文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars. 作:悠里@
「――おかえり、衛宮くん。その様子だと大丈夫そうね」
ボロボロの身体を引きずりながら、家に帰ると穂群原学園のアイドルである遠坂が居間でお茶を啜っていた。
彼女は普段見慣れた制服ではなく、赤を基調としたセーターと黒のスカートという私服姿だった。
我が家のロータイプの食卓には、茶箪笥の奥に隠していたはずの高級な茶筒が置かれており、それで淹れたお茶を我が物顔で飲んでいる。
……藤ねえでも見つけられなかった一品なのに「よくも見つけられたな」と混乱した思考で感心してしまう。
なぜかクーフーリンに襲撃の際に割れたはずの窓ガラスもすべて元の状態に戻っていた。
ぐるりと見渡しても、荒れ果てた痕跡はなにも見当たらない。
いつもの俺の家だった。もっとも、ここに遠坂がいることを除けば、だが。
……実は、窓ガラスは元から割れておらず、一連の出来事はすべて夢ではないか。
そして、俺はまだ夢のなかにいるのかもしれない。
密かに憧れていた遠坂凛が、俺の家の居間で茶を楽しんでいるなんて不自然が過ぎる。
「どうしたの? 鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして。……ま、あんたの家だから別にどうでもいいけど」
本当にどうでもよさそうに呟くと食卓に湯飲みを置いて、一息つく。
「……そうね。いろいろと言いたいことはあるけど、まさか衛宮くんが魔術師だったとはね。土蔵にサーヴァント召喚の形跡があって驚かされたわ。あんたがランサーに襲われていると思って急いで来てみたら誰もいなかったし。それから2時間以上も待たされるなんて思わなかったわよ」
遠坂が変なことを言っている。
だけど、その言い方だとまるで遠坂自身も魔術師みたいじゃないか。
いまになって思い出してみれば、家に明かりが付いていたし、玄関には見覚えのない靴が一足あった。
その程度の違和感に気づけないほど、頭が回らなかった自分の間抜けさに辟易する。
……しかし、学園での遠坂とは違って砕けた話し方だ。
こっちが彼女の本性だとすると、俺の知っている遠坂は猫を被っていたのか?
「で、衛宮くんのサーヴァントはどこなの? 敵対する魔術師を前にずいぶんと余裕そうね」
遠坂の話している内容に理解が追いつかない。
どうも、俺がすべての事情を把握しているのを前提にしているようにも思える。
それに余裕があるのは俺ではなく、人の家で秘蔵の玉露を飲みながらくつろぐ遠坂だろう。
……怖そうだから、突っ込まないが。
――そんなとぼけたことを考えていると、軽快な足音が聞こえてきた。
「いやはや、もしやと思いましたが、やはり土蔵にありましたよ。私としたことが仕事道具を忘れてしまうなんて、職業意識が足りなかったのでしょうか」
『忘れ物を思い出しましたので、先に行ってください』
玄関先で、そう言い残して別れた天狗の少女が照れくさそうに姿を現す。
その肩には、彼女の忘れ物だと思われる旅行鞄を担いでいた。
下駄のような変な靴を脱いだせいか、彼女の身長は決して背の高くない俺よりも頭一つ分は小さい。
桜と同じか、それよりも小さいんじゃないだろうか。
ここまで小柄な体なのに、軽々と俺を抱き上げた事実に改めてショックを受ける。
「あ、士郎さんのご家族の方ですかね。初めまして、私、射命丸文と言います」
彼女の形の良い口から出たのは、大きな勘違いが含んだ挨拶だった。
「……いや、遠坂は家族じゃなくて、俺の通っている学園の同級生だ」
変に勘違いされたままだと遠坂にも悪いし、ここはちゃんと訂正すべきだろう。
そんな小さな勘違いよりも、重大な問題が山積している気もするけど。
「あれ、そうなんですか? それはそれは失礼しました」
突然現れた少女に遠坂は目を鋭くさせ、真贋を見定めようと睨みつける。
その視線に文は、何が何やらとへらへらとした態度で受け流した。
「……もしかして、その娘が衛宮君のサーヴァントなの?」
余裕の態度を崩さないが、遠坂は警戒心を剥き出しにする。
