文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars. 作:悠里@
「静か、ですね」
「……静か、だな」
後ろ髪を引かれながら柳洞寺の境内に入ると、そこは静寂が支配していた。
あまりにも静かで、俺たちの声以外は何一つ聞こえない。
隣にいる天狗の少女の鼓動も聞こえそうな、寂寂たる世界だった。
「ふむ――なんでしょうか」
正門入口で立ち止まっていた文が、境内の中央付近まで進む。
不用意な行動に驚かされるも、敵のホームで文と離れるのはまずい。
情けなく感じたが、先を進む少女の背中を追いかける。
文は、境内の中央で立ち尽くすと腕を組んで思考に没頭した。
「外ではバーサーカーとアサシンが戦っているはずなのに、境内に入ったらピタリと止まった。……いえ、これは止まったのではなく、聞こえなくなった?」
自身に問うように呟いている。
彼女は戦闘に備えるわけでもなく、明らかに無防備だった。
「こんな目立つ場所にいて大丈夫なのか?」
素人考えだが、敵陣のど真ん中で何も備えずにいるのは良くないだろう。
しかし少女は、そんな忠告にどこ吹く風だった。
「こんな閑散とした場所ではどこにいても同じですよ。ここを拠点とするサーヴァントは最初から私たちの存在に気付いています。それなら、むしろ目立ってやりましょう。……ビビっていると相手に舐められますよ?」
俺の胸を拳でぽんと叩いた。
「だけど敵陣の真ん中にいるのもどうかと思うけど」
「士郎さん、あなたは男の子です。そして私のマスターでもあります。そんな情けない顔してないで、どっしりと笑ってくださいな」
俺がまだ不安そうに見えたのか、再び俺の胸を叩く。
十分に加減しているだろうが、一発目と違い少し呻き声が出そうになった。
そう笑っている文の顔は、どこか男前だった。
ここは彼女の言う通り、どっしりと構えるべきなのだろう。
「じゃあ、今この境内には何か魔術的な効果でも働いているのか?」
「――防音の結界を張らせてもらったわ」
文に尋ねたはずの言葉は、予想外のところから返ってきた。
「!?」
背後から聞こえたのは、妙齢と思える女性の声――。
急いで振り返ると、俺たちが今までいた山門の入り口に一人の女がいた。
闇に同化するような黒と紫のローブを纏った女だ。
顔はフードで隠れて見えないが、青いリップを引いた唇は薄い笑みを浮かべている。
「武器を振り回すしか脳のない野蛮人同士の戦いなんて、聞いても不快なだけだもの。ここに似つかわしくないと思わない?」
「……あなたがキャスターのサーヴァント?」
文の言うとおり、未だ遭遇していないサーヴァントはキャスターのみ。
それに、消去法で考えなくても女の風貌は魔術師そのものだ。
「ええ、その通りよ。可愛い可愛いアーチャーさん。ようこそ私の根城へ。歓迎させていただくわ」
俺たちは、キャスターと向き合う形で対峙していた。
周囲を見てもキャスターのマスターは、近くにはいないように思える。
「フフフ……」
僅かな睨み合いの後、キャスターが俺たちに歩み寄っていた。
他のクラスならまだしも相手はキャスターだ。
距離を取るならともかく、縮めてくるなんて普通は考えられない。
そんな異常と言える行動に俺は身構えたが、文は腕を組んで事も無げな様子だった。
「…………?」
キャスターは文だけを見ていた。隣にいる俺は相手にもされていない。
無防備のままで、文まで後一歩という距離で歩みを止める。
このゼロに近い距離では、魔術師の名を冠するキャスターの間合いではない。
俺の目にキャスターの行動は、ただの自殺行為にしか映らなかった。
文がその気になれば、コンマの世界で首を落とされてしまう。
そうすると、キャスターのこれは何かの罠と考えるのが妥当だろうか?
