文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars. 作:悠里@
『魔獣「鎌風ベーリング」』
文のそんな言葉と共に、風が彼女の周囲に吸収されていく。
吸収された風は、鎌鼬となって少女の身体を纏った。
巻き込まれた石ころが風に触れると、バターのように切断される。
それは天狗少女の鎧であり、触れるものを全て切り刻む刃だった。
迂闊に手を出そうものなら、肉体どころか骨ごとなます切りにされるだろう。
『■■■■■■――ッ!』
だが、バーサーカーはお構いなしに猛進する。
荒ぶる鎌鼬の圏内に侵入しても尚、未だセイバーの血で濡れた斧剣を振るった。
風刃がバーサーカーの巨体を次々と襲うが、皮の一枚すら切れていなかった。
行動を制限された様子もなく、巨人の機動性は一切損なわれていない。
「なんて――化物!」
文は苦々しい表情で、目前に迫る唐竹割りを巨人の身の丈を超す跳躍で躱した。
空中という、自由の利かない空間。
本来なら無防備な状態に陥るが、そんな常識は文には当てはまらない。
空中こそが彼女本来の戦場であって、真の実力を発揮できる。
俺はキャスターとの戦いを見て、それを強く実感していた。
跳び上がった少女は足場のない空間に、片足だけで立っていた。
背中の翼を動かすまでもなく、当たり前のように空中でバーサーカーを俯瞰する。
「あれは……?」
よく目を凝らすと、少女の足の下には球体状に圧縮された風が生成されていた。
「喰らいなさい!」
その風の球体を足場にして軽業師の如く、後方へと跳ね飛ぶ。
風の球体が蹴り飛ばされて、バーサーカーに飛んでいく。
ドン、と派手な音を立て胸部に命中したが、それも鋼鉄の肉体に弾かれて霧散してしまう。
やはり、ダメージは受けてないようだった。
「これも駄目」
重力の落下に身を任せる少女に、バーサーカーは間合いを詰めた。
あの程度の距離ならば、数秒すら必要ない。
「ふっ!」
しかし文は襲い掛かる巨人ではなく、地面を狙って天狗の羽団扇を二度振り抜いた。
団扇から発生した二つの風は地面に刺さると、地を這う刃となってバーサーカーへと奔った。
『■■■■■■――!!』
バーサーカーは、物ともせずに刃を蹴り破る。
「わお――何の足止めにもならない」
文は、地面に足が着く前に翼を大きく広げると、空で迎え撃つ態勢を取った。
バーサーカーは、自身の間合いに入った瞬間に、空飛ぶ天狗に武器を振りかざした。
どうやら文はセイバーのように、攻撃の回避に専念するようだ。
……バーサーカーの戦法は極めて単純だ。目に映る敵に斧剣を振るうだけ。
奇を衒わない、至極単純な正攻法。
バーサーカーのように攻守ともに、ずば抜けた身体能力があれば、どんな敵であってもオールマイティに戦える。
現に文もこれまで数々な風の技を駆使したが、ただの一つも『十二の試練』を貫けていない。
『■■■■■■――ッ!!』
斧剣の切っ先が、文の鼻先を掠めそうになった。
「おお、怖い怖い」
回避を続ける文は余裕そうに見えたが、おどけた言葉にはどこか焦りも含まれていた。
恐れなど知らないバーサーカーは間合いを更に詰めて、剣速を加速させていく。
アサシンの剣を全て避けきった文も、触れずとも肉を裂く巨人の剣は勝手が違うのか。
「――――失礼。ちょっとだけ退避させてください」
文は翼を羽ばたかせると、空に向かって飛んでいく。
そのまま、バーサーカーの手の届かない10メートル程度の高さで静止した。
夜の森に混ざる濡羽色の翼……彼女の着る純白のブラウスがとても明るく感じた。
「あー! ずるいずるーい! そんなの反則よ、反則ー!」
イリヤが頬を膨らませて抗議をした。
この高度では、バーサーカーの間合いの外だ。
理性を失ったヘラクレスでは、本来の特技である弓は使えない。
そのせいで、バーサーカーの攻撃手段はかなり限定される。
キャスターの時のように斧剣を投擲するのも可能だろうが、空中であればどんな不意打ちであっても文に当たるはずがない。
『■■■■■■……』
そんな状況でバーサーカーは、低い唸り声を上げて立ち尽くしている。
「おほほ。私へのクレームは事務所を通してください」
……その事務所とは、聖杯戦争を管理する教会を指しているのか。それとも単に俺の家だろうか。