かたや天狗の少女は、場の空気が読めないのか読む気がないのか、はてと首をかしげるだけだった。
「でもこの感じ……エーテルじゃなさそう。そもそも、真名を隠さないサーヴァントなんて……」
誰に言うまでもなく、遠坂は独りごちる。
俺たちは、遠坂の話がまるで要領を得ていないため、会話が噛み合いそうにもない。
そもそもとして『サーヴァント』という言葉を何度も聞いているが、それが何なのかもわからない。
それでも、今はいちばんに知りたい疑問を遠坂に投げかけた。
「えっと、遠坂は、もしかして魔術師なのか?」
「は――?」
その疑問に遠坂は俺たちと同じか、もしくはそれ以上に困惑を露わにするが、無視して話を続ける。
これまでの状況を整理するに、遠坂がすべての答えを持っていそうだったからだ。
「俺は……いや、ここにいる文も、自分たちの置かれている事情をわかっていないんだ。いま冬木に何が起きているんだ? もしかしなくても、遠坂は何か知っているのか?」
なるべく真剣な表情を作り、詰め寄るように疑問を吐き出した。
隣で文が何かを納得したようにポンと手を叩いたが、頼むからいまは空気を読んだ発言であってほしい。
「『サーヴァント』という言葉を聞いたのは、あの全身青タイツ男と合わせて二回目です。状況から察するに『サーヴァント』とは『召喚された者』を指す言葉ではないでしょうか。だとしても『サーヴァント』は直訳すると『使用人』や『奴隷』と言う意味です。まあ、これは、随分な呼ばれ方ですね」
『サーヴァント=召喚された者』……そう仮定すると、確かに今までの出来事が幾つか繋がってくる。
そして、今の遠坂の顔は『絶句』という言葉しか思い浮かばないほど酷いものだった。
……俺たちは、そこまで変な質問をしてしまったのか?
遠坂は僅かに居住まいを崩すと、俺たちの腹を探るのに飽きたのか、大きく溜息を吐いた。
「はぁ……どうやら、本当に嘘を言っている様子じゃなさそうね。これでもし嘘だったら大した名優だわ。この調子だとあなたたちもしかして『聖杯戦争』すら知らないとか?」
俺と文は、お互いの顔を見合わせるが「うへへへ」と苦笑いをするだけだった。ちょっと照れくさい。
それを見た遠坂は緊張を完全に解いて、呆れるように眉間を抑えた。
「まさかとは思ったけど、本当に何も知らないようね。『セイバー』は召喚されたサーヴァントには、聖杯から知識が与えられると言ってたのに」
湯飲みに残ったお茶を飲み干すと、気を取り直すように居住まいを正した。
「まず、衛宮君の質問だけど、私は確かに魔術師よ。それと、冬木の土地を管理するセカンドオーナーをやっているわ。あんたも魔術師なんだから、同じ土地に住む同業者ぐらいは知っておきなさい。ズブの素人じゃあるまいし」
『俺は、強化の魔術しか使えない半人前なんだけどな』と言いかけたが、話の腰を折りそうなので黙っておく。
「ふむふむ、セカンドオーナー。つまり、この土地の地主みたいなものでしょうか」
文は旅行鞄を降ろして、遠坂の話を興味深げに手帳へ書き写しだした。
「とにかく、この冬木はいま聖杯戦争が起きているわ。魔術師と、その魔術師によって喚ばれたサーヴァントによる聖杯を賭けた戦い。それを私たち魔術師の間で聖杯戦争と呼んでいるの。そして、賭けるチップは自分の命」
遠坂は話を尚も続ける。それを要約するとこうだ。
冬木には、聖杯という人々のどんな願いを叶えられる願望機があるらしい。
聖杯は、冬木の地により数十年に一度のペースで顕現される。
その聖杯を得ようと、七人の魔術師と七騎のサーヴァントによって聖杯戦争が起きるという。
魔術師は聖杯の力を借り、七つのクラスに嵌められたサーヴァントと呼ばれる英霊を召喚し。
絶対命令権である令呪の力により己のサーヴァントを使役して、残りの一組になるまで殺し合いを続ける。
そして、残った魔術師とサーヴァントが聖杯を手に入れ、願いを叶えることができる――――。
「なんだよ、それ」
ふざけた話に頭がカッと熱くなり、固く握られていた拳に爪が食い込む。
――ふざけている。
自分本位の願いを叶えるためだけに、他人と命を奪い合うだって!?
