文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars.   作:悠里@

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36.天狗と少女と狂戦士と

 

「ぐ……」

 

葛木にやられた傷が、冷え切った身体に熱を持って痛む。

人のものとは思えない鋭い打撃だったが、幸い骨や内臓には損傷はなさそうだ。

おそらく、利用価値が不明なうちは死なないように手加減をしていたのだろう。

それでも、立つのもやっとなのは変わらない。暫くの間、まともに歩くのも難しそうだった。

 

俺と文の前に立ち塞がる、イリヤとバーサーカー。

文は無傷であり、大きな魔力の消耗もしていないだろう。

だが、問題は俺だ。

このまま戦闘に入れば、キャスターの時と同様に文の足を引っ張ってしまう。

今だって俺を庇うように一歩前に出て、イリヤたちと対峙している。

何もできない自分が、つくづく情けない。

 

……キャスターの姿は、どこにも見当たらない。

バーサーカーが投擲した斧剣によって、キャスターは柳洞寺の外壁に巻き込まれた。

それで消滅した可能性もあるが、欺計に長けたサーヴァントだ。

あのままやられたと考えるのは、少し早計なのかもしれない。

それにマスターである葛木も姿を消しており、今もどこかで身を潜めている。

 

「アサシンは死んだわ。バーサーカーの命を一つも奪うことなくね。でも強かった。これまで戦ったサーヴァントの中で一番だった」

 

あの剣鬼は、最期までバーサーカーに臆さずに剣を振るったのだろう。

死の瞬間であっても、あの涼しげな表情を崩さずにいたのは容易に想像できる。

 

「キャスターはしぶとく生きているけど、霊核に致命傷を負ったから、時間の問題。夜明けを待たずに消滅するわ。柳洞寺に張られた結界も消えたし、マスター共々どこかに雲隠れしたみたい。……どうせ死ぬなら玉砕覚悟で掛かってくればいいのにね。フフ」

 

そう言うイリヤは、キャスターのことなどどうでもよさそうな口振りだった。

俺たちを見ている視線が熱く、鋭くなる。待ち焦がれていた獲物を捕らえたように。

 

「そしてここに残るのはわたしたちだけ。それがどういうことか説明しなくてもわかるよね。シロウ、アヤ。一切の慈悲も容赦も無く、バーサーカーがあなたたちを潰すわ」

 

イリヤスフィールが、俺たちに宣戦布告をする。

彼女は本気だった。本気で俺たちを殺す気だった。

迷いなんて、一つも存在しない。

イリヤは昼の時点で別れを済ませて、覚悟を決めている。

俺たちとの馴れ合いは、あの時に終わってしまった。

 

「…………」

 

だが、俺はどうだろうか?

自らの正義のために誰かを殺す覚悟はできている。当然殺される覚悟も。

そう信じていながら、俺はイリヤを殺せるのか?

俺の中で彼女は良き友人と言っても良い。魔術回路を開けてもらった恩もある。

 

あの無垢な顔を向けてくれた少女を、正義の名の下に殺せるのか?

俺では、バーサーカーに勝てるはずもない。狙うのなら必然的にイリヤになる。

彼女の実力は未知数だが、魔力の保有量なら遠坂以上だ。

仮に倒せる力があったとしても、とどめを刺せなければ勝てないのと同じ。

絶対的な実力不足に、生半可な覚悟。

これでは、イリヤたちに殺してくれと言っているようなものだった。

 

深く深く、深呼吸をした。

そして、あの白くて細い首を締め上げる自分の姿をイメージする。

 

――――吐き気がした。

 

……自分が他の人とは、どこか致命的にズレているのは気付いていた。

それでも、あの雪の少女を手に掛けてしまえば、俺の中の決定的な何かが壊れてしまう。

慎二の時もそうだった。

俺は、未曾有の凶行に走った慎二を殺せなかった。

代償として、多くの学園の仲間が死んでしまった。

それは間違いなく、慎二を殺せなかった俺の責任だ。

俺の理想に殉じようとする覚悟は、その程度のものだったのか。

 

切嗣から託された理想を、一度も疑ったことはない。

だけど聖杯戦争が始まり、俺の目指すべき理想は現実との齟齬が生じている。

それは、衛宮士郎のアイデンティティを覆しかねない問題だった。

生涯全てを捧げると誓った理想を疑ってしまったら、俺は俺ではなくなってしまう。

 

しかし、どうあっても俺にあの少女を殺せるはずがない。

だから、彼女に一度尋ねよう。彼女にとって『何のための聖杯戦争』なのか、と。

それが自分を誤魔化すための言い訳だと理解した上で。

 

「……一つ確認したい。イリヤは聖杯を手に入れてどうするつもりだ?」

 

何の脈略のない質問に、少女がきょとんとした。

 

「……なんでそんなことを聞くのかわからないけど、シロウの頼みだもの。少しだけ教えてあげる」

 

それでも俺の真剣さが伝わったのか、躊躇いながらも答えてくれた。

 

「アインツベルンは、聖杯そのものが目的よ。願望機としての聖杯には興味も関心もないの。……聖杯を求める姿勢は妄執と言ってもいい。長い間、聖杯だけを求め続けてきたら、手段と目的が入れ替わったのね」

 

重要な箇所がいくつ抜けていたが、わかったこともある。

イリヤは、願望機としての聖杯は必要としていない。

そして、それが俺にとって最も重要な答えだった。

つまり、アインツベルンは聖杯を悪用する気はない。

遠坂や言峰の話が本当なら、聖杯は使いようによって世界を滅ぼしかねない代物だ。

慎二のように聖杯戦争で誰かを傷つけない限り、俺はイリヤと争う理由がなくなる。

だけど――本当にそれでいいのだろうか?

