文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars. 作:悠里@
慎二は、家に戻っているだろうか。
サーヴァントを失ったとしても、あいつが聖杯戦争のマスターであるのは変わらない。
そんな状態で、町中をふらつくのは自殺行為だ。
教会に保護されている可能性もあるが、今は新都よりも先に同じ深山町の間桐邸に行くべきだろう。
「慎二は家にいると思うか?」
「さあ、多分いるんじゃないですかね?」
天狗装備を外した文は、どこかとぼけた様子を見せる。
それでも、妙に確信めいた言い方をしていた。
ライダー戦の後、二人の間に何かあったのかもしれない。
そう考えているうちに、目的地である間桐邸に着いた。
開けっ放しだった正門を通って、呼び鈴を押す。
「…………?」
しばらく待っても、反応がない。
昨日から学園は例の事件で休みだし、桜も家にいるはず。
荒らされた形跡もないので、何者かに襲撃されたとも考えにくい。
だけど何度も鳴らしても反応がなく、胸騒ぎのような不安を覚えてしまう。
無断で踏み込もうかと考えた矢先、木製の扉がゆっくりと悲鳴を上げた。
「あ、先輩……?」
開かれた扉の先には桜がいた。
扉にもたれ掛かるように体重を預けており、どこか様子がおかしい。
顔にいつもの血色がなく、血の気が引いたように蒼白くなっていた。
両眼も一晩中泣き明かしたのか、赤く腫れぼったい。
そうして、俯いたまま視線を合わせてくれない彼女の姿に覚えがあった。
それは初めて桜と会った中学生の頃の、慎二から紹介を受けた時の彼女とそっくりだった。
そんな桜を見て、咄嗟に思いつくのは一つだけ――。
「桜! 慎二にまた何かされたのか!?」
慎二は、かつて妹である桜に対して、日常的に暴力を振るっていた。
サーヴァントを失った慎二の怒りが、真っ先に向かいそうな相手は桜だ。
その考えに今まで至れなかった俺は、どうしようもなく間抜けだった。
やはり、昨夜のうちに慎二と会うべきだったのだ。
桜の顔に殴られたような傷はないが、これは容認できる状態じゃない。
しかし、桜は悲しそうな顔のまま首を左右に振った。
「……いいえ、兄さんには何もされていません」
「じゃあ、どうしたって言うんだ!?」
「…………!」
思わず、桜の細い肩を乱暴に掴んでしまう。
彼女の肩は細かく震えており、何かに耐えているよう萎縮していた。
「そ、そんなの……」
俺から目を逸らしていた桜が、苛立ちを覚えたように視線を向ける。
「そんなの! 決まってるじゃないですか! 一昨日学園で何があったのか先輩なら知ってるでしょう!?」
「……あ」
そうだった。
世間ではガス爆発の扱いになっているが、学園の生徒がライダーの宝具に巻き込まれたのだ。
死んでしまった生徒のなかに、もしかしたら桜の友達もいたかもしれない。
それならこれは同じ学園の仲間として、正常の反応だ。馬鹿な自分に恥ずかしくなる。
「そ、それがどうしたですって!? 白々しいですね!? 私を責めに来たんでしょう!? それとも先輩が私を殺してくれますか?!」
「桜……?」
しかし、桜の反応は俺の想像とは違っていた。
自嘲に歪んだ笑みを一瞬だけ浮かばせて、赤く腫れた目から涙が止まらない。
「あ、あ……あ、ああああああ!!」
自分の発言に絶句したかのように、桜が目を大きく見開く。
「……ご、ごめんなさい先輩。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
桜は肩に置かれた俺の手を振り解くと、顔を両手で押さえて泣き崩れてしまった。
「う、うう……うう、ううあああああああ……!」
「……桜?」
俺たちがこうして見ていても、桜は声を上げて泣くのを止めない。
……おかしい。何かがおかしい。
桜の言っている言葉の意味が全くわからない。
今の桜は、亡くなった人たちに向ける哀悼や憐憫とも違った、別の激情に飲まれている。
「そっとしておいてあげましょうか」
これまでずっと黙っていた文がしれっと言った。
「こんな状態の桜を放っておけるわけがないだろ!」
そんな無関心とも取れる文の態度に、怒りを覚える。
たった一日だけでも、一緒に食事を共にした仲じゃないか!
