文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars.   作:悠里@

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45.姉の想い

 

 

原形を残さずに散らかされた、黒い巨人。

そこに、バーサーカーをバーサーカーとたらしめる要素は一つもない。

それがギリシャ最大の英雄ヘラクレスだったものの。その成れの果て。

 

こうして最強のサーヴァントは、一つの命も残さずに殺しつくされた。

 

「わたしの、バーサーカー……」

 

酸鼻な光景に、イリヤは泣いて震えていた。

バーサーカーを絶対と信じていた自信は消え去り、眼下の惨劇に震えるだけ。

文と敵対している以上、自分もああなってしまうかもしれない。

そんな恐怖からは、どう足掻いても逃げようもなく、惨劇の終わりだけを強く願う。

 

「――――――――」

 

尚も音を超えて、空を疾走する赤の流線。

烏天狗――射命丸文。

バーサーカーを散らかした今も、速度を落とさずに狂奔を続けていた。

通り抜ける度に、少し遅れて発生する破裂音と、身体がバラバラになりそうな衝撃。

胃酸が逆流する緊張に心は蝕まれて、体は恐怖に震えてしまう。

 

そして烏天狗は、森が切れる高度まで一気に駆け昇る。

月を背にした一体の妖怪は、一呼吸ほどの滞空をして――そのまま大地に急降下した。

 

「まさか、文のやつ……!?」

 

これから起こる事態に予想は付いたが、俺には身を伏せる余裕しかなかった。

 

 

地表を貫く爆音――。大地が局地的に揺れる。

衝撃波がサークル状に走り抜け、俺の身体は数メートル先まで吹き飛ばされた。

鼓膜を損傷させる轟音と、体中を打ちつけられる激痛。

 

もしかしたら――俺は一瞬だけ気を失っていたかもしれない。

目は見えるし、手足もちゃんと動く。

だったら……起き上がれないほどのダメージじゃない…………!

 

「――――!!」

 

イリヤの無事を確認しようと彼女の名前を叫んだが、その声は奇妙なノイズとなった。

あまりの轟音に、俺の聴力は失われてしまっている。

頭痛が伴う不愉快な耳鳴りがする。それ以外は何も聞こえない。

でもこんなのは、一時的なはず。急いでイリヤの安否を確認しなければならない。

 

「………………!」

 

目を凝らすと、土煙の向こうにイリヤの姿を発見した。

頭を抱えて屈んでいるが、意識は失ってはいなかったようだ。

瓦礫の上という、他より高い位置にいたのが幸いしたのだろう。

衝撃と同じ高さにいて、地面に打ちつけた俺よりも被害は小さい。

 

良かった……。

今は敵という立場だが、彼女に死んで欲しいと思ったことは一度だってない。

胸を撫で下ろしたくなったが、今はまだそんな場合じゃない。

 

かつて、バーサーカーが立っていた場所。

そこには地表を深く抉る、巨大な窪地が出来ていた。

これじゃ隕石が落下したクレーターと変わらない。

文が最後に見せたスペルカードは、現実味のない破壊力を持っていた。

……これが、聖杯戦争の終盤戦で見せた射命丸文の本気。

 

天狗の少女は、バーサーカーの何もかもを蹴散らした。

それこそ、肉片すらも残さずに――。

必要のない追い打ちで、バーサーカーの存在をこの世界から消し去った。

……あの少女はかつて『自分の力を見せびらかすのは好きではない』と言っていた。

それなのに、今はこんなにわかりやすい形で誇示している。その意味はなんなのか。

 

粉塵に包まれたクレーターの中心。

そこに、ぼんやりと立ち尽くす烏天狗の少女。

バーサーカーにもがれた片翼も含めて、全身に目を逸らしたくなる傷があった。

生きているのが不思議だった。立ったまま死んでいるのかと思った。

 

スペルカードを発動する前は、あそこまでの傷ではなかった。

傷の大半は、発動後にできたもの。

片翼を失った状態での超高速飛行により、自分もダメージを負ったのだ。

人間なら、何度だって死んでいるような出血量。

白色のブラウスは、もはや血で染まっていない箇所を探すほうが難しい。

 

「…………んー」

 

そんな傷だらけの身体で、少女はきょろきょろと周囲を見渡していた。

 

「――――あ」

 

そしてクレーターの淵にいた俺の姿を見つけると、ニコリと微笑を貼り付けた。

全身の傷に反して、彼女の顔は不自然なまでに綺麗なまま。

それに……どこか様子が少しおかしい。

彼女が普段見せる相手を見下す笑みではなく。純粋な笑顔だった。

 

「文……」

 

その顔を見ているだけで、これまでの恐怖と緊張が同時に解けていく。

……だけど、どうしてなのだろう。その顔に魅入られると、俺は思い出しまう。

妖怪は人を誑かし攫い食べてしまう――。そんなキャスターの言葉を。

 

少女の可憐な顔は、何かしらの魔力があるのは確かだろう。

キャスターは文を『人間の目を惹き付けるような姿形』と評価していた。

その通り、彼女の顔は寒気を感じるほどに整っている。不自然なまでに欠点がない。

 

それこそが――人間を喰らうために必要な罠ではないのか?