「フフ――ごめんなさい。ちょっとだけ、触らせてもらうわね」
キャスターはローブから腕を出して、文の顎を掴むように手を置いた。
何故か文もされるがまま、キャスターの行動に身を委ねている。
「へえ、本当に可愛いのね。こうして近くで見ると、寒気を覚えるぐらい整った顔立ちをしている。アサシンに名乗りを上げてたけど、確か烏天狗とかいうこの国の妖怪だったかしら?」
「…………」
文は何も答えない。
真っすぐに、フードの下に隠されたキャスターの目を見つめている。
「……あなたたち妖怪は、人を誑かし、人をさらい、最後に人を食べてしまうのでしょう? なるほど。そのために人の目を惹き付けるような姿形をしているのね。理に適っているわ」
フードから品定めをする碧眼が妖しく光ると、魔女の指が文の顎を持ち上げた。
「おい! なにを……!?」
「坊やはそこで黙っていなさい」
「…………ッ!!」
キャスターの一言で、身体が急激に重くなった。
声を出そうとしても言葉にならず、口が金魚のようにぱくぱくと開くだけ。
こ……これがキャスターの魔術!?
今朝イリヤに似た魔術を受けたが、これは視線すら交わっていない。
たった一言だけで、この有様だなんて……。
「ふうん――」
キャスターは、本当に俺を黙らせたかっただけだ。
それ以上は何もせずに、息の掛かる距離で文の顔をまじまじと見つめている。
「それと、とても綺麗な目をしてる。これまで一度も挫折なんて味わったことがないのでしょう? 弱者を蹴落とし、寄せ付けず、ずっとずっと勝ち続けてきたのね」
文の深紅の目は、とても綺麗で透き通ってる。
それが誠意とでも言うように、常に相手の目を見て話をする。
その時の彼女の瞳は、吸い込まれそうなほど美しい。
「だからこそ、あなたのその目が汚れるのを想像するとゾクゾクするわ」
「――――」
ピキリと文が凍った。
彼女が怒るところは、あまり見た覚えがない。
それでも、ここまで言われ放題だと流石に頭にきたようだ。
「……それで、言いたいことはそれだけ?」
文の赤い目が、キャスターを睨むように細くなった。
余裕を感じさせる微笑も消えて、射殺すような鋭い視線だけが残る。
「あら? もしかして、気に障ったの? それならごめんなさい」
キャスターは形ばかりの謝罪をすると、ようやく文の顎から手を放した。
それと同じタイミングで、俺の身体も呪縛から解き放たれように身軽になる。
「さて、もういいかしら。この距離だと私が完全に優位。少し待っててあげるから、さっさと戦闘の準備をしなさい」
文の口から敬語が完全に取れてしまった。
得体の知れない不気味さが、敵意が向けられない俺でも感じる。
バーサーカーのような肌でも感じる殺意とは違って、何か無性に気持ちが悪い。
敵意を一身に受けているキャスターは、少しも態度を崩さずにいた。
「そうカッカしないで待ちなさい。血の気ばかりが多いと器と底が知れるわよ」
「余計なお世話。掛かってこないなら私から行かせてもらうわ」
文が組んでいた腕をほどくと、境内に来てから初めて臨戦態勢を取った。
鼓膜も震える風の渦が文の周囲に展開される。
しかし、キャスターは天狗の暴風を受けても尚、その場から動かずにいた。
「ねえあなた、私と手を組む気はないかしら?」
「……はい?」
キャスターからの予想外の言葉に、文が少し気の抜けた声をあげた。
張り詰めた文の空気が四散すると、展開されていた風も雲散霧消してしまう。
まるで風が文の感情に連動しているようだった。
「は? え? なんですって? 話が突然すぎて驚いてしまいました」
文が敬語モードに入ってしまった。
俺もこちらの彼女のほうが落ち着くけど……。
「私と組むかと訊いているの」
「はあ。私があなたと組んでどんなメリットがあるんですか? ……プレゼンテーションは大事ですよ? アジェンダはあります? 顧客説得の重要性はブン屋である私もうるさいですよ」
この烏天狗、もう駄目だ。
敬語モードも通り越して、記者モードになってしまった。
せめて、境内に入った時の文ぐらいだとバランスが取れるんだけど。
「ブン屋……? でもそうね。プレゼンは大事よね」
「そうです。あなたと組むことで得られる魅力をわかりやすくアプローチしてください」
「…………」
俺は、一体何を聞かされているんだ?
