文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars.   作:悠里@

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31.剣に死ぬ者

 

 

アサシンが一歩を踏み込んだ。

踏み込むと同時に振るわれた太刀は風を斬り、少女の首を刈り取ろうとする。

 

「――――」

 

しかし、その五尺余りの長刀は、文の黒い髪をぱらぱらと数本散らすだけ。

 

「ほう、これは――」

 

侍が感心を示すかのように嘆息を漏らした。

アサシンの太刀は、文を完全に間合いの中にあった。

彼女は動かなかったが、切っ先がすり抜けたかのように掠めただけ。

アサシンが備中青江の間合いを見誤った?

いや、佐々木小次郎であるなら、対象との距離を測り間違えるなんてあり得ない。

それなら敢えて手加減をした?

アサシンの反応から察するにそれも考えにくい。

その疑問に答えるように、アサシンは口を開く。

 

「ほお、差し詰め曲芸よな。我が太刀筋、紙一重で躱してみせるとは」

「…………」

 

文は何も答えない。

いつもの彼女なら、相手を挑発するような言葉を返していたはず。

 

「ふ、答えぬか。ならば我が剣の極地、見せてくれようか――!」

 

アサシンが太刀を振るうため、二歩三歩と間合いを縮めていく。

そこから放たれた太刀筋、俺の目なんかでは輪郭ですら捉えられないほどの剣速。

一度二度ではなく、次々に斬り重ねていく。

そして斬撃は、攻撃を重ねる度に速度を加速していった。

 

アサシンの剣には構えがなく、それゆえに力みもない。形のない剣だった。

剣の英霊であるセイバーが剛の剣とすれば、アサシンは技の剣、または流動の剣だった。

それはまさに流れるような剣捌き。

川の水が上から下へと流れるが如く、あくまで水流のような自然な太刀筋。

一度の瞬きであっても、首を落とされかねない剣術の極限。

それすらも天狗の少女は、最小限の動きで躱していった。

 

「フッ! せい――っ!」

「…………」

 

何十何百もの剣光を重ねても、文は反撃せずに無言のままアサシンの剣を躱し続けた。

彼女の顔は余裕そのもの。いや、まるで意に介していなかった。

まさかこの短時間で、アサシンの剣技の全てを見切ったのだろうか?

……そんなはずはない。いや、そんなことがあってはならない。

ヒトが辿り着ける一つの極限を、こうも簡単に攻略できるはずがない。

 

アサシンの剣の間合いに一つの結界が作られた。

剣速が増し、太刀が重なることで発生した斬撃による結界。

落ちた木の葉が、その結界に触れると音も立てずに消失する。

あの空間に触れれば、何者であろうともたちまちに切り裂かれてしまう。

 

その結界の中にいてもただの一太刀ですら、少女の体に届いていない。

射命丸文に何かの仕掛けがあるわけでもなく、特殊な能力も隠されてはいない。

純然たる身体能力だけで、剣鬼の技のことごとくが躱されていた――。

それならこれは、間違いなく悪夢の光景だった。

 

「……ふふ」

 

少女は、そんな悪夢の中で平然と笑う。

何よりも彼女はこれまでと違い、戦いそのものを楽しんでいた。

あの斬撃全てが、意志を持ったように殺そうとしているのに。

 

「――なんと」

 

途端、白刃の結界がピタリと静止した。文とアサシンも動きを止める。

一体、何が起こったのか。

これまで涼しい顔をしてしたアサシンも、剣を振り下したまま驚嘆していた。

つまりこの状況は、アサシンの意図するものではない。

 

アサシンの太刀の切っ先を目で追うと、白い二本の指があった。

……それの意味するもの。

信じ難いものではあったが、理由は考えるまでもない。

アサシンが放った袈裟斬りを、文が人差し指と中指だけで受け止めていた。

指の力もそうだが、それよりも信じ難いのは彼女の動体視力。

どんな目を持っていれば、神速の刃を二本の指だけで掴み取れるのか。

 

