文々。異聞録 ~Retrospective Holy Grail Wars.   作:悠里@

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47.理性崩壊 《2月9日》

 

 

二人の繋がれた手は、いつの間にか解けていた。

 

カーテンの隙間から、朝影が漏れている。

そんな静かな光が室内を照らして、朝の訪れを優しく教えてくれた。

部屋を閉め切っていたため、空気は少し澱んでいたが、不思議と嫌な気持ちにはならない。

朦朧とした頭で、時計を確認すると時刻は8時を過ぎていた。

 

「もうこんな時間か……」

 

まだ6時ぐらいと思っていたから、また随分と寝坊をしてしまっていた。

変な姿勢で寝ていたので、身動きをする度に身体から小気味いい音が鳴る。

聖杯戦争が始まってから、衛宮士郎の生活習慣はすっかり乱れてしまった。

 

「…………」

 

少女は、今も眠っていた。

寝息すら聞こえない静けさに一瞬悪い想像がよぎるも、彼女の胸はしっかり動いていた。

思い返してみれば、彼女の寝ている姿を見るのはこれが初めてだった。

 

射命丸文は未だかつて、隙らしい隙を見せた記憶がない。

こんなあどけない子供のような顔を晒しているのが、そもそもあり得なかった。

もしかしたら……彼女なりに俺を信頼してくれた証拠なのだろうか?

自意識過剰と言ってしまえば、それまでの話。

もしその考えが本当だったら、こんなに嬉しいことはなかった。

 

「そうだな……。今のうちに包帯とガーゼを清潔なものに交換しようか」

 

目が覚めないよう、布団をゆっくりとめくる。

昨夜に着せたパジャマを脱がすために、上からボタンに手を掛けていく。

女性もののパジャマは、ボタンの向きが左右逆なので少しだけ外しづらい。

 

「……なにを、してるんですか?」

 

上から二つ目のボタンを外し終えた時、目覚めたばかりの少女と目が合った。

どうしてか、これ以上ない蔑みの視線を俺に向けている。

 

「なにって……パジャマを脱がそうとしているだけだけど。おはよう、文。元気そうで良かった」

 

……何か重大な要素を忘れている気がするが、朝の挨拶をした。

挨拶は大切だ。人間関係を円滑にする重要なファクターだ。

その際にお互いに笑っていれば、なお良い。

 

「ええ、おはようございます。…………そ、それで、なんで、わ、私のパジャマを、脱がしてやがるんですか……?」

 

口元が変に震えており、いつもの笑みすら作れずにいる。

彼女の視線から、蔑みとは違う、羞恥の感情が混じり始めた。

それにどういうわけか、全身がぷるぷると震えていた。

 

…………はて、どうしたんだろうか?

 

「あ」

 

三つ目の――小さな膨らみの上にあるボタンに手を掛けた時、ようやく自分の問題行動に気付いた。

もちろん、治療行為は問題ではない。だが、客観的に俺たち二人を見れば大問題だった。

 

文の顔がみるみる紅潮していく。もう耳まで真っ赤だった。

羞恥なのか怒りなのか、はたまたその両方なのか。

どちらにしろ、衛宮士郎に対して良くない感情なのは確かだった。

 

「それは……いや! ……ちょっと待とうか、文! してはいけない勘違いをしているぞ!?」

「……ええ。私も馬鹿じゃないので、現状は概ね把握しているつもりです。士郎さんにそんな度胸があるとは、とても思えませんしね。……で、でもね。は、恥ずかしいものは……恥ずかしいの。そ、そんな覆い被さるような姿勢で、ボタンを外されたら……きっと、だ、誰だって、そう思う……」

 

文の口調がごちゃ混ぜになって、安定していない。

よく見たら目には、涙すら浮かべていた。

あのバーサーカーを倒した射命丸文が、人前で泣いてしまっている……!

信じられなかったけど、それ以上に胸が苦しい。

女の子を泣かせてしまう罪悪感は、こんなに胸が苦しくなるものなのか……?