俺たちの主導権は文にあるけど、一応はマスターである俺にも確認ぐらいはしてほしい。
……文の返事によって、俺たちは今後キャスターと手を組んでしまうのか。
「あのバーサーカーだけは私の手に負えないわ。自己陶酔馬鹿のアサシンも今回ばかりは駄目そうだしね。もう時間の問題。……だけどアサシンではなくあなたと二人ならバーサーカーを倒せる可能性がある。……それだけで十分じゃないかしら?」
自己陶酔馬鹿……。
そんな言われように、仲間でもない俺も気分が良くない。
「それだと不十分ですね。私は知りもしない相手を素直に買い被れません。あなたはマーケティングに失敗しました。その程度のバリュープロポジションでは、顧客満足度を十二分に得られません」
よくわからない言葉を混じらせて、きっぱりと断っていた。
おそらくは、この世界の本で学んだ言葉なんだろう。勉強熱心で感心する。
「……実力を知らない相手と組む気は私もさらさらないわね。そこは確かに説得力に欠けるわけか。でも私は魔術師だもの。まだ組んでもないのに手の内を晒すわけにはいかないわ。だけど、あなたの価値ならわかるわよ?」
「私の価値ねえ。自分は何も見せずに相手だけを評価するなんて、まるで詐欺師ですね」
文の言う通り、結婚詐欺でよく使われる常套手段だ。
「最後まで聞きなさい。絶対に損はさせないわよ」
「はい、どうぞどうぞ」
「あなたの戦いを見せてもらったけど、面白いわ。風を意のままに操り、傅かせる。魔術で強制的に従わせているわけでもなく、成るべくして成っている。つまり、あなた自身がそういうモノなのでしょう?」
「へえ……よくわかりましたね」
それは、マスターである俺も知らなかった情報だった。
ライダー戦の前にスペルカードの説明は受けたけど、能力の全容は誤魔化してたのか。
ちょっとショックだったが、今は気にしても仕方がない。
文もキャスターの考察に対して、素直に感心しているようだった。
「私はその力を100パーセント以上に使ってあげる。そして残るサーヴァントを倒して、聖杯は私たちのものになる。どう? 色よい返事を聞かせてくれるといいんだけど」
キャスターは文だけを見ており、マスターである俺は存在していない扱いだった。
俺のような半人前なら、それでも仕方が無い。
だけど、もし手を組むなら知っておかねばならないことがあった。
「ちょっと待ってほしい。柳洞寺の人たちは無事なのか聞いておきたい」
友人である一成の名前は出さない方がいいだろう。
交渉が決裂した時に、一成を何かに利用される可能性がある。
俺の言葉で話の腰を折られたためか、キャスターが不機嫌そうに眉をひそめた。
「……坊やには何も聞いてないのだけどね。まあ、いいわ。教えてあげる。柳洞寺の人間は全員無事よ。私の魔術で深く眠っているだけ。死んだりはしないわ」
もちろんキャスターの言葉を、そのまま鵜呑みにはできない。
しかし、手を組もうと考えている相手の言葉だ。
嘘をついている可能性は低いと考えていい。ひとまず安堵する。
疑問はまだ残っている。これは確認しないといけない。
「キャスター、おまえのマスターは誰だ?」
「それは教えられないわね。でも手を組んでくれるのなら考えてあげてもいいわ。……ふふ、案外坊やの身近な人物かもしれないわよ?」
「もういいでしょう」と言って、キャスターは俺との会話を打ち切った。
「それで、アーチャー。あなたの返事は?」
キャスターは、どこか期待に満ちた様子で少女の返答を待っていた。
文もすっきりとした表情で、キャスターの目を見つめている。
「考えるまでも無かったんですが――答えはノーです。謹んでお断りします。さて……その理由ですが、三つほどあります。どうします? 聞きますか?」
「……参考までに聞かせて貰おうかしら」
キャスターは一見冷静に見えたが、声に抑揚がなかった。それが恐ろしい。
そんな彼女を更に挑発するように、文は人差し指を立てた。
「第一に、魔術師にはろくな人物がいません。私の知り合いも――人の話を聞かないコソ泥、本の虫のヒキコモリ、他人に関心を持たない協調性無し。そんなろくでなしばかりです。内側の世界に閉じこもるばかりで、社会性が著しく欠如しています。統計的に見ても、魔術師は基本信用がおけません。あなたも見るからに面倒臭くて、胡散臭い。今の会話の範囲でも、仲間であるアサシンを見捨てました」
