文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars.   作:悠里@

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35.信頼

 

 

キャスターの短剣が文を襲う。

歪に捻じれた、異様な形。

刃も細く、武器としてはあまりに心許ない。

殺傷能力は無く、儀式用と呼ぶのが相応しいもの。

キャスターも俯せの状態であり、文の急所を狙えるとは考えにくい。

致命傷には至らず、反撃を受けるのは必至だ。

 

だが、仮にもサーヴァントが使用する武器。

しかも相手は、キャスター。

何らかの魔術的な作用を秘めていることは明白だった。

つまり、殺害に至らなくても構わないと暗に仄めかしている――。

 

短剣の切っ先を少女の下肢に突き立てようとする。

文はキャスターに気付いておらず、今も俺に目を向けていた。

 

しかし……この窮地で思う。文は本当に気づいていないのか?

あの常識破りの回避を見せた文が、こんなあっさりと攻撃を喰らう?

アサシンの刀、キャスターの魔術を躱し続けた少女の姿が脳裏から離れない。

それは、一種の信仰だった。

俺には、短刀が刺さる射命丸文の姿は想像がつかない。

どれだけ慢心しようとも彼女は、あの程度の攻撃は回避する――。

 

「残念」

 

俺のビジョンと重なったように、キャスターの短剣が空を切った。

 

「な――!?」

 

天狗の少女はキャスターを視界にすら入れずに、最低限の動きで回避した。

キャスターは怯まずに二度目を振るったが、それも届かない。

ゆっくりと振り向いて、文がキャスターを赤い瞳で捉えた。

何をするまでもなく、腕を組んだ状態でキャスターを見下ろしている。

 

「あなた……! 私に気付いてたの……!?」

「どーでしょうかねー。ンフフ」

 

ようやく立ち上がったキャスターは文を睨みつけると、短剣を尚も突き立てようとする。

肉弾戦に不向きな魔術師だが、それでも思った以上に機敏な動きだった。

これまでと違った、体重を乗せた攻撃。

あんな形状であっても、急所を狙われればただでは済まない。

 

「ふふ――」

 

文は腕を組んだまま、避けようともしない。

何を思ったのか、キャスターを制すように片足を上げた。腕ではなく足を。

 

「馬鹿にして……!!」

 

それで、キャスターが止まるはずもない。

怒りに任せたまま、文に短剣の切っ先が届く。

境内に響いたのは肉を切るものではなく、何か乾いたような音。

 

「おお! 見事命中! おめでとうございます!」

 

キャスターの短剣は、天狗の一本下駄に突き刺さっていた。

厚みのある一枚歯に攻撃を阻まれて、刃は肉を貫くには至らない。

それでも、体重を乗せた一撃だ。深く突き刺さっており、そう簡単には抜けない。

 

「よっと――少しお借りしますね」

「く……!」

 

文は足を折りたたむだけで、キャスターから簡単に短剣を奪い取った。

 

「少しばかりお待ちを」

 

文が短剣の刺さった靴を脱いで片足立ちになる。

 

「……ッ!!」

 

一見すると文は隙だらけだったが、キャスターは何もしない。

ただ、苛立っているのはわかる。

文は短剣を下駄から抜こうとしていたが、なかなか抜けない。天狗の頬が少しだけ赤くなった。

 

「いやあ、困りました。これ、かなり深く刺さってますよオホホ」

「……あなた、いつから私に気づいてたの?」

「キャスターさん……あなた、私に言いましたよね。『風を意のままに傅かせる』と。風を操れる私は、風の流れも当然読めます。その私にあなたの呼吸が読めないと思いますか?」

 

文はキャスターの質問に答えてはいるが、意識は短剣の刺さった靴に集中していた。

 

「これ本当に抜けないですね。力任せに抜くと傷が大きくなりそうですし……」

 

キャスターを一顧だにせずに、再び作業に没頭する。

……射命丸文は、相手の神経を逆撫ですることに関して超一流だった。

 

「あなたの呼吸、気絶しているにしては不自然でしたから。それに……これから誰かを突き刺そうなんて人は、余程の達人でも無い限り呼吸のリズムが乱れます。だから、こうやって察知できるわけです」

