんに負けて、聖杯戦争を脱落してしまったこと、それとも無関係の人を巻き込んでしまったこと。
もしかしたら、その両方かもしれない。
そんな勝手な想像はいくらでもできるけど、真意はもう死んでしまったライダーにしかわからない。
射命丸さんは、突然背中に隠されていた黒い羽を広げた。
『埃が立つのでやめてほしい』
なんてどうでもよく考えたけど、すんなり聞き入れる性格ではないだろう。
「最後に一つだけ。死んでしまった人間にできる贖罪なんてありませんよ」
殺してしまった人たちへの罪悪感はある。今も重しのように私の心にのしかかっている。
それが死のうとする一番の理由なのは間違いない。
だけど、贖罪のために死のうとしているわけでもなかった。
ただ、生きるための気力をなくしたから。それだけの話。
「死者にできることがあると思うなら、それはエゴと単なる思い違いです。死人は泣きも笑いもしません。ならば何ができるというのでしょうか?」
この人は、さっきから何を言っているんだろう。
それはまさに、強者の理論だ。弱者の私には、到底理解ができないもの。
ああ――なるほど。
私が彼女を理解できないように、彼女もまた弱者である私を理解できないのだ。
様々な状況から、理屈の推理ができるだけ。
だからこんな見当違いな見解を、自信満々に言えるのか。その事実に、少しだけおかしくなる。
「あの……」
見当違いを正そうとしたけど、彼女はもうそっぽを向いてしまっていた。
「ああ、らしくない。らしくないわ」
そんな言葉を、背中を向けたまま呟く。
どんな相手であっても、真っ直ぐに目を見て話す射命丸さんが、私に背を向けている。
彼女からしたら、よほど珍しい言動なのかもしれない。
「――それではさようなら、桜さん。機会があったらまた会いましょう」
まるで、気を取り直すような明朗とした声だった。信じられないけど、彼女はそう声を作っていた。
そのまま、来た時と同じように窓から飛び去っていく。
私の目なんかで追えるスピードではなく、あっという間に闇へと溶けてしまった。
「…………?」
部屋には冬の寒風と違う、どこか温かな風だけが残されていた。
それは、桜の咲く頃を思わせるような春の風だった。
勘違いを正す前に、彼女はいなくなってしまった。
言いたいことだけ言って、まったく会話にもならない。
結局、なにが言いたかったのか、それすらもさっぱりわからなかった。
少し好意的に解釈をすれば、私に死んでほしくなかったのかもしれない。
それが本当だったら、どこまでも身勝手な人だった。
「いえ。ヒトじゃなくて……バケモノかな」
私のベッドで眠っている兄さんの息づかいが聞こえる。
その顔は恐怖に歪んでいて、時折悲鳴のような呻き声を上げていた。
私には想像が及ばない、悪い夢を見ているのかもしれない。
……射命丸さんは、殺してしまった人にできる贖罪は無いと言っていた。
それは、その通りなんだろう。「ごめんなさい」と謝ったところで満足するのは自分だけ。
それを理由にして、私が死んだところで償いになるはずがない。
もっとも、私がしようとしているのは、そんな理屈ですらなく、自分が楽になるためのただの身勝手。
死ぬのは怖くないはずだった。
今も、生きるために必要な気力は失くしている。
「う、うううう……」
だけど、ずっと出なかった涙が止まらなかった。
生きるのにずっと絶望していた私が、こんなにも死に臆病だったなんて。
この涙の正体は、先輩と出会ってから培った唯一の人間らしさだ。
胸のうちに潜む、私の少女らしさが「生きたい」と叫ぶ、そんな魂の慟哭だ。
「死にたくない……死にたくないよう……」
私は膝を抱えて、嗚咽すら堪えずに泣き続けた。