そんな当たり前の事実を、俺は今日初めて知った。

 

「そ、そうだよな。本当に悪かった! だから、その小刻みに震える拳をどうにか押さえてくれ!」

 

文の拳がプルプルと震えており、俺という標的に放たれる瞬間を、今か今かと待ち構えていた。

さっきまでの朝の清々しさは、どこに行ってしまったんだ。一瞬で修羅場になってしまったぞ。

 

「……ほんっとうにすまない! 俺も起きたばかりで寝ぼけてたみたいだ!」

 

ただ真摯に、ただひたすらに、謝り続ける。

……俺は文に殴られるのか。

コテコテなラブコメのように殴られてしまうのか。

相手が普通の女の子だったら、本気で殴られても仕方がない。

俺は、それだけの大罪を犯してしまった。

でも文の力で殴られたら、頭だったら爆ぜる。胴だったら貫通する。

どちらにしろ、デッド・オア・ダイだ。

本気じゃないとしても、悶絶するようなダメージは必至だった。

 

落ち度は完全に俺にある。ここで殴られようとも、文句は言えない。

だから、心のなかで十字を切った。

生きていられますように。

生きていられたら、文に美味しい朝食を作れますように、と。

……キリスト教徒ではないけど、たまには俺だって神に祈りたくなる。

 

「……わ、わかりましたから、みゃずはその。えっとえっと。その、て、手を放してくだしゃぃ……」

 

がたがたの滑舌で、少女が現状を伝えてくれる。

俺の右手は、未だに文のパジャマのボタンを掴んだままだった。

 

「あ……ああ! ご、ごめん! 気付かなかった!」

「あぅ、ううぅ…………」

「…………殴らなくていいのか? できたら加減してくれると助かる!」

 

慌ててボタンから手を放して、文の顔色を窺う。真っ赤な上に涙目だった。

 

「……こ、これで殴るなんて、どんな馬鹿な女の子なんですか……。そのぐらいの分別……私にだって、あります……」

 

文はゆっくり上体を起こすと、恥ずかしそうに胸元の着崩れを直した。

 

「まったく、グス……。わ、私の格好いいイメージが台無しです……。というか、こんなの私じゃありません……。何だか起きてからずっと、か、感情がおかしいの……。やっぱ、あ、あんな無茶をしたせいかな……グス」

 

あの射命丸文が、人前なのに堪え切れず、鼻を啜っている……!

格好いいかどうかは一考の余地があるが、飄々と、どんな時だって余裕の態度を崩さないのが彼女本来のイメージだ。

そこから大きく逸脱しているのは間違いない。

というか、さっきから罪悪感で胸が痛くて苦しい。何なんだ……これは?

 

「……し、士郎さんは、傷の手当てをしてくれたんですね……。じゃあ、怒れませんよ……」

「あ、ああ……そのつもりだったんだけど。俺も頭が働いてなかった。本当にすまない」

 

頭を下げると同時に、両手を合わせて再び謝罪を重ねる。

今の様子から察するに、どうやら許してくれたらしい。

 

「……それと水分を急いで摂ったほうがいいと思うんだ。何かリクエストはあるか? 酒は流石に駄目だけどな」

「クス……それは士郎さんなりの冗談ですかね。でしたら、温めのお茶をお願いします……」

「わかった。すぐに持ってくる」

 

急いで立ち上がって、文の部屋から出る。

 

「…………」

 

襖を閉める時、一瞬だけ文の顔が見えてしまった。

苦痛に歪んでいた。

俺の前だと平気な様子だったが、実際は激痛があったのだ。

文は、それを無理して隠した。

だから俺も気付かないふりをして、台所へと向かった。

 

 

 

「んぐんぐんぐ」

 

用意したお茶を、喉を鳴らして飲み干していく。

あれだけの失血をしたのに、今までまったく水分を摂っていなかった。

とても喉が乾いていたはずだ。

水分は摂り過ぎるということはない。温くしたお茶を、少女の湯飲みに再び淹れた。

 

