文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars.   作:悠里@

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26.暁の空に酔う

 

 

日付が変わり、聖杯戦争が始まってから五日目。

俺たちは、寝静まった住宅街を歩いていた。

 

どこか気もそぞろな様子で歩く四人。

先頭から順に俺、文、イリヤ、バーサーカーだ。

殿として、これほど頼りになる存在は他にいないだろう。

国民的RPGなら、壁役としてバーサーカーを先頭に置くべきか。

その場合、他の三人がバーサーカーの巨体に遮られて前が見えなくなる弊害があるけど。

 

「…………」

 

しかし、こんな異様な集団は見たことがない。そしてその一員に俺がいる。

もしご近所さんに見つかったら、今後の付き合い方を考えさせられてしまうかもしれない。

 

銀髪の白人少女であるイリヤはまだいいとして、烏天狗の文はパジャマ姿で裸足。

巨漢半裸のバーサーカーに至っては……もはや何も言うまい。

その先頭で彼女たちを引き連れているのが、何者でもない俺なのがシュールさを引き立てている。

一体どこの仮装行列なのか。十月なんてとっくに過ぎているぞ。

 

「お兄ちゃん、あとどれぐらいで着くの?」

「もう少しだな」

 

あれから少しして、俺たちは衛宮家に向かうことになった。

俺の家にイリヤを呼ぶ提案は、すんなり通ったのだ。

イリヤも多少は驚いたものの、遠慮がちに頷いてくれた。

理性を失ったバーサーカーは、マスターの意向に異論を唱えたりはしない。

文は、よくわからなかった。

あの瞬間は驚いていたが、その後は珍しく黙り込んでしまったからだ。

 

「ふふー。シロウのおうちかー」

 

イリヤは少し緊張していたが、それでも笑顔で俺たちの後を付いてくる。楽しそうで何よりだった。

 

「…………」

 

一方で射命丸文は、ずっとご機嫌斜めだ。

俺が彼女の書置きを無視して、不用意に慎二を探しに行ったのを怒っているのだろう。

 

「もしかして、文、怒ってるか?」

「……ええ、まあ、そうですね。怒ってます」

 

俺が死んでしまうと、射命丸文もこの世界に現界できなくなる。

それなら、怒って当然だ。

聖杯戦争が始まってから、俺の考えなしの行動で何度も何度も面倒を掛けていた。

俺は、彼女から見ればどうしようもないやつなのだろう。

 

「ええ……確かに怒っていますが、実は、ほっとしている部分もあります」

「え?」

「士郎さんに何かあったら、私は損得抜きで駆けつける程度には情が移っています。だからあんまり無茶しないでください。……心配させないでください」

 

……その言葉は、俺の想像とは大分かけ離れたものだった。

射命丸文は、自身の見返りではなく、ただの感情だけで俺を助けると言ったからだ。

さっきもパジャマ姿で、バーサーカーと対峙していた。

それは間違いなく命懸けの行為だ。それを献身と呼ばずに何を献身と呼ぶものか。

……俺は、いくつもの意味を重ねて彼女に謝らないといけない。

 

「ごめん……」

 

本当にごめん。

俺は心のどこかで、射命丸文という少女を見くびっていたかもしれない。

 

「そうですよ。もっと私を信用してください」

 

少女が、ただ笑う。その含みのない顔に胸が熱くなるのを感じた。

 

「……あ、そうだ。裸足じゃ足が冷たいだろ? 俺の靴でよければ貸そうか?」

 

今頃気づくなんて、うっかりしてた。

家まで背負ってもいいが、彼女は性格的に嫌がるだろう。

 

「いえいえ、面の皮が厚いので大丈夫ですよ」

「面の皮……?」

「足の皮でした。天狗ジョーク」

 

あまり面白くなかった。

 

 

 

 

それから、運よく誰ともすれ違わないで、目的地である衛宮邸までたどり着いた。

近所の人に見つかったら言い訳のしようがないので、これに関しては本当に運が良かった。

 

しかし、ここに来て新たな問題が浮上する。

イリヤのサーヴァントであるバーサーカーの存在だ。

俺の家は、元々は武家屋敷なのでそれなりに広いが、あくまで普通の人間用だ。

バーサーカーの2メートル50センチを超える巨体が耐えられるように作られていない。

少なくとも廊下の床は、バーサーカーの体重を支え切れずに抜けてしまう。

お茶の間まで庭を迂回してもらう? でも天井の高さが足りるのか疑問だった。

 