 

「……馬鹿か俺は!」

 

こんな時に何を考えている!

それが必死の覚悟で勝利を上げたパートナーに思う感情なのか?

最強のサーヴァントを倒して得た勝利を共に喜び、讃えてあげるべきじゃないのか?

 

それでも……頭に一度浮かんだ不安はどうしても打ち消せない。

それに文は、自分の口ではっきりと言ってたじゃないか。

――妖怪は、人を喰らうものなのだと。

だったら……この化物は俺を喰うために惑わそうとしているんじゃないか?

いま彼女に必要なものは高いエネルギーだ。

ここにある最も手近なものは、それこそ人の血と肉ではないのか?

 

「…………」

 

いつまでも突っ立ったままの俺に、天狗は首を傾げて何か言いたげに視線を送った。

その視線に対して、身体が構えるように反応してしまう。

俺は警戒を解かずに、唾を飲み込み、眼下にいる天狗の出方を待った。

 

「……士郎さん。次に目を覚ましたら、温かい布団の中というのを希望します」

 

それは不快な耳鳴りと、くだらない妄想を塗り潰す――――少女の綺麗な声だった。

そして天狗の少女は、身体を支えるための全ての力を失ったように倒れた。

 

 

 

 

不自然な倒れ方からして、少女は意識を失っていた。

うつ伏せに倒れたまま、少しだって動かない。呼吸をしているのかも怪しかった。

彼女はバーサーカーとの戦いで、限界を超える力を出した。

それでなんとかバーサーカーに勝利した。考えなくても、当然の代償だった。

 

「それなのに俺は何をしてた……? くだらない妄想に取り憑かれてる場合じゃないだろ……!」

 

あの時、俺は何を考えていた?

彼女に喰われるだって? そんな根拠がどこにある!!

彼女がもし人喰いの化物だったとしても、俺の窮地を何度も救ってくれたパートナーじゃないか!

大切な翼をもがれても、血と涙を拭いて、あのバーサーカーに立ち向かったじゃないか!

そんな少女に疑惑の目を向けるなんて、何様のつもりだ!? 衛宮士郎!!

お前のような、何もできないろくでなしが仲間を疑える立場だと思っていたのか!?

 

「俺は馬鹿だ! どうしようもない馬鹿だ!」

 

クレーターの斜面を転げるように走ると、倒れている少女の身体に触れる。

完全に意識を失っており、揺らすのを躊躇うほど、ぐったりとしていた。

失血のために体温の低下が著しく、死人のように冷たい。脈も動いているかわからない。

 

でも……こんなのは素人診断だ。

そもそも人間の知識が、妖怪の彼女に通用するのか俺は知らない。

なんであっても、危険な状態なのには変わらなかった。

急いで手当てをしないと、命に関わるのは間違いないはず。

 

下手に動かすのは危険だとしても、妖怪の生命力を信じるしかない。

彼女を背負って、窪地の斜面を登り始める。

……気絶した人体は重いなんて話があるが、そんなのは絶対に嘘だ。

だって、こいつは何も感じないぐらい軽いじゃないか!

それなのに俺はこんな少女に何もかも背負わせて、ボロボロになるまで戦わせて……クソ!!

 

「どうして俺は……こんなに……!」

 

クレーターの淵に辿り着く。

そこに憔悴したイリヤが、文を背負う俺の方角を見ていた。

 

「…………どうやらアヤは生きてるみたいね」

 

イリヤの囁くような声は、はっきりと聞き取れた。

頭痛はまだするが、この感じだと少しずつ回復するだろう。

 

座り込んだイリヤは、どうしてか俺から少しずれた場所を所在なげに眺めていた。

彼女の瞳も心なしか、定まっていないように思える。

どうやら未だに立ち込める土煙で、俺の位置を把握していないようだ。

でも今はイリヤに気を取られている場合じゃない。事態は一刻を争う。

 

「そうだ。こんなところで絶対に文を死なせるものか」

 