「……朝食は食べるか? 文が買ってくれた毛ガニが残ってたから、カニ雑炊を作ってみたんだけど」

 

急ごしらえなので、出汁はちゃんと取れていない。

でも味見した感じでは、そんなに悪くない出来だと思う。

 

「ええ、いただきます。…………んん!?」

「ど、どうした? 熱かったのか!? 口の傷にしみたのか!?」

 

作ったばかりの雑炊を口に入れた途端、文が変な声を出した。

 

「……士郎さん、このお雑炊、美味しすぎる。……ショウガも入って、体も心も温まりますね」

 

良かった……。

さっきからどうしても、文の一挙手一投足が気になってしまう。

美味しいと言ってくれたのも、なぜかいつも以上に嬉しい。

 

「……ふう。美味しいものを食べると生を実感しますね」

「はは、いくらなんでも大げさだろ」

 

……少しは落ち着いてくれたようだが、起きた直後の文はなんだったんだろう?

『取り乱す』なんて言葉は、彼女から最も縁遠いはずだ。

 

「……よければおかわりもあるけど、食べるか?」

「鍋ごとください」

 

 

用意した朝食は、とても美味しそうに食べてくれた。

食欲に関しては問題なさそうだ。

そうなると、次に心配になるのはバーサーカーにもがれた翼だった。

背中を見ると、パジャマ越しに血が滲んでいる。

あの出血量だ。一度の包帯とガーゼだけではどうにもならないだろう。

 

「その……背中の傷は、大丈夫なのか?」

「背中……。ああ、私の翼のことですか。そんなに気を使わなくていいですよ。ふふ、私と士郎さんの仲じゃないですか」

「……ごめん。変に気にしすぎた」

 

直接的な単語を使うのを避けたせいで、逆に気を使われてしまった。

左の翼と殴られた胸の痣以外はほぼ完治しており、やはり文の再生力は並大抵じゃない。

見た目だけなら人間と同じなのだが、根本的な構造が別物だ。

それだったら、バーサーカーにもがれた彼女の翼だっていつ治ってもおかしくないはず。

 

「まあ、駄目でしょうね」

「……え?」

 

文の口から呆気なく告げられた、耳を疑う言葉。

 

「本来なら、肉体の欠損なんて大した問題じゃありません。事故で千切れたのなら数日のうちに生えてきたでしょう」

「だったら、どうして……」

「英雄様、直々ですからね。私たち妖怪は人間とは違って、精神の生物です。肉体に受けた傷は取るに足りませんが、精神へのダメージはその限りではありません。ヘラクレスのような大英雄の攻撃は、私の精神をズタズタに破壊してしまいました。私にしてみたらとんでもない猛毒です」

「猛毒……そう、だったな……」

 

バーサーカーとの戦いの時、文が『英雄の剣は妖怪にとって毒になる』と言っていた。

 

「英雄は魔を討つ存在ですから、私のような妖怪はどうしても相性が悪いんですよ。相手の動きだって、霞がかったように読みにくくなります。そして彼ら英雄から直接傷を負わされてしまうと……もうどうしようもないです。ある程度の傷なら治ります。ですが、この翼に関しては腐り落ちてしまったようなもの。それでもバーサーカーを私の手で倒せたから、この程度で済みました」

 

長舌に疲れたのか、喉の渇きを癒すようにお茶を飲んだ。

 

……だったら、もう文の翼はもうどうにもならないのか。

バーサーカーを討てた代償だったとしても、あまりに惨たらしい結果だった。

俺なんか、ただそこにいるだけ。戦うのも、傷を負うのも、いつだって文の役目だ。

 

「……そんな顔しないでくださいな。『ネタは自分の脚で稼ぐ』が私の持論ですが、何も完全に飛べなくなったわけではありません。速度も精密性も格段に落ちますが、なんとかなるでしょう。それよりも記事は腕がなければ書けません。だから私はこの右手が残っている限り大丈夫です」