「……どうしよう?」

 

恐る恐る振り返ると、そこに巨人の姿はなかった。

イリヤが一人だけで、ぽつんと玄関前に立っている。

 

「……イリヤ、バーサーカーはどこにいったんだ?」

「何言ってるの、シロウ? 霊体化させただけじゃない。ちゃんとここにいるわ」

 

霊体化? 聞き覚えのない言葉だった。

俺と文は、お互いの顔を見合わせるが「うへへへ」と苦笑いをするだけだった。

そういや、前にもあったな、こんなこと。

そんな俺たちを見てイリヤが溜息をつく。う、なんだか呆れられてしまっている。

 

「……はあ、お兄ちゃんのサーヴァントは肉体を持っているから知らないのね」

 

射命丸文は、三食ご飯を食べるし、風呂にも入るし、しっかりと寝ている。

俺が気付いてないだけで、多分トイレにも行っているだろう。

サーヴァントとして本来はあり得ない、この世界に生きた存在だった。

 

「サーヴァントは魔力の供給をカットすれば、本来の霊体に戻れるの。それを霊体化というの。わかった?」

「あの胡散臭い神父……割と大事なことを言い忘れてますね。いつか折檻してやる」

 

文の冗談に背筋が凍ったが、これでようやく理解した。

忘れがちだが、サーヴァントも英霊と呼ばれているだけあって、霊体の一種だ。

霊体と言っても、人間よりも存在規模が大きいため、これまで失念していた。

確かに霊体であれば、物理的に干渉できないため、家に入るのも問題はないだろう。

 

……それなら、ここまでの道中も人目に触れないよう、霊体化してもらいたかったな。

 

「なるほど。肉眼では確認できませんが、バーサーカーさんの濃密な気配がありますね」

 

文がイリヤの背後を、目を細めて凝視していた。

霊体というのは、目を細めれば見えるものか。近視の人の視力検査じゃあるまいし。

 

 

「へえー、ここがシロウの家なのね。日本家屋に入るのは初めて! えっと……ここで靴を脱ぐんだよね?」

「そうです。靴を履いたまま……つまり土足で家に上がったら、家主に殺されても文句は言えません」

「それが、日本……サムライの国なのね。セイバイ!」

「そう、無礼打ちです。セイバイ!」

 

イリヤが少し興奮した様子で、いそいそと靴を脱いでいる。

文がいい加減なウンチクをイリヤに教えていたが、二人ともちょっと可愛かったので放っておこう。

それとイリヤには敵意がないようで、仕掛けられた警報も鳴る気配がなかった。

 

「じゃあ居間に案内するから、ついてきてくれ」

「日本の家って、こんな感じなのね。木の良い匂いがする」

 

イリヤは、物珍しそうにきょろきょろと家の中を見ていた。好奇心に溢れた目だ。

 

「……あ、この感じ。懐かしいな」

 

初めて文が召喚された時とそっくりだった。

あれからまだ一週間も経ってないのに、少しだけ昔のように感じてしまう。

 

「では、お先に」

 

天狗の少女は、すたすたと誰よりも先に行ってしまった。

すっかりこの家というか、現代社会に馴染んでいる。もはや家主が誰なのかわからない。

……何の気兼ねもないようで嬉しいけどさ。もうすっかり衛宮家の一員だ。

 

 

 

 

時計を見ると、時刻は深夜の二時になろうとしていた。

夜の静寂のなか、三人のお茶を啜る音だけが聞こえる。

俺たちは居間の食卓を囲んで、緑茶を飲んでいた。

初めは紅茶を出そうと思ったが、生憎この家には安いティーバッグしかなかった。

そんなものを舌が肥えてそうなイリヤに出すのは、少しだけ気後れする。

だったら馴染みがなくても、味に自信があるものを出した方がいいという判断だ。

 

俺の隣にイリヤ、文は俺たちの正面に座っている。

文はいまだにパジャマ姿だったが、想定外の事態に楽しそうにしている。

この感じだと、寝るつもりはなさそうだ。

彼女はコミュ力の化物だし、俺もいてくれると助かる。

 

