文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars. 作:悠里@
原形を残さずに散らかされた、黒い巨人。
そこに、バーサーカーをバーサーカーとたらしめる要素は一つもない。
それがギリシャ最大の英雄ヘラクレスだったものの。その成れの果て。
こうして最強のサーヴァントは、一つの命も残さずに殺しつくされた。
「わたしの、バーサーカー……」
酸鼻な光景に、イリヤは泣いて震えていた。
バーサーカーを絶対と信じていた自信は消え去り、眼下の惨劇に震えるだけ。
文と敵対している以上、自分もああなってしまうかもしれない。
そんな恐怖からは、どう足掻いても逃げようもなく、惨劇の終わりだけを強く願う。
「――――――――」
尚も音を超えて、空を疾走する赤の流線。
烏天狗――射命丸文。
バーサーカーを散らかした今も、速度を落とさずに狂奔を続けていた。
通り抜ける度に、少し遅れて発生する破裂音と、身体がバラバラになりそうな衝撃。
胃酸が逆流する緊張に心は蝕まれて、体は恐怖に震えてしまう。
そして烏天狗は、森が切れる高度まで一気に駆け昇る。
月を背にした一体の妖怪は、一呼吸ほどの滞空をして――そのまま大地に急降下した。
「まさか、文のやつ……!?」
これから起こる事態に予想は付いたが、俺には身を伏せる余裕しかなかった。
地表を貫く爆音――。大地が局地的に揺れる。
衝撃波がサークル状に走り抜け、俺の身体は数メートル先まで吹き飛ばされた。
鼓膜を損傷させる轟音と、体中を打ちつけられる激痛。
もしかしたら――俺は一瞬だけ気を失っていたかもしれない。
目は見えるし、手足もちゃんと動く。
だったら……起き上がれないほどのダメージじゃない…………!
「――――!!」
イリヤの無事を確認しようと彼女の名前を叫んだが、その声は奇妙なノイズとなった。
あまりの轟音に、俺の聴力は失われてしまっている。
頭痛が伴う不愉快な耳鳴りがする。それ以外は何も聞こえない。
でもこんなのは、一時的なはず。急いでイリヤの安否を確認しなければならない。
「………………!」
目を凝らすと、土煙の向こうにイリヤの姿を発見した。
頭を抱えて屈んでいるが、意識は失ってはいなかったようだ。
瓦礫の上という、他より高い位置にいたのが幸いしたのだろう。
衝撃と同じ高さにいて、地面に打ちつけた俺よりも被害は小さい。
良かった……。
今は敵という立場だが、彼女に死んで欲しいと思ったことは一度だってない。
胸を撫で下ろしたくなったが、今はまだそんな場合じゃない。
かつて、バーサーカーが立っていた場所。
そこには地表を深く抉る、巨大な窪地が出来ていた。
これじゃ隕石が落下したクレーターと変わらない。
文が最後に見せたスペルカードは、現実味のない破壊力を持っていた。
……これが、聖杯戦争の終盤戦で見せた射命丸文の本気。
天狗の少女は、バーサーカーの何もかもを蹴散らした。
それこそ、肉片すらも残さずに――。
必要のない追い打ちで、バーサーカーの存在をこの世界から消し去った。
……あの少女はかつて『自分の力を見せびらかすのは好きではない』と言っていた。
それなのに、今はこんなにわかりやすい形で誇示している。その意味はなんなのか。
粉塵に包まれたクレーターの中心。
そこに、ぼんやりと立ち尽くす烏天狗の少女。
バーサーカーにもがれた片翼も含めて、全身に目を逸らしたくなる傷があった。
生きているのが不思議だった。立ったまま死んでいるのかと思った。
スペルカードを発動する前は、あそこまでの傷ではなかった。
傷の大半は、発動後にできたもの。
片翼を失った状態での超高速飛行により、自分もダメージを負ったのだ。
人間なら、何度だって死んでいるような出血量。
白色のブラウスは、もはや血で染まっていない箇所を探すほうが難しい。
「…………んー」
そんな傷だらけの身体で、少女はきょろきょろと周囲を見渡していた。
「――――あ」
そしてクレーターの淵にいた俺の姿を見つけると、ニコリと微笑を貼り付けた。
全身の傷に反して、彼女の顔は不自然なまでに綺麗なまま。
それに……どこか様子が少しおかしい。
彼女が普段見せる相手を見下す笑みではなく。純粋な笑顔だった。
「文……」
その顔を見ているだけで、これまでの恐怖と緊張が同時に解けていく。
……だけど、どうしてなのだろう。その顔に魅入られると、俺は思い出しまう。
妖怪は人を誑かし攫い食べてしまう――。そんなキャスターの言葉を。
少女の可憐な顔は、何かしらの魔力があるのは確かだろう。
キャスターは文を『人間の目を惹き付けるような姿形』と評価していた。
その通り、彼女の顔は寒気を感じるほどに整っている。不自然なまでに欠点がない。
それこそが――人間を喰らうために必要な罠ではないのか?