 

サーヴァントは幽体だ。

肉体は存在せず、エーテルによって編まれている。

サーヴァントに食事は不要であり、睡眠も必要ない。

それでも、呼吸だけは止めることができない。

呼吸は酸素を取り込み、体内に溜まった炭酸ガスを吐き出すためだけの行為ではない。

生前の習性が一番の理由だが、他にも身体能力や自然干渉にも影響する。

キャスターからすれば、呼吸の乱れは魔術行使にも支障が出るだろう。

文が相手の呼吸が読めるのなら、あのずば抜けた回避能力も頷けてしまう。

 

「お、抜けました。でもちょっと穴になっちゃったかな。……ではこれは一生お借りしますね」

 

下駄から抜けたキャスターの短剣を、山の方角に投げる。

天狗の剛腕によって、短剣は敷地外の円蔵山の茂みに消えてしまった。

 

「魔術師に一杯食わせるとはとんだ狸ね!」

 

キャスターは短剣が闇に消える直前に、高速神言を詠唱した。

銃の引き金を引くような速さで大魔術が発動。かつてない至近距離で光線が文を狙った。

 

「私は狸なんかじゃありませんよ! 烏天狗です!」

 

キャスターの攻撃は、完全に不意を突いていた。

文は詠唱後のタイミングで葉団扇を薙ぐ。

文の前に竜巻が発生して、一瞬で光線を飲み込んでいく。

竜巻に触れると、質量を持たない魔力が散り散りに拡散してしまった。

 

「ふむ。魔力を逃がすだけなら、これぐらいで十分ですね」

「……これでも駄目なのね。憎たらしい」

 

キャスターは、文の対処に恨み言を吐く。

だがその結果を予想していたのか、すぐに平静を取り戻していた。

 

「どーしますか? これ以上やっても無駄ですけど?」

 

首を可愛らしく傾げて、キャスターに尋ねる。

それは事実上、射命丸文の勝利宣言だった。

 

 

「……悔しいけど、今の材料だけじゃあなたを倒しきるのは不可能みたいね。魔術師がホームでいいように負けるなんて洒落にならないわ。……そこで提案があるんだけど、どう?」

「……怪しい宗教の勧誘なら、お断りしますけど」

「勧誘じゃなくて、提案よ。そうね。聖杯戦争の情報を私の知る限り提供するから、今回は見逃す気はない?」

 

思いがけないキャスターから提案に、文が傾げた首はそのままに顎に手を置く。

 

「……魔術師との取引ですか。……あまり気が進みませんね。しかし『情報』という言葉は、いつ聞いても甘美な響きです。うーんうーん、どうしようかなー。……あっそうだ」

 

文が良からぬ何か思いついた顔でこちらを見た。

 

「士郎さーん!! どうしましょうかー!? さくっとやっちゃいますー?」

 

文が俺に意見を求めて大声を上げた。

何もせずに、池の側でぼけっと立ち尽くしていた俺に。

文が俺に求めている判断――。

それは、キャスターを殺すかどうかの判断だった。

 

犠牲者を減らすには、聖杯戦争をすぐに終わらせなくてはいけない。

俺は手を血に染める決意はできている。正義の味方という名の人殺しだ。

だからといって、柳洞寺の人たちを手にかけていないキャスターを殺してもいいのか――。

 

「…………?」

 

枯れ木――。

目の前に枯れ木があった。

まったく気づかなかった。いつの間に……?

 

……いや、違う。

これは枯れ木なんかじゃない。

一切の気配を感じさせない、生きているかどうかも怪しい。

そんな枯れ木のような長身痩躯の男の姿。

俺は今まで気付かずに、あの文ですら感じ取れずに。

闇に紛れた男の姿は、さながら幽鬼のようであり――。

 

「が……!」

 

もう、遅かった。

幽鬼の放つ拳が、俺の腹部に突き刺さる。

突き抜ける衝撃は、本当に背中まで貫通したようだった。

 

 

 

 

「葛木、先生――?」

 

肺に残された空気が、最後にそれだけを紡いだ。

くたびれた深緑のスーツを着込んだ男は、間違いなく葛木宗一郎だった。

まさか、先生がキャスターのマスターだとでもいうのか――?

