文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars.   作:悠里@

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27.銀糸の橋

 

 

ゆっくりと、しかし確実に太陽が昇っていく。

東の空が一瞬だけ朱く染まる、朝の黄昏。

 

少女の赤い瞳に陽が差すと、淡く光り始めた。

赤い光を乱反射させる瞳は人外の証明であり、他に例えようのない美しさがあった。

少女は空のグラスを縁側に置くと、注がれる陽光に身を委ねた。

 

「…………」

 

俺たち二人は、そんないま生まれたばかりの世界に揺蕩っていた。

本当に静かな朝だった。

こんなふうにゆっくりと時に身を任せたのはいつ以来だろうか。

まさか聖杯戦争の最中に、こんな気分を味わえるとは思えなかった。

 

だけど、安らぎと安寧のなかに身を置いていると胸が痛くなってしまう。

これは、10年前から癒えずに燻りを続ける大きな傷だった。

この痛みを感じる度に、俺には人として幸せになる権利はないと思う。

……いや、事実そうだろう。何故なら俺は。

 

「シロウー! そんなところで何してるのー?」

 

廊下を走る音が、小さな足音が聞こえてきた。

思考を切り替えて、音の方向へ顔を向ける。

そこには、パタパタとこちらに向かってくるイリヤの姿があった。

あれからすぐに目を覚ましたのだろう。

 

「お兄ちゃーん!」

 

そして小走りまま俺に向かって、フライングアタックを敢行した。

 

「ん? ……フライングアタック!?」

 

小さな少女が、俺の胸に飛び込むと、トスンと軽い衝撃が走った。

イリヤの体型では、いくら勢いをつけても大して痛くない。

 

「ッッ……!!」

 

のだが、ライダーに手酷くやられた傷は悲鳴を上げていた。

だが一人の男として、少女の前で苦痛に顔を歪ませるわけにはいかない。

歯をギリギリと食い縛って、何でもないように耐える。耐え続ける。

 

「んふふふ」

 

イリヤは俺に甘えるように身を擦り寄せた。服から血が滲んでないか心配だった。

 

「えへへ。お兄ちゃんの体って温かいね」

「……お、おい」

 

このぐらい年齢の子供に甘えられるのはそう悪い気はしない。

それでも、少し気恥ずかしく感じてしまう。

イリヤは俺の心音を確認するように、目を閉じて胸に耳を当てた。

 

「トクン、トクンって聞こえるわ。でもちょっと鼓動が早いね」

「そ、そうなのか……」

 

緊張してないと言えば嘘になる。だけど、緊張しているとは言えない状況だった。

銀色の長い髪が俺の肌に触れて、妙にむず痒く感じる。

 

「ニヤニヤ」

 

文に助けを求めようと視線を向けたが、そこにはカメラを構えたパパラッチがいた。

……くそう、いつの間にカメラを用意したんだ。

そう呆気に取られているうちに、シャッターを切られてしまった。

 

「縁側で朝日を浴びる銀髪の美少女。そんな少女を優しげに抱きしめるお兄ちゃん。とても素晴らしいフレーミングです」

 

実際は、間抜け顔の俺に寄り添う少女という一枚が撮れたに違いない。

文は口元を緩ませながらフィルムを巻き上げて、再びファインダーを覗く。

 

「あー。写真を撮る時は、被写体に断りを入れないと駄目なんだよー」

「私は今まで被写体に断りを入れた覚えがないから大丈夫です」

 

文は、イリヤの非難を無視してもう一枚パシャリと撮る。どんな理屈だ。

 

「むー。アヤには女性としての慎ましさとデリカシーが足りないわね」

「失敬な。記者に対する誹謗中傷として、あることないこと新聞に書きますよ」

 

だけど、それを言うイリヤも俺から離れようとしない。

この少女の慎ましさとデリカシーは、どこへいってしまったのか。

それよりも文の発言が一番の問題だった。新聞を捏造すると自白していた。

 

こんな状況では、文に助けを求めても無駄のようだ。

だかといって、楽しそうにしているイリヤに退くように頼むのも心苦しい。

それなら理由を付けて、この場を離れるのがいいだろう。

 

「文、イリヤ。腹が減ってるだろ? 朝食を作るよ」

「私はまだいいです」

「お腹減ってないー」

 

息ぴったりに俺の提案は却下される。

頼むから空気を読んでくれ。この場合に読むのは空気じゃなくて、俺の心情か。

それに二人揃って笑っているし、単に俺がからかわれただけか?