「……馬鹿か俺は!」
こんな時に何を考えている!
それが必死の覚悟で勝利を上げたパートナーに思う感情なのか?
最強のサーヴァントを倒して得た勝利を共に喜び、讃えてあげるべきじゃないのか?
それでも……頭に一度浮かんだ不安はどうしても打ち消せない。
それに文は、自分の口ではっきりと言ってたじゃないか。
――妖怪は、人を喰らうものなのだと。
だったら……この化物は俺を喰うために惑わそうとしているんじゃないか?
いま彼女に必要なものは高いエネルギーだ。
ここにある最も手近なものは、それこそ人の血と肉ではないのか?
「…………」
いつまでも突っ立ったままの俺に、天狗は首を傾げて何か言いたげに視線を送った。
その視線に対して、身体が構えるように反応してしまう。
俺は警戒を解かずに、唾を飲み込み、眼下にいる天狗の出方を待った。
「……士郎さん。次に目を覚ましたら、温かい布団の中というのを希望します」
それは不快な耳鳴りと、くだらない妄想を塗り潰す――――少女の綺麗な声だった。
そして天狗の少女は、身体を支えるための全ての力を失ったように倒れた。
◇
不自然な倒れ方からして、少女は意識を失っていた。
うつ伏せに倒れたまま、少しだって動かない。呼吸をしているのかも怪しかった。
彼女はバーサーカーとの戦いで、限界を超える力を出した。
それでなんとかバーサーカーに勝利した。考えなくても、当然の代償だった。
「それなのに俺は何をしてた……? くだらない妄想に取り憑かれてる場合じゃないだろ……!」
あの時、俺は何を考えていた?
彼女に喰われるだって? そんな根拠がどこにある!!
彼女がもし人喰いの化物だったとしても、俺の窮地を何度も救ってくれたパートナーじゃないか!
大切な翼をもがれても、血と涙を拭いて、あのバーサーカーに立ち向かったじゃないか!
そんな少女に疑惑の目を向けるなんて、何様のつもりだ!? 衛宮士郎!!
お前のような、何もできないろくでなしが仲間を疑える立場だと思っていたのか!?
「俺は馬鹿だ! どうしようもない馬鹿だ!」
クレーターの斜面を転げるように走ると、倒れている少女の身体に触れる。
完全に意識を失っており、揺らすのを躊躇うほど、ぐったりとしていた。
失血のために体温の低下が著しく、死人のように冷たい。脈も動いているかわからない。
でも……こんなのは素人診断だ。
そもそも人間の知識が、妖怪の彼女に通用するのか俺は知らない。
なんであっても、危険な状態なのには変わらなかった。
急いで手当てをしないと、命に関わるのは間違いないはず。
下手に動かすのは危険だとしても、妖怪の生命力を信じるしかない。
彼女を背負って、窪地の斜面を登り始める。
……気絶した人体は重いなんて話があるが、そんなのは絶対に嘘だ。
だって、こいつは何も感じないぐらい軽いじゃないか!
それなのに俺はこんな少女に何もかも背負わせて、ボロボロになるまで戦わせて……クソ!!