いや、あいつはキャスターだ。傀儡のように操られている可能性も。

このまま何も確認もせずに、攻撃はできない。

もっとも俺はあまりの苦痛に攻撃どころか、呼吸すらままならない。

 

「あ……ぐ」

 

痛みに喘いで数歩よろめくと、今度は後頭部を肘鉄が抉る。

目の奥に火花が散った。

容赦の欠片もない連撃は、相手の命を奪うのに何の躊躇もない。

後頭部の一撃で失いかけた意識――それは、次の横隔膜への膝蹴りで強制的に覚醒させられる。

そのまま腕を取られて、砂利引きの地面に押し倒された。

 

「がはッ!!」

 

意識を失わずに済んだのは、幸運だった。

敵の前で気絶する真似なんて、絶対にしてはいけない。

意識を覚醒させるため、舌を噛み切る準備もできている。

苦痛で停止寸前だった肺を無理矢理働かせ、体内に酸素を取り込む。

狭まった気管から、ひゅーひゅーとか細い呼吸音。車に轢かれた野良犬のようだった。

 

「士郎さん!?」

 

文も今まで葛木先生……いや葛木宗一郎の存在を察知できていなかった。

珍しく焦燥を覚えた文が駆け出したが、魔女が予定調和のように道を塞ぐ。

 

「駄目よ、駄目駄目。あなたはそこから動いちゃいけないわ」

「……キャスター、そこをどきなさい。――どけ」

 

聞き違いかと思ったが、文の口から出たのは明確な殺意を孕んだ声だった。

激情に飲まれるわけでもない、底冷えするような冷酷さ。

 

「宗一郎様があの状態の坊やを始末するのに数秒も掛からないわ。あなたが坊やの元までは一秒も掛からないでしょうけど、それは私が邪魔をするもの」

 

駄目だ文……。そいつの口車に乗ってはいけない。

 

「フフフ、あなたでも私を殺すのに数秒で足りるかしら? その頃には確実に坊やは死んでるわね。命が惜しいのなら、そこでじっとしていなさい」

「…………」

 

文は両手を下ろして、キャスターに無防備な姿を晒す。

その文らしからぬ態度に満足したのだろう、魔女は声に出さずに笑った。

……俺はもういいから、キャスターを倒してほしい。これ以上、文の足を引っ張りたくない。

 

「……キャスター。衛宮をどうする? 殺すか?」

 

抑揚のない話し方。

葛木宗一郎という男は寡黙だった。俺の知っている葛木と言って間違いない。

それにキャスターとの遣り取りを考えると、こいつは操られているとは思えない。

 

「宗一郎様、申し訳ないですけど坊やを始末するのは少し待ってもらえますか? このアーチャーをどうしても手に入れたいので」

「ああ、わかった」

 

葛木が倒れる俺の腕を更に捻り上げて、逃げられないように拘束する。

 

「…………ぐうう!」

 

あと数ミリでも腕を捻られたら、関節が外れてしまうギリギリだった。

……逃げる以前に立ち上がるのもままならない状態。

これは文が変な動きをしたら、すぐにでも俺を殺すというアピールだろう。

キャスターは俺の醜態を満足そうに一瞥して、再び文の方を向いた。

 

「……あなたはマスターの存在を軽んじているのね。もし付け入る隙があるなら、ここだと思っていたわ。聖杯戦争を戦うのはサーヴァントだけど、マスターも参加者なの。それをただの足手纏いにしか思っていないようじゃ、どのみちどこかで負けていたわね」

 

キャスターは、冷たい手で文の頬に触れる。

それでも文は、キャスターではなく俺だけを見つめていた。

 

「……アーチャー、天狗は仲間を大切にすると言ってたけど、それは相互に信頼を寄せてこそ。動物を飼うような一方通行の関係ではないの。マスターを一度でも頼ったことはある? フフ、あるわけないわよね。あなたの坊やに対する扱いはとても仲間とは言い難いわ」

 

文は反論せずに無表情のままで、拘束された俺を見る。

そんな少女の顔を見ていると、どうしようもない罪悪感が込み上げてくる。

 

「…………くそ」

 

キャスター、お前の言っている言葉は全部間違ってる。

遠坂やイリヤと違って、俺はマスターとしても魔術師としてもちっとも優秀じゃない。

こんな状況に陥ってしまって文を困らせているのが、何よりの証拠だ。

でも文は、こんな俺の意見をいつだって尊重してくれた。

ライダーを倒した時だってそうだ。そして今だって……。

それこそが、お前の言っている信頼じゃないのか――?

