文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars.   作:悠里@

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04.天狗少女の野望

 

 

遠坂はそれ以上、なにも語らなかった。もう言うべきことは言い終えたのだ。

紺碧の感情の読み取れない眼差しだけが、俺の答えを待っていた。

 

彼女は、俺に聖杯戦争を降りろと言った。

この場で左手の令呪を放棄して文との契約を抹消し、今すぐ聖杯戦争を棄権しろ、と。

そうすれば、このふざけた命のやりとりから逃げ出せるのだと。

 

もし、遠坂が非情な魔術師だったら、あの場で俺は間違いなく殺されていた。

彼女は、セイバーの剣を収めただけでなく、俺に選択肢を与えてくれた。

 

……それは遠坂凛の持つ優しさだ。

変に誤魔化して、無下にしていいものではない。

 

だけど――。

 

「……遠坂、一つだけ確認しておきたいことがある。聖杯戦争は関係のない人を巻き込むようなものなのか?」

 

確認と訊いたが、これは半ば確信していた。

魔術師という存在の性質は、遠坂よりも前に切嗣から聞かされていた。

 

「ええ、魔術師が他者を顧みることはないわ。聖杯戦争に与しない一般人が巻き込まれることもあるでしょうね」

 

遠坂は、そんな残酷な事実を端的に述べた。

その時、遠坂の顔に僅かな怒りが見えたのは見間違いではないと思う。

 

それならば、俺の意志は固まった。

 

「なら遠坂。俺は――聖杯戦争に参加する。関係のない誰かが傷つくのなら一人で逃げ出すわけにはいかない」

 

遠坂が真意を測るように俺の目を見るが、決意は決して揺らがない。

たとえどんなに自分が危険にさらされようとも、無関係の誰かが泣くような事は絶対にあってはならない。

 

俺の本気が伝わったのか、遠坂が重たい息を吐く。

 

「どうやら本気のようね。じゃあ……その言葉は私への宣戦布告と受け取ってあげる。――おめでとう、衛宮くん。たった今から、私とあなたは殺し合う関係になったわ」

 

そんな言葉を皮肉混じりに吐き出した。

 

「いや、俺は遠坂とは争いたくない!」

 

それが聖杯戦争のルールだとしても。

知り合いの、それも学園の同級生と殺し合うなんてどう考えてもおかしい!

 

「何を言っているの? 聖杯戦争は騙し合い、殺し合う魔術師のバトルロイヤルよ。残りの一組になるまで聖杯戦争は決して終わらないわ」

 

遠坂は、苛立ちを隠そうともせずに立ち上がった。隣で待機していたセイバーも遠坂の後に続く。

 

「だけど! 俺は……!」

「衛宮くん、甘えも大概にしなさい。これで、私とあんたの立場はイーブン。次に会ったら気兼ねなく殺すわ。今夜のところは見逃してあげるけど、次に会ったときは覚悟しなさい」

 

遠坂に言葉は届かない。

俺が聖杯戦争に参加すると宣言した瞬間に、賽は投げられていたのだ。

 

「……最後に一つだけ助言をあげる。今から聖杯戦争の監督者に会いに行きなさい。新都の言峰教会にいるわ。それじゃあね、衛宮くん。お茶ごちそうさま。――ばいばい」

 

これ以上はもう何も伝える事はないと、彼女は居間から出て行った。

セイバーは俺たちを一瞥すると、遠坂の後を追う。

彼女は最初から最後まで徹底して、俺たちに対する警戒を解くことはなかった。

 

少し経ち、玄関の引き戸が閉じる音が居間まで響く。

 

「……くそ!」

 

畳に拳を叩き付けるが、それで蟠りは解消されはずもなく腕の痺れだけ残された。

 

遠坂の言うことは正しいのだろう。

聖杯戦争に参加すると言ってしまった以上、俺と遠坂は敵対関係だ。

だとしても、俺は遠坂と殺し合うなんて絶対にできない。

 

「……畜生! どうすればいいんだ……!」

 

何の意味もないと行為だとわかっていても、俺は再び畳に向かって拳を振り下ろした。

 

 

「ふむ、士郎さん」

 

これまで寡言に徹した文が、俺に対面する形で座り直した。

俺の痺れが残る手を取って、そっと撫でてくれた。柔らかくきめ細かい少女の手だった。

そして、俺の手をぎゅっと握り、俺の顔を見る。

彼女の瞳に引き込まれそうな錯覚。色素の薄い赤の瞳――ああ、これは血の赤だ。

 

「士郎さん、ありがとうございます」

 

『ありがとうございます――』

その言葉を何度か反芻して、やっと言葉の意味を飲み込めたが、俺は彼女に感謝される覚えがひとつもない。

それどころか、今日はずっとみっともないところを見せてばかりだ。

 

「凛さん曰く、サーヴァントを現界させるにはマスターが必要という話でした。もし契約を破棄されてしまったら、私はもうここにはいられなかったでしょう」

「だけど――」

 