二本目の指を立てる。キャスターは何も答えない。
「第二に、マスターである士郎さんを蔑ろにした。これから交渉する相手のパートナーを魔術で拘束するなんて誰が信頼できますか。士郎さんは未熟者の癖に無鉄砲で、尊敬に足るような人物ではありません。ですが、彼は私のマスターです。居候先の主で色々と世話を焼いてくれます。彼の作るご飯も美味しいです。我ら天狗は仲間を大切にします。決して、蔑ろにしてはいけません」
三本目の指を立てる。キャスターは何も答えない。
「最後にあなたがどう見ても反英霊だということ。……私も運が良いんでしょうか。これまでまともに戦ったサーヴァントはライダー、アサシンの二人だけ。他のサーヴァントとの戦闘は有耶無耶なうちに終わっています。なので、あなたとなら先の二人と同じ理由で思いっ切り戦えるんですよ」
口角を上げ、眼前の魔女を見下す笑みを浮かべた。
「それに――せっかく私がやる気を出したのに、キャスター如きに従うなんて面白みに欠けると思わない?」
交渉決裂が決定的となる言葉を、キャスターに言い放つ。
そんな言葉とともにキャスターの魔力が急激に上がっていった。
そこからは、何もかもが速かった。
キャスターの魔術が発動するより先に、文が俺の襟首を掴んだ。
猛スピードでバックステップして距離を広げていく。一瞬で頸動脈が絞まり、意識が飛びかけた。
「死になさい」
キャスターから紫電が走り、肉眼で確認できる高出力の大魔術が一工程の詠唱で完了した。
人を軽く飲み込めるほどの光線状の魔力が、俺たちを殺すために放たれる。
俺を抱えた状態だと、とても躱せるような魔術じゃない。
……こんなんじゃ、役立たず以前に足を引っ張ってるだけだ。
「おー、これはなかなか」
文は十分に距離を取ると、即座に障壁を展開した。
文の魔力と風によって編まれた風の障壁だ。
風の壁がキャスターの魔術と衝突すると、魔力が弾けるように拡散していく。
だが、それもほんの数秒だけ。
キャスターの光線が瞬く間に障壁を浸食して、突き破ろうとする。
「士郎さん、ごめんなさい!」
「え!?」
襟に首を絞められて咳き込んでいる俺を、文が片手で軽々と持ち上げた。
襟首が食い込み、再び頸動脈が絞まる。
その状態から振り向き様――俺を力任せに空中へとぶん投げた。
「――――!!」
浮遊感なんて生やさしいものじゃない。レールガンの弾頭にでもなった気分だ。
そう考えているうちに、俺は寺の敷地内にあった池に頭から飛び込んだ。
水面に激しく叩き付けられるが、砂利の引かれた境内より少しはましだろう。
「よっと」
俺という重荷を捨てた文は、光線状の魔術を軽く躱してみせる。
キャスターも詠唱を繰り返し、周囲に浮かぶ魔法陣から十本以上の光線が展開されていく。
「なんだ、あれ……? あんなのどう見ても、一工程の詠唱で使える魔術じゃない……!」
馬鹿げたことに展開された光線すべてに、さっきと同程度の魔力が込められていた。
「ふふ、ここにいたら焼き鳥になるわね」
そんな魔術の奔流を避けるため、文は翼を大きく広げると空へ飛んだ。
キャスターの光線も追随するように、空中にいる少女を追いかけていく。
上空に放たれた魔術によって、空が明るく染まった。
キャスターの常識外れの魔術より、文の機動力のほうが勝っていた。
くるりくるりと空中で回転をして、紙一重で攻性魔術を回避していく。
どう見ても、運動力学を無視した非常識な動きだった。
「ちっ……鬱陶しいわね」
キャスターもより狙いやすくするためか、身体を中空高く浮かべる。
当たり前のように空を飛んでいる文とキャスターを見てると、現実感が稀薄になっていく。
俺のような魔術使いには、生涯を費やしても決して立ち入れない世界だった。
今や同じ目線にいるキャスターに対して、射命丸文が堪えられないように口元が緩んだ。
「ようこそ――私たちの世界へ。先達としてあなたを歓迎するわ」
こうして、天狗と魔女による空の戦いが始まった。