 

「フフフ、これで形勢逆転――!?」

 

そう勝ち誇った時、キャスターの姿が轟音とともに消えた。

 

 

 

 

一体、何が起きたのか?

瞬きの暇もなくキャスターが境内から掻き消えてしまった。

それに答えてくれたのは――第三者の甘い声。

 

「――それ壊れちゃったから、あなたにあげるわ」

 

子供特有の無邪気さと残虐性が混じった、アンバランスな声の主。

正門付近に見覚えのある大小二つの人影。

見紛うはずもない巨漢の正体はバーサーカーであり、傍らの少女はイリヤスフィール。

 

「イリヤ……!」

 

間髪入れずに再び轟音が境内に響く。柳洞寺の一角を何かが破壊した。

ふと、バーサーカーが斧剣を持っていないことに気づく。

今まで斧剣を持っていた腕は、張り詰めた力を解放したように震えていた。

バーサーカーが斧剣をキャスターに目掛けて投擲したのだ。

アサシンに両断されたとしても、巨人の強腕によって投げられた斧剣の破壊力は想像に難くない。

 

「クスクス。キャスター程度じゃ数秒いらなかったわね。あなたの召喚したアサシンのほうがよっぽど手強かったわよ」

 

イリヤが嗜虐に口を綻ばせている。

彼女がここにいる意味――アサシンはバーサーカーに倒されたのだ。

 

「文は……!?」

 

それよりも今は文だった。彼女は無事なのか?

文はキャスターと手の触れ合う位置にいた。平気なはずがない。

 

「…………し、心臓が止まりかけました……」

 

彼女のいた方角を見ると、地面にぴったりと張り付いている文の姿があった。

ものすごい格好だったが、怪我もなさそうで安心する。

投擲された斧剣に巻き込まれる直前、体勢を最大まで低くして避けたのだろう。

彼女の反射神経なら十分に可能だ。

 

「ふう。今のはヒヤッとしましたね。……相変わらずイリヤさんは容赦ないです」

 

未だに潰れたままの姿勢でイリヤに話しかける。

 

「アヤもよく避けられたね。フフ、とっても恥ずかしい格好だけど。……でもピンチのところを助けてあげたんだから、少しぐらい感謝したらどうなの?」

「ありがとうございます。イリヤさん」

 

地面から跳び上がり、服に付いた埃を叩いてから、ぺこりと頭を下げた。

予想とは違う反応だったのか、イリヤが驚いている。

 

「……意外と素直なのね。皮肉の一つでも返されると思ったからちょっとだけ驚いちゃった」

「清く正しい射命丸ですから。まったく失礼な反応ですね」

 

いつの間にか、拘束されていた身体が軽くなっていた。

倒れた姿勢のまま首だけ後ろを向けると、葛木の姿がいない。

この短時間で、どこに行ったのか……?

 

「士郎さん、大丈夫ですか!?」

 

文がほんの一瞬で俺の側まで移動していた。もういちいち驚いてもいられない。

未だに倒れたままでいる俺に手を差し伸べる。

 

「ああ、ありがとう」

 

大丈夫とは言える状態ではないが、これ以上格好悪いところは見せたくなかった。

 

差し伸ばされた手。

普段はブン屋としてペンを握る手。そしてライダーの胸を貫いた腕。

俺は躊躇うことなく、差し伸ばされた手を力強く握る。

 

「それならよかったです。とても心配しました」

 

文が笑ってくれた。

いま握っている温かい手は、間違いなく女の子のものだった。

 

 

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