文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars.   作:悠里@

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44.風神少女

 

 

「…………あ……ああ……」

 

黒い巨人の腕のなか、精も根も尽き果てた天狗の少女は、ただ喘ぐ。

今も意識を失わずにいるのは、彼女にとって幸か不幸か。

ここで首をねじ切るように命令されたら、それで全てが終わってしまう。

 

「ア、ハハハ。いい気味、だわ……」

 

バーサーカーに悪魔のような命令を下したイリヤは、瓦礫の上で俯いていた。

明らかに体調を崩してる。声にも張りがない。

 

「動ける……?」

 

……魔眼の拘束力が、さっきよりもずっと弱くなっていた。

もしかしたら、距離の問題ではなくて、イリヤの体調が原因なのかもしれない。

だが拘束力が弱まったとしても、到底走れるような状態ではない。

 

『――同調開始(トレース・オン)

 

イリヤに魔術回路を開けてもらったので、命懸けの工程も必要なくなった。

 

『――――基本骨子、解明。――――構成材質、解明』

 

イリヤの金縛りを、強化魔術の応用で解析していく。

 

「…………?」

 

たったそれだけで、魔眼の拘束が解けてしまった。

土蔵で受けた時とは比較にならないぐらい、魔眼の力が弱い。

ともかく、これで身体は動けるようになった。

すぐにも文の元に駆け出したかったが、それこそ彼女への裏切りだ。

 

『今あそこに行って何ができますか? 思考を極端にしてはいけない。私は士郎さんにもっともっと悩んでほしい』

 

彼女の言葉を、頭の中で反芻する。

今の文は、あの時のセイバーと寸分違わず同じ状況だ。

そのとき彼女は、俺に悩むように言った。結論を一つにせず、思考を巡らせろ、と。

だから、悩む。自分に何ができるかを、思考する。

俺にできるのは、強化の魔術。それと――投影。

強化魔術は、ここでは何の役にも立たない。俺の周辺には、木の枝しか転がってなかった。

そうなると、投影魔術が残った。

今の俺に投影できるものなんて、たかが知れている。

それでも俺は、投影できそうな武器を思い浮かべてみた。

 

「…………」

 

最初に浮かんだのは、一振りの剣だった。でも俺に剣なんて使えない。

……仮に使えたとして、それでどうなる?

バーサーカー相手に剣を持って吶喊しても、一撫でで殺される。

衛宮士郎という存在が、意味もなく死ぬだけ。

だから投影するのは、剣じゃない。

俺に使える武器があるとすれば、一つだけ。そして、その武器だったら自信だってある。

 

『――投影、開始(トレース・オン)

 

大して時間も掛からずに、一組の弓と矢を投影できた。

武器を投影したのは初めてだったが、思った以上に上手くいった。

部活でずっと使ってたから、イメージもしやすい。

 

そして、これが俺に使える唯一の武器。

弓矢には神秘も何もなく、市販品と変わらない性能しかない。

こんなもの、バーサーカーには絶対に通らない。

だから、これを使って何ができるかを悩む。思考する。

 

「もしかして……文なら……」

 

一つだけ思いついた。あとはそれを実行するだけ。

慎重に、なるべく早く。

イリヤがバーサーカーに、次の命令を下す前に実行しなければならない。

 

「……文」

 

名前を呟いてしまう。

大きな声を出すわけにはいかない。イリヤに気付かれたら、それで終わりだ。

 

だから俺は、文に目配せをした。

文は俺の知る人物のなかで、一番周りを見ている。もちろん、サーヴァントも含めて。

なんせ、相手の呼吸から行動が読めるとキャスターに言っていた。

あんな状態であったとしても、文の能力を信じる。

それに俺はその能力以上に、彼女が持つ目端に全幅の信頼を寄せていた。

 

「…………?」

 

文が虚ろながらも、俺の目配せに反応した。

視線が、少しの間だけ重なる。

そして弓矢を見た彼女は俺の意図に気付いて、小さく首肯をした。

苦痛に顔を歪ませながらも、少しだけ驚いた顔だった。

 

ほら、やっぱりあいつは凄いやつだ。俺の考えなんて、手に取るようにわかってしまう。

だけど俺の想像とは、ちょっと違う驚き方をしていたな。

 