寝息とは違う弱々しい呼吸が肌に触れて、俺は焦燥感に駆られてしまう。

 

「そう。アヤを助けてあげたいのは山々だけど、わたしのお城……こんなになっちゃったからね。……ちょっとここじゃ無理かな。シロウには悪いけど、森を抜けてから治療するしかないみたいね」

 

今やイリヤの城は、セイバーの宝具によって瓦礫の山と化していた。

もしかしたら、という淡い期待もあったが、それもいま水泡に帰した。

それならイリヤの言う通り、この森を抜けるしかない。

だが、来るだけでも相当な時間が掛かった。只でさえ広大な森だ。

悪路に視界不良も加わって、道だってちゃんと覚えているかも怪しい。

森を抜けるのも、同じぐらいの時間が必要だろう。だったら急がないといけない。

 

「……だけど」

 

一つだけ気がかりがあった。文には悪いが、これだけは確認したかった。

 

「イリヤは……これからどうするんだ?」

「……わたしはまだここにいるわ。敗者だもの。これ以上、聖杯戦争には関与しないつもり」

 

雪の少女は、敗北を真摯に受け入れていた。

俺は、バーサーカーが負けた事実に耐えられないと思ってた。

文だって言っていたが、彼女は俺の想像以上に大人なのかもしれない。

いや、事実そうなのだろう。今のイリヤはかつてないほど毅然とした態度だった。

 

「……大丈夫なのか?」

 

令呪を全て失っていない以上、聖杯戦争を完全に脱落したとは言えない。

だからと言って、サーヴァントがいないと勝ち残るのは不可能だ。

残る陣営は、俺たちと遠坂とセイバーの二組だけ。

遠坂たちが、サーヴァントを失ったイリヤを狙うとは考えにくい。

命を狙われる心配はないはず。

そうであっても、こんな森の深くに少女を一人残す真似はしたくなかった。

 

「イリヤ……もしよければうちに――」

「お兄ちゃんはわたしなんかより、自分とアヤの心配をしなさい。シロウと話すのはこれで最後になるけど……あの日の夜は楽しかったよ。たくさん話せて嬉しかった」

「……ああ、俺もあの夜は楽しかった」

 

本当に楽しかった。

俺も文もイリヤも、みんな馬鹿みたいに酒に酔って笑っていた。

 

「わたしのバーサーカーをぐうの音も出ないほど倒したんだからね。セイバーなんか、こてんぱんにやっつけちゃいなさい。そうじゃないと、わたしもバーサーカーも絶対に許さないんだからね……! だから、もう行って……」

 

これまで毅然としていたイリヤの表情が崩れかけた。

ああ……俺はここにいちゃいけない。ここはもう……イリヤとバーサーカー、二人だけの聖域だ。

 

「……わかった。行くよ」

 

それだけしか彼女に言えなかった。

背中に命の重みを感じながら、振り向かずに走り出した。

 

 

「ばいばい、シロウ。わたしのたった一人の大切な弟――」

 

 

 

 

衛宮士郎が去って、三時間が経過した。

士郎は、無事にアインツベルンの森を抜けられたようだ。

それだけは、この致命的に綻び始めた身体でも何とか知覚できた。

 

「よかった……。ついでにアヤも助かればいいんだけど」

 

運が良かったのか、それとも意図的だったのか。

どうやら――この森に侵入したやつとは接触せずに済んだらしい。

 

「ふう」

 

イリヤスフィールは、安堵の溜息を吐く。

この三時間、それだけが少女の心の中心にあった。

張り詰めた緊張が解けたせいか、抗い難い眠気に襲われてしまう。

 

「だけどまだダメ。まだ眠っちゃダメ」

 

イリヤスフィールは、人間ではなかった。

ホムンクルスという、アインツベルンの魔術によって造られた人工生命だった。

正確には、ホムンクルスを母体とした人間とのハーフなのだが、在り方は人間とまるで違う。

彼女は、母の胎内にいた時から様々な施術を加えられている。

元々短命のホムンクルスなのもあり、その時点で彼女は真っ当に生きる道を閉ざされていた。

しかし、そんなことは彼女を造ったアインツベルンにとって関係のない話。

此度の聖杯の器であるイリヤスフィールには、真っ当な人生などそもそも不要だった。

 

聖杯の器である彼女は、倒されたサーヴァントの魂を取り込む度、人間としての機能を失っていった。

そして、五体目になる自身のバーサーカーを取り込んだ結果、彼女の視界は完全に閉ざされた。

少女の愛らしい赤い瞳はもう何も映していない。ただ、深い闇を映すだけ。

最後に焼き付いた光景は、絶対であったバーサーカーが滅茶苦茶に潰される瞬間だった。

 