「放さない。放してあげないわ」

 

万力のような力で、太刀の切っ先を更に締め上げていく。

その態勢のまま、文は葉団扇から高圧縮の風をアサシンに放とうとしていた。

文とアサシンの二人は、2メートルにも満たない距離にいる。

ただの人間には不可能だが、サーヴァントであれば回避は可能だろう。

 

「フッ」

 

しかし侍であるアサシンは、自らの命である太刀から手を放せずにいた。

それが不合理だと知りながら、佐々木小次郎に敵前で刀を捨てる真似はできない。

あの刀は、巌流島で投げ捨てられた鞘とは違う。勝つための手段なのだから。

 

「ほらほら。頑張りなさいな」

 

それを知りつつ、少女は狡猾に笑う。

天狗の怪力で挟まれた刃はギリギリと叫喚を上げ、ピクリとも動かず。

そして、風が放たれた。

少女の思惑通り、アサシンは回避行動が取れずに腹部へと命中する。

 

「ぐっ……!」

 

人体を押し潰される音を立てながら、アサシンの痩躯が宙に浮く。

腹から背中へ突き抜ける風の暴力は、並の人間なら風穴を開けて絶命するもの。

そんな一撃を受けながら、侍は尚も太刀を握ったまま放さない。

臓器を幾つも破壊されたアサシンは、整った口端から一筋の血を流す。

 

「…………」

 

射命丸文は何故か追撃をしない。どう見ても絶好のチャンスだった。

そのまま攻撃の手を緩めなければ、アサシンを倒せていたのは間違いないはず。

それどころか、今まで放さなかったアサシンの刀身も、興味を失ったかのように解放する。

 

「……ただの速いだけの剣じゃ、決して私に届かない。勝ちたければ、もっともっと工夫をしなさい。それにあなたは他のどのサーヴァントよりも私との相性が悪い。世の理、不文律を覆してみなさい」

「ハ――それは、失礼をした。こうも容易く我が剣を封じられるとは思いもよらなかったぞ。私の剣は邪道故な、並の者ならただの一振りで首を落とす。それが他愛もなく躱されるとはな。ククク、なんと恐ろしきことよ」

 

腹部へのダメージにより、アサシンの足は震えていたが、決して膝を折らない。

口端の血も拭わずに、眼前の好敵手に喜びを堪え切れないようだった。

 

「ならばこれより先、無聊の慰めは仕舞いだ。我が秘剣を以て、そなたと死合おうぞ」

 

アサシンが、初めて剣の構えを取る。

長刀を逆手で担ぐような、独特のスタイルだった。

アサシンが纏う空気が、冷たいものに変わる。

冷や水を浴びたように身体が強ばり、四肢の自由が奪われてしまったかのようだ。

その変化は文にも伝わったのか、八手の葉団扇を広げて口元を隠した。

 

「フ、フフ――」

 

しかし団扇から隠しきれない笑い声がこぼれていた。

それは相手を見下すためだけの嘲笑と蔑視。

 

「さ、手加減してあげるから――貴方の技、ここですべて見せてみなさい」

「その余裕……さて、どこまで続くかな。我が秘剣、燕でさえ逃れ得ぬ。故に烏にも通じるぞ!」

 

サーヴァント、アサシン。真名は伝説の剣豪、佐々木小次郎。

だとすると、佐々木小次郎の持つ技は――。

 

「秘剣――燕返し」

 

俺の思考よりも速く、アサシンの剣が揺らめいた。

 

 

 

 

――燕返し。

生涯、剣を振うことで費やしたアサシンの剣。その全て。

佐々木小次郎の人生そのもの。

疾走するのは三つの刃。一振りで三度切る刃。矛盾。

剣を振うだけで到達した魔法の領域。

多重次元屈折現象。キシュア・ゼルレッチ。

 

その刃は、慢心する鴉天狗を切り裂く。

燕にも届くその剣技が、烏に届かぬ道理はなし。

 

「――――!?」

 