命の駆け引きをした関係なのに、どうしてこうも息がぴったりなんだろう。

……女の子って怖い。

 

さて、他に何を言えば、この場から自然に離れられるのか。

……あ、そうだそうだ。これなら絶対に問題ないはず。

 

「じゃあ、俺は魔術の鍛錬に行くよ。最近はサボりがちだから、そろそろ身体が鈍りそうだし」

 

この理由なら、問題なくここから逃げ出せる。

それに、ここ最近鍛錬を休んでいたのは事実だ。我ながら完璧な作戦だった。

 

「シロウの魔術の練習? 見てみたいー!」

 

俺の胸元に顔を埋めていたイリヤが、上目遣いでそんなことを言う。

 

「それなら私もいいですか。少し興味がありますので」

 

まさかの文まで関心を示した。

こうして、完璧だったはずの俺の作戦はあえなく潰えてしまった。

 

「……俺の魔術の鍛錬なんか見ても面白くないぞ」

 

実際、面白いものじゃない。

俺が一人で棒切れを持ちながら、一時間ぐらい唸っているだけだ。

 

「シロウのやることだもの。面白いに決まっているわ」

「つまらなそうだったら、すぐに見切りを付けるので大丈夫です」

 

本当に見せたくないのだが、この二人に何を言っても無駄そうだった。

 

「ふふー。なにかいい匂いがするね」

 

このままイリヤを懐に抱えているよりかは、いくらかマシかもしれない。

 

 

 

 

「へぇ、ここがシロウの工房なんだ」

「みたいですね。実は私もここで召喚されました」

 

イリヤは興味深げに、文は懐かしむように辺りを見渡す。

ここにあるのは俺が集めたガラクタばかりで、面白いものなんてないはずだけど。

 

「……魔術工房と呼べるほど立派じゃないけどな。せいぜい鍛錬場がいいとこだ」

 

魔術品らしいものなんて、俺が投影したガラクタが関の山だろう。

探せば切嗣が遺した魔術品があるかもしれないが、俺には判別が付かないし。

 

「私が召喚されたのは確かこの辺りですね。初めはここが士郎さんの家だと勘違いしていましたよ」

「ふふ、アヤって意外とお馬鹿なのね。こんな埃まみれの物置に人が住むわけないじゃない。……んーと、この魔法陣かな。……あれ? でもこれって召喚用じゃないよ?」

 

俺の話は誰も聞いていなかった。二人が仲睦まじいようでなによりだけど。

今更気づいたが、文とイリヤは意外と相性が良いというか、単純に仲が良い。

あれは忘れもしない、聖杯戦争の初日。

文はイリヤを人質に取って、バーサーカー相手に脅迫していた。

それからまだ数日しか経ってないのに、どうしてこうも仲良くなれるのか。

あの時の脅迫は、今後の禍根になると心配していたが、どうやら杞憂だったようだ。

もし聖杯戦争以外で知り合えたのなら、二人は本当の意味で友達になれたかもしれないな。

 

「ねえ、これってシロウが描いたの?」

「いや、違う。文が召喚されるまで、そんなものがあるのも知らなかったし」

 

おそらくは、切嗣が遺したものなんだろうけど詳細は一切不明だ。

 

「ふーん、そうなんだ。召喚陣以外で召喚されるサーヴァント……。だからこんなにデタラメなのね」

「デタラメとか言わないでください! 私でも多少は傷つきますから!」

 

冗談半分で憤る文を見て、イリヤがクスクスと笑う。微笑ましい光景だった。

 

「じゃあ、今から鍛錬するけど……本当に見ていくのか?」

「うん。見てみたいわ」

「はい。多分新聞には載らないでしょうけど」

 