イリヤの膨らんだ頬は更に大きくなり、空を悠々自適に飛んでいる文を非難する。
「もー。そんな意地悪言うなら、先にシロウを狙っちゃうんだからね!」
今まで空を仰いでいたバーサーカーが俺をじろりと睨んだ。
「く……!」
イリヤとの戦いは、暗黙の了解であるようにマスターを直接狙わなかった。
それは遠坂たちも含めたもので、単純にサーヴァントの力だけを競わせていた。
おそらく聖杯戦争初日に、文がイリヤを直接狙ったのが原因だろう。
それでも何か取り決めをしたわけではないので、イリヤの言い分には何の非もない。
俺も以前に、バーサーカーがどうしようもなければ、イリヤを狙うしかないと考えていた。
それは文も納得しているのか、困惑を表すように翼を力なく垂らした。
「あー、それは困るわね。……とても困ります。では、5分だけ時間をください」
「……いいわ、ぴったり300秒ね。1秒でも過ぎたらシロウを殺しちゃうんだから」
イリヤは、文からの提案をすんなりと受け入れた。
射命丸文が最大のポテンシャルを活かせるフィールドは空だ。
彼女がその気になれば、手が出せないバーサーカーに一方的な攻撃だってできる。
そのため、この提案はイリヤからすれば破格の条件だった。
文に取って相性が良い相手ではないのに、そのバーサーカーの最も得意とする舞台で戦う。
そして文が約束を反故にすれば、イリヤは確実に俺を殺すだろう。
「クソ……まただ」
また文を窮地に追い込む原因になってしまった。
俺の力の無さがどこまでも彼女の足を引っ張ってしまう。
『力を持たない雑魚の分際で烏滸がましい』
さっきからずっと、呪いのように付きまとう文の言葉――。
今もまた彼女の言葉通りの現実があった。
でも彼女は、その前にこうも言っていた。
『思考を極端にしてはいけない。私は士郎さんにもっともっと悩んでほしい』
……悩む、つまりは思考だ。
『一つに囚われずに、いろいろと思考を巡らせろ』と彼女は暗に言っていた。
そうすれば……今の俺にだって何かできるのだろうか?
◇
猶予は250秒を切った。
彼女は何もせずに翼を羽ばたかせ、空中でぶらぶらしているだけだった。
ただ、いつになく思慮が深い顔をしている。
そうして時間がいたずらに過ぎる中、文が腕組みを解いて俺たちを見下ろす。
「これから話すのはただの独り言。あなたたちは別に聞かなくてもいい」
彼女から感じる雰囲気は、妙に神妙で飾り気がなかった。
端的に言えば、俺の知る射命丸文らしくなかった。そして少女は『独り言』を始める。
「私は運が良かった。これまで戦ってきたサーヴァントに純粋な英霊は一人としていなかった。同じ穴の狢のメドゥーサ。人間の亡霊でしかない佐々木小次郎。……これは当て推量だけど、裏切りの魔女メディア。彼らは誰一人として、英雄と呼ばれる存在ではなった。だから私も不文律の外で気兼ねなく戦えた」
……メディアというのは、キャスターのことだろうか?
どこで知ったのかは不明だが、情報の収集と分析は彼女の専門分野だから不思議ではない。
「……で、その『不文律』って何のこと?」
イリヤは俺と違う点が引っ掛かったらしい。そんな疑問を上空にいる文に尋ねる。
……どうやらその『不文律』が本筋だったようで、文はイリヤに感心するような一瞥を与えた。
「妖怪は人間を喰らい、人間は妖怪を退治する。それが私の住む幻想郷での尊い秩序であり、妖怪と人間の間に築かれたひとつの信頼。そして妖怪を退治する人間。それは即ち、英雄と呼ばれる存在――」
何が正しくて、何が間違っているか。
そんなものは、時代や環境によって大きく変わる。
彼女は人を喰らい、人に殺される関係を秩序と尊び、信頼と呼んだ。
……俺はそんなこと、絶対に認められない。
だが俺がそう思っていても、文の住む世界ではそれが事実なのだろう。
「英雄とは――人間たちの願いによって奉られる者。古来より彼らは我らの天敵であり、そうあって欲しいと願われた英雄の剣は、妖怪にとって究極の毒になる。妖怪が英雄に倒されるのは、世界の定めたルール。世の理。なるべくしてなり、負けるべくして負ける」
烏天狗は、地上にいるヘラクレスを見下ろす。
「………ふふ」
その時、文の肩から血が滲んだ――。
そこは昨日の夜、ヘラクレスの攻撃が掠ったところだ。
異常なまでの再生力を持つ文が、一日経った今でも傷が塞がってない……?