 

「士郎さん、どうしますか?」

「え?」

 

文が俺に何かしらの決断を求めていた。

 

「何を寝ぼけた顔してるんですか。この場でイリヤさんと戦うかどうかですよ。私はまだまだ戦えます。……あれに勝てるかどうかは別ですけど」

 

バーサーカーと睨み合う文は、いつもの余裕がないようにも見える。

無理もない。ヘラクレスの『十二の試練』によって十一もの命のストックがある。

それをこの場ですべて奪わなければ、バーサーカーを倒し切れない。

遠坂たちが削った命のストックも、この数日で無かったことにされてしまった。

その時点で、これまで遭遇したサーヴァントとは一線を画している。

 

聖杯戦争は、サーヴァントと魔術師によるバトルロイヤルだ。

ここで戦わない選択をしても、イリヤとはいずれは戦わなければならない。

他のサーヴァントに期待するのは、あまりに惰弱で甘い考えだ。

イリヤと戦う理由もなく、勝算も極めて低い。

ここは本来ならば、逃げ出すべきだった。文の力ならそれも可能のはずだ。

 

「…………」

 

ふと、昨晩の事を思い出す。

『お父様』と夢のなかで泣きながら父親を求めるイリヤの姿。

あの時の寝顔は、あどけない少女そのものだった。

イリヤの父親が誰か知らないが、どんな親であっても子供にこんな真似はさせたくないはず。

やはり、このままではいけない。

理想の話ではなく、俺自身がイリヤにこれ以上戦って欲しくなかった。

あの雪の少女が、こんなくだらない殺し合いに関わっちゃいけない。

 

「――戦う。こんな殺し合いにイリヤみたいな女の子が関わるのは絶対に間違っている。イリヤに誰かの命を奪わせるわけにはいかない。ここで止めさせてみせる」

 

イリヤが驚いてた。

俺の言葉がどうやら意外だったらしい。文もまた目を見張っている。

 

「へえ、驚いた。やる気なんだ。お兄ちゃんのことだから命乞いはしないにしても、わたしをまた説得するんじゃないかと思ってたわ」

「同感です。士郎さんの小っ恥ずかしいご高説が始まるかと思いました」

 

文とイリヤが同調するように「ねー」と頷く。……なんか調子狂うな。

やはりこの二人は仲がいい。というよりも、嗜好と考え方が少し似ているのかもしれない。

 

「イリヤが、そこまでして聖杯戦争に固執する理由はわからない。だけど聖杯戦争に参加する信念は本物だと思う。そんな信念なら俺が何を言ってもイリヤの心には響かないし、届かない。だからここは力ずくでもイリヤを止めてみせる」

「あははは。だから大好きだよ、シロウ。――お姉ちゃんも誇りに思うわ」

 

雪の少女が本当に嬉しそうに笑っていた。

……これから俺たちは戦うのに、どうしてそんな顔で笑っていられるんだ。

 

「はい、わかりました。私、射命丸文も士郎さんの意に従いましょう」

 

声を上擦らせながら、文もまた応えてくれた。

バーサーカーと向き合うと、先程見せた弱気な姿勢はおくびにも出さない。

その表情は、イリヤと寸分違わず同じもの。声も歓喜によって震えた。

 

「バーサーカー!! アヤを殺しなさい!!」

『■■■■■■■■■■――!!!』

 

静謐な境内に、大きな雷鳴が轟くような狂戦士の咆吼。

そんな粗暴な戦いの鐘によって、静まり返った境内が再び戦場と化した。

 

 

 

 

先に動いたのは、文だった。

風の刃をバーサーカーに向かって放つと、同時に自身も巨人へ駆け出した。

先遣する刃が巨人の頭部に命中するが、巨人はまったく怯まない。

石柱のように巨大な腕を振い、文を迎撃する。

 

今のバーサーカーは無手だ。それが文の勝機になる。

そうであっても、バーカーカーの膂力から繰り出される拳。

どこに命中にしても、致命傷になってもおかしくない代物だ。

 

文は速度を緩めず、紙一重で巨人の拳を躱す。

完全に回避したはずの打拳は肩を裂いて、肉を抉った。

 

「…………」

 

しかし文は、そのダメージの一切を無視する。

スピードを落とさないまま、バーサーカーの眼前で跳ね上がった。

 

「しっ!」

 