「イリヤは聞きたい話でもあるのか? ……文の話でもどうだ?」

「そんなのつまらないわ。もっと面白いお話をしましょう?」

「…………!!」

 

あ、文がショックを受けている。

口には出さずにいたが、顔に動揺がありありと浮かんでいた。

 

「えっと、じゃあ、イリヤはどんな話がしたいんだ?」

「わたし、あんまり人とお話したことないし、それはシロウが考えて。レディーをエスコートするのは男性の役目でしょ?」

 

そう言われても、何を話せばいいのか検討がつかないぞ。

うーん、白人少女と共通の話題。……駄目だ。俺のボキャブラリーじゃ何も思いつかない。

やはり、ここは無難に天気の話か? 天気の話をすればいいのか?

 

そんな矢先、ショックから立ち直った文がするっと机に身を乗り出した。

 

「では、イリヤスフィールさん。僭越ながら私、射命丸文からご質問させてください」

「えっ、どうしてあなたが? わたしはお兄ちゃんと話がしたいわ」

「士郎さんは、なんだか天気について語り出しそうですし。ここは私とお話ししましょうか」

「お天気なんて、最低最悪のセンスね。……はあ。それじゃ、なんでも質問していいわよ」

 

まだ口にも出していないのに、完全否定されてしまった。

天気の話題って、そんなに悪いものなのだろうか。

お年寄りとの話をする際によく使っていたが、もしかして俺に気を使ってくれたのか?

 

「それでは早速。イリヤさん、あなたはどちらから来られたんですか?」

 

文の手には、いつもの手帳と万年筆が握られていた。

これは、仕事熱心とでも言えばいいのか。もしくは、ワーカホリックのほうが正しいかもしれない。

彼女は仕事だけではなく、生活の一部としてネタ探しが習慣化していた。

 

「……ドイツの山の中にあるアインツベルンから来たわ。いつも寒くて雪が降っているようなところよ。だからわたしは寒いのが苦手」

 

サーヴァントとしては、あり得ない行動にイリヤは鼻白むが、それでもちゃんと答えてくれた。

さっきまでは気まずい空気だったが、文のおかげでなんとかなりそうだ。

俺一人なら、出だしから天気の話題でイリヤを盛大に白けさせていただろう。

射命丸文という、コミュ力モンスターがいてくれて本当によかった。

 

 

 

「へえ、それじゃあイリヤは城住まいなのか」

 

城といっても、水堀と石垣で守られた日本の城ではなく、西洋の石造りのものだろう。

なるほど確かに。

厚手のコートを脱いだイリヤの姿は、お城に住むお嬢様と言った出で立ちだった。

 

「それに貴族なんですね。どうりで物腰が上品だと思いました。どう見ても貞淑なレディーです」

「うん。本国の城はもっと大きいのよ。魔術用だけど、蒸留所なんかもあるし」

 

一切の物怖じをしない文のおかげで、会話のキャッチボールがスムーズに続いていく。

相手を常に立てながら、話題を尽きさせない。流石は新聞記者と言ったところだ。

それに俺も会話に混ざれるよう誘導してくれるし、随分と心地よい空気になってくれた。

 

そんな雰囲気に安心してしまったのか、迂闊にも腹の音が鳴ってしまう。

そういえば、昨日の昼から何も食べていない。同じように文も食べていないはずだ。

ライダーにやられた傷はまだ痛むが、思ったよりも身体は動かせそうな感じがする。

聖杯戦争が始まった頃から、なぜか怪我の治りが早い気がした。

 

「文、イリヤ。もうこんな時間だけど何か食べるものを作ろうか?」

「えっ。でも、そんなの悪いわ」

「おお、いいですね。イリヤさんも遠慮する必要はないですよ? 士郎さんは頼られるのが病的に好きな人ですから」

「……お兄ちゃん、病気なの?」

「そんなことはない。文もイリヤに変なことを吹き込むな」

 

そんなことはない……はず。

人のために行動するのは好きだけど、病気とまでは……。

イリヤはなぜか俺に変な遠慮をしているけど、文についてはもう何も言うまい。

 

「では、士郎さん。ちょっとお酒が飲みたいので、おつまみを作ってくれませんか?」

「へ? 酒?」

 

俺が気の抜けた反応をすると、天狗の少女は一升瓶を取り出し、ドンと食卓の上に置いた。

以前に文の部屋で見たものと同じだろうけど……今どこから取り出した?

