文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars. 作:悠里@
烏天狗の烈風によって、バーサーカーは地に伏せた。
吹き荒ぶ風も大気に四散し、夜の森はかつての静けさを取り戻している。
後はただ、バーサーカーが起き上がらないことを祈るだけ。
バーサーカーの命のストックは、残り4つ――。
文のスペルカードで、そのすべてを削り切っていればいいはず……!
「あははははは――――!!」
夜の静寂に水を差す、無邪気な少女の笑う声が響いた。
崩れた城の瓦礫の上に座るイリヤが、肩を揺らして笑っていた。
本当は……今だって体調が悪いはずだ。
それすら無視できるぐらい、おかしくて堪らないのか、転げるように笑っている。
「イリヤ…………?」
「おっかしい! 笑っちゃうわね! ねえねえ! アヤの奥の手って、その程度なの!?」
それだけの言葉で、俺はイリヤが何を言っているかわかってしまった。
こんな時に感じる悪い予感は、かつて一度だって外れた試しがない。
「嘘……!?」
文ですら同じだった。色めき立ちながら、視線をバーサーカーに向ける。
「あーもう! ほんっと、おかしいんだから!」
つまりバーサーカーは、文のスペルカードで倒されてはおらず――。
『■■■■■■……!!』
イリヤの声に反応して、地面に潰れていたバーサーカーが、何でもないように起き上がった。
文の烈風で削り取られたはずの肉体は何一つ傷もなく、低い唸りを上げる。
「命を奪うどころか、無傷……? そんなこと……!?」
そう、あり得るはずがなかった。
セイバーのエクスカリバーほどの威力はなくても、ライダーを宝具ごと飲み込んだ天狗の風だ。
『十二の試練』のストックを削ったとしても、全く不思議じゃない。
「クスクス。二人揃って、なんでって顔してるね。……アヤはさっき私が言ったこともう忘れちゃったのかしら? あっ! もしかして、鳥頭だからなのかな!?」
バーサーカーは、一度受けた攻撃は二度と通用しない――。
イリヤがそう言っていたのは間違いない。だけどそれは。
「攻撃の耐性を会得するのに、殺される必要もなかったわけ……?」
「そう! アヤの風はバーサーカーには効かないの! 聖杯戦争の始まった日に攻撃を受けた時からもう――ぜんぶ! ぜーんぶ! バーサーカーには、最初から意味なんてなかったんだから!!」
「いくらなんでも……そんなの、嘘だろ……?」
自分で言いながら――なんて間抜けなのか。
イリヤの話が嘘じゃないから、こうしてバーサーカーは無傷で立っているじゃないか。
「はあ……」
天狗の少女が、覚めない悪夢を振り払うように頭を何度か振ってみせた。
それに彼女は、あのスペルカードを『最大級の風』と言っていた。
つまり、『あれ以上の風は起こせない』と言っているのと同義だった。
「さて…………どうしましょうか?」
射命丸文は、それでも笑っていた。
でも口端が少し引きつったその笑みは、常に自信に満ちた彼女に少しも似合わない。
だって、それは自嘲の笑みなんじゃないのか?