二人とも同時に頷く。どうやら本気だった。

もはや何を言っても無駄だと諦めて、いつもの定位置に座った。

手近にあった木刀を手に取り、強化の魔術を行使するため意識を集中させる。

人に鍛錬を見られるなんて初めてだが、こうして集中してしまえば関係はない。

 

瞼を閉じて、イメージする。

 

目には見えず、手にも取れない焼けた火箸をずぶずぶと背骨に刺す。

背骨に魔術用の第二の神経を作るのだ。

――激痛が走った。この痛みは何年たっても慣れそうもない。

そして、疑似神経と呼ばれる魔術回路を生成する――。

 

『――同調開始(トレース・オン)

 

魔術回路に紫電が走った。

大気から大源を汲み上げて、魔力に変換。素材を解析して魔力を流し込む。

 

「…………」

 

木刀の強化に成功した。

見た目に変化はないが、鋼鉄以上の強度があるはず。

聖杯戦争が始まるまでは一割の成功率だったが、ここ最近はかなり調子がいい。

自分ではわからない何かが刺激になり、俺に良い影響を与えているかもしれない。

 

「……ふわ」

 

その影響を一番に担ってそうな天狗の少女は、俺の背後で欠伸をしていた。

振り向いて目が合ったら、ばつが悪そうに苦笑いをする。

俺の魔術の鍛錬は派手さがなく、見ても面白くはない。

だからと言って、傷つかないほど無神経でもなかった。畜生。

 

イリヤに至っては、もはや寝ているのでは……?

そう思って、彼女に視線を移してみたが、そんなことはなく。

イリヤは聖杯戦争の時と同じような、真剣な顔をしていた。

 

「――ねえ、シロウ。どうして魔術回路を生成しているの?」

「え?」

 

当然の疑問のように少女が言っているが、俺にはその言葉の意味が解らない。

 

「……もしかして知らなかったの? 本来魔術師は毎回そうやって魔術回路を作ったりはしないわ」

「どういうことだ? 詳しく教えてほしい」

「えっとね。魔術師は魔術回路を一度開けば、スイッチのようにオンオフで切り替えられるの。そんなやり方をしているようだと命がいくつあっても足りないよ」

「そ、そうなのか?」

 

イリヤの言う通りなら、何年間もの俺の努力は無駄だったのか。

魔術を行使する以前に、魔術回路の生成に失敗することは何回もあった。

死にかけたのだって、一度や二度じゃない。

これが本来一度だけで済むものだとしたら、しばらくは放心しかねない事実だった。

 

「もー、キリツグも何でちゃんと教えないのかな」

 

驚愕の事実に打ちひしがれると、白い少女がよく知った名前を呟いた気がした。

 

「イリヤ、今なんて言っ――……!!」

 

イリヤと目が合った途端、身体が動かなくなる。

紅玉をはめ込んだような瞳に捕らわれて、瞬きすら許されない。

 

「シロウってば、守りも何もないんだもの。こんな簡単に掛かっちゃうなんて」

 

金縛りに掛かったように体が硬直して、声を出そうとしても変な呼吸音が漏れるだけだった。

 

……イリヤは、俺をどうするつもりだ?

まさか敵マスターとしてこのまま殺すつもりなのか? 文の見ている前で?

イリヤは、霊体化したバーサーカーを連れているはず。

そうだとしても、彼女の速度の前では無謀でしかない。

俺に危害を与えた瞬間に殺されてしまう。今のこの状態だって、相当な綱渡りだ。

後ろは振り向けないから、文の様子は確認できない。

天狗の少女が今どんな顔をしているのか……それが一番怖かった。

 

「ごめんなさい、お兄ちゃん。少しだけ我慢してて」

 

イリヤは意を決したかのように、座ったまま動けないでいる俺に身を乗り出した。

そして何を思ったのか、少女はそのまま顔を近づけてる。

あと数センチでお互いに触れかねない距離。白磁のように白い顔から目を離せない。

 

間近で見るとその白い少女の顔は、正確に測ったような端正な顔立ちであるのに気づく。

あと何年かすれば、誰もが振り返る美人になりそうだ――。

 

…………?