だけど、それは違う。

俺は、聖杯戦争に参加すると言った時、隣にいる彼女のことは何も考えてなかった。

自分の都合ばかりを優先させていて、文の存在を忘れていた。

 

これは決して、俺だけの問題じゃないのに自分の都合だけで文を振り回してしまった。

馬鹿か俺は……こんなの、どうしようもなく情けなく、身勝手な話じゃないか。

 

「……ごめん」

 

まだ知り合って数時間の関係だが、聡明な彼女だ。俺の浅慮さには当然気づいているはず。

俺がいま何を謝っているのか、それもわかっているだろう。

 

「いえいえ、まあまあ。うーん、そうですね。とりあえずは結果オーライですので、気にしないでくださいな」

 

俺には、文に対しての罪悪感があった。

だけど『気にするな』と言ってくれたのだ。これ以上謝っても不快にさせるだけだろう。

 

「……ありがとな」

 

喉元まで出かかっていた謝罪の言葉を飲み込み、感謝の言葉に言い換えた。

それで天狗の少女は、少し目を細めながら笑ってくれた。

 

「――では、凛さんが言っていた言峰教会とやらに行きましょうか」

「ああ」

 

 

 

 

電話帳で新都の教会を調べてみると、『冬木教会』という名前を見つけた。

さっき遠坂の言った名前とは違っていたが、おそらくこの教会であってるはずだ。

今回の聖杯戦争の監督者らしいが、教会本来の業務もやっているようだった。

住所を見るに徒歩では距離があったが、今から向かえば何とか夜のうちに帰ってこられるだろう。

 

そうして玄関に向かう途中、自分の姿がとんでもない状態であるのに気づいた。

そういえば、俺はまだ血まみれの制服を着たままじゃないか。

遠坂もなぜか俺の恰好に驚いてなかったから、すっかり忘れていた。

 

「ちょっと待っててくれ。着替えてくる」

 

少し時間が掛かりそうだったので、遠坂が勝手に飲んだお茶を淹れなおし、台所から茶菓子を用意した。

文は、そんなささやかなおもてなしに「わぁ」と声を上げる。

実際大したことはしていないが、そう喜んでくれるとこちらとしても嬉しい。

 

背筋を伸ばして正座をした少女のお茶を嗜む姿は、実に絵になる。

その佇まいの美しさに少し見惚れていたが、当初の目的を思い出し慌てて自室へと行く。

 

使い物にならなくなった制服を脱いで、普段着のトレーナーとジーンズへと着替える。

全身から嫌な血の臭いがしたのでシャワーを浴びたかったが、これ以上、文を待たせるのも悪いだろう。

着替え終わったと文に声を掛けたら、名残惜しそうに残ったお茶を見ていた。

 

「あー……」

 

考えてみたら、彼女の服装も少し目立つかもしれない。

文の着ている白いブラウスとスカートはクラシカルではあったが、そこに問題はない。

 

問題なのは、頭襟と長下駄の靴だ。

そのあまり奇抜な姿は、他の聖杯戦争のマスターに勘付かれる可能性もある。

それに、聖杯戦争に関係のない一般人に目立つのもあまり得策とは言えないだろう。

 

文には悪かったが、天狗の象徴ともいえる頭襟を外して貰って、靴のほうは藤ねえのスニーカーを貸そう。

しかし藤ねえは、うちに住んでいるわけでもないのに、何で靴が置いてあるんだか。

 

「ああ、確かにそうかも。わかりました。了解です」

 

文に今の事情を話すと予想外だったが、二つ返事で快諾してくれた。

彼女もまた、無闇に目立ちたくはないのだろう。

 

頭襟を外し、市販品のスニーカーを履いた天狗少女の姿は、どこにでもいる普通の女の子にしか見えなかった。

だが、どういうわけか、彼女の首にはこれまではなかったカメラを下げている。

手帳や万年筆同様の使い込まれたカメラだ。それも、フィルムを手動で巻く必要のある旧式のタイプ。

 

「文、そのカメラは?」

 

『よくぞ訊いてくれました!』と言わんばかりに顔を喜色満面に綻ばせる。

 

「ふふふ。これは、新聞記者である私の相棒です。知り合いの河童が作ってくれたんですよ。私がどんなスピードで飛んでも、被写体がブレない優れものです」

 

誇らしげに胸を張る。

そして、記念と言って俺の写真を撮ってくれた。ちょっと照れくさい。

カメラを構える少女の姿は使い慣れているためか、とても様になって少しかっこよかった。

 

ん……? スルーしそうになったけど、河童だって?