「それが人生最後の光景かー。ま、考えなくても最低最悪よね」

 

それでもイリヤスフィールは、嘆かなかった。

それどころか雪の少女は、自分の人生を不幸だとも思っていない。

アインツベルンの悲願を達成するための道具……それが自分の役目であると割り切っていた。

これが自身に与えられた運命であり、自分もそうあるべきとずっと思っていた。

 

だがそんなイリヤスフィールも、唯一と言っていい気がかりがあった。

10年前の聖杯戦争で生き残った実父の衛宮切嗣が、自分を忘れて暮らしていたこと。

それだけがイリヤスフィールは、どうしても許せなかった。

次に会ったら殺してやろうと思った。酷たらしく殺してやろうと思った。

深い愛情が、深い憎悪に裏返った瞬間だった。

しかし殺そうと思った父は、何年も前に自分とは無関係に死んでいた。

そんな事実に言葉では言い表せない、やり場のない感情が渦巻いた。

 

だけど、衛宮切嗣は10年前の聖杯戦争で一人の孤児を拾ったらしい。

だとすれば、そいつは自分の弟に当たる存在なわけだ。

どんなやつなのか、一目でも見てやろうとワクワクしていたのを思い出す。

そいつには、衛宮切嗣にぶつけられなかった、ありったけの感情をぶつけてやろうと思った。

 

「……シロウ」

 

だが実際会ってみたら、驚くほど無防備なそいつに随分と拍子抜けした。

もうすぐ始まる聖杯戦争を知らないまま、暢気に生活をしていた。

そいつの左手には、聖痕の兆候まで出ていたのに。

切嗣は、死ぬまでの数年間に何をしてたのかと随分と呆れたものだ。

だけど、その時になぜだかそいつの――自分の弟をもっと知りたくなった。

 

そして、二度目の邂逅。

どういうつもりか衛宮士郎は、黒い羽が生えたへんてこなサーヴァントの尻に敷かれていた。

本来あるべきサーヴァントの主従関係なんてあったものじゃない。

衛宮士郎は、そんなとびっきりのお人好しだった。

 

それから衛宮士郎とは、また会って――。

お話をした。家にも招かれた。なぜか酒盛りもした。魔術回路も開けてやった。

 

(あの方法は……いま思い出しても恥ずかしいけどね)

 

とても恥ずかしくて声には出せない。だから心のなかで強く思った。

 

そして最後に殺してやろうと――思ったわけだが、現実はこの有様だった。

人は見かけによらないと言うらしいが、どうやらそれはサーヴァントにも当て嵌まるらしい。

あんな弱そうなサーヴァントに、バーサーカーが負けるなんて万が一にも思わなかった。

悲しいし、悔しいし、泣きそうになった。

だけど、ここまで容赦無く敗者の烙印を押されると逆に清々しくもある。

 

「いま思えば、シロウを殺さなくて良かったかな。アヤは……ちょっと別だけど」

 

射命丸文とは、とても気が合った。

こうして思い返してみると、初めての友人だったかもしれない。

それと一応はシロウのサーヴァントだったから、目一杯の気持ちを込めて彼女に弟を託した。

だけど同時に士郎を取られた気がして、とても嫌な気持ちになった。

大好きな弟を、赤の他人に取られた姉の気分というのか。いや、それはちょっと違うかもしれない。

そんな気持ちを理解できるほど、イリヤスフィールは対人関係を積み重ねていなかった。

 

「少しだけ、アヤに意地悪し過ぎたかも。……あーあ、一思いに殺してあげるべきだったかな」

 

その時――雑草をぞんざいに踏み付ける音がした。

息の詰まる禍々しい存在感は消せないのか、男の存在は視力を失っていても気づいた。

もっとも、この男もその気配を消すつもりはないようだったが。

 

「ふーん。あなただったんだ。わたしは聖杯である前に、『ひとかたのレディー』なんだから丁重に扱ってよね」

 

ホストが座ったままなのは礼節に欠けるが、彼は士郎たちと違って招かざる客だ。

だから、気にしてやる必要もない。

……本当は、士郎について行きたかったが、森に侵入した男の目的は自分にあると理解していた。

こうして最後ぐらいは、姉らしく弟の身を案じてやるのも悪くない気分だった。

 

「フ――――」

 

少女を見ていた男の口が、醜く歪んでいくのを感じた。

たった一つの気持ちを馬鹿にされたようで、イリヤスフィールは酷く不愉快になった。

 

 

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