「よし……やるぞ」

 

自らを奮い立たせるため、あえて声に出した。

当然、自分だけにしか聞こえない範囲で。

標的までは、目測で10メートル。この程度の距離であれば、俺は絶対に外さない。

 

「それじゃあ……折角だし、もう片方の羽もいただいちゃおうかしら?」

 

俯いていたイリヤも、いつの間にか回復していた。

……こちらには気づいていない。俺の拘束が解除されたとは思ってないのだろう。

それでも、これが最初で最後のチャンスだ。何があっても、失敗は許されない。

 

「イリヤ、どうしてなんだ……?」

 

あんなに仲の良かった文に対して、あそこまで残酷な仕打ちができたのか。

聖杯戦争の敵の一人として、殺してしまうのならまだわかる。

拷問のように痛めつける必要があったのか。それだけは少しも理解できない。

もしかしたらあの雪の少女は、根本的に善悪の判断がつかないのかもしれない。

 

だが、今は文が最優先だった。

バーサーカーの腕が残った翼を掴もうとした瞬間、狙いを定めて弦を引き絞り、矢を放つ。

 

「……気づいてくれよ」

 

一本の矢は、吸い込まれるように巨人の目に命中した。

そして、当たり前のように弾かれる。

ダメージがないにしても、俺の攻撃に気づく――。

バーサーカーは、反射的にこちらを向いた。当然イリヤも俺に気づく。

 

「……シロウは放っておきなさい。アヤを殺した後に好きなだけ遊べるんだから」

 

こんな弓矢、最初から通用しないのはわかっていた。

それでも一瞬――ほんの一瞬でもバーサーカーの注意を逸らせればいい。

想定外の事態があれば、文を握る力だって多少は緩まるはず。

 

「ぐ、うううううう――――!!!」

 

微かに緩んだ巨人の腕をこじ開けて、文は弾けるように飛び出した。

彼女は、バーサーカーに力で遠く及ばない。それでも俺は、彼女の強さを知っている。

なんせ、怪力スキルを保有しているメドゥーサに綱引きで勝つ実績があった。

 

脱出に成功した文は、これまでよりも大きく距離を取って、バーサーカーと対峙する。

 

「はあ、はあ……ッ!」

 

口の端から垂れる血と、頬に残る涙の跡をブラウスの袖で拭き取った。

そのまま何度か深呼吸をして、身体と心を落ち着かせる。

 

『■■■■■■――!!』

 

そんな隙を見せても、バーサーカーは襲いかからない。

文の脱出した場所は、これまでよりもイリヤのいる位置に近い。

イリヤを守らなければならないバーサーカーは、その場所から離れられない。

文は、バーサーカーを視界で捉えつつ、同じ方角にいるイリヤも同時に見ていた。

 

「……なによ?」

 

視線に気づいたイリヤは、不機嫌そうに文を睨む。

普段なら軽口の一つでも返すだろうが、今の彼女にそんな余裕はない。

ここまで追い込まれたら、文もイリヤを直接狙う可能性もあった。

彼女のスピードは、絶対的にバーサーカーを凌駕する。

バーサーカーがイリヤから少しでも離れれば、たちどころに襲われてしまう。

それが、満身創痍の文が作った膠着状態だった。

 

「……死んじゃうほど痛かったので、良い眠気覚ましになったわ」

 

葉団扇で扇ぎながら嘯くが、今の彼女はそれが精一杯の強がりだった。

背中から絶えず血が流れており、貧血のためか足取りも覚束ない。

 

「……ふん。馬鹿みたい。そんなふらふらで何ができるっていうの?」

 

イリヤは呆れたように尚も睨んだが、天狗の少女は逆に媚びるような視線を送っていた。

 

「ところで……イリヤさん、また私の提案に乗りませんか?」

「は? いきなり何を言い出すのかと思ったら、どういうつもり? 今のアヤの提案を私が受けて、何かメリットがあると思っているの? 命乞いの間違いじゃない?」

 

イリヤの視線が更に厳しくなったが、文は態度を崩そうとしない。

 