射命丸文は、物理的にあり得ぬアサシンの剣に目を見開いた。

一振りの太刀から、三つの斬撃が襲いかかってくる。しかもそれぞれ別々の方向から。

魔術的な気配は、一切感じられない。

それは、ただの人間が一生涯剣を振り続けることで成し得た、この世界の魔法の体現。

 

しかし不可能な筈の攻撃に対して、文の驚きもまた刹那のなか。

状況を瞬時に分析する。

千年の経験、天性の能力で、回避の一点のみに頭と体を動かす。

幻想郷全ての弾幕を避けてみせた彼女に、捉えられぬものなど存在しない。

 

 

「やっちゃえ、バーサーカー」

 

佐々木小次郎の人生の集大成である燕返しは、驕り高ぶる天狗の少女が躱す必要もなく不発に終わった。

代わりに耳をつんざくような凄まじい轟音。

他と比肩しない強大な力が、文とアサシンの戦っていた石段を粉砕した。

 

 

 

 

「文!!」

 

張り上げた俺の声はどこにも届かずに、大地を揺らす轟音に掻き消されてしまう。

少しして夜の世界は再び静寂に戻ったが、それも圧倒的な存在感によって上書きされてしまう。

土煙が晴れた先にいる巨躯、何があっても見間違うはずもない。

そこにいたのは、斧剣を振り下ろしたバーサーカーの姿だった。

 

「ざーんねーん。二人ともぺちゃんこに潰れちゃえば良かったのに」

 

俺のすぐ後ろから、今日何回も聞いた幼い少女の声。

声の持ち主はイリヤ――イリヤスフィール・フォン・アインツベルンだった。

昼に別れたばかりの彼女と、その日のうちにこんな形で再会してしまう。

 

「こんばんは、お兄ちゃん。今夜は月が綺麗な日だね」

「イリヤ……!!」

 

イリヤは、何事も無かったかのように甘い声で挨拶をする。

土蔵での出来事を思い出して、心臓が跳ねそうになった。

しかし、それもバーサーカーから放たれる威圧感に飲み込まれてしまう。

どうしてここに、イリヤとバーサーカーが……と思ったが、今はなによりも文の安否が先だった。

バーサーカーの斧剣を振り下ろした先を見たが、そこには誰もいない。

 

「こんな空気の読めない行動。ひとかたのレディーのやることじゃないわね」

 

いつの間にか俺のすぐ隣に文がいた。

突然現れた彼女に驚いていたら、俺を一瞥してクスリと妖艶に微笑む。

……やはりいつもと雰囲気がまったく違う。

別人とまでは言わないが、いつかの学園の屋上を思い出して身震いしてしまう。

 

「わたし、まだ子供だからいーんだもーん」

 

文の指摘に対して、イリヤが頬を膨らませて開き直っていた。

ふざけたような態度を取るイリヤだったが、文を見ると表情が硬化していく。

 

「……え? なに? あなた……本当にアヤなの?」

「ふふ、何のことでしょうか? 私は皆様方から愛される清く正しい射命丸ですよ」

 

イリヤの疑問におどけた態度を見せるが、少女もまた文の変質に気付いたようだ。

 

「……ふん、まあいいわ」

 

イリヤは納得がいかないようだったが、気を取り直して俺に顔を向けた。

 

「シロウ、アヤ。――今夜であなたたちを殺しちゃうね。他の誰にだって譲らないんだから」

 

聖杯戦争のマスターとして現れたイリヤは、冷酷な視線で俺たちを射貫く。

背中に冷たいものが走り、ゾッとさせられる。

文と同じように、イリヤもまた昼に別れた少女とは別人だった。

この残酷な顔を含めて、イリヤスフィールという一人の少女なのだろうか。

 

ここでバーサーカーと戦闘になってしまったら、文の力があっても倒し切るのは難しい。

バーサーカーを殺せても、何度も復活するという悪夢のような宝具を持っている。

それでも、遠坂とセイバーによって三度殺しているから『十二の試練』の残りはあと9回――。

 

「あ、そうそう。ちなみに言っておくと、リンとセイバーに殺された分はもうないわよ?」

 

え? それってどういう……?