そう言いたかったが、彼女にこんな感情論は通用しない。
文は俺の態度を気にもとめずに、濁りのない赤い目で俺を真っ直ぐに見た。
「士郎さん、あなたが桜さんにできることは何一つありません。下手な慰めは余計に彼女を傷つけるだけ」
文も何を言っているんだ……?
何もわからない。何もわからないが、文と桜の二人に何かがあった。
俺の知らないところで、重大な何かが終わってしまっている。
「……桜に何かあったかのか?」
「桜さんは、己の罪と向き合っています」
「罪……?」
意味がわからなかった。
この優しい少女に罪なんてあるはずがないからだ。
「その誰もが逃げ出したくなるような罪から目を逸らずにいる。それこそが彼女がやっとの思いで積み上げてきた人間らしさなんでしょう」
「それって……」
やはりわからない。だが、文は俺の知らない桜を知っている。
数年の付き合いがある俺以上に、射命丸文は間桐桜という女の子を理解している。
「桜の罪って……」
それが何かを聞き出そうとしたが、教えてくれるとは思えなかった。
いくら俺でも、彼女が婉曲的な言い回しをしているのはわかったから。
「内緒です」
少女が自分の人差し指を、俺の口の上に置く。
「それは私からではなく、彼女の口から聞いてください」
理解が追いつかず、頭が混乱しそうだ。
「ですが今はまだ早い。……そうですね。聖杯戦争が終わって、何もかもが落ち着いてからでしょうか。彼女がどんな結論を出すのか楽しみですが、その時にはもう私はここにいないかな」
……今まで、本当の家族のように接してきた桜に何もできないというのか?
こんな状態の桜をただ見ているだけだなんて、俺はもう彼女の兄貴分を名乗れない。
それでも、俺が彼女にできる何かがあると……そう思いたかった。
しかしこちらに背を向けて泣き続ける桜は、明らかに俺という存在を拒絶していた。
「桜……俺に何かできることがあるならすぐに連絡をくれ。何があっても飛んでいくから」
桜は俺の言葉に反応を見せずに、ただただ嗚咽を漏らして泣いていた。
「それでは、慎二さんのところに行きましょうか」
文が俺の手を取った。しっかりと握られた腕は、俺の力じゃ振りほどけそうにもない。
こんな状態の桜を置いていくことに、途轍もない罪悪感を覚えた。
「さあ、行きましょう」
これ以上の問答は不要と、文に引きずられるようにして慎二の部屋へ向かった。
◇
今の学園に進学してから初めて訪れる慎二の部屋。
俺たちが遊ぶ時は、決まって慎二の部屋だった。あの頃にはもう二度と戻れないだろう。
「ふふーん」
隣の少女は、俺の感傷など気づかないように、ノックもせず部屋のドアを開けた。
「こんにちはー。慎二さんお元気ですかー?」
間桐慎二は、確かに部屋にいた。
ベッドの上で布団も掛けず、仰向けの状態で寝ていた。
目は開いており、どこかぼんやりとした様子で天井を眺めている。
俺たちの存在に気づいていないのか、ぴくりとも動かない。
「…………」
俺が顔を覗き込んでも、瞳は揺れずに何の反応を示さない。
慎二の視界に俺は入っているようだが、それを情報として認識できないようだった。
「おい、慎二!」
胡乱なまま横たわる慎二の肩を揺らすと、ゆらりと焦点が俺に合った。
「ああ……衛宮か。どうしたんだ? こんなところで?」
生気が抜けたような淡白な声だった。
感情すべてを、どこか別の場所に置き去りにしたように希薄だった。
「どうしたって……そんなの」
決まっていた。
今の俺たちの間に、聖杯戦争以外の何かがあるはずがない。
しかし慎二は俺の言葉に反応を見せずに、曖昧なまま何かを語り出す。
「眠るとな。夢を見るんだ。その夢のなかで、僕はどこか暗いところにいる。暗いと言ってもな、自分の体はちゃんと見えるんだぜ? あは、はははは。お、おかしいだろ?」
「慎二……? 何を……?」
なんだ、これ? 慎二はどうしてしまったんだ?