「どうして俺は……こんなに……!」
クレーターの淵に辿り着く。
そこに憔悴したイリヤが、文を背負う俺の方角を見ていた。
「…………どうやらアヤは生きてるみたいね」
イリヤの囁くような声は、はっきりと聞き取れた。
頭痛はまだするが、この感じだと少しずつ回復するだろう。
座り込んだイリヤは、どうしてか俺から少しずれた場所を所在なげに眺めていた。
彼女の瞳も心なしか、定まっていないように思える。
どうやら未だに立ち込める土煙で、俺の位置を把握していないようだ。
でも今はイリヤに気を取られている場合じゃない。事態は一刻を争う。
「そうだ。こんなところで絶対に文を死なせるものか」
寝息とは違う弱々しい呼吸が肌に触れて、俺は焦燥感に駆られてしまう。
「そう。アヤを助けてあげたいのは山々だけど、わたしのお城……こんなになっちゃったからね。……ちょっとここじゃ無理かな。シロウには悪いけど、森を抜けてから治療するしかないみたいね」
今やイリヤの城は、セイバーの宝具によって瓦礫の山と化していた。
もしかしたら、という淡い期待もあったが、それもいま水泡に帰した。
それならイリヤの言う通り、この森を抜けるしかない。
だが、来るだけでも相当な時間が掛かった。只でさえ広大な森だ。
悪路に視界不良も加わって、道だってちゃんと覚えているかも怪しい。
森を抜けるのも、同じぐらいの時間が必要だろう。だったら急がないといけない。
「……だけど」
一つだけ気がかりがあった。文には悪いが、これだけは確認したかった。
「イリヤは……これからどうするんだ?」
「……わたしはまだここにいるわ。敗者だもの。これ以上、聖杯戦争には関与しないつもり」
雪の少女は、敗北を真摯に受け入れていた。
俺は、バーサーカーが負けた事実に耐えられないと思ってた。
文だって言っていたが、彼女は俺の想像以上に大人なのかもしれない。
いや、事実そうなのだろう。今のイリヤはかつてないほど毅然とした態度だった。
「……大丈夫なのか?」
令呪を全て失っていない以上、聖杯戦争を完全に脱落したとは言えない。
だからと言って、サーヴァントがいないと勝ち残るのは不可能だ。
残る陣営は、俺たちと遠坂とセイバーの二組だけ。
遠坂たちが、サーヴァントを失ったイリヤを狙うとは考えにくい。
命を狙われる心配はないはず。
そうであっても、こんな森の深くに少女を一人残す真似はしたくなかった。
「イリヤ……もしよければうちに――」
「お兄ちゃんはわたしなんかより、自分とアヤの心配をしなさい。シロウと話すのはこれで最後になるけど……あの日の夜は楽しかったよ。たくさん話せて嬉しかった」
「……ああ、俺もあの夜は楽しかった」
本当に楽しかった。
俺も文もイリヤも、みんな馬鹿みたいに酒に酔って笑っていた。
「わたしのバーサーカーをぐうの音も出ないほど倒したんだからね。セイバーなんか、こてんぱんにやっつけちゃいなさい。そうじゃないと、わたしもバーサーカーも絶対に許さないんだからね……! だから、もう行って……」
これまで毅然としていたイリヤの表情が崩れかけた。
ああ……俺はここにいちゃいけない。ここはもう……イリヤとバーサーカー、二人だけの聖域だ。
「……わかった。行くよ」
それだけしか彼女に言えなかった。
背中に命の重みを感じながら、振り向かずに走り出した。
「ばいばい、シロウ。わたしのたった一人の大切な弟――」
◇
衛宮士郎が去って、三時間が経過した。
士郎は、無事にアインツベルンの森を抜けられたようだ。
それだけは、この致命的に綻び始めた身体でも何とか知覚できた。
「よかった……。ついでにアヤも助かればいいんだけど」
運が良かったのか、それとも意図的だったのか。
どうやら――この森に侵入したやつとは接触せずに済んだらしい。
「ふう」
イリヤスフィールは、安堵の溜息を吐く。
この三時間、それだけが少女の心の中心にあった。
張り詰めた緊張が解けたせいか、抗い難い眠気に襲われてしまう。
「だけどまだダメ。まだ眠っちゃダメ」
イリヤスフィールは、人間ではなかった。
ホムンクルスという、アインツベルンの魔術によって造られた人工生命だった。
正確には、ホムンクルスを母体とした人間とのハーフなのだが、在り方は人間とまるで違う。
彼女は、母の胎内にいた時から様々な施術を加えられている。
元々短命のホムンクルスなのもあり、その時点で彼女は真っ当に生きる道を閉ざされていた。
しかし、そんなことは彼女を造ったアインツベルンにとって関係のない話。
此度の聖杯の器であるイリヤスフィールには、真っ当な人生などそもそも不要だった。