 

「ウソまさか――?」

 

文も今のイリヤの話に細められた目を大きくする。

彼女は、もう理解したのだろうか。

 

「フフ、アヤはわかったようね。『十二の試練』の特性のひとつ、殺されたとしても時間を置けば、命のストックは回復する。だから振り出し。十二回殺さないとバーサーカーは絶対に倒せないわよ。あははは」

 

泣き面に蜂とはまさにこのことだった。

一度ですらバーサーカーを倒す術を持っていない俺たちにとって、それはもう死刑宣告に等しい。

あの遠坂とセイバーが命懸けで三度殺したのに――それがたった数日でリセットされるなんて。

 

……イリヤはまだ、バーサーカーに次の命令を出していない。

そのため、巨人が襲ってくるまで猶予がある。

これからどうするべきか相談しようと隣にいる文を見た。

 

「……あ、すごい」

 

天狗の少女は、夜空に浮かぶ月を見上げていた。

文の視線の先、そこには月光を背負った人影が巨人に目掛けて降下していた。

一振りの大太刀が、月の光を反射して鈍く煌めいている。

 

『■■■■■■――!!』

 

バーサーカーもそれに気付いていたようで、イリヤが命令を出す前に咆哮を上げた。

その時にはもう、金属同士がぶつかり合うような鈍い音が山門に響き渡る。

 

「――ははは! 遅いなァ!」

 

アサシンは、バーサーカーの口の中に大太刀を突き立てていた。

降下による加速度も加わって、アサシンの刺突は相当な威力があっただろう。

 

「ふむ。もしやと思ったが、やはり駄目のようだな。よもや、そこまでもが鋼だとは」

 

アサシンによる渾身の一撃は、バーサーカーにダメージを与えていなかった。

アサシンは太刀を口中から引き抜くと、続けざまに巨人の眼窩を貫く。

 

「なんと……!?」

 

眼球への攻撃だというのに、大きな火花が散った。

人体であれば、間違いなく急所の一つである眼球ですら、口内と同様に弾かれてしまう。

バーサーカーは、顔にまとわりつく羽虫のようにアサシンを手で振り払った。

アサシンは、巨人の頭から咄嗟に飛び退くと山門の前に着地してみせる。

 

「ハ――『刃』が立たぬとは正にこのことか」

 

アサシンは己が剣が通じなくとも、嬉しそうに口を歪ませていた。

 

「当たり前じゃない。わたしのバーサーカーは『十二の試練』によって守られているのよ。神秘を打倒するにはそれ以上の神秘が必要なの。そんな何の概念武装でもない鉄の棒で攻撃したところで意味ないわ」

 

イリヤの話は俺たちだけはなく、アサシンにとっても絶望的な言葉だったはず。

しかしそれを聞いてもまだ、アサシンは未だ態度を崩さずにいた。

 

「クク……それはどうだろうか。生憎、剣を振るうしか知らぬ身でな。そのような言葉は一切わからぬわ。しかし我が秘剣。未だ存分に振るってはないぞ。――さあ、さあさあ! 今一度、尋常に果たし合おうでないか!」

「なによ……! 馬鹿じゃないの……!?」

 

バーサーカーの絶対を信じるイリヤは、癇に障ったようにアサシンを睨み付ける。

どうやら、今のアサシンの言葉はバーサーカーに対する侮辱だと受け止めたようだ。

 

「……いいわ。口で言っても理解できないようね。だったらアサシン、あなたの体に直接わからせてあげる。バーサーカー!! こんなやつ、さっさとやっちゃいなさい!!」

『■■■■■■――――!!!!』

 

イリヤからの命令で、バーサーカーが山門で佇むアサシンへ駆け上がる。

 

「ふっ、ここが見せどころよな!」

 

死を具現化したような黒い巨人に対して、アサシンは尚も優雅に太刀を構えた。

 

 

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