「………………」
ああ……こんなの、思ってはいけない。絶対に思っちゃいけない。
俺は文のマスターとして、一瞬であっても最低最悪なことを思ってしまった。
もう射命丸文は、バーサーカーに勝ち目がないと。
「シロウもアヤも、バーサーカーには何をやっても無駄だって理解したようね。じゃあ、もう思い残すこともないかしら。――バーサーカー! アヤをやっちゃえ!!!」
『■■■■■■――ッッ!!』
何度目になるかわからない雄叫びを夜の森に響かせ、バーサーカーが文を襲うために肉薄する。
「ま、白兵戦でやるだけやってみますか。……イリヤさんとの約束ですからね」
文がバーサーカーを、再び迎え撃つ。
斧剣の横薙ぎを限界まで身を屈めて回避し、巨人の懐に飛び込む。
風による攻撃が効かない今、文はバーサーカーに対してセイバーよりも更に間合いが狭くなる。
そのため、自ら死地に赴く距離でしか文は攻める手段がない。
「これは――どう!?」
葉団扇を無防備な腹に目掛け、横一文字に斬りつける。
魔力を纏った葉団扇は鋭利な切れ味を持つが、巨人に対してダメージを与えるまでに至らない。
少しも怯まずに、懐にいる文に蹴りを放った。
斧剣による攻撃でなくとも、ガードはできない。バーサーカーの放つ攻撃はすべて一撃必殺だ。
「ふ……ッ!」
地面を抉るようなバックステップで距離を取りつつ前蹴りを躱すも、巨人の追撃は止まらない。
『■■■■■――!!』
地面を掬うように斧剣を振り抜くと、文にめがけて無数の飛礫を飛ばした。
大型の散弾銃を超える威力を持つ飛礫に、文は咄嗟に風の防壁を展開して防ぐ。
「……く!!」
しかし本来、バーサーカーの攻撃は、回避のみに専念しなければならない。
避けなければいけない攻撃を、たったいま防壁で受けてしまった。
結果、ほんの一瞬だけ生じてしまう防御による硬直。
巨人は一息に間合いを詰め、文に有無を言わさず斧剣を叩き付けた。
「…………!!」
大地を二つに割る一撃――。
それを間一髪のところで身を捻り回避したが、ここはもうバーサーカーの領域。
斧剣の攻撃に隠れていた左腕が、既に文を狙っていた。
「ウソ……!?」
下から上に突き上げるように放たれた左拳は、風の障壁を紙クズ同然に突き破る。
そして一切勢いを落とさずに、文の胸部を深く抉った。
間違いなくクリーンヒットだった。肉体を打ち砕く衝撃が文に走った――。
「ぐぶ……!」
少女は口から大量の鮮血を吐き出し、華奢な身体が空高く打ち上げられる。
……その時の滞空時間は、ゆうに10秒はあった。
かつてないダメージにより受け身も飛行もままならず、そのまま凍り付いた大地に叩き付けられてしまう。
「~~~~ッッ!」
都合、二度に渡っての衝撃。
しかし落下時の衝撃よりも、バーサーカーの左拳によるダメージが致命的だった。
耐え難い痛みに悶絶するようにのたうち回り、呼吸すらもできずに呻き声を上げる。
黒色の血を吐き出す様からして、内臓にも大きな損傷を受けていた。
「文!!」
「……………………!!」
少女に、俺の声は届いていない。
どんな時だって俺が話しかければ、彼女は返事をしてくれた。
真面目に答えてくれる時も、冗談を返してくれる時もあった。
「……あ……ぅ……」
そんな彼女が、身体を痙攣させるように地面でビクビクと震えている。
文の攻撃は、スペルカードも含めて一つたりとも通用しない。
片やバーサーカーは素手による一撃ですら致命傷。
お互いの相性や身体能力の差――そして『十二の試練』があまりにも常識外れだ。
…………もうこれは、戦いにすらなっていない。
「あははは! アヤは空を飛ぶのが好きみたいだから、バーサーカーが気を利かせてくれたようね! ちゃんと感謝しなさい!」
「…………あ、あっ」
文は地面に倒れたまま、声にならない声で喘いでる。
必死で起き上がろうと、手と足に力を入れようとしていたが、それも叶わない。
「でも、もう駄目。それと、さっきみたいに空をうろちょろされるのも面倒ね」
イリヤスフィールが、かつてないほどの残忍な顔をしていた。
あれが少し前に、俺たちと一緒に酒を楽しんだ少女と同じ人物なのか……?
「だから――その羽、もぎ取ってあげる」
は――――?
「なにを、言って……?」
羽をもぎ取る……? 文の黒い羽を……?
理解ができない。理解したくない。
イリヤは何の恨みがあって、そんな残酷なことを文に言えるんだ……?