聖杯の器である彼女は、倒されたサーヴァントの魂を取り込む度、人間としての機能を失っていった。
そして、五体目になる自身のバーサーカーを取り込んだ結果、彼女の視界は完全に閉ざされた。
少女の愛らしい赤い瞳はもう何も映していない。ただ、深い闇を映すだけ。
最後に焼き付いた光景は、絶対であったバーサーカーが滅茶苦茶に潰される瞬間だった。
「それが人生最後の光景かー。ま、考えなくても最低最悪よね」
それでもイリヤスフィールは、嘆かなかった。
それどころか雪の少女は、自分の人生を不幸だとも思っていない。
アインツベルンの悲願を達成するための道具……それが自分の役目であると割り切っていた。
これが自身に与えられた運命であり、自分もそうあるべきとずっと思っていた。
だがそんなイリヤスフィールも、唯一と言っていい気がかりがあった。
10年前の聖杯戦争で生き残った実父の衛宮切嗣が、自分を忘れて暮らしていたこと。
それだけがイリヤスフィールは、どうしても許せなかった。
次に会ったら殺してやろうと思った。酷たらしく殺してやろうと思った。
深い愛情が、深い憎悪に裏返った瞬間だった。
しかし殺そうと思った父は、何年も前に自分とは無関係に死んでいた。
そんな事実に言葉では言い表せない、やり場のない感情が渦巻いた。
だけど、衛宮切嗣は10年前の聖杯戦争で一人の孤児を拾ったらしい。
だとすれば、そいつは自分の弟に当たる存在なわけだ。
どんなやつなのか、一目でも見てやろうとワクワクしていたのを思い出す。
そいつには、衛宮切嗣にぶつけられなかった、ありったけの感情をぶつけてやろうと思った。
「……シロウ」
だが実際会ってみたら、驚くほど無防備なそいつに随分と拍子抜けした。
もうすぐ始まる聖杯戦争を知らないまま、暢気に生活をしていた。
そいつの左手には、聖痕の兆候まで出ていたのに。
切嗣は、死ぬまでの数年間に何をしてたのかと随分と呆れたものだ。
だけど、その時になぜだかそいつの――自分の弟をもっと知りたくなった。
そして、二度目の邂逅。
どういうつもりか衛宮士郎は、黒い羽が生えたへんてこなサーヴァントの尻に敷かれていた。
本来あるべきサーヴァントの主従関係なんてあったものじゃない。
衛宮士郎は、そんなとびっきりのお人好しだった。
それから衛宮士郎とは、また会って――。
お話をした。家にも招かれた。なぜか酒盛りもした。魔術回路も開けてやった。
(あの方法は……いま思い出しても恥ずかしいけどね)
とても恥ずかしくて声には出せない。だから心のなかで強く思った。
そして最後に殺してやろうと――思ったわけだが、現実はこの有様だった。
人は見かけによらないと言うらしいが、どうやらそれはサーヴァントにも当て嵌まるらしい。
あんな弱そうなサーヴァントに、バーサーカーが負けるなんて万が一にも思わなかった。
悲しいし、悔しいし、泣きそうになった。
だけど、ここまで容赦無く敗者の烙印を押されると逆に清々しくもある。
「いま思えば、シロウを殺さなくて良かったかな。アヤは……ちょっと別だけど」
射命丸文とは、とても気が合った。
こうして思い返してみると、初めての友人だったかもしれない。
それと一応はシロウのサーヴァントだったから、目一杯の気持ちを込めて彼女に弟を託した。
だけど同時に士郎を取られた気がして、とても嫌な気持ちになった。
大好きな弟を、赤の他人に取られた姉の気分というのか。いや、それはちょっと違うかもしれない。
そんな気持ちを理解できるほど、イリヤスフィールは対人関係を積み重ねていなかった。
「少しだけ、アヤに意地悪し過ぎたかも。……あーあ、一思いに殺してあげるべきだったかな」
その時――雑草をぞんざいに踏み付ける音がした。
息の詰まる禍々しい存在感は消せないのか、男の存在は視力を失っていても気づいた。
もっとも、この男もその気配を消すつもりはないようだったが。
「ふーん。あなただったんだ。わたしは聖杯である前に、『ひとかたのレディー』なんだから丁重に扱ってよね」
ホストが座ったままなのは礼節に欠けるが、彼は士郎たちと違って招かざる客だ。
だから、気にしてやる必要もない。
……本当は、士郎について行きたかったが、森に侵入した男の目的は自分にあると理解していた。
こうして最後ぐらいは、姉らしく弟の身を案じてやるのも悪くない気分だった。
「フ――――」
少女を見ていた男の口が、醜く歪んでいくのを感じた。
たった一つの気持ちを馬鹿にされたようで、イリヤスフィールは酷く不愉快になった。