 

……大丈夫なはずがない。肉体が欠損して、大丈夫でいられるはずがない。

烏天狗にとって、漆黒の両翼はアイデンティティみたいなもの。

初めて会った日――彼女は、公園で烏天狗だと名乗ってくれた。

その時、あんなにも誇らしげに広げた翼を見せてくれたじゃないか――。

 

「……………………」

 

慰めの言葉なんて、気休めにもならない。

そもそも、今の彼女を慰められる言葉なんて、この世に存在しないだろう。

何を言おうとも、見え透いた安い言葉になってしまう。

だけど、何も声を掛けられない自分もどうしようもなく情けない。

悔しくて、辛くて苦しい。衛宮士郎の心が、どうにかなってしまいそうだった。

 

それでも、彼女がいつもの顔で大丈夫と言うのなら、俺はその言葉に従うしかなかった。

 

 

 

 

「それでは、今後の方針を決めましょうか」

 

食後の休憩が終わり、一息ついたところで文が気を取り直すようにそう言った。

以前は俺の台詞だったのだが、もう聖杯戦争の主導は彼女にある。

 

「ああ、わかった。そうしよう」

 

文の傷は心配ではあるが、それについては俺も異論はなかった。

遠坂たちと殺し合う気なんて、俺には毛頭ない。

それでも相手がやる気なら、何らかの形で迎え撃つしかないだろう。

 

「セイバーがバーサーカーに負わされた傷は、一日程度で治るものではありません。それに、二日で都合三度の宝具使用。凛さんの魔力も枯れ果てているはず。挑むなら早ければ早いほどいいんですが、私も今日は動けそうもないです。なので、今日一日は治療に専念をして、明日の夜に挑むのはどうでしょうか?」

 

文は召喚された当初とは違い、最近はずっと聖杯戦争に積極的だった。

たった一日の休養で動けるか怪しかったが、俺は彼女の再生能力を信じるしかなかった。

 

「でも、遠坂のところは魔術師の家だぞ。考えもなく攻めるのは危険じゃないか?」

 

無暗に拠点に攻めるという意味では、イリヤの時もそうだった。

だけど、雪の少女は最後まで小細工には頼らず、バーサーカーの実力だけを信じた。

イリヤが手段を選ばずに最初から全力でいれば、聖杯は彼女の手にあったはず。

それだけ桁外れの実力が、バーサーカーにはあった。

 

遠坂は人の道から外れた行為はしないが、勝つためになら可能な限りの最善を尽くす。

それに彼女は、自分の家を隠していない。それがどうしても罠としか思えなかった。

余談だが、深山の小高い丘にある遠坂邸は、昔から曰くつきの幽霊屋敷として噂されている。

 

「そんなのは、私の風で木っ端微塵にしてみせますよ。あの程度の人間の張った結界なんて、我ら天狗の起こす風の前には児戯に等しい。……それともライダーの時のように超高度から、家ごと消し飛ばしてみせましょうか? それぐらいならまだできますよ?」

 

彼女ならではの発想だった。

ライダーの時と違って、建築物なら移動だってしない。文なら百発百中だろう。

奇襲としてはこの上ないぐらいに完璧だ。でもそれだと――。

『そんなことをしたら遠坂が死んでしまうんじゃないか』と言いかけた。

……セイバーはともかく、文が本気で風を起こせば、人間である遠坂は死んでしまう。

 

これまでの付き合いでわかったこともある。

射命丸文にとって、遠坂凛という稀代の才能を持った魔術師は、その他大勢に過ぎない。

好きでもなければ、嫌いでもない。いてもいなくても同じ。その程度の存在。

だから文は必要があれば、遠坂を殺すのを躊躇わない。

 

俺がここで『そんなことはやめろ』と言うのは簡単だ。

でも、ボロボロの状態で聖杯戦争を戦う文に、そんな言葉を口にしていいのか。

だからと言って、何もしないで見逃すなんて真似は絶対にできない。

 