俺たちは、そんなくだらないものに巻き込まれたというのか。
俺と遠坂は、食卓を挟む形で対面している。
隣に座る少女は、遠坂の話に驚きも見せずに、僅かな感心を示していた。
「なるほど。実に興味深い話でしたね。これまでの一連の出来事が一本の線として繋がりました。いろいろと疑問解決で今夜はぐっすりと眠れそうです」
ふむふむと何度も頷きながら、軽快なリズムで筆を走らせ手帳に遠坂の話を書き留める。
ここで文は何か気づいたのか、ピタリと筆を止めた。
「……しかし、しかしですよ。いまの話によると、私たちと凛さんは敵対した立場です。仮にですが、この場で私たちに襲われる可能性は考えなかったんですか?」
物騒な話だが、文の疑問はもっともだ。
サーヴァント召喚の痕跡を見つけた遠坂は、俺たちがここまで何も知らないとは思っていなかったらしい。
だったら遠坂凛からすれば、眼前の衛宮士郎は倒すべきマスターと考えるのが当然の思考なのだ。
敵陣であるはずの俺の家で、無防備に待ち構えるのはあまりにも不合理だった。
遠坂は文の疑問に一寸間を置いて、こう答えた。
「ええ、大丈夫よ。だって、『私たち』はそれもコミコミでここにいるのだから――」
その直後、俺のすぐ背面からガタンという物音――。
途端、家に張られていた防犯の結界が警報を鳴らす。
「士郎さん!!」
烏天狗の少女が、初めて声を荒げた。
その声が耳に届いたときにはもう、俺の首に『見えない何か』が当てられていた。
「――!!」
それは不可視の刃だった、目には見えないが、刃の鋭い感触が首筋から伝わってくる。
そして俺のすぐ後ろに誰かが、いる!
「動くな。お前の命は私が握っていると知りなさい」
文や遠坂とは違う少女の気丈ではっきりとした声。しかしそれは気高さとともに殺意を孕んだ声だった。
「そこの間抜けなサーヴァントも同様だ。少しでも妙な動きを取ると貴様のマスターの首が飛ぶことになるぞ」
背後から伝わるこの万人にも及ぶ存在感。
それを今まで隠蔽し、結界にも反応しないようどこかに身を潜めていたのか――?
「――凛、このまま切り捨てますか?」
カチャリ、と鍔の鳴る音。首筋の皮が少し切れて、鋭い痛みが走った。
「くっ……!」
少女の持つ不可視の刃の正体――それはおそらく剣だ。
それに、この不可視の剣には見覚えがある。
学園の校庭で、槍の男と対峙していた少女の剣に間違いない。
じゃあ俺の背後にいるのは、あの場所にいた金髪の少女なのか?
そして遠坂曰く、聖杯戦争においての最良のサーヴァント――。
「セイバー、なのか……?」
「そう、私は最良のサーヴァントであるセイバーを引き当てた。アサシンでもない限り、サーヴァント同士が接近すれば互い気配で分かるらしいけどね。あんたのサーヴァントは相当ポンコツなのか、それとも何か特殊な事情があるのかしら。こんな簡単な手段が通用するなんて」
遠坂はそれだけ言うと、敵意を僅かに崩してみせる。
「セイバー、もういいわ。剣を収めてちょうだい」
「ですが、リン。これは好機です。……無礼を承知で進言します。これを見逃すのは愚策でしょう。当初の予定通り、このままサーヴァントともども仕留めるべきです」
「衛宮くん程度が相手なら、いつでもやれるわ。たったいま聖杯戦争を知ったばかりのこいつらを殺るなんてフェアじゃないし。それに私は、聖杯戦争に参加するかどうかも衛宮くんの口から聞いていない」
「……はい、わかりました」
剣の少女は納得がいかないのか、渋々といった様子で俺の首に当てられた剣を収めてくれた。
そして一切の警戒を解かないまま、遠坂の側まで移動すると再び臨戦態勢を取る。
彼女は魔力で編まれた西洋甲冑を着込んでおり、俺が校庭で目撃した少女で間違いなさそうだ。
セイバーの持つ翡翠色の瞳は『妙なことはするな。いつでも貴様らを殺せるぞ』と強く語っていた。
「どう? これが聖杯戦争よ。格式の高い騎士や武士の戦いじゃないんだから、こんな手段で殺されても何も文句は言えないわ。それに魔術師というのは外道の名よ。これよりももっとえげつない方法を使ってくるでしょうね」
聖杯戦争において、この程度は序の口だと言っているのだろう。
つまり、遠坂は――。
「……ま、要するに降りるなら今のうちってことよ、衛宮くん。あなたはいますぐサーヴァントを手放して、聖杯戦争を棄権しなさい」
遠坂はそう俺たちに警告するも、その言葉は厳しさではなく、優しさも含んだものだった。
先程まで頭に上っていた血は、セイバーの強襲によりすっかり萎んでいた。
それでも、俺のなかでそれとは別の何かが湧き上がるのを感じた。
それは、一時の感情任せのような怒りではなく。
『正義の味方』を目指すという、絶対の使命感が心の奥で渦巻いていた。
みんな靴を脱いでましたが、セイバーだけ土足でした。