「何とか歩こうと思って足に力を入れるんだけど、どうやっても歩けない。……どうしてだと思う? 下半身の足の付け根から先がなくなっているんだ。それも両足ともだぜ? それで、腕すらもないことに気づく」
「……なにを、言っているんだ?」
慎二に俺の声が聞こえていなかった。声を遮るようにぶつぶつと話を続ける。
「手足がないことに驚いて悲鳴を上げようとすると、喉から得体の知れない奇声が出るんだ。キイイイイイイイイってな。……それでようやく理解する。僕の体は四肢がなくなったわけじゃなかったんだと!」
「慎二……おまえ」
「何が起こったと思う? 僕の正体は人間なんかじゃなくて、ぶよぶよした芋虫だったんだよ! ふへへへ、傑作だろ! だけどそれは夢なんかじゃなくて紛れもない現実なんだ! 何でかわかるか? 今この瞬間の僕も間桐慎二という人間の夢を見ている芋虫なんだぜ。ひっひ、ひひひひ」
慎二が乾いた声で笑う。笑い続ける。
慎二はライダーを従えて、俺に攻撃していた時以上の狂気に飲まれていた。
「間桐慎二の夢が覚めたら、また芋虫の僕が這いずっているんだ。傑作だホントに傑作だ。芋虫芋虫芋虫芋虫ひひひひ」
明らかに常軌を逸した慎二の様相に、圧倒されそうになってしまう。
「……おい! 慎二! 一体どうしたんだ!?」
さっきまで無表情だった慎二の顔が、完全な狂気に彩られていた。
眼球が散漫な運動を繰り返して、開いた口の端から涎がダラダラと溢れている。
俺の言葉は何も届かない。
いくら話し掛けても、壊れた玩具のような哄笑が返ってくるだけ。
「何だよこれ……?」
……このベッドに横たわっている男は、本当に間桐慎二なのか?
俺の知っている慎二とあまりにも違いすぎる。別人と言ってもよかった。
どんな時でも、皮肉屋で自尊心が高かったあいつは、どこにいってしまったんだ?
「ああ――慎二さん。あなたは蝶になれましたか?」
部屋の入り口で、遠巻きに様子を眺めていた射命丸文が慎二の側まで寄る。
「お、お……!?」
俺には意に介さずにいた慎二が、一瞬だけ自分を取り戻したように笑うのを止めた。
そのまま、天狗の少女だけを見て動かない。
そして文の存在を認識すると、引きつけのように体を痙攣させた。
「しかし芋虫ってなんでしょうか。あれ、そんな薬じゃないですけどね。やはり、魔術師でもないただの人間には過ぎたものだったのかしら」
尋常でない慎二を気にも留めずに、文は興味深げに上から覗き込んだ。
慎二は悪夢から覚めたように跳ね起きると、ベッドから転げ落ちて部屋の隅へと這いずる。
「は、はっ……! ひぃぃ! ひいいいぃぃぃ!!」
恐怖で身体が竦み上がっており、それでも文からは絶対に目を離さずに部屋の壁を爪でガリガリと削る。
「……わお。何もそんな驚かなくてもいいんじゃないですか? 私、女の子ですよ?」
慎二の狂奔に、文は呆れた感じでクスリと笑った。
「文……慎二はどうしたんだ?」
「うーむ。なんて言えばいいでしょうか。……聞きます?」
「教えてほしい」
「あなたと約束した通り、彼を発見した後に少しばかりお灸を据えました。あ、もちろん危害は加えてませんよ」
そんな約束をした覚えはなかった。
しかし身体に危害は加えていないかも知れないが、この慎二の様子は只事じゃない。
「ですが、その後にちょっとした悪戯心というか好奇心で、胡蝶夢丸ナイトメアを飲ませたんです」
「……胡蝶夢丸って、いつか部屋で見せてくれた薬か?」
しかも飲むように勧められたやつだ。
「ですです。本来の薬効であれば、自分が蝶になって空を飛ぶ夢を見られるんですけど。それが、なぜか本来とは別の形に作用したみたいですね。不思議」
文は、どうしたものやらと困った顔で俺を見る。
そんなふうに見られても、俺もどうしたらいいのかわからない。
ただ、一つだけわかった。
サーヴァントを手に入れた慎二は、自分が魔術師だとずっと言っていた。
だけど結局はその力も借り物で、慎二は何も成し得ていなかった。
芋虫から蝶へ。人から魔術師へ。
ただの人間でしかなかった間桐慎二は結局、魔術師にはなれなかった。
「どーどー。少し落ち着いたらどうですか、慎二さん。私、ちょっとだけ心が痛いです」