『■■■■■■……!』
バーサーカーが、地面に寝そべる文の身体を人形のように鷲掴みにした。
「ハッ……ハ……」
受けたダメージが甚大で、文は短く呼吸を繰り返す。無抵抗そのものだった。
そしてこれからバーサーカーは、イリヤの命令通りの行動を行う――――。
「……やめろ――――ッッ!!!」
こんなの黙っていられるか!!
いくら足手纏いと罵られようが、構うものか!!
ここで彼女を見捨てたら、その時点で俺は爺さんの理想を追う価値のない人間に成り下がってしまう!!
「ふざげるな……!! 今すぐやめろ!! やめるんだ!!!」
「クスクスクス。やめない。絶対やめないわ。だからね……お兄ちゃんは大人しくそこで見てなさい」
座り込んでいたイリヤが起き上がると、照準を定めるように少しだけ俺に歩み寄った。
少女の微笑が凄惨なものに変貌して、紅玉の魔眼に魔力を灯す。
「ガア、ア……ッ!」
土蔵の時と同じく、俺の身体がイリヤの魔眼によって縛られてしまう。
手も足も縛られたように動けない。呼吸以外の生命活動を止められてしまったようだ。
「ぐ……う……!!」
しかし、術者との距離が離れているためか、辛うじて体が動く――!
拘束の魔眼に逆らったせいで、身体の神経が悲鳴を上げる。
だけど、ここで俺の全部の神経が千切れようが、そんなの知ったことか!!
「うぐうううう……ああああ…………!!」
身体中の神経や血管が破壊される音とともに……足だけに集中をして、一歩また一歩と刻んでいく。
歩いている! 歩けている!
だが、それでも――――文までの距離は絶望的だった。
「アヤはどんな悲鳴を聞かせてくれるのかな? ふふー。とっても楽しみ!」
『■■■■■■―――!!』
丸太のような黒い腕が、少女の黒い翼を乱暴に掴む。
いつだって飄々としていた文の顔が――その時だけは誰かに縋るように強張った。
「はっ、は! ………………じょ、冗談じゃ、ないわよね……?」
そんな、文らしからぬ言葉。
巨人の金色の瞳からは、相変わらず何の表情も読み取れない。
こいつはイリヤスフィールの命令に従うだけの木偶にしか過ぎないのだと、俺たちは悟ってしまった。
少女の顔に諦念と自省の念が浮かび、最後は絶望に染まる。
そして、巨人の腕に力が込められた――――。
「――――――――!!!!!」
ブチブチブチと――筋繊維が断裂する不快な音。
バーサーカーの豪腕によって、少女の翼が躊躇なく、少しずつ引き千切られていく。
「ああ……ッ!! いゃあ、あああああああああああああ………………ッッッッ!!!!」
限界まで目を見開き、これ以上ない苦悶の顔で、かつてない絶叫を上げる。
恥も外聞も己の矜持すら捨て去って、涙をぼろぼろと流しながら泣き叫ぶ。
「う……あああああ…………ああ、ああ……あああああああああ……ッッ!!」
俺の心までも、潰されてしまいそうな悲鳴だった。
いま彼女を助けられるなら、俺は首だってもがれても構わない。
あの気丈で快活な少女が、涙を流しながら叫び続ける姿――。
俺にはもう、耐えられそうもなかった。
「う、あ………………あ…………ッ」
喉が枯れ果てたのか、悲鳴は声にすらなってない。
息を詰め、小さく震えている。
だけど、ゆっくりと確実に、少女の背中から黒い翼がもぎ取られていく。
俺はこんな時だって、見ているだけで何もできなかった。
イリヤの魔術のせいで、目を逸らすのも耳を塞ぐのも許されず、ただ、地獄を眺めるだけ。
「………………………………」
そして、根本から文の左の翼が引き千切られた――。
バーサーカーはまるでゴミでも扱うように、千切り取った翼を地面に投げ捨てる。
文はもう、壊れた人形のように首を垂らし、なんの反応を示さない。
少女の背中から夥しい量の血が溢れ出し、純白だったはずのブラウスを赤く染めた。