 

そう考えているうちに、イリヤの小さな唇が、俺の唇に触れた。

全神経がそこに集中しているように、瑞々しい感触が伝わってくる。

 

「ん――んん……」

 

少女の湿った吐息が唇の隙間から漏れて、お互いの顔を少し濡らした。

幼くて白い顔が、とても紅潮している。

俺の顔も同様か、それ以上に赤くなっているのは間違いない。

 

「はわわわわ……」

 

背後から、文の変な声が聞こえてきた。

このタイミングで、シャッターを切る音がしなかったのは幸いだった。

いつもの文なら、シャッターチャンスとばかりに写真を撮っていたはずだ。

そうどうでもよく考えたら、今度は少女の舌が俺の口内に侵入してくる。

 

「ん……シロウ、苦しくない?」

 

決して苦しくはなかったが、俺には声を出す権利も与えられていない。

口を閉じようにも、喉を鳴らそうにも、ぴくりとも動かない。

躊躇いがちな小さな舌が、俺の口内を探る。

俺の舌と触れ合うと、熱を持った液体が流し込まれた。

少しだけ粘度のある液体は……もしかして少女自身の体液なのか。

正体は不明だったが、その液体はとても熱くて、甘かった。

 

流し込まれた熱い液体を、自分の意思とは無関係に飲み込んでしまう。

食道を通り過ぎ、胃までに到達する。

まるで灼けるような熱を持って、意識を朦朧とさせた。

 

だけど、それは苦しくもなく、不快でもない。……甘美な痺れとでも言うべきか。

脳がゆっくりと抵抗をやめて、強張った全身の力が抜けていく。

 

少女は俺が液体を飲み込んだのを確認したら、ようやく唇を離す。

つう、と一本の銀糸が俺とイリヤを繋ぐように掛かったが、その儚い橋はすぐに壊れた。

 

「ぐ、うううう……!」

 

俺の体内で、イリヤから流し込まれた液体が暴れ出した。

視界が徐々に歪んでいって、耳鳴りも聞こえる。

それなのに、少しも嫌な気持ちにならないのが不思議だ。

俺を見つめるイリヤは真剣な表情だったが、頬は照れくさそうに赤く染まっている。

 

「……ちょっと辛いだろうけど我慢してね。これで強制的に魔術回路がオンになったはず。頭でスイッチをイメージできれば、簡単に魔術回路をオンオフができるわ」

 

スイッチ……。

そう言われても、甘く痺れた頭では理解できない。

それよりも俺の思考力は、今起きたショッキングな出来事のほうを優先している。

 

暫くすると腹のなかが静まり、視界も回復していった。

何かが、全身の隅から隅までに染み渡った感じだ。

 

「じゃあ、暗示を解くね」

 

イリヤと目が合うと、今までが嘘のように体が動き出す。

 

「シロウ、大丈夫?」

「……ああ、だけどなんだってこんなことを」

 

おおよその察しは付いているが、流石に確認せずにはいられない。

 

「……ごめんなさい。でも今ある間に合わせで魔術回路を開いたままにする方法がこれしかなかったの。そのまま伝えたらお兄ちゃん絶対に嫌がるだろうし、だから暗示を掛けさせてもらったわ」

 

イリヤは頬を染めつつも、少し気まずそうに真相を伝える。

心臓は、さっきからずっと早鐘を打っていた。決して嫌じゃなかった。

俺がこんなんじゃとてもイリヤを責められそうもない。

 

「……いや、イリヤには助けられたよ。ありがとう」

「どういたしまして。えへへー」

 

少女は目を細めて笑った。そのまま嬉しそうに抱きついてくる。

 

「うわ! 急にやるなって!」

「だって、シロウが好きなんだからしょうがないじゃない!」

 

そのまま何かを上書きするように、頬ずりを繰り返す。

 

そういえば……さっきからずっと文の反応がない。

ようやく動くようになった身体で、後ろを振り向いた。

 

「……………………」

 

そこには、俺たちよりも更に赤い顔で呆けていた射命丸文がいた。

 

何もない中空をぼうっと見ており、視線が定まらずにいる。

まさに心ここにあらずと言った有様だった。

もしかすると、ここで一番動揺していたのは、この天狗の少女だったかもしれない。

 

 

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