「それがですね。実のところ私……翼がなくても飛べます。もちろん速度は格段に落ちますけど、その気になれば士郎さんを連れて逃げ出すのも可能です。……そんなことになれば、お互いに面倒でしょう?」

 

嘘を言っているようには見えなかった。

イリヤが『提案』を断れば、彼女は今の言葉を二の句を継ぐ暇もなく実行する。

そんな雰囲気を、天狗の少女は漂わせていた。

 

「…………話だけ聞いてあげる」

「へへへ。ありがとうございます。では、僭越ながら……。これから私は、一枚のスペルカードを展開します。そのスペルをバーサーカーが最後まで耐えきったら、イリヤさんたちの勝ちです。それだけです。他に難しい条件はありません」

 

へつらった笑みを見せて、勝利条件を提示した。

 

「一度だって、バーサーカーを殺せてない癖に。……偉そうにして。でも、いいわ。ここまで来て逃げられるのもまっぴらだしね」

 

相手の思惑に乗せられて気に入らないようだが、不承不承ながらその提案をのむ。

イリヤにとって、バーサーカーの存在は絶対だ。そんなプライドのためにも、ここで引くわけにいかなかった。

 

「どのみちこんな状態であのスペルを展開すれば、私は確実にぶっ倒れます。後は煮るなり焼くなり、殺すなり好きにしてください。…………ん、士郎さんも付き合わせちゃうけど、ごめんね」

「いや、気にしなくていい。俺は文の強さを信じる」

「またそうやって歯の浮くような恥ずかしい台詞……。でも、今だけはイヤじゃないかも」

 

そんな文の軽口に、つい笑いそうになってしまう。

だが血の気は完全に引いており、今にも倒れそうなほどふらふらだ。

 

「…………シロウの馬鹿。二人ともバーサーカーに殺されちゃえばいいのよ」

 

どこか拗ねた様子のイリヤも、彼女の状態を考慮した上で提案をのんだのだろう。

文の足下は、背中からの出血によって水たまりができていた。

歩こうとしても、あの射命丸文が頼りなく感じてしまうほど不安定だった。

 

「あわわ!!」

 

血溜まりに足を滑らせたのか、尻餅をついてしまう。

血が飛び散って、自らを更に赤く染めた。

 

「あ、転んじゃった……恥ずかしい……」

 

彼女が転ぶなんて、信じられない光景だった。

この森に入った時も『生まれてから一度も転んだことがない』と言ってのけていた。

こんな局面で、道化を演じているわけじゃないだろう。

その証拠に、よろよろと起き上がる文も転んだ事実に驚きを隠せていない。

 

「………………邪魔。走りにくい」

 

少し逡巡を見せたあと、文は一本歯の靴をソックスごと脱ぎ捨てた。

自分の血に染まった大地に、裸足になって立つ。

しかし……転んだ原因が、あの靴だけとは考えにくい。

失血による体力消耗だけではなく、片翼を失ったせいでバランスを取れずにいた。

 

それでも天狗の少女は、唯一残された右の翼を限界の限り広げてみせた。

 

「…………っ!!」

 

……広げた時にもがれた翼も反応したのか、顔をしかめ苦痛に耐えようとする。

そんな文を見て、イリヤは嬉しそうに笑っていた。

 

「……ところでイリヤさん。神秘に打ち勝つには、それ以上の神秘が必要なんでしたっけ?」

「そうよ。神秘はより強い神秘に倒されるの。だからバーサーカーの『十二の試練』を破るには、セイバーのエクスカリバーのような概念武装が必要だわ。……アヤがそんな概念武装を持っているとは思えないけどね」

 

アサシンの太刀が、バーサーカーに通らなかったのはそのためだ。

あの男の剣技が如何に優れようとも、備中青江ではどうやっても『十二の試練』を貫けない。

現に文の使う葉団扇だって、弾かれてしまっている。

これまで文は『十二の試練』を超えるどころか、一度だってバーサーカーにダメージを与えていない。

……だがなぜ、今になってそれを確認したのか?