弧を描くように巨人の顎を蹴り上げた。脳を揺らす鋭い一撃で、巨人は僅かに硬直する。

その一瞬を利用して、文は巨人の伸ばされた腕を足場に蹴撃を重ねていく。

 

「――――!」

 

バーサーカーの剛腕が文の蹴り足を掴み取った。頭部へのダメージをものともしないように。

巨人が文に向かって、ニヤリと笑いかけた――ように見えた。

抜け出す暇も与えずに、バーサーカーは腕を大きく振り上げ、文を地面へと叩き付ける。

 

文は風を圧縮したクッションを地面に作り出し、衝撃を和らげようとした。

それだけでは勢いを殺せないと悟ったのか、文は両腕を地面に向けて受け身の体勢を取った。

腕が地面に接触した一瞬、少女の身体はこともあろうか上空に飛び上がった。

両手からゴムのような高圧縮の風を出現させ、力の向きを変えたのだ。

バーサーカーの力を上方向に逃がしたため、弾けるように空へと投げ出された。

 

文は翼を羽ばたかせて、スタート地点に着地した。

肩口の破れた箇所から血が流れているが、それを無視してバーサーカーを見据えた。

焦りはない。アドレナリンが表情を歪ませ、声を出さずに笑っていた。

 

「私の足を掴んでおきながら解放したのが間違いね。やはり狂戦士、おつむが少々足りないわ」

 

イリヤを挑発してみせるが、少女のバーサーカーに対する自信は絶対のもの。

そんな挑発は気にもせず、夜風に靡く髪を押さえていた。

 

「だけど、私の風が完全に無効化されるとは思わなかったわ。以前はダメージが無いにしても怯ませるぐらいはできたのに、どーゆうカラクリ?」

 

イリヤが自信に満ちた表情で、耳に掛かった銀髪をかき上げた。

 

「ふふん、それは秘密。……でも少しヒントをあげる。『十二の試練』は命のストックを増やすのと、高ランク以外の攻撃を無効化する以外にもまだ隠された能力があるわ」

「……それは重畳。やりがいがあるわね」

 

風の攻撃が同じように通用しなかったのは、バーサーカーの宝具によるものらしい。

それなら文の使う風はすべて『十二の試練』の力で、無効化されてしまうのか?

 

「フフ。アヤ、あなたは本当にバーサーカーに勝てるつも――?」

 

少女が突然、話すのを止めた。

 

「……イリヤさん、どうかしましたか?」

 

文が何かしたわけじゃなさそうだ。口調もいつもの敬語に戻っている。

イリヤは勝気な表情を崩して、今も事態を必死に飲み込もうとしている。心なしか顔色も悪い。

 

「……ウソ、もうランサーがやられたの? この短時間で二体のサーヴァント……。ううん、キャスターを入れれば三体になる。これでアヤも入れたら四体。……まずいかも」

「ランサー……?」

 

イリヤは、自分に言い聞かせるように呟いていた。

ランサーとは初日に遭遇しただけだったが、あいつには何度も殺されかけた。

実際、学園の廊下で、深紅の槍に貫かれて一度殺されている。

……そのランサーが誰かに倒された?

イリヤが俺たちを見据えると、程なくしてバーサーカーの戦闘状態が解除された。

少女の視線は冷酷なものではなく、信じられないほど弱々しいものだった。

 

「ごめんなさい。シロウ、アヤ。今日はこれ以上戦えなくなっちゃった」

 

イリヤが本当に申し訳なさそうに俺たちに謝る。眉も下がり、何かに縋るような表情だった。

何かを企んでいる様子もなく、心の底からの謝罪だ。

それにイリヤという少女は、俺たちを嵌めるような奸計を企てるタイプじゃないのは理解していた。

理解に苦しむ俺と文は顔を見合わせるが、それだけで事態の把握はできない。

 

「はて? いきなりどうしたんですか? それにランサーがやられたというのは?」

 

すっかりいつもの調子に戻った文がイリヤに質問をする。

 

「キャパシティの問題なの。時間を空ければ問題ないけど、たった数時間で四体ものサーヴァントを取り込んだら、その場で機能停止になりかねないわ。……ランサーがやられたのは本当。それもたったいま起きたこと」

 

ランサーが誰かに倒された以外は要領を得ない言葉だったが、イリヤの顔を見るに深刻な事態のようだ。

 

「主語を使わないことで回答をぼかしているようですが……いいでしょう。私は手を引いても構いません。……士郎さんはどうですか? マスターであるあなたに一任します」

 

実際に戦うのは文であって俺ではない。ここで何か言える立場でもなかった。

それに、イリヤの申し訳なさそうな顔を見ていると、手前勝手な義憤も落ち着いていく。

 

「……ああ、俺も構わない」

 

俺と文の言葉に、イリヤがホッとしたように笑みを浮かべた。

胸に手を置く姿は、年相応の少女にしか見えない。

 

「我儘を聞いてもらって、本当にごめんなさい。でも、明日――明日必ず殺してあげるわ」

 

それだけ宣告すると白の少女は頭を下げて、黒い巨人と共に去っていった。

 

 

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