「……ま、今のは冗談ですよ。そんな卑怯な手を使って勝てても面白くないですからね。正面からぶつかり、完膚無きまでに敗北を認めさせ、お二人をぴーぴー泣かせてやりましょう」

 

何も言わないでいた理由を察してくれたのか、彼女は少し笑いながら豪語する。

……俺が射命丸文を少し理解できたように、文は俺のことを何でも知っているんだな。

 

「じゃあ、いつかのバーサーカー戦のように住宅地で戦うのも手か? セイバーの宝具は攻撃範囲が広域だから、住宅が密集している場所では使えないはずだ」

 

遠坂が人避けの結界を張ってくれるだろうし、近隣住民を巻き込む戦いは絶対にしない。

少し卑怯な気もするが、遠坂が冬木のセカンドオーナーであるのを逆手に取った作戦だ。

 

「……それだと相手が全力を出せないじゃないですか。そんな状況で勝っても言い訳の材料にされてしまいます。それじゃ駄目ですね。却下です」

 

文の一言で無しになった。なんでさ。

俺にはやっぱり、この天狗少女が何を考えているのかを理解できていなかった。

 

 

 

 

どういうわけか、文は卑怯な手を使わずにセイバーを倒したいらしい。

マスターも狙わずに、セイバーと正面から決闘と呼べる戦いをしたいようだった。

理由が不明だったので確認してみたら『前にも話した』と言われてしまった。

 

「照れくさいので、もう絶対に言いません。忘れてしまった士郎さんなんて、もう知りません。つーん」

 

ついには、この始末だ。しかも『つーん』って。

俺も文に命を預けるつもりだから、知っておきたかったけどな。

ただマスターである遠坂を狙わないでくれるのは、これ以上ない条件だった。

 

「うーん……」

 

思い出せるのは、アサシンの前で啖呵を切った時――。

『全てのサーヴァントを倒して、この世界に妖怪がいた証を立てる』と彼女は言っていた。

でもその直後に敵前逃亡して、あの発言も『その場で思いついた出まかせ』だと言った。

ついでに『最新デジカメを買うのが、この世界に来た目的』だと言い切った。

 

「だけど、もしかして……?」

 

最初の発言だけは本当で、他は彼女の照れ隠しだとしたら――。

 

「な、ななななんで急に、あ、頭を撫でるんですか……!?」

「いや、なんか急に文が可愛くなって…………どうかしてた。ごめん」

「…………か、わわかわいいって! そ、そんなの千年前から知ってますよ! 馬鹿にしないでください!」

 

なんだろうか、この可愛い生き物。一生愛でてていたい。

 

 

文が落ち着きを取り戻した後、二人で今後の方針を綿密に話し合った。

その結果、目立つ遮蔽物もなく、人目に付かない冬木中央公園で遠坂たちを迎え撃つ計画になった。

慎二とライダーの時は俺一人だけだったが、今度は文と二人で待ち構える。

 

今回はライダーの時と違って戦略もなにもなく、作戦と呼べるものはない。

だから作戦ではなく、ただの計画だ。

あの場所なら、セイバーが宝具を開放しても問題ない。文だってスペルカードを使える。

文もセイバーも、己の実力を発揮できるはず。

俺としては過去のトラウマから近づきたくない場所だったが、そんなのは関係ない。

俺は、射命丸文のただ一人のパートナーだ。

彼女が望むものを望むがまま、何もかも差し出す覚悟はできている。

 

懸念があるとすれば、遠坂が決闘に乗ってくれるかだ。

だけど、それも心配ないと思う。

遠坂凛という少女は、正面から売られた喧嘩なら間違いなく正面から買ってくれる。

昨夜は『寝首に気をつけろ』と警告していたが、その心配もない。

俺はそんなところも含めて、遠坂を買っていた。いや、信頼していると言うべきか。

本当に寝首を掻くつもりがあるなら、わざわざ相手に伝えてやる必要すらない。

『非情になれない』というのは、少し語弊があるかもしれない。

 