「そして、その最たる存在が大英雄ヘラクレス。私のような一介の烏天狗では、とても敵うような存在ではありません」
どの国であっても、古典的な英雄譚は『英雄が魔を討つ』といった話が多い。
ヘラクレスもそんな例に漏れず、ネメアの獅子を始めとする数々の化物を滅ぼしたのは有名だ。
今の話が本当なら、文に取ってヘラクレスほど絶望的に相性の悪い相手はいない。
「妖怪が英雄に勝つ――それは、上から下へ流れる水を逆さにするのと同じ。正直に言えば、無茶もいいところ。……でも、たまには妖怪が英雄を打ち破ってもいいと思いませんか? だから私は挑みます。私の風が下流に流れる水を、上流に押し戻してみせましょう!」
少女は、一枚のカードを取り出した。スペルカードと言う彼女の切り札。
彼女はこれまで、殆どスペルカードを使っていない。
あれは、サーヴァントで言うところの宝具に該当する神秘だ。
宝具と同様で、迂闊に晒すわけにはいかない。
それとも、単にスペルカードを使う機会に恵まれなかっただけかもしれない。
そのカードを、誰の目にも映るように掲げた。
『風符「天狗道の開風」――』
誰の耳にも届く、はっきりとした発声でカードに記された一文を読み上げた。
「このスペルカードには、私の得意技を記してあるの。で、いま宣言した『天狗道の開風』がその技の名前。扇の一薙ぎとともに魔力で練られた最大級の風を放つ。ライダーも倒したそれを、バーサーカーに使うわ」
「何それ? 私のバーサーカーを相手に技の説明? ……随分と舐められたものね」
最強のバーサーカーが甘く見られたと感じたのだろう。イリヤが不機嫌を露わにした。
「いえ。これは私の住む幻想郷のルールみたいなものでしてね。このルールを無闇に破ると、こわーいお歴々にボコボコにされてしまいます。癖みたいなものですから、気になさらないでくださいな。……もっとも今回に限って、出力を落とすつもりはありませんけどね――!」
文の魔力が高まると、利き腕に持った葉団扇に巨大な旋風が発生した。
いや、これは旋風なんて優しいものではなく、竜巻と呼べるクラスの暴風だ。
文の言う通り、これはライダーとの決着を付けたスペルカードだ。
その風が持つ威力は、間近で見ていた俺が最も理解している。
雲海にぽっかりと穴を開け、数キロ先のライダーを天馬ごと切り刻んだ。
ライダーは身体を切り刻まれ、肩から切断されかけていた。ペガサスに至っては、頭部を抉り取られていた。
それは、いま思い出すだけでも肌が粟立つ光景――。
「でも、これなら……きっと」
あの技ならきっと、バーサーカーの『十二の試練』でさえも打ち破れる……!
「じゃあ、行くわ。避けてみなさい。――避けられるものならね!」
文が葉団扇を一閃した――。
距離は、たったの10メートル。来るとわかっていても躱せるような規模じゃない。
烈風の大きさはバーサーカーを優に超え、その速度もまさに疾風迅雷。
バーサーカーは、回避行動を諦めているのか、両腕を掲げて風を受け止る態勢に入る。
息つく暇もなく、巨人と烈風が接触した。
『■■■■…………!!!』
押し潰そうとする風の圧力は凄まじく、バーサーカーの足が瞬く間に大地にめり込む。
離れた場所にいる俺のところまで、暴風が吹き荒れる。
目に砂塵が入らないように腕で顔を覆ったが、大した意味はなかった。
抵抗する暇すらも与えずに、烈風がバーサーカーを飲み尽くし、押し潰した。
ミキサーのような風の刃が、ガリガリと音を立てて鋼の巨躯を削っていく。
『■■■■■■――ッ!』
竜巻が消える頃、巨人の姿は地面に埋まるまで潰されていた。
黒の巨人は、ぴくりとも動かない。いや、動けなかった。
そして、ぴったり5分後――天狗の少女が地上に下りた。