天狗の少女は優しく語りかけるが、慎二は顔を引きつらせたまま、首をブンブンと振った。
「あー……その、慎二さんについても、また後日にしませんか? なんだか心神喪失一歩手前といった感じですし」
そう言って、気まずそうに文は頭を掻く。
「ああ、そうだな……」
「慎二さんから、何か有益な情報でも聞き出せたらなと思ったんですけど」
サーヴァントのマスターだった慎二の敵は、何も俺たちだけじゃない。
もしかしたら、他のサーヴァントの情報も掴めていたかもしれなかった。
だが慎二がこんな状態では、その望みも薄そうだ。
慎二もだが、何よりも桜が気がかりだった。
このまま胸に大きなしこりを残したまま、俺たちは間桐邸を後にするのだろうか。
「……りゅ……だ」
その時、膝を抱えて震えていた慎二が何かぼそぼそと呟いた。
「慎二?」
「……りゅ、柳洞寺。柳洞寺だ!!」
「今なんと言いましたか? りゅうどう寺? どこかのお寺ですか?」
「…………!!」
文に顔を覗き込まれた途端、慎二は恐怖を喉に詰まらせて、壁に寄りかかったまま気絶した。
よく見ると、失禁もしている。
……灸を据えたと言っていたが、文は慎二をどんな目に遭わせたんだろうか。
拷問のような手を使って、怪我をさせたわけではないようだが。
「……なあ、文は慎二に何をしたんだ? 薬を飲ませただけじゃないだろ?」
「だから、ちょっとお灸を据えただけですよ」
「いや、ちょっとでこうはならないだろ」
文を見ただけで飛び起きて、その直後に気絶してしまった。
薬の影響もあるだろうが、彼女が致命的な何かをしたのは間違いない。
「うーん。疑り深い士郎さんのためです。その時の状況を実演してみましょう。こほん」
わざとらしく何度か咳払いをする。
……慎二がこんなになった原因の一つだ。
たとえそれが演技だとしても、それ相応の覚悟が必要だろう。
俺は喉をごくりと鳴らして、これから来る衝撃に耐えようとした。
「がおがお! 悪い子は食べちゃうぞー! がおー」
「…………」
…………絶対に嘘だ。
絶対に慎二の前では、そんな可愛らしくなかったはずだ。
イリヤのような甘い子供の声まで作っている。
おまけに両手で怪獣のように構えたポーズまで再現していた。
「いや、何か言ってくださいよ……生殺しですか」
怪獣ポーズのまま、文が突っ込みを待っていた。
自分でも少しやりすぎたと思ったのか、顔が朱色に染まっている。
「可愛かった。ドキドキした」
「ふ……………………いっそ、殺してください」
少女が羞恥に悶えるように、顔を手で隠してしまう。
……俺たちは、失禁して気絶した慎二の隣で何をやっているんだろうか?
「そ、そそそれで、し、士郎さんは『りゅうどう寺』なるものをご存じですか?」
顔を赤くした少女が、話題を急に転換した。
この件をこれ以上深堀するのは止めよう。お互いの傷になりかねない。
「よく知っている。柳洞寺は俺の友人の家でもあるから」
「……な、なるほど。それで、慎二さんの言ってた意味はわかりますか?」
「わからない。でも行ってみる価値はあるかもしれない」
もう慎二の部屋には、用はないだろう。
気絶した慎二をベッドに寝かせて、部屋を後にした。
あいつの犯した罪は何も消えないが、このままでは会話もままならない。
全てが終わった時に、また慎二と会う必要があった。
間桐邸の玄関まで戻ると、さっきまでいたはずの桜の姿がなかった。
「桜……!?」
鼓動が大きく跳ねた。踵を返し、慌てて桜の部屋へと走る。
扉を開けようとノブに手を掛けた時、ドア越しからすすり泣く声が聞こえていた。
「…………」
最悪の事態には至ってなかったが、それでも彼女を慰められる状況でもない。
……何もできない自分が悔しくて、音が鳴るまで歯を噛み締めた。
このままドアノブを捻っても、何の解決にもならないだろう。
この結果もまた、聖杯戦争が産んだ一つの爪痕なのだろうか。
それは、桜だけではない。
このふざけた戦いで、誰かが泣くような事態はまた起こり得る。
そんなことは、絶対に許されてはいけない。
ならば、聖杯戦争を少しでも早く終わらせる、それが俺にできる最短の道だ。