そのラベルには、やけに力強い書体で『神便鬼毒酒』と書かれていた。

名前以外は、製造元もアルコール度数も書かれていないし、とことん怪しい代物。しかも毒酒ってなんだ。

明らかにその酒は、日本で市販されているものではない。そうなると、自家製かもしれない。

個人による酒の製造は法律で禁止されているが、幻想郷の住人に日本の法律なんて通用しないだろう。

 

「ふふふ。そろそろ士郎さんと酒を酌み交わして、親睦を深めようかと思っていたんですよ。しかも今日はイリヤさんもいますし、丁度良い機会ですね」

 

こんな目に見えてわかるほど、上機嫌な文を見るのは初めてだ。

天狗の酒好きは有名な話であり、見た目が少女そのものの文もその例から漏れないのだろう。

折角の文からの好意だ。未成年を理由にして無下にはできない。でも。

 

「ちょっと待った。俺はともかくとして、イリヤはどう見ても早いぞ」

 

俺は酒を飲んだりはしないが、誘われたら多少は付き合うべきだとは思っている。

だが小学生ぐらいにしか見えないイリヤでは、健康に悪影響を及ぼしかねない。

 

「ふふん」

 

しかしイリヤは思いの外、優雅な態度で構えていた。

 

「いいわ。アインツベルンの淑女として、お酒のお誘いを断ったらみっともないもの」

「イリヤ……? 無理して付き合う必要はないんだぞ?」

「……シロウはなんだか子供扱いしてるけど、わたしは車の運転もできるのよ。今日も郊外のお城から商店街まで車に乗って来たもの。ちゃんとコインパーキングに停めてあるわ」

 

うーわー。この子、飲む気満々じゃないか。

そして車の運転をしているという、今日一番の衝撃発言。

そんな小さな体でアクセルに足が届くのか。そもそも免許を持っているのか。

どう見ても、デパートの屋上にある上下に揺れるだけの遊具に乗る姿しか思い浮かばない。

 

……その後、イリヤの車が『300SLクーペ』という高級車だと聞いて、俺は心底おったまげた。

ガルウィングの超カッコいい車だ。俺も一度ぐらいは乗ってみたい。

 

こうなったらもう誰にも止められそうもない。

何とかして、イリヤには舐める程度にしてもらわなければ。

 

 

 

 

文のリクエストにより、大量のつまみを作る。

枝豆の塩ゆで、ねぎやっこのごま油かけ、豚バラ叉焼、生ハムとクリームのカナッペ等々だ。

中でもこのシーフードアヒージョは会心の出来だと思う。

得意な和食中心でもよかったが、外国人のイリヤもいるし、文にもいろんな料理を味わってほしかった。

できたばかりのつまみを持って居間に戻ると、少女たちは既に一杯やっていた。

 

「……美味しいと思うけど、かなりきついね。日本酒ってみんなこうなの?」

「日本酒は酵母を使うお酒でも比較的に度数は高いですが、これはその中でも特別ですね」

「うん……やっぱり美味しい。体もなんだかポカポカしてくるし」

 

イリヤは少し赤い顔をしていたが、文はけろりとした表情で呷っている。

冬の夜なのもあって、冷酒ではなく熱燗にしておいた。

熱燗のほうが酔いやすいので、イリヤには早々に飲み潰れてほしい思惑もある。

文は、中学生ぐらいの見た目とは裏腹に、随分と飲み慣れているようだった。

お猪口を傾ける姿に違和感がなく、かなり堂に入っていた。そのちぐはぐ感がなんとも凄い。

そんな気持ちの良い飲みっぷりを見た俺は、ここで致命的な一言を漏らしてしまった。

 

「この家にも酒が結構置いてあるぞ。よかったら持ってこようか?」

 

この家には、酒の貯蔵がそれなりにある。

出所は主に藤ねえの家である藤村組からのお裾分けだが、当然未成年なので飲んだりはしない。

日本酒は料理に使えるが、洋酒の類は余らせてしまう。

 

「――――!」

 

そんな俺の言葉に、文の目が妖しく輝き出した。

いや、これ本当に光ってるぞ。怖。

 

「ああ、ああ……! なんて嬉しいお言葉でしょうか!!」

 

射命丸さんのテンションが、一瞬で上限突破してしまった。

欣喜雀躍と言わんばかりに、ぴょんぴょんと小躍りしている。雀じゃないけど。

これはもしかして、とんでもない失言だったんじゃ?