遠坂も文と同じで、卑怯な手を使わず、正面からぐうの音も言わせないほど相手を負かせたい。

それだけは、お互いに共通しているのは間違いなかった。

 

 

「さて、方針も決まりましたし、私はまた眠らせてもらいますね。……お腹にものを入れたせいか、さっきから眠くて仕方がないです」

 

ふわ、と目尻に涙を浮かべて可愛らしい欠伸をした。

前までは絶対見せてくれなかった姿に、驚きと嬉しさを感じた。

 

「わかった。……でもその前に包帯を交換しないか? ここに用意してあるから」

 

パジャマから血が滲んでいたのが、ずっと気になっていた。

言い出すタイミングを窺っていたけど、これから寝てしまうのなら今しかない。

 

「――――」

 

しかし文は、俺の言葉に反応せずに唖然とするだけ。

 

「それとパジャマも新しいものに換えよう。汗もかいているだろうし、身体もちゃんと拭こうか」

 

そんなこともあろうかと、おろしたてのパジャマも用意しておいた。清潔なタオルもある。

 

「しくしく」

 

文が唐突に目を両手で押さえて泣き出してしまった。

狼狽えそうになったが、 声で『しくしく』と言っている辺りどうも胡散臭い。

 

「ど、どうしたんだ……?」

「士郎さんは、私を女の子として見てくれないのですね」

 

急に心臓を叩かれたような言葉が、文の口から出る。

今日は起きてからずっと文にドキドキされっぱなしなのに、どういうつもりなんだ……。

 

「そ、そんなことはないぞ。俺が言うのも変かもしれないけど、その、文は凄く綺麗だし、とても魅力的だと思う。……でも今はそれよりも、傷の手当てのほうが大事だよな」

「…………しくしくしく」

 

今度は芝居がかった口調と違って、『しくしく』に落胆が籠められていた。

意味深な質問といい、彼女は一体なにが言いたいのか。

 

「も、もう言うのも恥ずかしいですけど……。そ、そそそそんなに見たいんですか………………私の裸」

「!!」

 

今の俺は、文の役に立ちたいという感情が優先されて、他がいい加減になっていた。

こうして直接言われるまで、そこに気が回らずにいた。

パジャマのボタンを外した時も、寝ぼけていたのが原因じゃない。

彼女の力になりたい気持ちが空回ったせいだ。

……こんなじゃ治療に託けて、彼女の裸を見ようとする変態でしかない。

同じ轍を踏んでしまった。……我ながら度し難いな、これは。

 

「すまない……。悪いけど一人でやってほしい。タオルと着替えはここにあるから。……それと何か手伝って欲しいことがあれば言ってくれ。すぐに行くから」

 

文の返事を聞く前に、急いで部屋から退出する。

 

「まったく…………どんだけ間抜けなんだ、俺は」

 

そっと閉じた襖に背中を預けるようにして、ずるずると座り込む。

 

「文も朝からずっとおかしいけど、俺も大概だな、これは……」

 

文には聞こえないよう、小さく呟いた。

高ぶった気持ちを少しでも落ち着かせるため、深呼吸を繰り返す。

……少しして襖の向こうから、衣擦れや、水の跳ねる音がした。

 

「…………」

 

音だけだと、より蠱惑的に聞こえるのはなぜだろうか。

……! 何を考えて! 馬鹿か、俺は!

どうやら、この頭もいよいよおかしくなってしまったようだ。

 

馬鹿な煩悩を振り払うため、両頬を強く叩く。

そして、強い決意の元、襖越しの少女に声を掛けた。

 

「……文、勝とうな。勝って、聖杯戦争を終わらせよう」

 

衣擦れの音がピタリと止まった。

 

「――当然。そんなの、確認するまでもないわね」

 

自信に満ちた文の声。

いま彼女が浮かべている顔だって、俺には想像ができた。

 

 

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