 

「私にもちゃんとありますよ。いえ、『いる』と言った方が正しいでしょうか」

「クスクス。よくわからないけど、それなら最初から使えばいいのに。……痛みのあまりに気でも触れちゃったのかしら?」

 

文の言葉は、漠然として要領を得ないものだった。

そうではなく、重大な何かを隠しているような口振りだ。

 

「神秘とは、つまり幻想でしょう? ――あなたの目の前に千年を超す幻想がいませんか?」

「え――?」

 

ペガサスのような幻想種は、在り方そのものが神秘であり、それだけで魔術を凌駕する。

魔術が知識で力を蓄えるのならば、幻想種は長く生きることで力を蓄える。

それが、千年クラスの幻想種なら『十二の試練』を打ち破れても不思議じゃない。

 

「じゃあ、文が……?」

 

ニィと天狗の少女が笑みを作った。

赤い目が深度を増してより紅くなり、瞳孔の形が細く狭まる。

あれは以前、柳洞寺で見せた目だ。

今の射命丸文は、すべての虚飾を脱ぎ捨てて、妖怪本来の顔をしていた。

 

「あなたたち、死にたくなかったら、一ミリでも動かないほうがいいわよ。これから使うスペルはもともと制御が利くようなものじゃないから」

 

天狗の少女は、一枚のスペルカードを取り出した。

 

「……それをこんな有様で使えば、どうなることやら」

 

先程発動した『天狗道の開風』とは違う絵柄。つまり、別のスペルカードが展開される。

 

「これから見せるのは、本当の幻想郷最速。もう二度と使わないから、精々刮目しなさい。――見えるものならね」

 

文は、肺を膨らませるように大きく息を吸う。

 

『幻想風靡』

 

その宣言の直後――――文の姿は、爆音と共に掻き消えた。

凍った大地に、少女の足跡とは思えない大穴を三つ残して――――。

 

たった三歩。たった三歩だった。それで、烏天狗は音速を超えた。

初動加速で音の壁を突き破り、超音速に達する。

同時にソニックブームと呼ばれる、音を超えた時に生じる衝撃波が発生した。

 

「――――――――!!!!」

 

身体が浮き上がるような衝撃に、俺とイリヤは反射的に耳を塞いだ。

耳を塞いでも意味がない。耳鳴りが止まない。それどころか、このままじゃ鼓膜が破けてしまう!

 

それでも尚、烏天狗は速度を上げていく。

 

速く速く。ただ、速く。

その一点以外は、何もかも置き去りにした、風神の少女――。

神速の世界は、誰の目にも捉えられない。赤く光る流線だけが、微かに痕跡を残す。

周辺に自生する常緑樹が、大穴を開けて砕け散った。

神域の疾風と衝突し、樹齢数百年の大木が次々と倒されていく。

 

一歩でも動けば、俺もあの木のように破壊されるという確信。

いつ落ちてくるかもわからない、ギロチン台に乗せられたような恐怖。

それはイリヤも同じだ。両手で耳を覆い、小さな身体を縮めて震わせている。

 

『■■■■■■――――ッッッッ!!!!』

 

しかし黒い巨人だけは、咆哮を上げた。

最強のサーヴァントだけは、斧剣で疾風を迎え撃とうとした。

そして、赤い流線を斧剣で狙おうとした瞬間。

 

バーサーカーの頭が、熟れた果実のように爆ぜた――――。

 

頭部を失った巨人の体躯に、次々と大穴をあけていく。

腹部、前腕、上肢、背部、脚部、胸部、腰部、下腿――――。

何もかもが滅茶苦茶だった。何もかもが恐ろしかった。

だってもう、バーサーカーは人の形をしてないじゃないか。

 

「イヤ、イヤイヤイヤイヤイヤ……!! 止めて、止めてよ!! わたしの……わたしのバーサーカー!!」

 

イリヤは立ち上がり、声を上げて、更に削れていくバーサーカーに手を伸ばす。

バーサーカーは、自分が死んだ事実にも気付けない。耐性を付ける以前の問題だった。

 

人体を構成するおおよそのパーツが、跡形も残さずに消し飛んでいく。

そこにあったのは、ヘラクレスと呼ばれた偉大な大英雄でなく、ただの潰れた肉塊だけ。

 

こうなってしまえば、決着も何もない。もうすべてが終わっていた。

 

 

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