 

「持ってきてください! 見せてください! そしてあわよくば、飲ませてください! 外のお酒はどんなのがあるのでしょうか……!」

「うわ! 文ちょっと離れてくれ!」

 

凄い力で抱きつかれて、頬ずりをされてしまう。いや、これもう出来上がってないか?

少女の顔には「わくわく」と書いてあった。……まさかここまで喜ばれるとは思わなかったぞ。

 

「むー。シロウってば、不潔だわ」

 

何故かイリヤが拗ねていた。

 

 

文をなんとか引きはがして、再び台所に移動する。

そこに保管してあった日本酒、焼酎、ワイン、ブランデー、スコッチ、リキュール等々……。

未開封の各種アルコールを埋め尽くすように食卓の上に並べてみた。

まさか全部飲むとは思えないが、とりあえず貯蔵してあった酒の全てを持ってきた。

 

「わ、わー。知らない種類の酒もいくつかあります!」

 

少女は、見て目相応の笑顔を浮かべて、パチパチと手を叩く。

酒瓶を一つ一つ手に取って、愛おしそうに確認していった。

 

「あ、開けていいですか?!」

 

興奮冷めやらない少女が、いま手に取っているのは『ヘネシーX.O』。

葡萄を原料としたブランデーで、アルコール度数は四十度を超える高級酒だ。

 

「開けていいですよね!!」

 

迫力に押されて俺は、無意識のうちに首肯していた。

少女は嬉しそうにブランデーの金キャップを開けると、その匂いを嗅ぐ。

酒気を鼻腔に含んだ少女が、恍惚とした表情を見せる。人に見せていい顔ではない。

 

「ああ、これは葡萄でしょうか。樽熟成のいい匂りがしますね……」

「…………」

 

そんな豹変にイリヤも唖然としていた。当然、俺もだ。

イリヤと畳の下で手を取り合い、二人でちょっとしたシンパシーを感じていた。

 

「飲ませていただいても!?」

 

俺は、再び首肯した。なぜか隣でイリヤも首をコクコクと振っている。

こんな期待に満ちた目を見て、断れる勇気は俺にない。

 

……そこから先は、語れる言葉を俺には見つからない。

射命丸文という天狗の少女は、酒豪と呼べるレベルじゃなかった。

明らかに胃の体積以上のアルコールを呷っても、味わうように飲み、じっくりと楽しんだ。

そんな彼女のペースについて行けるはずもなく、俺とイリヤは早々に力尽きてしまう。

 

 

 

 

……意識を取り戻した。

衛宮家の食卓には、大量のつまみと無数の酒瓶が置かれており、その殆どが空だった。

 

「うっ……」

 

起き上がると傷だけではなく、頭もガンガンと響く。

明らかに飲みすぎだ。俺も飲酒初心者なので、加減というものがわからない。

文のペースに合わせていたら、間違いなく急性アルコール中毒で死んでいた。

考えてみたら、怪我をした状態で血の巡りに作用するアルコールを飲むなんて正気じゃない。

実は文だけではなく、俺自身もどこか浮かれていたのかもしれない。

慎二のことや、学園の事件を思い出すと心が沈みそうになるが、それでも楽しかったと思う。

 

「すう……すう……」

 

俺の隣では、イリヤが畳の上で寝息を立てていた。

お城住まいのご令嬢に、こんな姿をさせるなんてとんだ失態だ。

起きないように、そっと毛布を掛けてやる。

イリヤは小さな身じろぎをしたが、目覚めてはないようだ。

 

「お父様……」

 

少女が、ふいに寝言を漏らした。

閉じた瞳から一筋の涙が頬を伝って、畳の染みになる。

 

「ああ……クソ」

 

こんな少女も俺の知らない事情があって、聖杯戦争という殺し合いに参加している。

やりきれないもどかしさで胸がいっぱいになる。

聖杯戦争を辞退するように言おうと考えているが、おそらくは暖簾に腕押しになるだろう。

 

「あれ? 文がいないな……?」

 