河童というとあの頭に皿を乗せ、人間を川に引きずり込んで尻子玉という謎の物体を抜くという。

日本人であれば誰もが知っているあの妖怪だろうか。

文のような美少女が天狗という例もあるので、河童もまた俺の想像とは違うかもしれないが。

 

「河童って?」

「エンジニアのにとりさんです(ニコニコ)」

「…………」

 

詳しく聞きたかったが、俺の河童像が大きく崩れそうな予感がしたので、ここはぐっと堪えた。

 

 

 

 

等間隔に設置された街路灯の明かりを頼りにして、夜道を文と歩く。

俺の住む深山から、冬木教会のある新都までは距離がある。

徒歩という移動手段だと時間は掛かるが、道すがら文がなにかと訊いてくるので退屈はしなさそうだ。

 

文は歩きながらも赤い手帳を手にして、これまでの俺の話を纏めている。

どうやら鴉の天狗といっても鳥目ではなく、それどころか夜目は人間よりも利きそうだった。

 

深山と新都を二分する未遠川に掛けられた冬木大橋に、文が声を上げて感動していたのが微笑ましい。

フィクションでよくみる江戸時代からタイムスリップした侍みたいな反応だった。

走行中の車を見た時は、一目でどういうものか理解したらしく『鉄のイノシシだ』と言わなかったのは、少し残念だった。

 

 

「で、ここからが新都だ」

「はー、なんだか町の雰囲気が違いますね」

 

冬木大橋を渡り、新都に入ると町並みが大きく変わる。

深山は昔ながらの旧家のある住宅街だが、新都はオフィスビルや娯楽施設が建ち並ぶ商業地域だ。

文はその都会の姿に、物見遊山の様子で意識を奪われていた。

 

 

どうやら質問も一区切りしたみたいなので、今度は俺から文に質問することにした。

 

「ところで、文はどんなところに住んでたんだ?」

 

現状、文については烏天狗である以外はなにも知らない。

自分が質問される側になるとは思っていなかったのか、僅かに鼻白んだ。

 

「……私ですか? えーとですね。端的に言うと、私は幻想郷という大きな結界で隔絶された土地に住んでいます」

「結界で隔絶された土地……?」

 

いきなり突拍子もない話が飛び出したが、これは俺が聞いても大丈夫な類なのだろうか。

 

「そこには、外の世界……つまり、この世界において幻想とされている。いえ、正しくは――されてしまった妖怪や神々の世界です。もちろん人間も住んでいますが、その数は妖怪に比べて多くありません」

「……それ、この日本の話なのか?」

「ええ、もちろんです」

「…………………………そうなのか」

 

俺は、すでにこの話についていくのがやっとだった。

どうやらこの日本のどこかに、そんな神秘そのものといえる場所があるようだ。

 

「明治時代の初期ごろに隔絶されたので、文明はその時から停滞しています。そのかわりに精神の発展がすさまじく、魔法の類はこの世界よりも発展しているかもしれませんね」

 

他にも種族が魔女という生まれついて魔に携わる者や、人間をやめて魔法使いという種を確立した者もいるのだという。

俺のような凡庸の魔術使いではなく、この世界の魔術師がこの話を聞いたら、垂涎ものの内容ではないだろうか。

 

そして文は、その幻想郷で人間が立ち入ることがない八百万の神々が住む山に居を構えているらしい。

その御山は幻想郷においても、独自の文化と規律があり、さっきの話に出てきた河童の技術者や文のような天狗の新聞記者が他にもいるという。

 

「――それでですね。私事ではありますが、天狗のブン屋は毎年、新聞大会を開いてまして……私は、その大会に優勝するのが目下の目標なんです」

 

新聞大会か。学園の部活動みたいでちょっと面白そうだ。

 

「……実は、私がここに来た目的は外の世界を新聞のネタにするつもりだったんですが、まさかですよ。こんな事態になるなんて思いもよりませんでした。ですが、これはこれで何かのネタにはなりそうですけど……」

 

相づちを入れる暇もなく、彼女は話を続ける。

考えてみれば、新聞記者……ジャーナリストというのは他者に情報を伝えるための職業だ。

己の見聞を、こうやって俺に伝えるのも嫌いではないのだろう。

 

……それにいま、この世界に来た動機をさらりと話したな。

 

「……新聞大会優勝できるといいな」

「はい! 士郎さんのご期待に添えてみせますとも!」

 

つまり文は新聞のネタのために、この外の世界を訪れたというのか。

俺にはよくわからないが、天狗の新聞大会は彼女にとってそれだけ重要なんだろう。

そうやって話をする彼女は、いつものように薄く笑みを浮かべていた。

それでも情熱と呼べるようなものは、他人の感情に鈍い俺にも伝わってきた。

 

 

 

 

新都のビル群が並ぶオフィス街を越えた郊外に、目的地の冬木教会を見つけた。

教会は思っていたよりも豪華な外観であり、夜という雰囲気もあってどこか圧倒されてしまう。

 

「…………?」

 

しかし静謐で神聖な空間であるはずなのに、どうしてか俺は正体不明の禍々しさを感じていた。

冬だというのに肌にはじっとりとした不快さを感じ、足が自然に止まってしまう。

 

隣を歩く文はそんな感覚をものともしないのか、そもそもなにも感じていないのか。

教会の正面口まで続く石畳を淀みなく歩いていた。

 

「あや? 士郎さん、どうかしましたか?」

「いや、なんでもない」

 

急いで文に追いつくと、俺は彼女よりも先に教会の大きな扉を開いた。

 

 

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