文の姿は、居間のどこにも見あたらなかった。

少し待っても戻ってくる様子がないので、彼女の部屋にも行ってみたがそこにもいない。

探そうと思って廊下に出たら……思いの外すぐに見つかった。

 

射命丸文は、縁側に柱に寄りかかって座っていた。

そこはかつて、切嗣が好んでいた場所だ。

そして、今の『衛宮士郎』を決定づけた誓いの場所でもある。

 

天狗の少女は、陽が昇って白み始めた空を見上げていた。

彼女の周囲には、風が意識を持ったようにくるくると渦巻いている。

決して、荒々しいものではなくて、ゆっくりと髪を靡かせる程度の優しい風。

 

「…………」

 

幻想的な姿に少しの間、声も掛けられずに見惚れてしまう。

夜明けの空と、作り物のような少女の顔も相まって、本当に美しい光景だった。

朝靄の澄んだ空気も冷たく、二日酔いの気付けになりそうだ。

彼女もまた俺と似た理由で、冷たい空気に身を晒しているのか。そうだったら少し嬉しい。

 

彼女の手には、グラスが握られていた。

傍らには、文が幻想郷から持参したという一升瓶。グラスの中身も同じものだろう。

 

「――士郎さん、おはようございます」

 

文はとっくに俺に気づいていたようだ。

赤色の視線をゆっくりと俺に向け、静かに手を上げる。

 

「おはよう、文。まだ飲んでるのか?」

「ええ、少し飲み足りなくて。……士郎さんもどうですか?」

 

自分の持ったグラスを俺に差し出してきた。

誘いを断るのは気が引けるが、頭痛を抱えたままでの飲酒は遠慮したい。

 

「いや、やめておくよ」

「そうですか。ちょっとだけ残念」

 

グラスを口に傾けて、三分の一ほど残っていたそれを一気に飲み干した。

俺は彼女の側まで歩いて、二人並ぶように縁側に座った。

 

「ここでの生活はどうだ?」

 

何気なく彼女に尋ねた。

特に意味のない質問だったが、少女はにっこりと笑ってくれた。

 

「ええ、とても楽しいですよ。寒さや餓えに苦しむことはなさそうですし、なにより報道や情報が発展しています。そこには嘘も混じってますけど、それも受け手次第でしょう」

「報道についてはわからないけど。楽しいと言ってくれるなら俺も嬉しい」

「ただ――」

 

少女が再び視線を朝空へと移した。

 

「この世界には、私のような妖怪はいないのですね」

「妖怪?」

「幻想郷での妖怪は、人間の奇妙な隣人です。相互依存の持ちつ持たれつの関係で成り立っています。では、この世界の伝承に伝わる妖怪たちは、どこに行ってしまったのでしょうか?」

 

え――? それはだって、文が自分で言ってたじゃないか。

 

「幻想郷じゃないのか?」

「……違います。残念なことに、ここは幻想郷の外ではありません。違和感は最初からありました。……確信を持てたのはついさっきですけどね。どうやら私は似ているようで、異なる世界に来てしまったみたいです」

 

手に持ったグラスに酒を再び注ぐと、口へと運んだ。

色素の薄い小さな唇が酒に濡れて、どこか艶っぽく見える。

 

「私は聖杯の力によってここにいられますが、世界から拒絶されているのがわかります。――それこそ、気を抜くと今でも味わえる。自分が薄くなって消えてしまうような恐ろしい感覚」

 

少女は儚げに笑った。そう笑いながら、酒を飲む。

 

「……どうやら幻想たる私は、この世界に相当嫌われているようですね」

 

魔術師の世界での話。

世界は、秩序という名のルールに厳しく、矛盾を極端に嫌うという。

不自然なものは、自然なものへと修正が働く。

つまり烏天狗の少女は、存在そのものが世界にとって矛盾していた。

 

「遠い昔、この世界にいた妖怪たちは何かを……そう、生きた証を残すことができたのでしょうか。それとも――」

 

それ以上は、何も語らなかった。

東方から顔を覗かせる日輪にグラスを掲げると、文は軽く一礼をする。

そして、グラスに残った幻想郷の酒を、最後の一滴まで味わうように飲み干した。

 

「ふふ。これでこのお酒も空になりました。ああ、少しは酔えたかな……」

 

少女の周囲を取り巻いていた風が空へと上り、大気と混じり合うように霧散した。

 

 

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